原井宏明の情報公開
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第1章 - 序論

  1. 覚醒剤使用障害の治療
  2. サマリー | 第1章 | 第2章 | 第3章 | 第4章 | 第5章 | 第6章 |

1980年代初頭には、コカイン使用を止めるために苦闘する何千人もの人々が、助けとなるような治療を求め始めた。米国の保健医療制度は、これにすぐさま圧倒されることとなった。ヘロイン嗜癖やアルコール依存症の治療にキャリアをささげて来た多くの治療専門家にとって、コカイン使用を止めるために「治療」を必要とする人々がいる、というのはなじみのない考えであった。治療を求めに来た個人に最初に問われる質問は「何のために治療が必要なのか?」とか「どうしてただ止めることができないのか?」というものであった。今日では、コカインやその他の覚醒剤嗜癖に関してより多くのことが知られている。研究者、臨床家および治療提供者は覚醒剤使用者とって使用を止めることがそれほど困難なのか、そしてなぜ彼らが治療を必要とするのかについて洞察を得るには至ったが、覚醒剤使用障害治療の領域が、これらの個人に対する最適な治療アプローチを確定したのはつい最近のことである。

米国でコカインがちょうど蔓延し始めた頃、嗜癖の専門家の間でさえコカインは「本当に嗜癖を生じさせる」わけではない、という思い込みが一般的であった。この時期、「コカインにはまるということは、神様がお前はお金を持ちすぎだ、と言っているのだ」というジョークがよく聞かれた。

1970年代に始まったコカイン流行は1980年にピークに達し、1990年半ばにはゆっくりと減少した (Golub and Johnson, 1997)。パターンとしては、1885年にコカノキの葉からコカイン塩酸塩が初めて分離された30年後に起こった最初の流行とよく似ていた。最初の流行時には、医師たちはコカインの強力な覚醒剤としての特性を抑うつ・モルヒネ嗜癖・慢性結核を含む長い疾病リストに対する解決策だと勘違いしてしまった。医師を含めた「治療者」たちは、幅広い疾患に対してこの薬物を処方したので、コカインはあっという間に多くの一般薬・強壮剤・万能薬(最初のコカ・コーラの処方も含む)の活性[有効]成分となった。

しかし最終的には、[コカインの]高用量使用と継続的使用の弊害が認識されるに至った。そして、この認識は間もなく法的措置を導くことになる。まず、1906の食品医薬品品質法Pure Food and Drug Act によって、専売薬についてコカインおよび「その他の麻薬」の適切なラベリング[標識化]が義務付けられた。次に、1914年のハリソン法によるコカインを含有する特許薬の製造・販売のを通じてs、事実上それらの使用を排除してしまった。しかしコカインはそのまま消失はせず、1970以降のある時期になると社会的・経済的状況が複雑に重なり合って、その帰還の素地を用意した。コカインの需要増加が供給を促進し、広く入手可能なことと安価さが、需要と乱用を一層助長した。

1980年代から1990年代初めにかけてのコカイン流行は、広範囲に渡ってアメリカ社会に影響を及ぼし、クラックコカインの出現とともに主要都市がもっとも激しい打撃を受けた。あまり一般には知られておらず地理的に限定された覚醒剤蔓延として、西部および中西部の塩酸メタンフェタミン(MA)使用の増加が挙げられる。MAの蔓延は、コカインが小さい田舎のコミュニティーにもたらしたとおなじような健康上および法的・社会的問題の多くを、それらの都市にもたらした。

これらの覚醒剤蔓延はアメリカ社会に壊滅的な衝撃を与えた。非合法覚醒剤乱用は米国の内政・法律制度・医療保険制度に影響を及ぼした。"Freebasing(フリーベースをする)," "crack houses(クラックハウス、クラック密売所)," and "coke fiend(コカイン中毒者)"などはすべて、覚醒剤蔓延の構成要素を記述するために、アメリカの現代語辞典に加えられた言葉である。20世紀の終りが近い現在、コカイン・MAそしてこれらの派生物を含む強力な精神覚醒剤も、物質乱用・依存と闘う活動における主要ターゲットとして、アヘンとアルコールに加えられることになった。しかし明るい面を見ると、覚醒剤蔓延に対する対処と、覚醒剤使用障害の人々の治療を効果的に行う、という差し迫った必要性が、驚異的な数の科学的・臨床的研究を生むに至った。これらの研究結果は、ヒトの脳に関する我々の知識を広げ、物質使用障害に対する理解を深めることになった。

コカインおよびMAのリスクに対する米国主要機関の対応が遅かった一因は、これらの強力な精神覚醒剤の基本的な生物学的・精神的な影響に関して無知であったである。過去20年の間に積まれてきたこれらの物質の特性に関する知識は、治療提供者を含めた医療専門家がコカインおよびMAによって生じる問題を理解し、予防し、治療する手助けとなる。この治療向上プロトコル Treatment Improvement Protocol (TIP) では、物質使用障害治療の専門家による現場での臨床経験とともに、最新の研究について集約している。

TIPの目的

1980年代以来、コカインおよびMAの影響について我々の知識は激増した。これらの精神覚醒剤は身体および脳の機能を著しく改変してしまうので、医師・看護師・心理士・結婚カウンセラー・家族カウンセラー・物質乱用カウンセラーとしては、覚醒剤嗜癖の深刻な生物学的側面を理解する必要がある。新しい専門領域としては、該当する薬理学、神経生物学、精神的・心理的症状、そして覚醒剤乱用および依存に対する適切な治療アプローチが含まれる。最新の研究では、覚醒剤使用を中止してから最高2年まで神経障害が続くことが示唆されている(Hoff et al., 1996; Melega et al., 1997a)。

本TIPは、覚醒剤使用障害の本質と治療に関する最新の知識を提供するものである。本TIPは、科学的根拠に基づく情報を、臨床家と「第一線の」治療提供者の両方が利用できるよう適切な方法で提起している。さらに本著では、コカインとMA使用に関連する医学的・精神医学的問題および物質乱用/依存の問題の治療に関して現在までに知られていることを再検討している。治療に関するセクションでは、実験的根拠に基づいて確立されたアプローチに重点を置いている。しかし、覚醒剤使用障害の治療という領域そのものが確立して10年に満たないほどなので、嗜癖治療専門家の一人者たちが支持している一連の治療テクニックに関しても、コンセンサス・パネル・メンバーの検討と統合を経て含められている。

将来の治療確立における科学の重要性

コンセンサス・パネルでは、科学的に導き出された知識が、覚醒剤使用障害治療の基礎を成すべきだと考える。国立薬害研究所(NIDA)を含む政府機関あるいは民間機関の資金提供による基礎研究および臨床研究の成果は、治療提供者に、覚醒剤関連臨床障害を持つ人々を援助するための全く新しい戦略とツールを与えた。覚醒剤使用障害治療の領域は、科学的根拠に支えられたアプローチが、治療活動の最前線においてより重要な役割を果たす絶好の機会を提供している。覚醒剤使用障害に関しては「伝統的治療体系」というべきものが存在しないに等しいので、新しい治療アプローチの推進をめぐる「縄張り戦争」の心配もあまりないはずである。

コンセンサス・パネルは、従来使われてきた治療アプローチもいまだに存続可能で、治療提供者に高く評価されており、新しい治療テクニックが当初は不信の目で見られるかもしれないことを認識している。今後の研究と臨床経験によって、これらの治療テクニックの有効性が最終的に明らかにされることであろう。

現時点において最大の実験的根拠を持つアプローチは、外来設定で提供される多種の心理社会的・行動的戦略である。しかしながら、覚醒剤や脳の機能に関する知識が激増するにしたがって、連邦機関や民間基金による積極的な研究の成果として、新しいアプローチがすぐに出現してくることが期待される。覚醒剤使用障害の治療としての薬物療法は、目下の研究活動における主要な優先分野であり、これらの活動が近い将来、重要な選択肢を新たに提供してくれる可能性が高い。

本TIPの適用範囲

このTIPでは、“覚醒剤”の範疇に含まれる物質として、コカノキの葉(コカイン塩酸塩とその派生物)および合成製造のアンフェタミン系薬剤を含み、その中でも特に違法製造され(様々な形態で)乱用されているMAに重点を置いている。もちろんその他にもより広く使用されている覚醒剤(例:カフェイン)や、広範囲にわたる健康上および社会上の問題を引き起こしているもの(例:ニコチン)も存在するが、これらの物質に関連する問題に関する大規模な議論は本著の範囲外である。MA類縁物質――MAと類似の分子構造から構成されるが、類似の効果を持つとは限らないもので、時には“デザイナー・ドラッグ”と呼ばれるもの――例えばMDA (3、4メチレンジオキシアンフェタミン)およびMDMA (3、4メチレンジオオキシメタンフェタミン)---は本著に加えるのに適切な研究がされていない。

米国における覚醒剤使用の簡単な歴史

コカイン

コカイン塩酸塩は、南米アンデス高原に自生するコカノキという植物(Erythroxylon coca)の葉から抽出される。このコカイン塩酸塩は抽出形態および精製形態において、自然源の覚醒剤中でもっとも強力である (米国麻薬取締局Drug Enforcement Agency [DEA], 1995)。数千年もの間アンデス地方の原住アメリカ民族は、ちょうど今日のアメリカ人のかみタバコと同じように、疲労を緩和するためにコカノキの葉をかんできた。お茶やコーヒーが気分をさわやかにするもの、あるいは「元気付けの一杯」として淹れられるように、アンデスの原住民たちはコカノキの葉でお茶を淹れた。さらにアンデス人は、宗教的および医薬的慣習の一部としてコカノキの色々な部分を燃やしたり、その煙を吸ったりする習慣を持っていた(Siegel, 1982)。しかし、これらの使用法のいずれも、精製されたコカイン塩酸塩ほどの効力は持たない。

ドイツの化学者 Albert Niemann は、コカノキの覚醒剤としての特性に気づき、1800年台の半ば(およそ1862年)に純粋化学物質としてのコカイン塩酸塩の抽出に成功した。1880年代の初めには、その麻酔剤としての特性が発見され、すぐさま眼・鼻・咽頭の手術に使用されるようになった。医師やその他の処方者が精神覚醒剤としての特性に気づくと、不安・抑うつ・嗜癖治療(主にモルヒネ使用)のために広く調剤されるようになった。

コカインの治癒力の過剰な主張によりその評判はどんどん上がり、1900年台の初めには、広範囲の特許医薬品・強壮剤・万能薬・流エキス剤の主要活性成分として用いられた。コカコーラの最初の処方は、1886年にジョージア州の薬剤師John Pemberton によって開発され、100ml の液体につき2.5mgのコカインを含んでいた、ということになっている (Coca-Cola Bottling of Shreveport, Inc., et al., vs. The Coca-Cola Company, a Delaware Corporation, 769 F.Supp.671). この処方は頭痛薬および覚醒剤として販売された。その後、別の薬剤師が処方権を買い取り、1892年にコカコーラ社を設立した。

1900年代初頭には、公共保健関係者の間でコカインの過剰使用に関連する医学的・精神医学的・社会的問題に対する警戒が高まってきた。これら保健関係者や法的機関の懸念は、1914年のハリソン麻薬法Harrison Narcotic Acを導き支持する原動力となった。この連邦法は事実上すべてのコカイン使用を禁止するもので、これによって20世紀初頭のコカインの大量使用・乱用が終結した。興味深いことに、1930年代のコカインの影響は少なく、ちょうどアンフェタミンの出現により、その需要がほとんど根絶したかのようであった。

ハリソン麻薬法から1970年代までは、コカイン使用はおおむね社会の周辺部グループに限られていた。法的に禁止し、供給を厳しく制限したため、コカインの隆サービングを抑えこむことが可能であった。しかしコカイン・スノーター[鼻で吸い込む者]、スワロワー[飲む者]、シューター[注射する者]のミクロ培養は依然として続き、ボリビア、ペルー、コロンビア、エクアドルなど伝統的にコカノキを育ててきた南米の国におけるコカノキの栽培も続けられた。

1960年代になると気晴らし目的での麻薬使用に対する文化的な排斥の気運は低くなり、コカインは再び米国麻薬界に戻ってきた。[この時期]コカインを含む多くの精神刺激物質の使用が増加した。鼻から吸い込むというのが初期のやり方で、実験者のほとんどは、[常用者ではなく]時々摂取する人たちであった。これらの人々はコカインによる陶酔感を味わっては、おおむね自分たちの「正常な」生活に戻って行った。このようなカジュアルな使用から、コカインは無害だという間違った考えが広まってしまった。

1960年代には、限られた供給量と高価格が組み合わさって、コカイン使用は比較的少ない量で少ない数の個人に限られていた。幻覚剤、バルビツール酸系催眠薬、アンフェタミンの使用は深刻な臨床問題との関連付けられていたものの、まれにしか見られなかったため、コカイン使用に関連する問題には注意がほとんど向けられなかった。

1970年代の終りまでは、専門家や公衆衛生関係者の多くが、コカインは比較的無害な物質であり、主に「気晴らし」薬として関心を持たれていると信じていた。コカイン関連の問題を生じるリスクがあるのは、大量に摂取する、または/および精神的に不安定な人のみである、と考えられていた。これらの専門家の中で唯一注目すべき例外は、コカインに関して予言的警告を発したサンフランシスコの嗜癖専門家2人であった。

[彼らの警告を]簡潔にまとめると、コカインは中程度の乱用可能性[潜在性]を持つ中枢神経覚醒剤である。現在好まれる摂取方法は経鼻で用量パターンは比較的低量である。高価格と入手の困難さから米国のコカイン乱用率は現在低いものの、この薬物をめぐる社会的慣習として気晴らしを主目的とした使用を是認する傾向がある。コカイン使用者の大部分は比較的少量を経鼻で摂取し、多量に経鼻また経静脈で摂取する使用者の割合は比較的少ない。しかしコカインの入手がより簡単で低価格ならば、あるいは社会・文化的慣習が多量の摂取パターンを是認し支持するならば、より破壊的な乱用パターンが展開するであろう。(Wesson and Smith, 1977, pp. 149-150)

Wesson と Smith が観察を始めてから5年以内に、2人が予測した二つの必要条件は現実のものとなった。南米におけるコカノキの栽培は、栽培農家の小集団による家内産業から、組織家族すなわち「カルテル」の資金提供による大規模農企業へと拡大された。コカインの製造と不正取引は数十億ドル産業に成長し、その利鞘[マージン]の高さは、コカイン産業から流入する金によって政府や法律制度全体を腐敗させるのに十分であった。米国へのコカイン供給は飛躍的に増加した。麻薬取締局(DEA)の報告によると、1980年代の初めから半ばにかけて、米国に流入するコカインの推定量は年々2倍・3倍になった。これらの供給により、より純粋な形態のコカインがより安価に入手できるようになってしまった。

コカイン塩酸塩は一般的には、白色の結晶性粉末あるいはオフホワイトの塊の形で流通される。通常粉末は経鼻で吸い込んで使用される。コカインが豊富で安価になった1980年代には、使用者は様々な形態のコカインを異なる摂取経路で試すようになった。粉末をタバコやマリワナに混ぜて煙を吸い始めた使用者もいた。しかし粉末の煙を吸った使用者は、ほとんどその効果はなかった、と報告している。

同じ頃南米の使用者の間で、「ベース」(コカノキのペースト)の喫煙が始まった。「ベース」はそこからコカイン粉末が生成される生成物質のひとつである (Siegel, 1987)。 コカ・ペーストは粉末よりも濃縮された形である。ペースト喫煙者は、静脈内注射使用者によって報告された効果に類似の陶酔効果が即座に得られる、と報告している。コカ・ペーストの副作用による入院の第一例は、1972年にペルーで報告されている (Jeri, 1984)。コカ・ペーストを喫煙する習慣は、コカインの不法取引ルートを経由して各国に伝えられたと思われる。

米国の麻薬密輸者たちは「ベース」の喫煙効果について知ったものの、その前処理法を、コカイン塩酸塩中のコカイン・アルカロイドを他の成分から「フリーにする[遊離する]」コカイン・フリーベースの前処理法と混同してしまった (Siegel, 1982)。こうして偶然の産物として、「フリーベース」コカインの加工法が新たに発見された。しかしその特性は、コカ・ペーストともコカイン粉末ともかなり異なっていた。フリーベース・コカインは血液内または鼻腔粘膜内で容易に溶解されないが、揮発が急激に起こるため、喫煙した場合効果的になる。フリーベース形態のコカインを喫煙する現象は、1974年にカリフォルニア州で初めて報告され、1980年までには米国中至るところで見られるようになった (Siegel, 1982)。今日では、フリーベース・コカインの塊は「ロック」または「クラック」として知られることが多い。

米国のコカイン蔓延の次段階は、密輸業者が、消費者に小さくて安価なパッケージのコカインを供給することによって小売市場を拡大する好機を見出したときにやって来た。間もなくガラス瓶またはプラスチックの容器に入ったロック・コカインの塊が、$10 から $20で売られるようになった。この新しい小売活動によって、非常に魅力的で安価な製品が、幅広い層の使用者にとって簡単に入手できるようになった。この戦略はコカイン産業にとってこの上ない成功となった。

1985年終りまたは1986年の初めまでには、フリーベース・コカイン米国のほとんどの都市中心部に蔓延した。この形態のコカインは高度に組織化洗練化された供給網を通じて新市場へと導入されていった。異なる商品として際立たせるために、「クラック」という新しい名称で市場に売り込まれた。「クラック」という言葉の語源については数々の説があるが、おそらく、フリーベース・コカインを熱して喫煙可能な形態に揮発させる過程で、特徴的なパチパチまたはポーンというような音を立てることに由来するであろう。

クラック蔓延が最悪となったのは、1985年から80年代の終りまでであったが、現在でも深刻な健康問題・社会問題であることには変わりない。都市部のコミュニティーにクラックが持ち込まれたことは、壊滅的な結果を生んだ。健康上の問題、嗜癖率の急増、路上犯罪および窃盗犯罪の異常増加など、米国主要都市の大部分に広がっていった。長年の間、若者のストリート・ギャングがクラックの流通および販売の中心であった。ギャング間の縄張り争いの結果、ギャングのメンバーだけでなく地域の傍観者を含めて、多くの犠牲者が出た。覚醒剤関連の犯罪が劇的に増大するにつれて、コカインやクラックの販売に対する法的刑罰も重くなり、米国の拘置所・刑務所はクラックの使用者、売人、流通者およびクラック取引関連の暴力に巻き込まれた者で一杯になった。

コカイン蔓延の最サービング期の1980年半ばには、控えめに見積もっても800万人もの米国人がコカインを定期的に使用し、その5から8%が深刻なコカイン依存を伴っていたと考えられる (Cregler and Mark, 1986)。 1988年の薬物乱用に関する全国世帯調査 National Household Survey on Drug Abuse (NHSDA) では、重篤なクラックおよびコカイン使用者の数は1985年から1988年の間に著しく増加した(物質乱用・精神衛生サービス局 Substance Abuse and Mental Health Services Administration [SAMHSA], 1988)。この間に、1週間に1度以上クラックまたはコカインを使用する人の数は33%増加し、毎日もしくはそれに近い形でクラックまたはコカインを使用する人の数は19%増加した (SAMHSA, 1989)。

1980年半ばには米国の主要違法薬物問題は、クラック・コカインからヘロインへと移った。1997年のNHDSA によると、調査の1ヶ月以内にコカインを使用した米国人の数は150万人、時々使用する人(一ヶ月に一度よりも少ない頻度で使用)の数は、1985年の約710万人から約260万人に減少した(SAMHSA, 1998)。 研究者が、米国の各都市においてクラック・コカインの使用が衰退あるいは安定化してきたことを明示できるようになったのは、つい最近のことである (Golub and Johnson, 1997)。

塩酸メタンフェタミン

MAの前身とも言うべきアンフェタミンは、1887年に初めて合成され、1932年には喘息治療用の鼻腔用スプレーとして市販された (Beebe and Walley, 1995)。 アンフェタミンの覚醒剤特性は間もなく認識され、さらなる医学的・機能的応用へとつながった。1937年には、アンフェタミンは睡眠障害であるナルコレプシーや、現在では注意欠陥/多動性障害(AD/HD)と呼ばれるようになった症候群の治療薬として処方されるようになった。アンフェタミンの登場後、より強力な種類の薬剤が開発され、容易に一般入手可能となった。これらには、硫酸デキストロアンフェタミン (Dexedrine) と塩酸メタンフェタミン (Methedrine) MAが含まれていた。これらはその覚醒剤特性ゆえ、パフォーマンスを高めるためにも用いられた。 第二次世界大戦中には、兵士が疲労と戦いパフォーマンスを高めるためにMAが広く使用された。MA使用によりパイロットは長時間眠らずにすんだ。第二次大戦後には、軍隊使用のために備蓄してあった薬剤が一般に流出したため、日本での静脈注射によるMA乱用が大流行した。

1950年代には、トラックの運転手は長距離輸送の間居眠りしないように、運動選手はパフォーマンスを高めるために、学生は長時間学習し忙しいスケジュールをこなすために、合法的に製造されたMA錠剤をしばしば服用した。この時期におけるこれらの覚醒剤使用は、一般的には覚醒剤乱用という概念とは結び付けられていなかった。これら薬剤には処方箋が必要とされたものの、非医療目的の使用は概して単純にパフォーマンスを高める方法とみなされ、深刻な嗜癖へと進むことはまずなかった。このパターンは、1960年代にMA注射剤の入手が容易になると共に、大きく変化した。俗に「スピード狂」として知られるサブカルチャーの間で、静脈注射による乱用が広まったからである。MAおよびアンフェタミン乱用の危険性が、医療目的での使用に勝る場合が多いという証はすぐに明らかになり始めた。

最終的には、アンフェタミン系医薬品の多くが市場から排斥され、残された製品についても医師の処方に制約が付けられた。アンフェタミンおよびMAの供給減少にともない、闇取引[ブラック・マーケット]における需要は急増し、薬剤の違法製造の増加を招いた。1965年には、アンフェタミンの違法取引に歯止めをかけるためのより強力な抑制措置として、連邦食品・医薬品法が改正され、1970年には規制物質法Controlled Substances Act によってこれらの覚醒剤製造が法律的に厳しく規制されることになった。[これによって]1970年代全般を通じて、MAの製造および流通は全国的に減少した。しかしながら、いくつかの都市または地方にはまだ集中している状態であった。

1970年の規制物質法がMA使用の根絶に成功したとはいえない理由は、いくつも存在する。第一に、MAの製造に必要な原料や設備は安価なものである。第二に、MAの製造は比較的簡単である。第三に、MAを調合するために必要な活性成分は比較的容易に入手可能である。さらには、秘密製造業者が、この法律が適用されない別の製造法を開発した。加えて、コカインなど他の覚醒剤に比べてMAは安価で効果が長く持続することも理由として挙げられる。

MAの需要が高まるにつれて、秘密ラボにおける製造も増加した。MA製造には二種の原料物資(エフェドリンとプソイドエフェドリン[偽エフェドリン])はメキシコでは広く入手可能であり、米国への密輸入がしやすいように、MAの秘密製造は当初西部と南西部に設立された。これらの地方では、元来オートバイに乗ったギャングたち[暴走族]によってMAの製造と流通が仕切られていた(Feucht and Kyle, 1996)。

1980年代半ばには、西部、特にカリフォルニア州の田舎において、違法で間に合わせのラボが急増した。カリフォルニア州の同定地域(例:サンベルナルディーノ、サンディエゴ、リバーサイド郡など)では、早くも1980年代半ばには、MA関連の問題がコカイン問題をはるかに追い抜いていた (Huber et al., 1997)。 MA製造の違法ラボは、これらの南カリフォルニア都市の郊外に隣接する砂漠地帯に建てられていたので、これらの地域ではとりわけMAが浸透していった。MAの「調理」過程では非常に強い化学臭が発生し、家内ラボが発見されやすいため、覚醒剤製造業者が、これらの遠隔地域でのMA製造を好んだのである。この現象は、1980年代後半にこれらの地域で莫大な数のMAラボが法執行機関関係者によって押収されたことから、明らかになった。

MAの蔓延が止まらなかったことを示唆するものは他にもある。例えば、 NHSDAのデータ (SAMHSA, 1988, 1989) によると、カリフォルニア州住人の10人に1人は、一生に一度以上MAを使用しており、50人に1人は調査の12ヶ月以内にMAを使用していた。MA使用一般が増加するに伴い、MA関連の入院、発作、および死亡の著しい増加も観察された (Anglin et al., 1998).。

MA製造に歯止めをかけるためのさらなる試みとして、1988年の化学不正取引・資金流入法 Chemical Trafficking and Diversion Act によって1970年の法律を改正し、卸売り業者に、エフェドリン、プソイドエフェドリン、フェナル酢酸、シアン化ベンジル、塩化ベンジルを含むMAの化学原料物質数種の輸出入に関して、記録を義務付けた。しかし、これらの化学物質は米国国外では依然として容易に入手できる状況であった。特にメキシコでは、これらの化学原料物資が入手可能な状態が続いたので、違法製造のますますの増加を招き、米国へと密輸されるMAの量も増加の一途をたどった。今日、米国のMA卸売市場におけるメキシコ麻薬カルテルの占有率が増加している (Feucht and Kyle, 1996)。

1980年代末には、MAは米国各地へと広がっていた。ハワイでは、台湾や韓国からMAが密輸され、1988年夏にはMAはほぼ米国中に広がっていた。1990年には、MAはハワイから米国本土へと流通されるようになった。薬物乱用警告ネットワークDrug Abuse Warning Network(DAWN)によると、全国の救急外来におけるMA関連の物質乱用エピソードは1992年以来着々と増加した(SAMHSA, 1996b)。 現実に、1994年に記録されたMA関連エピソードは、1989年に比べて倍増していた。DAWNの統計は、MA乱用がもっとも激しかった地域として、サンディエゴ、フェニックス、ロサンジェルス、ダラス、デンバー、シアトルを含めていた (図1−1参照)。

多くの通称で知られるMA (図1-2参照)は、丸薬または錠剤の形で飲み込むこともできれば、(経鼻腔で)吸い込む、あるいは溶液状のものを静脈注射することもできる。これら3種の摂取経路中、静脈注射はもっとも速く強力な効果を得られ、使用者たちはこれを「ラッシュ」と呼ぶ。しかしMAは、一見すると透明で大きな結晶状の塊に見える高純度の固形に変形することができ、これは「アイス」または「ガラス」として知られる。この形状のMAは、喫煙可能でより力価の高い形態なことから、静脈注射による摂取よりも強力なラッシュを即座に得ることができる。その陶酔感はクラック・コカインの喫煙よりも長時間持続する、との報告がsされている。

「アイス」という形態のMAは、1980年代の終わりにまずハワイで登場し、その後すぐに西海岸でも出現した。MAをアイスに加工・処理する方法はフィリピンから伝わったと報告されている。オアフ島の一部、とくにホノルルでのMA大量使用は、アイス使用に関連の暴力および犯罪に対して深刻な懸念を呼び起こした。ハワイでは10年以上にわたって、アイスがもっとも好まれるMA形態となっている。米国本土の衛生関係者は、アイスが大きな問題に発展するのではとの懸念を示したが、現在までのところ、アイスが入手可能なのはハワイとシアトルおよびカリフォルニア州のアジア系アメリカ人コミュニティーに限られているようである (国立麻薬コントロール事務局Office of National Drug Control Policy [ONDCP], 1998b)。本著の執筆中の現在も、米国のその他の地域におけるアイスの不法取引と入手可能性は、非常に限定されていると考えられる。

現在の状況

コカイン

今日の一般的な見方では、1980年代と1990年代初めのコカイン蔓延は衰退の道をたどり、「コカイン撲滅戦争」は勝利を収めつつある。薬物使用予測Drug Use Forecasting (DUF) プログラム (国立司法研究所 National Institute of Justice [NIJ], 1997b) では、23のDUFプログラム都市のうち12都市において、クラック蔓延は1996年までに下り坂となったことを確認している。クリーブランド、ダラス、デトロイト、ヒューストン、ロサンジェルス、ニューオリンズ、フィラデルフィア、サンノゼ、ワシントンDCにおいて、クラック/コカインの総合摘発率が少なくとも10%減少という相当の改善が見られた。その他の都市では、若年のクラック/コカイン摘発数にかなりの減少が見られ、総合的な摘発率の減少が間もなく現れることを示唆していた。

その一方で、コカイン蔓延が下り坂であるとする見解に疑問を示すデータも存在する。1996年のDUFデータによると (NIJ, 1997b、, 一部の都市ではクラック蔓延は相変わらず猛威を振るっている。そこにはアトランタ、デンバー、インディアナポリス、フェニックス、セントルイスが含まれる。また、男性逮捕者中でのコカイン検査陽性の増加も目立っている。オマハでは陽性率が、1995年の19%から1996年には24%に増加した。マイアミでは、42%から52%へ増加し、インディアナポリスでもコカイン検査陽性が3%の増加を示した。

その他にも、コカイン使用が高い水準を保っていることを示唆する調査がいくつか存在する。1997年には、 NHSDAは約150万人の米国人が前年にコカインを使用した、と推定した(SAMHSA, 1998)。 調査対象のうち18から25歳では8.9%が、26から34歳では18.4%がコカイン使用を報告した。

毎年行われる高校での調査である、将来モニタリング調査 Monitoring the Future Study1997年の報告によると、あらゆる形態のコカイン使用は増え続けており (NIDA, 1998b)、コカインは、DUFのモニタリング・システムの中でもっとも一般的な薬物の位置を維持している(NIJ, 1997b)。図 1-3 には、コカインおよびその他の覚醒剤の使用を報告した、高校最上級生の割合が示されている。

1996年の薬物乱用警告ネットワーク Drug Abuse Warning Network (SAMHSA, 1996b) では、全国の病院救急診療部において 487,600件の薬物関連エピソードが報告されていた。そのうちの約20%は、コカインまたはクラック使用に関連するものであった。

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パルス・チェック Pulse Check (ONDCP, 1997b) によると、コカイン/クラック市場は安定化したが、高い需要を保っている地域もまだ多く存在する。特定のコミュニティーにおけるコカイン使用の増加も報告されており、アラバマ州バーミンハムの郊外、テキサス州境に沿った中南米系アメリカ人のコミュニティー、そしてニューヨーク/ニュージャージ地域が含まれる。いくつかの地域では、粉末コカインの再浮上も報告されている。

塩酸メタンフェタミン

1980年代および1990年代のコカイン/クラック蔓延とは異なり、MAの流行は局地的である。しかし蔓延地域の中では、MAは深く根を下ろしている。例えば米国のある地域では、MAはアルコールとコカインを抜いて物質乱用治療の第一位に付けている (物質乱用研究所Center for Substance Abuse Research, 1997; CSAT, 1997)。DEAによると、捜査情報や発作、コカインの価格、純度、乱用に関するデータなどから、米国におけるMAの不正取引および使用は過去数年増加していることが示唆される (DEA, 1996)。 最近のMA増加はまた、いくつかのモニタリング研究および予測研究の中で報告されている。 (例:DAWN、 将来モニタリングMonitoring the Future、NHSDA、 DUF、および治療エピソード・データ・セット・システム Treatment Episodes Data Set System)。

MA発作の増加は、MA問題の増加を追加的に裏付けるものである (ONDCP, 1996; CSAT, 1997)。例えば1995年には、MA発作はその数においても、ウエイトにおいても過去10年で最高であった (CSAT, 1997)。コミュニティー疫学ワーク・グループ(CEWG)都市では、MA関連の死亡は着実に増加している (CEWG, 1996a, 1996b)。1991年から1994年にかけて、MA関連の救急診療科(ED)エピソードは256%増加しし(SAMHSA, 1996a)、1万7,000人もの個人が関与した。 DAWN のデータによると、1993年から1994年にはMA関連のEDエピソードは75%増加した。

近年の報告でも、やはりMA使用の大半はハワイを含む西部の州に位置づけられているが (NIJ, 1997b; ONDCP, 1997a)、MA関連の秘密事業の押収やMA関連の死亡者数の、その他の地域における増加はMAの蔓延が起こりつつある兆候ではないか、という懸念が高まっている。MAの不法取引は米国の南西部、中西部および南東部の一部の地域で増加している (DEA, 1996)。 1996年にDEAによるMA製造ラボ押収がもっとも多かった州はミズーリ州であった (Samber, 1997)。 太平洋の米国領の一部(例:グアム島、北マリアナ連邦)でMA乱用が広がっている、との報告もある。パルス・チェック の資料によると、アトランタやシアトルではMAの人気が増加しており、テキサス州オースティン、ワシントンDC、メリーランド州コロンビアでは「新興の薬物」として挙げられているs (ONDCP, 1997b)。

西海岸におけるMA普及に関する事例データも増えている。薬物関連の逮捕および押収に関するデータを記述した1996年の国立麻薬データ消費者委員会報告書National Narcotics Intelligence Consumers Committee Reportによると、南東部および中西部におけるMA使用は過去2年間に著しく増加した (DEA, 1997)。 MAが[SG2]訳注:
ハートランド→米国の保守的で伝統的な価値観が支配的な地域、
ハートランド の田舎地域へと広がっているという最新の実証データはほとんど存在しないが、モンタナやアイオワなどの州でMAの製造および乱用が大きな犠牲を出し始めていることを示す事例証拠は存在する (e.g., Kirn, 1998)。 実際のところ、MA蔓延の範囲は、多くの専門家が現在認識しているよりもはるかに大きいのかもしれない。

もとCSATの局長代理Camille T. Barry は、MA乱用問題を特に抱える集団として、女性、同性愛の男性、アジア系の太平洋諸島住人を挙げている(Barry, 1998)。 全国レベルでは、治療を受ける乱用者の約80%は白人米国人である。アリゾナ州やミネソタ州などの地域では、中南米系およびアメリカ先住民系の間の使用が増加してきている。西海岸の都市では、同性愛男性の間におけるMA使用が増加しており、これらの人々の間ではMA使用は性行為と密接に関係している (Shoptaw et al., 1997)。

MA乱用のレベルとその影響が、クラックの蔓延においても繰り返されるのではないかという懸念から、クラックは厳しい全国規模の監視の対象となった。この懸念に対応して米国政府は、「塩酸メタンフェタミン乱用と戦うための大統領の全国的戦略The President's National Strategy for Combating Methamphetamine Abuse」と称すイニシアチブに乗り出した。この包括的な全国的戦略には、法執行活動の強化、原料物資の規制、国際イニシアチブ、より厳しい刑事処罰、法規提案、調査官や検察官の訓練などともに、治療、予防、公衆教育キャンペーンが含まれていた(ONDCP, 1996)。この政府のイニシアチブは、1996年の総合的塩酸メタンフェタミン・コントロール法への道を開き、後にこの法律によって塩酸メタンフェタミン省庁間対策委員会が設立された。コントロール法は対策委員会の責務について「塩酸メタンフェタミンおよびその他の合成覚醒剤に関する教育・予防・治療活動の設計・実施・評価と連邦政府の戦略」と明示している (一般法?Public Law: 104-237 [10/03/96])。

過去数年にMAに関する全国会議がいくつも催された (e.g., CSAT, 1997; ONDCP, 1998c)。1997年の会議では、ONDCPがMA製造が引き起こす環境問題について指摘した:

塩酸メタンフェタミンは、極度な攻撃性と暴力を生む合成覚醒剤である。これまではその乱用は西部および南西部に集中していたが、現在では中西部や米国東部にも広がりつつあると報告されている。塩酸メタンフェタミンの製造は、極端な環境リスクを伴う。秘密ラボは大量の有害廃棄物を産出し、これらの大部分は地面や排水溝に廃棄されている。これらの化学的毒素を浄化するには、ゆうに数千ドルの費用が必要となる。(ONDCP, 1998c, p. v)

連邦の各種情報源を併せると、アンフェタミンや硫酸デキストロアンフェタミンを含めるアンフェタミン系薬物の中で、塩酸アンフェタミンはもっとも広く使用され乱用されている薬物である (CSAT, 1997)。  DEAによると、1977年以来MAは、米国内でもっとも普及し秘密に製造されている規制薬物である (DEA, 1996)。 その使用が近年再増加したこと、その効果に関する新データが発見されたこと、全国的な関心が高まり続けていることなどから、MAは本TIPで取り上げられている唯一のアンフェタミン系薬物である。

要約

1980年代と1990年代には、強力な精神覚醒剤であるコカインおよびMAの輸入、製造、販売、使用によって生み出された、医療的、法律的、社会的問題が、アメリカ社会に多大な影響を与えた。主要都市の中心における壊滅的なクラック蔓延から、米国西部、中西部地方の小さな農村コミュニティーにおいてMAが生み出した破滅まで、覚醒剤蔓延による被害は非常に深刻なものであった。これらの物質がヒトの脳の電気的、化学的活動にどのように影響するかに関して新しい知識が得られるにつれて、どのように、そしてなぜ覚醒剤がヒトの行動に影響を及ぼすのかについての理解が深まった。そして、これらの知識は、新しい治療活動の開発の中へと急速に取り入れられていった。本TIPでは、(1) 覚醒剤についての新知識 (2) 覚醒剤乱用障害に対処するための治療活動 (3) これらの物質の乱用および依存に対処するために開発されたその他の臨床的、医学的、社会的介入に関する概要を提供するものである。

  1. 覚醒剤使用障害の治療
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