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症例1 性病に関する強迫性障害の男性患者に対するexposure

  1. 強迫性障害の治療
  2. 専門家の皆様へ
  3. 症例1 性病に関する強迫性障害の男性患者に対するexposure
症例 男性 196*年生まれ 初診時26歳
診断 強迫性障害 境界知能(IQ71)
主訴

白いものが自分についたかどうか、持ち物が動いたかどうかを気にして、確認する

母親に保証を求め、満足できないときは母親に暴力を振るう

生活歴

中学生の時、同級生やクラブの上級生からいじめられた。不登校になることはなかった。
中学では成績は中位だった。高校ではいじめられることはなかった。
几帳面ではなく、清潔さにこだわることはなかった。
高卒後、印刷会社に就職した。20歳、入院後に退職した。
21歳、親戚の経営するコンビニエンスストアで働いた。
同じ頃、印刷会社での同僚と結婚した。

家族歴 父 54歳 会社員
母 50歳 パート 30歳橋本病に罹患し、この後気分変動がある 心配性
妹 22歳 有職
妻 34歳 有職
長男・次男 4歳 双子
父母、妻、妹、子ども二人、本人が同居している。家族に精神科受診者はいない。

現病歴

X-6/10 (20歳)

咳をしたとき、痰の中に血が混じっているのに気がついた。内科を受診し、異常なしと言われた。しかし、肺ガンに罹っていると考え、抑うつ気分が見られるようになった。K病院精神科を受診し、うつ病と診断され1ヶ月半入院した。退院後、U病院心療内科に外来通院した。

X-2/2

雑誌でAIDS関連の記事を読んだ後から、口の中のぶつぶつはAIDSのためではないかと考えるようになった。赤いものを見るとそれが血液でそこからAIDSがうつると考えるようになった。保健所で検査を受け、結果は陰性だったが不安が続いた。排便時に、便器の汚れにAIDSウイルスがおり、それがトイレットペーパーに付き、それから自分の肛門について感染するのではないかと考えるようになった。職場のトイレを避けるようになった。次第に回避対象が広がり、出勤が困難になり、3月に退職した。

X-2/4

4カ所の心療内科・精神科受診するが、症状は変わらなかった。

X-2/8

自分の足も汚れていると考えて触ることができなくなった。

X-2/9

S医科大学精神科を受診し、強迫性障害と診断されて入院となった。退院後、自宅以外のトイレが使用できるようになった。

X-1/4

会社に就職した。赤錆など壁や器物についた赤いものを見ると血と考え、AIDS関連の懸念が生じ、同僚や主治医、母親に電話し、AIDSに感染していないことを保証するよう要求した。

X-1/6

主治医から説明を受けた後、血からの感染は輸血以外はないと考えるようになり、赤いものは以前より気にならなくなった。

X-1/10

壁や器物についた白いシミなどを見るとそれは精液であり自分の肛門についてAIDSに感染すると考えるようになった。

X/4

家にいても外から誰かが侵入してきて「ケツになにか入れられる、肛門性交された」と考えるようになった。自宅の戸締まりを厳重にするようになった。日中家族が外出後、一人で居間に横になっている。物音がすると不安になり、「誰かが入ってきた、ケツに何かつけられた、濡れた感じがした」といい、家族、S医科大学精神科に日10数回、AIDSに感染するようなことがないことの保証を求める電話をした。父・妻は仕事中の電話は相手にしないため、パートで働く母に電話するようになった。母親に保証を求める場合は、本人の一日の行動や自宅の器物がどうしてそこにあるのかを時間を追って具体的に説明するよう要求していた。自宅で母親に保証を要求したとき、母親がわからないと答えたり、めんどくさがったりすると、母親にたたきかかることがあった。S医科大学に対しても応対したスタッフが本人の期待通りに保証しない場合は、「混乱した、木刀もって殺しに行きますよ」と脅すことがあった。電話回数が頻回のため、S医科大学の業務に支障がでるようになった。

X/9/8

S医科大学から当院を紹介され、受診した。13日入院した。S医科大学での投薬内容は、ゾテピン150mg、トラダゾン225mg、ブロマゼパム18mg、などであった。

入院時現症

小柄、頭髪はパーマで短髪、散大した大きな目を見開いて相手を凝視していた。目の動きが乏しく、異様な感じを受けた。面接中も「机のマットがべたべたした、大丈夫か」と保証を求めた。強迫性障害と行動療法、薬物による治療を説明したところ、家族、本人とも入院を希望した。

入院経過

 当院神経症病棟6人室に入院した。衣類や、自床と周囲の壁、器物、自分が使用するトイレ周囲の白く見えるもの(シミなど)、毛のようなもの、器物に手で触れた際のべたつき感を気にし、疑わしいものを目で探していた。手で触れることはさけていた。
 「他人が精子を自分の知らないうちにつけたのではないか、自分が外から精子を知らないうちに持ってきたのではないか」(本人は精子と精液の区別を知らなかった。以下の本人の発言で精子は精液のことである)、「陰毛が落ちている」「ケツにつっこまれた、肛門性交された」と言い、つけられていないこと、白いものは精液でないことをスタッフに保証してもらいにきた。
 保証要求は一時間に数回程度あった。「ここにかけているタオルの位置がずれている、誰かが進入してきて精子をつけたのではないか」、「寝ている間に鏡の位置がずれていた、誰かいじったのではないか」、「コップにさわったら手がニュルニュルした、これは精子ではないか」と本人はスタッフに尋ねた。スタッフは「それは精液ではない、誰も来ていない」と繰り返し保証する必要があった。つけられることについての体系だった考えはないが、この考えについての不合理感ははっきりしなかった。ベッド脇で気になるものを聞いているうちに涙をこぼした。病歴をとるための面接の半分以上の時間は精液がついていないことの保証に費やされた。
 自分の足もとの汚れが肛門につくのではないかと考え、服の更衣がしにくいと述べた。自分の足底には触れることが出来なかった。喫煙室では、べたつき(たばこのヤニ)が気になり、ライターや壁にさわることが出来なかった。
 他人と体が接触することや、他人がよく触れるところ(ドアノブなど)、人が集まるところをさけることは無かった。気になるものをふき取る、消毒する、つかないようにカバーする、などの行動はなかった。
 白いものやシミなど気になるものがあるとそれがいつどのようについたか思い返そうとしていた。同じ白いものでも、本人の目の前でついたものや、それがつくところを本人自身で正確に思い浮かべられるものは気にならなかった。
 食欲がないといい、全く食事しないときがあった。食べるときは残さないので食欲自体は正常だと思われた。髭そり、洗面、爪切りを行わず、不潔になっていた。
 出所の不明な白いシミなどを見たときや、手や体にべたべたした皮膚感覚があったときに、精液がつく・誰かがつけるという考えが強迫観念であると考えられた。どうしてついたか思い返すことと、正確に思い出すことが出来なかったときに周囲に代わりに思い出すよう求めたり、精液がついていないことの保証を求めたりすることが強迫行為だと考えられた。
 気になること(強迫観念や不安を起こす刺激)のリストの作成を行ったが、刺激の強さを本人が述べることができなかったため、不安階層表はうまく作れなかった。面接中にその場で目に入るものが気になり、過去に気になったことがあるものについて聞いても本人はよく分からない様子だった。面接の時間の半分以上は、その場で気になることについて治療者に本人が保証を求めることに費やされた。気になることは周囲の壁など日常生活では避けるのが困難なことであり、また、2、3日前から直前の出来事を思い出したときにその出来事を正確に思い出すことができないと、不安になっていた。このため、不安にならないような環境を用意することは困難だった。
 気になる強度について大ざっぱに一日ごとに点数でつけるよう教示して、セルフモニタリング(日記)を始めたが、中断しがちで、本人のつけた点数はスタッフの観察と関連しなかった。セルフモニタリングは10月から中止した。日記の内容や文章は年齢に比して稚拙だった。10/18のWAIS-Rにて71(VIQ79 PIQ66)だった。

9/20

保証なしにすることが治療に必要であることを説明した。自分のしたことを繰り返し思い出そうとしたり、人に保証を求めてばかりいるのをなくしたいと本人は述べた。

9/22

はっきりとした誘因なく、不穏になり「誰かが窓から進入してきてケツから入れられて精液が流れ出してきている、もう死ぬよ」と廊下で叫んだ。2、3時間後落ち着いた。

9/23

家族と面接し、改めて病歴を詳細にとった。会社からの帰宅時に22日と同様の不穏がおこることがあったこと、保証が満足に得られないときに演技的な自殺企図をすることがあったこと、母親も含めて周りが保証をしないときがあったが、その場はたたくなどの暴力はあるもののその後はパニックになることはなかったことがわかった。白いシミなどの強迫観念を起こす刺激を提示しながら、保証を求める行動を反応妨害(暴露・反応妨害法)すれば強迫観念・行為が減少するだろうと考えられた。反応妨害は24時間にわたって行うようにした。ベッドの周辺など本人が日常的に接している刺激の中に強迫観念を起こす刺激があるため、暴露・反応妨害の最初のセッションでは特別な刺激は提示しないようにした。3回以降のセッションでは、1、2回までのセッションでの本人の反応を見て刺激を提示するようにした。暴露・反応妨害法と具体的な進め方について本人・家族に説明した。本人には「朝起きてから翌日起きるまでの丸1日の間は本人が保証を求めてきてもスタッフは『わからない』とのみ答えるようにする、翌日起きてからはいつもの通りの対応をする」と説明した。本人が治療について納得ができるようにした。暴露・反応妨害中は治療者が付き添うようにした。本人が保証を求めてきたときの対応を病棟のスタッフが計画通り行えるようにした。治療計画・保証の仕方を書いたポスターを張る(Public posting)などをした。

9/27

暴露・反応妨害の1回目セッションを事前の説明通り行った。日常の刺激以外には特別に刺激を提示することはせず、本人の病床周囲の壁などについたシミや汚れを治療者が指し示すなどをした。それらのシミが気になる程度を本人に尋ねたりした。治療者はセッション開始時から本人のそばについているようにした。本人が保証を求めてきそうになったときはベッド際に張ってある約束事(今日一日保証なし)を書いたポスターを治療者が指さすようにした。本人は臥床がちで、保証を求めてくることはほとんどなくあきらめている様子だった。保証をしなくてすむので病歴や家族、本人の考えについて詳しく聞くことができた。「仕事はばりばりやっていた、子供の頃いじめられることはなかった」と本人は述べた。SUDは50〜100 (0不安無し〜100最悪)だった。目の前の刺激だけでなく、何か思い出したときに高くなっていた。

9/28

朝からスタッフに以前の様に保証を求めに来た。スタッフも以前の様に応対した。面接では昨日のことは今は気になっていないという。26日以前より保証を求める回数はあまり変わらないが、保証を求めにくる際の表情が穏やかになり、言葉の内容は本人自身も強迫観念について不合理感を持っていることを示す内容になった。

9/29

暴露・反応妨害の2回目を行った。1回目と同様にした。SUDは10〜50で1回目より低くなった。次回から意図的な刺激を加えることを本人に説明した。

10/3

3回目を行った。治療者が同伴して病棟内のイス、ゴミ箱などに触れた。1回目と同様に暴露・反応妨害の日は本人が求めてもスタッフは保証をしないようにした。以後のセッションも同様である。本人は手を周りに触れないように胸の前に上げていた。特に気になることがなくてもこれが癖になっていると述べた。治療者が同伴して意図して本人の目の前で触れたものは、後からでも気になることがないことがわかった。予想していないもの、出所がわからないものについて気になるようであった。SUDは30〜70であった。ゴミ箱の中のティッシュが最も気になった。

10/4

洗濯など身辺の整理を自発的に行うようになった。

10/5

4回目を行った。10時頃に治療者が同伴してトイレの壁のシミや便器のシミに触れた。治療者が先に触れてモデルを示すようにした。SUDは20〜80であった。トイレットロールペーパーホルダーを触れたときに「べたっとした感じがした」と述べ、これが最も気になった。午後に感想を問うと、SUDは20に下がっており「あれくらいせんとようならんと思った。あの後トイレが使いやすくなった」と述べた。本人自身が暴露・反応妨害の意味を言葉に出来るようになった。視線が自然に動くようになった。トイレのドアノブなどを意図的にさわり、その後人に保証を求めることをこらえれば、後で楽になってくると説明し、自分自身でも気になりそうなものを触ること(セルフエクスポージャー)を勧めた。

10/7

5回目を行った。病棟処置室にある採血用シリンジを利用して血痕に触れた。手洗いは通常のようにさせた。

10/11

6回目を行った。トイレ、血痕に触れるようにした。

10/13

7回目を行った。足もとに触れるようにした。

10/14

本人がスタッフに保証を求める際の切迫感が無くなった。スタッフの決まり切った言葉の一言、「大丈夫よ」など、で納得するようになった。保証を求める頻度は減ったものの一日数回以上あるため、保証を求める行動を一人だけで行えるようにした。本人の知的能力からみて短く理解しやすい断定的な保証が良いと考えられた。一つ一つの事物について精液ではないと保証するのではなく、精液がついてもAIDSにならないと保証することにした。メモに「コップやドアノブからはAIDSはうつらない。精液や血液が手や肛門についても大丈夫・うつらない、AIDSの感染力はとても弱い」などと書き、「ついても大丈夫カード」と名付けた。これを強迫観念がわいたとき読むことを勧めた。たばこの包装に入れ、いつでも見れるようにした。

10/15〜16

本人・家族の希望があり、家族面接後に1回目外泊をした。外泊中にも暴露・反応妨害を行うようにした(第8回目)。外泊中は家族は保証しないことを約束した。帰院後、保証無しを守ることができたという。家族も昔のように本人が明るくなったと喜んだ。面接時に自然に手を膝の上に置くようになった。

10/17

外泊中のことを考えてきついと述べた。病院を出てから帰るまでの自分の行動を時間に沿って詳細に話した。自宅で風呂に入ったとき金具に触ったらニョロッとした感じがあり、手がべたべたした。このことを病院に帰ってから思い出して、家で自分が何をしたかを繰り返し思い返していたと述べた。

10/18〜24

暴露・反応妨害9〜11回を行った。壁のシミなどを気にすることはないが、緊張が強かった。べたべたなどの皮膚感覚がきっかけで、それがどうしてついたか思い出すことが強迫行為であると考えられた。保証を人に求めることは少なくなったが、思い出すことを妨害する必要があると考えられた。

10/25

身辺整理が再びできなくなった。気になる対象は、シミではなく、主に自分の手や体のべたべたした皮膚感覚になった。皮膚感覚に対して暴露を行うこと、思いだそうとしたときに自分の手首に巻いた輪ゴムを利用してthought stoppingを行った。

10/27

暴露・反応妨害12回目を行った。ワセリンを使用してべたべたさせた手や足の裏などに触れた。「(足の指は)数年ぶりにさわった。いままで足の爪は人に切ってもらっていた」と本人は述べた。ついた事情がわかっていると不安が上がらないことが予想されるので不安を高めるようなイメージを起こすような言葉を用いることにした。ワセリンをつけた後、治療者が「誰がつけたか私にもわからない。何がついているかわからない」と言うようにした。

11月始め

スタッフに保証を求めるときに、精液とは言わずに「あれはついてないですよね、私はついていないと思っています」と言うようになった。2,3日に一度程度、「誰かにいたずらされる、ズボンに黄色いしみが付いていた、乾燥機にスイッチがいつの間にか開いていた、だれかがわざとしよる」に類する訴えがあった。11月からは1〜2週おきに外泊を繰り返した。

11/11

看護者に中学時代にいじめにあったこと、印刷会社での失敗を初めて話した。この日夕方、いじめられたことを思い出して病棟廊下で泣き叫んだ。30分後には落ち着き話ができるようになった。いじめについては家族は全く知らなかった。妹によれば、本人は、印刷会社に行きたくないと玄関先で幼児の様に座り込んで泣くことがあったという。この後、家族に対する不満を本人が口にするようになった。

11/18

強迫観念の減少が止まってきた。母親は外泊中に自宅で保証をもとめるときは時間がかかると述べた。よく聞くと、母親も本人の行動を一緒になって思い返すことをしていた。このため、一言、「大丈夫、ついていない」という保証の仕方をしてもらうようにした。

12/2

11/11と同様に落ち着かなくなった。外泊の後にこのような不穏が起こっていた。外泊をきっかけに中学時代のいじめが想起され、フラッシュバックを起こしていたと考えられた。頻度が少ないことから薬物による鎮静で対処することにした。プロペリシアジン30mg追加した。この後は、不穏になることはなかった。
 日に2、3度、「今来てる前の服をいつ洗濯して片づけたか記憶にない」とスタッフに相談にくることがあるが、精液関連・いたずらされるなどの訴えはなかった。「外泊外出時には、リハビリと思って自分から進んで気になりそうなものを扱っている。ジュースの缶に白いものがついていたが、ついても大丈夫と考えて手で払うだけで飲んだ。レバーに触れることができるようになったのでパチンコが出来る。うれしい。」というようになった。

12/28

軽快退院した。治療の感想を本人は次のように述べた、「(治療では)積極的にべたべたした物に触ること、どんな感じか知ること、べたべたの区別を付けること、確かめない、が良かった。今は確かめたくなっても寝たら忘れられる。ころっと良くなって嘘みたい。」

退院時処方

クロミプラミン200mg ブロマゼパム6mg プロペリシアジン30mg フルニトラゼパム2mg

以降の経過(X+2年10月まで)

 外来受診を続けている。薬物は漸減している。家族や治療者に保証を求めたりすることはない。気になることがあるときは「ついても大丈夫カード」を見たり、自分で「ついていない」と考えればそれ以上気になることはないという。X+1年3月頃までは中学の頃のいじめられ体験が夢に出ることがたまにあったが、不穏になることは無かった。
X+1年6月、ガソリンスタンドに店員として就職したが、仕事についていけず上司からの叱責をきっかけに1ヶ月で退職した。X+2年1月に飲食店の調理場に就職した。現在まで安定して働いている。

  1. 強迫性障害の治療
  2. 専門家の皆様へ
  3. 症例1 性病に関する強迫性障害の男性患者に対するexposure

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