過去数十年間の乱用物質の研究によって、人間の行動や生理機能そして物質乱用および依存の本質に関する我々の知識は、大いに強化された。基礎的な神経生物学的研究は、嗜癖の生物学的および遺伝的原因についての我々の理解を深めた。これらの発見は、慢性かつ再発性の生物学的脳疾患としての嗜癖を確立するのに役立った (Leshner, 1997)。 脳を通じて快楽や苦痛の神経経路をマッピングすることによって、覚醒剤を含む乱用物質が、脳内の様々な細胞や化学物質とどのように影響しあうかについて、研究者たちが理解し始めたところである。
これらの新しい情報はまた、異なる物質の使用障害に対する適切な治療アプローチについての理解にも貢献した。本章では、コカインおよび塩酸メタフェタミン(MA)の使用が使用者の脳と行動に与える影響と、その影響に起因する覚醒剤使用者に特有なニーズについて検討する。これらの影響に関する認識は、覚醒剤別の治療アプローチへの基礎を提供している。これらの知識は、治療提供者に、覚醒剤使用者に関する見識と、なぜ特定の治療アプローチがより効果的なのかという理解を提供するはずである。
国立薬物乱用研究所の所長 Alan I. Leshner, Ph.D. によると、あらゆる乱用物質に対処する際の根本的課題は、「ターゲット」(例:使用者)を理解することである。したがって、どうして人々がコカインやMAなどの薬物を摂取するのか、またなぜそれらに対する嗜癖を形成する人たちがいるのか、といったことを理解するためには、まず我々は、これらの薬物がそのターゲットに何をもたらすか、すなわち覚醒剤がどのように使用者に影響を及ぼすか、について理解しなくてはならない。
物質乱用および依存に関する議論にはその根本原因、すなわちこれらの状態を引き起こす社会的要因やリスクファクターが関係してくる場合が多い。今日までに、物質乱用および依存に関する72ものリスクファクターが同定されている (Leshner, 1998)。これらの中には、貧困、人種差別、社会的機能不全、脆弱な家庭、乏しい教育、しつけの悪さ、物質乱用仲間[の存在]などが含まれる。その他の環境的あるいは遺伝的要因と同様、これらリスクファクターは、乱用物質の一番最初の使用の際の決断のみに影響を与える。しかし最初の使用後、個人が物質使用を継続するのは、その効果――すなわち使用による気分・知覚・感情状態の変容――を欲するためである。これらの効果はすべて脳を通じて調節されるものであり、したがってこの現象を理解するには基本的な神経科学を理解することが重要となる。
乱用物質がその効果を発揮するには、まず脳内に到達しなければならない。精神覚醒(気分変容)物質のもっとも一般的な4種の投与経路は、(1) 経口摂取 (すなわち、嚥下)、 (2) 経鼻摂 (すなわち、吸い込む)、(3) 肺への吸入(一般的には喫煙による)、 (4) 注射器による静脈内摂取、である。
嚥下された物質は、まず胃を経て腸管へと進む。物質によっては容易に消化管を通過し血流へ入り込むものもあるが、消化器官の中で化学成分へと分解され(すなわち、代謝)、その結果排泄されてしまう物質もある。
肺へと吸入された物質は、鼻腔(鼻粘膜)の内層に付着し、そこから直接血流へと入り込む。通常吸入物質はまず、点火(例:マリワナ)または高熱揮発(例:クラック・コカイン、アイス形態のMA)によりガス状に変換される。肺は広い表面積を持つため、ガス状の物質はそこから素早く血流に入り込むことができる。
注射された物質は、いくぶん制御された速度ではあるが、当然ながら直接いつ血流に入り込む。これら3つの投与経路では、物質は未代謝の形で血流に入り込む。
物質はいったん血流に入ると、脳を含む身体中の様々な臓器・器官系へと運ばれる。肝臓に運ばれた物質はそこで代謝され、腎臓に入り込んだ物質は排泄される。女性の使用者が妊娠しており、物質が胎盤を越えることができた場合は、この物質は胎児の血流に入り込むことになる。乳児が母乳を通して物質を摂取する可能性もある。
物質の分子が脳に侵入するためには、まず主に血液脳関門から成る化学防御システムを通過しなければならない。血管の周りの堅固な細胞壁連結と細胞層が、高分子あるいは電荷を帯びた分子が脳内に侵入するのを防止する。しかしコカインやMAなど電気的に中立な低分子は、容易に血液脳関門を通過し脳内へ入ることができる。ひとたび脳に侵入すれば、乱用物質は直ちにその精神覚醒効果を発揮し始める。
人間の神経系は精巧に配線された伝達システムであり、脳がその管理塔である。脳は身体のあちこちからの知覚情報を処理し、筋肉の動きや移動を指示し、身体機能を調節し、思考や感情を形成し、感覚や気分を調整し、ようするにすべての行動パターンを統制するのである。
脳はいくつかの葉に分かれており、各葉が認知や感覚処理、運動神経など特定の機能を担っている。これらの葉は、何十億もの特殊化した細胞間の直接連結に関与する回路[サーキット]と呼ばれる非常に複雑な単位によって形成されている。様々な乱用物質は、これらの特殊化した細胞に影響を及ぼすのである。
脳の回路の基本的機能単位は、ニューロンと呼ばれる特殊化した細胞で、このニューロンは電気的かつ化学的に情報を運搬する。ニューロンの機能は、情報の伝達である。他のニューロンからの信号を受け取り、これらの信号を統合・解読し、隣のニューロンへと次々に伝達していくのである (Charness, 1990)。
典型的なニューロンは (図2-1参照)、主となる細胞体(ここには細胞核と細胞の遺伝情報のすべてが含まれる)、樹状突起 と呼ばれるたくさんの数の突起(通常1ニューロンにつき1万以上)、そして 軸索 と呼ばれるひとつの長い繊維から成り立っている。軸索の端には、別のニューロンとの連結を形成するさらなる突起が存在する。ニューロン内では、信号は電気インパルスとして運ばれる。しかし信号があるニューロンから別のニューロンへと送られるとき、これらの信号は、ふたつの伝達ニューロンを連結する部分にある隙間を越えなければならない。この隙間は シナプス と呼ばれる。ニューロン内の電気信号は、シナプスにおいて化学信号に変換され、ターゲットとなる(すなわち、受け取る側の)ニューロンへと送り出される。この化学信号は 神経伝達物質 と呼ばれるメッセンジャー分子を介して運ばれ、神経伝達物質はターゲット・ニューロンの外表面にある 受容体 と呼ばれる特殊な構造体と結合する (Charness, 1990)。そして神経伝達物質の受容体との結合は、結果的にターゲット・ニューロン内に電気信号を引き起こすことになる。人間の体内では、これまでおよそ50から100種類もの異なる神経伝達物質が同定されている (Snyder, 1986)。図2-2 はシナプス結合を図解し、化学伝達のメカニズムを表している。神経伝達物質は、どの受容体を活性化するかによって異なる作用を持つ。受信ニューロンの入ってくる信号に対す反応性を高める、すなわち興奮作用を持つ神経伝達物質もあれば、この反応性を弱める、すなわち抑制作用を持つものもある。個々のニューロンの反応性は、脳回路の機能に影響を及ぼす同時に、脳が全体としてどのように機能するか(脳がどのように情報を統合・解読し反応するか)にも影響を与え、それによって身体の機能および個人の行動パターンを左右することになる。すべての神経伝達物質システムが的確に機能することは、脳の正常な活動にとって不可欠である (国立アルコール乱用・依存症研究所National Institute on Alcohol Abuse and Alcoholism [NIAAA], 1994; Hiller-Sturmhfel, 1995)。
神経強化系に不可欠と考えられている脳回路は、辺縁報酬系 と呼ばれる( ドーパミン報酬系 または 脳報酬系 とも呼ばれる)。この神経回路は 腹側被蓋野 (VAT)と 側坐核 の間の橋渡しをする (図2-3参照)。 アルコール、コカイン、MA、ヘロイン、マリワナ、ニコチンなどすべての乱用物質はこの辺縁報酬系に何らかの影響を及ぼす。乱用物質はまた、快楽(陶酔感および満足感)の調節を助ける神経伝達物質ドーパミンの放出を増加することによって、側坐核にも影響を与える。ドーパミンは、運動、認知、動機付け、報酬の制御においても重要な役割を持つ (Wise, 1982; Robbins et al., 1989; Di Chiara, 1995)。脳内フリー[遊離]ドーパミンの高濃度は、通常気分を高め身体の動き(すなわち自発運動量[運動活動])を促進するが、過剰なドーパミンは統合失調症に見られるような緊張、興奮性、攻撃性、パラノイア、さらに幻覚や奇妙な考えをも引き起こす。逆に脳の同定領域でのドーパミン不足は、パーキンソン病の振戦や麻痺の原因となる。
食べる、飲む、性行為をするなどの自然活動は側坐核を刺激し、そのニューロンの間の多量の伝達を誘発する。この内部伝達によってドーパミンの放出が引き起こされる。放出されたドーパミンは即時的に、しかしつかの間の快楽感・高揚感をもたらす。ドーパミンの濃度が下がると同時に、快楽感も消えていく。しかし、これらの活動が繰り返されると、ドーパミンは再び放出され、さらなる快楽感・陶酔感が産出される。ドーパミンの放出とその結果の陶酔感は、人間においても動物においても、これらの活動の正の強化となり、これらの活動の繰り返しを動機付ける。
ドーパミンは反復行動の強化と動機付けに重要な役割を果たす、と考えられており (Di Chiara, 1997; Wise, 1982)、辺縁報酬系とフリー・ドーパミンの濃度が、あらゆる物質の乱用と嗜癖をつなげる共通項を提供していることを示す科学的証拠が次々と挙がってきている。ドーパミンは『嗜癖を支配する分子』と呼ばれている (Nash, 1997)。
側坐核が正常に機能しているとき、そのニューロン間の伝達は一定の予測可能な形で起こる。まず刺激されたニューロン内の電気信号が、ターゲットニューロンとの連結点(すなわちシナプス)に到達する。シナプス前ニューロン内の電気信号はドーパミンのシナプスへの放出を誘発する。ドーパミンが、シナプス間隙を越えてターゲットニューロンに到達する。そして後シナプスニューロンのドーパミン特異受容体に結合し、これはこのニューロン内での内部電気信号を引き起こす興奮作用を持つ。しかし放出されたドーパミンすべてがターゲットニューロンの受容体に結合するわけではない。余分なドーパミンは化学的に非活性化されるか、ドーパミン再摂取トランスポーター と呼ばれるシステムを通じて、素早く放出ニューロンに再吸収される (図2-4を参照)。余分なドーパミンが非活性化または再吸収され次第、ふたつの細胞は「リセット」され、放出ニューロンは別の化学信号の送信に、そしてターゲットニューロンはその受信に備えることになる。乱用物質、特に覚醒剤は、このドーパミン神経伝達物質系の正常な機能に影響を及ぼす (Snyder, 1986; Cooper et al., 1991)。
心理学者は、特定の行動パターンの学習と維持においては、正・負の強化が重要であることをずい分前から認識していた(Koob and LeMoal, 1997)。 1950年の終わりから始まって、科学者たちは、動物の脳の同定領域を電気的に刺激すると、精神の覚醒や行動に変が見られることを観察してきた。ラットなどの実験動物は、脳内の快楽回路を自己刺激することを学び、完全に消耗するまで続けた。例えば、コカインやアンフェタミンのような覚醒剤が投与された場合、快楽的反応への感受性があまりに高くなるため、動物は食物など通常では報酬となるような活動よりも、脳の快楽中心に対する電気刺激を選ぶようになる。
上述のように快楽を誘発する行為が反復的になっていく過程は、正の強化と呼ばれる。逆に、慢性使用の後での精神刺激性物質の突然の中断は、不快感および渇望に基づく行動パターンを引き起こすことが知られている。こういった不快感を避けるために物質を使用する動機のことを、負の強化と呼ぶ。正の強化は多種の神経伝達物質系によってコントロールされると考えられており、一方の負の強化は、同じ神経伝達物質系内で慢性使用によって引き起こされた順応の結果である、と考えられる。
動物と人間に関する研究における実験的証拠は、覚醒剤および一般的に乱用されるその他の物質が脳の強化系に関与する神経伝達物質を模倣したり、助長したり、阻害したりする、という仮説を支持している (NIAAA, 1994)。 実際、乱用物質の強力な報酬効果に関する共通の神経的基礎を仮定している研究者も存在する (これに関する再検討は Restak, 1988 を参照)。食物、飲料、性行為などの自然強化子もまた、脳内の強化経路を活性化する。覚醒剤やその他の薬物が、これら自然強化子の化学的代役を務めるということが示唆されてきた。しかし、ここでもっとも危険なのは、乱用物質が自然強化子よりも強力で報酬効果のある快楽を生み出すことである。(NIAAA, 1996)。
短期的にみると、覚醒剤は、脳のニューロンおよび回路の間の正常な伝達を混乱または変更することによって、その効果を発揮する。コカインとMAはともに、特にドーパミン神経伝達物質系を混乱させることが示されている。この混乱は、後シナプスニューロン受容体の過剰刺激によって引き起こされる。そしてこの過剰刺激は、[ドーパミンの]過剰な前シナプス放出によってシナプス内のドーパミンの量を増加するか、ドーパミンの再摂取または化学的分解のパターンを阻害することによって可能となる (Cooper et al., 1991)。
コカインまたはMAの使用は、脳内ドーパミンの量を増加し、気分の高揚(例:高揚感または陶酔感)をもたらし、運動活動を促進する。コカインの場合、効果は短時間で、MAになると効果継続時間はかなり長くなる。脳内の覚醒剤レベルが低下するにつれて、ドーパミンの濃度も正常に戻り、愉快な気分もしぼんでいく。
動物実験や人間の脳画像研究に基づく科学的調査が進むにつれて、覚醒剤の慢性使用は、辺縁報酬系構造(例:腹側被蓋野、側坐核)のドーパミン作動性ニューロンに影響を及ぼすことが示唆されるようになった。これらの影響は、覚醒剤嗜癖の根底をなすものである可能性もある。覚醒剤嗜癖の神経科学的経路は、明確に確立されてはいない。しかし、覚醒剤の慢性使用後、人間の脳ニューロンの構造および機能における変化が見られる証拠という証拠は、数人の研究者によって発見されている。これらの変化は、ドーパミンの減少[枯渇]、神経伝達物質受容体あるいはその他の構造における変化、またはその他の脳メッセンジャー経路における変化によって生じるのではないか、と唱える研究者らもいる。彼らはまた、これらの脳メッセンジャー経路の変化が慢性の覚醒剤乱用と関連する気分、行動、認知機能の変化を引き起こす、と考えている (Self and Nestler, 1995)。
動物実験では、高用量の覚醒剤は、ニューロンの細胞終末を損傷することによって恒久的神経毒性作用を及ぼすことが示された (例: Selden, 1991)。 覚醒剤が人間においても同様の効果を持つかどうかは、まだ明らかにされていないが、近年開発された脳画像技術が、この問いに対する解答発見の手がかりを提供してくれることが期待される。現時点では、慢性覚醒剤使用者中で時折見かける長期認知障害の根底には、こうした恒久的損傷が存在するのではないか、という推測があるのみである。今後さらなる新技術の開発と適用により、人間における覚醒剤の神経学的影響に関する我々の知識が、一層拡張されることが期待される。(覚醒剤使用障害の医学的側面に関しては、 第5章で検討されている。)
嗜癖とは、重大な心理的および社会的原因と結果を伴う複雑な現象である。しかしその中核では、生物剤(物質)への長期の反復的な暴露が生物基質(脳)に与える影響、という生物学的過程が関与している (Nestler and Aghajanian, 1997)。 つまり、物質への暴露によって起こる、個々のニューロンの中での順応がこれらのニューロンの機能を改変し、やがてニューロンが作動作用している神経回路自体の機能を改変することになる。これは最終的には、嗜癖の特徴を構成する複雑な行動パターン(例えば、依存、耐性、感作、渇望など)を引き起こす (Koob, 1992; Kreek, 1996; Wise, 1996; Koob and LeMoal, 1997)。
物質乱用 の一般的な定義は、治療目的で必要とされるわけではない物質を、ただ気分・感情・意識状態を変容させるという目的のみで習慣的に使用することである。物質乱用が継続された場合、有害な心理的、行動的、社会的影響が生まれる。物質依存の個人は、これらの悪影響にもかかわらず、物質使用を続ける。中量の物質の慢性使用あるいは大量の短期使用が乱用に、乱用は最終的には嗜癖の構成要素となっていく(Ellinwood, 1974; Hall et al., 1988; Kramer, 1969)。
慢性的物質乱用は、一連の複雑な心理的および神経的順応を招く。これらの順応は、身体が物質誘発性の障害に適合、またはそれを補おうとしているのである。物質への反復的な暴露はまた、物質の効果を妨害および/あるいは中和するような順応(すなわち逆順応)をも、報酬回路において引き起こす。物質嗜癖 (あるいは 物質依存 )は、(1)心理的渇望(次節を参照)、(2)耐性(最初の水準の反応を得るために、または時には不快な退薬症候群を払いのけるために、物質の量を増やすこと)、(3)感作(覚醒剤の医学的効果の項で議論される)、(4)使用中止時に出現する、心理的依存を示唆する退薬症候群、という形で現れる。
依存の社会的、行動的徴候には、職場や家庭での機能の低下が含まれ、不安定で、気まぐれで、不安に満ちた行動パターンが含まれる場合もある。
他の乱用物質と同様、どの形態の覚醒剤であってもその中程度慢性使用または重度の短期使用は、乱用あるいは依存を引き起こす可能性がある (Ellinwood, 1974; Hall et al., 1988; Kramer, 1969)。 コカインおよびMA乱用パターンの臨床観察によると、通常初めての使用から本格的な嗜癖に至るまでにおよそ2年から5年の潜伏期が見られる。しかしながら、臨床経験および事例的証拠から、吸収の速い投与経路(例:注射、喫煙)および覚醒剤の純度が高い(例:アイス、クラック)場合は、潜伏期が1年未満に短縮されることが示されている。使用が増加するにしたがって、覚醒剤の効果に対する耐性が形成され、望むような心理的効果を得るためには、使用者は摂取量を増やし続けなければならない。慢性の乱用が進行すると、使用者は通常の楽しい活動よりも覚醒剤を好むようになり、最終的には食事や性行為よりも覚醒剤を選ぶようになりかねない (Hall et al., 1988)。ここまでくると、たいていの乱用者はいくら悪影響に悩まされ続けても、使用を止めることはない――これが物質依存の特徴である。精神覚醒物質慢性使用の突然の中止は、不快感、情動不安そして渇望に基づく行動パターンを招く。使用者は今度は、これらの不快感・情動不安を避けるという動機にかられて物質を使用する。この正の強化としての物質使用から負の強化への移行は、おそらく嗜癖末期のもっとも顕著な特徴のひとつであろう。
学習と記憶がどの程度嗜癖過程を支えるかについては、ごく最近注意が向けられたばかりである。研究者は、ドーパミンのような神経伝達物質がシナプスにあふれ出すたびに、思考および記憶を誘発する回路や、行動を動機付ける回路が脳内で獲得される、と考えている。嗜癖を支える神経化学は非常に強力で、物質使用を連想するような人、物、場所までも脳の中に刷り込まれる。
嗜癖の中心問題である渇望は、強力な動機付け特性を持つ習得された反応で、具体的な記憶(すなわち、条件付けされた引き金や誘因)が関与していることが多い。引き金――クライエントの嗜癖経過を通じて、繰り返し物質使用と組み合わされてきた刺激(物質を使用する友人、場所、身の回りの物、気分など)――はどんなものでも物質の効果と非常に強く結び付けられ、これらの結びついた(条件付けられた)刺激は、後に物質に対する強烈な欲求や喚起を誘発して再発の原因となる。コカイン嗜癖では、身体的退薬および物質不使用状態に達した後であっても、再発率は一般的に高い。
脳画像研究は、引き金によって誘発される薬物渇望が、記憶に関与する特定の脳系に結びついている可能性を示している (例: London et al., 1990; Stapleton et al., 1995)。 [大脳]背外側前頭前野、扁桃体、小脳を含む記憶・学習に関与する脳構造が、引き金誘発による渇望と結び付けて考えられている。これらの脳領域ネットワークは、記憶の情動的、認知的側面を統合し、引き金や記憶に反応して渇望を引き起こす。これらの引き金や記憶はまた、物質使用の強化過程でも重要な役割を担っている (Grant et al., 1995)。
大部分の治療プログラムでは、これらの要因がどれほど強力に再発を誘発するかを認識しており、クライエントに対して、かつて物質使用と結びついていたものをすべて回避するように警告する。これは、物資やそれを連想させるものにあふれる都市環境に住むクライエントにとっては、至難の業である。これらの嗜癖の学習、記憶問題を扱う治療アプローチの有効性は、実証されている。例えば、Childressは、クライエントが物質に関連した刺激との遭遇した際に、渇望と喚起の軽減を助ける治療戦略を開発した (Childress, 1994)。実験室内という物質抜きの保護された環境の中で、クライエントは、物質を連想させる引き金の受動的な暴露を繰り返し与えられる。この研究では、開始当初に引き金によって誘発された喚起や激しい渇望は、そのうち軽減していった (Childress, 1994)。今後も、学習および記憶と嗜癖過程との関係をより理解することによって、新たな治療アプローチが出現することであろう。
近年の非侵襲性脳画像の開発は、物質使用の短期効果のみでなく、慢性物質乱用および嗜癖のより長期的影響をも実証する強力な新ツールを作り出した。これらのツールによって研究者は、これまで手の届かなかった場所、すなわち文字通り生きた人間の脳の奥深くまで、堂々と到達できるようになった。これらの革新的技術を通じて、代謝活性(すなわち、グルコース利用)の測定よって、脳の異なる領域の正常あるいは異常な機能を描写することが可能になった。また、物質誘発性の構造変化や生理的順応を同定することも可能である。これらの技術の組み合わせは、脳の物質使用への反応である、変容された情報「処理過程」の観察を可能にした。
こうした技術を利用して、研究者たちは渇望に関与する脳構造を同定し、物質使用者の情動を[脳内に]位置づけ、物質誘発性の陶酔感の神経生物学的基礎を示すなど、多くのことが可能になった。例を挙げると、磁気共鳴映像法(MRI)と分光法よって、物質がその効果を発揮するとき、脳構造がどのように変化するかを見ることが可能となった。リン磁気共鳴分光法(31P MRS)と呼ばれる機能画像技術を用いて、慢性物質乱用は脳の一部領域における異常な代謝を伴い、これは物質使用の中止によって正常に戻るらしい、ことを示した研究者もいる (Christensen et al., 1996)。また陽電子放出断層撮影(PET)によって、覚醒剤使用者の脳内におけるドーパミン受容体の微妙な変化も明らかになった (Iyo et al., 1993)。 さらに最近のPET研究では、慢性覚醒剤乱用に対する長期的脆弱性が示された (Melega et al., 1997a; Volkow et al., 1996, 1997b)。また、別のPET研究では、コカインとその主観的効果との間の用量反応性の関係が実証された。つまり、摂取されるコカインの量が多いほど、使用者が経験する陶酔感も高くなる (Volkow et al., 1997a)。
脳波(EEGs)とMRIを組み合わせて、覚醒剤中断時に電気活動(ベータ波の形で)が増加することを示す脳の局所地図を提示した研究者もいる (Herning et al., 1997)。 覚醒剤の使用時と中断時のEEG活動をマッピングすることによって、物質誘発性の神経生理学的障害について今後さらに記録することが可能になるであろう。
動物における覚醒剤の影響はよく研究されているものの、人間における影響については、いまだに知識が乏しいのが現状である (CSAT, 1997)。革新的な脳画像法などの新技術の開発と適用により、 覚醒剤が人間の脳にどのような影響を与えるのかについての理解を、より高めていくことが可能になるだろう。覚醒剤乱用の根底にある神経的障害についてより理解することは、より効果的な新治療アプローチにつながっていくはずである。
物質乱用、とりわけ覚醒剤の乱用は、用量依存的に脳内のフリードーパミン濃度を増加させると思われる。すなわち、高量の物質が投与されるほど、ドーパミンの量も多くなる (Nash, 1997)。 物質の用量が高くなるほど、高揚感・陶酔感・満足感も高くなり、ドーパミン濃度と快感が減少していくと同時に、物質の再摂取によって快感を再現したいという激しい欲求が現れる。物質投与を繰り返すこの傾向は、覚醒剤乱用で特徴的に見られ、覚醒剤のその他の影響の大部分、そしてその他の嗜癖性物質の影響の基礎を成すものである。
[覚醒剤]の継続的使用はしばしば悪影響を引き起こし、そこには神経生理学的障害や健康状態の低下も含まれる。社会や家族関係におけるパフォーマンスにも悪い影響を及ぼし、薬物関連の容疑で逮捕・告訴される危険性も増加する。覚醒剤使用者が使用を止めた後でも、認知、s機能障害は継続する場合もあり、精神症状が続く場合さえある (Wada and Fukui, 1990)。 覚醒剤の効果に対する渇望は、不使用状態に到達した後でさえ簡単には消えない傾向があり、再発の可能性も高い。
覚醒剤の急性影響一般に関しては、これまでに詳細に記述されている。その多種にわたる生理的反応の中でも、覚醒剤は、収縮期・拡張期両方の血圧、心拍数、呼吸数、体温を上昇させ、散瞳を起こし、[意識の]覚醒を高め、運動活動を促進することが知られている (CSAT, 1997)。
過量摂取による急性影響には、危険なほどの頻脈・不整脈、脳出血、発作/痙攣、呼吸不全、脳卒中、心臓麻痺、脳損傷、昏睡、そして死亡が含まれる (CSAT, 1997)。
覚醒剤はまた、感作(すなわち、耐性の逆)を引き起こすことが知られ、これは度重なる薬物への暴露が、やがて新しい悪影響を生み出すことを意味する。例えば実験動物では、1回だけの低量から中量投与の後に発作が起こることは通常ありえない。しかし投与が繰り返されると、動物は覚醒剤に対して敏感になり、以前には無害であった量を一度投与しただけで発作を起こすようになる。
人間における覚醒剤乱用の慢性的影響は、これまで詳細に記述されていない。しかしここには、臓器毒性、健康状態の悪化(例:栄養不良、栄養失調、不衛生)、歯の問題、皮膚炎などが含まれる。(覚醒剤使用の医学的側面に関する議論の詳細については 第5章を参照。)
覚醒剤投与で即時に得られる心理的影響には、幸福感の高まり、陶酔感、興奮、覚醒、運動活動の増加などが含まれる。覚醒剤はまた、食物摂取や睡眠時間を減少させ、社交活動を活発にしたりもする。さらに覚醒剤によって、特定の種類の精神運動性課題におけるパフォーマンスが高まる場合もある。
高用量になると情動不安や興奮を招き、過量投与は常同行動(反復的かつ機械的な言動)を生む。覚醒剤使用の慢性心理的影響には、精神病、パラノイア、自殺傾向など様々な精神障害が含まれる。
また神経障害および認知欠損も存在する可能性がある。覚醒剤の行動的影響の多くに対しては最終的に耐性が形成され、同様の効果を得るためには投与量の増加が必要となる。
覚醒剤の投与は、とりわけ喫煙または静脈内注射された場合には、使用者に即時的かつ非常に強力な効果を及ぼす。しかし、「ラッシュ」とそれに続く陶酔感も、同様にすぐに薄れていく。強力な効果の後には、不快な「クラッシュ(崩壊)」が続く場合もある。クラッシュを払いのけるために、使用者は再び覚醒剤を摂取し、それによってラッシュとそれに続くクラッシュを繰り返す。
このサイクルは、何度も何度も繰り返される。ビンジング bingeing として知られる頻繁に投与を繰り返すこのパターンは、3日もの間も睡眠をとらず続けられることもある。この間使用者は食物も取らずひどい抑うつに陥っていき、果てには トィーキング tweaking と呼ばれるパラノイア・好戦性・攻撃性が悪化する状態に至る。
ビンジングは使用者が覚醒剤を使い果たすか、または完全に消耗して倒れるかしたとき、ようやく終わりとなる。その後使用者は数日間眠り続け、目が覚めたときには再びこのサイクルを繰り返すのである。
覚醒剤使用と様々な性的行為との関係を示す事例的証拠が、多く存在する。性的活動の最中に、性行為を激しくし、快楽を高め、性交の時間を長引かせ、抑圧を減少するために、覚醒剤を用いるのである。覚醒剤乱用は、普段はしないような異常あるいは倒錯した性行為、売春婦(または男娼)との性行為、HIVの危険性が伴う性行為などを招くことも知られている (Rawson et al., 1998b)。
コカインおよびMAは、喫煙、鼻からの吸入、注射、または経口摂取が可能である。各投与経路によって、投与量、効果の強度やそれに至る速度などが異なり、これらは乱用および依存の経過にも影響を与える。投与経路によって、依存の開始が異なることを示唆する証拠も存在する (DEA, 1995)。投与経路は、脳に供給される覚醒剤の量(すなわち、投与量)や供給される速度、 そして結果として生じる覚醒剤効果の強度に影響を及ぼす。
大部分の精神刺激性薬物と同様、覚醒剤の心理的影響の強度は、投与量と脳への通過率によって変わってくる。例えば、鼻から吸入した場合、覚醒剤は通常3分から5分以内に脳に到達するので、即時的にラッシュあるいは『ハイ[高揚感]』を得られるわけではない。静脈注射の場合は、およそ15秒から30秒の間にラッシュを生じ、喫煙となるとほぼ即時的に効果が得られる (ONDCP, 1998a)。
[脳への]供給の速さと投与量の高さから、覚醒剤の喫煙は、その他の投与経路に比べてはるかに強力な高揚感が得られる、と言われている。
投与経路は、結果として、体内の覚醒剤濃度に影響を及ぼすことが示されている。Cook は経口摂取と喫煙を比較するために、MAの経口投与および喫煙後の血漿濃度を測定した(see 図2-5参照) (Cook, 1991)。 0.25 mg/kgの経口投与では、血漿濃度は摂取30分後に上昇し始め、およそ摂取後3時間で最高レベル(約 38 ng/mL )に達した。プラトー・レベルは約4時間後まで維持され、その後4時間かけてゆっくりと低下した。喫煙(21 mg/被験者)後の場合は、 1分以内に最高レベルの約80%のMA 血漿濃度に達し、投与後約2時間で最高レベル(約42 ng/mL) 、この最高値のプラトーを約2時間維持した後、その後の約4時間はゆっくりと低下した。これに比較すると、コカインおよびMAの喫煙はともに、最高値に達するのが急激であった (Cook, 1991)。 コカイン喫煙(投与量21 から 22 mg/被験者) による血漿濃度は、投与後5から10分後に約240 ng/mL の最高レベルに達した。その後コカイン血漿濃度は急激に低下し、1時間以内に最高レベルの50%(半減期)まで降下した。MAの喫煙 (投与量 21 から 22 mg/被験者)では、数分で最高レベル (およそ50 ng/mL) 近くまで達し、投与約2時間後にゆっくりと低下し始めるまで上昇を続けた。また、半減期レベルに達したのは、投与の11時間から12時間後であった (図2-6参照)。コカインに比較してMAではプラトー効果が長いことと半減期が非常に長いことから、MAの喫煙を繰り返すことの危険性が示唆される。相当時間の間隔を置いたとしても、投与を繰り返すことによって非常に高い血漿濃度が生じることが予測されるからである (Cook, 1991)。 覚醒剤の影響は用量依存性であることから、投与経路は覚醒剤使用者や治療提供者にとって、神経学的、医学的、精神医学的、神経認知学的に非常に重大な意味を持つことになる。クラック・コカインやアイスMAの喫煙による強烈な高揚感は、退薬時には同じくらい強烈な『ロウ[落ち込み]』をもたらす (例:情動不安、抑うつ、 興奮性、不安、パラノイア、激しい気分変動)。それに続く渇望もまた、極めて強烈となる。覚醒剤の多量摂取が長引いた場合(例:ビンジの間)には、より深刻で長期にわたる神経障害が生じる可能性があり、それはより深刻で長期にわたる認知欠損を引き起こすことになる。覚醒剤の慢性的影響のオンセットは個人によって異なる。また、覚醒剤乱用および依存の慢性影響に悩まされるまでにはどのくらいの時間がかかるのかを、予測するためのデータはほとんど存在しない。しかし、オンセットには、投与量や投与頻度、そして投与経路が関与しているのは確かであろう。一般的には、投与量が多いほど、また投与頻度が高いほど、慢性影響は早く出現する。治療提供者の観点からすると、使用者が好む投与経路は慢性影響の範囲と程度に影響を及ぼすことから、もっとも適切な治療アプローチを選択する際には大きな意味を持つ (治療戦略の実践に関する本格的な議論は 第4章を参照 。毒性と副作用に対する投与経路の影響についての議論は 第5章。)
コカインは、ふたつの主要薬理的作用を持つ。局所麻酔作用と中枢神経系(CNS)刺激作用であり、これらふたつの特性を兼ね持つ薬物は他には知られていない。コカインの局所麻酔作用は、神経細胞内の感覚インパルスの伝達を阻害することによって起こる。この効果は、皮膚または粘膜へ適用された際にもっとも顕著となる。コカイン塩酸塩は、鼻・咽喉・咽頭の手術における局所麻酔剤として医療用に認可されている。
CNS刺激剤としてのコカインは、数々の神経伝達物質系に影響を及ぼす。これらの影響は、ドーパミンと辺縁報酬系の相互作用を通じて引き起こされる。この辺縁報酬系というのは、コカインが正の強化作用を含む最も重要な影響の数々を引き起こす場所である。コカインがドーパミン系に与える影響中で最大なのは、ドーパミンのシナプス再摂取を阻害する能力[作用]である。 図2-7 に示したように、コカインはドーパミン系を直接『刺激する』のではなく、ドーパミンが細胞内空間から取り除かれるのを阻止することによって、ドーパミン系は結果的に刺激されることになる。コカインによるドーパミン再摂取トランスポーターの阻害は、シナプス空間におけるドーパミンのアベイラビリティを延長[拡張]し、これによってドーパミン受容体への結合が継続されることになり、後シナプス・ニューロンは通常よりも長い間[信号を]発火し続ける。ドーパミン受容体活動の延長から生じる後シナプス・ニューロンの発火延長は、コカイン使用者にとって最初は、エネルギー増加、覚醒、興奮といったプラスの感覚として経験される。最近の研究では、コカインの主観的効果の強さとドーパミン再摂取トランスポーター阻害の度合いとの関連が示された (Volkow et al., 1997a)。コカイン使用者が使用初期に経験する効果は、通常プラスの意味での気分の変化である (Washton, 1989)。 大部分の個人が主観的に経験するコカインの急性効果には、エネルギーが増加する感じ、自信、精神的覚醒、性的刺激などと組み合わさった全身の陶酔感が含まれる。
適切な環境下においては、コカインが個人の集中力、性的興奮、社交性を高め、元来の内気さや緊張、疲労、抑うつ、退屈さなどを軽減することも報告されている。コカインでハイになっている時には、多くの人は自分が口数が多くなり、他者との交流により深く関与し、より陽気でのびのびとしているように感じる。ハイから戻ると、人によっては一時的に、情動不安、不安・興奮・易刺激性、不眠などを含む不快な反応や残効[残遺効果]を経験する。この『リバウンド』期には、疑い深さ、意識混濁、s超覚醒などを含むパラノイド思考の要素が出現することもある。
コカイン使用がエスカレートしていくと、使用者はプラスの影響に対しては次第に耐性を形成するとともに、マイナスの影響は確実に強まっていく (Washton, 1989)。使用者はハイがあまりハイではなくなり、リバウンド残効によって情動不安・抑うつに陥ることが多くなる、と報告する。これら新たに出現した『ロウ』は、気分を回復するための無駄な試みとして、さらなるコカイン摂取への願望を誘発するかもしれない。こうして、かつて経験したハイを求めるうちに、使用者は抑うつと絶望の深みにはまっていく。
コカインを鼻から吸引、喫煙あるいは静脈注射した場合、短時間で強烈なハイに至ることができる。しかしコカインは体内で急速に代謝されるため、このハイは長続きしない。最初に得たハイを再現しようとする試みから、使用者は頻繁に繰り返して使用するようになる。コカインはその作用機構から、激しい渇望と使用に関連する引き金への強い条件付けを生じる。近年の脳画像研究の成果から、脳の素早いコカイン摂取がその報酬効果において重要な役割を果たしており、脳からの素早い撤去が、コカイン嗜癖における頻繁な乱用、渇望、ビンジング・パターンの基礎となっていることが明らかになった (Volkow et al., 1996)。研究者たちは、辺縁報酬系のドーパミン作動性活性化がコカイン(および、おそらく大部分の乱用物質)の報酬効果に関与していることを仮定している。そして、この辺縁報酬系の活性化が継続した場合、関連する神経回路に長期的変性が生じ、それはコカインの強迫的投与を永続化する、と考えている (下記を参照)。
コカイン使用はまた、呼吸器、循環器、中枢神経系に関与する急性で有害な生理的影響も持つ。コカインの全身毒性は、呼吸器、循環器、中枢神経系の顕著な興奮を特徴とし、時には「コカイン反応」と呼ばれる医学的、心理的反応の組み合わせを生じる。(コカイン乱用の医学的側面に関する詳細は第5章 参照。)
多くのコカイン使用者にとって、最初の実験的な使用が、より頻繁なあるいは定期的な使用に移行することが多い。使用が継続、激化するにつれて、「カジュアルな」使用者は、望むような効果を得るためにより多くの摂取を必要とする、乱用の段階へと進んでいく。使用者はコカイン投与という毎日のしきたりに取りつかれ、多くの日常的な物や状況が薬物への渇望を誘発するようになる。乱用から本格的な嗜癖へ進行場合もある。コカインに対する耐え難い衝動と渇望にさいなまれ、使用を自己制限またはコントロールすることができなくなる。コカイン嗜癖者は自分が薬物問題を抱えていることを否定し、悪影響にもかかわらず使用を継続する。この段階になると、コカイン嗜癖の悪影響は、使用者の生活のあらゆる方面に影響を及ぼすようになっている。嗜癖者は、Dr. Sidney Cohen がコカインの「薬理学的命令」と呼ぶものに屈服することになる (Washton, 1989)。 図2-8 では、コカイン嗜癖の各段階の特徴が挙げられている。
コカイン使用の慢性影響オンセットの時期は個人によって異なり、投与量や投与頻度、投与経路にも関連していると思われる。個人がコカインの慢性影響に悩まされるようになるには、どの程度の時間がかかるのかを予測するデータは存在しない。しかし、MAの影響と同様、一般的には投与量が多いほど、また投与頻度が高いほど、コカインの慢性影響は早く出現する。加えて、鼻腔投与(鼻からの吸入)は喫煙(フリーベースあるいはクラック)または静脈内注射に比べて、慢性影響のオンセットが遅いようである。この時期に関して個人差が大きいことは明らかで、長期間使用してもマイナスの影響をほとんど報告しない個人もいれば、コカイン使用を開始して数週間・数ヶ月で深刻な有害影響の劇的なオンセットを報告する個人もいる。
身体的には、コカイン嗜癖を持つ個人は痩せており、時には衰弱している。個人的衛生やセルフケアは軽視され、医学的・歯科的ニーズは放置される。コカインは食欲を抑制するため、使用者や適切な食物摂取を怠り、ビタミン欠乏症に陥ることもある。嗜癖が重篤になると、食物、衣類、住居、性行為にかかわるニーズはすべて無視されるようになる。
心理的には、コカインの慢性影響は初期の好まれた影響の全く反対である。継続したコカイン使用は、パラノイア・意識混濁を悪化させ、集中力の低下・性行為不能などを招く。急性影響としては軽度の覚醒と疲労軽減を感じさせる物質が、慢性となると胸痛、不眠、食欲不振、一時的な抑うつ、極度の疲労などの原因となる。
治療の観点からは、奇妙なことに使用者は、プラスの急性影響がコカイン使用によるものだということは正確に知覚するが、マイナスの慢性影響とコカイン使用の関連性については認識できない、またはしようとしない場合が多い。家族や友人の目には、コカインの影響が使用者にとって有害かつ破壊的であることは明らかであっても、使用者はコカイン使用が有益でプラス効果があることを主張する。コカインが広範囲に及ぶ健康状態低下作用を持つことは、物質治療を開始したクライエントの行動的、心理的プロフィールを吟味すると明らかである。通常これらのクライエントは健全な行動パターンの明らかな崩壊と不安、抑うつ、パラノイアを含む情動不安の増加を呈している(Castro et al., 1992)。
コカインの慢性乱用は神経心理的障害 (O'Malley et al., 1992) のみならず、神経精神症候群をも引き起こす (Herning et al., 1997)。コカイン誘発性認知欠損は、ベースラインの機能を回復する まで、最高3ヶ月間続く。Weinrieb と O'Brien はその再調査の中で、コカイン慢性使用と、特に非言語的抽象化および問題解決における短期聴覚再生、記憶、集中力の欠損、および反応時間の遅れとの間に強い関連を見出した (Weinrieb and O'Brien, 1993)。
慢性コカイン使用の身体的、心理的、認知的影響は、その根底にある生理的影響を反映しており、これらの影響の中心には神経伝達物質ドーパミンに対するコカインの作用が存在している。
MAの影響に焦点を当てた研究活動は現在も続いているが、その人間に及ぼす影響については限られたデータが存在するのみである (CSAT, 1997)。情報の大部分は、コカインに関する文献から得られた推測に基づくものである。しかしながら、MAの生理的影響はコカインとほぼ同様で、血圧、体温、呼吸数の上昇や散瞳などが挙げられる。さらに、頻脈、不整脈、卒中による脳内微小血管の不可逆的な損傷も含まれる。
コカインの場合と同様MAの心理的影響には、幸福感、陶酔感の高まり、覚醒、活力の増加および食物摂取、睡眠時間の減少が含まれる。急激な投与では、人間の社交活動が高まることも示されている。高用量になると、人間と動物の両方において反復的、機械的行動を生じ、人間においては興奮性、攻撃的行動、幻聴・パラノイア(妄想と精神病)も引き起こすことがある。MAの過量摂取は、生命に関わるほどの体温上昇や痙攣を引き起こし、すぐに処置しなければ死に至ることもある。また、継続的使用により行動的影響への耐性が形成され、反復的な暴露により感作が生じる。MA使用者は、暴力行為に関与する傾向がある。気分の変化も一般的で、友好的だった使用者が敵対的になることもよく見られる。
MA嗜癖の経過も、コカインのそれに似ていると考えられている。脳の辺縁報酬系のフリードーパミンの増加という根底の神経学的影響も、コカインと類似である。MAの「退薬症候群」もコカインと同様だが、MAはより長期的影響を持つため、退薬[症状]もより激しく長期にわたるものになる。最後の使用から数時間後、MA使用者は気分とエネルギー水準の劇的な下落を経験する。そして――アルコール・バルビツール酸系催眠薬・ベンゾジアゼピン系薬剤など二次的物質を使用して眠っていた場合を除いて――ようやく睡眠が訪れ、場合によっては数日間続く。目覚めたときには、使用者は激しい抑うつを経験し、おそらくそれが数週間は継続することになる。この抑うつ状態においては、使用者の自殺リスクが増加する。しかし、いったんビンジング・エピソードから「回復した」と感じるやいなや渇望が生じ、次のサイクルが再び始まる。
コカインとMAの間には、三つの本質的な違いがある。第一に、MAは辺縁報酬系内の前シナプスのドーパミン放出を増加することによってCNS神経伝達を高めると考えられている。第二に、最近の研究で、動物におけるMAの神経毒性効果が示され、MAはヒトにおいても神経毒性を持つ、という仮定を支持する根拠が出現している。コカインとは異なりMAは、ニューロン細胞の皮膜を通過し、ニューロンがドーパミンを貯蔵する微小な袋( 小胞 と呼ばれる)に侵入する。MAはこの貯蔵袋と軸索終末を破壊するため、ドーパミンは堰を切ったようにシナプス内へ漏出する、と考えられる (図2-9参照)。 MAはまた、ドーパミンをニューロン内の安全な貯蔵小胞から、ニューロンの細胞質(すなわち、細胞の内部物質)へと移動させる作用を持つ。細胞質内ではドーパミンは毒性を持つ反応性化学物質に変換されるため、これにより間接的に神経毒性が引き起こされることになる。第三に、コカインは血漿や組織酵素によって急速に代謝されるが、MAはそれよりもはるかに遅い速度で代謝されるため、作用時間が長くなる (Cook, 1991; ONCDP, 1998b)。コカインの半減期(作用が続く時間)が1から2時間に対して、MAは1度投与するとその効果は8から12時間継続する。また、MAの代謝率の遅さが、MAにその神経毒性効果を発揮するためのより多くの時間を与えるのも事実である。
MAでは高血漿濃度が持続されることから、MAの喫煙を繰り返すことの危険性が示唆される。相当時間の間隔を置いたとしても、投与を繰り返すことによって非常に高い血漿濃度が生じることが予測されるからである (Cook, 1991)。
MAの慢性乱用は心臓内膜の炎症を招き、注射による使用者の間では、血管損傷や皮膚膿瘍も引き起こす。慢性使用者はまた、暴力行為、パラノイア、不安、意識混濁、不眠などのエピソードを持つ。大量使用者では、社会的、職業的荒廃が進行していく。精神症状は、使用中止後も数ヶ月、時には数年に渡って持続する場合もある。
MAに関するもっとも恐ろしい研究成果は、その長期使用が行動パターンを変えるだけでなく、脳を文字通り根本的かつ長期的な形で変えてしまうことを示唆している。動物実験では、MAの慢性使用によって、脳内ドーパミン濃度が最後の投与から最高6ヶ月間顕著に低減したままで、その後4年にわたってやや軽度の低減が継続した。MAはドーパミン系とセロトニン系の両方の機能を害する(セロトニンは別の重要なCNS神経伝達物質である)。MA誘発性の神経毒性は、脳の特定の領域に特異で(主に辺縁報酬系)、生化学的および解剖学的な形で表される。MAによる悪影響は長期に及ぶことが多く、ある種の損傷は永続的ではないか、という推測も聞かれる。最後に、これらの脳機能障害は、多くのMA使用者に見られる認知的、情緒的欠損の基礎をなしていると思われる。MA使用の慢性影響を理解することは、治療提供者にとって不可欠である。
動物実験によって、MAの高用量投与は神経伝達物質、特にドーパミンの濃度を激減させることが示された (e.g., Seiden et al., 1976)。 これに続く研究でも同様の結果が再現され (e.g., Ricaurte et al., 1980)、 この低下はMA投与中止の4年後まで歴然としていた(Woolverton et al., 1989)。さらに最近の研究では、サルにおける慢性のアンフェタミン暴露が、脳のドーパミン生産能力に長期的影響を及ぼすことが示された (Melega et al., 1997a)。ここででは、顕著なドーパミン減少が6ヶ月後まで継続し、1年後でもドーパミン濃度は暴露前濃度の80%であった。 ヒトにおける放射性追跡子実験では、MA使用者間では、前頭皮質や線条体などの脳領域における、ドーパミン受容体結合可能性が減ることが、Iyo ら (Iyo et al., 1993) によって明らかにされた。現在のところ、ヒトにおけるMAの慢性影響に関する証拠はほとんど存在しないが、MAの長期あるいは大量の使用が脳のドーパミン生産能力を著しく低下させることは、動物実験によって証明されている。
多くの動物実験から、MAはドーパミン系とセロトニン系の両方を害することが示されている (e.g., Peat et al., 1983; Robinson and Becker, 1986; Seiden et al., 1976; Trulson and Trulson, 1982a, 1982b; Wagner et al., 1979)。高用量投与が繰り返されるとMAの毒性が生じるが、この毒性は特定のニューロン系に対して、とりわけ辺縁報酬系(例:線条体、黒質、側坐核)に対して選択性を持つ。これらの脳回路内において、MAは神経線維の数を減少させ、正常な生理的機能を害し、軸索と軸索終末(すなわちシナプス接合部)を破壊することが示されている。これらの研究はまた、MA毒性が用量、投与経路、投与頻度に強く依存していることを示した。
MAの長期または大量使用は、脳がドーパミンを生産する能力を低下させる。この障害はMA摂取を中止してからも、最高1年間継続する。研究者は、このドーパミンに見られる変化とドーパミンおよびセロトニンニューロンの損傷こそが、MA使用において急性影響よりもはるかに目立つ、慢性影響の原因であると考えている。
もしMAが実際にヒトのドーパミンおよびセロトニン系に損傷を与えるとしたら、考慮すべき問題がいくつか派生する。MA使用の転帰のひとつに精神病が挙げられる。精神病患者は脳の機能をくつがえす、あるいは正常に戻す薬物を処方されることが多いが、大部分の抗精神病薬はドーパミンおよびセロトニンの活動を変化させることによって効果を発揮する。いまだ解答が得られていない疑問は、これらの抗精神病薬が、MA慢性乱用によりドーパミン・セロトニン系が損傷を受けた患者のMA誘発性精神病の治療におおいて効果を発揮するだろうか、というものである。今日までに、慢性のMA乱用および依存に対する抗精神病薬治療を調査した研究はほとんど見られない。
要約すると、動物におけるMA神経毒性の証拠は多く存在するが、MAがヒトにおいてそのドーパミンおよびセロトニンニューロンに恒久的な損傷を与えるかどうか、という問題については解答が得られていない。この種の研究に付随する危険性のため、データは死後解剖や高度な神経画像研究、そして神経毒性検出用新戦略の開発に依存することになるだろう。この新戦略にはおそらくオペラント行動薬理学を用いたものが含まれると考えられる。最後に、神経毒性の強度も視野に入れられるべきで、MA慢性乱用がヒトの脳機能に与える影響を判断するには、機能的影響をさらに詳しく吟味する必要がある。
近年の研究により、コカインやMAのような覚醒剤が使用者の神経系にどのような影響を与え、使用者の気持ちや情動そして行動をどのように変容させるか、について明らかになってきた。神経強化系について、また物質使用がどのように依存を引き起こすのかについて、さらに嗜癖の継続において渇望や記憶が果たす役割について、さらなる理解が得られるようになった。現在までにヒトにける覚醒剤の神経的、精神的、神経認知的影響に関する研究は不足しているものの (CSAT, 1994b, 1997)、動物実験ではMAが脳の正常機能を乱し、長期的おそらく永続的な神経損傷を引き起こすことが示されている。今後の一層の研究と新画像技術の開発により、ヒトにおけるこれら覚醒剤の影響の全容が、やがて明らかにされることが期待される。こうした新知識が新しいあるいは改良された覚醒剤使用障害の治療アプローチの開発に貢献することであろう。