原井宏明の情報公開
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20代 女性 抗うつ薬維持療法中の方

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今から8年前、大学1年の時に私はうつ病になりました。

高校の時は明るい性格でしたが、クラスのムードメーカーというわけでもなく、普通の女の子でした。ただ、今よりももっと真面目で、考え方も固かったと思います。
学校が進学校という事もあって、勉強は比較的きちんとやっていて、周りからはクラスの中でも頭のいい子と思われている・・というより思われたいというところがありました。

高校3年生になり、私は農学や栄養などの勉強がしたいと思い地元の国公立大学を目標に毎日受験に向けて頑張っていました。
いよいよセンター試験の日になり、2日間の日程をこなし自己採点をしました。
あの時のショックは本当に忘れられません。
今までのどの試験よりも悪い結果で、周りでは自分よりもたいして勉強してなかったじゃない!と思うような子達が高得点を出している・・・その事を受け入れられずに、黙って教室を抜け出してトイレで泣いたのを覚えています。

今となっては、要領もわるかったし集中力もなかったし、何より時間だけ使って勉強している気になっていただけだったなぁ・・と思います。

2月末、結局すべり止めとしか考えていなかった地元の私立大学への入学が決まりました。
その頃にはバイトは何しようかな〜とか、遊べる!という開放感から、だいぶこれからの大学生活を楽しみにするだけの余裕もできてきました。

何となく自分の気持ちの変化を感じてきたのは4月の入学式を終えて、実際に大学での講義が始まってからだったと思います。
毎日6時半起きで高校の時と変わらない、意外と自由な時間のない生活。
通学に約2時間。休んではいけない実験、講義がたくさんある。
高校時代の感覚が抜けていないので、宿題と言われたら真面目にやってこようとするし、私はこの大学に来たくて来たんじゃない、もっといい大学に行けたはずなんだから周りの人よりも内容も理解してなくちゃ・・と思い始めました。

その思いがとうとう自分がここにいる意味まで問い詰めるようになりました。
なんでこんなに時間をかけて興味のない授業を受けに行ってるんだろう。物理、数学、地学・・こんなこと勉強するために高校で頑張ってきたんじゃない!!と今の自分を否定するようになりました。

本当は大学なんか行きたくないと思っていましたが、2年間は教養科目が多いし、楽しくないのはみんな一緒。無理してでも行かないと単位が取れない、とやっぱり私は型にはまったような考え方しかできずに、母に送り迎えをしてもらいながら通いました。

ゴールデンウィークが明け、相変わらず送り迎えをしてもらいながら大学に通ってはいましたが、以前よりひどくなってきているのは分かっていました。

自分で自分が嫌だったし、この苦しい気持ちをわかってくれない家族に八つ当たりをしていました。
5月の終わりの週初め、いつものように「帰りに迎えにくるね」といった母にその日はなぜか意地を張って「迎えにこんでいい!!」と言って車を降りてしまいました。
授業にいかなきゃという思いに押しつぶされそうになりながら歩いて教室に向かいました。
でも教室に入る以前に、近づくことすらできませんでした。

なんとかたどり着いたのは大学のカウンセラーの先生のところでしたが、あいにく前に少し話した先生は不在でした。少しゆっくりしていきなさい、と言われ2時間くらい経ちました。
次の授業に行こうかとも思ったけれど、やっぱり自分の中の憂鬱な気持ちは消えずに、そのままぼーっと近くの図書館に行きました。母からかかってきている電話もずっと無視していました。
結局5時間の授業のうち1時間しか出なかったその日、夕方になっても母は迎えにきませんでした。自分で来なくていいと言ったのに、なぜ迎えにきてないのかととても腹が立ちました。
自分でバス・JRを使って帰る事になったのですが、そのバスがとても怖く、ずっと自分の右手の甲を左手で握りしめていたので、次の日右手の甲がツメの形に真っ赤に腫れていました。

その事があってから、母と一緒に大学のカウンセラーの先生のところに行き、自分の考えをまとめることになりました。私は完璧に自分を見失っていて、このまま何も考えずにぼーっとしていたかったのですが、3つの選択肢に絞られました。
休学するか、大学を辞めて浪人するか、このまま通学するか。

何人か友人に相談した結果、大学は1年間休学して浪人するということにしました。
自分のやりたい事に向けて再度チャレンジをしてみる。苦しいかもしれないけれど、今よりはマシなはずと思い、「6月から休学」という選択肢を選びました。
しかし休学期間に入り、自分がどうにかなってしまったんじゃないかとよく思うようになりました。
どういう気分かと聞かれても答えられない、泣くしかできない。すごく心と頭の中がいっぱいいっぱいになって溢れそう・・・。
自分が前に進むために決めたことなのに、笑えないし元気もでない。私の中が別の人にすり替わってしまったような感覚に陥りました。
私がいるという事がみんなに迷惑をかけて気分を悪くさせるぐらいだったら、どこか遠くに行ってしまいたいと現実逃避をして気分を落ち着かせようとしていました。

予備校に行き始めて、先生からは学力は維持できればいいと言われていたけれど、私はこんな自分がおかしな状態のまま勉強をしていくのか?という不安でいっぱいでした。
いつまでもぐずぐずしていたらみんなに愛想をつかされてしまう、でも本当はもう息をしているだけでご飯も食べず、夜も眠れず、抜けがらみたいになってしまいました。

そんな状態の私を見兼ねたのか、一度父に「そんなに同情してほしいのか、こっちまで気分が悪くなる」と怒鳴られた事があります。
ものすごく過敏になっていて、普段なら笑って答えられることや言い返したりできるようなことでもすごく落ち込むし、嫌な事があったら異常なほどにイライラし、きっとそれが伝わったのだと思います。でも私には自分の思いと周りの受けとり方の違いの大きさを辛いと思いながらも、自分自身がその気持ちを言葉にできずにもがいていました。
その時は周りも私も本当に限界だったと思います。

父の友人に現在の主治医を紹介していただいたのはその頃でした。
カウンセリングを続けて行く中で、初めは全く自分の気持ちを話す事ができませんでした。きっと話したって分かってもらえないと思っていたからです。
先生が私にイエス・ノーで答えられるように質問をして下さってから、少しずつ自分の言葉で説明をする事ができるようになりました。たまに泣き出してしまう事もありましたが、最後まできちんと耳を傾けてくださいました。
そうしてようやく自分の心が風邪をひいた状態だという事と、考えすぎていたという事を受け入れる事ができ、少しずつ普段通りに朝起きて、ご飯をきちんと食べるという生活に戻していくようにしました。
正直、必死でそれ以外考えられない状態だったので、どうやって自分を立て直していったのかあまり覚えていません。
ただ、家族や先生のフォローがなくてはできなかった事だと思っています。
もともと心配しすぎるところもあるので、8年間のあいだに何度か再発した事もありますがどれも短期間で治まっています。
あの時よりはマシだ、考えても仕方ないなと気持ちをコントロールできるようになったのも大きいと思います。

今、まだ薬は飲んでいます。飲み忘れるとまた再発するかも・・と不安な気持にもなるし、新しい環境や一人で知らないところに行くことは苦手です。
でも、いい意味で真面目さを捨てられたというか、色んな生き方があるなと型を破れたことはこの病気に学んだ事だと思います。この経験があって私は本当に成長したと思います。

最近私の周りでもうまく環境になじめずに苦しんでいる人が増えてきています。
逆に、ドキュメント番組をみてよく他人事のように話している人達もいます。
うつ病の苦しさはなってみないと理解しがたいところがあると思います。
でも一人でも多くの人に理解してもらいたいです。何がきっかけになるかわからないし、誰にでも起こりえる事なので・・・。

私がそうだったように、経験したことのある人の声は、今苦しんでいる人の支えになると思います。私も自分の経験を忘れずにいたいです。

最後になりましたが、8年間私と私の病気と向き合って下さった主治医と、病院の皆様に心からお礼を申し上げます。
自分が病気だったと忘れてしまうくらい、かなり元気になりました。

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