OCD患者さん治療感想文:曖昧なことを許す修行 スピッツさん(20代女性、曖昧さ恐怖・確認儀式)

3日間集団集中治療(3DI)に参加された患者さんから感想文を送っていただけました。許可を得てこちらに掲載します。OCDの会が出している患者感想文集「とらわれからの自由」の11号にも掲載する予定です。

今年の3月が初診、5月に3DIに参加、感想文を書かれたのは6月です。


私の強迫は、自分にとって大切な人に嫌われたくない、信頼関係を壊したくないという気持ちから起きているのかなと思います。最初になったのは不潔恐怖でした。そこから徐々に確認強迫が強くなっていった気がします。

私は小学生頃から、友達の悪口を言う自分がとても嫌な奴に思えて心配になって母に話していました。友達の秘密を自分も気づかないうちに誰かに話していたらどうしよう、悪口を言ったのがどこかからバレて嫌われたらどうしよう、とよく悩んでいました。

昔から「嘘をつかない、誠実な、悪口を言わない、優しくて、恥ずかしくない、皆に好かれる人間」を目指していました。物事は白黒はっきりつけたくて、0か100の選択をしたがり、人に嫌われることをとても怖がる性格でした。でも、本当の自分は「悪口も言う、嘘もつく、優しくない、嫌われることだってある、曖昧で矛盾がある人間」でした。こういう自分の目指す人間像が曖昧な自分を許せない原因だったかなと思います。

中学校に入って強迫が始まりました。いじめられるようになり、その時に「くさい」と言われたことが、強迫の症状が始まったきっかけだと思います。

私が最初になったのは、自分の排泄物に対する不潔恐怖でした。「気付かないうちに便やおならが出ているかもしれない」という不安がすごく強かったです。なので、

  • 道を歩くときはいつも歩いたところを確認する
  • 椅子から立つときも必ず椅子に便がついていないか見る
  • 自分が臭くないか自分の後ろの臭いをかいで確認する
  • 排便するのはお風呂の前だけであとは我慢する
  • 服の裏表、縫い目の溝など全て毎朝30分以上かけて汚れをチェックする
  • ノートや教科書を家で開いたら1ページずつ汚れがないか見る
  • 寝ている間の感覚がわからないので、起きたら布団の汚れの確認をする
  • 便が出ていたかどうか、体の感覚を頭の中で何度も確認する(これが一番辛かった)

などをしていました。

もう一つ、確認強迫もこの頃から始まった気がします。宿題をやり終えても、時間が経つと本当にやったか不安になりました。やることリストを筆箱に貼り、何をやり終えたかがわかるように二重線で消し、そのメモを残しておきました。これをすると確認する手間が省けたし、不安になっても安心できました。メモの習慣は今でも残っていて、病気を知る前はむしろ自分の長所だと思っていました。

高校に入って不潔恐怖は前より少し落ち着きましたが完全には治らず、大学に行っても同じでした。どうして自分は人と違うのだろう、頭がおかしいんだ、と考えて、死にたくなる日もありました。皆は自分の便の汚れなんて何も気にせず過ごしているのに。自分だけがいつも床や服を確認して歩いている。毎日毎日、人には理解されないことで悩んで、誰にも相談できない。トイレに行ったら漏れてないか確認して、スポーツも勉強も集中して思いっきりできない。ライブに行っても確認ばかりして楽しめない。友達といても後からすごく不安になったり、あの時本当に何も出ていなかった?と確認ばかりしたり、いつになったら終わるのかわからなくて一生このまま辛いのかととても不安でした。

大学3年頃に象使いになろうというツアーでタイに行ったのをきっかけに不潔恐怖が一気に落ち着きました。多分、知らない国で1週間過ごし、山の中を象に乗って散歩したり、嫌いな虫がいっぱいいたり、汚い川で象を洗ったり、ショーに出たり、非現実的すぎて一生懸命になり、もう強迫を考える余裕が無かったんだと思います。これを境に不潔恐怖はだいぶよくなり、仕事を始めてから少し復活したけど前ほどではなかったです。

仕事を始めて、恋人への不誠実恐怖が始まりました。自分の会社では不倫が多く、男女関係がドロドロで、男性がみんな風俗などに行くのを目の当たりにし、「お前の彼氏もそうだよ。男なんてみんな同じ」とよく言われました。多分これをきっかけに恋人への不誠実恐怖が始まったのだと思います。恋人は何も疑わしいことをしていないし、不安な私に一生懸命説明したり、話し合ったり、安心できるようにしてくれていました。それでも私は、恋人の飲み会が多いことを不安に思いLINEで激怒したり、帰ってくるまで眠れなかったり、浮気していないかいつもとても心配でした。恋人の心の中もまっさらで、誠実でいてほしい、恋人が何か不誠実なことを頭の中で思い浮かべることすら許せませんでした。そのせいで喧嘩ばかりし、些細なことで恋人に激怒して暴言を吐いていました。恋人とのLINEを何度も読み返し、会話の内容をアプリにメモして振り返ることで、恋人の言動に変なところがないか何度も確認していました。恋人が職場を辞めて飲み会が減り、自分も仕事が落ち着いたことで心に余裕ができました。お互いにコミュニケーションが増えたこと、環境が落ち着いたことをきっかけに、この強迫は徐々に薄れていきました。

恋人を疑っていたのが解決し、自分の仕事が落ち着いてくると、心に余裕ができたのと同時に少し暇な時間が増えたんだと思います。今度は自分に疑いが跳ね返ってきて、自分への不誠実恐怖が始まりました。自分は本当に誠実だろうか、何か不誠実なことを考えたのではないか、夫以外の男性と何か卑猥なことをしたいと思ったのではないか、友達だと思っていた人にも恋愛感情があったのかもしれない、など不安になるようになりました。自分の結婚の話が進むと余計に悪化しました。「結婚する前に、このもやもやをなくして、完璧に誠実な自分に自信を持たなきゃ、でないとこの幸せはなくなってしまう。結婚を喜べなくなってしまう」と焦りました。24時間、自分の思考を監視しているような状況で、頭の中でずっと誰かがささやいていた感じでした。「本当は何か考えたんだろう?夫以外にも恋愛感情があるんだろう?」と、何度頭の中で確認しても浮かんできます。最初は自分の思考を信じることができましたが、確認しすぎて何が本当か、どれが自分の考えたことで、どれが頭の中の誰かが言っていることなのか、全然区別がつかなくなってしまいました。以前の夫への不誠実恐怖は夫に聞けば確認できましたが、今度は自分しか自分の思考は分からないし、それすらも疑ってしまっているので何が正解なのか確認しようがなくて地獄みたいな毎日でした。今の自分、過去の自分、未来のこんな状況に立たされた自分について、誠実かどうか確認することがセットになっていました。

自分で解決するのは限界だと感じて地元の心療内科を受診しましたが、「自分を信用できなくてどうするの。こだわりが強すぎる。もっとほかのことに目を向けたら?」と言われ、病気の診断は何も出ませんでした。

それから怖くなって病院に行けませんでしたが、症状がさらに悪化して色々調べて「原井クリニック」を知りました。初診は緊張して「また病気じゃないって言われたらどうしよう、ただ自分が変なだけかも」と不安でした。でも診察したらすぐに私の気持ちを理解してくれて、強迫性障害と診断されて、すごく安心したのを覚えています。やっと治療のスタートラインに立てた、頑張れば治るんだ、私が頭おかしいんじゃなかった、と思いました。

集団治療に参加したのは、診断を受けてから1ヶ月ほど経ってからです。参加しようと思った理由は、「もうこれしか治す方法がない」というのが一番だったと思います。あとは、治して普通に過ごしたい、毎日の確認も疲れてしまった、それに今後は子どもを産んで夫と子どもと過ごしたいなと思ったからです。毎日の強迫に疲れてしまって、死にたいと考えたことも何度もあったので、単純にこのまま死ぬのはやだなと思ったのもあります。

1日目は、参加者、付添いの人などたくさんの人の前で自分の症状を話すことから始まりました。私は自分の症状を誰にも言いたくなくて先生にも詳しく言えてなかったし、誰かに知られたら怖いという気持ちが大きくて、本当に言うのが嫌でした。それに、自分の強迫は他の人と違うと勝手に感じていたし、理解なんてしてもらえないと思っていました。でも、みんなそれぞれ症状が違っていて、でもなんとなく共感できることもあって、話を聞いていて不思議な気持ちになりました。鞄を床に置くだけでも、その人の症状ごとに置き方に違いがあって、自分が普通だと思っていたこともほかの人から見たら普通じゃないこともあるんだなと思いました。

1日目が終わってからは、若い人もちゃんと話していたのに、思ったことをきちんと話せなかった自分や、皆終わった後におしゃべりしていたのに混ざることができなかった自分にとにかく落ち込みました。明日から何をやるのか、人とコミュニケーションをとるのが苦手なのできちんと話せるか、本当の自分を出せないでちゃんと治療に効果が出なかったらどうしよう、と不安になりました。

2日目は、最初から緊張で吐き気がして、顔もこわばっていたと思います。トイレの便器を触ったり、自分についた汚れを人につけたりしました。私は加害恐怖もあるみたいなので、汚れを不潔恐怖の人に付ける行為も苦痛でした。でも、今では不潔恐怖はそんなにひどくないので、便器を触ることはそんなに嫌ではなかったです。それから、みんなで床に座ったり、足のマッサージをしたり、五感をたくさん使うことを意識しました。みんなと外でお昼を食べたあと、病院に戻って自分のことを話す時間があったと思います。私は自分のいやな言葉を皆の前でまとめ、最悪のストーリーや歌を皆の前で作り、録音しました。この時は泣いてしまいました。でも、時間が経つと作ったストーリーが自分にとって現実味がないかもしれないと気付き、ちゃんと話せなかったかなと思いました。この日もどうしても周りの目を気にしてしまって、なんとなく自分が思うように話すことができず、帰ってから落ち込みました。

ホテルに戻ってから、自分にとって現実味のある、ありえそうでいつも強迫してしまう内容のようなスト-リーを作りなおしました。息が苦しくなりながらだけど作れたので、頑張ったな自分と思いました。

3日目は、朝もホテルで強迫が浮かんだら最悪のストーリーまで考え抜いて、自分のもやもや、不快感、恐怖感を感じるようにしました。体に力が入って息はしにくいけど、非現実的なことを集団治療でしているせいか、なんとなく頑張れました。いつもは早く着いたら迷惑かと思って病院の周りで時間をつぶしていたけど、3日目はわざと早く行って人に迷惑かもしれないという怖さを感じてみようと思いました。30分前についてしまって居づらかったけど、慣れたら大丈夫でした。

この日は、いつもと違って自分のことをたくさん話せて、強迫のきっかけや隠していたことを皆の前で言えたと思います。本当に言いたくないことだったけど、それを隠していたせいで今まで言えなかった自分の気持ちも、言えました。この集団治療では、自分を隠さないでさらけ出した方が、話したいことを話せるし、自分の症状の流れ?を伝えやすいんだなと思いました。ほかの参加者の方も、皆さらけ出して話してくれていた気がします。そういう一緒に頑張ってきた参加者の方の頑張りも見て、勇気も出ました。たくさんさらけ出せたおかげか、3日目は今までと違って、ストッパーが外れてがむしゃらに取り組めた気がします。

この日は、皆で不快になる映像をたくさん見たり、唾を水で薄めて飲んだりしました。虫の映像ですごく取り乱してしまって、自分でもびっくりしました。唾もなんでだかわからないけど不快感があって、最初は飲みたくありませんでした。でもほかの皆は普通にしていて、虫も自分だけ泣いていた気がするので後から少し恥ずかしかったです。でも、「私ができることは他の人が苦手だったり、私ができないことをほかの人は普通にできたり、そういうことがあるんだ」ってことを、今までも当たり前に感じて生きてきたつもりだったけど、今までより余計に実感しました。普通って、人によってこんなに違いがあって当たり前で、自分でも知らない自分がいるんだなと思いました。それに、1回目は取り乱した虫の映像も、先生に言われて2回目じっくり集中して見たら、1回目ほど不快ではなかった気がします。

また、昔は自分のこの強迫の思考をあんなに隠して誰かに知られるのが嫌だったのに、3日目になると普通に外で皆と話せるようになりました。みんなでお昼を外で食べたときや、本屋でうろうろしたとき、今までは小声で警戒しながら話していたのに、病気のこと知られてもいいやって普通の声で話せるようになりました。

一緒に3日間頑張った参加者の方々、先生、スタッフの方々、学生さんたちは、自分にとって本当に戦友みたいな感じです。一人じゃ絶対できませんでした。お互い症状はみんな違かったけど、共感できる部分は本当にたくさんあって、「そっか、みんな一緒なんだ、こういう思いを本当に共感してくれる人たちがいるんだ」と気持ちが楽になりました。

今まで、ずっと1日中強迫について考えていて、強迫のもやもやや不快感をすっきりさせること、完璧に誠実な自分を確立させることだけが大事だと思って生きていました。こんなことで悩んでいる時間がもったいない、もっと会話に集中したい、他のことに目を向けたいのに、と冷静に思っていても、私にとっては強迫の確認をして、誠実な自分を守って、不誠実な部分を否定することが1番大切なことでした。

でも、集団治療を受けてみて、「自分の世界はなんて狭くなっていたんだろう、人生って楽しいことがたくさんあったんだ、人間は曖昧でいいんだ、グレーもあるのが普通なんだ」と思えるようになりました。

今までは、音楽を聴く、テレビを見る、人と話す、笑う、日常のすべてのことに強迫が浮かんでいました。でも、強迫せずに、普通に過ごすことがこんなに楽しいんだって久しぶりに思うことができました。「強迫しないでするこんなことも楽しかったなあ」っていろいろな発見があります。

今でも、症状の波はあるし、強迫が浮かびやすい日もあります。でも、前と違って、この強迫をすっきりできない=この世の終わり みたいな絶望感はありません。死にたいとも思わなくなりました。今までの自分は、何かあったらもうだめだ、みたいな0か100の考え方でしたが、何かあってもまた頑張ろうと思えるようになってきました。完治までまだかかるとは思うけど気長に頑張ろうと思うし、また再発するかもなと思うけど再発したらまた治療がんばろう、病気も含めて私の個性かなって今は思っています。

それに、自分の気にしすぎるところなど嫌いなところがたくさんありましたが、強迫の影響もあるのかもと思うと、自分のいやなところも受け入れやすくなったというか、許しやすくなって生きやすくなってきた気がします。今まで強迫のせいで距離を置いてきた楽しいことに、たくさん挑戦していきたいと思っています。

分かりにくい文章だったと思いますが、読んでいただきありがとうございました。

集団治療はお金もかかるし、参加するのがとても怖いと思います。でも、私は参加してみて本当に良かったです。生きるってもっと楽しいことだったなって思い出すことができた気がします。同じ病気の人と会うことで、共感できる部分もあったり、分からない部分もあったり、不思議な感覚でしたがたくさんの発見がありました。それに、分かってもらえることでとても楽になりました。前より笑えるようになったし、集団治療後に診察に行ったとき、表情が変わった私を見て病院の方々が喜んでくれて、本当にうれしい気持ちになりました。

病気の診断を受ける前の私は、勝手に自分は孤独で、自分の病気の苦しさは誰も理解してくれない、自分だけがこんなにつらいとどこかで思っていたと思います。同じ病気の方々と会う機会をいただいたおかげで、この孤独感から少し救われました。同じ病気で悩んでる方が、集団治療に参加して少しでも何か進むきっかけになったらいいなと思っています。

OCD患者さん治療感想文:曖昧なことを許す修行 スピッツさん(20代女性、曖昧さ恐怖・確認儀式)” への2件のコメント

  1. 頑張って治療なさっていて、ご立派だと思いました。あたしは確認強迫です。集団治療でだいぶ治りました。先生方に感謝の気持ちを込めて、そして、どうやって自分が治したか忘れないように、あたしも体験文が書きたいです。どうしたらいいでしょうか?

    • 体験文はいつでも募集中です。ある程度まとまったらOCDの会から出している患者感想文集「とらわれからの自由」に掲載させていただきます。原稿を原井のメールアドレスまでお送りください。

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