精神科・精神医学 草稿(行動分析学事典)

(この原稿は日本行動分析学会の担当編集委員の意見に従いボツになりました)

精神科とは医療機関における診療科目の一つである。精神疾患を診療対象とする。精神科医が中心となり、看護師や精神保健福祉士、作業療法士、心理士、薬剤師などがコメディカルとして関わる。精神科が設けられている状況は総合病院におけるリエゾンや診療所、訪問診療、病院、中間施設などである。認知症などによる終末期医療にかかわることもある。内科系であるが、1930~50年代には脳外科手術を行うことがあった。司法との関わりがある。犯罪精神医学と司法精神医学は犯罪と精神疾患の関係を研究する。触法精神障害者に対する処遇を医学的に決定する役割も担い、治療が必要な場合は法に従って強制的な医療を行う。

精神疾患と呼ばれる行動や状態は時代や地域によって違う。例えば現代の日本ではアルコール・薬物依存症やうつ病は精神科の対象であるが、米国などでは依存症は精神科ではなく、専門のリハビリ施設が扱うことが多い。また英国などの総合診療医(General Practitioner、GP)の地位が健康保険制度上に確立している国では軽度の精神疾患はGPが診療する。

学問としては精神医学と呼ばれる。歴史的には異常な精神状態の分類を目的とする精神病理学からスタートし、現在もそれが基盤になっている。医学全般に通じることだが、一貫しない種々雑多な学問の寄せ合わせが精神医学である。大雑把に分ければ、バイオ(生物学的精神医学,遺伝生物学,脳生理学、神経生化学、神経病理学,精神薬理学など),サイコ(精神病理学,行動科学など),ソーシャル(社会精神医学,文化精神医学,家族,社会学,社会福祉など)の分野がある。

病院精神医学や地域精神医学(患者が住む場所での精神医療),リエゾン精神医学(他の身体科で治療を受けている患者に対する精神医療)などの領域もある。また,医療だけではなく,病跡学(歴史的人物の足跡から精神疾患の影響をたどる)や司法精神医学(刑事裁判における被告人の責任能力の鑑定など)なども重要な領域である。

実際の精神医療に影響を与えた精神医学上の発展という意味では、最大のものは精神薬理学である。有効かつ比較的安全な向精神薬が出現した結果、入院中心から外来中心に変わった。現代の心理学・行動科学からの影響も受けているが、大半の精神科医で心理学と聞いてパブロフ、スキナーを思い浮かべる者はほとんどいない。

実際の診療科名の多様性

1970年ごろまでは精神科よりも神経科や精神神経科、神経精神科という呼称が使われることが多かった。精神科は神経疾患を扱う科でもあることを強調するためである。精神医学の歴史上、過去には神経梅毒やてんかん、パーキンソン病などの感染症や神経疾患も精神科の対象だった。日本の精神科医の最大の団体も“日本精神神経学会”(The Japanese Society of Psychiatry and Neurology)である。現在でも、神経変性疾患であるアルツハイマー病やピック病などの認知症は精神科にとっての主要な患者である。従って、認知症を中心的に扱っている大学病院などでは現在でも神経精神科としていることが多い。

一方、精神科という呼称には歴史的な背景によるスティグマがあり、それを避けるために“心療内科”、“メンタルヘルス科”、、“ストレス科”、“こころの診療科”などと呼ぶことが多い。診療所の場合は“心療クリニック”、“メンタルクリニック”という名が一般的であり、○○精神科診療所という名の施設はほぼない。

精神科の歴史

19世紀

精神科・精神医学が始まったのは19世紀ヨーロッパである。1835年にJ. プリチャードが「生活の所作の中で礼儀と礼節どおりに振る舞う」ことができない人を“精神病”(Psychosis)と呼び、以前は一括して狂気として認識されていた行動の異常を異なった単位として分類するようになった。1850年代、ヨーロッパ各地の大学医学部が精神医学講座を設置し始めた。当時はW.グリージンガーを代表として疾患の本態を脳の中に求める方向に研究が進められた。1880年頃は骨相学が主流になり、脳の各部分が各精神作用や気質と一対一で対応していると考えられた。W. A. F. ブラウンなどが有名であり、図のような脳の機能マッピングが人口に膾炙した。

図 骨相学による脳の機能マッピング

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/2a/Phrenologie1-140k.gif

By Scan by de:Benutzer:Summi edited by “Wolfgang” – Bilz, Friedrich Eduard (1842–1922): Das neue Naturheilverfahren (75 Jubiläumsausgabe), 1894, Public Domain, https://commonswikimediaorg/w/indexphp?curid=591420

 

E.クレペリンとE.ブロイラーなどの精神病理学者は当時では最新の医学理論である細胞病理学説を援用し,異なった疾患は神経細胞の異なった病理に基づくものと仮定した。19世紀末にクレペリンによって精神疾患の分類は一応の完成をみた。

20世紀

1908年にブロイラーが統合失調症の用語と概念を確立した。20世紀に入るとS.フロイトが精神分析を提唱し,K.ヤスパースが現象学と実存主義を導入した。1920年代にはパーソナリティの中心は気質であると考え、体型と気質を結びつけた3つの類型を提唱したEクレッチマー、解離やトラウマ記憶の研究を行い、心理学の祖ともされるP.ジャネなどが活躍した。1935年にE.モニスが精神病患者に対するロボトミー(前頭葉白質切截術)を初めて行った。この時期には“精神外科”という診療科があり、大規模の精神科病院には手術室があった。同時代にインシュリン・ショック療法と電気けいれん療法が始まった。

ロボトミーとインシュリン・ショック療法は1950年代までは精神科の主要な治療法だった。電気けいれん療法は一時、絶えかけたが、1990年代からうつ病に対しての顕著な効果が再評価されるようになった。現在は、痙攣を起こさない修正型電気けいれん療法になり、うつ病に対して即効性がある治療法として普及してきている。

精神薬理学の勃興

1950年、最初の抗精神病薬であるクロルプロマジンが合成された。1955年、J.アクセルロッドがモノアミンの放出と再取り込み、貯蔵のメカニズムを解き明かした。これらの薬剤の脳内での作用は神経伝達物質に対して選択的に作用することだとわかったのである。1956年、最初のベンゾジアゼピンであるクロロジアゼポキシドが発売された。1958年、最初の抗うつ薬であるイミプラミンが発売され、高力価の抗精神病薬であるハロペリドールが合成された。さらに多種多様な薬物が合成され、それによる精神作用を研究する精神薬理学が始まった。そして、こうした向精神薬の開発は19世紀から始まった精神科がようやく安全かつ実用的な治療法を得たことにもなった。幻覚妄想のために興奮し、暴れる患者を抑える方法について、それまでに存在したものは生命の危険やロボトミーのように永続的な人格変化を伴うものだった。

1980年代からは、リスペリドンを始めとする非定型抗精神病薬、フルオキセチンを始めとする選択的セロトニン再取り込み阻害薬(Selective Serotonin Reuptake Inhibitors, SSRI)が開発、販売され、製薬企業にとって中枢神経薬は大きなマーケットであると認識されるようになった。

診断基準 DSM 脳機能画像

1980年に米国精神医学会によって操作的診断基準であるDSM-III(Association, 1980)が発表された。これによって信頼性のある診断をつけることが可能になった。非精神病性の精神疾患を集めた雑多な概念であった神経症がより具体的な症候群に解体され,気分変調性障害やパニック障害などの新しい病名が採用された。これらの非精神病性の精神疾患は病態研究と治療が過去30年で最も進歩した領域である。同時に、構造化面接・臨床疫学などの臨床研究の方法と,精神疾患モデル動物の開発,ポジトロンCT(PET)、fMRI (functional magnetic resonance imaging)などの脳機能をリアルタイムに画像として表示できる技術の実用化などの生物学的研究方法が進歩した。fMRIの応用である拡散テンソル画像による神経線維を示す。

図 拡散テンソル画像(diffusion tensor image, DTI)によるヒトの脳

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/82/DTI-sagittal-fibers.jpg

このような脳機能イメージングの技術の進歩は19世紀の骨相学による脳の機能マッピングを彷彿とさせる。精神的機能が特定の神経構造に基盤を持つという見方が単なる信念ではなく、画像によって実証されるようになった。

精神疾患の分類学:精神病理学

現代でも大半の精神科医はクレペリンによって確立された精神疾患の分類に従っている。研究者自身によって心理的に了解できるかどうか、他の確立された医学的概念によって説明できるかどうかが唯一の研究手段だった。

図 一般の教科書的な精神疾患の分類

この中で内因性精神疾患の代表は、統合失調症と躁うつ病、てんかんであり、これらが“3大精神病”と呼ばれた。外因性は神経梅毒や脳腫瘍のように内科的・神経学的に説明ができるものである。心因性は神経症である。ストレスが原因で生じたうつ病や不安障害、身体表現性障害などがこの中に入る。

一方、信頼性と妥当性を担保しながら、心因性と内因性を区別することはクレペリン以来、あらゆる研究者が試してきた。結局、不可能だというのが結論である。1980年に刊行されたDSM-III(APA, 1980)は従来のような心因性・内因性の区別と神経症という病名を捨てた点で画期的だった。DSMは世界の精神医学研究者の間の共通言語になり、改訂・出版することがアメリカ精神医学会一つのビジネスになった。2013年に第5版が出版された(APA, 2013)。

現代の分類は診断カテゴリーだけでも16種類ある。個別の診断になると400を越える。また一人の患者が複数の診断を持つことが普通である。この一つ一つのDSM診断自体にはたとえ信頼性・妥当性があったととしても、それを使っている精神科医の診断行動に信頼性があるかどうかについては答えがない。

社会と精神科

精神科はその発祥の時から精神疾患に罹った患者には「病識がない」として、患者に自己決定能力を認めなかった。結果的に治療の必要性は患者以外の人間、家族や社会が決めることになる。為政者が精神医学を人権抑圧の手段として使うこともあった。たとえば1930年代から40年代半ばにかけてドイツ精神医学が精神障害者をガス室に送り込むナチスの活動に荷担した。

日本でも医療の必要性に関して精神科医が決定し、入院治療の場合、事実上全てが閉鎖病棟への強制入院だった。患者側から見れば精神科病院とは強制的に入院させられ、治らないまま閉じ込められる場所だったのである。そうした状況に1950年代から始まった精神科病院建設ブームが拍車をかけた。第2次世界大戦の終戦時に約4千床だった精神科病院が、1950年8.5万床、55年17万、75年28万に増えた。一方、同じ時期に欧米では脱施設化が進行していた。例えば米国の場合、1955年には約56万床だったが、1968年には16万床に減少した。

日本で精神科の患者に対して法的に自己決定権を認めるようになったのは1987年の精神保健法施行からである。それゆえ、中高年の間では精神科受診イコール強制入院という固定観念が残っている。

精神科、行動分析学、反精神医学

行動分析学に基づく様々な技法を開発したN.アズリンが実際に仕事を行った場所は彼が1958年から80年まで働いたイリノイ州アンナ州立病院である。彼の業績の一つに慢性統合失調症患者に対して行ったトークン・エコノミーの研究がある。まったく自分から発話することがなく、一日を無為に過ごしていた自閉的な患者に対して系統的なオペラント条件づけを行うことで活動的になった。日本でも1986年に疋田が勤務する病院でトークン・エコノミーの効果を確認した(疋田, 1986)。

しかし、行動分析学を精神科病院で応用する試みは広がらなかった。たとえば、疋田が自身の研究を最初に日本精神神経学会の学会誌に投稿した時、強化子を使って患者の行動を操作すること自体が人権侵害に当たるとして掲載を拒まれた。当時の精神科病院では人権侵害の事例に暇がなかった。精神科医の中にもそのような状況を憂う者が大勢いた。患者の自由を奪い家畜のように扱うことが起きるのは、社会的条件など様々な要因で起こる問題行動を一意に患者の脳の問題だとする精神医学自体が本質的に悪だからだと主張する者もいた。彼らは精神医療改革派と呼ばれ、彼らの立場はR.D.レインらのいう“反精神医学”と呼ばれた。彼らからみれば、社会的な適応行動を増やすために外的な強化子によって患者をコントロールすることも悪だった。行動分析学は問題行動の原因を脳には置かない。その意味では行動分析学も“反精神医学”的であるが、それを精神医療改革派にわかるように説明できる人はいなかった。

反精神医学運動が下火になった現在、外的な強化子を使うことが非倫理的だと非難されることはほぼなくなった。しかし、今の精神医学は精神薬理学と脳機能画像に気を取られていて、行動分析学までには目が届かない。最先端の精神薬理学研究は、実際には行動薬理学なのだが、その知見を臨床で説明するときには機械論的な説明になってしまう。機械論的発想に馴染んだ精神医学が行動分析学の機能主義に馴染めるようになるためには時間がまだかかる。

参考文献

American Psychiatric Association. (1980). Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders  (DSM-III). 3rd ed. Washington DC, USA: American Psychiatric Press.

American Psychiatric Association. (2013). Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders, 5th Edition: DSM-5. Washington DC, USA: American Psychiatric Publishing. Retrieved from http://www.amazon.com/Diagnostic-Statistical-Manual-Disorders-Edition/dp/0890425558

疋田好太郎. (1986). 慢性精神分裂病者の自立行動に対する トークン ・ エコノミーの効果. 行動療法研究, 11(2), 55–76.

精神科・精神医学 草稿(行動分析学事典)” への3件のコメント

  1. 「疋田が自身の経営する病院で」ではなく「勤務する」です。当時は。

    • 修正ご意見をありがとうございます。
      とかなんとか言うよりも・・
      お久しぶりです。お元気ですか?
      こんなところでご連絡をいただけるなんて!
      嬉しいです。

      • 早速の御修正、有難うございます。正の強化子を、即時に(この世界では)頂きました。驚きました。 ところで、先生の本論文の要旨とは無関係の修正のお願いをしましたのは「経営者がスタッフに強要をした」という雰囲気ではなかったからです。スタッフから「なにか・どうにかできませんか」との話から始まったトークンエコノミーでした。当時は、患者さん・スタッフ・私も若く、できたことでした。 スキナリアンより。 (感謝の意を。できましたら、これ以上は)

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