原井宏明 (2001). 「精神医学」への手紙 10歳以下の子どもに大うつ病性障害が存 在するか 大井論文を読んで. 精神医学(0488-1281) 43(11): 1270-1271.

児童青年期は私の専門ではないが個人的に大変関心のある領域である。展望大井論文1)は大変参考になった。気になったところがあるので,2,3指摘したい。

まず第1点として,展望論文のあり方について議論したい。大井論文は,“はじめに”の章で“確かに,現在の子どもの達を取り巻く環境は悪化の一途をたどっている”,“成人の診断基準を特に児童期の感情障害にどこまで当てはめることが可能なのだろうか”,“内因性と心因性の違いも以前のようにあまり顧慮されなくなってきていることを批判しているが,同感である”と著者の意見を明らかにしている。この後の本文もこの意見に合わせて書かれている。

しかし,タイトルと全体の構成から見ると,大井論文は児童期・青年期の感情(気分)障害の診断や疫学,経過,治療を含めた全体像についての展望を目指しているようである。全体を見渡す展望論文とは著者の個人的立場を示すものではないと私は考える。 Sackett2) らが述べるように,論文収集の方法を示し,集めた論文についてエビデンスの強さの観点から批判的吟味を行い,吟味にかなった論文だけを選び,内容をまとめるものである。大井論文はこの意味で展望論文らしくない。

第2点として,著者の意見自体に疑問がある。現代の子供たちを取り巻く環境が悪化していることについて大井論文はデータを示していない。そして私に入手可能な統計を見る限り,著者の意見を補強するデータがあるとは思えない。

日本の現代と過去を厚生省の人口動態統計や警察白書などを用いて比べてみよう。

日本の乳幼児死亡率は戦後,例のないほどの速度で低下を示し,出生千当たり3.6(1998年)は欧米諸国と比べても低い。自殺に関しては,子どもの自殺がもっとも高頻度であったのは,1950年代後半である。近年での未成年の自殺がもっと多かったのは1986年で785件である。ちなみに現代の日本で自殺率がもっとも高いのは50台の男性である。

殺人(未遂も含む)で検挙された少年の数は,1960年前後に400人を超えてピークとなり、その後は減り続けて,1975年以降はずっと100人前後のままである。

離婚率は1963年ごろがもっとも低く人口千対0.7程度で,1998年では1.94であるが,これは米国の半分以下であり,先進国の中でもっとも低い部類に入る。離婚について戦後大きく変わったのは親権の行方である。離婚後の親権を行う親は1965年までは父親が多かった。その後は母親が増え,1998年では子供が一人の場合母親が親権をとるのは83.1%である。すなわち離婚した場合,昔は母親から引き離され,現在は母親がそのまま養育に当たるようになった。白雪姫のような継母による継子虐めは昔話になりつつある。

国際比較をしてみよう。米国の10台妊娠率,貧困世帯の数は先進国の中で最も多い。医療へのアクセスが悪く,医療保険をもたない人々が約5000万人いる。ヒスパニック系の高校卒業率は50%台である。15~24歳台の人口10万対自殺率を見ると,米国は13.8(1994)であり,日本の12.2(1998)よりも高い。

さて,これらの統計データから見た場合に,日本の現代の子どもは,現代日本の50台男性よりも,戦前の子供よりも,1950年代の子どもよりも,1986年頃の子どもよりも,また米国の子どもよりも不幸なのだろうか?

第3点として,文献に対する解釈に疑問がある。児童期のうつ病に関する日本での疫学的研究は乏しいが,その数少ない中のひとつである村田,辻井らの研究について(359ページ)“いかに現代の子ども達が不幸な環境にいるかを示す” と著者は解釈する。引用された論文の執筆者はこのような解釈の仕方に対して怒るのではないだろうか。

最後にプライベートな意見を述べさせていただく。私は大人の非精神病性精神障害を主に診ている精神科医である。児童精神医学についてはユーザーの立場にある。私の長男は小学2年生のときCDI(Child Depression Inventory 3) )は一時30を超えていて,それは半年近く続いた。もし,子供の不幸の原因が著者の言うように現代社会環境にあるならば,児童期のうつ状態に対する対策は社会改革であり,個々の患者に対する治療の研究は無用ということになる。10歳以下の子どもにもうつ病があることを研究者が認めるようになり,それが私の長男のような子ども達への医療の改善につながることを私は願う。

文献

1) 大井正巳: 児童期・青年期の感情(気分)障害. 精神医学 43:352 -366, 2001

2) Sackett,D L, Straus,S E, Richardson,W S,et al: Evidence-Based Medicine -How to practice and teach EBM, Second Edition. Churchhill Livingstone,London, 2000

3) Kovacs,M :Rating scale to assess depression in school-aged children. Acta Paedopsychiatorica, 46;305-315, 1981

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