気がかりが頭から離れない〜人生の目標を見つめ他人との関わり方を学ぶ

  1. パニック障害・全般性不安障害
  2. 全般性不安障害やパニック障害の患者さんの感想文
  3. 女性 全般性不安障害1 ”気がかりが頭から離れない 〜人生の目標を見つめ他人との関わり方を学ぶ”

私は全般性不安障害です。気がかりが頭から離れず、悪いことが起こると確信し、気持ちの切り替えが出来ません。特に、職場や子供の学校、居住地域などの対人関係や自分の居場所に不安を強く感じ、自分や家族について心配が絶えなかったりします。自分の能力に自信がなく、悪いことが起こりそうな状況には近寄ることさえ出来ず、苦手な物事をとことん回避して不安のトリガーに触れない様にしています。気になることは次々と移り変わり、気持ちが休まる余裕はなく、いつも何かに追い詰められており、疲れやすい、何かをする意欲がない、いくら眠っても熟睡感がない、いらいらして落ち着かない、このような症状があります。

…私は社会から抹消されるに違いない…

 子供の頃から疲れやすく、睡眠過多で、生活に支障がありました。特に、人付き合いはもっとも苦痛で、長時間他人と一緒に過ごすとくたくたになり、友達に会うのさえ徐々に避けていました。いつも「どうして私は生まれてきたのだろう。私が駄目な人間だから、人に相手にされないのだ。」と思い、死ぬことがとても身近に感じられました。また、いつの頃からか、自分が取り返しのつかない事をして、社会から抹消される恐怖がありました。責任の重い立場や役割はなるべく避けて、加害者にならないように暮らしてきました。

 今の職場に就職し仕事の勉強を始めてから、「人付き合いが苦痛で上手くいかないのは、精神病にかかっているからに違いない」と思うようになりました。本に書かれている統合失調症の症状の幾つかが自分に当てはまり、「私は統合失調症に違いない。若い頃に発病していて、陰性症状が残っている。」と確信しました。統合失調症では、今の仕事は続けられません。やがて、今よりもっと私は壊れていき、仕事も家庭も失い、社会から隔離されて、失意のうちに孤独の中で死ななければならない…、近い将来、現実に私の身に起こることに間違いないと信じていました。不安、焦燥、易疲労、睡眠過多、抑うつ状態などがひどくなっていきました。

 症状に耐えかねて、私は精神科クリニックに不定期に通院しました。医師の前では調子が良くなる事が多いので、予めノートに日頃の精神状態を書いて持参し、心配事や最近の様子などを話しました。診察時にはカルテの病名を盗み見し、医師には「統合失調症に違いない」と何度も尋ねましたが、カルテにはうつ状態・不安神経症としか書いてありませんし、医師もそう答えます。でも、いくら確認しても私には信じられず、「やっぱり統合失調症に違いない」と不安になり、同じ質問を何度も繰り返し、先生が誤診しているとしか考えませんでした。精神薬内服は取り返しがつかない恥ずかしいことと思っていたので、短期間服薬してはすぐに止めました。希死念慮は続き、日常生活はどんどん悪化して家事が殆ど出来なくなっていました。うつ病の認知療法の本を薦められ読んでみましたが、自分では「違うものの見方」が全く出来ず、変わりませんでした。

 仕事での責任が増すにつれ、どんどん自分に自信がなくなり、本気で退職を考えるようになりました。気がかりが頭から離れず追い詰められて、家では何も出来なくなり、寝て過ごすばかり、心身の疲れは取れず、生きる気力はとうに失われていました。かかりつけのクリニックで「認知療法を学びたい」と相談したところ、菊池病院を紹介されました。初診予約の電話で「全般性不安障害」の可能性があると告げられ、この病気についてインターネットや文献で調べてから、通院を始めました。

…私の心配は現実に起きると確信しているのに、
  どうして誰もわかってくれないの!?…

 診察では、まず、うつ病と全般性不安障害の違いを教えられました。過去を後悔するのがうつ病で、未来を心配するのがGADであることを、初めて知りました。また、「GADが良くなるとは…先のことは分からないから、考えても仕方がない。今できることから順番に片付けよう。何があっても明日にはなる。明日は明日の風が吹く」と説明がありました。ですが、初診日は自分の状態を伝えるのが精一杯で気持ちに余裕はなく、どんな説明があったのかを実は全く憶えていません。後日の診察でも繰り返し説明を受け、最近ようやく分かるようになりました。

 治験に同意したので、数ヶ月間の診察は治験のデータ収集が中心でしたが、心配や不安のリストを挙げ整理することは、治験中から行いました。私の疑問や心配事に、先生が簡単に答えをくれることはなく、「私の質問を『不安症状』と捉えているようだ」と不満でしたが、それも治療のひとつだったようです。治験薬の効果はわかりませんでしたが、治験中はCRC担当者に心配事のメールを送って相談にのってもらい、支えられました。

 治験終了後、本格的に認知行動療法が始まりました。「自記式日記をつけモニタリング」、「トリガーと心配事を記録」、「最悪の事態をとことん想像する」、「恐怖の状況を書いた用紙を読む」、「自分がどうなりたいか具体的にリストアップ」、「人生の価値観リスト」、「理想と現実の表」などを通して、「心配・症状を受け入れる」、「心配し続けることを恐れないこと」を目標にしました。

 恐怖の状況は想像するだけで私には堪えがたく、すぐに悲しくなり何度も診察中に涙がこみ上げてきました。先生から、「そうなると、どうなりますか?」、「それから?」とどんどん尋ねられ、それ以上思いつかないと答えても、もっともっと最悪な事態を考えさせられるのは、物凄く辛いことでした。恐怖の状況は私にとってただの心配ではなく、本当に起きる現実と確信しているのに、「この怖さ・絶望感がどうしてわからないの?誰だって心配になるでしょう?」と先生に心の中で腹を立て、伝えきれない自分の表現力の拙さに歯がゆさも感じていました。

…先の見えないトンネルの向こうには…

 治験終了後、精神薬内服を開始したところ、予想以上に薬が効きすぎて過沈静状態となり、約1ヶ月仕事を休み自宅療養せざるをえない状況になりました。この状態で現場に戻っても使い物にならないとわかっていましたが、今度は「解雇されるのではないか」、「元の職業にはもう戻れないのではないか」、「本当に私は社会から抹消される第一歩を歩き始めたのだ」と一日中考え、不安でたまらず、自分の存在意義・私が持つ私らしさのイメージとは何かを考える、苦しい時期となりました。

 病気療養中に居場所のなかった私は、デイケアに通う許可をもらいました。少しでも回復を早めて職場復帰出来る様、必死の思いでした。朝起きるのさえやっとの状態でも、デイケアのプログラムに参加し、気に入った作業療法に取り組むことで、無駄な時間を過ごしている罪悪感が少しは軽くなったかもしれません。デイケアスタッフとの会話は、自分を支える助けになりました。また、患者会(菊池病院の「OCDの会」)に参加して患者仲間と過ごすことが、すっかり落ち込んでいる私にとって安らぎの場となりました。職場をはじめ他の場所では見せられない「病気である私」をここでは安心して語り、表現出来るのが救いとなりました。

 内服薬を減量して1ヶ月後、今までの責任をすべてなくした立場で職場復帰しました。さまざまな身体・精神症状に苦しみながら、最初の4ヶ月は休み休みの勤務しかできず、解雇不安が常に頭から離れませんでした。症状の波に一喜一憂しながらも、少しずつ欠勤が減り、気力が戻って来るにつれ、解雇不安が薄れてきました。安定して元の調子で働けるようになるまでには1年はかかりましたが、今では職場で「元気になった」と言われます。精神病に対する恐怖は、忘れていたり気になったりの繰り返しですが、菊池病院通院を隠していた頃より、ひどくはありません。精神科通院・服薬中であることを、職場の上司・同僚は知りつつ見守っていてくれるのは、ありがたいことと思います。また、不安になって上司に確認する行為も減ってきております。しかし、家ではまだ家事・育児ともに出来ず、疲れ切ってすぐに寝込んでおり、生活に支障があります。プライベートで人に会うのも殆どなく、外出も滅多にしません。

…達成する過程の積み重ね…

 現在の私は、1年前に較べて回復しつつあると思います。自分には受け入れがたい数々の状況の中で、打ちのめされたり諦めたりしながら、完璧でない自分を以前より受け入れるようになりました。出来ないこと・苦手なことを言葉に表現して相手に伝えることが出来るようになったのも、大きな変化だと思います。さらに、「変な私」を隔離せずに、私の個性に合わせて受け入れてくれる人や社会が存在すると気づいたのは、ひとつの発見でした。世の中の人が、私のように常に悪事を確信したり怖がったりしていないこと、まだ起きていない恐怖を予め回避したりしないこと、心配しても仕方がない事にはこだわらないこと…、知らなかった事が幾つもありました。

GADは人生の目標・他人との関わり方につながった病気だそうです。「いつももっと良い自分になりたいと考えている。」、「自分だけに(自分らしく)できることを行い、人に誉められる。」、「目標とは、達成する過程を続けること。」、「神にはなれません。人間ですから。でも近づく努力は出来ます。」これらは診察時に先生からいただいた、私を支える言葉の一部です。

圧倒される事態や気がかりに、寝込むことは続いています。でも時々、「考えるのではなく、まずやってみる」、「簡単にできるひとつだけをやってみる」を実行できたり、たまに意欲が戻ってきて、「苦手なことのひとつに、チャレンジしてみようかな」と思えることもあります。

 公私ともに元気でいられる状態が私の目標のひとつです。これからも、調子の波に乗ったり沈んだりしながらも、達成する過程を続けて行きたいと思います。

Revised: 2007/03/20

Page Top ▲