過去20年の間に、覚醒剤の使用は全国的また国際的に重要な問題となってきた。覚醒剤の使用とその影響により、米国各地の多くのコミュニティーが大きな混乱をきたし、連邦・州・地方自レベルの行政や組織の確固たる対応を促してきた。例えば、1960年、1970年代には比較的小さかったコカイン使用の問題が、1990年代には医学・立法・法律執行上の主要課題となった。クラックコカイン流行によってもたらされた惨状は、多くのアメリカ人の知るところである。
同様に、もうひとつの覚醒剤、塩酸メタンフェタミン (MA) の使用および乱用も、近年劇的に増加した。広範囲に及ぶMAの使用・乱用は、この問題に対する意識を高め、政策立案者、法律関係者、公共事業提供者らに、この薬物の個人または社会に及ぼす影響に対してより一層のり組みを行うよう、促した。MAの乱用が[コカインと同じように]蔓延するのではないかという懸念が、1996年の総合的塩酸メタンフェタミン統制法Comprehensive Methamphetamine sControl Act への布石となった。
覚醒剤使用の爆発的な増加は、大きな研究の波を引き起こした。その結果、覚醒剤使用障害に関する基礎知識や脳の基本的機能、また嗜癖障害一般について著しい進歩が得られた。しかし今日に至るまで、覚醒剤使用障害の治療の基本あるいは種々の治療的介入の成功例については、ほとんど報告されていない。
この治療向上プロトコルTreatment Improvement Protocol (TIP) は、覚醒剤使用障害治療の本質についての基礎知識を記述するものである。具体的には、注目度の高い2種の覚醒剤:コカインとMAの使用に関連する医学的、精神医学的、物質使用/依存問題の治療に関して現時点で知られていることを再検討している。
本TIP中では、科学的根拠を基づく情報が、臨床家やその他「第一線の」物質使用障害治療提供者が利用できるような適切な方法で提起されている。治療アプローチに関する提言、治療への関与を最大にするための提言、治療の開始と設計のための戦略、物質不使用状態を開始し維持するための戦略など提供されている。また、覚醒剤使用者の医学的管理に関する提言、特殊な集団や設定に関する提言なども含まれている。
本TIPを作成したコンセンサス・パネルでは、実験に基づいて確立されたテクニックや原理に重点を置くことを試みた。しかしながら、覚醒剤使用障害の治療という“科学”が生まれてようやく10年というところであり、第一線の嗜癖問題専門家によって開発・支持されてはいるものの、実験による根拠はあまり持たない一連のテクニックや原理についても検討し、総合的に扱うことなった。本著においては、これら治療上の示唆や提言について、実験に裏付けられたものと現時点の多数意見に基づいたものとを、区別している。
本TIPの目的は、コカインとMAの乱用に関連する物質使用障害の治療に対する理解を促進することである。下記にまとめられたコンセンサス・パネルの提言は、研究と臨床経験に基づくものである。科学的根拠に裏付けられるものについては後ろに(1)と示され、臨床に基づく提言は(2)と記されている。前者に関しては、後のガイドラインの詳細を紹介する部分において、引用元を本文中に示した。本TIPでは、性差別および文章の不自然さを避けるために、一般例の中で[三人称単数代名詞]の「彼he」 と 「彼女she」を交互に用いることにした。
本TIPでは、コカノキの葉からの派生物(コカイン塩酸塩とそのフリーベース型の“クラック”)と合成アンフェタミン、とりわけ違法製造によるMA(およびその煙の形で吸い込む“アイス”)が“覚醒剤”の範疇に含められている。もちろんその他にも、より広範囲に使用されている覚醒剤(例:カフェイン)や重大な健康問題を引き起こすもの(例:ニコチン)も存在するが、これらの物質に関連する問題についての広範囲な議論は本著の範囲外とする。
近年の医療保険制度改革により、現在覚醒剤依存に関して助けを求める個人の大部分は、体系的外来治療プログラムに参加することになっている。これに対応して本著でも、体系的外来治療プログラム設定を前提として、覚醒剤依存患者の治療に最適と思われる治療戦略およびテクニックの提言を提供している。しかし、これらの戦略およびテクニックの大部分は、治療設定や治療の方向性の枠を超えて、あらゆるタイプのプログラムへ組み入れることが可能である。
一般的に定着している「学習」という心理学的原則と組み合わされた心理社会的治療アプローチは、覚醒剤使用者の治療において適切かつ効果的である。これらのアプローチの一環した効果を確保するために、コンセンサス・パネルとしては、治療者間の差異を最小限に抑えるべく入念に作成された治療マニュアルを用いることを提言する (2)。治療マニュアルによって、治療者がクライエントに一貫したサービスを提供する可能性を高めることができる。しかし、治療過程においては、治療者の臨床判断や柔軟性もまた非常に重要である。
コンセンサス・パネルは覚醒剤使用者に対して報酬管理のアプローチを用いることを推奨する (1)。その特に成功例している形がコミュニティー・強化・プラス・クーポン制アプローチで、そこではカウンセリング、技能訓練、職業訓練が陰性の薬物検査(例:尿検査での「シロ(潔白)」結果)に対する報酬と組み合わされている。
再発予防では、クライエントに以下のことを体系的に指導する:
コンセンサス・パネルは、このアプローチを覚醒剤使用者へ用いることを提言する (1)。
以下の方法が覚醒剤使用者に対して適切な介入となりえることが、研究によって示唆されている:
その他にも覚醒剤使用障害の治療に対する多くの心理社会的モデルおよびアプローチが記述され、中には広く用いられているものもある。そこには以下のものが含まれる:
治療への関与を最大にするためには、プログラムは便利な治療を提供する必要がある。クライエントにとって便利な場所でプログラムを提供することは、治療からの脱落率の低さと関連している。 (1)治療はクライエントにとって便利な日にちや時間帯に提供されるべきである。(2)プログラムは、夜間に訪れても安全とされる地域で、公共交通機関でアクセスできる場所に位置すべきである。 (2)
交通手段、住居、財政問題などを含むクライエントの具体的なニーズに対処する。 (1) 現実的な障害には、施設でのサービスによって解決できるものもあるが、下請け機関との契約を通じたり[他機関への]紹介したりすることが必要な場合もある。これらには施設内での託児サービス、一時収容施設への紹介、ランチのためのクーポン券、該当する経済援助、健康保険に関する書類記入の援助、傷病手当金の申請などが含まれる。 (2)
治療を求める覚醒剤使用者の間では、治療に対するアンビバレンスが一般的に見られるので、“否認状態”にある使用者を“選別・排除”することはむしろ逆効果で、治療開始を遅らせることになる。 (2) 初めての面接は、クライエントが最初にプログラムに連絡を取ってきてから24時間以内にスケジュールされるべきである。 (2)
初期アセスメントは簡潔で、重点的かつ非反復的でなければいけない。 (2)
個人は、覚醒剤使用障害の治療に関する詳細で明確、かつ現実的なオリエンテーションを必要とする。クライエントは治療過程、治療プログラムにおける規則、参加の際に彼らに対して期待されること、逆に彼らがプログラムから何を、またどのくらいの期間で得られるか、についてしっかり理解する必要がある。 (2)
唯一の選択肢として治療を割り当てられる場合に比べて、クライエントが選択肢の中から自分でひとつの治療を選んだ場合、嗜癖の治療はより効果的となる。したがって、クライエントに選択肢を与え、最も好ましくで有望な治療アプローチや戦略について共に協議することが重要である。 (1)
可能な限り、治療目標をサポートする家族や重要な他者を治療過程に関与させるべきである。 (2)
カウンセラーは、温かく、友好的、魅力的、共感的、そして率直かつ中立的でなければならない。スタッフの権威主義的あるいは対立的な態度は、暴力の可能性を大いに増大させる。 (2)
治療過程が以下から構成されると考えることは、治療戦略をまとめるために役立つ:
コンセンサス・パネルでは、12から24週間の治療とそれに続く何からのサポートグループへの参加を提言する。 (2)
クライエントは、いつプログラムに参加するのかを書いた予定表を自分で保管し、また治療に関与する可能性のある家族にも1部渡しておくべきである。これらの[治療]サービスを臨機応変に、または必要に応じて提供するという形は、適切ではないようである。 (2)
覚醒剤不使用状態の初期は、抑うつ、集中困難、記憶の悪さ、怒りっぽさ、疲労感、コカイン/MAへの渇望そしてパラノイア(特にMA使用者に関して)などの症状に特徴付けられる。これらの症状の期間は人によって異なるが、一般的にはコカイン使用者の場合で通常3日から5日、MA使用者の場合は10日から15日続く。 (2)
治療開始後数週間は、比較的単純で明解なプライオリティ[優先事項]が存在する。
開始から2、3週間は、たとえ1回の面接時間が30分かそれ以下であっても、クライエントは1週間に複数回の通院をスケジュールすべきである。 (2)
治療プログラムの開始と同時に、クライエントを強制的で入念かつ頻繁な尿検査スケジュールに乗せるべきである。治療の進行とともに検査の頻度を徐々に減らすことは可能にしても、このスケジュール自体は治療過程全体を通じて継続しなければならない。標準臨床検査法の検出限界を超えないよう、3.4日ごとに尿サンプルを提出させる。 (2) セルフヘルプグループへの参加は強く推奨されるが、必須ではない。
治療開始後2週間の間に、別の精神障害の存在可能性について査定することは重要であり、存在が確認された場合は、投薬を含め適切な治療を開始する。 (2)
覚醒剤使用と様々な強迫的性行為の間の関連が、研究によって明らかになってきた。これらの行為には、乱交、AIDSのリスクを伴う行為、強迫的自慰行為[マスタベーション]、強迫的なポルノ鑑賞、普段は異性愛嗜好の個人の同性愛行為などが含まれる。治療を効果的にするためには、これらの問題について率直かつ非批判的立場で話し合う必要がある。 (2)
脳が神経生物学的に“回復”するためには、適切な睡眠と栄養摂取が不可欠なことをクライエントに指摘する。クライエントに、よく眠りよく食べ、そして徐々に運動のプログラムを始める「許可」を与えることは、長期的に見て有効な行動パターンを確立する助けとなる。これらの行動パターンは、クライエントがより明瞭に考えられるようになり、治療初期における自分の努力が報われていると感じられるようになる過程を促進する。 (1)
構造とサポートを確立する。1、2週間の初期治療への取り組みの後、焦点は薬物不使用状態を達成することに絞られる。薬物不使用状態を開始しているクライエントとそれを維持しているクライエントの間に明確な境界線があるわけではないが、開始期間は2−6週間の間に生じることが多いようである。 (2)
適度に達成可能な短期目標を直ちに設定すべきである。そのような目標の例としては、薬物の完全不使用状態を1週間保つことが挙げられる。 (2)
簡潔なカウンセリング・セッションを頻繁に持つことは、即刻物質不使用を達成するという短期目標を強化するとともに、クライエントとカウンセラーの治療同盟を確立するのにも役立つ。各セッションでは、過去24時間以内の出来事が吟味され、次の24時間をうまくやりすごすためのアドバイスが提供される。 (2)
大部分のクライエントは、二次的物質の使用と悪影響または強迫的使用とを結び付けて考えていない。その結果、これらのクライエントには、別の薬物の使用と自分の覚醒剤嗜癖とのつながりを同定するための援助をする必要がある。 (2)
クライエントは物質に関連するすべての物を破棄しなければならない。 (2) 家族、薬物に関連しない友人、12ステップのスポンサーなどがこの課題を手伝うのがよい。
クライエントは、ディーラー[薬物密売人]やその他の覚醒剤使用者との接触を絶ち、覚醒剤使用と強く結びついているハイリスクの場所を避けるため、具体的な実行プランを作成すべきである。 (2)
クライエントを、覚醒剤使用に関連する学習および条件付け要因や、認知障害や物忘れなど覚醒剤やその他の物質の影響について指導する。 (2)
薬物不使用を先導するためのその他の方法には、以下が含まれる:
初期のつまずきは、深刻な失敗ではなく、むしろ単純な過ちとみなされるべきである。起こってしまったときは、カウンセラーとしては、クライエントとの間に短期の達成可能な目標に関して、言語的あるいは行動的合意を作成することもできる。 (2)
機能分析の中心となる構成要素は:
再発予防テクニックは以下のカテゴリーに分類される:
ハイリスク状況に関する自己効力感を高める
クライエントがひとたびハイリスク状況を同定、管理、回避すること学んだ後は、これらのスキルを現実世界で用いることに自信があるかどうかを、ロールプレイやその他の治療テクニックを通じて、カウンセラーとクライエントがs判断すべきである。 (2)
陶酔感の想起とコントロールを試したい願望に対抗する
陶酔感の想起や選択的記憶を含む、いわゆる「戦争体験談」は強力な再発要因なので、回復グループでは強く戒められるべきである。 (2)
以下の提言は、医療関係者が、急性あるいは慢性中毒や退薬の異なる段階にある醒剤使用者の間で生じる問題について、認識することを援助するものである。
コカイン使用者が救急外来を訪れるもっとも一般的な理由は、心肺症状(通常は胸痛か動悸)、異常な精神状態から自殺年慮に至るまでの精神的愁訴、発作やせん妄を含む神経障害などである。
MA使用者が提示する主要症状は、意識混濁・妄想・パラノイド反応・幻覚・自殺念慮を含む精神状態の異常に関連していることが多い。慢性MA使用者の間でこの薬物の生理的影響に対する耐性が急速に形成されることは、このグループでの心臓合併症が比較的まれなことを説明しているかもしれない。 (1)
初めての使用者の場合、コカインの50%致死量[半数致死量] (LD50) は1.5g である。MAの LD50 については明確にされておらず、その毒性については個人差が著しい。例えば、30mgの摂取が深刻な反応を引き起こすこともあるが、400から500mgの用量が致命的になるとも限らない。 (1)
合併症の伴わない中毒の場合は、症状が消退するまで数時間、落ち着いた環境での経過観察とモニタリングが必要とされるのみである。
覚醒剤は、身体の身体の体温調節メカニズムに影響を及ぼすと同時に、血管の収縮は熱を保存するので、運動活動や暖房が効きすぎの部屋は副作用を増悪させる。
不穏状態がエスカレートし、パラノイアまたは精神病状態(現実との接触を失う)に近づいていることが示唆される場合は、薬理的介入が適当と言える。ロラゼパム (Ativan) またはジアゼパム (Valium) など即効性のベンゾジアゼピン系薬が、不安や興奮の高いクライエントの鎮静に有効である。 (1)
覚醒剤に特徴的な退薬症候群の中で最も危険なのは、本人または他人に害を加えることである。退薬に関連する情動不安や抑うつは、覚醒剤使用者において特に激しい場合が多く、自殺のリスクも高くなるため、細心の管理が必要となる。 (1, 2)
退薬中に興奮や不眠が続く場合も、抗うつ薬トラゾドン (Desyrel) を用いた対症療法が可能である。鎮静特性を持つため、ジフェンヒドラミン (Benadryl) を用いてもよい。 (1, 2)
医療関係者は、覚醒剤使用に伴うことが多いパラノイア、攻撃性および暴力に備えることが重要である。これら関係者がすべきことは:
覚醒剤乱用および依存症にしばしば併発する医学的・精神医学的障害がいくつか存在する。これらの状態について認識することは、覚醒剤障害の安全かつ効果的な治療のために重要である。これらの障害には以下が含まれる:
診断は、DSM-IV (精神障害の診断と統計マニュアル・第4版)中のアンフェタミンまたはコカイン使用/乱用/依存の基準、およびそこで挙げられているその他の要素に基づいてされる。 (1)
過去30日に用いた物質および医薬品を含む、適切な物質使用歴が必要である。そこには、通常の摂取量・頻度・投与経路を含めた具体的な物質名、あるいは主に用いる組み合わせ;使用/乱用期間;最後に使用した時間と量、そしていつ症状・病状が始まりどのように進行してきたか、なども含まれる。 (2)
コンセンサス・パネルでは、治療における文化的能力とは、人種/民族的な感受性を超えて、性別、年齢、性的嗜好、犯罪活動、物質使用、内科および精神的疾患によって結びついた集団が持つ慣習やしきたりついて理解することにまで広げられるべきである、と強く認識する。よってコンセンサス・パネルは以下の提言をする:
今日の覚醒剤使用障害の治療において、治療提供者は、科学的根拠に裏付けられたアプローチを治療最活動の最前線で用いる機会を与えられている。基礎研究および臨床研究における新しい成果は、覚醒剤使用障害治療システムの土台を築き、覚醒剤関連の臨床障害の治療に役立つまったく新しい組み合わせの戦略や手段を生み出してきた。
覚醒剤や脳機能に関する知識が増え続けるにつれて、さらに新しいアプローチが出現が期待される。
現在の研究活動においては、覚醒剤使用障害に対する薬物療法を確立することが最重要課題であり、近い将来これらの研究活動が我々に新しい選択肢を与えてくれることであろう。これらの新治療法が治療サービス提供システムに導入され主流ケアに統合されるに伴い、このTIPを含めたトレーニング・ツールを定期的に更新していくことは不可欠である。