SQIP(Stress related disorder treatment Quality Improvement Program,プライマリメンタルヘルスケアにおけるストレス関連障害のケアの質の改善)
これは,厚生労働科学研究費補助金(こころの健康科学研究事業)パニック障害の治療法の最適化と治療ガイドラインの策定などの関連する研究の報告をまとめたものです。
パニック障害などのストレス関連障害は有病率が高く,“Common mental disorder”(一般によく見られる精神障害)と呼ぶことができる。一般には外来治療が可能な軽症精神障害である。苦痛を伴う情動があり,その情動の解消を求めて回避行動などの努力をし,そして医療に援助をもとめて自ら受診する患者の一群と呼ぶことができる。情動の多くは,痛みや恐怖,不安,悲しみ,惨めさ,後悔,嫌悪感であり,心配を伴うことが多い。有病率が多いこと,慢性に経過すること,身体疾患を含む他の疾患との合併が多く,合併することによって他の疾患の転帰を悪化させ,受診頻度の増加とそれに伴う医療資源の多用につながることが知られている。これらの疾患に対する効果的かつ効率的な治療法を開発し,普及させることが求められている。
この研究では,#1ストレス関連障害に関する治療実態の調査,#2 ストレス関連障害に対する効果的かつ効率的な治療法の開発,を行う。#1については,研究に参加する医療機関を対象に診療記録を調査する。#2については,ストレス関連障害についての知識と医学知識を併せ持ち,認知行動療法を行うことのできる治療者,治療指導者を育成し,プライマリケア,プライマリメンタルヘルスケアの現場に配置する。これらの疾患の患者の治療アウトカムの改善と受診頻度の減少を得ることができるかどかを検証することが,この研究の目的である。
パニック障害のようなストレス関連障害は有病率の高いこと,日常生活に与える影響の大きいこと,また慢性化することが多いことから,生産性に対する影響・医療費に与える影響は大きい。またパニック障害のような身体症状が前面に現れる精神疾患をもつ患者は身体疾患を心配するためにあちこちの医療機関を受診し,結果的に無駄な医療費が使われることになることが知られている(Roy-Byrne, Russo, Cowley, & Katon, 2003)。日本では国民医療費が高騰してきている(厚生労働省, 2005)。40代以下の年代層については,外来精神医療を受診する患者が増えている。過去20年間の精神および行動症の障害に関する通院医療費の増加は顕著である(伊藤弘人 2002)。
この一方でこれらの疾患に対する医療機関毎,医師毎の治療内容のばらつきは著しい。その一例にスルピリドの処方を挙げることができる。菊池病院の2003年の新患統計(大人,うつ,神経症のみ)において,使われた処方を調査した。19人の医師のうち,Sulpirideを出したのは6人であった。そのうち3人の医師は患者のうち半数に処方していた。熊本市内Aクリニックにおいてストレス関連障害と判断される外来患者に対する処方を調べた。全体の7割の処方がスリピリドの50mg程度を含んでいた。文献調査を行なっても,「私の処方 Sulpirideの不思議」(山田 2005)のようにスルピリドを速効性のある万能薬として賞賛するものがある一方,エビデンスがない,他の抗うつ薬よりも効果が落ちるとして使用を戒めるものもあった(金野 2002)。
これらのデータをまとめると,パニック障害のようなストレス関連障害をもつ多数の患者に対する安くて適切な治療が必要とされることになる。言い換えれば,これからの課題は,高度かつ高価な医療技術を開発することではなく,医療技術をどう配分し,その費用をどう負担するかを検討することである。これから必要な医療技術は治療効果が優れているだけでなく,医療費全体や社会が負担するコストを軽減することができるものである必要がある。
米国ではプライマリケアの段階で適切な行動保健サービスを専門にトレーニングをうけた心理士等が提供することによって全体にかかる医療費を削減することができることが証明されている(O'Donohue, Ferguson, & Cummings, 2002)。この現象をコストオフセットと呼び,どのような場合にこのような費用対効果の優れた医療が提供できるかについて検討が行われている。この結論は,次のようにまとめることができる。1)精神疾患は精神科専門医に,というような水平分業式の治療提供構造をとると,全体の医療費が増える。2)一部の患者が多くの医療費を使う, 3)身体疾患に精神疾患が合併すると医療費を多く使う,4)一カ所の医療機関において,医師と行動医学のトレーニングをうけた行動療法士がチームをつくって治療を行なうこと(垂直分業)によって医療費の削減と治療アウトカムの改善,患者満足度の向上,また医師の診療効率の向上をはかることができる。この最後のような垂直分業の方法を,“統合的な行動医学”(Integrated Behavioral Healthcare)と呼び,米国において実績を上げている (O’Donohue 2001)。
この研究は“統合的な行動医学”のモデルに従った治療を行なうことによって,日本においても有病率や受診率が高いストレス関連障害に対して治療アウトカムの面でもコストの面でも適切な医療を提供できるかどうかを評価することを目的とする。
実際の行動医学の訓練に必要な資料の提供を受け,その一部を日本語に翻訳した。ストレス関連障害を診療している精神科・心療内科外来クリニックを対象に患者の調査を行い,さらに,医師への介入と訓練された治療者の派遣を行う。従来行われてきた通常の治療を新規抗うつ薬や認知行動療法に置き換えることによって,どの程度の利益が得られるかを調べる。評価は次の点について行われる。1)症状の改善が得られる程度,2)長期的な生活の質の改善,2)医療費全体と患者の負担,についての三項目である。