プラタナス~私のカルテから~30年前に始まる私の幸運.日本医事新報,2016;4828,3

30年も医師を続けていれば忘れられない患者は誰にでもできるだろう。しかし,20代の駆け出しのときに担当した患者さんに50代になってから再会するというのはどうだろうか?しかも,その患者さんは急速交代型双極性障害についての症例報告論文にも協力してくれた人である(原井 1997)。

最後に会ったのは私が肥前療養所を退職した1998年である。その後は季節の挨拶状をやりとりするだけだった。家業の星野茶の事業を廃業したことや姪の1人が結婚したこと,新薬の治験にエントリーしたが不調になり途中でやめたことなどを知った。一方,躁病エピソードによる入院はなかったことは私にとっての安心材料だった。

2016年夏,例年のように暑中見舞いを頂いた。たまたま7月の土曜日に福岡での研究会が予定されていた。日曜日は佐賀の大学に通う娘の車でドライブすることにした。ふと思いつき,行き先を星野村にした。初心者ドライブにはちょうどいい距離だ。そして星野村はその患者さんが住むところだった。

その年の6月,ガワンデ著「死すべき定め」の翻訳書を出していた。私にとっては人生のストーリーを紡ぐ機会の必要性を知る機会になった。病気の治療以上のことが人には必要だし,その必要性に対する医師の無理解が残酷さにつながることがわかった。私には自分の治療で患者さんの入院を防ぐことができたという自負があった。しかし,その結果,患者さんは幸せになったのだろうか?30年後はどうなっている?生活環境は変わる。星野村は人口減に悩む山村である。1997年の人口は4084人,2015年は2772人である。高齢者率が38%を超える村に親子3人で暮らすことはどういうことなのだろう?

彼女は元気にしていた。髪型は昔と同じだった。セルフモニタリングは今も続けていると聞いて嬉しかった。気分安定薬もきちんと続け,毎月の受診は「変わりありません」「ではお薬」で終わっていると言う。朝,草刈りで汗を流したばかりだと言うお父様も昔と変わらず元気そうだった。しかし,80歳の年齢は隠せない。彼女が可愛がっていた甥や姪は家に立ち寄らなくなっていた。彼女は私と娘を歓迎してくれたが,同時に寂しそうであった。彼女と老親の間には何か緊張があるようだった。私はこの家の人たちに自分の自慢の娘を見せつけに来たのだろうか?

当時のセルフモニタリングの1ページを示す。左に日常の記録、右に睡眠記録と気分点数をつけている。+100が極度の躁状態、±0は普通、-100が極度のうつ状態を示す。当時の記録を振り返り,今の彼女の様子を知るとさまざまな感慨がわく。彼女は今の私の娘と同じぐらいのころに入退院を繰り返し,私の治療を受けなければならなかった。その当時の記憶があるからこそ,彼女は私に季節の挨拶を送り,私と娘にも会ってくれた。私にとっては論文が大事だったが,今の彼女にとってはどうでもいいことだ。それよりも当時の記憶が彼女にとって良いものと思い出してもらえるようにするためには,今の私はどうすれば良いのだろう?そう自問自答しながらこのコラムを書いている。

文献
Coryell, W., Solomon, D., Turvey, C., Keller, M., Leon, A. C., Endicott, J., … LH, W. (2003). The Long-term Course of Rapid-Cycling Bipolar Disorder. Archives of General Psychiatry, 60(9), 914. http://doi.org/10.1001/archpsyc.60.9.914
原井宏明. (1997). 急速交代型双極性障害に対するセルフモニタリングと薬物自己投与による躁病再発予防の試み. 精神医学

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