私には心配な人がOCDに対処しない。私は、その場合、何ができるだろうか。
Heidi J. Pollard, RN, MSN and C. Alec Pollard, Ph.D.,
Anxiety Disorders Center; Saint Louis Behavioral Medicine institute and Saint Louis University
医師に受診するのは、最初に身体的な症状の徴候が出た時点での人もいれば、その症状が日々の生活に支障をきたすまで待つ人もいる。それから、患者には、その問題が自分や家族の生活に悪影響を与えるようになってさえ、専門家による支援を自分からは、まず受けようとはしない人たちもいる。後者は、「回復回避(recovery avoiders)」もしくはRAと見なすことができる。
回復回避は、ほとんどの人々には、理解するのが難しく、理解を助けてくれる入手可能な資源がわずかしかない。この記事の目的は、回復回避について、ある程度の情報を提供し、回復を避けるOCD患者の家族や友人に利用可能な資源を論議することである。
回復回避は、肺の病気なのに喫煙を止められない人から、躁鬱病患者でリチウム治療を続けるのを拒む人まで、ほとんどすべてのタイプの問題に関係しうる。すべてのケースで、患者の行動が、健康または幸福であろうとすることに相反してしまう。 RAは、一般に、問題の深刻さを甘く見ているか、もしくは問題であるという認識をまったく持っていない。例え、持っていたとしても、自分で支援を見つけたり、病気について学ぼうとしたりして、踏み出すことはまずない。家族や友人の方が、問題に対し何かしようとRAよりずっと熱心に働きかけるのが普通である。治療を探すのは、他の人がRAに行かしょうとしているために他ならない。そして、一度彼らが治療にかかったからと言って、最後まで行き続けるとは限らない。
OCD患者のどのくらいの割合がRAなのか正確にはわからない。しかし、おそらく、かなりの数のである。研究によると、OCD患者のうち少数しか、適切な治療を受けていないとされている。専門家による支援を受けない人たちには、別な理由(例えば、情報の不足、資格のある支援者があまりに少ないなど)もあるとはいえ、私達の臨床経験によると、回復回避は、OCDが、治療中や未治療のままになってしまうケースの合計が、これほど多いことの主な原因の一つとなっている。
OCDではない人にとって、なぜRAが障害のある疾患を治すためにできる限りのことをしようとしないのかわからないのは当然である。しかし、覚えておくべき重要な点は、RAは自らの行動が自滅的な性質なものであることを完全に認めているわけではないことである。彼らは習癖に絶えず反応してしまい、他にどうしたらいいのかわからない。RAの身になって考えれば、私達のほとんどが、生活面のいろいろな問題に取り組むことを避けてきたと認めるべきである。 問題に取り組むのを先送りすることはよくある。 しかし、OCDに対処しなければ、その結果、この障害に苦しむ人はもちろん、その愛する人もまた、破滅的になりかねない。
家族や友人への影響は、RAのことを怠惰、甘え、やる気のなさ、自分勝手、その人は病気でいることが好きにちがいないと結論させかねない。このような判断は、回復回避を理解しない人にはもっともであると感じられるかもしれないが、心ないレッテルを貼っても、RAがなぜそのようなやり方をとるのかは何も私達にわらない。そのような乱暴な判断は、言葉に出ようと出まいと、OCD患者が変わるように駆り立てもしないし、家族が癒されることを助けるわけでもない。回復回避に役に立つ解釈とは、個々の行動を理解し、状況を改善する方法の手掛かりを提供するべきでものある。
他の要因も関係するかもしれないが、私達は、回復回避をする人たちがいるのは、大きく二つの理由があると信じている。第一の理由は恐怖だ。OCDではない人々は、しばしば、OCD患者が経験する恐怖のレベルの評価を間違う。恐怖は現実の出来事に基づいたことではないかもしれないが、それは問題ではない。人が知覚するものが、恐怖のレベルを決める。回避と強迫をなくすというまさにその考え方が、OCD患者を圧倒してしまいかねない。これらの逆効果的な対処法は、幻想の安全を作り、それをいつでも簡単に捨てられるものではないようにしてしまう。障害のままでいたい人がいるわけではないが、OCD患者の中には、よくなることを恐れる人がいる。
回復回避をする人がいる第二の理由は、私達が誘因(incentive)不足と名付けるものである。誘因は、人を行動にかりたてるものである。例えば、お金は、人々が働きに行くための動機づけとなる。お金は誘因である。人の行動は誘因によって大きく影響され、回復行動も例外ではない。医師のところに行くのは、好ましくないもの(例えば、不快な症状)をなくしてほしいからか、障害によって、妨げられている好ましいもの(例えば、仕事、食物、人間関係、娯楽活動など)がほしいためである。治療での辛さに自発的に耐えたり、回復を達成するのに必要な努力を生み出したりするには、人には十分な誘因がなければならない。誘因は動機づけと違い、欲望と見なされる。例えば、体重を減らしたい欲望(動機)のある人がいたとしても、減量を達成するためにしなければならない行動を持続するには、十分な誘因がないと、ゴールには至らないだろう。欲望だけでは、行動を変えるには十分とは言えず、そうなりたい気持ちは、しなくてはならないことをすることと同じではない。誘因は動機を増大させ、行動を活発にする。
OCD患者には、自分の病気の好ましくない結果を完全には認めていない人がいる。また、自らのOCDのために、生活の中で失った好ましいものを十分に認めてはいない人もいる。 さらに、自分には、もう生活を楽しめることがあるとは信じていない人もいる。これらの人々は、皆、よくなりたがっているかもしれない。わずかだが、治療を試したことのある人でさえいるだろう。しかし、彼らは、ゴール達成に向けて行動を持続させるために、必要とされることができない。これらの人々は、誘因が不足している。
恐怖と誘因と回復行動との関係を、一般論として要約すると、すべての条件が同じならば、よくなることへの誘因が、よくなることへの恐怖より強くなければ、回復をもとめようとはしないことだと言える。
よって、RAの行動は、恐怖が減るか誘因が増すかの、いずれかもしくは両方が起きない限り、変わらないようである。このような回復回避への理解で重要な点は、恐怖と誘因の両方がRAへの支援を変えうるということである。問題行動のために有益な解釈とは、行動を変える方法の手がかりを与えてくれるべきものだということを覚えてほしい。次のセクションで、どのように家族と友人が、OCD患者の恐怖と誘因の双方に善かれ悪かれ影響するのかを議論する。
このトピックを議論する前に、重要なこととして、ときおり激しい罪悪感や恥を多くの家族、特に親が経験していることを述べておく。親の中には、OCDは親として不適切であったことの表れだと心配する人がいる(「このようにならないために私ができたことがあったのではないか。」)。 明確にしよう。両親そして誰であろうと他の家族の行動がOCDの原因となる確証はないのである。非常に多くの親が、間違った罪悪感と恥のためひどく悩まされ、制御しきなかったことを自身のせいにしている。自己批判と責任感の行き過ぎがこのような段階になると、関係するすべての人に害をもたらす。罪悪感と恥は、OCDに対処するという、それだけで十分に挑発的な仕事をよけい複雑にするだけである。
このことは家族には責任がないことを意味するのだろうか。とんでもない。家族はOCDの原因ではないが、家族の行動は、OCDに対処する方法に影響しうる。そして、人々がどうOCDに対処するかで、よくなるかならないかが決まる。「私のせいで、OCDになってしまったのか。」は、不適切な質問である。それに対し、有益な質問とは、「私はどうすれば回復の援助ができるか。」である。
回復の援助方法を理解するためには、すべきでないことと、その理由を知ると役に立つ。家族や友人が、回復回避に無意識のうちに関与してしまうには2つの場合がある。第一は、その人の行動が、問題の過酷さを軽視したものであるため「軽視」(minimizing)と呼ぶ。軽視した行動の根拠として想定しているものは、OCD患者に、その家族や友人が言う、もしくはするだけで、変化を与えてしまうものだ。このような行動の例として、口うるささ、突っついて刺激すること、説教、大声を上げること、脅し、圧力をかけること、非難、悪口、侮辱などがある。これらの策略は、めったに、望む効果を上げることはない。実際は、抵抗と怒りが増すはめになるのが普通である。軽視に含まれた「あなたは変われるし、今、変わるべきなんだ。」というメッセージは、威圧的で、さらなる恐怖と防御しかもたらしかねない。恐怖は、回復回避の背後にある要素の一つであることを思い出してほしい。愛する人への軽視した行動は、いっそう恐怖を引き起こし、RAが、治療を求めようとしなくなることさえありうる危険がある。
回復回避に関与する第二の場合は、「お節介」(accommodating)と呼び、もっとよく用いられる言葉では「できるようにしてあげる」(enabling)とも言われる。お節介は、異常行動 (すなわち、OCDではない人を巻き込んでの普通とは違った行動) に没頭してしまうもので、OCD患者に強迫観念を引き起こすものに触れないようにしてあげたり、彼らに強迫行動をするの手助けしてしまうことによる。例えば、子どもが挫折か失敗を経験しているのを、親が目の当たりにして悩やみ、彼らに代わって彼らの宿題をやりかねないことがある。他の例では、家族や友人が、OCDである人がするべき日常の仕事を代わりにしてしまうこと、繰り返して元気付ける、不合理な要求に応じる、成人のOCD患者に無条件に財政支援をするといったことがある。お節介は、軽視に含まれるのとは反対の意味を伝えることになる。つまり、OCD患者に「あなたには、これらの行動をすることが無理なので、私たちが代わりにその行動をしなくてはならない。」と言うことなのだ。お節介は、OCD患者を、OCDによって自然に生じるものから守ってしまうため、回復回避を助長し、それはつまり、積極的に回復を求めるのに必要な誘因を減らすことになる。
ゴールは、OCDからの回復を支援することである。つまり、それはOCD患者だけでなく、病気の影響を受けるすべての人の回復を促進する。このゴールに至るためには、家族や友人は、ときどき綱渡りを演じなくてはならない。OCD患者の苦難を理解、そして共感し、その一方で、穏やかでも確固として、OCD患者の回避に参加することを拒むようにする必要がある。OCD患者の行動を管理しようとするのを止め、自分が管理できるのは自分自身の行動だけであることに焦点をあわせることを始めなくてはならない。RAの家族や友人ができることがいくつかある。
これらのステップは、実行が簡単だとは言うわけではない。それどころか、軽視やお節介をなくすことは、極めて難しくストレスが多いものになりうる。行動が強固な習慣になっていれば、それを変えようとすることになる。これらの変更は、あなたに罪悪感か恐怖を(「私は正しいことをしているのか。」と)感じさせがちである。愛する人がOCDによって引き起こされる結果に、誰かにかばってもらわないで苦悩している姿を見るのは、簡単なことではないだろう。そして、OCD患者の好ましくない反応が、あなたの行動を変化させようとした場合、対処する準備をしておく必要がある。
このようなステップを実施してみたが、やり通せなかった人もいた。援助なしで実行するのは極めて難しいはずである。OCD患者が治療に参加しているときには、家族や友人は、しばしば患者のメンタルヘルスの専門家からガイダンスを受ける。この場合、OCDへの家族のお節介は、治療者との共同作業において典型的に、次第に変化をしていく。お節介は、患者の進展レベルに応じつつ、なくしていく。しかし、RAは、しばしば、変化が必要であることに同意はしないし、治療にかからないこともよくある。治療者が関与しないと、家族や友人は、どのようなペースでお節介を止めていけばいいのか一人で決めなくてはならない。幸いなことに、助けとなる、利用可能な資源がいくつかある。
家族や友人がOCDとその治療について学習することを助けてくれる資源は数多くある。OC財団のウェブサイト(www.ocfoundation.org)は、多くの有益な情報を提供している。すぐに、このウェブサイトにある多くのすばらしくて役立つセクションを見てみることは、大変価値がある。オンライン・ブックストアでは、OCDについて入手可能な本、記事、テープのリストがある。これらの資源には、OCD患者の家族や友人向けのものもある。ブックストアでのセクションが「Books:Family」、「Books:Family-Parenting」であるか必ずチェックしてほしい。インターネットへのアクセスができない場合、OC財団のスタッフに電話すれば、支援が得られる。OC財団の電話番号は、(203)315-2190。他の資源は、同様の状況にいた経験のある人々だ。インターネットでは、OCDに関連したチャットルームや掲示板が、いくつかある。とはいえ、大半のOCD患者に代わり、家族や友人もまた、そこで情報や支援を探す。また、自分の地域に合ったOCDサポートグループがあるかチェックできる。それらの多くは、OCD患者ではない人の出席も認めてくれるし、家族や友人のための特別なグループがあるところさえある。さらに、OC財団の年次総会には家族向けの特別なプログラムがたくさんある。
専門家による支援は、もう一つの選択肢である。インターネットにサービスで、消費者が、OCDについて質問をし、専門家が答えてくれるものがある。この種類のサービスで最も内容が多彩なものは、OC財団の「Ask the Experts」機能で、財団のウェブサイトを通じてアクセスできる。OCF Scientific Advisory Boardのメンバーが、ウェブサイトに掲示された質問に答える。 「Ask the Experts」はOCD患者だけではなく、家族や友人もまた同様に利用できる。
これまで述べてきたような有効な資源があっても、RAの友人か家族がうまく対処できるようになるには、専門家による診療を進めて行く必要がある場合が多い。治療者は、私達が輪郭を示したステップを実行するときに生じる、実生活での厄介な問題を予想し、対処していく支援ができる。必要な専門家を見つけなくてはならないことは、疑問の余地はないかもしれない。にもかかわらず、OCDの経験があるクリニックの数は限られるし、家族と対処するところはまったくない。地域のOCD治療者に問い合わせることから始め、このタイプのサービスを行っているかを尋ねることを提案する。地域に適当な治療者が見つからなければ、最新技術によって他の選択肢もある。主要な治療機関では、RAの家族や友人への電話または電子メールによる継続した相談を行うところがある。15年以上にわたり、当クリニックでは、国内のさまざまな地域から、長距離での相談を通して家族を支援してきた。
RAに対処するという難題に挑んでいる家族や友人への希望があるというのは、よいニュースだ。それは、OCDを軽視やお節介をする、あるいは回復回避しなくなるのを、なすすべもなく待つ以外にも、選択肢があるということだ。自力で何かをし、本当に自分で管理できるものに努力を集中することから始まる。何をしようと、OCD患者が、支援を求める決心をするという保証はない。 しかし、回復回避は、RAの周囲の人が、自分の生活の質を積極的に向上するよう求めている場合には、存続しにくくなるようである。
訳:有園正俊(Arizono Masatoshi)
2003.6.15