マインドフルにみたアクセプタンス&コミットメント・セラピー~徹底的行動主義

季刊精神療法 42巻4号 特集号「マインドフルネスを考える、実践する」

2016年7月末刊行予定

この小論の狙い

私は行動主義者だ。しかも、方法論的行動主義ではなく徹底的行動主義を取る、スキナリアンである。心や魂の実在を信じない。私は進化論者である。私にとっては哺乳類と昆虫の間に上下の差はないし、チンパンジーの方がヒトよりも記憶力が良くても驚かない(1)。高度な論理的思考や高邁な利他的行動も自然選択によって形成されたとするダーウィニズムの立場をとる。

こんな風に言えば2種類の反応があるだろう。

#1 スキナー・ダーウィンは極端だ。飴と鞭で人をコントロールするなんて受け入れられない、人はサルではない。こんな考えをする人には近づきたくもない。

#2 スキナー・ダーウィンは常識だ。良く知っているから、講釈不要。

それぞれの人にはもっともな理由がある。宗教や哲学かもしれない。徹底的行動主義とダーウィニズムも哲学の一種である。仏典やソクラテスに詳しいのであれば話題作りもになるだろうが、この二つに詳しくても変人に思われるだけで、常識人は近づかないだろう。

この小論の狙いは、この二つの反応をする常識人の方々に、変人である著者がなんとかして、徹底的行動主義に基づいて行動を予測し、制御するための学問である行動分析学について興味をもってもらうチャンスを作ることである。マインドフルネス?アクセプタンス?最後にそれらしいことに触れよう。

徹底的行動主義はあなたが思う行動主義とここが違う

行動主義自体は精神療法ではない。だから読者の大半は行動主義と聞いてもピンとこないだろう。あるいは学生の時の授業を思いだして、次のような図を思い浮かべてくれるかもしれない。頭の中はブラックボックスで、アクセス不能であり、研究の対象として扱うものは刺激と行動だけだという主張である。

図1 挿入

たしかに行動主義の父であるジョン・ワトソンは行動主義心理学の目的は行動の予測と制御であるとした。研究の対象は、刺激と反応だけであり、頭の中は研究の対象にならないとした。愛や知性、意志のようなものは霊魂と同じ迷信だとしたわけである。基盤とする学習理論も選んだ。パブロフ条件づけを中心にして、ソーンダイクの効果の法則は認めなかった。能動的な行動を研究対象にしなかったのである。

行動主義の上にさらに“徹底的”とつければ、常識人ならばどれだけ極端なことを言うのか?と思うだろう。

 

キャプチャ

図1 ワトソンが考えた行動主義

 

実は、バラス・スキナーの徹底的行動主義はワトソンの考えた行動主義とは大きく違う。『婦人と老婆』のだまし絵で知られるエドウィン・ボーリングとの1945年のシンポジウムでの論争では、ボーリングが「科学はプライベートなデータを考慮しない」と主張したのに対し、スキナーはこのように書いている。

このシンポジウムで私が主張したことはどこに行ったのかと考えさせられてしまう。これ以上は振り返りたくない。しかし、私にとっては、私の歯痛も私のタイプライターと同じぐらいの実在である。痛みは確かに公のものではないが、歯痛を表現する言語がどのようにして獲得され、維持されるのかを客観的かつ操作的な科学が対象にしない理由が私にはわからない。皮肉な話だが、ボーリングは自分自身を外からも見える行動だけに限定しようした。私はそのボーリングを内側から見たらどうなるのかに依然として興味がある。((2)  訳 著者)

 

さらに言えば発達障害にも詳しい読者ならば「心の理論」(Theory of Mind)(3)を聞いたことがあるだろう。提案したのはデイビッド・プレマックである。2015年6月に亡くなった彼はチンパンジーの言語習得など行動分析学に多大な貢献をしている。その一つが、彼の功績を称えて「プレマックの原理」と呼ばれる、強化相対性である。そんな徹底的行動主義者が「心の理論」を提唱した。徹底的行動主義は言葉でもアクセスできない幼児やチンパンジーの心=ブラックボックスの中にも行動主義を当てはめる。愛や知性、意志は行動主義の対象である。

徹底的行動主義が徹底すること

ワトソンの行動主義に不満を感じたのはスキナーだけではない。ブラックボックスをブラックボックスのまま刺激と行動から扱おうとする研究者もいた。ここでは、そうした人たちを方法論的行動主義者と呼ぶことにしよう。名前がブラックボックスのままでは都合が悪いし、愛や知性、意志といった日常語で呼んだのでは通俗的に過ぎるので、反応ポテンシャルやスキーマ、自己効力感などと呼び替えることにした。

こうした方法論的行動主義者が創出した概念は直接観察することができない。だから理論的構成概念と呼ばれる。精神療法の文脈では病理モデルや認知モデルと呼ぶことが多いだろう。認知療法の創始者であるアーロン・ベックを初め、何かの精神療法や臨床心理学の学派の創始者とは、新しい理論的構成概念の創案者と言ってもよい。新しい概念が矢継ぎ早に出てくる。翻訳はとても間に合わない。レジリエンスなら聞いたことがあるかもしれない。ルーミング脆弱性(Looming vulnerability)(4)は?脅威に対する認知モデルで不安障害の原因を見つけたとしている。

徹底的行動主義者が他と大きく違うのはここである。徹底的行動主義者は理論的構成概念を徹底的に排除する。理論構成のために使う概念はラットやチンパンジー、重度の自閉症者、不安障害の患者、健康人のどれであっても共通して使える。徹底的行動主義からみれば、痛みや不安はこの5者の誰にでも共通して生じることである。言語報告は他の様々な行動の一つでしかない。全く言語能力がない(従って、認知モデルが存在しない)生体が対象であっても、日常生活中の行動や薬物投与後の様子を観察することで痛みや不安の予測と制御が可能だ。痛みや脅威を意識したから、生体は「ギャ」とか「恐い」とか言うのだろうか?

徹底的行動主義に基づく行動分析学の臨床場面を考えてみよう。痛み・不安という本人にしかわからない経験があり、それに伴って患者が意味のある言葉を発したことは治療者にとっても大切な事実である。しかし、行動分析学では意識を行動の原因にすることを拒む。「痛い」「不安」という意識があるから、周りに訴えている、というのが常識人・方法論的行動主義者の考え方だが、そんな常識を否定する。何を徹底しているのかをリストにしてみよう。

研究方法としての徹底

  • 理論的構成概念を排除し、観察できる行動に還元できる記述概念だけを説明に使う。
  • 新しい概念をできるかぎり使わない。科学としての伝統である思考節約の原理(オッカムの剃刀)を徹底させる
  • ワトソンと同じく、「意識や心を原因にしない」という方針を徹底する。心身一元論に立つ
  • 誰もが常識と思っているようなことを疑ってかかり、操作的に定義できるまでは方法として使わない。科学者自らの科学的行動をも研究対象にできるところまで方法を徹底させる。

研究対象の徹底

  • 原因探しをやめ、行動の予測と制御に目的を絞る。なぜ私は生まれてきたのか?天災があっても生かされている理由は何か?のような目的論には答えないが、目的論にこだわってしまう行動の予測と制御は扱う。
  • 外から観察可能な公的事象だけではなく、本人にしか接近できない私的事象も分析の対象とする。言い換えれば動物の行動であれば何でも対象にする。目に見えないようなプラナリアにもオペラント条件づけができるし(5)、海馬のニューロンにもできる(6)。

 

表1 方法論的行動主義と徹底的行動主義

方法論的行動主義・常識的な心理学 徹底的行動主義
認識論 事象を認識するとき形や意味などの特徴的パターンで把握する。目立つ行動に気を取られる。心と体、刺激と行動を分けて考える。

量や頻度,持続時間を把握することが苦手。

悪い原因が病理になるように、悪を悪と結びつけがち

人の思いこみにとらわれず,実験と実証を重んじる。心を体からわけず、刺激を行動から分けることもしない。生きている動物がすることは全て行動であり、行動が刺激にもなる。

価値判断は相対的。行動自体には良い悪いはない。量や頻度,持続時間、スケジュールの認識にこだわり、そのための道具も開発する。

因果論 モデルをつくり、病理の原因を突き止めようとする。原因発見が解決につながるとする。

原因が結果を産む。

循環論になりがちな、因果論を避ける。遺伝子異常が特定されている疾患であっても、そこから考えるのではなく、あくまで環境と行動の連鎖の中から考える。

結果が原因にもなり得る。

解決論 原因、症状、解決の一セットがモデルとして整合性がとれていることを目指す 環境や状況のような文脈によって解決は異なり、同じ文脈でも解決は一つだけではない。複数の全く異なったやり方が同じ機能をもつのが普通
治療評価 ランダム化比較試験のようなグループ比較実験 単一事例実験計画 少数例の中で繰り返し測定による実験を行う

 

ブラックボックスを行動分析学でも別の名前で呼んでいる。私的出来事である。愛や知性、意志はもちろん、嫉妬や欺瞞、悪意もみんなひっくるめて私的出来事である。愛と嫉妬がどう違うか?を100人の方法論的行動主義者に尋ねたら、100の答えが帰ってきそうだ。徹底的行動主義者は最初からこの2つを分けない。愛か嫉妬かは頭の中だけで区別できるものではない。外の社会とのやり取り(文脈)で決まることである。

あなたが思う好子(強化子)と行動分析学の好子はここが違う

行動分析学では好子は行動とセットである。まず、“行動”の意味が常識よりもはるかに広く拡張されている。歯痛はもちろん、愛や知性、意志も行動である。行動一元論と言って良いだろう。そして、原因探しをやめることは常識的因果論を逆転させることになった。行動が結果を変えるのではなく、結果が行動を変えるというように時間の流れを逆さにした考え方をするようになった。

この結果、誤解が生じているのが、何を好子(強化子)とするかの問題である。行動分析学の初学者は最初から好子になるものが決まっていて、それが行動の後に提示されるから正の強化が生じると“常識的に”考える。行動分析学では逆転させる。

このような逆転の発想、結果が原因になるというのはダーウィンの自然選択と同じである。自然選択によって生き残るものは、決して優秀だからとか丈夫だからとかという理由で生き残ったのではない。何か予めデザインがあって進化するのではない。環境に適応するためには様々な多様な形質が可能だが、その中のどれかが運も含めてたまたま選択されて、子孫を残し、他は淘汰されて消えてしまう。その結果、ある性質が進化していく。行動も同じである。予めどういう行動が良いと決まっているのではなく、同じ機能を果たす多種多様な行動レパートリーの中から一つの行動がたまたま選択されて、強化されていく。何が強化されるのか、何が強化子になるのかは結果を見てみるまではわからない。

 

表2 好子(強化子)とは

常識 行動分析学
何が好子か お金や食物、褒め言葉のような一般的な嗜好物

刺激としての実体があるもの、取り出せるもの

何でも強化子になり得る。SM愛好家なら痛みも好子。美味しいケーキも100個を食べさせられたら嫌子に変わる。何かが好子になるためにはそのための操作(確立操作)が必要。

操作だけで決めているので刺激としての実体がないもの、スケジュールの変動も強化子になる

正の強化はいつ分かるか? 好子を提示するという計画の段階で正の強化になる

好子があれば、正の強化が生じる

刺激を提示する計画段階では何が正の強化は分からない

繰り返し行動を観察し、正の強化が生じていれば、それが好子

 

好子と聞くと“子”なのだから、一個一個数えられるものだと思うかもしれない。行動分析学で見ているものは結果であり、それは環境の変化である。その中には数えようがないものもある。ハーバード大学でスキナーのあとを継ぎ、行動経済学の始まりともいえるマッチング法則を見出したリチャード・ヘアンスタインの研究を紹介しよう(7)。

ラットをスキナーボックスに入れる。床にはランダムなタイミングで短い時間、電気が通電されて、ラットはビリビリ感を感じる。ラットがボックスの中のレバーを押すと、通電と通電の間の平均間隔が若干長くなる。頻度がちょっと減るだけだ。ランダムなのはそのままであるから、レバーを押した瞬間に通電が来ることもある。普通なら罰になるはずだ。しかし、結果では、レバーおしが増えた。このように嫌なものがランダムに提示される場合でも、平均の間隔が伸びたということはラットにもわかり、通電レバーを押す頻度が増える。

電気をヒトへの給料に置き換えてみよう。年間の給与が360万円の人がいるとしよう。年に1回4月にまとめてもらうのと、平均月1回で1回30万円、平均週1回で7万円、平均毎日1万円、とランダムにもらうのとでは、どれがよく働くようになるだろうか?1人1人文脈が違うだろうが、合計金額がまったく同じでも給与が出るスケジュールを変えることで働くことへの強化が変わることは想像がつくだろう。

個体にとっては、スケジュールの変化も強化子になる。強化子は数えられるような“子”とは限らない。だから、何がクライエントの行動を強化しているのかを分析するためには、数えられるような“子”だけに注意を向けていてはだめだ。治療者による是認は一般的な強化子である。どんな台詞を言うべきかだけにとらわれて、言うタイミングと結果としてのクライエントの行動変化には注意を向けていないようであれば、行動分析家としては失敗している。

刺激性制御と随伴性制御

たとえばあなたがこの原稿を読んでいる、今この場で携帯電話から、緊急地震速報が鳴りだしたらどうなるだろうか?今いる場所が揺れ出したら?

最初の反応は吃驚だろう。この驚愕反応は無条件反応(Unconditioned Response, UCR)と呼ばれる。そしてUCRを起こす刺激が無条件刺激(Unconditioned Stimulus, UCS)である。UCRは他にも瞬目反射などいろいろあり、生存のために最初から備わっている生得的な反射でもある。UCRという名前を覚えただけではわからない、トレーニングを受けなければ気づかないものが多い。UCRはそれぐらい日常的に生じているのである。その代表的なものが定位反応(Orienting Response, OR)である。新奇な刺激、変化があると私たちはそこに注意を向ける。見たり、聞いたりする。ただし、ORはすぐに消去される。同じものを2,3度見聞きしたら、もう注意を引かれることはない。定位反応をできるだけ多くの人に起こすようにデザインされたものの代表がテレビのコマーシャルである。選挙の時の候補者もそうだろう。

ここでパブロフの犬を思いだしてくれた人は素晴らしい。パブロフの場合は犬に餌をやる直前に鈴の音を聞かせること(条件刺激、Conditioned Stimulus, CS)で、鈴だけでも唾液が分泌されること(条件反応、Conditioned Response, CR)を発見した。UCSと連合して提示された刺激、すなわちUCSの到来を予測するような刺激は、繰り返し提示されることで、UCSと同様な機能を持つようになる。

 

表3 刺激性制御と随伴性制御

種類 先行刺激によるコントロール 結果刺激によるコントロール
概念・行動 刺激性制御

レスポンデント行動

随伴性制御

オペラント行動

刺激の例 どんな刺激であっても強烈なもの

新規なもの、珍しいもの

食物を食べる、注目を受ける、褒められる、○をつける、気持ち良くなる
行動の例 唾液腺の反応、驚愕反応、声

情動反応、善悪・価値判断

サイン・トラッキング(目標を目で追う)

キーボードを押す、本を買う

読み書き、考える、調べる

移動する、自分を目立たせる、確認する、人に頼む、依頼に応じる

 

生体がするほとんどの行動が刺激性制御と随伴性制御の両方を受けている。随伴性制御だけのピュアなオペラント行動はない。一方、少数だが、ピュアなレスポンデント行動はある。新生児を想像して欲しい。大半の行動は吸啜反射のような原始的な反射で説明できるだろう。一方、オペラント行動はどうだろうか?キーボードを押すという日常的な行動一つをとっても、そこには刺激性制御も一緒に加わっている。キーボードの刻印はもちろん、キーの感触やクリック音など複数の先行刺激、画面上に出現する文字という結果によってコントロールされている。行動を分析するとは目的に応じて柔軟に分析のフォーカスを変えられるということでもある。

スキナーの功績は研究方法の開発でもある。その代表がスキナーボックスだ。ボックスの中にはレバーが一つしか無い。ラットに可能な行動はレバーを下に押すことだけで、環境の変化は先行刺激である光か音、そして結果刺激としての餌が皿に出てきて食べることだけだ。スキナーは刺激と結果を単純化することで行動の原理を見出した。しかし、実際の生活環境では、刑務所の独房でもないかぎり、操作できるレバーが一つしかないとか、環境変化が光か音、餌だけということはありえない。複数の先行刺激・結果が常に生じていて、生体はそうした刺激のコラージュのどれかを選択して反応し、行動している。ラットでもヒトでも、囚人でも自由人でも、手は2つしかない。一時にできる行動は一つである。2つしかない手・一つだけの行動を複数の刺激が競って取り合っているといえる。行動の強化随伴性とは刺激淘汰のことである。

実のところ、スキナーボックスに入れられたラットの場合でも、刺激は一種類だけではなく、行動も一種類だけではない。実際の実験場面を見ると、ラットはレバーの上に乗りかかったり、レバーの隙間に頭をつっこんでみたり(ラットは狭いところに鼻先を突っ込むのが好きだ)、体を擦り付けてみたり、いろんなことをしている。実験者としてはレバーを手で下方向に押して欲しいのだが、ラットにだって自由がある。たまたま体ごと乗りかかり、そのせいで機械が動作して、餌が出てくることがある。この結果が出ると、当然、体ごと乗りかかるというラットにとっては面倒くさい行動が増えることになる。スキナーボックスである。ヒトが手を出してラットに教えてあげるのはルール違反である。わざわざ面倒くさいことをして餌を得ているラットも、試行錯誤を続けているうちにレバーを押すことに気づく。そうなると最終的にレバーを手で押すだけの行動だけが自然選択される。でも、実験者としては気に入らないデータだ。なぜ所定の行動頻度に到達するまでの試行数が長いラットがいるのか、説明が面倒くさくなる。ラットの体重でレバーが壊れたら、実験費用も余計にかかってしまう。

論文にはラットがどんな面倒くさい行動をしていたかは書いていない。私たちが論文で読むときには、こういう面倒くさいディテールが外された結果だけを読んでいる。もし、あなたに余裕があるなら、Skinner Boxを検索し、動画を見てみることをおすすめする。

刺激とはあなたが想像している以上のものである

刺激と聞くと、実験の心得があるなら光や音、電気ショックを思い浮かべてしまうだろう。実は、今、あなたが読んでいるこの文章そのものが刺激である。そして、あなたが触れている刺激はもちろん目の前の黒の線や点だけではない。あなたには五感があるはずだから、聴覚や嗅覚、触覚、味覚もどこかで何かを感じているはずだ。耳には何が?皮膚は何を感じているだろう?口の中には?

もし、あなたが何も感じていないというならば、それは大間違いである。私たちが何も感じないというのは単純に気にしていないということである。もし、仮に完全な無音空間、匂いも風の動きもない空間に置かれると人はどうなるだろうか?アイソレーション・タンクを用いた感覚遮断実験は幻覚をもたらすことが知られている。映画「アルタード・ステーツ/未知への挑戦」が示す通りである。私たちはちょうど気にならない程度、適当な刺激の中に自分を晒すようにしていて、それ故に「何も感じていない」と報告する。

あなたがクライエントと面接室で向き合っている場面を考えてみよう。あなたの行動を支配している刺激には何があるだろうか?

話している言葉の内容だけに注目していたならば、あなたはマインドレスな状態に陥っていると言って良いだろう。面接をしながら、次のようなことを自分に問うてみて欲しい。

  • 反応するときに、声調や話す速度にはどのような変化があるか?
  • 話しているとき、何かをしてくれと訴えたり、要求したりしているのか?状況を述べ、伝えているだけか?
  • 同じような内容や声、話し方を繰り返しているか?反芻があるか?
  • 同じようなテーマを繰り返しているか?
  • 話をしているときの姿勢や表情、視線はどうか?

これらは面接の場面で起こりえる行動の一部である。認識できているだろうか?私たちは刺激であれば目立つものだけに目を奪われ、他の刺激の存在を無視してしまい、好子であればその“子”にこだわり、個数や大きさに注目してしまう。生起する頻度や間隔、随伴性の方を認識することは容易ではない。分かるようになるためにはトレーニングが必要である。これから使えるトレーニングの例を上げてみよう。

治療場面での刺激のコラージュを認識できるようになるためのトレーニング

これは譬えて言えば、コンサートホールで音楽を聴くようなものである。ジャズでもロックバンドでも何でも良い。オペラ音楽の場合なら、コントラバスに聞き入ってみよう。その間は歌詞やメロディーラインは聞き流すだろう。打楽器の音に感じるところはあるだろうか?一定のパターンを繰り返していることに気づいただろうか?

音楽のパターンに気づくようになったら、次に行動・文脈の間でおこる相互作用の文脈の側にも注意を向けてみよう。ホールの音響はどうだろうか?聴衆はどうしているだろうか?咳払いはどうだ?空調は?

何かをよく観察しようとするならば、その場の刺激のコラージュのなかのどれかを選んでそれに注意を向けることになる。訓練を何度も繰り返せば、意識をしなくても同時にいろんな音を聞くことができるようになってくる。これができるようになれば、カウンセリングの中でもそこで現れてくる言葉(歌詞)だけでなく、話の背景や部屋の雰囲気にも注意を向けることができるようになるだろう。

カウンセリングの場面では文脈を2種類に分けて聴くことができる。

  1. クライエントが話すテーマは何についてだろうか?自分自身の内側のことだろうか?それは過去に起こったことの記憶だろうか?未来についての懸念だろうか?それとも対人関係のことだろうか?対人関係であれば一対一で生じる親密あるいは敵対的な関係のことだろうか?それとも一対多で生じる、たとえば同僚や仲間、親戚のことだろうか?相手に何かしてくれと言っているだろうか?相手に何かをしてやろうとしているのだろうか?それとも評価を気にしているだろうか?
  2. こうしたテーマが現れては消え、また出てくるとして、それはどのようなパターンで生じてくるだろうか?テーマが出てきたときにカウンセラーは何をしただろうか?そのテーマが出てくる前に、何かクライエントの様子に変化はあっただろうか?口が重くなったり、間が空いたりしただろうか?クライエントとカウンセラーの間の対人関係も繋がっているだろうか?

カウンセラーが面接のなかで耳を傾けて聴くべきものは歌詞(言葉)だけではない。同じ歌詞が何度も出てくるとしたら、それがどのような場合に出てくるのか、出てくる前後には何があるのか、

刺激制御されているのはクライエントだけではない。治療者自身がそうである。目立たない小さな刺激や普段の慣れた刺激の新しい組み合わせに私たちは制御されている。気づくことは生やさしいことではない。行動分析学のなかではクライエントに当てはまることは等しく治療者にも当てはまる。自分の皮膚の内側のできごとが治療者をつくっている。自分自身の反応が診察室の中では最も役立つセンサーである。

こんな場面で、あなたはどうだっただろうか?しばらくの間、目を閉じ、そんな場面を思い浮かべてみてほしい。その時の状況はどうだっただろうか?外に向かってどんな行動をしただろうか?皮膚の内側ではどう反応しただろうか?頭は?胸は?もし、「そんなこと考えないで」などの適当な指示を出して、早く終わりにして次に行こうと考えたなら、それは嫌悪的な刺激性制御を受け、逃避行動が生じたことを示している。治療者が嫌悪的な制御を受けているならば、クライエントも嫌悪的な制御を受けている可能性が高い。

最後に

ここまで読んでどうだっただろうか?この変人著者はここまで一度も、本文の中でマインドフルネス・トレーニング、アクセプタンス&コミットメント・セラピーという言葉を使わなかった。いったい、著者は何を読者に求めようとしているのだろうか?

スキナーはいまでこそ、行動主義の代表選手のようになっているが、登場した時点では、ワトソンからの従来の行動主義とは異なった主張ゆえに、新行動主義者と呼ばれた。そして、新行動主義者は彼だけではない。他にTolman, E.C., Guthrie, E.Rl, Hull, C.L.がおり、それぞれがワトソンや他とは違うユニークは主張をした。彼らの理論が今、振りかえられることはないが、発見した事実や考案した実験は今も生きている。この上に築き上げられた知見は数え切れない。刺激等価性やルール支配行動、それをまとめた関係フレーム理論はそれらのうちの一つであり、これらがアクセプタンス&コミットメント・セラピーの基盤になっている(8)。誰かが単独で思いつきで作り上げたセラピーではない。

同じようにダーウィンは進化論の代名詞のようになっているが、自然選択説はアルフレッド・ラッセル・ウォレスとの共同発見である。生物種が固定されたものではなく、変化するものであることは他の大勢の研究者が気づいたことなのだ。しかし、スキナーのように随伴性に対する考察、すなわち結果によって行動が選択されることを提案した人、、ダーウィンのように自然選択によって種や分化が生じることを提案した人、そしてその提案がその後の科学を変えたものは二人を置いて他にいない。

行動主義も進化論もリサーチ・プログラムでもある。2つとも一つに固定しているものではない。そしてその方法論はその理論の発展自体にも応用できる。理論があるのではなく、理論を生み出すリサーチ・プログラムがあると言った方が正しいだろう。それは次の4つにまとめることができるだろう。

  1. 無数の試行錯誤を行なうこと
  2. 1人の天才の仕事ではなく、集団で解決策の順列を探索していくこと
  3. 似たような問題には、必ず複数の解決策があること
  4. すでにある古いものを転用して、新しい解決策にすること

ACTは行動主義である。そして、病理的と思われるような行動も含めて生物の形質や行動はほぼすべて適応的であると仮定して理論を構築する立場である。これは進化論の議論で言えば、適応主義である。適応主義は現代生き残った進化論である、総合説・ネオダーウィニズムが依っている立場である(9)。

PS 個人的な告白

改めて自分の書いたものを振り返ると、駅前ビル診療所の精神科医が徹底行動主義の解説を季刊「精神療法」でするというのには違和感を覚える。“徹底行動主義メンタルクリニック”という看板を掲げるのは、どう考えても適応的ではないし、この雑誌の読者に対するサービスになるのか、何かの機能を果たせるのかも心もとない。医中誌などを調べる限り、この雑誌に徹底行動主義、スキナーというキーワードがでてきたことがない。ダーウィンなんて想像もつかない。

なぜ私が徹底行動主義を取り上げることになったのか、この執筆行動の文脈も書いておきたい。オーディエンスのためではなく自分のための覚え書きのようだが。私は行動主義については異常行動研究会(PBD、現在は日本行動科学学会)のウィンターカンファレンスで学んだ。スキーをしながら、シャトルボックスで実験している心理学者から基礎理論を教えてもらったのである。

一度、機会を頂き、学習理論の臨床における応用である強迫性障害に対する行動療法の話をしたら、2010年12月に兵庫医科大学心理学教室の磯先生からこんなお手紙を頂いた。

先日はワークショップでお世話になりました。その折にいただいた強迫神経症についての論文を読み、臨床家は遅れているな、と思いました。我々の理解では、回避行動は1980年頃からは認知理論で説明されて当たり前だと思っています。Solomonたちの1950年代の研究でもその片鱗が見え、さらにSeligmanたちの1973年の論文でははっきりと認知で説明しています。つまり、不安という概念を使わないで説明できるのです(Mowrerは過去の人になってます)

実際に回避の実験をやってますと、動物は最初だけ驚きますが、学習すると非常に適応的に行動します。同封の私の論文を読んでいただけますとそのあたりのことが書いてあります。つまり、動物実験をやっている人たちは認知だと先に受け入れていたにもかかわらず、臨床家はそう言い切ることに何十年も躊躇してきたことになります。やっぱり実験を経験して実際の動物を見てわかっていただかないと臨床家になれませんね。そういう意味でも今回のワークショップを企画していただいたことに感謝します。これからもよろしくお願いします。

論文を同封します。ご一読下さい。磯博行

2015年に磯先生が亡くなって1年がたつ。今も感謝し、論文を大切にしている。学習理論は常に進歩している。臨床にいる精神科医、臨床心理士が知っている心理学の理論は、その心理学者からみれば過去の遺物になっていると磯先生から思い知らされた。隔離されてしまうと心理学の進化から取り残されてしまう。行動主義心理学の進化は、一般人にはなかなかついていけない速さで展開しているが、科学的な心理学に基いて臨床をしたいと思う人にとっては眼が離せない。

参考文献

  1. 松沢哲郎. 直観像記憶と言語のトレードオフ仮説 連載ちびっこチンパンジー第74回. 岩波書店「科学」. 2008;78(2).
  2. Skinner BF. Cumulative Record: Definitive Edition. B.F. Skinner Foundation; 1972. 382 p.
  3. Premack D, Woodruff G. Does the chimpanzee have a theory of mind?
  4. Riskind JH. Looming vulnerability to threat: a cognitive paradigm for anxiety. Behav Res Ther. 1997 Aug;35(8):685–702.
  5. Lee RM. Conditioning of a Free Operant Response in Planaria. Science (80- ). American Association for the Advancement of Science; 1963 Mar 15;139(3559):1048–9.
  6. Ishikawa D, Matsumoto N, Sakaguchi T, Matsuki N, Ikegaya Y. Operant conditioning of synaptic and spiking activity patterns in single hippocampal neurons. J Neurosci. 2014 Apr 2;34(14):5044–53.
  7. Herrnstein RJ, Hineline PN. Negative reinforcement as shock-frequency reduction. J Exp Anal Behav. 1966 Jul;9(4):421–30.
  8. 武藤崇. アクセプタンス&コミットメント・セラピー(ACT) 行動分析学の「伝統と革新」の結実. 精神療法. 2014;40(1):60–3.
  9. 吉川浩満. 理不尽な進化. 東京: 朝日出版社; 2014.

 

社会恐怖(社会不安障害・社交不安症) :叢書 実証にもとづく臨床心理学 不安障害の臨床心理学 2006

坂野 雄二 編, 丹野 義彦 編, 杉浦 義典 編 2006
叢書 実証にもとづく臨床心理学 不安障害の臨床心理学 Pp 55-74
東京大学出版会 ISBN978-4-13-011120-1, 発売日:2006年09月中旬, 判型:A5, 240頁

表題    社会恐怖(社会不安障害) 著者名 原井 宏明

Key Words 社会不安障害,社会恐怖,診断,症状,Comorbidity,鑑別診断,文化

Social anxiety disorder, social phobia, Taijin kyoufu-sho,medical anthropology, culture

はじめに

社会不安障害(Social Anxiety Disorder, SAD)は,不安障害の中では出遅れた疾患である。米国では1990年代までは“無視された疾患”であった(Sheeran & Zimmerman, 2002)。日本では対人恐怖として大正時代から治療が行われた歴史がある。そして,日本特有の文化依存症候群であると考えられていた。フランスでは100年前に現在の社会不安障害と同様な病態を記載し,段階的なエクスポージャーと似た方法で治療した研究者がいる(Fairbrother, 2002)。一方,内気,上がり症などの対人場面の不安を意味する言葉はどの言語にもあり,そのために悩む人はどの国にも昔からいた。今日,SADはどの国や文化にもあるありきたりの疾患である。研究の本数は著しく増加し,1991年以降の論文数は1990年までの論文数の合計を超えている。さて,1991年からの研究はSADについて,1990年までの研究にはなかった何を付け加えたのだろうか?

この小論ではこれらの問題の整理を試みる。そして同じ時期の日本語の文献を比較する。最後に,SADの研究者がどのような方向に進むべきかについて提案を行う。内容の紹介ではなく,論文数の統計を示すようにした。症状や診断,治療の具体的な内容の記載については触れない。

SADに対する日本と諸外国の研究の動向

l  レビューの方法

医学文献二次情報を利用することにした。2005年6月の時点で,医学中央雑誌,PubMed,PsychINFOを用いて,それぞれ,“対人恐怖”,“社会恐怖”または“社会不安障害”,“social phobia”または”social anxiety disorder”,をキーワードにもつ論文を検索した。医学中央雑誌については1981年から検索し,728件がヒットした。PubMedとPsychINFOについては1964年から検索し,さらに二つのデータベースを統合し,重複を除外した。合計7525件がヒットとした。これらの書誌データベースから研究の動向をさぐった。

検索する際に用いるキーワードについては最近の展望論文やSADに関する教科書的文献からよく出現する用語を手作業で選び出し用いた。原則として全文検索を行った。研究手法や論文の種類についてはそれらに応じたフィールドを用いて検索した。英語については1990年までと1991年以降とに分けて検索した。

l  論文の本数の動向

図 1に英語,日本語の論文の本数の動向を示す。英語では1980,92年に落ち込みがある以外は順調に増加している。日本語も同様である。

l  国別,年代別

PubMedとPsychINFOから,筆頭著者の住所によって国別の分類を行った。ただし,米国や英国在住者については国名がないことが多かった。このため手作業で選び出した。医学中央雑誌はすべて日本語である。表 1に1986年から5年ごとにまとめた国別の論文数を示す。

この表から次のことが分かる。1)アメリカの論文が最も多い。1996年は半分以上がアメリカからである。増加率も高い。20年間に10倍以上に増加している。2)オーストラリア,カナダ,イタリア,オランダは1990年以前から論文を出している。イタリアを除き,これらの国々も20年間に論文の数を増やした。3)それまでほとんど論文を出していなかったドイツ,スウェーデン,スペイン,フランス,ブラジルなどが1991年から論文を著しく増やしている。4)英国,日本,イタリアは,この20年間あまり変わっていない。他の国々と比べると控えめである。

これらをまとめると,英国連邦の国々と日本,オランダ,イタリアが伝統的にSADに興味をもっていたといえる。表には載せていないがインドも1989年から計6本出している。1991年からアメリカ人が本格的に乗り出し,合わせて他の国々も出し始めている。

このように1990年前後はSAD研究にとって節目の時期である。それまでの研究と1990年代以降の研究の違いは次の言葉で要約できる。SADという用語と米国人研究者,認知モデルによる精神病理学,認知療法,SSRI(Selective Serotonin Reuptake Inhibitor 選択的セロトニン再取り込み阻害剤),神経生物学である。こうした変化は約10年遅れて日本にも波及している。

研究の方法にも革新がある。DSM-IIIのような操作的診断基準の出現とそれによる一般地域人口を対象にした疫学的研究,また治療に関しては認知行動療法による治療パッケージ,信頼できるプラセボ治療群を設定した無作為化比較試験(Randomized Controlled Trial, RCT)の増加と,それによって実証された治療(Empirically Supported Treatments, EST)の普及活動と治療の実効性に関する研究である。一方,同じような革新は日本では起こっていない。

テーマ別に研究の動向を調べるに当たり,英語の研究に関しては1990年と91年以降に分けて集計するようにした。日本語では同様な特定の節目とする年代はない。日本語論文のキーワード別の検索については1999年以降の325件の文献に対して行うことにした。

l  テーマ別

研究のテーマ別に論文を調べた。結果は表 2から表 6に示す。表 5 理論的研究の動向,病因や認知モデルなど,を除き,キーワードは日本語での出現順に並べている。日本語の理論的研究はほとんどなかった。

診断

診断に関する研究について表 2に示す。思春期,青年期,Comorbidity(合併精神障害)は日本語,英語どちらでも関心が高い。日本語では“引きこもり”や人格障害,精神病理に関心が高いのに対して,英語では広場恐怖や全般性不安障害に関心が高い。

英語では広場恐怖とschool phobiaの研究が減ってきた。一方,全般性不安障害と高齢者,そしてDSM診断基準上はSADと診断されない広汎性発達障害や外見の異常のある患者における社会不安に関する研究が増加した。英国連邦系の研究者にとって広場恐怖とSADとの鑑別は重要な問題であった。しかし,SADに関する研究が蓄積するにつれて発症年齢や有病率,家族歴,不安誘発テスト(provocative tests)への反応の点で違いが明らかになり,現在はComorbidityが問題になっている(Mannuzza et al., 1990)。1990年から注目を浴びるようになった全般性不安障害の場合は最初からSADとの合併が問題になっている(Mennin et al., 2000)。

SADのサブタイプ(亜型)の問題は,DSM-III-Rにおいて,全般型(Generalized subype)が取り入れられときから問題になっている。特に全般型は回避性人格障害との違いが乏しいこと,非全般型との違いは重症であることだけではないか,という批判にさらされてきた(Widiger, 1992)。回避性人格障害とSADについては,“comorbidity by committee”(委員会が作った合併症)という批判もある(Moutier & Stein, 1999)。SADと診断された患者を対象にさまざまな質問紙を施行し,因子分析を行うといくつかの因子が抽出される。その結果からSADにおけるサブタイプを提案するというタイプの研究が約90件ある。しかしこれらのサブタイプの中で治療反応性のような外的妥当性をもつまでに至ったものはない。また,解析の多くは重症度のような連続的次元モデルからも解釈できる(Stein & Deutsch, 2003)。DSM診断はカテゴリカルモデルに準拠している。しかし,SADに関しては他の社会不安を症状とする精神障害と連続性を持たせた社会不安スペクトラム(Social Anxiety Spectrum)のひとつとして考える方が良い,とする主張が2002年から見られるようになった(Schneier et al., 2002)。この中には場面緘黙や自閉性障害,アスペルガー障害,回避性人格障害,非定型うつ病,身体醜形性障害などが想定されている。

他人からみてすぐにわかる外見的問題がある場合,例えば,吃音やパーキンソン氏病に伴う振戦,本態性振戦,外見上の奇形,熱傷の瘢痕がある場合に社会不安があっても,これはSADと診断しないことが,DSMの決まりになっている。これらの患者における社会不安もSADに連続したものと考えたほうが良いとする主張がみられるようになった(Lauterbach et al., 2004)。表 2において“アスペルガー,パ-キンソン,斜頸,発達障害”がヒットした文献が該当する。斜頚(spasmodic torticollis)やパーキンソン氏病については単に外見上の問題から二次的にSADをきたすのではなく,生物学的共通性の可能性があることを指摘している論文がある(Gundel et al., 2001)。

不安障害の中でSADとの合併率が高いものは全般性不安障害(GAD)である。不安障害別の合併率について不安障害治療センターを受診した患者を対象にした報告がある(Brown et al., 2001)。ここではGADがSADとの合併診断の中で最も多い。うつ病性障害との合併はしばしば問題にされる。しかし,SADはOCDやGADと比べるとうつ病を合併する頻度が少ない。

SADの研究の歴史の中で新しく出現するようになった用語はSocial Anxiety DisorderとTaijin Kyofu sho,古典的対人恐怖である。SADは日本語,英語の双方にとって新しい。英語で初めて出現するのは,1996年のClarvitらによる,“The offensive subtype of Taijin-kyofu-sho in New York City: the phenomenology and treatment of a social anxiety disorder”である。英語圏の研究者にとっては,SADという言葉とTaijin kyoufu shoという言葉は同時に出現する用語である。一方,日本語では,2000年の貝谷らによる,“社会不安障害の生物学:線条体ドパミン仮説”である。日本の研究者にとっては,SADというは生物学的研究と同時に出現した用語である。ただし,Taijin kyofu shoが英語の論文で始めて紹介されたのは1979年のTanaka-Matsumi (Tanaka-Matsumi, 1979)による。この後10年間,Taijin kyofu shoは英語では現れない。

一方,日本語では2000年までは対人恐怖は対人恐怖以外にはなかった。しかし,DSM-III-Rの導入によって社会恐怖や社会不安障害という用語が入り,日本人にとっても対人恐怖との異同が問題になった。結果的には従来診断にて対人恐怖と診断される多くの患者がSADと診断されることに日本人の対人恐怖研究者も同意している(Yamashita, 2002)。一方,自分の視線や自己臭などが他人に不快感を与えると考える患者について,SADと診断することについて研究者によっては抵抗がある。このタイプの患者については対人恐怖をさらに分けて“古典的対人恐怖”と呼ぶ文献が2001年から見られる(松永,2001)。英語では,“Offensive subtype”と呼ばれている。自己臭恐怖は英語では心気症のひとつとして記述されているが,(Bishop, 1980)系統的な研究はない。

研究方法

研究方法について検索した結果を表 3に示す。ここでは英語と日本語の差は明確である。日本語の研究は325件の中から検索したが,そのうち約3分の1が症例報告であった。英語では約7分の1である。対照群をもつ研究は日本語では3本しかない。生物学や遺伝,疫学的研究は日本語では事実上ない。質問紙に関する研究は日本語が27件ある。これらは他の研究の基礎となるものである。評価尺度の使用頻度について表 4に示す。LSASは1991年以降に日本語と英語の双方でよく用いられるようになった。治療法の効果研究では事実上のスタンダードである。英語ではSPAIが最も良く使われている。この評価法は日本語にまだ翻訳されていない。

理論的研究

日本語では文化に関するものを除いて,オリジナルな理論的研究はほとんどなかった。このため,ここでは英語のみを集計し,表 5にまとめた。生物学的研究と認知モデルに関連する研究が著しく増加していることがわかる。

SADの認知過程についての研究は1985年ごろからある(Emmelkamp et al., 1985)。まとまったものになったのは1993年ごろである。このころ,複数の研究者(Stopa & Clark, 1993)によってSADの認知の特徴についてまとめられている。1995年,ClarkとWellsが認知モデルをまとめた(Clark & Wells, 1995)。これらは1)自己や相手に対する注意の向け方,2)解釈,3)記憶と再生,4)安全行動,の領域に分けることができる。self-focused attention(自己の行動,特に情動反応に過度な注意を払う), safety behaviors(情動反応を下げる目的の行動), selective retrieval strategies(記憶再生の偏り)などがある。他には,Self-presentation theoryが提案されている。これによれば,1)対人場面で自己を高く評価されたいという動機付け,2)それを達成する可能性に対する疑念,がSADの認知の特徴とされる(Leary & Kowalski, 1995)。SADの認知に関する研究はこのあと増加しているが,その後10年間には大きな変化はない(Heinrichs & Hofman, 2001)。

条件づけに関する研究は1990年以降は,以前と比べると減少している。5年ごとに見ると1971~5年が74件で最も多く,1991~5年が24件と最も少ない。従来,SADにおける不安反応の成因として社会場面での失敗による条件付け,他人の失敗を観察することによる代理条件付け・観察学習を通じて獲得されると想定されてきた。しかし,軽症の限局型の患者のほうが重症の全般型よりも社会場面の失敗経験が多い(Stemberger et al., 1995)ことから考えると,学習のヒストリーのみではSADの病因を説明できない。このため条件付けのパラダイムを利用した研究は行き詰った。しかし,1996年からは生物学的研究が条件付けのパラダイムを利用して行われるようになった。PETスキャンによって脳代謝を測定しながら,恐怖条件付けや馴化を行うもの(Veltman et al., 2004),また双生児研究と恐怖条件付けを組み合わせたものが現れるようになった(Skre et al., 2000)。生物学的研究の進歩によって恐怖学習の準備性を説明できるようになったと言える。

治療法

1990年代の治療研究はSSRIに代表される薬物療法とSADに対する認知モデル研究を臨床に応用した認知行動療法によって特徴付けられる。治療法について検索した結果を表 6に示す。これからは薬物療法と認知療法に関する論文が1991年以降に増加したことが分かる。行動療法やエクスポージャーは英語ではもともと多いだが,数は減少している。SADに対する行動療法,エクスポージャーは確立したものになり,新しい知見を出せなくなったためだと思われる。精神分析はもともと少ない上にさらに減少している。

日本語の特徴は森田療法が多いこと,認知療法が行動療法やエクスポージャーよりも多いことである。英語ではエクスポージャーや行動療法が1991年以降でも薬物療法の次に多いが,日本ではわずかしかない。日本語の論文は認知的技法を取り上げることが多く,エクスポージャーを軽視する傾向があることが分かる。

医療政策的研究

1990年代から増えてきている研究テーマのひとつが,医療政策的研究である。“managed care, health insurance, social policy, health care policy, economic, economy”のキーワードでヒットする研究が1990年以前に14本,91年以降に47本あった。SADは有病率が高いこと,日本では対人恐怖や上がり症に対する治療として民間ですでに行われていることから,有効な治療療法の普及,医療経済的研究が日本でも重要なテーマである。しかし,この問題をとりあげた研究は日本語ではごくわずかである。

まとめと将来の方向性

SAD研究の現在の問題点は,1990年以前から蓄積されていたSADの知見とこの10年間にもたらされた知見の間の違いが見た目ほどはっきりしないことである。1970年代から社会恐怖に対して脱感作やフラッディングなどの行動療法を行ってきた英国連邦系の研究者(Tyrer & Steinberg, 1975)には今日の集団認知行動療法の治療パッケージの治療効果が昔と比べてより優れているとは思えない。実際,エクスポージャーに認知技法を加えること,集団で行うことの治療効果上の優越性は不明である(Rodebaugh et al., 2004)。1970年台から仕事をしてきた精神薬理学研究者は,古くからあるモノアミン酸化酵素阻害剤(Monoamine Oxidase Inhibitors,MAOIs) の効果は新薬のSSRIを越えるものであることを知っている(Liebowitz et al., 1986)。

SADに関する研究は今は一時の盛り上がりから落ち着きをみせている。今後も変化はあると思われるが,1990年代から起こったほどの変化はないだろう。これからの研究は,今までに提案された概念,仮説,実験的治療,臨床試験にて効果があるとされた治療の実効性を確かめる時期になる。臨床場面ではSADの事例性と問題になる。以下,将来の問題となる個別のトピックを取り上げる。

l  研究対象の問題:社会不安スペクトラム,診断閾値,事例性

SADの診断にはあいまいさがある。他の不安障害やうつ病からの独立性はこの10年間の研究で確立したものになった。一方,人格障害の一部や発達障害,非定型うつ病などからの独立性は曖昧であり,社会不安スペクトラムとして考えたほうが良い。また,SADの臨床例として診断するためには患者本人の意向が大きく関与している。DSM-IVでは,クライテリオンCにて「その人は,恐怖が過剰であること,または不合理であることを認識している」と記載されている。社会場面での不安や緊張のために日常生活が限定的であっても,本人がそのことについて不合理を感じないならば,社会不安障害ではない。逆に軽症で普通の生活をしていても本人が不合理と感じ,治療を受けたいと感じるならば社会不安障害である。あるいはSADを主訴としない場合でも,SADがあることがアルコール依存症のような他の合併精神障害と関連しているならば,事例性をもつことになる。

患者が受診行動を起こす背景を調べると,SADの症状自体は青年期からあるが,当時は治療する必要は感じていなかったこと,進学や昇進,子どもの成長に伴う学校行事など,ライフステージにおける社会的役割を果たす必要がでてきたために治療を受けに来たことがわかる。対人場面における不安や恐

SADに対する研究は,SADの症状のために困っていると訴え,それを治したいと希望し,専門家を受診する人々を対象にしている。逆に言えば,SADの症状があり,対人場面を回避している生活をしていても,自分は困っていない,治す必要を感じない,と考えている人々はSADではない。言いかえれば,治療動機がSADの概念の重要な部分になっている。一方,既存の評価基準,重症度評価は不安症状と回避,それらに対する認知をターゲットにしている。

私たちのグループは近年,SADに対するSRIsの効果を知るためのプラセボ対照RCTに参加する患者を新聞広告などの方法でSADの患者を募集した。他の施設の患者も集めてSIAS,SPSの評価の因子分析を行った(Sakurai et al., 2005)。これらの研究を行って感じる問題点は,SADと診断される患者になるかどうかが,治験広告を見たかどうかに左右されることである。広告をみてSADを主訴として受診する臨床群と社会不安があっても治療動機をもたない非臨床群との間に,社会不安そのものに関する違いがあるとは思えない。SADの臨床群を研究するに当たっては,受療動機を評価する必要がある。また,SAD臨床群と非臨床群との間で,社会的地位などの人口統計的データをマッチさせ,症状や治療反応性を比較する研究が必要だと思われる。

l  理論的研究

認知に関する研究は,Clarkらが作ったモデルから10年間に大きな進歩がない。一方,強迫性障害についてはThought Action Fusion(TAF)やCognitive Fusionと呼ばれる思考過程がこの10年間の新しいトピックである(Rassin et al., 2001)。SADについてもTAFと同様な現象が見出される可能性がある。

恐怖の条件付けに関する研究については,この数年間,生物学や疫学と結びつけた研究が増加している。認知や条件付けに関しては複数のパラダイムを組み合わせた研究が今後をリードすることになるだろうと思われる。

l  薬物療法

薬物療法ではプラセボ対照RCTにてSSRIsがプラセボに優ることは確実である。SADにも生物学的基盤があり,薬物が治療効果をもつことは研究者の関心を引いた。しかし,実際の臨床における薬物療法の有用性の検討にはまだ時間がかかる(Stein et al., 2004)。

日本は新薬の導入が欧米よりも10年以上遅滞している。Sertralineのような海外では売り上げ高ではトップにはいる薬剤が日本では承認されていない。日本でも,ようやく,SADに対するFluvoxamineとParoxetineのプラセボ対照RCTが行われたこと,Fluvoxamineについては2005年7月現在,医薬品医療機器総合機構にSADに対する効能を申請中である。2006年からはSADに関する薬物療法の文献が増加すると思われる。

薬物療法については,SSRIなどの抗うつ薬や抗不安薬とはまったく異なる視点からの薬物がある。N-メチル-d-アスパラギン酸受容体の部分的アゴニストであるD-cycloserine はエクスポージャー中におこる恐怖反応の馴化を促進することが知られている。抗不安薬とは逆の結果をもたらすことになる。高所恐怖に対するエクスポージャーの効果を増強することをプラセボ対照試験で確かめられている(Ressler et al., 2004) 。SADにも応用の可能性がある(Birk, 2004)。

l  第三世代の行動療法,治療の統合

1990年代後半から第三世代の行動療法あるいは行動療法の第三の波と呼ばれる治療概念や方法が現れるようになった(O’Donohue, 1998)。Acceptance and Commitment Therapy(ACT) (Hayes et al., 1999)やDialectical Behavior Therapy(DBT) (Linehan, 1993),Mindfulness (Segal et al., 2002)と呼ばれるものがそれらの代表である。これらの行動療法に共通する特徴は,従来の行動療法があまり扱わなかった言語行動や価値観を中心に扱っていることである。ACTの場合は森田療法との表面的な類似性が高い。例えば“あるがまま”が,そのまま治療法の名称である“Acceptance”である。患者の不合理な認知に対して助言や説得を避けて逆説的方法を用いることや,不安障害やうつ病性障害を,正常な心の働きが過剰であることとして捉えることも良く似ている。一方,ACTとはルール支配行動に関する徹底的行動主義による研究から発展した応用行動分析である。第二世代の認知行動療法がよく用いる構成概念の利用を避けること,行動の機能やコンテキストを重視するところは,第一世代の行動療法への回帰でもある。ACTとHeimbergらの集団認知行動療法のSADに対する効果を比較した臨床試験がひとつある(Block, 2003)。

これらの方法の利点は個別の治療プロトコールを作る必要がないことである。Barlowらのグループが不安障害やうつ病性障害の全般について同じ治療プロトコールで治療する試みを始めている(Barlow et al., 2004)。1990年代以降の研究の特徴のひとつは,疾患をカテゴリー化し,その一つ一つについて疫学や精神病理を調べ,特有の認知や行動,病因,治療法を検討することであった。こうした研究法による知見の積み重ねは重要である。一方,伝統的な第一世代の行動療法は患者をカテゴリーにわける考えはなく,個別の患者に合わせたテーラーメイドの治療を行っていた。このような第一世代に戻る動きがあるといえる。

l  英語でも不在の研究テーマ“社会心理学,家族療法”

SADに関連があるように思われるにもかかわらず,あまり行われていない研究テーマがいくつかあった。それらの代表が,社会心理学,発達心理学,家族心理学,家族療法である。これらを取り上げた論文は英語でも数件以下しかない。Greenwood (Gergen, 2005)によれば認知や生物学,進化モデルに対する関心の高まりによって社会心理学から“社会”が消えてしまったという。SADの研究の増加と並行してこのような変化が起こっているのは皮肉である。SADが社会場面での認知や行動,情動の疾患であること,児童思春期から起こる性格特性と重なっていることを考えると,社会心理学や発達心理学の視点からSADを研究することは新しい可能性を産むと思われる。また,対人場面を回避し,限られた知り合いや家族としか交流のない患者に対する治療には家族療法からのアプローチの可能性があると思われる。青年期のSAD患者に対する家族療法を試みた研究がひとつある(Siqueland et al., 2005)。

最後に:日本の問題

日本語の文献は325本中183本が解説や特集のような展望論文であった。海外の研究の紹介にとどまり,オリジナルな研究が少ない。わが国の臨床心理学の歴史が外国の心理療法を輸入する受信型であることを示している。さらに問題であることは,これらの展望論文が海外の研究の動向を正確に反映していないことである。1990年以前からあった英国やカナダ,オーストラリア人が行った研究が反映されていない。日本語の論文は研究結果の普及のために欠かせない。日本語の展望論文が海外の研究動向を正確に反映する必要がある。

日本語では患者を対象にしたオリジナルな臨床研究はほとんどすべて症例報告であった。すなわち,研究計画書をつくり,研究倫理委員会の承認を得て,患者に同意説明を行い,系統的に経過を観察する症例観察研究やコホートスタディ,系統的に治療介入を行う介入試験や統制研究は行われていない。筆者のグループがSADに対するSSRIの治験を行ったときの自施設でのデータをまとめたものがある程度である(原井, 2003)。

SADの有病率に関するデータはほとんどのものが米国の疫学的研究であるECA研究(Anonymous, 1982) NCS研究(Kessler et al., 1994)を基にしている。このような疫学的研究はSADの病因に関する理論的研究や医療政策的研究の基礎になっている。日本に系統的な疫学的研究のプロジェクトがないことは他の研究の発展を妨げている。今後,日本の研究者が協力し疫学的な研究プロジェクトを立ち上げることが望ましい。SADは国境や文化を越えて存在しても,医療保険や医療制度は日本独自のものである。実際の患者に対してどのような医療を提供することが必要であるのか,医療従事者の教育・研修はどう行えば良いのか,などに関する医療政策的研究は他の国を参考にすることはできない。

SADは稀な奇病と思われていた時代は,1症例の治療経過をつぶさに観察し,詳細な記述を行うことが研究であった。しかし,いったん,SADがどこにでもあるありきたりのものと分かってしまえば,一例を観察するだけでは,新しいものは何も生まれない。日本の研究者にとっては研究手段の改革が必要である。表 1からみるようにSADに関心を持っている国は増加している。このままではブラジルにも追い越されてしまうかもしれない。

図 1 SAD関連論文の本数

fig1

表 1 SADの国別論文数

発行年 1986-1990 1991-1995 1996-2000 2001-2005 合計
USA 30 197 331 352 910
Canada 12 73 45 88 218
Netherlands 9 80 54 57 200
Australia 15 56 44 43 158
Germany 1 10 33 64 108
Sweden 2 23 28 33 86
Italy 11 22 17 21 71
UK, England 5 23 9 34 71
Spain 0 7 8 47 62
France 2 10 19 29 60
Japan 2 12 13 25 52
Brazil 1 2 5 23 31
Norway 4 9 3 13 29
South Africa 1 1 6 20 28
New Zealand 1 1 13 13 28
Finland 1 9 5 10 25
Israel 1 5 2 14 22
Denmark 3 9 1 4 17
Switzerland 0 4 2 9 15
Ireland 1 3 1 9 14
Turkey 0 1 0 13 14
Mexico 0 8 0 5 13
Austria 1 1 4 6 12
Korea 0 0 0 10 10

調査期間中に10本以上現れている国のみ示した。

その他の国では,Greece,Hong Kong,Iran,Russia,Saudi Arabia,Czech,Belgium,Singapore,China,Portugal,Taiwanがある。

表 2 診断に関する研究の動向

キーワード key word 英語~1990年 英語1991年~ 日本語
対人恐怖 Taijin 3 24 214
社会不安障害 social anxiety disorder 0 341 70
思春期,青年期 adolescent, child 1119 1107 75
合併,共存,comorbid Comorbid 25 780 34
引きこもり social withdrawal 2 15 31
人格障害 personality disorder 197 249 29
精神病理,症候論 psychophathology, symptomatology, 44 81 24
統合失調,分裂病 schizo, paranoi, psychosis 201 140 20
サブタイプ,分類 Subtype 23 195 19
登校(不登校,登校拒否) school phobia 115 28 19
自己臭恐怖 olfactory reference 1 4 13
高齢者,初老,老年 elderly, geriatric 17 32 9
全般性不安障害 generalized anxiety disorder 54 352 9
広場恐怖,空間恐怖 Agoraphobia 756 402 4
古典的対人恐怖,妄想型,攻撃型 offensive type 0 5 4
アスペルガー,パ-キンソン,斜頸,発達障害 spasmodic torticollis, aspeger, parkinson, developmental disorder 7 28 6

この他,自己臭,bodily odorsは英語は1,日本語は13,視線恐怖,opthalomophobia, scophobiaは0,8,緘黙,場面緘黙,mutismは46,0であった。

表 3 研究方法に関する研究の動向

キーワード key word 英語~1990年 英語1991年~ 日本語
症例報告,一例,一事例,一症例 case report, single case 632 364 95
対照群 controlled trial, controlled study 204 330 3
家族研究,家族歴,双生児 family study, family studies, family history, twin study 25 84 1
疫学 Epidemiology 122 560 7
質問紙,評価尺度,測定尺度 inventory, measure, questionnaire 467 1332 27

この他,遺伝,gene,genetic,hereditaryは英語は162,日本語は1,

表 4 評価尺度の動向

  英語~1990年 英語1991年~ 日本語
LSAS (Liebowitz Social Anxiety Scale) (Liebowitz, 1993) 0 115 6
SPS (Social Phobia Scale) (Mattick & Clarke, 1998) 6 121 2
SIAS(Social Interaction and anxiety scale) (Mattick & Clarke, 1998) 3 25 2
FNE(Fear of Negative Evaluation) (Watson & Friend, 1969) 25 71 2
SAD(Social Avoidance and Anxiety Scale) (Watson & Friend, 1969) 4 29 2
Brief Social Phobia Scale,BSPS (Davidson et al., 1991) 0 34 2
FQ (fear questionnaire) 14 41 0
SPAI(Social Phobia and Anxiety Scale) (Turner et al., 1989) 8 147 0

 

 

表 5 理論的研究の動向,病因や認知モデルなど

    英語~1990年 英語1991年~
生理学,脳波,電位 physiology, physiologic,EEG,potential, 297 482
セロトニン sertonin, 5-HT 22 317
生物学,レセプター,トランスミッター,神経伝達物質 biology,transmitter, receptor 45 144
文化 culture,cultural 48 112
条件付け conditioning 195 105
イメージング,MRI,SPECT,PET,画像 imaging, MRI, SPECT, CT, PET 12 92
ドーパミン dopamine 10 56
認知モデル cognitive model 1 49
扁桃体 amygdala 2 43
行動抑制 behavior inhibition, behavioural inhibition 3 33
認知バイアス,認知の歪み,認知的評価 cognitive bias, cognitive distortion, cognitive appraisal 5 27
自己効力感 self efficacy,self-efficacy 12 17

文化については日本語で18件あった。

表 6 治療法の動向

キーワード Key word 英語~1990年 英語1991年~ 日本語
薬物療法,薬物,薬理学 pharmaco 233 509 89
森田療法 morita therapy 2 3 48
fluvoxamine, フルボキサミン,paroxetine,パロキセチン fluvoxamine, paroxetine, fluoxetine, venlafaxine, citalopram, 2 214 39
認知療法,認知変容,認知再構成,認知修正 cognitive therapy, cognitive modification, cognitive restucturing 31 345 33
行動療法,認知行動療法 behavior therapy, behaviour therapy 1010 300 19
精神分析,内省指向,力動的,対象関係論 psychoanalysis,psychodynamic,insight oriented 83 48 13
集団行動療法,集団認知行動療法 behavior/behavioural therapy, and group 105 88 6
SST,社会技術,生活技能 social skill 16 89 5
リラクセーション,筋弛緩,自律訓練 Relaxation 228 53 6
エクスポージャー,エキスポージャー,暴露,曝露,脱感作 exoposure, flooding, implosion, desensitization 623 412 3

 

 

 

引用文献

Anonymous 1982 The epidemiology of mental disorders: results from the Epidemiologic Catchment Area Study (ECA). Psychopharmacol Bull, 18, 222-5.

Barlow, D. H., Allen, L. B. and Choate, M. L. 2004 Toward a Unified Treatment for Emotional Disorders. Behavior Therapy, 35, 205-230.

Birk, L. 2004 Pharmacotherapy for Performance Anxiety Disorders: Occasionally Useful but typically Contraindicated. Journal of Clinical Psychology, 60, 867-879.

Bishop, E. R., Jr. 1980 An olfactory reference syndrome — monosymptomatic hypochondriasis. J Clin Psychiatry, 41, 57-9.

Block, J. A. 2003, Acceptance or change of private experiences: A comparative analysis in college students with public speaking anxiety. http://www.il.proquest.com/umi/

Brown, T. A., Campbell, L. A., Lehman, C. L., Grisham, J. R. and Mancill, R. B. 2001 Current and lifetime comorbidity of the DSM-IV anxiety and mood disorders in a large clinical sample. Journal of Abnormal Psychology, 110, 585-599.

Clark, D. M. and Wells, A. 1995 A cognitive model of social phobia. al, e. (ed./eds.) Social phobia: Diagnosis, assessment, and treatment. Guilford Press.

Davidson, J. R., Potts, N. L., Richichi, E. A., Ford, S. M. and al, e. 1991 The Brief Social Phobia Scale. Journal of Clinical Psychiatry, 52, 48-51.

Emmelkamp, P. M., Mersch, P.-P., Vissia, E. and Van der Helm, M. 1985 Social phobia: A comparative evaluation of cognitive and behavioral interventions. Behaviour Research & Therapy, 23, 365-369.

Fairbrother, N. 2002 The treatment of social phobia — 100 years ago. Behav Res Ther, 40, 1291-304.

Gergen, K. J. 2005 The Disappearance of the Social in American Social Psychology. Journal of the History of the Behavioral Sciences, 41, 65-67.

Gundel, H., Wolf, A., Xidara, V., Busch, R. and Ceballos-Baumann, A. O. 2001 Social phobia in spasmodic torticollis. J Neurol Neurosurg Psychiatry, 71, 499-504.

原井 宏明. 吉田 顕二. 木下 裕一郎. 西山 浩介. 山口 日出彦. 下原 宣彦. 岡嶋 美代, 2003社会不安障害(SAD)の薬物療法 社会不安障害の薬物療法のエビデンス, 臨床精神薬理 6 1303-1308.

Hayes, S. C., Strosahl, K. D. and Wilson, K. G. 1999 Acceptance and commitment therapy: An experiential approach to behavior change. Guilford Press.

Heinrichs, N. and Hofman, S. G. 2001 Information processing in social phobia: A critical review. Clinical Psychology Review, 21, 751-770.

Kessler, R. C., McGonagle, K. A., Zhao, S., Nelson, C. B., Hughes, M., Eshleman, S., Wittchen, H. U. and Kendler, K. S. 1994 Lifetime and 12-month prevalence of DSM-III-R psychiatric disorders in the United States. Results from the National Comorbidity Survey. Arch Gen Psychiatry, 51, 8-19.

Lauterbach, E. C., Freeman, A. and Vogel, R. L. 2004 Differential DSM-III Psychiatric Disorder Prevalence Profiles in Dystonia and Parkinson’s Disease. Journal of Neuropsychiatry & Clinical Neurosciences, 16, 29-36.

Leary, M. R. and Kowalski, R. M. 1995 The self-presentation model of social phobia. al, e. (ed./eds.) Social phobia: Diagnosis, assessment, and treatment. Guilford Press.

Liebowitz, M. R. 1993 Pharmacotherapy of social phobia. J Clin Psychiatry, 54 Suppl, 31-5.

Liebowitz, M. R., Fyer, A. J., Gorman, J. M., Campeas, R. and Levin, A. 1986 Phenelzine in social phobia. J Clin Psychopharmacol, 6, 93-8.

Linehan, M. M. 1993 Cognitive-behavioral treatment of borderline personality disorder. Guilford Press.

Mannuzza, S., Fyer, A. J., Liebowitz, M. R. and Klein, D. F. 1990 Delineating the boundaries of social phobia: Its relationship to panic disorder and agoraphobia. Journal of Anxiety Disorders, 4, 41-59.

松永寿人, 松井徳造, 大矢健造, 切池信夫. 2001 古典的対人恐怖症の臨床的特徴を有した社会恐怖症患者の治療について 薬物療法を中心に, 臨床精神医学 30, 1233-1238.

Mattick, R. P. and Clarke, J. C. 1998 Development and validation of measures of social phobia scrutiny fear and social interaction anxiety. Behav Res Ther, 36, 455-70.

Mennin, D. S., Heimberg, R. G. and Jack, M. S. 2000 Comorbid generalized anxiety disorder in primary social phobia: symptom severity, functional impairment, and treatment response. J Anxiety Disord, 14, 325-43.

Moutier, C. Y. and Stein, M. B. 1999 The history, epidemiology, and differential diagnosis of social anxiety disorder. J Clin Psychiatry, 60 Suppl 9, 4-8.

O’Donohue, W. 1998 Conditioning and third-generation behavior therapy. O’Donohue, W. (ed./eds.) Learning and behavior therapy. Allyn and Bacon.

Rassin, E., Diepstraten, P., Merckelbach, H. and Muris, P. 2001 Thought-action fusion and thought suppression in obsessive-compulsive disorder. Behav Res Ther, 39, 757-64.

Ressler, K. J., Rothbaum, B. O., Tannenbaum, L., Anderson, P., Graap, K., Zimand, E., Hodges, L. and Davis, M. 2004 Cognitive enhancers as adjuncts to psychotherapy: use of D-cycloserine in phobic individuals to facilitate extinction of fear. Arch Gen Psychiatry, 61, 1136-44.

Rodebaugh, T. L., Holaway, R. M. and Heimberg, R. G. 2004 The treatment of social anxiety disorder. Clin Psychol Rev, 24, 883-908.

Sakurai, A., Nagata, T., Harai, H., Yamada, H., Mohri, I., Nakano, Y., Noda, Y., Ogawa, S., Lee, K. and Furukawa, T. A. 2005 Is “relationship fear” unique to Japan? Symptom factors and patient clusters of social anxiety disorder among the Japanese clinical population. J Affect Disord, 87, 131-7.

Schneier, F. R., Blanco, C., Antia, S. X. and Liebowitz, M. R. 2002 The social anxiety spectrum. Psychiatr Clin North Am, 25, 757-74.

Segal, Z. V., Williams, J. M. G. and Teasdale, J. D. 2002 Mindfulness-based cognitive therapy for depression: A new approach to preventing relapse. Guilford Press.

Sheeran, T. and Zimmerman, M. 2002 Social phobia: still a neglected anxiety disorder? J Nerv Ment Dis, 190, 786-8.

Siqueland, L., Rynn, M. and Diamond, G. S. 2005 Cognitive behavioral and attachment based family therapy for anxious adolescents: Phase I and II studies. Journal of Anxiety Disorders, 19, 361-381.

Skre, I., Onstad, S., Torgersen, S., Lygren, S. and Kringlen, E. 2000 The heritability of common phobic fear: A twin study of a clinical sample. Journal of Anxiety Disorders, 14, 549-562.

Stein, D. J., Ipser, J. C. and Balkom, A. J. 2004 Pharmacotherapy for social phobia. Cochrane Database Syst Rev, CD001206.

Stein, M. B. and Deutsch, R. 2003 In search of social phobia subtypes: similarity of feared social situations. Depress Anxiety, 17, 94-7.

Stemberger, R. T., Turner, S. M., Beidel, D. C. and Calhoun, K. S. 1995 Social phobia: an analysis of possible developmental factors. J Abnorm Psychol, 104, 526-31.

Stopa, L. and Clark, D. M. 1993 Cognitive processes in social phobia. Behav Res Ther, 31, 255-67.

Tanaka-Matsumi, J. 1979 Taijin Kyofusho: diagnostic and cultural issues in Japanese psychiatry. Cult Med Psychiatry, 3, 231-45.

Turner, S. M., Beidel, D. C., Dancu, C. V. and Stanley, M. A. 1989 An empirically derived inventory to measure social fears and anxiety: The Social Phobia and Anxiety Inventory. Psychological Assessment, 1, 35-40.

Tyrer, P. and Steinberg, D. 1975 Symptomatic treatment of agoraphobia and social phobias: a follow-up study. Br J Psychiatry, 127, 163-8.

Veltman, D. J., Tuinebreijer, W. E., Winkelman, D., Lammertsma, A. A., Witter, M. P., Dolan, R. J. and Emmelkamp, P. M. 2004 Neurophysiological correlates of habituation during exposure in spider phobia. Psychiatry Res, 132, 149-58.

Watson, D. and Friend, R. 1969 Measurement of social-evaluative anxiety. Journal of Consulting & Clinical Psychology, 33, 448-457.

Widiger, T. A. 1992 Generalized social phobia versus avoidant personality disorder: a commentary on three studies. J Abnorm Psychol, 101, 340-3.

Yamashita, I. 2002 [Social phobia: east and west]. Seishin Shinkeigaku Zasshi, 104, 735-9.

 

原井宏明, 橋本加代. 軽症うつ病に対する精神科薬物療法. 精神科治療学(0912-1862)精神科治療学. 2013;28(7):847–52.(草稿)

軽症例に対する精神科薬物療法のあり方 -軽症うつ病に対する精神科薬物療法

筆頭著者名(和文): 原井 宏明

所属1(和文):医療法人和楽会なごやメンタルクリニック

所属2 (和文):国立病院機構菊池病院臨床研究部院外共同研究員

共著者名(和文):橋本 加代

所属 長嶺南クリニック

I.                 「軽症うつ病に対する精神科薬物療法はどうしたら良いのか」

1.                30年前を振り返る

うつ病に薬物療法を行うべきかどうかは古い話題である。筆頭著者の原井が中井久夫教授が率いる神戸大学清明寮で研修医を始めたときから議論されている。DSM-III(1)が生まれた頃,約30年前のことだから,今と背景は違う。当時のメインの抗うつ薬は三環系だった。新規抗うつ薬は当時もあったがそれはマプロチリンなどの四環系だった。今の新規抗うつ薬は選択的セロトニン再取り込み阻害薬(Selective Serotonin Reuptake Inhibitors,以下SSRI),セロトニン・ノルアドレナリン再取り込み阻害薬(Serotonin & Norepinephrine Reuptake Inhibitors,以下SNRI),ノルアドレナリン作動性・特異的セロトニン作動性抗うつ薬 (:Noradrenergic and Specific Serotonergic Antidepressant,以下NaSSA)である。当時の新型うつ病は仮面うつ病だった。Smiling Depressionとも呼ばれ,笑っている人でもうつ病を疑えというものだった(1)。非定型もあったがうつ病ではなく,非定型精神病だった。

診断方法も違う。神戸大学での研修医時代,DSMならぬDSEが診断であった(D=うつ,S=統合失調症,E=てんかん)。カルテの病名もこの三つのどれかだった。この三つは三大精神病であり,精神病こそが大学病院精神科が扱うべき疾患だった。精神病そのものは治せないかもしれないが,入院や鎮静,デイケアなどによって保護やリハビリをする必要があった。まれにn=神経症とつけることもあったが,nの患者は本来は来るべきではない患者だった。まとめればDSEn(ディー・エス・エヌ)診断と呼べるだろう。軽症うつ病はnになる。不安障害という概念はなく,軽症はまとめてnだった。そしてnを特異的かつ確実に治すような治療法は当時はなかった。治せない上に入院や保護,リハビリが不要な患者を大学病院で診続ける意義はない。「病気ではないから気にするな」と伝えることが精神療法だった。

精神療法と比べると抗精神病薬の効果ははっきりしている。問題を起こす患者がいれば看護師長が注射しろと研修医の私に命じていた。診断がSではないからと私は抗議したが,抗精神病薬の注射の効果は幻覚や妄想だけではなく,病棟内での人間関係のトラブルや強迫行為,嗜癖にも及ぶと思われているようだった。オーベンからは脳波だけはきちんと評価できるようになれと指導された。脳波以外は診断も含めて精神科医の仕事のほとんどは曖昧で医学と呼ぶに値しないというのが理由だった。精神医学は独自の哲学に基づく実用性無視の学問,「医学」と呼べないマイナー科という位置づけの方が主流だった。当時は,エビデンスに基づく医療(Evidence Based Medicine, 以下EBM)(2)という概念はなかった。

「認知行動療法」もなかった。精神療法イコール精神分析だった。笠原嘉の小精神療法はあった。その原則は病人全体に通じるような,1)休息させる,2)病気の間は非難しない・励まさない・決めさせない,3)希望的観測を伝える,だった。これだけなら精神科で精神療法を研修する必要はない。風邪を引いて寝ている患者を診る内科医も同じことをするだろう。行動療法がなかったわけではない。しかし,九州などごく一部で行われているだけで,普通の精神療法家から見れば行動療法とは人を動物扱いし,飴と鞭で支配する下品な代物だった。1980年代は認知行動療法という言葉が生まれた時期である。頭に”認知”をつけることで行動療法をより人間的なものとして受け入れてもらいやすくする狙いがあるようだった。

今は,どれだけ30年前から変わったのだろうか?

2.                今

はっきりと変わったものはである。うつ病患者の数は,1984年,入院・外来合わせて11万人だった(3),今は100万人を超えている。精神科・心療内科の外来クリニックの数が増えた。日本精神神経学会も大きくなった。現在の会員数15,155人,2013年5月の第109回学術総会の参加者は6,400人を超えた。1980年代は会員数5,000人台,学術総会参加者は1,000人あれば多い方だった。1997年,93回大会のときでも1,700名である。

治療法も増えた。薬だけではない。認知行動療法が加わった。精神分析と違い,抗うつ薬とプラセボと比較したランダム化比較試験(4)の結果と一緒に紹介され,”抗うつ薬と同等のエビデンス”という肩書きもある。エビデンスのためにDSMがいる。エビデンスのほとんどが欧米からの輸入品であり,輸入品を日本で使うためにはDSEnでは都合が悪い。

数の増加と,選択的セロトニン再取り込み阻害薬(Selective Serotonin Reuptake Inhibitors, SSRI)とDSM,EBM,認知行動療法の普及はほぼ同時に起こっており,それぞれが関連していると考えるのが自然である。新規抗うつ薬の増加と,診断基準とエビデンス,認知行動療法の普及によって,うつ病の患者は1980年代よりも治るようになったのだろうか?あるいは治療のメニューの増加に合わせて,どの患者はどの治療がマッチしているとわかるようになったのだろうか?もし,そうならばうつ病の患者はここまで増えないはずである。新型うつ病や難治性うつ病という概念がでてくる必要もない。学会が大規模化し,治療メニューが増え,診断がより正確になり,判断に役立つエビデンスが増える,このような良い進歩が起これば起こるほど,かえって新型や難治性の敵が増えているように見える。まるでベトナムやアフガニスタンで泥沼の戦争に追い込まれた二大超大国のようだ。泥沼から抜け出す努力はもちろんある。日本うつ病学会が出した治療ガイドラインはその1例だろう(5)それで上手く行っているのだろうか?

精神神経学会の学術総会に参加する人が増えた,しかも真面目に勉強する人が増えた。知識に対する欲求が増え,知識総体も増えた,なのにうつ病治療のアウトカムの改善はない,むしろ知識に振り回され,混乱が増しているように見える,それでも原井が参加したうつ病に対する精神療法のシンポジウムで最後に質問した人のようにアリピプラゾールによる増強療法の最新の知見はどうなのか,どの抗うつ薬を組み合わせれば最強なのか?と聞いてくる人がいる。新しいルール探しに精神科医はこだわることを止められない。50代以上の精神科医なら,昔の三環系抗うつ薬の方が新規抗うつ薬よりも効果が高いと知っているが,そのような古いルールには誰も見向きもしない。私たち,精神科医たちは最新の知見,最新のエビデンスというルールに支配されてしまい,実際のアウトカムという目の前にある現実から目を背けているように見える。

3.                過去から今を見る

1980年代のうつ病の論文を今,引き出して読むと,当時からいかに私たちが進歩していないかがわかる。当時の方が良かったことがある。先々には解決するだろうという明るい雰囲気があった。融道男先生の「うつ病の病因-最近のトピックス」(2)を読むと,つぎつぎ明らかになる神経生化学研究の知見や新規抗うつ薬によって,いずれは本誌で取り上げたような問題が解決するだろうという明るい見通しがうかがえる。

今,そう思う人がいるだろうか?軽症例のうつ病の治療は新薬によって解決するだろうか?アクセプタンス・コミットメントセラピーやマインドフルネスのような第三世代の認知行動療法(6)によって解決するだろうか?臨床と治験,認知行動療法の普及に直接関わってきた原井の立場からはNoと答えるしかない。もし,はっきり,Yesと答え,それをサポートできるエビデンス,コホート研究による疫学的研究を出せる人がいたら私は引き下がろう。

エビデンスはなくても,1980年当時のように曖昧に,あるいは先々には解決するだろうと答える人がいるかもしれない。その人の言うとおりに,本当に実効性のある進歩が得られたとしよう。そのような進歩が日本全国に普及し,うつ病で受診する患者数が減少するという時代が来たとしよう。しかし,それでは困る人たちが出てくる。雨後の筍のように増えた駅前ビル診療所はどうやって経営をするのだろう?精神科病院は統合失調症患者の減少を認知症患者の増加で補うことができた。うつ病患者の減少を駅前ビル診はどうやって補うのだろう?今,児童思春期を専門にしている診療所はどこも2,3ヶ月以上の予約待ちがある。うつ病患者の減少を児童思春期の患者の増加で補うのだろうか?

本誌,「精神科治療学」を中井久夫先生たちが創刊し,当時の研修医仲間の皆が購読したのも,雑誌の主要なテーマが治療論であり,他の雑誌のように病因論や診断論ではなかったからだろう。中井久夫先生が1980年当時,注目されていたのは統合失調症の病因ではなく,寛解過程に注目したからだ。同じように軽症例のうつ病の治療はどうあるべきか?という問いに答えが与えられないならば,問いそのものを変えなければならない。30年近くたって解決つかない問いがあるのは,答えられない人のせいではなく,問いのせいである。

II.                今,学びつつある精神科医はどうしているのか?

1.                30代の精神科医の疑問

原井は50代の精神科医である。精神科医の仕事が曖昧なまま,この先にも進歩がないことで原井自身は困らない。私が仕事を失うことはおそらくない。しかし,患者自身はもちろん,これから精神科医としてのキャリアを積もうとしている若い人たちは困るだろう。100万人のうつ病の患者さんたちが精神科医を見離したら,彼らは仕事を失ってしまう。うつ病の患者数が10万人で精神科医のまたごく一部だけが診ていた時代は終わっている。精神科以外の医師も,また心理士などもうつ病の自分たちのターゲットと見なしている。

30代の精神科医はどう思っているのだろうか?その1人である橋本に疑問点を考えてもらった。

うつ病学会のうつ病治療ガイドラインが出た。読んで疑問が増えた。結局,薬物療法が必要なのか不要なのかはっきりしない。軽症例では積極的には使わない方向で行こうという方針はあるが,消極的になりすぎるのもよくないし、暫定的判断で使ってよいとも書いてある。結局それで、いままでの処方パターンを変える人がいるのか。結論はそもそも無理なのかもしれないが,そうならば今回のこのガイドラインは何のためなのか?と感じてしまう。

2.                個人的オピニオンに基づいて答えるならば

これは治療ガイドラインは役に立つのかという問題と、その内容についての問題に分けて考えることができる。まず,ガイドラインについて考えてみよう。ガイドラインを出せば,医者の処方がその通りになるか,というと、そのようなエビデンスはない。ガイドラインを出したからと言ってその国の医療内容が良くなったとか、それこそDSMがでたからといって、精神科医の診断に妥当性や信頼性が出たというエビデンスは原井の知る限りない。ガイドラインをネットで公開すれば,人の行動が変わる,とくに多剤併用のような問題処方をしている人が変わると期待する人は,教科書を渡せば学生は勉強するはずだと思っている教師と似ている。

内容を見てみる。“1 把握すべき情報”は見残しがないよう全てを網羅しようとしている。発達障害には特に詳しい。しかし,このガイドラインは治療方法の選択のガイドラインなのだから,詳しく調べることが治療方法の選択につながるべきだが,そんなことは書いていない。詳しく調べて結果がでても治療法は同じならば調べる意味がないし,必要が生じたときに後から調べても良いはずだ。一方,抜けているものがある。解離性障害(転換性障害)について触れていない。虚偽性障害もない。二次的を含む疾病利得のことを考えなくて良いと思っている臨床家として楽天的すぎる。初診時から自立支援や障害者手帳,診断書を要求してくる患者は珍しくない。そして,決定的に欠けているものが,過去の病歴・反応性である。ライフチャートとよぶ過去の病相を年表のようにしたものが必要だ。これがなければ大うつ病性障害反復性か単一か,双極性障害か,急速交代型かわからないし,この区別は治療方法の選択につながる。

例えば季節性感情障害には高照度光療法を検討するとある。その通りだと思う。特異的な治療法だ(3)。害も少ない。残念なことに,どうやって季節性感情障害をアセスメントするのか書いていない。ライフチャートを2,3年分つくればわかることなのだ。

過去の病歴も医療使用歴まで全てまっさら,病前性格も社会適応も悪くない,発症がこの1ヶ月ぐらい前からという患者,初治療の単一エピソードの患者で,いわばメンタルヘルス・バージンの患者ならば,このガイドラインが役立ちそうだ。しかし,このようなメンタルヘルス・バージンの患者を診たときに,ガイドラインが必要だと思う精神科医はどのくらいいるのだろうか?詳しく調べるまでもなく笠原の小精神療法で十分だ,無理して抗うつ薬を使わなくても,睡眠薬を飲んで寝ればそのうち良くなるだろう,と考えるのが普通の医者だろう。

3.                エビデンスに基づいて答えるならば

では軽症うつ病に対する薬物療法について,原井以外の他の医師ならどう答えるだろうか?一時,精神科医の間で,NICE Guideline(7)が,初診のうつ病患者に対して,すぐに抗うつ薬を出すのではなく,最初は経過観察することを勧めていることが話題になった。この件について,EBMに詳しい同僚と意見をやりとりしたことがある。その一部を以下に示す。

原井:軽症うつ病に対する薬物療法について,NICE Guideline(7)では,

Antidepressants are not recommended for the initial treatment of mild depression, because the risk-benefit ratio is poor.

としているので,これに従うことにしています。

某医師:NICE Guidelineでは,Guided Self-Help以外の根拠はすべてC,つまりexpert opinionsになっています。それでもこれに従うのですか?一方,major depressionのmildなものなら薬物療法の効果がランダム化比較試験(RCT)で示されています(8)。これによると、minor depressionについてはwatchful waitingで良いと思います。軽症うつ病がminor depressionを指すのなら、NICEの言うとおりだと思いますが、「うつ病」と書くのだから、mild major depressionのことを言っているのですよね?

1980年代から進歩したもので有意義なものを1つ取り上げろと言われれば,原井が最初に考えるのがEBMである。エビデンスがあるから,私は行動療法や動機づけ面接をするようになった。RCTに基づいて治療法を選ぶことに賛成である。一方,彼からのメールには戸惑った。一つにはNICE Guidelineを作成したチームが彼以上にEBMについて詳しい人たちだと思うからである。二つ目には実際に治験で40例以上のうつ病の患者にプラセボを投与し,その結果を知っているからである。メタアナリシスでは抗うつ薬はプラセボより効果が優るのだろう。40例では少なすぎて差がつかないのだろう。しかし,プラセボは40例だけでもはっきりと抗うつ薬よりも副作用が少ない。三つ目にはRCTは効果がプラセボと同等であるという帰無仮説を否定しただけであって,抗うつ薬を投与すべきだとガイドラインに明記し,うつ病の治療に当たる医師全員がそれに服従することで,実際のうつ病に悩む患者が減る,ということまで証明したわけではない。NICEのチームは,現在,入手可能な最強のエビデンスをもってしても,軽症うつ病患者の全員に抗うつ薬を服用させろと医師全体に命じるようにガイドラインには書くには至らない,と判断したのである。世の中で数多く行われたRCT全体を見渡してみよう。帰無仮説が否定できなかった,すなわちプラセボなどの比較対象との間に差を証明できなかった治療法のほうがはるかに多いのである。認知療法の用語でいえば,EBMは否定的認知のスキーマに骨の髄まで染まっている。1回のRCTで肯定的な結果が出ても信じない。追試を繰り返して,肯定的な結果が続き,そして比較対象との差が十分に大きくなければ,その治療法に根拠があるとみなさない。

4.                クリニック経営に基づいて答えるならば

原井と橋本は年代は違うが,共通点がある。2人とも医療法人が経営するクリニックの勤務医である。今日のクリニックと1980年代の大学病院とは目標が違う。1980年代の医療機関,とくに公的なものには経済観念がなかった。国公立精神病院は平気で赤字を垂れ流していた。今のクリニックの経営者には集患・増患という観念がある。経営者は患者が気軽に受診できるよう,クリニックの場所や入り口の雰囲気に気を使う。ホームページの整備は当然である。来てくれた患者さんに対しては,不安や嫌な気持ちが来たその日から楽になり,眠れるようになり,患者が次もまた薬を求めてクリニックに来てくれるように処方を工夫する。初診の患者を増やし,再来の患者はできるだけ長く続けてくるようにさせることが集患・増患なのである。。薬を貰うために長年,通い続けてくれる患者は担当医が退職などで変わっても続けて来てくれる,クリニックの経営を支えてくれる。「いわば固定資産だ,大事にしなさい」と教えてくれたクリニック経営者がいた。精神科に限らず何科のクリニックであっても,あるいは全ての客商売において集客(患)は必須であり,常連客(患者)こそが収益を磐石にしてくれる。景気変動や病名の流行り廃りとは無関係になるからである。

こう考えれば,初診で来たうつ病の患者に対して経過観察をするなどありえない。うつ病と抗うつ薬を知らない大人の日本人はまずいない。自らうつ病ではないかと思ってクリニックに来た患者に「確かにうつ病ですかが,軽いから」と言って薬を出さないのは,患者を驚かせるだけだろう。せめて今晩だけでも楽に眠りたい,という患者は他のクリニックに移ってしまいそうだ。最初から抗うつ薬,スルピリドなどの抗精神病薬の少量,抗不安薬2種(長時間型の定期服用と短時間型の頓服)の4種をセット処方にして出してしまう手を勧めてくれたのが先ほどの経営者である。これが“固定資産”を増やすのに役立つと経験でわかっているのだろう。

III.              薬だけではない

本論のテーマは薬物療法だった。認知行動療法は大丈夫なのだろうか?実は認知行動療法も同じ問題を抱えている。抗うつ薬と同等の効果がある,だから効果のエビデンスがあるというのが常套句である。しかし,抗うつ薬自身がプラセボとそれほど差が無い,副作用やコストなどの点も考えに入れれば,軽症うつ病の場合には抗うつ薬の効果は必ず処方すべきと言えるほどではない。20歳以下に関しては効果を示すエビデンスがないと添付文書に明記されるまでになった。プラセボとそれほど差が無いとされる治療法と同等ということは,認知療法もプラセボとそれほど差が無いということだ。認知療法には薬のような副作用はないから,効果の点で優越性がなくても,臨床的な有用性があると主張する人がいるだろう。しかし,よく考えてほしい。プラセボは治療マニュアルを作成したり,治療者をトレーニングしたりする必要がない。1回30分かけて,毎週受診,10回続けるという患者の手間暇もかからない。そして,全国どこでも使える。認知療法ができる精神科医が不足しているのは確かにそうだろう。では,プラセボ治療ができる精神科医は不足しているのだろうか?国立菊池病院で原井は多くのプラセボ対照ランダム化比較試験を治験責任医師として手がけたが,プラセボを出す医者を探すのには困らなかった。そして,キーオープンの後,それぞれの医師の治療成績を振り返ると,男性医師が女性を担当した場合,女性医師が男性を担当した場合にそれぞれプラセボ反応が高かったが,それ以外には医師個々人での差は無かった。プラセボ治療は医師間のバラツキが小さいのである。

プラセボは診断基準やエビデンス,認知モデルに基づかない。何故効くのか?と効いても答えがないからプラセボと呼ぶ。私たちは逆に考える必要がある。診断がより正確になり,判断を頼るべきエビデンスが増え,認知モデルや治療法が増えること自体に問題があるのだろう。しかし,良い進歩を問題視し,他の方法は?と問う人はまだいないようだ。

DSEn診断をしていた精神科医たちは,言い方を変えれば,こんな風に診断していたともいえる。DとS,Eはそれぞれ抗うつ薬と抗精神病薬,抗てんかん薬が必要な患者である。神経症のnは,抗不安薬だけで良く,それも一時的使用に限り,ずっと続けて精神科に来るべき患者ではない。そもそも大学病院の医師で患者の数を増やしたいと願う者はいない。DSEn診断はどの薬を誰が飲むべきかだけを決めるための診断だと言える。患者は少ない方が早く仕事が終わるし,診断は少ない方が迷いも少ない。そしてそんな精神科医ばかりだったせいで,地域におけるうつ病の患者数が少なく,難治性も少なくて済んでいたのかもしれない。

1980年代,日本の精神医療は入院治療に偏り,欧米と比べて地域精神医療が貧弱過ぎると非難された。クリニックの開設は入院中心から外来・地域精神医療中心への転機になるはずだった。デイケアなども備えて,慢性精神障害者に対するノーマライゼイションを目指しているはずだった。結果的には,今起こっていることは,“メンヘラー”という新しい慢性患者を作っているだけのように見える。治療し,成功するとは結果として減患することである。減患という言葉はまだ日本語にない。

文献

  1. Association AP. Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders  (DSM-III). 3rd ed. Washington DC, USA: American Psychiatric Press; 1980.
  2. 古川壽亮. エビデンス精神医療. 東京: 医学書院; 2000. p. 6.
  3. 厚生労働省:傷病別年次推移表 [Internet]. [cited 2013 May 27]. Available from: http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/kanja/02syoubyo/1-1b4.html
  4. Murphy GE, Simons AD, Wetzel RD, Lustman PJ. Cognitive therapy and pharmacotherapy. Singly and together in the treatment of depression. Archives of general psychiatry [Internet]. 1984 Jan [cited 2013 May 24];41(1):33–41. Available from: http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/6691783
  5. 気分障害の治療ガイドライン作成委員会日本うつ病学会. 日本うつ病学会治療ガイドライン うつ病性障害2012 Ver.1. 2012;1–61.
  6. 原井宏明. アクセプタンス・コミットメント・セラピー(ACT)の利点は何か. 精神医学(0488-1281). 2012. p. 352–6.
  7. Middleton H, Shaw I, Hull S, Feder G. NICE guidelines for the management of depression. Bmj. British Medical Journal Publishing Group; 2005;330(7486):267.
  8. Paykel ES, Hollyman JA, Freeling P, Sedgwick P. Predictors of therapeutic benefit from amitriptyline in mild depression: a general practice placebo-controlled trial. Journal of affective disorders [Internet]. [cited 2013 May 26];14(1):83–95. Available from: http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/2963054

認知行動療法のパフォーマンス

日本認知・行動療法学会第41回大会 2015年10月2日(金)~4日(日)

自主企画シンポジウム「開業カウンセリングルームにおける、認知行動療法のアウトカム。認知行動療法のパフォーマンス」

指定討論者 草稿

EBMとは何か

EBMも人口に膾炙するようになった。「私はエビデンスによる裏付けがない治療法をやっています」と大きな声で言うことは恥ずかしいと思うべきだ,というのが今の御時世である。たしかに「ホメオパシーが良い」「オルゴン療法は凄い」とメジャーな学会で言い出したら,変人扱いだろう。
では「私がやっている治療法にはエビデンスによる裏付けがあります」はどうだろう?
自慢になるのだろうか?
治療法にはエビデンスの裏付けがあるのだろうが,“私”には裏付けがあるのかどうかわからない。「私の”フェラーリ”は300km/h以上出せる」と言っても,“私”に出せるかどうかはわからないのと同じである。
根拠に基づいた医療とは「良心的に明確に分別を持って、最新最良の医学知見を用いる」という医療のあり方をさす。これは医療者に向けられた言葉である。患者にとってはどうだろう?
患者の立場からすれば医療者がEBMをしているかどうかはどうでも良く,その医療者が自分にとって役立つかどうかが知りたい情報である。「良心的に明確に分別を持って、最新最良の医学知見を用いて」医療者選びをしたいはずである。一方,症状に困っている患者にとっては,「良心的に明確に分別を持って」判断するのは難しいことだ。そして,その判断能力があったとしても,患者に必要な最新最良の医学知見とは米国国立衛生研究所が行ったRCTの結果ではなく,受診候補に入っている医療者の最新の治療成績だろう。
車に喩えて言えば,フェラーリのスペックではなく,ドライバーのスペックが患者にとって必要な情報である。しかし,実際はどうだろう?
医療者の大半は患者に自分の車のスペックを教えることはできても,自分自身のスペックを教えることはできていないはずだ。それにもかかわらず,自分の知っているエビデンスに基づく治療法を患者に勧めようとする。
私たちのほとんどは髪の毛を切っているはずであるが、どこでいつ切るかどうかの判断はどうやってしているのだろう?
ウォーレン・バフェットはこんな格言を残している「散髪が必要かどうかは床屋に聞いちゃいけない。」

パフォーマンスのサイエンス

戦後,先進国でもっとも医療の成績が上がったのが周産期医療である。
妊婦死亡率でみれば1980年は20.5だったものが1996年には6.0になった。
16年間で1/3になっている。

アトゥール・ガワンデの「医師は最善を尽くしているか」から引用する。

医学研究に携わる医師に、現代医学の進歩はどうやって実現したのかを尋ねて欲しい。
たいていは、エピデンスに基づく医療(EBM) のモデルについて語るだろう。
これは、臨床試験によって正しくテストされ、効果があると証明されていない医療技術は、どんなものであっても実際の臨床では用いてはいけない、という主張である。
臨床試験は、できれば二重盲検化された、ランダム化比較試験であれば理想的である。
しかし、1987年にランダム化比較試験による確かなエビデンスを用いているかどうかについて各医療分野をランクづけしたところ、産科学は最下位になった。
産科医はランダム化比較試験をほとんど行わないし、もし行っても、その結果を大方、無視する。(中略)

一方、産科では、新しい方法について試す価値がありそうに見えたとき、産科医が臨床試験での結果が出るのを待つことはなかった。
先に進んで実際に試してみて、結果がどうなるのか経過を見るようにしていた。
産科学の改善の道は、トヨ夕方式やGE方式と同じ方法であった。迅速に、しかし、常に結果に注意を払い、改善を目指すということである。

産科医療にはアプガースコアもあり、結果はすぐに出る。そのデータを各施設で公開し,比べあうことこそが死亡率の低下という素晴らしい医療の進歩に結びついた。

精神科でも疾患によっては結果をすぐに出せるものもある。アルコール依存症における断酒率は良い例だ。勤労者におけるうつ病患者の復職率も良いだろう。強迫性障害におけるY-BOCSなどアプガースコアに似た標準的な尺度もある。その気になればパフォーマンスを見せ合い,結果を競い合うことは精神科でも可能ではある。

医療の問題

医療の成績を出せば良いとは皆が考えるだろう。でも,今度は評価の対象を決めることが難しい。

精神医療が扱う範囲はこの30年間でも大きく広がった。小児から老人まで,高所恐怖の患者から触法精神障害者まで,産科医療のようにアプガースコア一つで評価を統一できるとは誰も思わない。

さらにいえば,精神医療の仕事は“治すこと”だけではない。というよりも精神医療が始まってから今までの間を振りかえると,「治す」というのはごく最近の変化であり,治らないことを前提に,福祉的に支えることがメインの仕事だったことがわかる。今でも多くの精神医療機関にとっては“治す”ことよりも,障害の受容とリハビリーテーションの方がメインの仕事である。

統合失調症や双極性障害,発達障害,認知症,依存症,境界性パーソナリティー障害など精神医療のメインストリームである疾患を振り返って欲しい。「治せる」,「受診も薬も止められる」,とは誰も言わないはずだ。

精神医療は障害者福祉と一体化している。自立支援医療(精神通院医療)の診断書を書き,障害者手帳が取れるようにし,デイケアなどでリハビリをし,A型事業所などで就労支援をし,さらに障害年金で生活が支えられるようにすることも必要だ。これをメインの仕事にしている医療機関も多いはずだ。

改めて患者の側に立ってみよう。場合によっては患者自身が福祉サービスを求めていることがある。たとえば,ある患者が医療機関を選ぶとき,「障害年金を一番もらいやすいところが良い」と考えていたとしたら,どうだろうか?
私たちはそのデータを集めて公表すべきだろうか?
患者からのニードは確かに高いはずだし,改めて評価方法を開発する必要もない。しかし,医療者側・行政側はこのようなデータの公表を歓迎するだろうか?

筆者としては,行動療法を実践し,”治せる”治療法を実施していると自称するものは,治療法ではなく,自分のスペックを系統的に集め,公開すべきだと思う。

一方,それが社会に与える影響も同時に考えておく必要もある。そして,どのような影響が医療者側にとっても,患者側にとっても望ましいことなのかも決めておく必要があるだろう。

2014, 強迫性障害の認知行動療法-個人療法,集団集中治療,サポートグループ. メンタルクリニックが切り拓く新しい臨床(原田誠一 編) 東京: 中山書店 2014. p. 99–108

I.              国立病院の部長からクリニック院長へ

私は20008年1月、熊本の国立菊池病院を辞めて,なごやメンタルクリニックの院長になった。サラリーマンであり,経営者ではない。人事は全て和楽会理事長が決定し,私はまったくタッチできないが,心理士の雇用については私の希望を入れていただき,今は2人が一緒に働いている。その内1人は,10年前までは強迫性障害と行動療法についてもまったくの素人だったが,今は日本認知・行動療法学会でも良く知られた強迫性障害のエキスパートになっている。ここで述べる強迫性障害の治療成績に関しては彼らのおかげである。

国立病院では臨床研究部長をした。民間の雇われ院長との違いはいろいろある。臨床研究部長には臨床研究部に関する人事・予算の決定権限があった。臨床試験コーディネーターに私の知り合いを入れることができた。しかし,それが人選ミスになることがあった。受託研究費の増加は年度内に使い切れないという問題を生んだ。権限を持つことは自由でお気楽という意味ではなく,むしろその逆である。私が国立にそのまま居残れば,いずれはどこかの国立精神科病院の院長になっただろう。国立病院のトップと言えば聞こえは良い。しかし,病院職員がトップの意のままに動くようなことはなく,事務や看護など医局以外の人事は本部が決めてしまい,院長はタッチできない。その点では国立の院長は民間の雇われ院長と変わらない。そして,何百人という人を抱えた大きな組織の責任を取らされるトップであるのと,数人だけの組織で形式的なトップであるのとでは,ストレスの程度は大きく違う。雇われ院長であるから臨床に集中できるという面がある。

国立と民間のさらに大きな違い,あるいは最寄り駅は数キロ離れた無人駅という病院と新幹線の改札まで300mの診療所の違いは,“数”である。これだけアクセスが違えば一日に来院する患者数も違う。菊池病院では一日の再来患者数は多くて十数人だった。再来は1人に30分かけていた。なごやメンタルクリニックでは,再来は一日に50~70人,新患は月に50人程度である。2008年に異動した当初から強迫性障害と診断される患者数は多かったが,その割合は徐々に増え,2014年では新患の6割が強迫性障害,毎月10人強の患者が3日間集団集中治療を受けている。

集団集中治療自体は菊池病院で始めたものである。飛行機で来院する患者が現れ,週に1回,10回来院させることは非現実的になったためにに始めたのが最初の動機である。近くに宿泊してもらい,毎日外来に来させる方が合理的だし,結果的に治療成績も上がった。一方,医療経済の観点からすれば不合理な治療だった。数日間連続で来院させると,通院精神療法も取れなくなる。場所を名古屋駅前のクリニックに移すことで,経済的に合理的で,そして多くの患者さんに提供できるようになった。メディアに取り上げられることも増えた。2014年9月の時点で,新患の予約待ちは1~2ヶ月である。心理士の個人カウンセリングの予約も1ヶ月半の待ちがある。専門領域と治療に特色があるクリニックとして,十分以上に集患できているということになる。

患者が集まる根本的な理由は強迫性障害と行動療法という最強のコンビを提供できることにある。強迫性障害に対する行動療法プログラムが駅前ビル診にとってお勧めである点を説明することにしよう。

II.             強迫性障害+行動療法がもつアドバンテージ

行動療法はさまざまな疾患・問題に対する効果がランダム化比較試験で証明されている。いわゆる神経症,軽症うつ病や不安障害に対して教科書的にはファーストラインの治療法になっている。パニック障害に対する認知行動療法はどこでも一応はやっていることになるだろう。パニック障害の患者に対して,最初に精神分析や描画療法のような表現療法を勧めようという精神科医はまずいない。一方,他の治療法と比較したときの行動療法の優越性がどんな疾患でも同じかと言えばそうではない。うつ病やパニック障害の場合,プラセボ反応が高いことが知られている。行動療法について特別な経験を持たない精神科医からみれば,うつやパニック障害の場合なら,対処療法的な薬物療法と支持的精神療法で治ってしまう患者を普通に経験しているはずだ。Hofmannらのメタアナリシス(Hofmann & Smits, 2008)によれば,行動療法が他の治療法に対してもつアドバンテージは,強迫性障害に対して使う場合により目立つ。

パニック障害の患者は抗不安薬だけで満足してしまうことが多い。多くの患者は安全な場所,例えば自宅にとどまっている限りは不安を感じない。怖いところに外出することを避けることは可能だし,どうしても必要なときだけ抗不安薬の頓服に頼れば良い。社交不安障害の患者も同様である。不安な状況を避けてさえいれば苦痛はない。社交不安障害の患者は自分の病名を周囲にカミングアウトすることを一般に嫌がる。社会的場面にエクスポージャーすることはカミングアウトすることを伴うから,そのようなことをせずにすむ薬物療法にまず頼ろうとする。

強迫性障害の患者はプラセボ反応が低い。恐怖を感じずにいられる安全な場所はあるかもしれないが,そこでも強迫行為を止めることは難しく,自宅に引きこもっていると強迫行為がエスカレートする。そして,抗不安薬では強迫観念や強迫行為を止められない。SSRI (Selective Serotonin Reuptake Inhibitors,選択的セロトニン再取り込み阻害薬)を使えば強迫観念は和らぐが,症状の軽減は半分程度(Koran & Disorder, 2007)である。自然には治らない,家に籠もっていたら悪化する,その場しのぎの抗不安薬は症状を変えない,SSRIでは不全寛解がやっととなると,行動療法の対抗馬のパフォーマンスが悪いことになる。

一方,行動療法の十分な経験がない精神科医の場合,治そうとすればするほど逆に強迫が悪化してしまうことがあることを経験しているはずだ。エクスポージャーは不安障害に対するファーストラインの治療として知られているが,強迫の患者にエクスポージャーを強制的に行って失敗すると,その後の治療はより難しくなる。強迫観念に対して通常の認知修正技法を試みると,さらに別の認知を修正しなければならない。おそらく,これらの理由のせいで,一般の精神科医は強迫性障害を扱いたがらない。肥前療養所時代に山上敏子先生から行動療法を一緒に学んだ仲間は何十人といる。その多くは今は,私と同じような診療所の院長になっている。強迫性障害と行動療法を私と同じように知っているはずの仲間の中でも強迫性障害の紹介を積極的に受けているところは2,3箇所しかいない。受けているところでも,強迫性障害の患者の診察は,他の診断の患者よりも時間がかかるからという理由で,数を制限しているようだ。

このように考えれば,強迫性障害と行動療法を専門にするクリニックは他との差別化がしやすいことになるだろう。もっとも,最初から,私がそう考えて強迫性障害を手がけたわけではない。私自身,強迫性障害の治療を始めたころは,入院治療が基本であり,駅前ビル診療所で大勢の患者を診ることなるとは思いもよらなかった。

私にとって強迫性障害とは,1987年に最初の患者を肥前療養所で担当したときから,治療できる病気であった。「強迫性障害は行動療法で治せる」は,それから30年近くたっても変わらない。変わったのは,より多くの患者をより短期間で治せるようにする,すなわち治療効率が上がったことである。効率が上がった結果,手洗い・確認のような典型的な強迫性障害だけでなく,整理整頓や収集癖,身体醜形障害,チック障害のような強迫関連障害の患者も治せるようになってきた。そして,小児や妊娠中の患者,本人は受診せず家族相談だけの患者など,通常の治療アプローチには制限があるような患者も扱えるようになった。このような特殊な患者を扱ううちに,通常の患者の場合には,最初から薬物を使わずに治したり,中止したりができる例が増えてきた。現在では,前医で薬物療法を受けていた患者は薬を整理し継続するが,飲んでいない患者の場合は,最初に行動療法を試み,反応が悪ければ次にSSRIを使うようにしている。SSRIはセカンドラインの治療法になっている。第2世代の抗精神病薬 (SGA, Second Generation Antipsychotics)を使うのは本当に最後で,全体の5%以下である。このようなことが可能になった背景には,アクセプタンス&コミットメント・セラピー (Acceptance & Commitment Therapy, ACT) と動機づけ面接 (Motivational Interviewing, MI),地域強化アプローチと家族トレーニング (Community Reinforcement Approach and Family Training, CRAFT),習慣逆転法 (Habit Reversal Training, HRT) を使えるようになったことがあるが,これだけではない。OCDの会という患者・家族を中心にしたサポートグループを2004年に設立し,各地に広げてきたことも大きい。一つ一つ細かな工夫を積み重ねてきたことが,年間300人弱の強迫性障害の患者を引き受けられるようになったことにつながっている。

クリニックでの仕事は最前線の仕事である。「何ができる」よりも「何をしたか」の方が大切である。国立病院臨床研究部の部長ならば,能書きを書くだけで仕事になるが,クリニックは実際に何人の患者が来たか,どんな治療を受けたか,どんな結果を残したかが仕事である。「どんな強迫性障害でも治療できる」と謳いつつ,実際に治した患者数は数年間で二桁という医者と,「強迫性障害のごく特定の患者しか治療できない」とへりくだりながら,実際に治した患者数が三桁という医者を比べた時,どちらが治療者として優れているかは,後者だろう。

実際の治療パフォーマンスを見てみよう。

III.           原井自身の強迫性障害の治療パフォーマンス

1986年に佐賀県の国立肥前療養所に就職し,強迫性障害の患者を山上敏子先生の指導の元で診るようになった。このころ,行動療法で治療することイコール入院だった。行動療法の原則は,エクスポージャーと儀式妨害 (Exposure and Ritual Prevention, ERP)である。洗浄強迫や確認行為を1日以上,完全に妨害しなければならない。そのためには入院させ,看護師も協力して,24時間体制で監視することが必要だと考えていた。このころに私が診ていた強迫性障害の患者の大半は山上先生に紹介されてきた患者である。10年もすると,治療方針で山上先生と意見が一致しないことも次第に増えてきた。私は肥前でアルコールの臨床も経験した。その中で集団療法や患者の体験談の効果,「底つき」や「イネーブラー」のような概念を知るようになった。山上先生はアルコール依存症の治療で私が身につけたやり方には問題があると思っているようだった。1998年,熊本県にある国立菊池病院に移ることにした。

菊池病院で強迫性障害を自由に治療できるようになったとき,最初に考えたことは,行動療法に集団療法を加えることだった。肥前療養所ではアルコール病棟を担当しており,院内の集団ミーティングとAAなどのサポート(自助)グループへの参加が治療だった。強迫性障害に対してもサポートグループが役立つだろうと私は考えたのだった。患者はぼちぼちと集まってきた。最初は,菊池病院の中から,その後,周辺のメンタルクリニックなどから,そして,2000年に私のホームページに設置した強迫性障害の治療マニュアルを見て,飛行機に乗って東京などからも患者がやってくるようになった。2000年ごろは,検索エンジンで「強迫性障害」を検索すると,私のページが検索結果のトップ10に入っていたのである。院内で行っていた集団療法が発展し,行動療法によって回復した患者の中にはサポートグループの設立に協力してくれる人もでてきた。2004年3月,患者とその家族のためのサポートグループである,OCDの会の設立総会が行われた。

菊池病院時代から私が担当した患者数や治療内容,サポートグループについての変遷を表にまとめた。

表 強迫性障害の患者数

場所 時期 新患数(人) 集中治療患者数 個人カウンセリング数 集団集中プログラム サポートグループなどの動き
菊池病院 2000~

2004年

20(1年あたり

平均)

    入院・外来 不定期に集団 2004年3月OCDの会発足

10月 第1回市民フォーラム開催

2005 24     入院・外来 定期的に集団 12月 「とらわれからの自由No1」を刊行

2月テレビ報道 OCDの会のメンバー出演

2006 37 13   入院を中止,外来のみ、不定期に集団集中プログラム(4日間)  
2007 42 20   外来のみ,毎月定期的に集団集中プログラム(4日間 3,4人)  
なごや

メンタル

2008 101 16 341(90分57) 毎月の集団集中プログラム(3日間)

集中参加前に教育プログラムと個人カウンセリング必須

OCDの会 名古屋例会開始

 

2009 131 69 322(90分12) 集団集中1回の参加人数3~8人 1月 東京OCDの会設立
2010 161 69 120    
2011 159 62 118    
2012 262 66 100 集団集中1回の参加人数を6~12人に拡大 2月 静岡OCDの会,例会開始

5月 図解やさしくわかる強迫性障害 刊行

10月 NHKの“あさイチ”に東京OCDの会のメンバーが出演

2013 287 93 144   12月 長野OCDの会設立
2014(8月まで) 216 81 103   8月 北海道OCDの会設立

新患は病院やクリニックにとっての新患だけでなく,同じ施設内での私への担当変更も含んでいる。2006年から始まっている集団集中プログラムとは,数人の患者で集団をつくり,朝から夕方までERPを行うものである。2,3人の治療者が朝から夜まで付き添い,食事や入浴,買い物,自転車の運転などを駅コンコースや商店街などで行うようにする。実際の生活の場を使いながら,公衆トイレやコンセント,鍵,忘れ物などに対してエクスポージャーを行うことができる。期間中は強迫行為が禁じられる。トイレの後の手洗いはできない。お握りは素手で食べなければいけない。短期集中で行うことによって治療が早く進み,集団で行うことによって同時に種々の強迫症状に対して介入しながら,仲間意識を利用してERPへの動機づけができる。終了後もネット上の掲示板を通じて行動療法を継続するモチベーションが保たれるようにしている。

個人カウンセリングとは30分または90分の時間をとって行動療法などを行うことである。セカンドオピニオンや家族相談も含まれている。30分の場合は,簡単なセッション内エクスポージャーやHRT,コミュニケーション・トレーニング,ACTについての心理教育を行う。90分の場合は,強迫性障害の患者で行動療法を希望する場合の初診やセッション内エクスポージャーを行う。2008~9年は週の1日をカウンセリングのみの日に割り当てており,その日は90分カウンセリングの患者5人で終わりという日があった。しかし,全体の患者数が増えるにつれてカウンセリングのみの日を設けることが難しくなった。90分カウンセリングに対する需要はあっても,時間枠を開けておくことができなくなったのである。一緒に働いている心理士も強迫性障害に対する行動療法に習熟してきたので,初診時の詳しいオリエンテーションやセッション内エクスポージャーを私は行わず,心理士の個人カウンセリングの中で行うようにした。強迫性障害の患者で行動療法を希望する場合でも他の診断や薬物療法のみの患者と同じく,初診を30分で行うようにした。こうした結果,2010年からは90分カウンセリングはゼロになっている。

2013年からは心理士のカウンセリングの予約枠の余裕がなくなった。予約待ちが日によっては1ヶ月近くになってきた。このため,私が行う30分カウンセリングの枠を増やして対応するようにした。2014年からは,心理士のカウンセリングを2,3回受けてか3日間集団集中治療を受けてもらうようにしていたのを1回だけにした。場合によっては初診だけで個人カウンセリングなしで集団集中治療に参加させることもある。集団集中治療の参加者が増えるのに対応して,曜日を金土日から土日月に変更した。人数が増えすぎて,土曜日の他の医師の診療に差し支えるようになったからだ。

表の一番右の欄は,OCDの会についてである。最初は毎月の月例会だけだったが,次第に大きくなった。2004年10月,外部講師を招待し,一般向けの公開市民フォーラムを開催した。その後も,年に一回の市民フォーラムと行動療法研修会の開催している。2005年12月,「とらわれからの自由」と呼ぶ文集の第1号を刊行した。実際に行動療法を受けた患者やその家族の実体験を文集にし,これから治療を受ける患者・家族にとっての参考になるようにしている。毎年刊行し,2014年はNo.9を出した。

菊池病院の中で始まったOCDの会の月例会は,私が名古屋に移ってからも,熊本市内の公共施設で引き続き開催されている。2008年からは,名古屋で治療した患者が増えたことに伴い,名古屋でも月例会を開催するようになった。首都圏からの患者も多いことから,東京でも開催するようになった。さらに,静岡など他の地域でも,なごやメンタルクリニックで行動療法を受けた患者を中心にして,月例会が開かれるようになった。こうした会に参加し,回復した患者から話を聞いた患者や家族が行動療法に関心を持つようになっている。メディアも関心をもち,OCDの会のメンバーがテレビに出るようになった。2013年に刊行された強迫性障害のセルフヘルプ本「図解やさしくわかる強迫性障害」 (原井 & 岡嶋, 2012)でもOCDの会の紹介にページを割いている。患者たちの中には,治療が終わってから数年後の近況を会を通じて教えてくれる人たちがいる。手洗いに何時間も費やし,親を巻き込んでいた9歳の少女は,バイト探しに苦労する大学生になった。

クリニック経営者ならば,この患者数の増加だけでも良いニュースに見えるだろう。患者の立場からすれば,こんなに増えても治せるのか?治っていない患者が増えているのでは?と思うだろう。強迫性障害を専門にしている他の治療者から見れば,こんなに患者をかかえたら時間が足りない,よほどいい加減なことをしているのでは?と思うだろう。私から見れば,治していかなければ,患者数を増やすことはできない。治療に入ってきた患者を,2,3ヶ月という早い段階で治って来なくても良いようにするか,薬などの維持療法だけで済むようにしなければ,あっという間に再来の患者だけでクリニックの診療枠が一杯になってしまい,新患が取れなくなる。実際の治療成績を見てみよう。

図 集団集中治療を受けた患者の治療成績

キャプチャ

横軸は年を示す。左の縦軸はY-BOCSによる重症度が治療前と治療後で何%下がったかを示す。Y-BOCSの治療前の平均値は全体で27.4,治療後の平均値は12.0である。右の縦軸は患者数と初診から集中治療の後のフォローアップの診察(ここで治療後のY-BOCS評価を行う)までの週数を示す。縦棒は治療を受けた患者の年間の合計,黒の折れ線はY-BOCSの改善度,緑の折れ線は治療に要する週数を示す。入院治療をしていた頃は数ヶ月以上かかっていたのが,外来治療にしてからは3,4ヶ月になり,なごやメンタルクリニックに移ってからは数週間以下になっている。

集中治療を受ける患者は増加し,2013年は93人だった。治療期間は短くなり,集団でまとめて治療することになっているが,そうなっても改善度は50%台を維持している。患者1人1人にかける手間は簡単になりながら,治療成績は維持できていることがわかる。2013年の数字からみれば,10年前,20年前の私の治療はどれだけ無駄なことに時間と手間を使っていたのか,と驚くほかはない。昔の患者に申し訳なく思う。

IV.              強迫性障害に関わった30年をまとめて:リーンな治療へ

The Toyota Way トヨタウェイという本がある(Liker, 2003)。車を持っている人ならば,日本人でなくてもトヨタの名を知らないものはなく,そして“カンバン”などトヨタ生産方式の概念を聞いたことがある人は多いだろう。トヨタ生産方式の中に,リーンという概念がある。希薄化する,すなわち無駄を省くことが品質向上につながるという考えである。同じ製品を生産するならば,手間をかけずに生産できるほうが品質向上につながる。1つの生産工程に要する時間や関わる人などが減れば減るほど最終的な製品の瑕疵が減ると考えるのである。それぞれの生産工程での節約は小さなものである。ドアハンドル1つの生産にかかる時間が半分になってもたいしたことはないかもしれない。しかし,それが積もり積もっていけば,多数の部品や工程からできあがる一台の車の信頼性は上り,コストは下がる。

医療者の中に時間をかければかけるほど,濃厚であればあるほど良い治療になると考えている人がいる。重症であればあるほど外来に時間をかけ,頻度も多く,入院は長期になり,薬も多剤大量になる。強迫性障害は一般には治りにくい精神疾患とされているから,そうした濃厚な治療の対象になりやすい。患者や家族も新薬や新しい精神療法が古いものより“効果が高い”と自然に期待することが多い。そのような期待に合わせれば濃厚さはさらに度合いを増していくことになる。治療を濃厚にすればするほど,新薬・新精神療法であればあるほど,良い結果が出るというエビデンスは私の知る限りない。ERP自体は30年以上の歴史がある古い治療である。一方,濃厚にすれば手間暇と時間がかかり,副作用も生じることは理屈からも経験からも確かだと思う。新薬・新精神療法は古いものと比べれば効果も副作用も未知なところが多く,治療者が未熟であることは言うまでもない。

菊池病院では新患1人に1時間半,再来1人に30分かけていた。なごやメンタルクリニックではそれぞれ30分,5分である。そうでなければ,月に50人の新患をさばくことはできない。集団集中治療も菊池では多くて4,5人だった。2008年に異動した当初から強迫は多かったが,その割合は徐々に増え,2014年では新患の6割が強迫性障害,毎月10人強の患者が3日間集団集中治療を受けている。今,こうして振り返ると,できるだけ一つ一つの治療のプロセスにかける手間や時間,来院回数,治療期間をリーンにしていることが分かる。

犠牲になったものはもちろんある。2008~9年は,強迫性障害の患者は今ほど多くなく,新患の予約待ちが1,2週間ぐらいだった。強迫性障害以外の患者で,行動療法を希望してくる患者を受け入れることができた。娘を自殺で失った母親で“複雑な悲哀”に苦しむ患者に対してプロロングド・エクスポージャーを行ったり,複雑な家族背景を抱え,境界性人格障害と診断され,多剤大量処方されていた主婦を自立した就労にまで持っていくこともした。また,本人が来院せず,家族相談だけの患者や,収集癖の患者の治療のための家庭訪問もした。いくらリーンな治療ができるようになったといっても,それは強迫性障害の患者で集団集中治療の中で治療できる場合だけである。その他の診断の患者や問題への対応をしなくなったことは残念である。

V.             制限があるということ

リーンな治療,効率化するようになった理由は,増える患者に対応するためだったり,患者数を増やせという経営者側の要求があったりするからだ。ただ単純に治すだけを目的にしていたならば,ここまで効率化する必要がない。制限があれば,その制限の中で,手持ちの能力だけで何とかしなければならない。そのための工夫をするようになり,そして結果を出すように続けてきた結果がこうなっている。そして,なぜ制限があるのかと考えると,私が経営者である院長ではなく,雇われ院長であるからだという理由に突き当たる。

雇われ院長が普通の“院長”とどう違うかについてある例をあげよう。採血が必要な患者が来たとする。私は患者に採血を告げる。患者は立ち上がり,外に出ようとする。私は患者を押しとどめ,再び椅子に座らせ,採血台を出して,私が駆血帯を巻く。患者は訝しげな顔をする。私は雇われ院長であり,ボスである理事長がOKしない限り,自分の手足になるような看護師は欲しくても雇えないのだ,と説明する。私が自分でやるしかない。国立病院での21年間,私は自分で採血することが無かった。最初は私自身が不安だったのだが,やればできるものである,この4,5年で私の採血技術もずいぶん上手になった。採血中に診察で聞きそびれたことや身体的なこと(リストカットの話題などは採血中に手を触りながらするほうがやりやすい)を聞くこともできるようになった。不潔恐怖のため手に触られることを嫌がる患者も,なぜか採血のためには手が触れることを許してくれたりする。通常の経営者院長のように,自分が楽をできるように人を雇い入れることはできない,そんな制限が工夫や技術を生み出していることになる。

もし,私が経営者院長であったならば,「自分が強迫性障害を治せる」ということだけに満足し,ここまで数を増やし,効率化させることはなかっただろう。再来の患者1人に30分かけ,無駄なこともしていた時代が懐かしい。

参考リンク

OCDの会 (熊本) http://ocdnokai.web.fc2.com/

名古屋OCDの会 http://758ocdf.web.fc2.com/

東京OCDの会 http://109ocdf.web.fc2.com/index.html

文献

Hofmann, S. G., & Smits, J. A. J. (2008). Cognitive-behavioral therapy for adult anxiety disorders: a meta-analysis of randomized placebo-controlled trials. The Journal of Clinical Psychiatry, 69(4), 621–32.

Koran, L. M., & Disorder, A. P. A. W. G. on O.-C. (2007). Practice guideline for the treatment of patients with obsessive-compulsive disorder. American Psychiatric Publ.

Liker, J. (2003). The Toyota Way: 14 Management Principles from the World’s Greatest Manufacturer (ザ・トヨタウェイ(上・下) 稲垣 公夫 (翻訳) 日経BP社 2004). New York: McGraw-Hill.

原井宏明, & 岡嶋美代. (2012). 図解やさしくわかる強迫性障害 (p. 160). 東京: ナツメ社.

2002,様々な治療法における診療・相談記録の書き方 行動療法 行動アセスメントと記録の仕方,そしてPOS,精神科臨床サービス,2巻2号,Pp201-205

2002 Medical records, POS BT, Seishinka Rinsho Service

成人の気分障害に対して診療を行う場合を対象にした。症例と記録例を提示し,行動療法のアセスメント方法を示した。
この論文のポイントを以下に示す。(1)診療録の基本はPOS(Problem Oriented System 問題志向システム)とPOMR(Problem Oriented Medical Record問題志向に基づく診療録)である。(2)問題解決志向の点で, POSと行動療法は同じである。問題リストを行動アセスメントによって作成し,記録をPOLiRlこ従,コて行えば,それは良い行動療法の診療録になる。(3) 行動療法はアセスメントの技法を発達させてきた。その特徴は,以下のようになる。①問題をわかりやすいように扱いやすいように変えやすいように分ける。②さまざまな状況下で繰り返しアセスメントする。③作業仮説を立てる。④理屈よりも経過や結果を大事にする.

 

条件反射制御法は行動療法になれるか? ―科学的言説とは―

日本認知・行動療法学会第41回大会 2015年10月2日(金)~4日(日)

行動療法士会企画シンポジウム「条件反射制御法は,行動療法として認知されるか?―実践から後付けの理論を考える―」

指定討論者 草稿

発表に用いたパワポファイル(PDF)原井 on the associative learning theory(1)

条件反射制御法は行動療法になれるか?

これは集合の問題である。「行動療法は条件反射制御法になれるか?」という質問は誰もしないだろう。行動療法はさまざまな要素を含む概念であり,そこに含まれる要素は1959年に概念が生まれてから,ずっと増え続けている。

条件反射制御法∈行動療法 ?

条件反射制御法には創始者がいる。平井愼二著「条件反射制御法」はどう思っているか?

平井は“学習理論に著者は賛成しない。学習理論は誤っており,精神や行動に関する種々の分野の発展を阻害してきたと考える”(1)。だから,創始者の立場ははっきりしている。

平井:パヴロフ学説の応用⊄学習理論の応用

行動療法家:行動療法⊆学習理論の応用

だから,条件反射制御法は行動療法とは相容れない。お別れである。

平井愼二著「条件反射制御法」は学術書か?

学術書としてみたら異様な本である。

  1. 先行研究を一切,調べていない

一切,系統的なレビューがない。清々しい。

  1. 引用文献が面白すぎる

外見は166ページある立派な単行本だが,引用文献は全体で10件しかない。そのうち5件は自著である。外国人のものはすべて訳書である。

例えば,

E・マルデ、ルシュテイン(1979)世界名作で学ぶ大脳生理学.講談社

これは調べるとブルーバックスである。他には,

柘植秀臣(1974)条件反射とはなにかーパヴロフ学説入門.ブルーパックス,講談社

平井と演者は同世代である。私も高校生のころにはブルーバックスには大変,お世話になった。しかし,高校生の時に買った本を2015年に出す自著に引用文献として出す勇気はとても私にはない。

  1. 人と動物を言語で区別するという素人常識に従っている

日本行動療法学会第36回大会で松沢哲郎先生に特別講演をしていただいた。訓練をすればチンパンジーにも言語を操れることは平成の年代ならば中学生でも教わることだ(2)。

創始者を無視して技法を見てみよう

平井の著書の理論的部分を無視して,患者の記載のところだけを見ると興味深いところがある。“はじめに”にある場面は薬物条件づけによって覚せい剤のパラフェルナリアが強い条件刺激になったことを意味している。そして,おまじないなどの技法は抑制学習(Inhibitory Learning)に注目していることがわかる。

エクスポージャーを物質依存に対して用いるのは1990年ごろからある。” Cue exposure and relapse prevention”で検索するとかなりの文献がみつかる。さらに,Craskeらが,抑制学習に関する理論的レビューを書いている(3)。今まで行動療法家はエクスポージャーを消去・馴化としてしか見てこなかった。もっと積極的に反応抑制を学習していることにも注目すべきだろう。

EMDRという前例

EMDRは始まった時点では行動療法の新しい技法として注目された。演者も1992年にEMDR (Eye Movement Desensitization and Reprocessing)をオーストラリアで開かれた国際行動療法会議(WCBT)で知り,大変興味を引かれた。なによりもJoseph Wolpeが絶賛していたのである。

しかし,この技法は現代では行動療法の一技法としてはみなされていない。EMDRの治療開発者はEMDR専門家として行動療法研究者からは独立してしまっている。

行動療法には解体研究(Dismantling study)という伝統がある。新しい治療法が出現すると,その新しい部分だけを取り去った治療と,新しい治療の間の成績を比較してみるのである。それをEMDRに行ってみたら,その結果は芳しいものではなかった(4)。こうした批判に対してShapiroは感情的な反応をした。そして,行動療法学会との付き合いに避けるようになった。

条件反射制御法を行動療法にできるか?

あとは行動療法家がどうするかだろう。条件反射制御法には確かに抑制学習という行動療法家が見落としていた観点がある。この方法の効果を検証するRCTを日本で行うことができれば,それは学術的業績になり,行動療法に貢献したことになるだろ。

文献

  1. 平井愼二. 条件反射制御法 物質使用障害に治癒をもたらす必須の技法. 東京: 遠見書房; 2015. 20 p.
  2. 国語2 文部科学省検定済教科書 中学校国語科用 平成4年度版. 東京: 光村図書出版; 1992.
  3. Craske MG, Treanor M, Conway CC, Zbozinek T, Vervliet B. Maximizing exposure therapy: An inhibitory learning approach. Behav Res Ther. 2014 Jul;58:10–23.
  4. Cahill SP, Carrigan MH, Frueh BC. Does EMDR work? And if so, why?: a critical review of controlled outcome and dismantling research. J Anxiety Disord. Jan;13(1-2):5–33.

伝える=変化と指示のためのコミュニケーション技術 臨床心理学増刊7号 2015

はじめに

伝えることは英語に訳せばコミュニケーションである。どちらも意味するところはとても広い。”コミュ障”という民間診断名も目にする。ビジネス書の中では”コミュニケーション”は頻繁にでてくるテーマである。会社内コミュニケーションのキモを覚えやすくまとめた「報連相」(1)やジャーナリズムにおける「5W1H」(2)は読者もどこかで聞いたことがあるだろう。報連相とは報告・連絡・相談のことであり,5W1Hはいつ(When),どこで(Where),誰が(Who),何を(What),なぜ(Why),どうやって(How)をまとめたものである。

IT業界もコミュニケーションを重んじる業界である。重要なテーマに「要求定義」がある。システム開発ではユーザーがそのシステムなどで何がしたいのかを具体的に定義しなければならない。ユーザーは自分の要求をまとめて提案依頼書(RFP, Request For Proposal)として開発者に送らなければなければいけない。開発者はユーザーに対してリサーチとヒアリングを行い,ユーザーが心に描くゴールを具体化し,それを実現するために実装しなければならない機能や,達成しなければならない性能などを明確にしなければならない。この作業は「要求定義」と呼ばれる。読者の中には学会の大会などを開催した経験を持つ人がいるだろう。学会業者に実務を依頼したことがあるかもしれない。大会長が提案依頼書を口頭だけで済ませ,業者は要求定義の作業をサボったとしたらどうなるだろう?大会終了後に残るものは赤字決算だ。

精神障害を持つ患者はコミュケーションの障害も伴うことには誰にも異論がないだろう。自分がどう困っているのかを相手にうまく伝えられないことが患者を患者にしている。クリニックに来た患者が問診票に“うつ,不安,不眠”とだけ,すなわち提案依頼書には3語しかなかったとしよう。患者のゴールが不明なままで,治療者は何も聞かずに「うつ病ですね。仕事を休み,ストレスを避けて,うつと不安の薬を飲んで,寝なさい」としたならば,その“うつ病”はかなりの確率で多剤併用を要する難治性になる。

ここでは”伝えること”がもつ機能を解説し,その具体例を示す。そして,臨床では必ず使っているはずだが,まともに扱われることがない”指示を伝える”コツを示す。患者に”コミュ障”があるのは仕方ないし,それは最初から織り込み済みのはずだ。しかし,治療者の指示が意味不明ならば患者はどこに訴えればいいのだろう?

伝えることがもつ3つの機能

ヒトは社会性動物である。多数の個体が強調したり,競合したりしながら一つの社会を形作っている。お互いに影響し合いながら,社会の恒常性と発展を実現している。このようにしてお互いに影響し合う手段のうち重要なものが言語だが,それだけではない。アイコンタクトや表情,身振り手振り,言葉にならない声などもその中に入る。伝達手段はさまざまだが,それらが果たす機能を大きく分ければ,1)マンド(要求言語行動),2)タクト(報告言語行動),3)イントラバーバル(言語間制御)の3つになる。表に3つの基本的な言語行動を示す。

表1 3つの基本的な言語行動

名称 機能 刺激/結果 説明と例
マンド 要求

 

命令

お願い

確立操作(話し手の欲求など)/欲求などに応じた特定の結果 欲しいものが制限されたり,嫌悪的な事態に置かれたりするなどの動因操作を受けて自発し、それらの動因の低減や嫌悪事態の除去によって強化される言語行動。マンドは聞き手に対して好子や嫌子を指定する。
良い例:医師が患者に「苦しいのはどこ?喉,心臓,お腹?」と質問する。診察後に次回の受診と会計の指示を出す。

患者が話している途中で医師が許可を求めて別の話題に変える。

悪い例:患者が医師に「苦しい,助けて,何か出して」と訴えるが,何で苦しいか,何が欲しいかは指定しない。医師が患者に「ちゃんとわかるように説明しろ」と要求する。

医師が診察時間を気にして時計をチラチラ見る。

タクト 報告

 

記述

科学的知識

非言語的な状況・刺激・変化・気づき/日特異的な結果,承認などの社会的強化 「そうだね」や「なるほど」、「すごい」などの是認のような般性好子により強化を受ける言語行動。タクトは特定の事物が弁別刺激となって自発され、聞き手はその事物とタクトの関連が,2人の間で共有できるほど一致しているとみなされる場合、是認を呈示して強化する。
良い例:患者が「胸がバクバクしだして。パニック発作が起きたらどうしようと思って。」と述べ,医師が「なるほど,パニック発作がまたきたら,と考えて苦しくなり,病院まで自分で来たのですね。今回は救急車を呼ばななかった」と認める。 悪い例:患者が医師に「もう苦しくて,最悪です,自殺するかもとか考えます,仕事も休んでしまって」とあれこれ話す。医師が「それは予期不安,心身交互作用,SSRIの量がまだ足りないからそうなる」と専門用語で説明する。
イントラバーバル 言語間制御

 

お喋り

一対一対応しない言語刺激/社会的強化(社交的お喋り) 語呂合わせや連想ゲームのような言語の繋がり。タクトが主として事物の視覚的な弁別刺激に対する言語反応であるのに対して、イントラバーバルは他者あるいは話し手自身の言語刺激を弁別刺激とする言語反応。
良い例:医師が「いかがですか?」と質問し,患者が「まあ,お陰様で」と答える。診察後に医師が「お大事に」と声をかけ患者が「はい,ありがとうございました」と答え,和やかになる。後で内容は誰も覚えていない。 悪い例:患者が医師に「SSRIでかえってパニック発作が増えたみたい」,医師が「初期は賦活作用がありますからね」患者が「賦活?副作用ですか?」医師が「副作用は他にセロトニン症候群やQT延長の可能性も」と話が広がってしまう。

(3) P144 を改変

何かを伝え,それで相手の行動が変わることを目的とするならば,マンドとタクトが大切だということはこの表からも分かるだろう。イントラバーバルの本来の役割は行動の変化ではなく,いわば対人関係の潤滑油のようなものである。病院のスタッフが忘年会などで他愛もない話で盛り上がるような場面を思い浮かべて欲しい。大いに呑み,大いに語り合い,後から写真を見ると「あのときは楽しかった」という思い出が残るような場面である。しかし,お互いに何を話したかは記憶に全く残らないだろう。むしろ,その方が良い。このような場面で部下に「報連相しろ」と言い出す上司がいたならば,それこそ,空気の読めない“コミュ障”である。

マンドとタクト,イントラバーバルには良し悪しがある。診察の場面で,「苦しいです,助けてください」と患者が訴えとしよう。これはマンドである。スタッフがこれは大変と慌てて,すぐに救急車を呼んだとしよう。患者のマンドに応じたわけである。やってきた救急隊員はスタッフに「患者はどうですか?」と尋ねる。そのスタッフが「患者さんが苦しそうなのです,とにかくどこかに病院に連れて行ってください」としか答えられないとしたら,これは恥ずかしい。患者の状況についてタクトしなければならないのに何も説明できていない。このスタッフは患者の「苦しい,助けて」に対して脊髄反射を起こしたようなものである。

診察で患者がマンドをするのは普通のことである。何がどうなっているのか,どうなっているのか問診票の主訴の欄に“うつ,不安,不眠”と書いたとしたら,それがどんな要求なのか,どんなものが足りないと欲しているのか,どんな嫌悪的な事態から逃れようとしているのか,それを問診していかなければならない。

とても大事な伝える方法「文章」

言語の3大機能が分かったところで,一つ練習をしてみよう。ある治療者から筆者のところに届いた紹介状の一例をあげよう(本物ではない)。患者の状態をタクトした報告書のはずだ。

この10代のクライエントは中学に入ったころから発達障害による生きづらさが原因となって慢性のうつ状態が発症し,そのため意欲低下や対人場面での不安,低い自己評価が生じるようになった。この結果,教室でのパニックや自傷傾向が生じるようになっている。

クライエントと家族には現在の生きづらさの原因が今まで見過ごされてきた発達障害によるものであり,本人の努力不足のせいではないこと説明した。パニック発作時に対する対処方法として呼吸法を教え,自傷行為に対してはマインドフルネストレーニングをさせるようにした。

日本語の文章としては成り立っているし,一応5W1Hもありそうだ。しかし,どうだろう,これを読んでもクライエントについての情報は何も付け加わっていないことに気づかないだろうか?文章として意味が通じていて5W1Hもありながら,情報を伝えていないというのはどういうことだろう?

コミュニケーションのモデル

コミュニケーション理論の中でもっとも単純でわかりやすいモデルはシャノンとウイーバーのモデルである(4)。彼らはラジオ放送にたとえて,話し手を放送局,言語を電波やラジオ受信機,聞き手を受信者のように考えた。

 

図 シャノンとウイーバーのモデル

 

先ほどの報告書で言えば,情報発信者はクライエントそのものである。送信機が紹介状を書いた治療者である。チャンネルは手紙や封筒,郵便局になる。受信機はこの紹介状を受け取った筆者になる。情報受信者は紹介されてきたクライエントになるだろう。紹介状を書くということは,クライエントの様子を専門用語にエンコードすること,すなわちクライエントがもつ情報を一枚の手紙に圧縮することだ。受信機である筆者はクライエントの様子を見ながら,その手紙をデコードしてエンコードされる前のもとの情報に戻さなければならない。

その気持ちで,もう一度紹介状を見て欲しい。ここに書かれていることはクライエント固有の情報ではなく,治療者の脳内の考えだということがわかるだろう。治療者は“発達障害による”として問題の理由づけを行い,その理由づけに基づいて,自分がどう解釈し,クライエントと家族に説明したかを書いている。すなわち,治療者の解釈がほとんどである。解釈を削ぎとり,クライエント固有の情報だけにすると;

このクライエントは10代である。

中学に入ったころから意欲低下や対人場面での不安,低い自己評価が生じ,続いている。

最近,教室でパニックになったり,自傷したりすることがある。

これだけだ。もとの文章では,発達障害→うつ病→症状のような因果連鎖を考えているが,これは間違いである。うつ病の診断は症状がいくつか揃っているから,そう診断するのであり,うつ病があるから症状が出るのではない。発達障害の診断には中学入学前からその要件を満たす行動があったことが必要だ。学童期の問題が確認できていないのならば,“発達障害→うつ病”は仮説に過ぎない。今,発達障害のように見えるからと言って,根拠もないまま,うつエピソードが起きる前からあったように紹介状に書いてしまうのは,後付けの理由づけ=“屁理屈”である。

先の紹介状を書き直してみよう。

このクライエントは中学に入ったころから,成績が下がり,友だちと遊ばなくなった。親が様子を聞いても何も答えず,ぼんやりしていることが多い。食事を残すようになり,好物のカレーパンを親が買って来ても見向きもしない。朝はギリギリまで寝ており,朝食抜きの日が多い。この1ヶ月間,教室で様子がおかしくなり,保健室で休んだこと3回ある。その時,手の甲の傷が見つかり,養護教諭が尋ねたら「シャーペンで傷つけた」と言う。

受診時,本人は「自分は病気じゃない」と最初に言う。後はうつむき,あまり話さず,自閉的に見える。「教室で息苦しくなるときがある」というので深呼吸の仕方を教えたら,これには興味を示した。

患者の状態に対する評価,因果関係づけを省き,患者の様子をタクトすることに努めている。最初の紹介状とどちらが役立つかは明白だろう。最初の紹介状は治療者の頭の中の概念ばかりが目立つ。

従いやすい命令と従いにくい命令を意識しよう

どんなカウンセリングでも一つは指示や教示がある。認知行動療法(以下,CBT)でよく使われるホームワークはその代表選手である。セルフモニタリングやクライエントが抱える問題や疾患について説明したセルフヘルプ本や先輩患者の治療感想文を読むように勧めることは読書療法と呼ばれて,CBTでは説得することもあるだろう。これらは命令である。言語行動の機能で言えばマンドである。話し言葉とは限らない。目配せや咳払いも状況によっては命令である。公道で警察官が振る警棒にほとんどの人は従う。学会発表でのレーザーポインターも立派な命令である。処方箋やポスターであることもある。マンドのない診察はないと言って良いほどよく使われているのだが,問題はその良し悪しである。

「もっと勉強しろ」「やる気を出せ」は読者自身がなんども言われたことがあるだろう。「ダイエットしなさい」「酒やタバコ,ギャンブルをやめなさい」と患者に言ったことがあるかもしれない。自殺未遂をした患者に自殺しないことを約束させることは精神科医の一つの常識になっているが,精神科医の精神衛生に役だっているだけで患者の側にとっては不評という意見がある(5)。

「心を安らかにし,イライラせず,周りに感謝しなさい」とは誰かがいいそうなマンドだ。読者のあなたが言われたとしたら,あなたはどう感じだろうか。果たして行動は変わるだろうか?ネットで商品の注文をしているときに「注文は受け付けられません。フィールド123A に不正な文字列が入力されました」のような表示を目にしたことがあるだろう。イライラせずにいられるだろうか?

前者は「イライラするときはイライラに任せなさい,そうなる理由があるのですから。無理に心を休めようとすることも。でも,どこかでイライラが止む時があるでしょう。そのとき周りを見てご覧なさい。良いもの,落ち着けるもの,人がいたら,ありがとうと言ってみましょう。それが心の平安です」といえば少しは落ち着くだろう。後者は,「電話番号に全角数字とハイフォンが含まれています。半角数字だけをもう一度入力してください。」であればイライラも少しは違うだろう。

どんな命令が従いにくく,どんな命令が従いやすいか,表にしてまとめてみよう。

従いにくい命令

内容や服従に対する強化・罰を工夫しても,服従行動が生じにくい命令

タイプ 定義 具体例
多重指示 記憶に残せる以上の数の命令

文脈と無関係な命令

ワーキングメモリの量を超える5個以上の単語
曖昧な指示 行うべき行動を特定しない命令 不合理な認知を改めなさい
質問命令 命令しながら,不服従の自由も与える 受付で次回の受診の予約をしてみる?嫌ならしなくてもいいけれど。
否定的情動を伴う命令 命令に情動を込める 今度は,必ず,次回の受診の予約してくださいね。(いつも予約を守った試しがない,もう,うんざりという顔)
曖昧なフレーズ 言葉をぼやかす ご家族とはできるだけ良い感じで接していただくのが何よりも良いことだと当然思いますけれど,まあ私の個人的な感想ですが。
命令の繰り返し 命令を変えながら繰り返す。 会計の時,予約してね。無理?じゃ明日,受付に電話して予約してね。無理?じゃ来れなかったときには受付に電話してね?無理?じゃ来るときには朝に電話して。無理?何でもいいから薬が無くなるまでに来てね。
長時間命令 完成するまでに時間がかかる命令 来月の受診まで酒を飲んではいけません。

 

役立つ指示

タイプ 定義 具体例
注意を引く 注目を促す刺激提示 目をじっと見る 間を置く
声調・音量 トーンを上げる,ゆっくり話す 地の文と区別をする
具体化 対象行動を具体的に示す ジェスチャーなどを示し,模倣できるようにする
ポジティブな言い回し 否定文・禁止命令ではなく,肯定文・積極命令にする ○○するな,○○してはいけない,ではネガティブな言葉の応酬になりやすい。○○せよ,○○すると良い,にする
服従までの待ち時間を示す いつまでに服従すれば良いかを示す。それより早くやれば誉めることができる 今から1分間に書いてください。会計が終わるときまでに次回の予定を決めておいてください。次の患者さんを見ます。後でお呼びしますから,その間に決めて下さい。
バックアップとフォロースルー 服従しなかった場合に対するバックアップ命令 課題表に○や×を付ける。次回の診察のときにチェックし,できなければ薬を変える約束
従いやすいステップ 複雑な課題を細かに分けて,従いやすくする 新幹線へのエクスポージャーを,駅,乗ってすぐ降りる,自宅までの帰路に使う,などの不安階層表に合わせてする

 

そもそもヒトはなぜ言語を持つにいたったのか?:言語の起源

たいていの人は自分の考えは正しいと思っているし,考えることイコール言語だと思っているから,言語は正しいと思っている。たとえば,今,読者の目の前にある活字の羅列=言語は正しく,書き手の考えを読み手に伝えている。考えを他者に正しく伝えることこそが言語の本分だと思うのである。しかし,言語の起源にまでさかのぼって考えてみよう。

感情や意志を伝えることだけであれば,言語がない動物も行っている。猫がのどを鳴らすとき、そのシグナルは猫の満足している状態を直接に表している。それを飼い主が信じることができるのは、猫の性格が正直だからではなく、偽ってその音を出すことが不可能だからである。動物の音声によるシグナルはたいてい場合,本質的に信頼できる。ヒトでも叫び声や泣き声,喘ぎ声はやはり同じ理由により信頼できる。喜怒哀楽のような感情を表す微表情もそうだ。プロの俳優なら演技できるかもしれないが,普通の人では周りに演技とばれてしまう。一方,言語でウソをつき通すことは普通の人でもできることだ。言語を駆使するプロである政治家や広告ディレクターを思い出せば良い。そして,ヒトの社会で言語がもっとも活躍していのは,ファンタジーや小説のようなフィクションの世界である。虚構をいかにもっともらしく見せることができるか,虚構を見せることでいかに読者から本物の感情を引き出せるかが,小説家の腕の見せ所である。

他者を騙し果せることが虚構を見せ,信じこませ,感動させることが言語の役割だとしたら,そしてそれは自分自身をだますことにも使える。精神科患者の病理の一つは,自分自身を自分の言葉で騙していることもあると言えるだろう。自分の素の感情であれば,そこに嘘はないが,自分を言葉で慰めたり,周りがなだめたりしてくれていると,いつのまにか,自分の問題が見えなくなり,現状維持に満足してしまう。面接では言語を使う。言語で相手の行動を変えていこう,相手の役に立とうと思うならば,今使っている言語についてその機能と起源についてよく考えてみることはとても役に立つだろう。

読書案内

最後に1人でコミュニケーションについて学ぶために役立つ本をとりあげることにしよう。

  • 原井宏明 (2013). 方法としての動機づけ面接. 東京. 岩崎学術出版

不潔恐怖で行動療法を嫌がる強迫性障害の患者に対して,どのような面接を行えば動機づけができるかについて逐語とその内容の分析に基づいて解説している。動機づけ面接を学ぶ前の著者自身の経験談や自宅にかかってきたセールス電話のかわし方の解説も載っている。興味を持って読めるだろう。

  • 原井宏明 (2010). 対人援助職のための認知・行動療法―マニュアルから抜けだしたい臨床家の道具箱. 東京, 金剛出版.

仮想的なパニック障害と強迫性障害の2症例について,行動療法を適切に使えた場合とそうではない場合を並列して書いている。行動療法と普通の常識的な対応との間で,どれだけ患者の治療転帰に差が出るかがわかるだろう。

文献

  1. 山崎富治. ほうれんそうが会社を強くする―報告・連絡・相談の経営学 [Internet]. 東京: ごま書房; 1986
  2. 田村紀雄, 大井真二, 林利隆. 現代ジャーナリズムを学ぶ人のために [Internet]. 東京: 世界思想社; 200
  3. 原井宏明. 方法としての動機づけ面接. 東京: 岩崎学術出版; 2012.
  4. Shannon CE, Weaver W. The Mathematical Theory of Communication, Part 11
  5. Miller MC, Jacobs DG, Gutheil TG. Talisman or taboo: the controversy of the suicide-prevention contract. Harv Rev Psychiatry

認知行動療法が役立つ場合、役立たない場合(草稿) in 精神科臨床サービス15巻1号 2015年2月 明日からできる強迫症/強迫性障害の診療Ⅰ

I.              「役に立つ場合,役に立たない場合」の答えはあるのか?

「ある治療法Xがある疾患Yに役に立つ場合,役に立たない場合」という設問は,治療を開始する前に患者のアセスメント結果をもとにして,ある治療法Xを疾患Yをもつ患者Zに施したとき,疾患Yは治るかどうか?疾患Yを持つZの生活向上に役立つかどうか?を問うていることになる。予測できるかどうかを尋ねている。精神疾患の治療転帰の予測にダイレクトに関わる設問というわけだ。

私たちはどの程度,精神疾患の治療転帰を予測できるのだろうか?

強迫症/強迫性障害(Obsessive Compulsive Disorder,以下OCDとする)の場合,普通の精神科医にとっては見慣れた疾患ではない。だから,この答えは医師によって大きく別れるのは仕方ない。20年以上にわたってOCDを認知行動療法(Cognitive Behavior Therapy, 以下CBTとする)で治療してきた医師と,薬物療法が専門の医師や統合失調症を専門にする医師を比較すれば答えははっきりしている。山上1)によれば,治療に関して「行動療法が高率の改善を報告するようになるまでは、長い間有効な治療法がない難治な疾患であるとみなされていた」。CBTが知られるようになる前からのキャリアがある精神科医は,OCDを他の精神疾患と比べてより難治だと見なしているはずだ。CBT以前の精神療法はことごとく治療に失敗している。新しく出てきたCBTで何ができるか?と思う医師がいるはずだ。

では,良く知られている,誰でも馴染んでいる疾患なら治療転帰を予測できるだろうか?うつ病の患者の場合で,抗うつ薬が役に立つ場合,役に立たない場合を予測できるだろうか?もっと他の馴染みの疾患を考えて見よう。アトピーの患者の場合で,ステロイドが役に立つ場合,役に立たない場合を予測できるだろうか?癌の患者の場合の抗がん剤は?

麻疹のような自然経過で大半が治ると分かっているものを除けば病気の転帰を正確に予測することは難しい。どんな場合でも,患者側の要因と環境側の要因,治療者側の要因の3つがあり,さらに偶然という何人にも予測とコントロールを許さない要因が重なる。一方,普通の人は患者にある特定の特徴があれば,それに合わせた治療があり,それには特定の結果(改善や副作用)が伴うといわば直線的に考えてしまう。このような常識的な因果推論を図 1に示してみよう。

現実には患者の特徴に合わせた治療を選べば,いつも同じ結果が生じる,ということはほとんどない。常識的な因果推論に人は騙されてしまう。”患者に合わせて治療を選べば結果は決まる”と言えるのは,よほどの自信家か楽天家なのだが,このような言い方は普通にはびこっている。自分は自信家や楽天家ではないと言う人でも,専門家なら予測できるだろと考えてしまう。現代の精神疾患の研究費のかなりが,統合失調症の発症を決める遺伝子やうつ病のバイオマーカーを探し出すことなどに向けられている。なぜこのような研究が流行るかと言えば,特異的な患者側要因が見つかれば,治療法が決まり,結果も自ずと決まると一般人が思い込んでいるからである。

一般人を騙してしまう要因はCBT側にもある。CBTの治療技法は多すぎる。そしてまだ増え続けている。たとえば著者自身が強迫性障害のCBTについて書いた解説2)を見てみよう。エクスポージャーと儀式妨害(Exposure & Ritual Prevention, 以下ERP)とセルフモニタリング,コラム法,行動分析と行動観察,活動スケジュール法,モデリング,課題分析がある。エクスポージャーについてはさらに細かく,治療者の補助付と連続,セルフ,治療効果維持,イメージがある。儀式妨害には物理的禁止法と嫌子法,消去法,他行動分化強化,動機法がある。これだけでも16ある。さらに原田が著した「強迫性障害治療ハンドブック」3)を見ると,系統的脱感作や気そらし法など加わり,30以上になる。どういう患者にはどの治療法が適しているのだろう?そもそも,30以上の治療法を使いこなし,どの患者にはどれが良いと言える治療者というのは世の中にいるのだろうか?

もし,仮にそのように自負する治療者がいたとしたら,CBTの技法の嵐に埋もれてしまっている。CBTの技法を30種も使っているというのは,薬物の多剤併用と同じである。統合失調症やうつ病に向精神薬が役立つことは良く知られているが,同時に薬をころころ変えたり,多剤併用したりするような医師が薬物療法をするならば,これらの疾患が難治化することも経験的に知られている。治療者が治療を選ぶのではない。治療が治療者を選ぶのである。

CBTが役に立たない場合の第一の条件ははっきりしている。CBTの技法の嵐に埋もれてしまう治療者がCBTを行った場合である。「CBTの技法」を薬物や精神療法の多剤・多種併用と置き換えても同じことだ。

II.             CBTは円環的な推論をする

直線的な因果推論が治療転帰の予測に合わないとすれば,CBTはどういう考え方をするのだろうか?図2を見て欲しい。

CBTは複数の要因が円環的につながっていると考える。結果が出れば,それによって患者が影響を受け,患者が変われれば,治療者も変わる。そして,いつも偶然が間に割って入る。そんな中で良い結果を選び出し,その結果を出した治療法に力を入れていくようにする。何が良い結果を出すかはやってみなければ分からないし,やってみたことでどういう結果が出たかをちゃんと抑えておかなければ,次の治療選択に差し支える。OCDは精神疾患の中でも特に慢性に経過する病気だから,一つの治療,一つの結果だけで,治療が終わることはありえず,その後も引き続き治療を続けて行かなくてはならない。治療を続けるうちに,患者や環境も変わるし,それに合わせて治療法も変わるだろう。一つ一つの治療はやってみるまでは「こうすれば,こうなるかもしれない」という作業仮説であり,それは結果が出てから初めて治療になったか,害になったかが分かる。仮説検証をずっと繰り返すことがCBTである。

CBTが役に立つ場合の第一の条件に触れてみよう。CBTが仮説検証であることを理解し,実践している治療者がCBTを行った場合である。結果が出る前に「CBTの技法」を闇雲に手当たり次第使うような治療者は×ということだ。

III.           CBTが役立つ場合,役立たない場合:治療者側要因

CBTがOCDの治療に役立つ場合と役立たない場合を治療者側要因から整理してみよう。

役立つ場合

  1. 過去にCBTでOCDを治した経験がある場合

当然のことだが,過去の実績は将来の結果を予測する。これは治療者本人だけには限らない。治療者がCBT初心者,OCDバージンであっても,同じ職場に治療に成功したことがある指導者や同僚がいる場合や治療にコンスタントに成功している行動療法家からのスーパービジョンを受けているならば治療は上手く行くだろう。

  1. CBTが仮説検証であることを理解し,実践している治療者がCBTを行った場合

いうまでもないが,ERPを歴史上初めて成功させたMeyer4)にはまわりには過去に成功したことがある仲間はいなかった。CBTの成り立ちを十分に理解しているならば,OCDバージンであっても治療に成功することは可能だ。

役に立たない場合

  1. CBTの技法の嵐に埋もれてしまう治療者がCBTを行った場合

結果が出る前,すなわち患者の細かな変化を注意深く観察することなしに「CBTの技法」を手当たり次第使うような治療者の手にかかったら,治療選択が正しくても,結果はボロボロである。こうした治療者は,ややもすると治療に失敗した理由を患者側や治療側の要因に帰属させようとする。自分が失敗の理由を作っているとは考えないのである。何事にもプラス思考で楽天的な治療者は×と言えるかも知れない

  1. 治療者自身に未治療のOCDがある場合

OCDの考えや気持を理解し,苦しさに同情することはできるだろうが,CBTは慰めや安心を与えることではないし,ERPに至ってはその真反対のことをする。治療者自身が不安に耐えられないならば,例えば潔癖症ならば,とても患者に床などを触らせるようなエクスポージャーはできないだろう。

  1. 治療者が患者のOCDに巻き込まれる場合

OCDの患者は慰めや安心を見つけるエキスパートである。代理儀式や保証を家族にさせること,いわゆる巻き込みはよく知られた現象である。治療者が巻き込まれることももちろんある。ERPをする気はある,しかし,治療者が保証をしてくれることが条件だと,治療者と取引をする患者もいる。一度,患者に巻き込まれてしまうと,治療者には勝ち目はない。

  1. いくつかの技法に関しては十分な時間,頻度が確保できない場合

セルフモニタリングや読書療法(患者自身が「図解やさしく分かる強迫性障害」5)などの治療マニュアルを読んで自分でCBTを行うこと)ならば,通常の診察以上の時間はかからない。一方,ERPのような技法は最低でも1時間は必要である。30分以下しか取れないような状況でエクスポージャーを行うことは,不安条件づけを弱化するのではなく,強化する結果になる。一度,エクスポージャーで苦い経験をした患者は,次に十分な時間がとれるチャンスができたとしても,EPPをやりたがらない。不完全なERPをするぐらいなら,最初からやらないほうが後が良い。

IV.           CBTが役立つ場合,役立たない場合:患者側要因

患者側要因については意図的に詳しく述べなかった。最大の理由は,CBTにはERPの他にも30以上の技法があり,どんな患者であっても技法のどれかは役に立つことがあるからだ。どんな患者というのは人間以外でもという意味でもある。OCDに罹患するのは人間だけではない。犬や猫もOCDになるし,CBTが役に立つ6)。CBTは犬猫にでも役立つのだから,話が通じないとか小児だからとか発達障害だからとかはCBTができない理由にはならない。犬猫は人間からみれば言葉を発せず,気に入らないことがあると噛みついたり,ひっかいたりする重度の発達障害である。

一応それでも,CBTがOCDの治療に役に立たない場合はある。

役に立たない場合

  1. OCDの症状によって患者に疾病利得がある場合

年金など金銭的な利得がある場合や疾病によって家族からの保護を得られる場合は,OCDは治らない。OCDの症状それ自体には苦痛をもたらす性質はない。頻度や時間が極度になり,他の行動をする時間が足りなくなることで苦痛が生じる。症状が家族の注意を引きつけるなどの患者にとってのメリットをもたらしたり,症状によって就労や家事労働などの義務から免除される結果になっていて,同時に強迫以外には他にしたい行動がないとしたら,CBTによって患者が変わることはないだろう。

ここでは,本来,CBTが役に立つはずなのに,一般には役に立たないと信じられている患者側要因を問題にしたい。著者はセカンドオピニオン外来も行っているが,そこでは担当した患者がCBTを受けることに反対する医師の存在を目にする。とても残念である。こうした医師が「CBTが合わない」と主張する理由を列挙してみよう。

役に立つのに,役に立たないと誤解されている場合

  1. 患者の動機づけが乏しい場合

エクスポージャーはそもそも,患者がやりたくないことをすることである。動機づけがないことを患者がすることがエクスポージャーなのだから,動機づけが乏しいのは,エクスポージャーのためには必須である。

  1. 患者が小児の場合

日本児童青年精神医学会の機関誌である「児童青年精神医学とその近接領域」を検索するとOCDが105件ヒットする。その中でCBTについて触れているものは14件である。つまり13%の論文がCBTについて触れている。「精神科臨床サービス」誌の場合はOCDが11件,CBTが4件で36%になる。相対的に日本の児童青年精神医はCBTへの関心が低いのだろう。

  1. 患者が発達障害を合併している場合

先に述べたように,犬猫にもCBTをするのだから,発達障害はCBTが不適応の理由にはならない。そもそも発達障害に対してもっともエビデンスのある治療法はCBTの一種の応用行動分析である。

  1. 「思春期妄想症」7)のように患者の強迫観念が統合失調症の妄想に似ている場合

自分の身体の特徴についてのこだわりは身体醜形障害と呼ばれる。従来は身体表現性障害に分類されていたが,DSM-58)では強迫関連障害に分類しなおされた。自己臭恐怖もこの一つに入る。残念ながら,思春期に発症する自己臭恐怖などの身体に関する強迫観念は日本独自の診断概念である,思春期妄想症と診断され,統合失調症と同様の扱いになり,CBTの適応がないとされてしまう。抗精神病薬が役に立たないことが分かっているのにもかかわらずである。身体醜形障害に対するCBTがまだ一般に知られていないことも,このような誤解が蔓延することに関わっている。

V.            最後に

本特集のタイトルは「明日からできる強迫症/強迫性障害の診療」だが,OCDに対するCBTを行った経験がない治療者が,指導者なしで本だけでOCDを治せるようになることはまず難しいというのが著者の意見である。CBTが役に立たない場合の最大の理由は,治療者自身にある。しかし,例外はある。頼るべき相手がないまま,本だけで治せるようになった医師はいる。

原田3)が自著にこのように書いている。

編者が医者になってから20余年が経っているが,この20年の聞にどの精神障害の治療が一番進歩したかをあらためて考えてみると,強迫性障害が有力な候補のlつではないかと感じられる。編者が研修医になった当時は,まだ抗うつ薬(クロミプラミン)の有効性は(少なくとも編者が属していた大学の医局には)十分伝わっておらず,行動療法や森田療法を行っている治療者も身近にはいない状況であった。実効性のある薬物療法と精神療法が見当たらない中,「強迫性障害は難病である」という見方が当時の医局の通り相場となっていた。現在なお難治性の強迫性障害が少なくないことは事実であるが,それでもこの20年の間に精神医学と臨床心理学が格段に強力な強迫性障害の治療手段を手に入れたことは間違いない。(中略)

初めて本格的に行動療法を行った症例のことも,編者にとって忘れられない思い出となっている。やはり難治性の強迫性障害があり,編者にとって伝家の宝刀(馬鹿の一つ覚え?)となっていたクロミプラミンも残念ながら十分効果を発揮できなかった症例を担当して,またも編者は対応に窮した。そこで,仕方なく行動療法のテキストをにわか勉強して,セッションの進め方を記したメモを片手に曝露反応妨害法をおずおずと行ってみたのである。初めての曝露反応妨害法の場面で,当然のことながら当初のうち患者はすこぶる不安が強く,ためらい躊躇していた。それでも,半ばパニック状態になっている患者を励ましながら一緒に病院の壁を触り続けたところ,少しずつ患者の不安が和らいで緊張がほぐれて行き,最後にはかすかにくつろぎと喜びの気配さえ浮かんできたのを目撃した。その経過を見守っていた時に体験した安堵と発見,臨床家としてのワクワク感と達成感は実に印象的で,今でも編者の脳裏にあざやかに焼き付いている。

肥前療養所で山上敏子の指導の元,仲間と一緒にOCDの治療にあたることができた著者(HH)と違い,原田はまったく一人で,メモだけを片手にCBTをしなければならなかった。それでも,うまく行くときはうまく行く。偶然も味方したのだろう。しかし,運だけにせず,うまく行ったことを繰り返し行うようにしている。2,3人をうまく治せれば,ちょっとしたOCDのエキスパートにもなれる。うつ病の患者を10人連続して治せたとしても,誰もその医師をうつ病のエキスパートとは見なさないが,OCDを数人連続で治せれば,それだけでエキスパートと呼ばれる資格がある。

周りに指導者がいない状況でOCDに対するCBTを成功させることができる治療者の特質は何だろうか?はっきりしていることは,原田自身が「一緒に病院の壁を触り続けた」ことだ。治療者自身が不潔恐怖や洗浄強迫があるようなら,とてもこうはいかない。おそらく1時間以上の間,不安を感じ,今にも逃げ出しそうな患者のそばに寄り添い,声をかけつつ,最後まで一緒にエクスポージャーを続けたことが素晴らしい。

本特集のタイトルは「明日からできる強迫症/強迫性障害の診療」となっている。周りに指導者がいる治療者が,この特集に頼ることはないだろう。だから,本特集が役に立たなければならない治療者は周りに指導者も仲間もいない人たちだ。彼らが「この特集を読むだけでOCDを治せる治療者になれる?そんなアホな!」と著者は思っているのだが,それでも,世の中は広い,誰かはこの特集をきっかけにOCDを原田のように治せるようになるだろう。肥前時代から30年近くOCDの患者とその家族の苦悩を見て来た者として,治せる人が一人でも増えることを願っている。

 

参考文献

1)        山上敏子. 強迫性障害の行動療法. 日本医事新報(0385-9215). no. 3724, p. 117.1995,

2)        原井宏明. 不安障害の認知行動療法② 恐怖症と強迫性障害. 精神科治療学. vol. 26, no. Supplement, p. 73–78.2011,

3)        原田誠一. 強迫性障害治療ハンドブック. 金剛出版, 2006. http://ci.nii.ac.jp/ncid/BA77029767, (accessed 2015-01-07).

4)        Meyer, V. Modification of expectations in cases with obsessional rituals. Behaviour research and therapy. vol. 4, no. 4, p. 273–80.1966, http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/5978682, (accessed 2015-01-11).

5)        原井宏明, 岡嶋美代. 図解やさしくわかる強迫性障害. 東京, ナツメ社, 160p.2012,

6)        Overall, Karen L., Dunham, Arthur E. Clinical features and outcome in dogs and cats with obsessive-compulsive disorder: 126 cases (1989-2000). Journal of the American Veterinary Medical Association. vol. 221, no. 10, p. 1445–52.2002, http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/12458615, (accessed 2015-01-10).

7)        村上靖彦. 【統合失調症圏の様々な病像を診ぬく】 思春期妄想症. 精神科治療学. vol. 25, no. 4, p. 515–521.2010,

8)            Association, American Psychiatric. DSM-5 精神疾患の診断・統計マニュアル. 東京, 医学書院, 2014.