【うつ病のすべて】 精神療法・他 うつ病の治療と医療の近年の発展と最近の論議 治療法の選択を決めるもの 2006

原井宏明. (2006). 【うつ病のすべて】 精神療法・他 うつ病の治療と医療の近年の発展と最近の論議 治療法の選択を決めるもの. 医学のあゆみ <草稿>

キーワード: 実証された治療,行動活性化法,うつ病,認知行動療法,EBM,プラセボ反応

サマリー

うつ病は過去20年間に拡大した。治療方法と患者数,うつ病を認識し治療する医師の数は倍以上に増えた。この20年間の変化は新規抗うつ薬,認知行動療法が“バブル的”な拡大と普及を遂げた時期と特徴づけることができる。DSM-IIIが登場し,うつ病の病因に関するセロトニン仮説と認知モデルが提唱され,プラセボ対照無作為割付比較臨床試験(Randomized Controlled Trial, RCT)によって裏付けを得た治療法が続々と現れた。疫学調査からは,うつ病の大半が見過ごされていること,実地に行われている治療の大半は根拠に従っていない,と批判された。理想的な治療を普及するために治療ガイドラインがまとめられた。選択的セロトニン再取り込み阻害剤(Selective Serotonin Reuptake Inhibitor, SSRI)と認知行動療法(Cognitive Behavior Therapy, CBT)はガイドラインの主役になった。

そして21世紀に入ってからの数年間,この“バブル”は批判的に吟味され始めた。都合の悪い結果を無視できなくなったのである。最近になればなるほど,RCTにおいてプラセボ反応が増大した。また,セロトニン再取り込み阻害も認知の特異的な変容もうつ病から回復するための必要条件ではないことがわかったのである。

この論文は過去20年間の知見について批判的に考察する。そして,実地の医療における臨床判断はどうすれば良いか,うつ病の大多数の患者が受診するようになったプライマリケアや外来精神医療における薬物療法と精神療法はどうあるべきか,を検討した。薬の定期的・計画的な服用と快感を伴う活動が自然に増える方向に援助することが必要だと論じた。

サイドメモ

l  行動療法(Behavior Therapy, BT)と認知行動療法(Cognitive Behavior Therapy, CBT)

一般的な医学や心理学の文献では行動療法と,認知療法(Cognitive Therapy, CT),認知行動療法はほとんど同じものを指す総称となっている。MedlineのMeSH termではBTがCTの上位の概念とされているが,現在の一般用語としてはCBTが全てを総称する用語として用いられることが一般的である。歴史的にはCBTは三世代にわけられる。1)第一世代;1950年代にEysenck HJ,Wolpe Jらによって行動療法の概念が確立した。2)第二世代;Beck, ATやMeichenbaum D, Clark Dなどによる認知療法(Cognitive Therapy, CT)が導入された。「認知行動療法」という名称はMeichenbaumの著作のタイトルとして登場する。このときからBT,CBTの普及が進み,これらを利用する側にとっては双方の区別がつかなくなった。3)第三世代;Hayes, SCやLinehan,MM,Kabat-Zinn JらがMindfulness、Acceptanceなどの新しい概念を取り入れた。第二世代が提唱した認知モデルの否定する動き,第一世代への回帰でもある。

CT,CBTは認知と行動を分けてとらえることが特徴である。例えば,うつ病の場合,出来事に対するクライエントの否定的な考え方がうつ病の原因であるとする。このようなものの見方や考え方を不合理な認知(自動思考,スキーマ)と呼び,それらを再検討し,変えていくことを主眼としている。スリーコラム法などの自動思考を記録し,考えを修正する方法を認知修正法と呼び,CBTでは必ずと言っていいほど用いられる。CBTは一般的には治療パッケージと呼ばれる種々の治療技法をまとめたマニュアルに従って行われる。

BTは認知も行動としてとらえる。会話や考えも言語行動やルール支配行動と呼ばれる行動である。何を行動とするか判断する方法として,“死人テスト”がある。これは,死人でもできることは行動ではないとするものである。逆に,行動とは死人にはできない活動ということになる。例えば寝ている,休んでいるは死人でもできる。また“イライラしない”のような否定形,“癒してもらう”のような受身形で表現されるようなことも行動ではない。死人はイライラしないし,亡骸でも癒されることはできる。

BTを特徴づけるものは,理論や内容そのものではなく問題へのアプローチの仕方にある。診断よりも問題行動を維持する要因に注目する。病気が起こる前からある原因や誘因ではなく,病気が起こったあとに起こる変化や結果に注目し,結果を操作することによって病気を変えようとする。BTは本来的には個人個人の個別の問題に合わせてテーラーメード方式で行われる。治療法の評価も単一事例実験計画(N of 1 試験) 1)によって行われることがよくある。

l  行動活性化(Behavioral Activation)

BTの第一世代のときからあるうつ病に対するアプローチである。Lewinsohn 2)らは,うつ病が持続する理由に着目し,それは快適な感覚をもたらす出来事や振る舞い,考え(快事象)が減少し,不快な事象が増加することであると考えた。具体的には快行動計画法などを使う。患者に快事象の数を数えるようにさせ,快事象につながる患者自身による具体的な行動を増加させるようにするものである。疲労や抑うつを感じることを避けて寝てばかりいる患者に対して目的指向の行動を増やすようにする。

一般的に快事象の中によく含まれるものには散歩やペットの世話,安心できる知り合いとの会話,頭を使わない仕事や作業,本人にとってプラスと思える言葉を考えること,などがある。うつ気分が多少でも良くなるということ自体が快事象の一つであるから,それにつながるような受診やカウンセリングも同様に強められる。何が快事象であるかは患者の状態によって決まる。他人からの一方的な励ましや賞賛はうつ病の患者にとっては快事象ではない。

うつ病に対するBTとしては第二世代の隆盛とともに忘れられていた。Jacobsonら 3)は,うつ病の認知モデルを検証するために,うつ病の患者に対してBeck 4)の認知療法の治療パッケージから認知修正法を除いた治療パッケージをつくった。彼らは認知療法と認知修正抜きの認知療法の間でRCTを行い,治療効果は双方とも同等であることを確かめ,認知療法パッケージの有効成分は“行動活性化”であるとした。これによって行動活性化は再び注目をうけるようになった。

外来でのうつ病の治療は薬物療法であれ精神療法であれ,定期的な受診や服薬遵守を通じて,患者の合目的な行動を活性化させることを伴っている。

l  プラセボドリフト(Placebo drift)

抗うつ薬が本当にうつ病に効くかどうかを検定するための標準的な方法がプラセボ対照二重盲検無作為割り付け比較試験(RCT)である。近年行われたRCTでは,抗うつ薬がプラセボに勝てないことが普通のことになってきた。プラセボ対照試験のメタアナリシスを行うとプラセボ反応と西暦が相関していることがわかった 5)。このようなプラセボ反応が年を追うごとに上がっていく現象をプラセボドリフトと呼ぶ。この現象は,機能性胃腸症に対する消化管機能改善薬の臨床試験でも認められている 6)。

日本の専門家は長らくプラセボ投与に心理的抵抗があり,この現象を実感することがなかった。日本での抗うつ薬の臨床試験で,2003年から低容量の試験薬(偽プラセボ,Pseudo Placebo)を使った試験,2004年から本来のプラセボを使った試験が行われるようになった。著者の知る限り,2003年から4種類の抗うつ薬の試験が行われている。そのうち,偽プラセボやプラセボに優位を示すことができた薬剤はただ一つである。これらの薬剤は欧米ではすでに抗うつ薬として広く使われている。

一つの臨床試験のために数十億という大金を投資している薬品会社にとって,プラセボ反応者は大敵である。プラセボ反応者を無くすために,臨床試験のプロトコールに工夫が行われてきた。最初は試験中の他の抗うつ薬の併用を禁止する程度であった。次第に厳しくなり,抗不安薬の使用を禁止,睡眠薬を禁止するようになった。更に最近は,試験にエントリーする前の1週間の一切の服薬禁止,エントリー後一週間の間,プラセボを投与する,などが行われるようになった。後者のやり方を,“Placebo run-in period”という。プラセボ反応者はこの2週間の間に改善するはず,この2週間で改善しない患者のみを試験にエントリーすれば,プラセボ反応者をなくせるはず,という考えによるものである。結果的には,これは薬品会社の期待とは逆の効果を生んでいる 5)。

l  ドードー鳥の判定 「みんな優勝!,全員が一等賞!」

これは“不思議の国のアリス”の中の物語をとった治療法に関するエビデンスの評価に対する警句である。薬物療法を含むさまざまな治療法は無治療や単純な支持的精神療法よりも効果が高い。一方,こうした効果のある治療同士を比較すると,ほとんどの場合差がつかない。どれにも効果がある。治療に成功し,自己愛が膨らみそうな時,次のように考えると良い。

「私が患者に対して行った治療の成果のいくつかは,時間がたてば自然に起こったことである。あるいは素人にもできることである。また,いくつかは私の経験と努力と鍛錬の賜物であり,他人にはまねができない。さらに,患者の問題のいくつかは私にも他人にも,またいくら努力したとしても変えられないだろう。そして,これら三つの区別は今の私にはわからない。つまり,結果が素晴らしかったとしても私のしたことが凄いのかどうかは今の私にはわからないのだ。この曖昧さを受け入れる心の落ち着きをもち,そして自分のやり方を実証的な経験に応じて誠実に変えていく勇気を持つこと,この二つができれば私はたいしたものだ。」

うつ病に関するエビデンス 批判と論議

l   “うつ病”の“バブル”

うつ病に関するエビデンスの数は既にたくさんある。DSMによって,うつ病をわかりやすく定義することが可能になり,うつ病の診断は医師以外でも可能になった。診断が決まることによって根拠に基づく医療(EBM)が可能になった。精神薬理の世界ではセロトニン仮説に基づいた抗うつ薬がデザインされて新規抗うつ薬が発売された。精神療法の世界では,うつ病に関する認知モデルが提唱されて,それに合わせた認知療法が生まれた。現在はうつ病の病因に関してセロトニン仮説と認知モデルが当然のものと受け止められ,それらに基づく治療法がプラセボ対照の無作為割り付け比較臨床試験(Randomized Controlled Trial, RCT)によってエビデンスという裏付けを得た。RCTによって有効性が示された治療法は数え切れない。無効な治療も同様に明らかになり,エビデンスに基づいた治療が行えるようになった。それらをまとめた治療ガイドラインやアルゴリズムも数多い。これらをまとめると次のようになる。

うつ病は増加しており,受診しないまま一人悩む患者が多い,一般医療機関を受診していても見過ごされる患者が多く,軽いうつ病でも放置してはならない。うつ病は自殺の原因である。是非とも早期診断,早期治療すべきである。社会全体や職場も積極的にうつ病を認識して,うつと疑われる人を受診させるべきである。医療機関ではSSRI,SNRI(選択的セロトニン,ノルアドレナリン再祭取り込み阻害剤)をまず処方すべきである。可能ならば認知行動療法も行うべきである。一方,日本で行われている実際のうつ病の治療の現状は治療ガイドラインからかけ離れている。スリピリドが第一選択薬であり,SSRIはよく処方されているが量が不足し,多剤併用であり,睡眠導入剤・抗不安薬が必要以上に使われている。認知行動療法を行っている精神科医療機関はごくわずかである。

日本うつ病学会という,うつ病だけを取り上げた学会が2004年に発足した。学会のねらいは会則によれば,“二,うつ病臨床の発展・充実に寄与すると共に,一般社会にうつ病に関する情報を提供することを目的とする”。本書のタイトルは“うつ病のすべて“である。うつ病のすべては既にわかり,これらかの仕事は啓発をすることのようである。

さて,うつ病とその治療はもう完全に分かったのだろうか?日本で使える抗うつ薬だけでも10種類以上ある。認知行動療法のアプローチの数もそれ以上である。これだけ沢山の治療法があるのに,まだ治療法が出てくると言うことは,どの治療法も決定打ではなく,五十歩百歩ということである。それでも,このようにエビデンスも患者も治療法も増え続ける状態は”バブル“と呼ぶにふさわしい。

l  批判と論議

この数年間は,この“バブル”を批判的に吟味する研究者が現れてきた 7)。抗うつ薬の開発に携わっていた精神薬理学者が精神薬理学と薬品会社を批判する本も現れた 8)。うつ病の病因に関するセロトニン仮説は過去の物になった。抗うつ薬は不安障害にも等しく効果を示すことが分かると,それまでのようにうつ病と神経症を薬の反応でわけるという考え方ができなくなった。SSRIの効果や自殺のリスクについて都合の悪いデータを薬品会社が隠していたことが明るみにでたことが疑念を引き起こしている。18歳以下の児童思春期のうつ病に対するParoxetine試験において,Paroxetineがプラセボに勝てなかったばかりか,自殺のリスクがParoxetine投与群で高いことが明るみにでたのである。このあと,SSRI,SNRIのエビデンスについて疑念が持たれるようになった。この中には認知行動療法に対する批判もある 9)。うつ病の患者に認知の誤りがあるのは確かであるが,それはうつ病の原因というより症状の一部であると分かった。また認知の誤りを修正することに特別な治療上の意義はない,とわかってきたのである。

2004年にイギリスNHSが出版したNICEガイドラインは,公的なガイドラインとしては初めて経過観察(Watchful waiting)を軽症うつ病に対する最初のアプローチとして推奨している。軽症うつ病に対しては薬物や特別な精神療法は不要で1~2週間毎の受診と経過観察で十分である,としているのである 10)。

エビデンス自体には誤りはないとしても,エビデンスが出てくる過程の検討や結果の再解釈によって,今までの“常識”には都合の悪い知見がつぎつぎでてきたのである。この四半世紀のエビデンスを批判的に吟味し,実地の医療においてどのように薬物療法と精神療法を行えば良いのか,を検討しよう。

l  新規抗うつ薬は効くのか?菊池病院の場合

菊池病院は数年前から新規抗うつ薬の治験を薬品会社から受託して行っている。プラセボ対照二重盲検RCTが最近では一般的になった。新規抗うつ薬がプラセボよりも効くかどうかを菊池病院のデータで見てみることにする。

データは2種の欧米ではすでに上市されている抗うつ薬に関するものである。プラセボにはごく低容量の偽プラセボも含まれている。患者は20~64歳の外来患者である。診断はすべて単極性うつ病であり,試験開始時点でのHAM-D17項目のスコアが18点以上である。投与期間は6~8週である。この間,うつ病に効果があると思われる向精神薬の併用は禁じられている。治験開始後に不眠や不安,体調不良などの訴えがあっても薬の追加や変更はできない。評価はHAM-D17項目で行われた。6~8週後のHAM-Dのスコアが開始時より65%以上低下したものを“著明改善”,50%以上改善したものを“かなり改善”,35%以上改善したものを“やや改善”,それ以下を“不変以下”とした。HAM-Dスコアの減少度の平均(95%信頼空間)は,実薬群は63%(47%~78%),プラセボ群は72%(2%~141%)であった。

比較のために治験以外のデータを示す。2003年度に新患として受診した20~64歳の外来患者の中で主病名がうつ病などである患者35人を対象とした。このうち25人が6ヶ月後も受診していた。22人について6ヶ月後に主治医が評価した全般改善尺度が得られた。

 

表 うつ病の患者の改善割合 治験と一般治療

薬剤割り付け 人数 開始時のHAM-D 著明改善 かなり改善 やや改善 不変以下
実薬 12 21.0 50% 25% 17% 8%
プラセボ 4 21.3 75% 0% 0% 25%
一般治療 22 32% 18% 18% 32%

 

これは今まで一般に信じられていることと相反するデータである。プラセボを投与された4人が最も良い。一般治療は最も悪い。一般治療群は薬剤の選択も追加も増量も自由に患者に合わせて行うことができる。使われている薬剤はすでに規制当局によって承認された抗うつ薬などである。医師と患者が自由に治療すると結果が良くないのである。さらに付け加えれば,一般治療群は6ヶ月後のデータである。

プラセボ群の人数が少ないこと,一般治療群の診断や評価が標準化されていないこと,などの限界がある。しかし,一般治療での実感やプラセボが実薬に勝つことが珍しくないことを考えると,この結果には大きな間違いはないと思われる。

l  CBTは効くのか?

認知行動療法にもプラセボ反応がある。NIMHによる共同研究 11)がうつ病に対する認知療法の有効性を示している。しかし,この後の研究では対照群に対する治療の条件を変えていくと認知療法の優位性が消えていくことが知られている。精神療法同士の効果を比較するための大規模なRCTがいくつか行われている 12)が,これらの結果は総じて相互に差がないことが知られている(“ドードー鳥の判定”)。Holmes 9)は1)認知行動療法の優位性は見かけ倒しのところがある,2)精神療法は成長発達の文脈で考えるべきであり,“障害”の除去だけを目的にしてはならない,3)精神療法の研究は特定の“ブランドネーム”治療法にこだわることをやめて,さまざまな治療に共通する要素や有効成分,特定の治療スキル,そして精神療法以外の方法との統合に力を注ぐべきである,としている。行動療法の研究者もこのことを認識しており,うつ病に対するCBTの解体研究(Dismantling study)が行われている。その結果,現在,うつ病に対するCBTの有効成分と考えられているものが,“行動活性化” (Behavioral Activation)である。

治療の指針

l  なぜプラセボは効くのか?

プラセボ効果がこれだけあると,必ず“なぜ?”という疑問が生じる。これに対する確実な答えは,“なぜ効くのか?”の答えが存在しない治療法をプラセボと呼ぶ,である。効果がある理由を説明できないからプラセボ効果と呼ぶのである。またプラセボが効くのは,特定のタイプの患者だけだろう,プラセボに反応した患者はどんなタイプか知りたい,という疑問もよくある。これは治験の依頼者がもっとも知りたいことである。それが分かればプラセボが効きそうな患者を事前に見付けだし,治験から排除することができるからである。実際,プラセボ反応の予測因子を調べた研究が多数あるがはっきりした予測因子はわかっていない。現在のところプラセボ反応が低いことが分かっているのは,重症例 13)と慢性エピソード 14)である。DSM-IV-TRでのメランコリーサブタイプはプラセボに反応しにくいと従来信じられてきたが,根拠がない。気分変調性障害は従来型診断では神経症性うつ病とされ,薬が効かない,精神療法が必要であるとされてきたが,気分変調性障害はプラセボにも反応しにくい。

しかし,考え直してみれば,プラセボ効果があることは“抗うつ薬”にとっては大変不都合であるが,患者にとっては好都合である 15)。プラセボドリフトがあるということは,うつ病の患者にとっては効果が高くなってきている治療があるということである。精神医学は“なぜ”に答える必要がある。

これまでに考えられているプラセボ反応の説明としては,次のことが考えられている。

1) 励ましの効果

うつ病は絶望することが主要な症状である。それに対して治る・治療できるという希望を与え,薬を飲むように励ますことに効果がある。

2) うつ病には自然寛解がよくある

うつ病の自然経過を観察した研究がある。Kendlerらは 16)はうつ病の女性について調べ,寛解するまでの中央値は6週間で,12週後に75%が寛解したことをしめした。もし,寛解までの中央値が6週間で,12週間後には75%が寛解するようなうつ病の患者グループが治験に入ったとすれば,8週間の治験の間に,プラセボであっても半分以上は寛解するのが当然ということになる。

3) うつ病の患者が受診を決意するのは最悪の時から上向きかけたとき

うつ病は悪化と軽快の間を繰り返す波のある病気である。悪くなり始めたが,まだそれほどでもないというときには受診しない。最悪の状態で意欲もないときも受診しない。受診しようとするのは,最悪を脱して受診する意欲がわいてきたときである。このようなときにして自ら受診した患者は,調子が上向きの波にあるときであり,受診時からみれば自然経過だけでも多少良くなる。株を底値で買えば自然に上がるのと同じである。

4) “一般的健康行動”の効果

Simpsonらは 17)すべての疾患について薬物療法全般とプラセボ反応の関係を21のRCTについてメタアナリシスを行った。その結果は次のようになった。1)プラセボ服薬に対する良いアドヒアランスは低い死亡率と関連していた。2)有用な実薬に対する良いアドヒアランスも低い死亡率と関連していた。3)有害な実薬に対する良いアドヒアランスは高い死亡率と関連していた。まとめれば,プラセボを所定の計画通りにきちんと服薬することが死亡率を下げるのである。彼はこれを“一般的健康行動”と呼んでいる。

l  治験における“精神療法”

精神療法のマニュアルはあるが,治験はどのように行われているかは一般には知られていないと思われる。治験はどのようにして行われているのか,具体的なところを患者の立場から示すことにしよう。以下は,仮想的な患者による一種の感想文である。

—————-

治験は最初の症状評価と説明同意から始まる。同意文書は10ページ以上あり,うつ病と種々の治療法,治験自体,患者の権利,治験薬の期待される作用と副作用,治験中の注意事項などが詳細に書かれている。説明だけでも30分はかかる。その場では同意をとらず1週間程度間をおくこともある。同意説明が終わると検査がある。

治験中の注意事項も2ページぐらいある。最近の治験は以前のものと比べると,プラセボ反応を減らす目的で被験者が守るべき項目が多い。一部の睡眠導入剤を除いて,向精神薬の併用は全面禁止が原則である。鎮痛剤やサプリメント,麻酔剤なども禁止の対象になる。抗不安薬の頓服はできない。睡眠導入剤も量が決められ,眠れないことを理由に薬を繰り返し飲むことはできない。他の精神科と二股をかける,心理士のカウンセリングを受けるも禁止である。飲酒もしないように勧められる。受診は毎週決められたときに行い,予約制である。患者が忙しくても薬の処方だけもらう,ことはできず,かならず問診と重症度評価が行われる。予約を変えることはできるが,前後2,3日までという縛りがある。服薬は確実にチェックされ,飲み残しも薬の空き袋もすべて病院に持ってこなければならない。有害事象(副作用)のチェックも治験の目的なので,治験中に経験したありとあらゆる予期しない症状はすべて報告しなければならない。治験期間中に患者が自分で記録する症状などを書く日誌が手渡され,日誌の内容が毎回の受診でチェックされる。

実際のこうした説明は医師だけでなく患者ひとりひとりについた担当の臨床試験コーディネーター(CRC)が行う。治験期間中に起こった予期しないこと,気になることがあればCRCに連絡するように勧められる。

最初の1週間は薬なしの期間(観察期間)である。この間,以前に服薬していた薬があるときは離脱症状があるが,精神薬は飲めない。飲めば治験は中止となり,新薬を飲むことはできず,せっかくの検査や同意説明が台無しになる。苦痛な症状があればCRCに電話で気楽に相談することができる。CRCは話を詳しく親身になって聞いてくれる。そして症状を乗り越えれば,治験薬を開始できる,治験を開始すれば症状も良くなってくるだろうと説明してくれる。しかし,今がどのようにつらくても薬や注射をもらうことはできない。

治験薬を開始すると薬の副作用がある。多少のことがあっても減らすことはできない。必ず決められた量を毎日飲む必要がある。治験薬をやめるか,続けるかのどちらかしかない。選択は患者の自由と言われるが,ここまで来てやめることはできない。症状はまだ良くならないが,このまま続ける。

2,3週すると多少良くなってきた感じがある。しかし,症状評価ではまだ完全ではないといわれる。治験薬が増やされる。副作用の不安があるが決まったことなので増やされた薬を飲む。

5,6週すると次第に気分が晴れてきた感じがある。症状評価を受けると,自分でも前と違ってきたことに気がつく。異性に対する関心が出てきたし,ショッピングしようという気持ちもでてきた。何よりも自分を責めなくなったことが分かる。

以前,精神科を受診したときは,薬を飲め,だけだった。毎回の受診のときに聞かれることは「薬は前のままでいいですか?」だけだった。副作用があると言えば副作用止めの薬が増え,効き目がないといえば薬が追加された。次第に,先生には相談せず,自分で調整して飲むようになっていた。そのうち多少良くなれば薬をやめていた。何年もこの調子で精神科にいったり,いかなかったりしていたが,完全に良くなったということは一度もなかった。

l  健康行動

うつ病を継続させる“病気行動”はつぎのように表現できる。嫌な気分がなくなることだけを願い,そうした気分が起きそうな場面を避け,一人でいるときにそうした気分になればベンゾジアゼピン系の頓服を飲み,このような自分になるきっかけをつくった親や他人を恨む。そして夜になり,家族が寝静まると,目が冴えてきて,いろいろ自分について考え始める。「こんな風に他人を責めている自分がダメだ,前向きになれない自分がダメだ。このように考えているばかりでいるのがダメなのだ」と自分を責め続ける。責めるのに疲れると次のように考える,「こんなに考えているうちに疲れてだるい,体中が痛い。自分はうつ病なのだ,だから自分にできることは何もない,今は早く薬を飲んでとにかく眠れるようになりたい。」

“健康行動”はこれとは逆である。具体的な行動目標をもち,実際に外にでかけ,人と交わり,事前に計画に沿った行動をし,毎日の記録をとる。気分やその日の体調で活動を変えることをしない。治験はまさに健康行動を増やすように機能している。治験では体の症状を報告すること自体も行動目標である。一方,体の症状を報告しても治療は変わらない。CRCは患者の話を親身になって聞くが,指示やアドバイスはしない。CRCは患者が治験のプロトコール通りに行動すれば誉めるが,その通りにするかどうかは患者の自由意志に基づく選択であることを強調する。

行動活性化は健康行動を増やすことを正面においた行動療法である。健康行動を増やす機能は他の認知行動療法にも共通してみられる。認知修正や問題解決訓練,マインドフルネストレーニングなどは患者が自ら自分で動き,多少の不快な症状があってもそれにこだわらずに必要な健康行動をするように促している。

おわりに

ここに書かれたことはうつ病治療に関する今までの常識とかけ離れたところがある。一方で,SSRIや認知行動療法が導入される前からうつ病の診療に当たってきた50台以上の精神科医にとっては当然のことに見えるだろう。

しかし気をつけていただきたいことは,CBTやSSRIの効果があるというエビデンス自体が否定されたわけではないことである。これらは効果が確かにある。その効果の理由が違ったということであり,そしてその効果の理由は今まで無視されてきた,いわば当たり前の“健康行動”にあるということである。当たり前のことを見直し,それをよりよく使う,ということは,実は難しく,学びがたい。ただ抗うつ薬を処方し,患者に飲ませるということだけであっても本だけでは十分には学べない。行動活性化や治療に対するアドヒアランスを強めるとされる動機づけ面接 18)のトレーニングが広がることを望んでいる。

引用文献

1)    Jansen, I. H., et al.: J Am Geriatr Soc. 49:474-6 2001

2)    Lewinsohn, P. M.: J Abnorm Psychol. 84:729-31 1975

3)    Jacobson, N. S., et al.: J Consult Clin Psychol. 64:295-304 1996

4)    Beck, A. T., et al.: Arch Gen Psychiatry. 42:142-8 1985

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6)    Suzuki, H., et al.: J Gastroenterol. 41:513-23 2006

7)    Ebmeier, K. P., et al.: Lancet. 367:153-67 2006

8)    Healy, D.: The Antidepressant Era. Cambridge, Harvard University Press, 1997

9)    Holmes, J.: British Medical Journal. 324:288-290 2002

10)  National Institute of Clinical Excellence : Depression: management of depression in primary and secondary care. London, National Institute for Clinical Excellence, 2004

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12)  Alcohol Clin Exp Res. 17:1130-45 1993

13)  Khan, A., et al.: J Clin Psychopharmacol. 22:40-5 2002

14)  Stewart, J. W., et al.: Arch Gen Psychiatry. 46:1080-7 1989

15)  Andrews, G.: Br J Psychiatry. 178:192-4 2001

16)  Kendler, K. S., et al.: Psychol Med. 27:107-17 1997

17)  Simpson, S. H., et al.: Bmj. 333:15 2006

18)  Miller, W. R., Rollnick, S. Motivational interviewing: Preparing people for change (2nd ed.), Guilford Press, New York, 2002

原井宏明, 岡嶋美代 (2009). 【対人恐怖】 対人恐怖を何で治すのか? EBMの視点. こころの科学, (147), 59–66.

あなたがもっとも知りたいこと

あなたは誰か

あなたは読者である。誰のために,何のために,これを読んでいるのか考えてみよう。おそらく次の4つのパターンのどれかに入るだろう。

  1. 他人のために,その人の苦しみを自分が取ってあげるために
  2. 他人のために,その人の苦しみを取ってくれる他人を見つけるために
  3. 他人のために,その人に提供する知識を増やすために
  4. 自分のために,自分の苦しみを自分で取るために
  5. 自分のために,自分の苦しみを他人に取ってもらうために
  6. 自分のために,自分の知識を増やすために

1は治療を生業にしている人が入る。医師や心理士のようにクライエントをとって,サービスを提供し,対価を受け取ることで生活をしているプロの治療者である。2はプライマリケア医師や保健師,あるいは対人恐怖を訴える我が子を救いたいと願う親が入るだろう。3は大学などで人に教えることを生業にしている教師である。

4と5は自分自身が苦しみ,その苦しみは対人恐怖のせいだ,対人恐怖を取りたいと思っている人達になる。患者本人である。4は自己治療しようと思っている人になるし,5は良い治療者を探し,その人に治療を任せたいと思っている人になる。この中に,治療者だけでなく治療薬を探している人も含めることにしよう。6は純粋に知的好奇心のために読んでいる読書家である。

この雑誌の想定読者には患者本人も含まれる。6に該当する読者は例外だが,他の読者は全て4,5の人に役立つことが自分の目標にしているはずである。ここでは,4,5の人に役立つことを書くようにしよう。なお,この原稿では対人恐怖=社会恐怖=社会/社交不安障害ということにする。病気の種類よりも,治療の種類にこだわりたいからである。この論文の骨子は(13)を元にしている。

自分の苦しみを取るために

あなたが自分のために,自分の苦しみを取るために読んでいるとしたら,自分の苦しみのもとは対人恐怖だと思っているはずだ。思うだけではなく,医師や心理士などから既に“あなたは社会/社交不安障害だ”と告げられているかもしれない。そして,いくつか治療の選択肢を自分で調べたり,告げられたりしているだろう。この特集の中でも認知行動療法や森田療法がとりあげられている。すでにいくつか治療を試しているかも知れない。恐怖を感じる対人場面に出てみる,症状を出さないように努力する,というような独力でできる努力はすでに試みておられるだろう。そしてそのような努力が美を結んでいないから,この章を読んでいるはずだ。そして,対人恐怖を他人に取ってもらえるのか?薬に取ってもらえるのか?この二つの疑問への答えが“イエス”ならば,どこで取ってもらえるか?これらがあなたがもっとも知りたい疑問になるはずである。最後の疑問への答えが“米国”であったならば,最初の疑問への答えの価値がない。あなたが米国で治療を受ける人ならば,そもそもこの雑誌を読んでいない。

EBMとはまず臨床的疑問の定式化である

EBM(Evidence Based Medicine)は日本語では“根拠に基づいた医療”と訳され,“患者の治療において現在入手可能な最強のエビデンスを良心的,明示的かつ賢明に応用すること”,と定義される(9)。EBMにおいて現在得られる最強のエビデンスとは無作為割りつけ臨床試験(Randomized Controlled Study, RCT)とそれを統合した系統的レビューである。ただし,EBMの最も大切な部分はエビデンスそのものではない。最強のエビデンスが手元にあっても,使い方が間違っていれば意味がない。エビデンスを患者の利益のために賢明に応用する方法こそが,EBMの神髄である。EBMは臨床的問題をステップバイステップに解決する手法であると言い換えることができる。最初のステップは臨床的疑問の定式化と呼ばれる。例えば,PECOと呼ぶ方法がある。Patient(どんな患者),Exposure/Intervention(何をすると),Comparison Interventions(何と比べて),Outcome(どんな結果が欲しいか)のそれぞれに具体的な事柄を当てはめて疑問をつくりだすのである。

今回の場合,Pは,あなた自身であり,対人恐怖に悩み,それを自力で克服することに失敗し,他人に取ってもらえるのか?薬に取ってもらえるのか?と思い悩んでいる人になる。Eは具体的な治療法になる。Cは他の治療や自然経過になる。Oは本来,あなたが自分で決めることである。対人恐怖の苦しみを無くすだけであれば人前を避ければよい。あなたにとっては対人恐怖を無くすこと自体は目的ではなく,人前で望むように振る舞えることが欲しい結果だろう。人並みに振る舞い,年齢相応の社会的役割を果たせるようになりたいと願っていることだろう。

以上のようなPECOで治療に関する臨床研究をPubMedやPsychInfoを使って調べると次のようなことがわかる。選択的セロトニン再取り込み阻害剤(Selective Serotonin Reuptake Inhibitor, SSRI)やクロナゼパム,モノアミン酸化酵素阻害剤などの薬物,認知行動療法,集団療法,ソーシャルスキルズトレーニング(Social Skills Training, SST)について数多くの臨床研究がある。日本語では森田療法が良く取り上げられているが,森田療法の効果を立証できるような無作為割りつけ臨床試験(Randomized Controlled Study, RCT)はない。精神分析は英語で日本語でもほとんどない。

さらに年代ごとに調べると次のようなことがわかる。1980年以前から米国以外の世界各地で治療が行われてきた。対人恐怖に対して日本では森田療法が,社会恐怖に対しては英国やカナダなどの米国以外の英語圏諸国の行動療法家がエクスポージャーを中心にした行動療法を行ってきた。社会恐怖の疾患概念は持たなかったAlbert Ellisも,論理情動行動療法(Rational Emotive Behavior Therapy, 以下REBT)と恥さらし訓練(Shame-Attacking Exercises, 以下SA) (3)を用いて1960年代から社会場面で恥をかくことに対する恐怖を治療してきた。1980年代から,社会不安障害(Social Anxiety Disorder, 以下SAD)という病名が出現し,同時にセロトニン再取り込み阻害剤(Selective Sertonin Reuptake Inhibitor,以下SSRI)を代表とする薬物療法と認知再構成を代表とするCBTの研究が米国を中心に急増した(10)。

ここまで分かったとすると,次のようにCを考えたくなる。80年以降に新しく導入されたSSRIや認知行動療法と80年以前の行動療法やREBTを比較する必要があるのである。新しい治療が古い治療よりも効果が優れているというエビデンスはない。さらに,SSRIや認知行動療法が優れているとしても,実際に受けられる治療が優れているかどうかはわからない。研究で使用されたパロキセチンと日本の薬局で処方されたパロキセチンが違う,と信じる根拠はないが,研究で行われた認知行動療法と日本の治療者が行う認知行動療法には違いがある,と信じる根拠はある。あなたが治療を受けたいという人ならば,どこで誰から受けると良いかを知りたいはずである。文献である治療が良いと分かっても,それだけなら絵に描いた餅である。実際にあなたが受診しようとする治療施設の治療成績が,文献のそれを下回っているとしたら,期待はずれというものである。

著者自身の疑問:治療の実績

他人の治療成績を知りたいのと同じぐらい,私は自分の治療成績も知りたい。著者自身の治療成績をみてみることにしよう。

著者の認知行動療法歴

著者は25年間,精神科医/行動療法家として臨床に携わってきた。SSRIが上市される前から対人恐怖の患者を診療していた。この頃の薬物療法は試行錯誤であった。行動療法としては一般の恐怖症の治療に準じて不安階層表をつくり,社会場面に対する段階的エクスポージャーを使っていた。セルフモニタリングや集団療法,社会技術訓練(Social Skills Training, 以下SST)も行った。認知革命(12) 以降は認知を直接の治療ターゲットにおくことが通例になり,著者も3カラム法などの認知再構成を行うようになった。

しかし,著者にとって対人恐怖の治療成績は満足できるものではなかった。認知行動療法で50%以上の改善が得られることはなかった。エクスポージャーは事前に不安階層表を作り,計画的かつ段階的に一時間程度,十分に時間をかけて行うことが普通である。乗り物恐怖や不潔恐怖の場合,恐怖対象が予測不能な動きをすることはない。計画通りのエクスポージャーができるのである。対人恐怖におけるエクスポージャーはそうはいかない(2)。社会場面の本質は何が起こるか予測できないことである。一時間かけるつもりでも,恐怖対象の人物はその前に勝手に立ち去る。慎重に細かく計画を作っても,現実の社会場面で何が起こるかは,その場になるまでわからない。不安が上がるかどうか,下がるかどうかは現場に行ってみるまでは分からない。

SSTによって訓練状況での一定のスキルの獲得はできる。認知再構成や問題解決訓練は患者の気持ちをセッション中,楽にさせることに役立つ。しかし,スキルや認知だけでは社会的場面に出て行く度胸にはつながらず,実際の社会場面での経験を積まない限りは,訓練はいつまでたっても“畳水練”である。どんなことでも,現場で実際にやってみる以上に良い方法はない。

著者の薬物療法歴

著者は製薬会社から受託する臨床試験にも積極的である。著者が治験責任医師となった試験に登録した症例数は過去10年間で約200例になる。対人恐怖についても二薬剤の臨床試験を受託している。2001年からフルボキサミンのプラセボ対照臨床試験を行った(14)。これは,うつ病などを合併していない社会不安障害の患者を対象に10週間,プラセボかフルボキサミン150mg,300mgをランダム割り付けし二重盲検下で投与するものである。アウトカム評価にはLiebowitz Social Anxiety Scale(LSAS) (15)が用いられた。など精神療法の併用はすべて禁止された。この結果は著者にとって驚くべきものであった。重症度が50%以下低下した患者は実薬群7人のうち4人だった。プラセボ群4人のうち1人で50%以上の低下があった。著者がそれまで行ってきた認知行動療法ではそこまでの成績は期待できなかったのである。診断と説明,LSASによる毎週の評価,セルフモニタリングを含む服薬管理,そして薬物による10週間の治療成績が,手間暇をかけた精神療法の成績を上回ることは著者にとってショックだった。

第三世代の行動療法

この後,臨床試験の成績を上回るCBTの方法を検討するようになった。そのアプローチの一つがアクセプタンス&コミットメント・セラピー(Acceptance and Commitment Therapy,以下ACT)である(6)。ACTは機能的文脈主義に基づいた治療方針であり,第三世代の行動療法と呼ばれる。関係フレーム理論や刺激等価性に代表される言語の機能とルール支配行動,経験回避の結果,うつや不安が度を超した苦悩となり,病的になるとするものである。第二世代の認知行動療法と異なり,疾患の原因に関する認知モデルを仮定せず,認知再構成を行わない。2005年からACTに基づいた治療と恥さらし訓練を加えるようになった。

臨床試験の成績と認知行動療法を用いた場合,ACTの場合を比較してみよう。

対象患者

1998~2007年までに対人恐怖を主訴として菊池病院を初診した患者の中で次の条件を満たす患者について治療成績を比較した。1)主診断が対人恐怖(社会/社交不安障害)。2)観察期間が4週間以上あり,初診時と4週以降の時点でLSASによる評価が行われている。精神病性障害や重いうつ病エピソードを合併した症例は除外した。48名(男性27名,年齢平均34歳,女性21名,同32歳)が該当した。

治療方法 6種類

これらの患者について治療内容を調べた。フルボキサミンやパロキセチンをプラセボと比較した臨床試験に参加した患者が20名,通常治療を受けた患者が28名であった。臨床試験と一般診療での調査は菊池病院治験審査委員会と研究倫理委員会の承認を得ている。

臨床試験群(高用量,低用量,プラセボの3群)

高用量(フルボキサミン300mg,パロキセチン40mg)と,低用量(それぞれ150mg,20mg),プラセボをランダム化割り付けによって投与した。6週目まで毎週,以降は2週毎に受診させた。薬は初期用量から受診毎に強制的に増量し,所定の用量に到達したところで維持した。

通常治療群 (認知行動療法+薬物療法)

患者の都合に応じて受診間隔や薬物を変更した。治療は次の順序で行った。最初に対人恐怖に関する心理教育と治療の選択肢の説明を行った。薬物療法と基本的な認知行動療法を行った。フルボキサミンを投与されたのは18名で,最大一日投与量の平均は179mgであった。パロキセチンを投与されたのは4名で,最大一日投与量の平均は30mgであった。認知行動療法は(11)に準じている。セルフモニタリングと3コラム法による認知再構成,不安階層表の作成,エクスポージャーを含む。さらに希望する患者はグループ認知行動療法(以下,CBGT)に導入した。これは数人の患者が毎月1~2回集まり,セッション内でのエクスポージャーとSSTを行うものである。

ACT群

治療は大まかな方針の説明と,認知デフュージョンやたとえ話,ゲーム的なエクササイズを随時行うことによって進む。恥さらし訓練は1セッションをグループで行った。これはもともと,HaysのContents on Cards Exercises (5)として始めたものであり,認知デフュージョンのためのエクササイズである。エリスのShame-Attacking Exercisesと同一の方法であると指摘された2006年からは“恥さらし訓練”と呼んでいる(8)。

認知再構成やSST,従来の段階的エクスポージャーの目的は社会場面に対する適切な対処行動を事前に身につけることである。しかし,社会場面は事前にどのようなやり取りが生じ,どの程度続くのかを予測できない。今まで学んだ一切の対処行動が役立たないような予測不能な社会場面で,予測不能な体験をすることを回避しなくなることが,社会場面に出るために必要なことである。恥さらし訓練は,“予測不能な社会場面で予測不能な恥をかき,未曾有の症状を人前で経験すること”に対するエクスポージャーである。ACTは,症状をコントロールしようとする努力と経験回避によって患者の病理的行動が維持されるとしている。症状のコントロールが無用だということを実際に体験で学ぶことが恥さらし訓練によってできる。恥さらし訓練はエクスポージャーであるが,目的は“不安を下げる”ことではなく,“不安を満喫する”ことである。

ACTは不安を進んで経験することを促す。ACTは実践面では認知行動療法に似ているが,治療の方向づけは森田療法やフランクルのロゴセラピーに近い。実験心理学を臨床に応用したという点では認知行動療法と同じであり,森田やフランクルのような個人の独創から生じたものではない。

恥さらし訓練は具体的には次のように行った。患者が自分が最も人に知られたくない恥だと思っている自分の性質をA5のカードに書き記し,それを他人によく見える胸の前や前額部に貼り付け,人混みの中を歩き回り,見知らぬ人に読んでもらうようにする。カードの文面の例として“ごくつぶし,仕事ができない,バカなすねかじり”などがある。ACT群の患者では,以前から投与されていた薬を除いて新たに薬物は使わないようにした。

結果

治療の結果はLSASで評価した重症度の変化量の平均と,変化量を元にして寛解と反応,不変に分けたときの割合をみるようにした。治療後のLSASは,臨床試験参加群は治療開始後10週後の値を,通常治療群とACT群は最後の受診日の値を採用した。通常治療群とACT群の治療期間は4週~138週,平均30週であった。

治療開始前後のLSASとLSASの減少率(治療後のLSASから治療前の値を引き,それを治療前の値で除した数値の%)を表に示した。LSASの減少率の平均は,臨床試験高用量群は60%,低用量群は20%,プラセボ群は15%,通常治療群は40%,ACT群は76%であった。

table1

治療転帰(寛解と反応,不変)をBallenger(1)の基準に基づいて,寛解:LSASの減少率が70%以上,反応:35%以上,不変:それ以下,とし,その結果を図に示した。寛解した患者の割合では,臨床試験高用量群は43%,低用量群は0%,プラセボ群は17%,通常治療群は15%, ACT群は63%であった。寛解する可能性からみれば,ACT>臨床試験高用量であり,通常治療はプラセボと変わらない。寛解+反応からみれば,通常治療は臨床試験低用量やプラセボに勝る。

graph1

あなたが治療を選ぶために

ベンチマークとしての臨床試験

あなたが治療を選ぶならば,治療成績の良いものを選びたいはずである。良いか悪いかには基準があると良いし,そのような基準をベンチマークという。地形を測量するときに利用する水準点のことである。臨床試験の治療成績は良いベンチマークになる。臨床試験ではプロトコールを厳格に守る必要があり,治療法の自由な選択や追加は許されず,精神療法は最低限であることを義務づけられる。薬のさじ加減はありえない。このようにしてどこの施設でも誰が主治医でも同じ薬なら同じ成績が出るようにしているのである。対人恐怖に対する治療の系統的レビューやメタアナリシス(7)(4)によれば、SSRIのプラセボ対照ランダム化試験(RCT)では,改善以上の患者は実薬群40~50%,プラセボ群はその半分になる。LSASの値は治療終了時に実薬群はプラセボ群の半分程度になる。菊池病院での臨床試験群の成績とほぼ同じであるから,この成績は理想的なベンチマークである。言い換えれば,治療者が自分の経験や判断を活用して薬をさじ加減し,認知行動療法も併用するような治療の成績が,臨床試験の成績=ベンチマークを超えられなかったら,治療者の経験や判断,さじ加減,認知行動療法は無用の長物ということになる。

2005年まで行っていた認知行動療法と薬物の併用は臨床試験低用量,プラセボよりは良かった。一方,臨床試験高用量群には負けている。薬物を併用していることを考えると,筆者の経験や判断,認知行動療法は薬の前には無用の長物ということになる。著者が1991年から積み重ねてきた対人恐怖の治療経験は役立たなかった。2005年から導入したACTによってようやく薬に勝った,ということになる。

実際の患者の治療の選り好み

あなたが治療を選ぶとき,成績が同じならば,楽で面倒のないものを選びたいはずである。副作用も避けたいはずである。しかし,あなたが対人恐怖なら,副作用はそれほど苦にしない。臨床試験でも通常治療でも副作用を理由に薬物療法を嫌がる例はほとんどなかった。増量を予定通りにできなかったのは1名だけであり,これは吐き気のためであった。増量後に患者が薬を止めた例は,すべてLSASが不変であった例である。無効だったから飲むのをやめたのである。副作用を理由に薬を止める率はうつ病や他の不安障害と比べると対人恐怖は低い。

寛解した12名のうち,薬を使わなかったのは臨床試験でプラセボが割り当てられた1名とACTの2名である。残り9名は薬物を服用し,その後も服薬を継続している。寛解後も薬物を続ける患者は全体に,短時間の面接を好み,中には,会話なしで処方箋だけもらうようにしたいと希望する例もあった。

一方,通常治療の中で,グループ療法を受けたのは半数以下であった。さらに,ACTを受けることを選んだのは患者全体からみれば1/3以下であった。グループやACTの治療を受けない理由は患者の拒否であった。辛い面倒なことなしに,薬を飲むだけで治りたいのである。

この研究は治療をランダム割付していない。ACTを受けることを患者が選ぶこと自体が,対人恐怖の改善を意味している可能性がある。薬物を嫌う患者は少ないが,恥さらし訓練は一部の患者しか選ばない。実際の有用性という点では薬物療法の方が優れている。

薬物療法の精神療法的機能

症状のコントロールを止めることが必要だということは,薬物療法にも当てはまる。対人場面での不安をコントロールする薬,不安をなくす薬を患者が求め,治療者が処方することは症状のコントロールにこだわることである。“不安が無くなれば,回避が無くなり,人と普通につきあえるようになる”と考えることは,“不安がある限り回避する”ということである。これでは対人恐怖は治らない。認知行動療法を使った通常治療よりも臨床試験の方が良い結果が得られたのは,後者では対人恐怖に効果があるかどうかが事前に患者にも治療者にもわかっていなかったからだろう。臨床試験では,不安をコントロールする方法が患者に与えられることはない。不安や回避が変わってきたことをLSASによってフィードバックするだけである。このような方法が,患者が変わることを促進するのだろう。

まとめと他に

臨床試験と通常治療のデータを比較し,そしてACTと恥さらし訓練を紹介した。恥さらし訓練は効果が高かったが,受けたのは患者の1/3程度であった。認知行動療法の効果は臨床試験高用量に劣り,有用性に疑問があった。恥さらし訓練はアルバート・エリスが1960年代から行っていたものである。これから考えると,1980年代以降の認知行動療法はそれ以前の治療法よりも効果において勝っているとは思えない。

ACTは臨床行動分析学の一つの応用である。その行動分析学には“行動内在的随伴性”という重要な概念がある。人間が自然に習得し維持している行動の多くのものは当初は外的な強化子によって形成,維持される。そのうちに,その行動をすること自体が強化子になり,外的な強化が不要になるという概念である。社会行動は行動内在的随伴性が必要な行動の代表的なものである。人が人と交流するのは,そうすれば良い結果が得られると期待しているからではない。人と交流すること自体に強化が内在するからである。そうでなければ社会行動は続かない。対人恐怖の患者に対しても,治すために恥をさらせ,逃げるな,というだけでは治療につながらない。たとえやったとしても,治療の最終的な目標であるべき社会生活の改善にもつながらない。ACTを受けた患者は通常治療群の1/3程度であった。恥さらし訓練を行うためには患者に勇気が必要である。どのような認知が起ころうが,どのような不安が起きようが,どのような対処不能な不測の事態や大恥をかく場面に出くわそうが,他人と交流すること自体に大事だと患者自身が思うようにならなければ,勇気は起きない。対人恐怖を治すためには,不安を下げることではなく,人と付き合うこと自体に患者が価値を見出すように援助することが必要になる。

人と交わりながら生きていくこと自体に存在する価値を日本語では“生き甲斐”という。

参考文献

 

1)           Ballenger JC. Clinical guidelines for establishing remission in patients with depression and anxiety. J Clin Psychiatry, 60;29-34, 1999.

2)           Butler AC, Chapman JE, Forman EM, et al.: The empirical status of cognitive-behavioral therapy: a review of meta-analyses. Clin Psychol Rev, 26;17-31, 2006.

3)           Ellis A. Rational Emotive Behavior Therapy: It Works for Me – It Can Work for You. Prometheus Books, New York, 2004.

4)           Fedoroff IC, Taylor S. Psychological and pharmacological treatments of social phobia: a meta-analysis. J Clin Psychopharmacol, 21;311-24, 2001.

5)           Hayes SC, Strosahl KD, Wilson KG. Contens on Cards Excersize; Acceptance and commitment therapy: An experiential approach to behavior change. In. New York, NY, US: Guilford Press; 1999. p. 162.

6)           Hays S, C., Smith S. Get out of your mind into your life. New Harbringer, Oakland, 2005.

7)           Stein DJ, Ipser JC, Balkom AJ. Pharmacotherapy for social phobia. Cochrane Database Syst Rev;CD001206, 2004.

8)           岡嶋美代, 原井宏明. 境界性人格障害と呼ばれそうな20代女性に対するSADグループ治療. In: 日本行動療法学会第32回大会発表論文集; 2006 2006/10/23; 東京都; 2006. p. 82-83.

9)           原井宏明. エビデンス精神医療手取り足取り 3 エビデンスの検索. 臨床精神医学, 28;1285-1291, 1999.

10)          原井宏明. 社会恐怖/社会不安障害. In: 坂野雄二. 丹, 杉浦義典, editor. 不安障害の臨床心理学.  p. 55-74, 東京大学出版会, 東京, 2006.

11)          原井宏明. 社会恐怖の認知行動療法

人はなぜ人を恐れるか. In: 坂野雄二, 不安・抑うつ臨床研究会, editors.  p. 85-98, 日本評論社, 東京, 2000.

12)          原井宏明. 不快な情動に対する認知行動療法 -不安とうつに共通するものと異なるもの,そして治療-. 分子精神医学(1345-9082), 7;96-97, 2007.

13)          原井宏明, 岡嶋美代, 中島俊. 社会不安障害の薬物療法 ―臨床試験と一般臨床の違い・認知行動療法との併用―. 臨床精神医学, 36;124-138, 2007.

14)          原井宏明, 吉田顕二, 木下裕一郎, et al.: 【社会不安障害(SAD)の薬物療法】 社会不安障害の薬物療法のエビデンス. 臨床精神薬理(1343-3474), 6;1303-1308, 2003.

15)          朝倉聡, 井上誠士郎, 佐々木史, et al.: Liebowitz Social Anxiety Scale(LSAS)日本語版の信頼性及び妥当性の検討. 精神医学(0488-1281), 44;1077-1084, 2002.

 

日本行動分析学会第34回年次大会シンポジウム「医師による行動分析学の応用」 2016/09/11

企画 奥田健次 杉山尚子

話題提供

話題提供:
笠原 諭(東京大学医学部附属病院)
原井 宏明(なごやメンタルクリニック)
大矢 幸弘(国立成育医療研究センター)

対話セッション司会:
奥田 健次(行動コーチングアカデミー)
指定討論: 松岡 弘修(Scarab Behavioral Health Services, LLC)

原井の抄録

タイトル:PBDがJABSに,JABTがJABCTに,精神科医がMINT理事になり,OCDの会が奥田健次を呼ぶ
キーワード:Mindful Writing、Aesthetics

私は医師だが,私には「医師による行動分析学の応用」という演題はとても思いつかない。一つには行動分析学自体が応用の学問である。そして,医学は全てが応用かといえばそうではない。私は精神科医だから精神医学を修めている。第112回日本精神神経学会大会のテーマは「まっすぐ・こころに届く・精神医学-その軌跡をたどる」だった。分子イメージングや東洋的叡智,レジリエンス,○○の作用機序云々などが7000人名を越える精神科医の前で発表されていた。専門医の単位のために参加していた私は目を回していた。旧知の知人を捕まえては,Gawandeの「死すべき定め」の話をしたが,誰にも相手にされなかった。死期を悟ることは恵みにもなるのだが,そのような「死」の応用には医師は興味を示さないのだろう。
私は精神神経学会の会員を30年弱続けているのに大会では孤独だった。行動分析学会には会員になってもいないのに,今回が二度目の登壇で,今はとても孤独を感じるような状況ではない。PBDのウィンターカンファレンスに始まる,私と行動分析学の軌跡を辿りたい。そして,これからどうなるのか,どこへ行けばどうなるか,を皆さんと一緒に考えたい。

方法としての動機づけ面接―思春期を指導・支援する人のために

第35回 日本思春期学会総会・学術集会 特別講演

場所 浅草ビューホテル
日時 8月 27日 (土), 13:40 ~ 14:30

動機づけ面接(Motivational Interviewing, 以下MI)とは患者自身の内発的動機づけを治療者が積極的に引き出し,関わることによって行動が変わるようにする独特のコミュニケーションである。ゴール志向的でありながら,クライエント中心の態度を一貫して保つ。患者の問題行動・発言に寄り添いながら,裏側に隠された感情や背景を探り,患者が自ら矛盾に気づき,解消に向かい,自分の力で行動変化を起こしていくように促す。

短期介入法の一つであり,認知行動療法などの他の心理療法や薬物療法などと一緒に使われることが多い。米国国立アルコール研究所による大規模ランダム化比較試験の中で,介入法の一つとして採用されたことがきっかけで広く知られるようになった。現在では,依存症や精神科の枠を越え,生活習慣病における行動変容や公衆衛生領域,終末期医療における決断支援にも有用性のエビデンスが示されるようになった。日本では2005年の国際認知行動療法学会でのワークショップ,2007年の松島・後藤による訳書によって徐々に知られるようになった。和文文献数が2000年代は29件だったものが,2010年からは178件になるなど急速に普及してきている。

演者は精神科医・行動療法家である。肥前療養所に就職してから,強迫性障害とアルコール依存症を主な対象として行動療法をするようになった。クライエント中心アプローチという概念は聞いたこともなく,私にとっての行動療法とは患者に嫌なことを無理矢理させることだった。不潔恐怖の患者に汚れを触らせ,依存症の患者に断酒を強いた。7歳の長男にはうつ病の問題があり,それが理由で小児・思春期の患者を扱う気になれなかった。無理強いは無理と実生活を通じてわかっていたからだ。そんな私が2004年にMIのトレーナー研修を日本人としては始めて受け,自分自身が大きく変わった。7歳だった不潔恐怖の女児を治せるようになり,その子に大学進学のお祝いを贈ることもできた。今では患者の2割は未成年である。MIのトレーナー経験を通じて糖尿病や関節リウマチの臨床にまで関わるようになった。

どのような精神療法でも言えることだが,MIにも技術的な側面と態度としての側面がある。

なぜMIがここまで広がるのか,行動療法らしい工学的な側面を紹介しながら,その奥にある態度についてもお話ししたい。

マインドフルにみたアクセプタンス&コミットメント・セラピー~徹底的行動主義

季刊精神療法 42巻4号 特集号「マインドフルネスを考える、実践する」

2016年7月末刊行予定

この小論の狙い

私は行動主義者だ。しかも、方法論的行動主義ではなく徹底的行動主義を取る、スキナリアンである。心や魂の実在を信じない。私は進化論者である。私にとっては哺乳類と昆虫の間に上下の差はないし、チンパンジーの方がヒトよりも記憶力が良くても驚かない(1)。高度な論理的思考や高邁な利他的行動も自然選択によって形成されたとするダーウィニズムの立場をとる。

こんな風に言えば2種類の反応があるだろう。

#1 スキナー・ダーウィンは極端だ。飴と鞭で人をコントロールするなんて受け入れられない、人はサルではない。こんな考えをする人には近づきたくもない。

#2 スキナー・ダーウィンは常識だ。良く知っているから、講釈不要。

それぞれの人にはもっともな理由がある。宗教や哲学かもしれない。徹底的行動主義とダーウィニズムも哲学の一種である。仏典やソクラテスに詳しいのであれば話題作りもになるだろうが、この二つに詳しくても変人に思われるだけで、常識人は近づかないだろう。

この小論の狙いは、この二つの反応をする常識人の方々に、変人である著者がなんとかして、徹底的行動主義に基づいて行動を予測し、制御するための学問である行動分析学について興味をもってもらうチャンスを作ることである。マインドフルネス?アクセプタンス?最後にそれらしいことに触れよう。

徹底的行動主義はあなたが思う行動主義とここが違う

行動主義自体は精神療法ではない。だから読者の大半は行動主義と聞いてもピンとこないだろう。あるいは学生の時の授業を思いだして、次のような図を思い浮かべてくれるかもしれない。頭の中はブラックボックスで、アクセス不能であり、研究の対象として扱うものは刺激と行動だけだという主張である。

図1 挿入

たしかに行動主義の父であるジョン・ワトソンは行動主義心理学の目的は行動の予測と制御であるとした。研究の対象は、刺激と反応だけであり、頭の中は研究の対象にならないとした。愛や知性、意志のようなものは霊魂と同じ迷信だとしたわけである。基盤とする学習理論も選んだ。パブロフ条件づけを中心にして、ソーンダイクの効果の法則は認めなかった。能動的な行動を研究対象にしなかったのである。

行動主義の上にさらに“徹底的”とつければ、常識人ならばどれだけ極端なことを言うのか?と思うだろう。

 

キャプチャ

図1 ワトソンが考えた行動主義

 

実は、バラス・スキナーの徹底的行動主義はワトソンの考えた行動主義とは大きく違う。『婦人と老婆』のだまし絵で知られるエドウィン・ボーリングとの1945年のシンポジウムでの論争では、ボーリングが「科学はプライベートなデータを考慮しない」と主張したのに対し、スキナーはこのように書いている。

このシンポジウムで私が主張したことはどこに行ったのかと考えさせられてしまう。これ以上は振り返りたくない。しかし、私にとっては、私の歯痛も私のタイプライターと同じぐらいの実在である。痛みは確かに公のものではないが、歯痛を表現する言語がどのようにして獲得され、維持されるのかを客観的かつ操作的な科学が対象にしない理由が私にはわからない。皮肉な話だが、ボーリングは自分自身を外からも見える行動だけに限定しようした。私はそのボーリングを内側から見たらどうなるのかに依然として興味がある。((2)  訳 著者)

 

さらに言えば発達障害にも詳しい読者ならば「心の理論」(Theory of Mind)(3)を聞いたことがあるだろう。提案したのはデイビッド・プレマックである。2015年6月に亡くなった彼はチンパンジーの言語習得など行動分析学に多大な貢献をしている。その一つが、彼の功績を称えて「プレマックの原理」と呼ばれる、強化相対性である。そんな徹底的行動主義者が「心の理論」を提唱した。徹底的行動主義は言葉でもアクセスできない幼児やチンパンジーの心=ブラックボックスの中にも行動主義を当てはめる。愛や知性、意志は行動主義の対象である。

徹底的行動主義が徹底すること

ワトソンの行動主義に不満を感じたのはスキナーだけではない。ブラックボックスをブラックボックスのまま刺激と行動から扱おうとする研究者もいた。ここでは、そうした人たちを方法論的行動主義者と呼ぶことにしよう。名前がブラックボックスのままでは都合が悪いし、愛や知性、意志といった日常語で呼んだのでは通俗的に過ぎるので、反応ポテンシャルやスキーマ、自己効力感などと呼び替えることにした。

こうした方法論的行動主義者が創出した概念は直接観察することができない。だから理論的構成概念と呼ばれる。精神療法の文脈では病理モデルや認知モデルと呼ぶことが多いだろう。認知療法の創始者であるアーロン・ベックを初め、何かの精神療法や臨床心理学の学派の創始者とは、新しい理論的構成概念の創案者と言ってもよい。新しい概念が矢継ぎ早に出てくる。翻訳はとても間に合わない。レジリエンスなら聞いたことがあるかもしれない。ルーミング脆弱性(Looming vulnerability)(4)は?脅威に対する認知モデルで不安障害の原因を見つけたとしている。

徹底的行動主義者が他と大きく違うのはここである。徹底的行動主義者は理論的構成概念を徹底的に排除する。理論構成のために使う概念はラットやチンパンジー、重度の自閉症者、不安障害の患者、健康人のどれであっても共通して使える。徹底的行動主義からみれば、痛みや不安はこの5者の誰にでも共通して生じることである。言語報告は他の様々な行動の一つでしかない。全く言語能力がない(従って、認知モデルが存在しない)生体が対象であっても、日常生活中の行動や薬物投与後の様子を観察することで痛みや不安の予測と制御が可能だ。痛みや脅威を意識したから、生体は「ギャ」とか「恐い」とか言うのだろうか?

徹底的行動主義に基づく行動分析学の臨床場面を考えてみよう。痛み・不安という本人にしかわからない経験があり、それに伴って患者が意味のある言葉を発したことは治療者にとっても大切な事実である。しかし、行動分析学では意識を行動の原因にすることを拒む。「痛い」「不安」という意識があるから、周りに訴えている、というのが常識人・方法論的行動主義者の考え方だが、そんな常識を否定する。何を徹底しているのかをリストにしてみよう。

研究方法としての徹底

  • 理論的構成概念を排除し、観察できる行動に還元できる記述概念だけを説明に使う。
  • 新しい概念をできるかぎり使わない。科学としての伝統である思考節約の原理(オッカムの剃刀)を徹底させる
  • ワトソンと同じく、「意識や心を原因にしない」という方針を徹底する。心身一元論に立つ
  • 誰もが常識と思っているようなことを疑ってかかり、操作的に定義できるまでは方法として使わない。科学者自らの科学的行動をも研究対象にできるところまで方法を徹底させる。

研究対象の徹底

  • 原因探しをやめ、行動の予測と制御に目的を絞る。なぜ私は生まれてきたのか?天災があっても生かされている理由は何か?のような目的論には答えないが、目的論にこだわってしまう行動の予測と制御は扱う。
  • 外から観察可能な公的事象だけではなく、本人にしか接近できない私的事象も分析の対象とする。言い換えれば動物の行動であれば何でも対象にする。目に見えないようなプラナリアにもオペラント条件づけができるし(5)、海馬のニューロンにもできる(6)。

 

表1 方法論的行動主義と徹底的行動主義

方法論的行動主義・常識的な心理学 徹底的行動主義
認識論 事象を認識するとき形や意味などの特徴的パターンで把握する。目立つ行動に気を取られる。心と体、刺激と行動を分けて考える。

量や頻度,持続時間を把握することが苦手。

悪い原因が病理になるように、悪を悪と結びつけがち

人の思いこみにとらわれず,実験と実証を重んじる。心を体からわけず、刺激を行動から分けることもしない。生きている動物がすることは全て行動であり、行動が刺激にもなる。

価値判断は相対的。行動自体には良い悪いはない。量や頻度,持続時間、スケジュールの認識にこだわり、そのための道具も開発する。

因果論 モデルをつくり、病理の原因を突き止めようとする。原因発見が解決につながるとする。

原因が結果を産む。

循環論になりがちな、因果論を避ける。遺伝子異常が特定されている疾患であっても、そこから考えるのではなく、あくまで環境と行動の連鎖の中から考える。

結果が原因にもなり得る。

解決論 原因、症状、解決の一セットがモデルとして整合性がとれていることを目指す 環境や状況のような文脈によって解決は異なり、同じ文脈でも解決は一つだけではない。複数の全く異なったやり方が同じ機能をもつのが普通
治療評価 ランダム化比較試験のようなグループ比較実験 単一事例実験計画 少数例の中で繰り返し測定による実験を行う

 

ブラックボックスを行動分析学でも別の名前で呼んでいる。私的出来事である。愛や知性、意志はもちろん、嫉妬や欺瞞、悪意もみんなひっくるめて私的出来事である。愛と嫉妬がどう違うか?を100人の方法論的行動主義者に尋ねたら、100の答えが帰ってきそうだ。徹底的行動主義者は最初からこの2つを分けない。愛か嫉妬かは頭の中だけで区別できるものではない。外の社会とのやり取り(文脈)で決まることである。

あなたが思う好子(強化子)と行動分析学の好子はここが違う

行動分析学では好子は行動とセットである。まず、“行動”の意味が常識よりもはるかに広く拡張されている。歯痛はもちろん、愛や知性、意志も行動である。行動一元論と言って良いだろう。そして、原因探しをやめることは常識的因果論を逆転させることになった。行動が結果を変えるのではなく、結果が行動を変えるというように時間の流れを逆さにした考え方をするようになった。

この結果、誤解が生じているのが、何を好子(強化子)とするかの問題である。行動分析学の初学者は最初から好子になるものが決まっていて、それが行動の後に提示されるから正の強化が生じると“常識的に”考える。行動分析学では逆転させる。

このような逆転の発想、結果が原因になるというのはダーウィンの自然選択と同じである。自然選択によって生き残るものは、決して優秀だからとか丈夫だからとかという理由で生き残ったのではない。何か予めデザインがあって進化するのではない。環境に適応するためには様々な多様な形質が可能だが、その中のどれかが運も含めてたまたま選択されて、子孫を残し、他は淘汰されて消えてしまう。その結果、ある性質が進化していく。行動も同じである。予めどういう行動が良いと決まっているのではなく、同じ機能を果たす多種多様な行動レパートリーの中から一つの行動がたまたま選択されて、強化されていく。何が強化されるのか、何が強化子になるのかは結果を見てみるまではわからない。

 

表2 好子(強化子)とは

常識 行動分析学
何が好子か お金や食物、褒め言葉のような一般的な嗜好物

刺激としての実体があるもの、取り出せるもの

何でも強化子になり得る。SM愛好家なら痛みも好子。美味しいケーキも100個を食べさせられたら嫌子に変わる。何かが好子になるためにはそのための操作(確立操作)が必要。

操作だけで決めているので刺激としての実体がないもの、スケジュールの変動も強化子になる

正の強化はいつ分かるか? 好子を提示するという計画の段階で正の強化になる

好子があれば、正の強化が生じる

刺激を提示する計画段階では何が正の強化は分からない

繰り返し行動を観察し、正の強化が生じていれば、それが好子

 

好子と聞くと“子”なのだから、一個一個数えられるものだと思うかもしれない。行動分析学で見ているものは結果であり、それは環境の変化である。その中には数えようがないものもある。ハーバード大学でスキナーのあとを継ぎ、行動経済学の始まりともいえるマッチング法則を見出したリチャード・ヘアンスタインの研究を紹介しよう(7)。

ラットをスキナーボックスに入れる。床にはランダムなタイミングで短い時間、電気が通電されて、ラットはビリビリ感を感じる。ラットがボックスの中のレバーを押すと、通電と通電の間の平均間隔が若干長くなる。頻度がちょっと減るだけだ。ランダムなのはそのままであるから、レバーを押した瞬間に通電が来ることもある。普通なら罰になるはずだ。しかし、結果では、レバーおしが増えた。このように嫌なものがランダムに提示される場合でも、平均の間隔が伸びたということはラットにもわかり、通電レバーを押す頻度が増える。

電気をヒトへの給料に置き換えてみよう。年間の給与が360万円の人がいるとしよう。年に1回4月にまとめてもらうのと、平均月1回で1回30万円、平均週1回で7万円、平均毎日1万円、とランダムにもらうのとでは、どれがよく働くようになるだろうか?1人1人文脈が違うだろうが、合計金額がまったく同じでも給与が出るスケジュールを変えることで働くことへの強化が変わることは想像がつくだろう。

個体にとっては、スケジュールの変化も強化子になる。強化子は数えられるような“子”とは限らない。だから、何がクライエントの行動を強化しているのかを分析するためには、数えられるような“子”だけに注意を向けていてはだめだ。治療者による是認は一般的な強化子である。どんな台詞を言うべきかだけにとらわれて、言うタイミングと結果としてのクライエントの行動変化には注意を向けていないようであれば、行動分析家としては失敗している。

刺激性制御と随伴性制御

たとえばあなたがこの原稿を読んでいる、今この場で携帯電話から、緊急地震速報が鳴りだしたらどうなるだろうか?今いる場所が揺れ出したら?

最初の反応は吃驚だろう。この驚愕反応は無条件反応(Unconditioned Response, UCR)と呼ばれる。そしてUCRを起こす刺激が無条件刺激(Unconditioned Stimulus, UCS)である。UCRは他にも瞬目反射などいろいろあり、生存のために最初から備わっている生得的な反射でもある。UCRという名前を覚えただけではわからない、トレーニングを受けなければ気づかないものが多い。UCRはそれぐらい日常的に生じているのである。その代表的なものが定位反応(Orienting Response, OR)である。新奇な刺激、変化があると私たちはそこに注意を向ける。見たり、聞いたりする。ただし、ORはすぐに消去される。同じものを2,3度見聞きしたら、もう注意を引かれることはない。定位反応をできるだけ多くの人に起こすようにデザインされたものの代表がテレビのコマーシャルである。選挙の時の候補者もそうだろう。

ここでパブロフの犬を思いだしてくれた人は素晴らしい。パブロフの場合は犬に餌をやる直前に鈴の音を聞かせること(条件刺激、Conditioned Stimulus, CS)で、鈴だけでも唾液が分泌されること(条件反応、Conditioned Response, CR)を発見した。UCSと連合して提示された刺激、すなわちUCSの到来を予測するような刺激は、繰り返し提示されることで、UCSと同様な機能を持つようになる。

 

表3 刺激性制御と随伴性制御

種類 先行刺激によるコントロール 結果刺激によるコントロール
概念・行動 刺激性制御

レスポンデント行動

随伴性制御

オペラント行動

刺激の例 どんな刺激であっても強烈なもの

新規なもの、珍しいもの

食物を食べる、注目を受ける、褒められる、○をつける、気持ち良くなる
行動の例 唾液腺の反応、驚愕反応、声

情動反応、善悪・価値判断

サイン・トラッキング(目標を目で追う)

キーボードを押す、本を買う

読み書き、考える、調べる

移動する、自分を目立たせる、確認する、人に頼む、依頼に応じる

 

生体がするほとんどの行動が刺激性制御と随伴性制御の両方を受けている。随伴性制御だけのピュアなオペラント行動はない。一方、少数だが、ピュアなレスポンデント行動はある。新生児を想像して欲しい。大半の行動は吸啜反射のような原始的な反射で説明できるだろう。一方、オペラント行動はどうだろうか?キーボードを押すという日常的な行動一つをとっても、そこには刺激性制御も一緒に加わっている。キーボードの刻印はもちろん、キーの感触やクリック音など複数の先行刺激、画面上に出現する文字という結果によってコントロールされている。行動を分析するとは目的に応じて柔軟に分析のフォーカスを変えられるということでもある。

スキナーの功績は研究方法の開発でもある。その代表がスキナーボックスだ。ボックスの中にはレバーが一つしか無い。ラットに可能な行動はレバーを下に押すことだけで、環境の変化は先行刺激である光か音、そして結果刺激としての餌が皿に出てきて食べることだけだ。スキナーは刺激と結果を単純化することで行動の原理を見出した。しかし、実際の生活環境では、刑務所の独房でもないかぎり、操作できるレバーが一つしかないとか、環境変化が光か音、餌だけということはありえない。複数の先行刺激・結果が常に生じていて、生体はそうした刺激のコラージュのどれかを選択して反応し、行動している。ラットでもヒトでも、囚人でも自由人でも、手は2つしかない。一時にできる行動は一つである。2つしかない手・一つだけの行動を複数の刺激が競って取り合っているといえる。行動の強化随伴性とは刺激淘汰のことである。

実のところ、スキナーボックスに入れられたラットの場合でも、刺激は一種類だけではなく、行動も一種類だけではない。実際の実験場面を見ると、ラットはレバーの上に乗りかかったり、レバーの隙間に頭をつっこんでみたり(ラットは狭いところに鼻先を突っ込むのが好きだ)、体を擦り付けてみたり、いろんなことをしている。実験者としてはレバーを手で下方向に押して欲しいのだが、ラットにだって自由がある。たまたま体ごと乗りかかり、そのせいで機械が動作して、餌が出てくることがある。この結果が出ると、当然、体ごと乗りかかるというラットにとっては面倒くさい行動が増えることになる。スキナーボックスである。ヒトが手を出してラットに教えてあげるのはルール違反である。わざわざ面倒くさいことをして餌を得ているラットも、試行錯誤を続けているうちにレバーを押すことに気づく。そうなると最終的にレバーを手で押すだけの行動だけが自然選択される。でも、実験者としては気に入らないデータだ。なぜ所定の行動頻度に到達するまでの試行数が長いラットがいるのか、説明が面倒くさくなる。ラットの体重でレバーが壊れたら、実験費用も余計にかかってしまう。

論文にはラットがどんな面倒くさい行動をしていたかは書いていない。私たちが論文で読むときには、こういう面倒くさいディテールが外された結果だけを読んでいる。もし、あなたに余裕があるなら、Skinner Boxを検索し、動画を見てみることをおすすめする。

刺激とはあなたが想像している以上のものである

刺激と聞くと、実験の心得があるなら光や音、電気ショックを思い浮かべてしまうだろう。実は、今、あなたが読んでいるこの文章そのものが刺激である。そして、あなたが触れている刺激はもちろん目の前の黒の線や点だけではない。あなたには五感があるはずだから、聴覚や嗅覚、触覚、味覚もどこかで何かを感じているはずだ。耳には何が?皮膚は何を感じているだろう?口の中には?

もし、あなたが何も感じていないというならば、それは大間違いである。私たちが何も感じないというのは単純に気にしていないということである。もし、仮に完全な無音空間、匂いも風の動きもない空間に置かれると人はどうなるだろうか?アイソレーション・タンクを用いた感覚遮断実験は幻覚をもたらすことが知られている。映画「アルタード・ステーツ/未知への挑戦」が示す通りである。私たちはちょうど気にならない程度、適当な刺激の中に自分を晒すようにしていて、それ故に「何も感じていない」と報告する。

あなたがクライエントと面接室で向き合っている場面を考えてみよう。あなたの行動を支配している刺激には何があるだろうか?

話している言葉の内容だけに注目していたならば、あなたはマインドレスな状態に陥っていると言って良いだろう。面接をしながら、次のようなことを自分に問うてみて欲しい。

  • 反応するときに、声調や話す速度にはどのような変化があるか?
  • 話しているとき、何かをしてくれと訴えたり、要求したりしているのか?状況を述べ、伝えているだけか?
  • 同じような内容や声、話し方を繰り返しているか?反芻があるか?
  • 同じようなテーマを繰り返しているか?
  • 話をしているときの姿勢や表情、視線はどうか?

これらは面接の場面で起こりえる行動の一部である。認識できているだろうか?私たちは刺激であれば目立つものだけに目を奪われ、他の刺激の存在を無視してしまい、好子であればその“子”にこだわり、個数や大きさに注目してしまう。生起する頻度や間隔、随伴性の方を認識することは容易ではない。分かるようになるためにはトレーニングが必要である。これから使えるトレーニングの例を上げてみよう。

治療場面での刺激のコラージュを認識できるようになるためのトレーニング

これは譬えて言えば、コンサートホールで音楽を聴くようなものである。ジャズでもロックバンドでも何でも良い。オペラ音楽の場合なら、コントラバスに聞き入ってみよう。その間は歌詞やメロディーラインは聞き流すだろう。打楽器の音に感じるところはあるだろうか?一定のパターンを繰り返していることに気づいただろうか?

音楽のパターンに気づくようになったら、次に行動・文脈の間でおこる相互作用の文脈の側にも注意を向けてみよう。ホールの音響はどうだろうか?聴衆はどうしているだろうか?咳払いはどうだ?空調は?

何かをよく観察しようとするならば、その場の刺激のコラージュのなかのどれかを選んでそれに注意を向けることになる。訓練を何度も繰り返せば、意識をしなくても同時にいろんな音を聞くことができるようになってくる。これができるようになれば、カウンセリングの中でもそこで現れてくる言葉(歌詞)だけでなく、話の背景や部屋の雰囲気にも注意を向けることができるようになるだろう。

カウンセリングの場面では文脈を2種類に分けて聴くことができる。

  1. クライエントが話すテーマは何についてだろうか?自分自身の内側のことだろうか?それは過去に起こったことの記憶だろうか?未来についての懸念だろうか?それとも対人関係のことだろうか?対人関係であれば一対一で生じる親密あるいは敵対的な関係のことだろうか?それとも一対多で生じる、たとえば同僚や仲間、親戚のことだろうか?相手に何かしてくれと言っているだろうか?相手に何かをしてやろうとしているのだろうか?それとも評価を気にしているだろうか?
  2. こうしたテーマが現れては消え、また出てくるとして、それはどのようなパターンで生じてくるだろうか?テーマが出てきたときにカウンセラーは何をしただろうか?そのテーマが出てくる前に、何かクライエントの様子に変化はあっただろうか?口が重くなったり、間が空いたりしただろうか?クライエントとカウンセラーの間の対人関係も繋がっているだろうか?

カウンセラーが面接のなかで耳を傾けて聴くべきものは歌詞(言葉)だけではない。同じ歌詞が何度も出てくるとしたら、それがどのような場合に出てくるのか、出てくる前後には何があるのか、

刺激制御されているのはクライエントだけではない。治療者自身がそうである。目立たない小さな刺激や普段の慣れた刺激の新しい組み合わせに私たちは制御されている。気づくことは生やさしいことではない。行動分析学のなかではクライエントに当てはまることは等しく治療者にも当てはまる。自分の皮膚の内側のできごとが治療者をつくっている。自分自身の反応が診察室の中では最も役立つセンサーである。

こんな場面で、あなたはどうだっただろうか?しばらくの間、目を閉じ、そんな場面を思い浮かべてみてほしい。その時の状況はどうだっただろうか?外に向かってどんな行動をしただろうか?皮膚の内側ではどう反応しただろうか?頭は?胸は?もし、「そんなこと考えないで」などの適当な指示を出して、早く終わりにして次に行こうと考えたなら、それは嫌悪的な刺激性制御を受け、逃避行動が生じたことを示している。治療者が嫌悪的な制御を受けているならば、クライエントも嫌悪的な制御を受けている可能性が高い。

最後に

ここまで読んでどうだっただろうか?この変人著者はここまで一度も、本文の中でマインドフルネス・トレーニング、アクセプタンス&コミットメント・セラピーという言葉を使わなかった。いったい、著者は何を読者に求めようとしているのだろうか?

スキナーはいまでこそ、行動主義の代表選手のようになっているが、登場した時点では、ワトソンからの従来の行動主義とは異なった主張ゆえに、新行動主義者と呼ばれた。そして、新行動主義者は彼だけではない。他にTolman, E.C., Guthrie, E.Rl, Hull, C.L.がおり、それぞれがワトソンや他とは違うユニークは主張をした。彼らの理論が今、振りかえられることはないが、発見した事実や考案した実験は今も生きている。この上に築き上げられた知見は数え切れない。刺激等価性やルール支配行動、それをまとめた関係フレーム理論はそれらのうちの一つであり、これらがアクセプタンス&コミットメント・セラピーの基盤になっている(8)。誰かが単独で思いつきで作り上げたセラピーではない。

同じようにダーウィンは進化論の代名詞のようになっているが、自然選択説はアルフレッド・ラッセル・ウォレスとの共同発見である。生物種が固定されたものではなく、変化するものであることは他の大勢の研究者が気づいたことなのだ。しかし、スキナーのように随伴性に対する考察、すなわち結果によって行動が選択されることを提案した人、、ダーウィンのように自然選択によって種や分化が生じることを提案した人、そしてその提案がその後の科学を変えたものは二人を置いて他にいない。

行動主義も進化論もリサーチ・プログラムでもある。2つとも一つに固定しているものではない。そしてその方法論はその理論の発展自体にも応用できる。理論があるのではなく、理論を生み出すリサーチ・プログラムがあると言った方が正しいだろう。それは次の4つにまとめることができるだろう。

  1. 無数の試行錯誤を行なうこと
  2. 1人の天才の仕事ではなく、集団で解決策の順列を探索していくこと
  3. 似たような問題には、必ず複数の解決策があること
  4. すでにある古いものを転用して、新しい解決策にすること

ACTは行動主義である。そして、病理的と思われるような行動も含めて生物の形質や行動はほぼすべて適応的であると仮定して理論を構築する立場である。これは進化論の議論で言えば、適応主義である。適応主義は現代生き残った進化論である、総合説・ネオダーウィニズムが依っている立場である(9)。

PS 個人的な告白

改めて自分の書いたものを振り返ると、駅前ビル診療所の精神科医が徹底行動主義の解説を季刊「精神療法」でするというのには違和感を覚える。“徹底行動主義メンタルクリニック”という看板を掲げるのは、どう考えても適応的ではないし、この雑誌の読者に対するサービスになるのか、何かの機能を果たせるのかも心もとない。医中誌などを調べる限り、この雑誌に徹底行動主義、スキナーというキーワードがでてきたことがない。ダーウィンなんて想像もつかない。

なぜ私が徹底行動主義を取り上げることになったのか、この執筆行動の文脈も書いておきたい。オーディエンスのためではなく自分のための覚え書きのようだが。私は行動主義については異常行動研究会(PBD、現在は日本行動科学学会)のウィンターカンファレンスで学んだ。スキーをしながら、シャトルボックスで実験している心理学者から基礎理論を教えてもらったのである。

一度、機会を頂き、学習理論の臨床における応用である強迫性障害に対する行動療法の話をしたら、2010年12月に兵庫医科大学心理学教室の磯先生からこんなお手紙を頂いた。

先日はワークショップでお世話になりました。その折にいただいた強迫神経症についての論文を読み、臨床家は遅れているな、と思いました。我々の理解では、回避行動は1980年頃からは認知理論で説明されて当たり前だと思っています。Solomonたちの1950年代の研究でもその片鱗が見え、さらにSeligmanたちの1973年の論文でははっきりと認知で説明しています。つまり、不安という概念を使わないで説明できるのです(Mowrerは過去の人になってます)

実際に回避の実験をやってますと、動物は最初だけ驚きますが、学習すると非常に適応的に行動します。同封の私の論文を読んでいただけますとそのあたりのことが書いてあります。つまり、動物実験をやっている人たちは認知だと先に受け入れていたにもかかわらず、臨床家はそう言い切ることに何十年も躊躇してきたことになります。やっぱり実験を経験して実際の動物を見てわかっていただかないと臨床家になれませんね。そういう意味でも今回のワークショップを企画していただいたことに感謝します。これからもよろしくお願いします。

論文を同封します。ご一読下さい。磯博行

2015年に磯先生が亡くなって1年がたつ。今も感謝し、論文を大切にしている。学習理論は常に進歩している。臨床にいる精神科医、臨床心理士が知っている心理学の理論は、その心理学者からみれば過去の遺物になっていると磯先生から思い知らされた。隔離されてしまうと心理学の進化から取り残されてしまう。行動主義心理学の進化は、一般人にはなかなかついていけない速さで展開しているが、科学的な心理学に基いて臨床をしたいと思う人にとっては眼が離せない。

参考文献

  1. 松沢哲郎. 直観像記憶と言語のトレードオフ仮説 連載ちびっこチンパンジー第74回. 岩波書店「科学」. 2008;78(2).
  2. Skinner BF. Cumulative Record: Definitive Edition. B.F. Skinner Foundation; 1972. 382 p.
  3. Premack D, Woodruff G. Does the chimpanzee have a theory of mind?
  4. Riskind JH. Looming vulnerability to threat: a cognitive paradigm for anxiety. Behav Res Ther. 1997 Aug;35(8):685–702.
  5. Lee RM. Conditioning of a Free Operant Response in Planaria. Science (80- ). American Association for the Advancement of Science; 1963 Mar 15;139(3559):1048–9.
  6. Ishikawa D, Matsumoto N, Sakaguchi T, Matsuki N, Ikegaya Y. Operant conditioning of synaptic and spiking activity patterns in single hippocampal neurons. J Neurosci. 2014 Apr 2;34(14):5044–53.
  7. Herrnstein RJ, Hineline PN. Negative reinforcement as shock-frequency reduction. J Exp Anal Behav. 1966 Jul;9(4):421–30.
  8. 武藤崇. アクセプタンス&コミットメント・セラピー(ACT) 行動分析学の「伝統と革新」の結実. 精神療法. 2014;40(1):60–3.
  9. 吉川浩満. 理不尽な進化. 東京: 朝日出版社; 2014.

 

社会恐怖(社会不安障害・社交不安症) :叢書 実証にもとづく臨床心理学 不安障害の臨床心理学 2006

坂野 雄二 編, 丹野 義彦 編, 杉浦 義典 編 2006
叢書 実証にもとづく臨床心理学 不安障害の臨床心理学 Pp 55-74
東京大学出版会 ISBN978-4-13-011120-1, 発売日:2006年09月中旬, 判型:A5, 240頁

表題    社会恐怖(社会不安障害) 著者名 原井 宏明

Key Words 社会不安障害,社会恐怖,診断,症状,Comorbidity,鑑別診断,文化

Social anxiety disorder, social phobia, Taijin kyoufu-sho,medical anthropology, culture

はじめに

社会不安障害(Social Anxiety Disorder, SAD)は,不安障害の中では出遅れた疾患である。米国では1990年代までは“無視された疾患”であった(Sheeran & Zimmerman, 2002)。日本では対人恐怖として大正時代から治療が行われた歴史がある。そして,日本特有の文化依存症候群であると考えられていた。フランスでは100年前に現在の社会不安障害と同様な病態を記載し,段階的なエクスポージャーと似た方法で治療した研究者がいる(Fairbrother, 2002)。一方,内気,上がり症などの対人場面の不安を意味する言葉はどの言語にもあり,そのために悩む人はどの国にも昔からいた。今日,SADはどの国や文化にもあるありきたりの疾患である。研究の本数は著しく増加し,1991年以降の論文数は1990年までの論文数の合計を超えている。さて,1991年からの研究はSADについて,1990年までの研究にはなかった何を付け加えたのだろうか?

この小論ではこれらの問題の整理を試みる。そして同じ時期の日本語の文献を比較する。最後に,SADの研究者がどのような方向に進むべきかについて提案を行う。内容の紹介ではなく,論文数の統計を示すようにした。症状や診断,治療の具体的な内容の記載については触れない。

SADに対する日本と諸外国の研究の動向

l  レビューの方法

医学文献二次情報を利用することにした。2005年6月の時点で,医学中央雑誌,PubMed,PsychINFOを用いて,それぞれ,“対人恐怖”,“社会恐怖”または“社会不安障害”,“social phobia”または”social anxiety disorder”,をキーワードにもつ論文を検索した。医学中央雑誌については1981年から検索し,728件がヒットした。PubMedとPsychINFOについては1964年から検索し,さらに二つのデータベースを統合し,重複を除外した。合計7525件がヒットとした。これらの書誌データベースから研究の動向をさぐった。

検索する際に用いるキーワードについては最近の展望論文やSADに関する教科書的文献からよく出現する用語を手作業で選び出し用いた。原則として全文検索を行った。研究手法や論文の種類についてはそれらに応じたフィールドを用いて検索した。英語については1990年までと1991年以降とに分けて検索した。

l  論文の本数の動向

図 1に英語,日本語の論文の本数の動向を示す。英語では1980,92年に落ち込みがある以外は順調に増加している。日本語も同様である。

l  国別,年代別

PubMedとPsychINFOから,筆頭著者の住所によって国別の分類を行った。ただし,米国や英国在住者については国名がないことが多かった。このため手作業で選び出した。医学中央雑誌はすべて日本語である。表 1に1986年から5年ごとにまとめた国別の論文数を示す。

この表から次のことが分かる。1)アメリカの論文が最も多い。1996年は半分以上がアメリカからである。増加率も高い。20年間に10倍以上に増加している。2)オーストラリア,カナダ,イタリア,オランダは1990年以前から論文を出している。イタリアを除き,これらの国々も20年間に論文の数を増やした。3)それまでほとんど論文を出していなかったドイツ,スウェーデン,スペイン,フランス,ブラジルなどが1991年から論文を著しく増やしている。4)英国,日本,イタリアは,この20年間あまり変わっていない。他の国々と比べると控えめである。

これらをまとめると,英国連邦の国々と日本,オランダ,イタリアが伝統的にSADに興味をもっていたといえる。表には載せていないがインドも1989年から計6本出している。1991年からアメリカ人が本格的に乗り出し,合わせて他の国々も出し始めている。

このように1990年前後はSAD研究にとって節目の時期である。それまでの研究と1990年代以降の研究の違いは次の言葉で要約できる。SADという用語と米国人研究者,認知モデルによる精神病理学,認知療法,SSRI(Selective Serotonin Reuptake Inhibitor 選択的セロトニン再取り込み阻害剤),神経生物学である。こうした変化は約10年遅れて日本にも波及している。

研究の方法にも革新がある。DSM-IIIのような操作的診断基準の出現とそれによる一般地域人口を対象にした疫学的研究,また治療に関しては認知行動療法による治療パッケージ,信頼できるプラセボ治療群を設定した無作為化比較試験(Randomized Controlled Trial, RCT)の増加と,それによって実証された治療(Empirically Supported Treatments, EST)の普及活動と治療の実効性に関する研究である。一方,同じような革新は日本では起こっていない。

テーマ別に研究の動向を調べるに当たり,英語の研究に関しては1990年と91年以降に分けて集計するようにした。日本語では同様な特定の節目とする年代はない。日本語論文のキーワード別の検索については1999年以降の325件の文献に対して行うことにした。

l  テーマ別

研究のテーマ別に論文を調べた。結果は表 2から表 6に示す。表 5 理論的研究の動向,病因や認知モデルなど,を除き,キーワードは日本語での出現順に並べている。日本語の理論的研究はほとんどなかった。

診断

診断に関する研究について表 2に示す。思春期,青年期,Comorbidity(合併精神障害)は日本語,英語どちらでも関心が高い。日本語では“引きこもり”や人格障害,精神病理に関心が高いのに対して,英語では広場恐怖や全般性不安障害に関心が高い。

英語では広場恐怖とschool phobiaの研究が減ってきた。一方,全般性不安障害と高齢者,そしてDSM診断基準上はSADと診断されない広汎性発達障害や外見の異常のある患者における社会不安に関する研究が増加した。英国連邦系の研究者にとって広場恐怖とSADとの鑑別は重要な問題であった。しかし,SADに関する研究が蓄積するにつれて発症年齢や有病率,家族歴,不安誘発テスト(provocative tests)への反応の点で違いが明らかになり,現在はComorbidityが問題になっている(Mannuzza et al., 1990)。1990年から注目を浴びるようになった全般性不安障害の場合は最初からSADとの合併が問題になっている(Mennin et al., 2000)。

SADのサブタイプ(亜型)の問題は,DSM-III-Rにおいて,全般型(Generalized subype)が取り入れられときから問題になっている。特に全般型は回避性人格障害との違いが乏しいこと,非全般型との違いは重症であることだけではないか,という批判にさらされてきた(Widiger, 1992)。回避性人格障害とSADについては,“comorbidity by committee”(委員会が作った合併症)という批判もある(Moutier & Stein, 1999)。SADと診断された患者を対象にさまざまな質問紙を施行し,因子分析を行うといくつかの因子が抽出される。その結果からSADにおけるサブタイプを提案するというタイプの研究が約90件ある。しかしこれらのサブタイプの中で治療反応性のような外的妥当性をもつまでに至ったものはない。また,解析の多くは重症度のような連続的次元モデルからも解釈できる(Stein & Deutsch, 2003)。DSM診断はカテゴリカルモデルに準拠している。しかし,SADに関しては他の社会不安を症状とする精神障害と連続性を持たせた社会不安スペクトラム(Social Anxiety Spectrum)のひとつとして考える方が良い,とする主張が2002年から見られるようになった(Schneier et al., 2002)。この中には場面緘黙や自閉性障害,アスペルガー障害,回避性人格障害,非定型うつ病,身体醜形性障害などが想定されている。

他人からみてすぐにわかる外見的問題がある場合,例えば,吃音やパーキンソン氏病に伴う振戦,本態性振戦,外見上の奇形,熱傷の瘢痕がある場合に社会不安があっても,これはSADと診断しないことが,DSMの決まりになっている。これらの患者における社会不安もSADに連続したものと考えたほうが良いとする主張がみられるようになった(Lauterbach et al., 2004)。表 2において“アスペルガー,パ-キンソン,斜頸,発達障害”がヒットした文献が該当する。斜頚(spasmodic torticollis)やパーキンソン氏病については単に外見上の問題から二次的にSADをきたすのではなく,生物学的共通性の可能性があることを指摘している論文がある(Gundel et al., 2001)。

不安障害の中でSADとの合併率が高いものは全般性不安障害(GAD)である。不安障害別の合併率について不安障害治療センターを受診した患者を対象にした報告がある(Brown et al., 2001)。ここではGADがSADとの合併診断の中で最も多い。うつ病性障害との合併はしばしば問題にされる。しかし,SADはOCDやGADと比べるとうつ病を合併する頻度が少ない。

SADの研究の歴史の中で新しく出現するようになった用語はSocial Anxiety DisorderとTaijin Kyofu sho,古典的対人恐怖である。SADは日本語,英語の双方にとって新しい。英語で初めて出現するのは,1996年のClarvitらによる,“The offensive subtype of Taijin-kyofu-sho in New York City: the phenomenology and treatment of a social anxiety disorder”である。英語圏の研究者にとっては,SADという言葉とTaijin kyoufu shoという言葉は同時に出現する用語である。一方,日本語では,2000年の貝谷らによる,“社会不安障害の生物学:線条体ドパミン仮説”である。日本の研究者にとっては,SADというは生物学的研究と同時に出現した用語である。ただし,Taijin kyofu shoが英語の論文で始めて紹介されたのは1979年のTanaka-Matsumi (Tanaka-Matsumi, 1979)による。この後10年間,Taijin kyofu shoは英語では現れない。

一方,日本語では2000年までは対人恐怖は対人恐怖以外にはなかった。しかし,DSM-III-Rの導入によって社会恐怖や社会不安障害という用語が入り,日本人にとっても対人恐怖との異同が問題になった。結果的には従来診断にて対人恐怖と診断される多くの患者がSADと診断されることに日本人の対人恐怖研究者も同意している(Yamashita, 2002)。一方,自分の視線や自己臭などが他人に不快感を与えると考える患者について,SADと診断することについて研究者によっては抵抗がある。このタイプの患者については対人恐怖をさらに分けて“古典的対人恐怖”と呼ぶ文献が2001年から見られる(松永,2001)。英語では,“Offensive subtype”と呼ばれている。自己臭恐怖は英語では心気症のひとつとして記述されているが,(Bishop, 1980)系統的な研究はない。

研究方法

研究方法について検索した結果を表 3に示す。ここでは英語と日本語の差は明確である。日本語の研究は325件の中から検索したが,そのうち約3分の1が症例報告であった。英語では約7分の1である。対照群をもつ研究は日本語では3本しかない。生物学や遺伝,疫学的研究は日本語では事実上ない。質問紙に関する研究は日本語が27件ある。これらは他の研究の基礎となるものである。評価尺度の使用頻度について表 4に示す。LSASは1991年以降に日本語と英語の双方でよく用いられるようになった。治療法の効果研究では事実上のスタンダードである。英語ではSPAIが最も良く使われている。この評価法は日本語にまだ翻訳されていない。

理論的研究

日本語では文化に関するものを除いて,オリジナルな理論的研究はほとんどなかった。このため,ここでは英語のみを集計し,表 5にまとめた。生物学的研究と認知モデルに関連する研究が著しく増加していることがわかる。

SADの認知過程についての研究は1985年ごろからある(Emmelkamp et al., 1985)。まとまったものになったのは1993年ごろである。このころ,複数の研究者(Stopa & Clark, 1993)によってSADの認知の特徴についてまとめられている。1995年,ClarkとWellsが認知モデルをまとめた(Clark & Wells, 1995)。これらは1)自己や相手に対する注意の向け方,2)解釈,3)記憶と再生,4)安全行動,の領域に分けることができる。self-focused attention(自己の行動,特に情動反応に過度な注意を払う), safety behaviors(情動反応を下げる目的の行動), selective retrieval strategies(記憶再生の偏り)などがある。他には,Self-presentation theoryが提案されている。これによれば,1)対人場面で自己を高く評価されたいという動機付け,2)それを達成する可能性に対する疑念,がSADの認知の特徴とされる(Leary & Kowalski, 1995)。SADの認知に関する研究はこのあと増加しているが,その後10年間には大きな変化はない(Heinrichs & Hofman, 2001)。

条件づけに関する研究は1990年以降は,以前と比べると減少している。5年ごとに見ると1971~5年が74件で最も多く,1991~5年が24件と最も少ない。従来,SADにおける不安反応の成因として社会場面での失敗による条件付け,他人の失敗を観察することによる代理条件付け・観察学習を通じて獲得されると想定されてきた。しかし,軽症の限局型の患者のほうが重症の全般型よりも社会場面の失敗経験が多い(Stemberger et al., 1995)ことから考えると,学習のヒストリーのみではSADの病因を説明できない。このため条件付けのパラダイムを利用した研究は行き詰った。しかし,1996年からは生物学的研究が条件付けのパラダイムを利用して行われるようになった。PETスキャンによって脳代謝を測定しながら,恐怖条件付けや馴化を行うもの(Veltman et al., 2004),また双生児研究と恐怖条件付けを組み合わせたものが現れるようになった(Skre et al., 2000)。生物学的研究の進歩によって恐怖学習の準備性を説明できるようになったと言える。

治療法

1990年代の治療研究はSSRIに代表される薬物療法とSADに対する認知モデル研究を臨床に応用した認知行動療法によって特徴付けられる。治療法について検索した結果を表 6に示す。これからは薬物療法と認知療法に関する論文が1991年以降に増加したことが分かる。行動療法やエクスポージャーは英語ではもともと多いだが,数は減少している。SADに対する行動療法,エクスポージャーは確立したものになり,新しい知見を出せなくなったためだと思われる。精神分析はもともと少ない上にさらに減少している。

日本語の特徴は森田療法が多いこと,認知療法が行動療法やエクスポージャーよりも多いことである。英語ではエクスポージャーや行動療法が1991年以降でも薬物療法の次に多いが,日本ではわずかしかない。日本語の論文は認知的技法を取り上げることが多く,エクスポージャーを軽視する傾向があることが分かる。

医療政策的研究

1990年代から増えてきている研究テーマのひとつが,医療政策的研究である。“managed care, health insurance, social policy, health care policy, economic, economy”のキーワードでヒットする研究が1990年以前に14本,91年以降に47本あった。SADは有病率が高いこと,日本では対人恐怖や上がり症に対する治療として民間ですでに行われていることから,有効な治療療法の普及,医療経済的研究が日本でも重要なテーマである。しかし,この問題をとりあげた研究は日本語ではごくわずかである。

まとめと将来の方向性

SAD研究の現在の問題点は,1990年以前から蓄積されていたSADの知見とこの10年間にもたらされた知見の間の違いが見た目ほどはっきりしないことである。1970年代から社会恐怖に対して脱感作やフラッディングなどの行動療法を行ってきた英国連邦系の研究者(Tyrer & Steinberg, 1975)には今日の集団認知行動療法の治療パッケージの治療効果が昔と比べてより優れているとは思えない。実際,エクスポージャーに認知技法を加えること,集団で行うことの治療効果上の優越性は不明である(Rodebaugh et al., 2004)。1970年台から仕事をしてきた精神薬理学研究者は,古くからあるモノアミン酸化酵素阻害剤(Monoamine Oxidase Inhibitors,MAOIs) の効果は新薬のSSRIを越えるものであることを知っている(Liebowitz et al., 1986)。

SADに関する研究は今は一時の盛り上がりから落ち着きをみせている。今後も変化はあると思われるが,1990年代から起こったほどの変化はないだろう。これからの研究は,今までに提案された概念,仮説,実験的治療,臨床試験にて効果があるとされた治療の実効性を確かめる時期になる。臨床場面ではSADの事例性と問題になる。以下,将来の問題となる個別のトピックを取り上げる。

l  研究対象の問題:社会不安スペクトラム,診断閾値,事例性

SADの診断にはあいまいさがある。他の不安障害やうつ病からの独立性はこの10年間の研究で確立したものになった。一方,人格障害の一部や発達障害,非定型うつ病などからの独立性は曖昧であり,社会不安スペクトラムとして考えたほうが良い。また,SADの臨床例として診断するためには患者本人の意向が大きく関与している。DSM-IVでは,クライテリオンCにて「その人は,恐怖が過剰であること,または不合理であることを認識している」と記載されている。社会場面での不安や緊張のために日常生活が限定的であっても,本人がそのことについて不合理を感じないならば,社会不安障害ではない。逆に軽症で普通の生活をしていても本人が不合理と感じ,治療を受けたいと感じるならば社会不安障害である。あるいはSADを主訴としない場合でも,SADがあることがアルコール依存症のような他の合併精神障害と関連しているならば,事例性をもつことになる。

患者が受診行動を起こす背景を調べると,SADの症状自体は青年期からあるが,当時は治療する必要は感じていなかったこと,進学や昇進,子どもの成長に伴う学校行事など,ライフステージにおける社会的役割を果たす必要がでてきたために治療を受けに来たことがわかる。対人場面における不安や恐

SADに対する研究は,SADの症状のために困っていると訴え,それを治したいと希望し,専門家を受診する人々を対象にしている。逆に言えば,SADの症状があり,対人場面を回避している生活をしていても,自分は困っていない,治す必要を感じない,と考えている人々はSADではない。言いかえれば,治療動機がSADの概念の重要な部分になっている。一方,既存の評価基準,重症度評価は不安症状と回避,それらに対する認知をターゲットにしている。

私たちのグループは近年,SADに対するSRIsの効果を知るためのプラセボ対照RCTに参加する患者を新聞広告などの方法でSADの患者を募集した。他の施設の患者も集めてSIAS,SPSの評価の因子分析を行った(Sakurai et al., 2005)。これらの研究を行って感じる問題点は,SADと診断される患者になるかどうかが,治験広告を見たかどうかに左右されることである。広告をみてSADを主訴として受診する臨床群と社会不安があっても治療動機をもたない非臨床群との間に,社会不安そのものに関する違いがあるとは思えない。SADの臨床群を研究するに当たっては,受療動機を評価する必要がある。また,SAD臨床群と非臨床群との間で,社会的地位などの人口統計的データをマッチさせ,症状や治療反応性を比較する研究が必要だと思われる。

l  理論的研究

認知に関する研究は,Clarkらが作ったモデルから10年間に大きな進歩がない。一方,強迫性障害についてはThought Action Fusion(TAF)やCognitive Fusionと呼ばれる思考過程がこの10年間の新しいトピックである(Rassin et al., 2001)。SADについてもTAFと同様な現象が見出される可能性がある。

恐怖の条件付けに関する研究については,この数年間,生物学や疫学と結びつけた研究が増加している。認知や条件付けに関しては複数のパラダイムを組み合わせた研究が今後をリードすることになるだろうと思われる。

l  薬物療法

薬物療法ではプラセボ対照RCTにてSSRIsがプラセボに優ることは確実である。SADにも生物学的基盤があり,薬物が治療効果をもつことは研究者の関心を引いた。しかし,実際の臨床における薬物療法の有用性の検討にはまだ時間がかかる(Stein et al., 2004)。

日本は新薬の導入が欧米よりも10年以上遅滞している。Sertralineのような海外では売り上げ高ではトップにはいる薬剤が日本では承認されていない。日本でも,ようやく,SADに対するFluvoxamineとParoxetineのプラセボ対照RCTが行われたこと,Fluvoxamineについては2005年7月現在,医薬品医療機器総合機構にSADに対する効能を申請中である。2006年からはSADに関する薬物療法の文献が増加すると思われる。

薬物療法については,SSRIなどの抗うつ薬や抗不安薬とはまったく異なる視点からの薬物がある。N-メチル-d-アスパラギン酸受容体の部分的アゴニストであるD-cycloserine はエクスポージャー中におこる恐怖反応の馴化を促進することが知られている。抗不安薬とは逆の結果をもたらすことになる。高所恐怖に対するエクスポージャーの効果を増強することをプラセボ対照試験で確かめられている(Ressler et al., 2004) 。SADにも応用の可能性がある(Birk, 2004)。

l  第三世代の行動療法,治療の統合

1990年代後半から第三世代の行動療法あるいは行動療法の第三の波と呼ばれる治療概念や方法が現れるようになった(O’Donohue, 1998)。Acceptance and Commitment Therapy(ACT) (Hayes et al., 1999)やDialectical Behavior Therapy(DBT) (Linehan, 1993),Mindfulness (Segal et al., 2002)と呼ばれるものがそれらの代表である。これらの行動療法に共通する特徴は,従来の行動療法があまり扱わなかった言語行動や価値観を中心に扱っていることである。ACTの場合は森田療法との表面的な類似性が高い。例えば“あるがまま”が,そのまま治療法の名称である“Acceptance”である。患者の不合理な認知に対して助言や説得を避けて逆説的方法を用いることや,不安障害やうつ病性障害を,正常な心の働きが過剰であることとして捉えることも良く似ている。一方,ACTとはルール支配行動に関する徹底的行動主義による研究から発展した応用行動分析である。第二世代の認知行動療法がよく用いる構成概念の利用を避けること,行動の機能やコンテキストを重視するところは,第一世代の行動療法への回帰でもある。ACTとHeimbergらの集団認知行動療法のSADに対する効果を比較した臨床試験がひとつある(Block, 2003)。

これらの方法の利点は個別の治療プロトコールを作る必要がないことである。Barlowらのグループが不安障害やうつ病性障害の全般について同じ治療プロトコールで治療する試みを始めている(Barlow et al., 2004)。1990年代以降の研究の特徴のひとつは,疾患をカテゴリー化し,その一つ一つについて疫学や精神病理を調べ,特有の認知や行動,病因,治療法を検討することであった。こうした研究法による知見の積み重ねは重要である。一方,伝統的な第一世代の行動療法は患者をカテゴリーにわける考えはなく,個別の患者に合わせたテーラーメイドの治療を行っていた。このような第一世代に戻る動きがあるといえる。

l  英語でも不在の研究テーマ“社会心理学,家族療法”

SADに関連があるように思われるにもかかわらず,あまり行われていない研究テーマがいくつかあった。それらの代表が,社会心理学,発達心理学,家族心理学,家族療法である。これらを取り上げた論文は英語でも数件以下しかない。Greenwood (Gergen, 2005)によれば認知や生物学,進化モデルに対する関心の高まりによって社会心理学から“社会”が消えてしまったという。SADの研究の増加と並行してこのような変化が起こっているのは皮肉である。SADが社会場面での認知や行動,情動の疾患であること,児童思春期から起こる性格特性と重なっていることを考えると,社会心理学や発達心理学の視点からSADを研究することは新しい可能性を産むと思われる。また,対人場面を回避し,限られた知り合いや家族としか交流のない患者に対する治療には家族療法からのアプローチの可能性があると思われる。青年期のSAD患者に対する家族療法を試みた研究がひとつある(Siqueland et al., 2005)。

最後に:日本の問題

日本語の文献は325本中183本が解説や特集のような展望論文であった。海外の研究の紹介にとどまり,オリジナルな研究が少ない。わが国の臨床心理学の歴史が外国の心理療法を輸入する受信型であることを示している。さらに問題であることは,これらの展望論文が海外の研究の動向を正確に反映していないことである。1990年以前からあった英国やカナダ,オーストラリア人が行った研究が反映されていない。日本語の論文は研究結果の普及のために欠かせない。日本語の展望論文が海外の研究動向を正確に反映する必要がある。

日本語では患者を対象にしたオリジナルな臨床研究はほとんどすべて症例報告であった。すなわち,研究計画書をつくり,研究倫理委員会の承認を得て,患者に同意説明を行い,系統的に経過を観察する症例観察研究やコホートスタディ,系統的に治療介入を行う介入試験や統制研究は行われていない。筆者のグループがSADに対するSSRIの治験を行ったときの自施設でのデータをまとめたものがある程度である(原井, 2003)。

SADの有病率に関するデータはほとんどのものが米国の疫学的研究であるECA研究(Anonymous, 1982) NCS研究(Kessler et al., 1994)を基にしている。このような疫学的研究はSADの病因に関する理論的研究や医療政策的研究の基礎になっている。日本に系統的な疫学的研究のプロジェクトがないことは他の研究の発展を妨げている。今後,日本の研究者が協力し疫学的な研究プロジェクトを立ち上げることが望ましい。SADは国境や文化を越えて存在しても,医療保険や医療制度は日本独自のものである。実際の患者に対してどのような医療を提供することが必要であるのか,医療従事者の教育・研修はどう行えば良いのか,などに関する医療政策的研究は他の国を参考にすることはできない。

SADは稀な奇病と思われていた時代は,1症例の治療経過をつぶさに観察し,詳細な記述を行うことが研究であった。しかし,いったん,SADがどこにでもあるありきたりのものと分かってしまえば,一例を観察するだけでは,新しいものは何も生まれない。日本の研究者にとっては研究手段の改革が必要である。表 1からみるようにSADに関心を持っている国は増加している。このままではブラジルにも追い越されてしまうかもしれない。

図 1 SAD関連論文の本数

fig1

表 1 SADの国別論文数

発行年 1986-1990 1991-1995 1996-2000 2001-2005 合計
USA 30 197 331 352 910
Canada 12 73 45 88 218
Netherlands 9 80 54 57 200
Australia 15 56 44 43 158
Germany 1 10 33 64 108
Sweden 2 23 28 33 86
Italy 11 22 17 21 71
UK, England 5 23 9 34 71
Spain 0 7 8 47 62
France 2 10 19 29 60
Japan 2 12 13 25 52
Brazil 1 2 5 23 31
Norway 4 9 3 13 29
South Africa 1 1 6 20 28
New Zealand 1 1 13 13 28
Finland 1 9 5 10 25
Israel 1 5 2 14 22
Denmark 3 9 1 4 17
Switzerland 0 4 2 9 15
Ireland 1 3 1 9 14
Turkey 0 1 0 13 14
Mexico 0 8 0 5 13
Austria 1 1 4 6 12
Korea 0 0 0 10 10

調査期間中に10本以上現れている国のみ示した。

その他の国では,Greece,Hong Kong,Iran,Russia,Saudi Arabia,Czech,Belgium,Singapore,China,Portugal,Taiwanがある。

表 2 診断に関する研究の動向

キーワード key word 英語~1990年 英語1991年~ 日本語
対人恐怖 Taijin 3 24 214
社会不安障害 social anxiety disorder 0 341 70
思春期,青年期 adolescent, child 1119 1107 75
合併,共存,comorbid Comorbid 25 780 34
引きこもり social withdrawal 2 15 31
人格障害 personality disorder 197 249 29
精神病理,症候論 psychophathology, symptomatology, 44 81 24
統合失調,分裂病 schizo, paranoi, psychosis 201 140 20
サブタイプ,分類 Subtype 23 195 19
登校(不登校,登校拒否) school phobia 115 28 19
自己臭恐怖 olfactory reference 1 4 13
高齢者,初老,老年 elderly, geriatric 17 32 9
全般性不安障害 generalized anxiety disorder 54 352 9
広場恐怖,空間恐怖 Agoraphobia 756 402 4
古典的対人恐怖,妄想型,攻撃型 offensive type 0 5 4
アスペルガー,パ-キンソン,斜頸,発達障害 spasmodic torticollis, aspeger, parkinson, developmental disorder 7 28 6

この他,自己臭,bodily odorsは英語は1,日本語は13,視線恐怖,opthalomophobia, scophobiaは0,8,緘黙,場面緘黙,mutismは46,0であった。

表 3 研究方法に関する研究の動向

キーワード key word 英語~1990年 英語1991年~ 日本語
症例報告,一例,一事例,一症例 case report, single case 632 364 95
対照群 controlled trial, controlled study 204 330 3
家族研究,家族歴,双生児 family study, family studies, family history, twin study 25 84 1
疫学 Epidemiology 122 560 7
質問紙,評価尺度,測定尺度 inventory, measure, questionnaire 467 1332 27

この他,遺伝,gene,genetic,hereditaryは英語は162,日本語は1,

表 4 評価尺度の動向

  英語~1990年 英語1991年~ 日本語
LSAS (Liebowitz Social Anxiety Scale) (Liebowitz, 1993) 0 115 6
SPS (Social Phobia Scale) (Mattick & Clarke, 1998) 6 121 2
SIAS(Social Interaction and anxiety scale) (Mattick & Clarke, 1998) 3 25 2
FNE(Fear of Negative Evaluation) (Watson & Friend, 1969) 25 71 2
SAD(Social Avoidance and Anxiety Scale) (Watson & Friend, 1969) 4 29 2
Brief Social Phobia Scale,BSPS (Davidson et al., 1991) 0 34 2
FQ (fear questionnaire) 14 41 0
SPAI(Social Phobia and Anxiety Scale) (Turner et al., 1989) 8 147 0

 

 

表 5 理論的研究の動向,病因や認知モデルなど

    英語~1990年 英語1991年~
生理学,脳波,電位 physiology, physiologic,EEG,potential, 297 482
セロトニン sertonin, 5-HT 22 317
生物学,レセプター,トランスミッター,神経伝達物質 biology,transmitter, receptor 45 144
文化 culture,cultural 48 112
条件付け conditioning 195 105
イメージング,MRI,SPECT,PET,画像 imaging, MRI, SPECT, CT, PET 12 92
ドーパミン dopamine 10 56
認知モデル cognitive model 1 49
扁桃体 amygdala 2 43
行動抑制 behavior inhibition, behavioural inhibition 3 33
認知バイアス,認知の歪み,認知的評価 cognitive bias, cognitive distortion, cognitive appraisal 5 27
自己効力感 self efficacy,self-efficacy 12 17

文化については日本語で18件あった。

表 6 治療法の動向

キーワード Key word 英語~1990年 英語1991年~ 日本語
薬物療法,薬物,薬理学 pharmaco 233 509 89
森田療法 morita therapy 2 3 48
fluvoxamine, フルボキサミン,paroxetine,パロキセチン fluvoxamine, paroxetine, fluoxetine, venlafaxine, citalopram, 2 214 39
認知療法,認知変容,認知再構成,認知修正 cognitive therapy, cognitive modification, cognitive restucturing 31 345 33
行動療法,認知行動療法 behavior therapy, behaviour therapy 1010 300 19
精神分析,内省指向,力動的,対象関係論 psychoanalysis,psychodynamic,insight oriented 83 48 13
集団行動療法,集団認知行動療法 behavior/behavioural therapy, and group 105 88 6
SST,社会技術,生活技能 social skill 16 89 5
リラクセーション,筋弛緩,自律訓練 Relaxation 228 53 6
エクスポージャー,エキスポージャー,暴露,曝露,脱感作 exoposure, flooding, implosion, desensitization 623 412 3

 

 

 

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原井宏明, 橋本加代. 軽症うつ病に対する精神科薬物療法. 精神科治療学(0912-1862)精神科治療学. 2013;28(7):847–52.(草稿)

軽症例に対する精神科薬物療法のあり方 -軽症うつ病に対する精神科薬物療法

筆頭著者名(和文): 原井 宏明

所属1(和文):医療法人和楽会なごやメンタルクリニック

所属2 (和文):国立病院機構菊池病院臨床研究部院外共同研究員

共著者名(和文):橋本 加代

所属 長嶺南クリニック

I.                 「軽症うつ病に対する精神科薬物療法はどうしたら良いのか」

1.                30年前を振り返る

うつ病に薬物療法を行うべきかどうかは古い話題である。筆頭著者の原井が中井久夫教授が率いる神戸大学清明寮で研修医を始めたときから議論されている。DSM-III(1)が生まれた頃,約30年前のことだから,今と背景は違う。当時のメインの抗うつ薬は三環系だった。新規抗うつ薬は当時もあったがそれはマプロチリンなどの四環系だった。今の新規抗うつ薬は選択的セロトニン再取り込み阻害薬(Selective Serotonin Reuptake Inhibitors,以下SSRI),セロトニン・ノルアドレナリン再取り込み阻害薬(Serotonin & Norepinephrine Reuptake Inhibitors,以下SNRI),ノルアドレナリン作動性・特異的セロトニン作動性抗うつ薬 (:Noradrenergic and Specific Serotonergic Antidepressant,以下NaSSA)である。当時の新型うつ病は仮面うつ病だった。Smiling Depressionとも呼ばれ,笑っている人でもうつ病を疑えというものだった(1)。非定型もあったがうつ病ではなく,非定型精神病だった。

診断方法も違う。神戸大学での研修医時代,DSMならぬDSEが診断であった(D=うつ,S=統合失調症,E=てんかん)。カルテの病名もこの三つのどれかだった。この三つは三大精神病であり,精神病こそが大学病院精神科が扱うべき疾患だった。精神病そのものは治せないかもしれないが,入院や鎮静,デイケアなどによって保護やリハビリをする必要があった。まれにn=神経症とつけることもあったが,nの患者は本来は来るべきではない患者だった。まとめればDSEn(ディー・エス・エヌ)診断と呼べるだろう。軽症うつ病はnになる。不安障害という概念はなく,軽症はまとめてnだった。そしてnを特異的かつ確実に治すような治療法は当時はなかった。治せない上に入院や保護,リハビリが不要な患者を大学病院で診続ける意義はない。「病気ではないから気にするな」と伝えることが精神療法だった。

精神療法と比べると抗精神病薬の効果ははっきりしている。問題を起こす患者がいれば看護師長が注射しろと研修医の私に命じていた。診断がSではないからと私は抗議したが,抗精神病薬の注射の効果は幻覚や妄想だけではなく,病棟内での人間関係のトラブルや強迫行為,嗜癖にも及ぶと思われているようだった。オーベンからは脳波だけはきちんと評価できるようになれと指導された。脳波以外は診断も含めて精神科医の仕事のほとんどは曖昧で医学と呼ぶに値しないというのが理由だった。精神医学は独自の哲学に基づく実用性無視の学問,「医学」と呼べないマイナー科という位置づけの方が主流だった。当時は,エビデンスに基づく医療(Evidence Based Medicine, 以下EBM)(2)という概念はなかった。

「認知行動療法」もなかった。精神療法イコール精神分析だった。笠原嘉の小精神療法はあった。その原則は病人全体に通じるような,1)休息させる,2)病気の間は非難しない・励まさない・決めさせない,3)希望的観測を伝える,だった。これだけなら精神科で精神療法を研修する必要はない。風邪を引いて寝ている患者を診る内科医も同じことをするだろう。行動療法がなかったわけではない。しかし,九州などごく一部で行われているだけで,普通の精神療法家から見れば行動療法とは人を動物扱いし,飴と鞭で支配する下品な代物だった。1980年代は認知行動療法という言葉が生まれた時期である。頭に”認知”をつけることで行動療法をより人間的なものとして受け入れてもらいやすくする狙いがあるようだった。

今は,どれだけ30年前から変わったのだろうか?

2.                今

はっきりと変わったものはである。うつ病患者の数は,1984年,入院・外来合わせて11万人だった(3),今は100万人を超えている。精神科・心療内科の外来クリニックの数が増えた。日本精神神経学会も大きくなった。現在の会員数15,155人,2013年5月の第109回学術総会の参加者は6,400人を超えた。1980年代は会員数5,000人台,学術総会参加者は1,000人あれば多い方だった。1997年,93回大会のときでも1,700名である。

治療法も増えた。薬だけではない。認知行動療法が加わった。精神分析と違い,抗うつ薬とプラセボと比較したランダム化比較試験(4)の結果と一緒に紹介され,”抗うつ薬と同等のエビデンス”という肩書きもある。エビデンスのためにDSMがいる。エビデンスのほとんどが欧米からの輸入品であり,輸入品を日本で使うためにはDSEnでは都合が悪い。

数の増加と,選択的セロトニン再取り込み阻害薬(Selective Serotonin Reuptake Inhibitors, SSRI)とDSM,EBM,認知行動療法の普及はほぼ同時に起こっており,それぞれが関連していると考えるのが自然である。新規抗うつ薬の増加と,診断基準とエビデンス,認知行動療法の普及によって,うつ病の患者は1980年代よりも治るようになったのだろうか?あるいは治療のメニューの増加に合わせて,どの患者はどの治療がマッチしているとわかるようになったのだろうか?もし,そうならばうつ病の患者はここまで増えないはずである。新型うつ病や難治性うつ病という概念がでてくる必要もない。学会が大規模化し,治療メニューが増え,診断がより正確になり,判断に役立つエビデンスが増える,このような良い進歩が起これば起こるほど,かえって新型や難治性の敵が増えているように見える。まるでベトナムやアフガニスタンで泥沼の戦争に追い込まれた二大超大国のようだ。泥沼から抜け出す努力はもちろんある。日本うつ病学会が出した治療ガイドラインはその1例だろう(5)それで上手く行っているのだろうか?

精神神経学会の学術総会に参加する人が増えた,しかも真面目に勉強する人が増えた。知識に対する欲求が増え,知識総体も増えた,なのにうつ病治療のアウトカムの改善はない,むしろ知識に振り回され,混乱が増しているように見える,それでも原井が参加したうつ病に対する精神療法のシンポジウムで最後に質問した人のようにアリピプラゾールによる増強療法の最新の知見はどうなのか,どの抗うつ薬を組み合わせれば最強なのか?と聞いてくる人がいる。新しいルール探しに精神科医はこだわることを止められない。50代以上の精神科医なら,昔の三環系抗うつ薬の方が新規抗うつ薬よりも効果が高いと知っているが,そのような古いルールには誰も見向きもしない。私たち,精神科医たちは最新の知見,最新のエビデンスというルールに支配されてしまい,実際のアウトカムという目の前にある現実から目を背けているように見える。

3.                過去から今を見る

1980年代のうつ病の論文を今,引き出して読むと,当時からいかに私たちが進歩していないかがわかる。当時の方が良かったことがある。先々には解決するだろうという明るい雰囲気があった。融道男先生の「うつ病の病因-最近のトピックス」(2)を読むと,つぎつぎ明らかになる神経生化学研究の知見や新規抗うつ薬によって,いずれは本誌で取り上げたような問題が解決するだろうという明るい見通しがうかがえる。

今,そう思う人がいるだろうか?軽症例のうつ病の治療は新薬によって解決するだろうか?アクセプタンス・コミットメントセラピーやマインドフルネスのような第三世代の認知行動療法(6)によって解決するだろうか?臨床と治験,認知行動療法の普及に直接関わってきた原井の立場からはNoと答えるしかない。もし,はっきり,Yesと答え,それをサポートできるエビデンス,コホート研究による疫学的研究を出せる人がいたら私は引き下がろう。

エビデンスはなくても,1980年当時のように曖昧に,あるいは先々には解決するだろうと答える人がいるかもしれない。その人の言うとおりに,本当に実効性のある進歩が得られたとしよう。そのような進歩が日本全国に普及し,うつ病で受診する患者数が減少するという時代が来たとしよう。しかし,それでは困る人たちが出てくる。雨後の筍のように増えた駅前ビル診療所はどうやって経営をするのだろう?精神科病院は統合失調症患者の減少を認知症患者の増加で補うことができた。うつ病患者の減少を駅前ビル診はどうやって補うのだろう?今,児童思春期を専門にしている診療所はどこも2,3ヶ月以上の予約待ちがある。うつ病患者の減少を児童思春期の患者の増加で補うのだろうか?

本誌,「精神科治療学」を中井久夫先生たちが創刊し,当時の研修医仲間の皆が購読したのも,雑誌の主要なテーマが治療論であり,他の雑誌のように病因論や診断論ではなかったからだろう。中井久夫先生が1980年当時,注目されていたのは統合失調症の病因ではなく,寛解過程に注目したからだ。同じように軽症例のうつ病の治療はどうあるべきか?という問いに答えが与えられないならば,問いそのものを変えなければならない。30年近くたって解決つかない問いがあるのは,答えられない人のせいではなく,問いのせいである。

II.                今,学びつつある精神科医はどうしているのか?

1.                30代の精神科医の疑問

原井は50代の精神科医である。精神科医の仕事が曖昧なまま,この先にも進歩がないことで原井自身は困らない。私が仕事を失うことはおそらくない。しかし,患者自身はもちろん,これから精神科医としてのキャリアを積もうとしている若い人たちは困るだろう。100万人のうつ病の患者さんたちが精神科医を見離したら,彼らは仕事を失ってしまう。うつ病の患者数が10万人で精神科医のまたごく一部だけが診ていた時代は終わっている。精神科以外の医師も,また心理士などもうつ病の自分たちのターゲットと見なしている。

30代の精神科医はどう思っているのだろうか?その1人である橋本に疑問点を考えてもらった。

うつ病学会のうつ病治療ガイドラインが出た。読んで疑問が増えた。結局,薬物療法が必要なのか不要なのかはっきりしない。軽症例では積極的には使わない方向で行こうという方針はあるが,消極的になりすぎるのもよくないし、暫定的判断で使ってよいとも書いてある。結局それで、いままでの処方パターンを変える人がいるのか。結論はそもそも無理なのかもしれないが,そうならば今回のこのガイドラインは何のためなのか?と感じてしまう。

2.                個人的オピニオンに基づいて答えるならば

これは治療ガイドラインは役に立つのかという問題と、その内容についての問題に分けて考えることができる。まず,ガイドラインについて考えてみよう。ガイドラインを出せば,医者の処方がその通りになるか,というと、そのようなエビデンスはない。ガイドラインを出したからと言ってその国の医療内容が良くなったとか、それこそDSMがでたからといって、精神科医の診断に妥当性や信頼性が出たというエビデンスは原井の知る限りない。ガイドラインをネットで公開すれば,人の行動が変わる,とくに多剤併用のような問題処方をしている人が変わると期待する人は,教科書を渡せば学生は勉強するはずだと思っている教師と似ている。

内容を見てみる。“1 把握すべき情報”は見残しがないよう全てを網羅しようとしている。発達障害には特に詳しい。しかし,このガイドラインは治療方法の選択のガイドラインなのだから,詳しく調べることが治療方法の選択につながるべきだが,そんなことは書いていない。詳しく調べて結果がでても治療法は同じならば調べる意味がないし,必要が生じたときに後から調べても良いはずだ。一方,抜けているものがある。解離性障害(転換性障害)について触れていない。虚偽性障害もない。二次的を含む疾病利得のことを考えなくて良いと思っている臨床家として楽天的すぎる。初診時から自立支援や障害者手帳,診断書を要求してくる患者は珍しくない。そして,決定的に欠けているものが,過去の病歴・反応性である。ライフチャートとよぶ過去の病相を年表のようにしたものが必要だ。これがなければ大うつ病性障害反復性か単一か,双極性障害か,急速交代型かわからないし,この区別は治療方法の選択につながる。

例えば季節性感情障害には高照度光療法を検討するとある。その通りだと思う。特異的な治療法だ(3)。害も少ない。残念なことに,どうやって季節性感情障害をアセスメントするのか書いていない。ライフチャートを2,3年分つくればわかることなのだ。

過去の病歴も医療使用歴まで全てまっさら,病前性格も社会適応も悪くない,発症がこの1ヶ月ぐらい前からという患者,初治療の単一エピソードの患者で,いわばメンタルヘルス・バージンの患者ならば,このガイドラインが役立ちそうだ。しかし,このようなメンタルヘルス・バージンの患者を診たときに,ガイドラインが必要だと思う精神科医はどのくらいいるのだろうか?詳しく調べるまでもなく笠原の小精神療法で十分だ,無理して抗うつ薬を使わなくても,睡眠薬を飲んで寝ればそのうち良くなるだろう,と考えるのが普通の医者だろう。

3.                エビデンスに基づいて答えるならば

では軽症うつ病に対する薬物療法について,原井以外の他の医師ならどう答えるだろうか?一時,精神科医の間で,NICE Guideline(7)が,初診のうつ病患者に対して,すぐに抗うつ薬を出すのではなく,最初は経過観察することを勧めていることが話題になった。この件について,EBMに詳しい同僚と意見をやりとりしたことがある。その一部を以下に示す。

原井:軽症うつ病に対する薬物療法について,NICE Guideline(7)では,

Antidepressants are not recommended for the initial treatment of mild depression, because the risk-benefit ratio is poor.

としているので,これに従うことにしています。

某医師:NICE Guidelineでは,Guided Self-Help以外の根拠はすべてC,つまりexpert opinionsになっています。それでもこれに従うのですか?一方,major depressionのmildなものなら薬物療法の効果がランダム化比較試験(RCT)で示されています(8)。これによると、minor depressionについてはwatchful waitingで良いと思います。軽症うつ病がminor depressionを指すのなら、NICEの言うとおりだと思いますが、「うつ病」と書くのだから、mild major depressionのことを言っているのですよね?

1980年代から進歩したもので有意義なものを1つ取り上げろと言われれば,原井が最初に考えるのがEBMである。エビデンスがあるから,私は行動療法や動機づけ面接をするようになった。RCTに基づいて治療法を選ぶことに賛成である。一方,彼からのメールには戸惑った。一つにはNICE Guidelineを作成したチームが彼以上にEBMについて詳しい人たちだと思うからである。二つ目には実際に治験で40例以上のうつ病の患者にプラセボを投与し,その結果を知っているからである。メタアナリシスでは抗うつ薬はプラセボより効果が優るのだろう。40例では少なすぎて差がつかないのだろう。しかし,プラセボは40例だけでもはっきりと抗うつ薬よりも副作用が少ない。三つ目にはRCTは効果がプラセボと同等であるという帰無仮説を否定しただけであって,抗うつ薬を投与すべきだとガイドラインに明記し,うつ病の治療に当たる医師全員がそれに服従することで,実際のうつ病に悩む患者が減る,ということまで証明したわけではない。NICEのチームは,現在,入手可能な最強のエビデンスをもってしても,軽症うつ病患者の全員に抗うつ薬を服用させろと医師全体に命じるようにガイドラインには書くには至らない,と判断したのである。世の中で数多く行われたRCT全体を見渡してみよう。帰無仮説が否定できなかった,すなわちプラセボなどの比較対象との間に差を証明できなかった治療法のほうがはるかに多いのである。認知療法の用語でいえば,EBMは否定的認知のスキーマに骨の髄まで染まっている。1回のRCTで肯定的な結果が出ても信じない。追試を繰り返して,肯定的な結果が続き,そして比較対象との差が十分に大きくなければ,その治療法に根拠があるとみなさない。

4.                クリニック経営に基づいて答えるならば

原井と橋本は年代は違うが,共通点がある。2人とも医療法人が経営するクリニックの勤務医である。今日のクリニックと1980年代の大学病院とは目標が違う。1980年代の医療機関,とくに公的なものには経済観念がなかった。国公立精神病院は平気で赤字を垂れ流していた。今のクリニックの経営者には集患・増患という観念がある。経営者は患者が気軽に受診できるよう,クリニックの場所や入り口の雰囲気に気を使う。ホームページの整備は当然である。来てくれた患者さんに対しては,不安や嫌な気持ちが来たその日から楽になり,眠れるようになり,患者が次もまた薬を求めてクリニックに来てくれるように処方を工夫する。初診の患者を増やし,再来の患者はできるだけ長く続けてくるようにさせることが集患・増患なのである。。薬を貰うために長年,通い続けてくれる患者は担当医が退職などで変わっても続けて来てくれる,クリニックの経営を支えてくれる。「いわば固定資産だ,大事にしなさい」と教えてくれたクリニック経営者がいた。精神科に限らず何科のクリニックであっても,あるいは全ての客商売において集客(患)は必須であり,常連客(患者)こそが収益を磐石にしてくれる。景気変動や病名の流行り廃りとは無関係になるからである。

こう考えれば,初診で来たうつ病の患者に対して経過観察をするなどありえない。うつ病と抗うつ薬を知らない大人の日本人はまずいない。自らうつ病ではないかと思ってクリニックに来た患者に「確かにうつ病ですかが,軽いから」と言って薬を出さないのは,患者を驚かせるだけだろう。せめて今晩だけでも楽に眠りたい,という患者は他のクリニックに移ってしまいそうだ。最初から抗うつ薬,スルピリドなどの抗精神病薬の少量,抗不安薬2種(長時間型の定期服用と短時間型の頓服)の4種をセット処方にして出してしまう手を勧めてくれたのが先ほどの経営者である。これが“固定資産”を増やすのに役立つと経験でわかっているのだろう。

III.              薬だけではない

本論のテーマは薬物療法だった。認知行動療法は大丈夫なのだろうか?実は認知行動療法も同じ問題を抱えている。抗うつ薬と同等の効果がある,だから効果のエビデンスがあるというのが常套句である。しかし,抗うつ薬自身がプラセボとそれほど差が無い,副作用やコストなどの点も考えに入れれば,軽症うつ病の場合には抗うつ薬の効果は必ず処方すべきと言えるほどではない。20歳以下に関しては効果を示すエビデンスがないと添付文書に明記されるまでになった。プラセボとそれほど差が無いとされる治療法と同等ということは,認知療法もプラセボとそれほど差が無いということだ。認知療法には薬のような副作用はないから,効果の点で優越性がなくても,臨床的な有用性があると主張する人がいるだろう。しかし,よく考えてほしい。プラセボは治療マニュアルを作成したり,治療者をトレーニングしたりする必要がない。1回30分かけて,毎週受診,10回続けるという患者の手間暇もかからない。そして,全国どこでも使える。認知療法ができる精神科医が不足しているのは確かにそうだろう。では,プラセボ治療ができる精神科医は不足しているのだろうか?国立菊池病院で原井は多くのプラセボ対照ランダム化比較試験を治験責任医師として手がけたが,プラセボを出す医者を探すのには困らなかった。そして,キーオープンの後,それぞれの医師の治療成績を振り返ると,男性医師が女性を担当した場合,女性医師が男性を担当した場合にそれぞれプラセボ反応が高かったが,それ以外には医師個々人での差は無かった。プラセボ治療は医師間のバラツキが小さいのである。

プラセボは診断基準やエビデンス,認知モデルに基づかない。何故効くのか?と効いても答えがないからプラセボと呼ぶ。私たちは逆に考える必要がある。診断がより正確になり,判断を頼るべきエビデンスが増え,認知モデルや治療法が増えること自体に問題があるのだろう。しかし,良い進歩を問題視し,他の方法は?と問う人はまだいないようだ。

DSEn診断をしていた精神科医たちは,言い方を変えれば,こんな風に診断していたともいえる。DとS,Eはそれぞれ抗うつ薬と抗精神病薬,抗てんかん薬が必要な患者である。神経症のnは,抗不安薬だけで良く,それも一時的使用に限り,ずっと続けて精神科に来るべき患者ではない。そもそも大学病院の医師で患者の数を増やしたいと願う者はいない。DSEn診断はどの薬を誰が飲むべきかだけを決めるための診断だと言える。患者は少ない方が早く仕事が終わるし,診断は少ない方が迷いも少ない。そしてそんな精神科医ばかりだったせいで,地域におけるうつ病の患者数が少なく,難治性も少なくて済んでいたのかもしれない。

1980年代,日本の精神医療は入院治療に偏り,欧米と比べて地域精神医療が貧弱過ぎると非難された。クリニックの開設は入院中心から外来・地域精神医療中心への転機になるはずだった。デイケアなども備えて,慢性精神障害者に対するノーマライゼイションを目指しているはずだった。結果的には,今起こっていることは,“メンヘラー”という新しい慢性患者を作っているだけのように見える。治療し,成功するとは結果として減患することである。減患という言葉はまだ日本語にない。

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認知行動療法のパフォーマンス

日本認知・行動療法学会第41回大会 2015年10月2日(金)~4日(日)

自主企画シンポジウム「開業カウンセリングルームにおける、認知行動療法のアウトカム。認知行動療法のパフォーマンス」

指定討論者 草稿

EBMとは何か

EBMも人口に膾炙するようになった。「私はエビデンスによる裏付けがない治療法をやっています」と大きな声で言うことは恥ずかしいと思うべきだ,というのが今の御時世である。たしかに「ホメオパシーが良い」「オルゴン療法は凄い」とメジャーな学会で言い出したら,変人扱いだろう。
では「私がやっている治療法にはエビデンスによる裏付けがあります」はどうだろう?
自慢になるのだろうか?
治療法にはエビデンスの裏付けがあるのだろうが,“私”には裏付けがあるのかどうかわからない。「私の”フェラーリ”は300km/h以上出せる」と言っても,“私”に出せるかどうかはわからないのと同じである。
根拠に基づいた医療とは「良心的に明確に分別を持って、最新最良の医学知見を用いる」という医療のあり方をさす。これは医療者に向けられた言葉である。患者にとってはどうだろう?
患者の立場からすれば医療者がEBMをしているかどうかはどうでも良く,その医療者が自分にとって役立つかどうかが知りたい情報である。「良心的に明確に分別を持って、最新最良の医学知見を用いて」医療者選びをしたいはずである。一方,症状に困っている患者にとっては,「良心的に明確に分別を持って」判断するのは難しいことだ。そして,その判断能力があったとしても,患者に必要な最新最良の医学知見とは米国国立衛生研究所が行ったRCTの結果ではなく,受診候補に入っている医療者の最新の治療成績だろう。
車に喩えて言えば,フェラーリのスペックではなく,ドライバーのスペックが患者にとって必要な情報である。しかし,実際はどうだろう?
医療者の大半は患者に自分の車のスペックを教えることはできても,自分自身のスペックを教えることはできていないはずだ。それにもかかわらず,自分の知っているエビデンスに基づく治療法を患者に勧めようとする。
私たちのほとんどは髪の毛を切っているはずであるが、どこでいつ切るかどうかの判断はどうやってしているのだろう?
ウォーレン・バフェットはこんな格言を残している「散髪が必要かどうかは床屋に聞いちゃいけない。」

パフォーマンスのサイエンス

戦後,先進国でもっとも医療の成績が上がったのが周産期医療である。
妊婦死亡率でみれば1980年は20.5だったものが1996年には6.0になった。
16年間で1/3になっている。

アトゥール・ガワンデの「医師は最善を尽くしているか」から引用する。

医学研究に携わる医師に、現代医学の進歩はどうやって実現したのかを尋ねて欲しい。
たいていは、エピデンスに基づく医療(EBM) のモデルについて語るだろう。
これは、臨床試験によって正しくテストされ、効果があると証明されていない医療技術は、どんなものであっても実際の臨床では用いてはいけない、という主張である。
臨床試験は、できれば二重盲検化された、ランダム化比較試験であれば理想的である。
しかし、1987年にランダム化比較試験による確かなエビデンスを用いているかどうかについて各医療分野をランクづけしたところ、産科学は最下位になった。
産科医はランダム化比較試験をほとんど行わないし、もし行っても、その結果を大方、無視する。(中略)

一方、産科では、新しい方法について試す価値がありそうに見えたとき、産科医が臨床試験での結果が出るのを待つことはなかった。
先に進んで実際に試してみて、結果がどうなるのか経過を見るようにしていた。
産科学の改善の道は、トヨ夕方式やGE方式と同じ方法であった。迅速に、しかし、常に結果に注意を払い、改善を目指すということである。

産科医療にはアプガースコアもあり、結果はすぐに出る。そのデータを各施設で公開し,比べあうことこそが死亡率の低下という素晴らしい医療の進歩に結びついた。

精神科でも疾患によっては結果をすぐに出せるものもある。アルコール依存症における断酒率は良い例だ。勤労者におけるうつ病患者の復職率も良いだろう。強迫性障害におけるY-BOCSなどアプガースコアに似た標準的な尺度もある。その気になればパフォーマンスを見せ合い,結果を競い合うことは精神科でも可能ではある。

医療の問題

医療の成績を出せば良いとは皆が考えるだろう。でも,今度は評価の対象を決めることが難しい。

精神医療が扱う範囲はこの30年間でも大きく広がった。小児から老人まで,高所恐怖の患者から触法精神障害者まで,産科医療のようにアプガースコア一つで評価を統一できるとは誰も思わない。

さらにいえば,精神医療の仕事は“治すこと”だけではない。というよりも精神医療が始まってから今までの間を振りかえると,「治す」というのはごく最近の変化であり,治らないことを前提に,福祉的に支えることがメインの仕事だったことがわかる。今でも多くの精神医療機関にとっては“治す”ことよりも,障害の受容とリハビリーテーションの方がメインの仕事である。

統合失調症や双極性障害,発達障害,認知症,依存症,境界性パーソナリティー障害など精神医療のメインストリームである疾患を振り返って欲しい。「治せる」,「受診も薬も止められる」,とは誰も言わないはずだ。

精神医療は障害者福祉と一体化している。自立支援医療(精神通院医療)の診断書を書き,障害者手帳が取れるようにし,デイケアなどでリハビリをし,A型事業所などで就労支援をし,さらに障害年金で生活が支えられるようにすることも必要だ。これをメインの仕事にしている医療機関も多いはずだ。

改めて患者の側に立ってみよう。場合によっては患者自身が福祉サービスを求めていることがある。たとえば,ある患者が医療機関を選ぶとき,「障害年金を一番もらいやすいところが良い」と考えていたとしたら,どうだろうか?
私たちはそのデータを集めて公表すべきだろうか?
患者からのニードは確かに高いはずだし,改めて評価方法を開発する必要もない。しかし,医療者側・行政側はこのようなデータの公表を歓迎するだろうか?

筆者としては,行動療法を実践し,”治せる”治療法を実施していると自称するものは,治療法ではなく,自分のスペックを系統的に集め,公開すべきだと思う。

一方,それが社会に与える影響も同時に考えておく必要もある。そして,どのような影響が医療者側にとっても,患者側にとっても望ましいことなのかも決めておく必要があるだろう。

2014, 強迫性障害の認知行動療法-個人療法,集団集中治療,サポートグループ. メンタルクリニックが切り拓く新しい臨床(原田誠一 編) 東京: 中山書店 2014. p. 99–108

I.              国立病院の部長からクリニック院長へ

私は20008年1月、熊本の国立菊池病院を辞めて,なごやメンタルクリニックの院長になった。サラリーマンであり,経営者ではない。人事は全て和楽会理事長が決定し,私はまったくタッチできないが,心理士の雇用については私の希望を入れていただき,今は2人が一緒に働いている。その内1人は,10年前までは強迫性障害と行動療法についてもまったくの素人だったが,今は日本認知・行動療法学会でも良く知られた強迫性障害のエキスパートになっている。ここで述べる強迫性障害の治療成績に関しては彼らのおかげである。

国立病院では臨床研究部長をした。民間の雇われ院長との違いはいろいろある。臨床研究部長には臨床研究部に関する人事・予算の決定権限があった。臨床試験コーディネーターに私の知り合いを入れることができた。しかし,それが人選ミスになることがあった。受託研究費の増加は年度内に使い切れないという問題を生んだ。権限を持つことは自由でお気楽という意味ではなく,むしろその逆である。私が国立にそのまま居残れば,いずれはどこかの国立精神科病院の院長になっただろう。国立病院のトップと言えば聞こえは良い。しかし,病院職員がトップの意のままに動くようなことはなく,事務や看護など医局以外の人事は本部が決めてしまい,院長はタッチできない。その点では国立の院長は民間の雇われ院長と変わらない。そして,何百人という人を抱えた大きな組織の責任を取らされるトップであるのと,数人だけの組織で形式的なトップであるのとでは,ストレスの程度は大きく違う。雇われ院長であるから臨床に集中できるという面がある。

国立と民間のさらに大きな違い,あるいは最寄り駅は数キロ離れた無人駅という病院と新幹線の改札まで300mの診療所の違いは,“数”である。これだけアクセスが違えば一日に来院する患者数も違う。菊池病院では一日の再来患者数は多くて十数人だった。再来は1人に30分かけていた。なごやメンタルクリニックでは,再来は一日に50~70人,新患は月に50人程度である。2008年に異動した当初から強迫性障害と診断される患者数は多かったが,その割合は徐々に増え,2014年では新患の6割が強迫性障害,毎月10人強の患者が3日間集団集中治療を受けている。

集団集中治療自体は菊池病院で始めたものである。飛行機で来院する患者が現れ,週に1回,10回来院させることは非現実的になったためにに始めたのが最初の動機である。近くに宿泊してもらい,毎日外来に来させる方が合理的だし,結果的に治療成績も上がった。一方,医療経済の観点からすれば不合理な治療だった。数日間連続で来院させると,通院精神療法も取れなくなる。場所を名古屋駅前のクリニックに移すことで,経済的に合理的で,そして多くの患者さんに提供できるようになった。メディアに取り上げられることも増えた。2014年9月の時点で,新患の予約待ちは1~2ヶ月である。心理士の個人カウンセリングの予約も1ヶ月半の待ちがある。専門領域と治療に特色があるクリニックとして,十分以上に集患できているということになる。

患者が集まる根本的な理由は強迫性障害と行動療法という最強のコンビを提供できることにある。強迫性障害に対する行動療法プログラムが駅前ビル診にとってお勧めである点を説明することにしよう。

II.             強迫性障害+行動療法がもつアドバンテージ

行動療法はさまざまな疾患・問題に対する効果がランダム化比較試験で証明されている。いわゆる神経症,軽症うつ病や不安障害に対して教科書的にはファーストラインの治療法になっている。パニック障害に対する認知行動療法はどこでも一応はやっていることになるだろう。パニック障害の患者に対して,最初に精神分析や描画療法のような表現療法を勧めようという精神科医はまずいない。一方,他の治療法と比較したときの行動療法の優越性がどんな疾患でも同じかと言えばそうではない。うつ病やパニック障害の場合,プラセボ反応が高いことが知られている。行動療法について特別な経験を持たない精神科医からみれば,うつやパニック障害の場合なら,対処療法的な薬物療法と支持的精神療法で治ってしまう患者を普通に経験しているはずだ。Hofmannらのメタアナリシス(Hofmann & Smits, 2008)によれば,行動療法が他の治療法に対してもつアドバンテージは,強迫性障害に対して使う場合により目立つ。

パニック障害の患者は抗不安薬だけで満足してしまうことが多い。多くの患者は安全な場所,例えば自宅にとどまっている限りは不安を感じない。怖いところに外出することを避けることは可能だし,どうしても必要なときだけ抗不安薬の頓服に頼れば良い。社交不安障害の患者も同様である。不安な状況を避けてさえいれば苦痛はない。社交不安障害の患者は自分の病名を周囲にカミングアウトすることを一般に嫌がる。社会的場面にエクスポージャーすることはカミングアウトすることを伴うから,そのようなことをせずにすむ薬物療法にまず頼ろうとする。

強迫性障害の患者はプラセボ反応が低い。恐怖を感じずにいられる安全な場所はあるかもしれないが,そこでも強迫行為を止めることは難しく,自宅に引きこもっていると強迫行為がエスカレートする。そして,抗不安薬では強迫観念や強迫行為を止められない。SSRI (Selective Serotonin Reuptake Inhibitors,選択的セロトニン再取り込み阻害薬)を使えば強迫観念は和らぐが,症状の軽減は半分程度(Koran & Disorder, 2007)である。自然には治らない,家に籠もっていたら悪化する,その場しのぎの抗不安薬は症状を変えない,SSRIでは不全寛解がやっととなると,行動療法の対抗馬のパフォーマンスが悪いことになる。

一方,行動療法の十分な経験がない精神科医の場合,治そうとすればするほど逆に強迫が悪化してしまうことがあることを経験しているはずだ。エクスポージャーは不安障害に対するファーストラインの治療として知られているが,強迫の患者にエクスポージャーを強制的に行って失敗すると,その後の治療はより難しくなる。強迫観念に対して通常の認知修正技法を試みると,さらに別の認知を修正しなければならない。おそらく,これらの理由のせいで,一般の精神科医は強迫性障害を扱いたがらない。肥前療養所時代に山上敏子先生から行動療法を一緒に学んだ仲間は何十人といる。その多くは今は,私と同じような診療所の院長になっている。強迫性障害と行動療法を私と同じように知っているはずの仲間の中でも強迫性障害の紹介を積極的に受けているところは2,3箇所しかいない。受けているところでも,強迫性障害の患者の診察は,他の診断の患者よりも時間がかかるからという理由で,数を制限しているようだ。

このように考えれば,強迫性障害と行動療法を専門にするクリニックは他との差別化がしやすいことになるだろう。もっとも,最初から,私がそう考えて強迫性障害を手がけたわけではない。私自身,強迫性障害の治療を始めたころは,入院治療が基本であり,駅前ビル診療所で大勢の患者を診ることなるとは思いもよらなかった。

私にとって強迫性障害とは,1987年に最初の患者を肥前療養所で担当したときから,治療できる病気であった。「強迫性障害は行動療法で治せる」は,それから30年近くたっても変わらない。変わったのは,より多くの患者をより短期間で治せるようにする,すなわち治療効率が上がったことである。効率が上がった結果,手洗い・確認のような典型的な強迫性障害だけでなく,整理整頓や収集癖,身体醜形障害,チック障害のような強迫関連障害の患者も治せるようになってきた。そして,小児や妊娠中の患者,本人は受診せず家族相談だけの患者など,通常の治療アプローチには制限があるような患者も扱えるようになった。このような特殊な患者を扱ううちに,通常の患者の場合には,最初から薬物を使わずに治したり,中止したりができる例が増えてきた。現在では,前医で薬物療法を受けていた患者は薬を整理し継続するが,飲んでいない患者の場合は,最初に行動療法を試み,反応が悪ければ次にSSRIを使うようにしている。SSRIはセカンドラインの治療法になっている。第2世代の抗精神病薬 (SGA, Second Generation Antipsychotics)を使うのは本当に最後で,全体の5%以下である。このようなことが可能になった背景には,アクセプタンス&コミットメント・セラピー (Acceptance & Commitment Therapy, ACT) と動機づけ面接 (Motivational Interviewing, MI),地域強化アプローチと家族トレーニング (Community Reinforcement Approach and Family Training, CRAFT),習慣逆転法 (Habit Reversal Training, HRT) を使えるようになったことがあるが,これだけではない。OCDの会という患者・家族を中心にしたサポートグループを2004年に設立し,各地に広げてきたことも大きい。一つ一つ細かな工夫を積み重ねてきたことが,年間300人弱の強迫性障害の患者を引き受けられるようになったことにつながっている。

クリニックでの仕事は最前線の仕事である。「何ができる」よりも「何をしたか」の方が大切である。国立病院臨床研究部の部長ならば,能書きを書くだけで仕事になるが,クリニックは実際に何人の患者が来たか,どんな治療を受けたか,どんな結果を残したかが仕事である。「どんな強迫性障害でも治療できる」と謳いつつ,実際に治した患者数は数年間で二桁という医者と,「強迫性障害のごく特定の患者しか治療できない」とへりくだりながら,実際に治した患者数が三桁という医者を比べた時,どちらが治療者として優れているかは,後者だろう。

実際の治療パフォーマンスを見てみよう。

III.           原井自身の強迫性障害の治療パフォーマンス

1986年に佐賀県の国立肥前療養所に就職し,強迫性障害の患者を山上敏子先生の指導の元で診るようになった。このころ,行動療法で治療することイコール入院だった。行動療法の原則は,エクスポージャーと儀式妨害 (Exposure and Ritual Prevention, ERP)である。洗浄強迫や確認行為を1日以上,完全に妨害しなければならない。そのためには入院させ,看護師も協力して,24時間体制で監視することが必要だと考えていた。このころに私が診ていた強迫性障害の患者の大半は山上先生に紹介されてきた患者である。10年もすると,治療方針で山上先生と意見が一致しないことも次第に増えてきた。私は肥前でアルコールの臨床も経験した。その中で集団療法や患者の体験談の効果,「底つき」や「イネーブラー」のような概念を知るようになった。山上先生はアルコール依存症の治療で私が身につけたやり方には問題があると思っているようだった。1998年,熊本県にある国立菊池病院に移ることにした。

菊池病院で強迫性障害を自由に治療できるようになったとき,最初に考えたことは,行動療法に集団療法を加えることだった。肥前療養所ではアルコール病棟を担当しており,院内の集団ミーティングとAAなどのサポート(自助)グループへの参加が治療だった。強迫性障害に対してもサポートグループが役立つだろうと私は考えたのだった。患者はぼちぼちと集まってきた。最初は,菊池病院の中から,その後,周辺のメンタルクリニックなどから,そして,2000年に私のホームページに設置した強迫性障害の治療マニュアルを見て,飛行機に乗って東京などからも患者がやってくるようになった。2000年ごろは,検索エンジンで「強迫性障害」を検索すると,私のページが検索結果のトップ10に入っていたのである。院内で行っていた集団療法が発展し,行動療法によって回復した患者の中にはサポートグループの設立に協力してくれる人もでてきた。2004年3月,患者とその家族のためのサポートグループである,OCDの会の設立総会が行われた。

菊池病院時代から私が担当した患者数や治療内容,サポートグループについての変遷を表にまとめた。

表 強迫性障害の患者数

場所 時期 新患数(人) 集中治療患者数 個人カウンセリング数 集団集中プログラム サポートグループなどの動き
菊池病院 2000~

2004年

20(1年あたり

平均)

    入院・外来 不定期に集団 2004年3月OCDの会発足

10月 第1回市民フォーラム開催

2005 24     入院・外来 定期的に集団 12月 「とらわれからの自由No1」を刊行

2月テレビ報道 OCDの会のメンバー出演

2006 37 13   入院を中止,外来のみ、不定期に集団集中プログラム(4日間)  
2007 42 20   外来のみ,毎月定期的に集団集中プログラム(4日間 3,4人)  
なごや

メンタル

2008 101 16 341(90分57) 毎月の集団集中プログラム(3日間)

集中参加前に教育プログラムと個人カウンセリング必須

OCDの会 名古屋例会開始

 

2009 131 69 322(90分12) 集団集中1回の参加人数3~8人 1月 東京OCDの会設立
2010 161 69 120    
2011 159 62 118    
2012 262 66 100 集団集中1回の参加人数を6~12人に拡大 2月 静岡OCDの会,例会開始

5月 図解やさしくわかる強迫性障害 刊行

10月 NHKの“あさイチ”に東京OCDの会のメンバーが出演

2013 287 93 144   12月 長野OCDの会設立
2014(8月まで) 216 81 103   8月 北海道OCDの会設立

新患は病院やクリニックにとっての新患だけでなく,同じ施設内での私への担当変更も含んでいる。2006年から始まっている集団集中プログラムとは,数人の患者で集団をつくり,朝から夕方までERPを行うものである。2,3人の治療者が朝から夜まで付き添い,食事や入浴,買い物,自転車の運転などを駅コンコースや商店街などで行うようにする。実際の生活の場を使いながら,公衆トイレやコンセント,鍵,忘れ物などに対してエクスポージャーを行うことができる。期間中は強迫行為が禁じられる。トイレの後の手洗いはできない。お握りは素手で食べなければいけない。短期集中で行うことによって治療が早く進み,集団で行うことによって同時に種々の強迫症状に対して介入しながら,仲間意識を利用してERPへの動機づけができる。終了後もネット上の掲示板を通じて行動療法を継続するモチベーションが保たれるようにしている。

個人カウンセリングとは30分または90分の時間をとって行動療法などを行うことである。セカンドオピニオンや家族相談も含まれている。30分の場合は,簡単なセッション内エクスポージャーやHRT,コミュニケーション・トレーニング,ACTについての心理教育を行う。90分の場合は,強迫性障害の患者で行動療法を希望する場合の初診やセッション内エクスポージャーを行う。2008~9年は週の1日をカウンセリングのみの日に割り当てており,その日は90分カウンセリングの患者5人で終わりという日があった。しかし,全体の患者数が増えるにつれてカウンセリングのみの日を設けることが難しくなった。90分カウンセリングに対する需要はあっても,時間枠を開けておくことができなくなったのである。一緒に働いている心理士も強迫性障害に対する行動療法に習熟してきたので,初診時の詳しいオリエンテーションやセッション内エクスポージャーを私は行わず,心理士の個人カウンセリングの中で行うようにした。強迫性障害の患者で行動療法を希望する場合でも他の診断や薬物療法のみの患者と同じく,初診を30分で行うようにした。こうした結果,2010年からは90分カウンセリングはゼロになっている。

2013年からは心理士のカウンセリングの予約枠の余裕がなくなった。予約待ちが日によっては1ヶ月近くになってきた。このため,私が行う30分カウンセリングの枠を増やして対応するようにした。2014年からは,心理士のカウンセリングを2,3回受けてか3日間集団集中治療を受けてもらうようにしていたのを1回だけにした。場合によっては初診だけで個人カウンセリングなしで集団集中治療に参加させることもある。集団集中治療の参加者が増えるのに対応して,曜日を金土日から土日月に変更した。人数が増えすぎて,土曜日の他の医師の診療に差し支えるようになったからだ。

表の一番右の欄は,OCDの会についてである。最初は毎月の月例会だけだったが,次第に大きくなった。2004年10月,外部講師を招待し,一般向けの公開市民フォーラムを開催した。その後も,年に一回の市民フォーラムと行動療法研修会の開催している。2005年12月,「とらわれからの自由」と呼ぶ文集の第1号を刊行した。実際に行動療法を受けた患者やその家族の実体験を文集にし,これから治療を受ける患者・家族にとっての参考になるようにしている。毎年刊行し,2014年はNo.9を出した。

菊池病院の中で始まったOCDの会の月例会は,私が名古屋に移ってからも,熊本市内の公共施設で引き続き開催されている。2008年からは,名古屋で治療した患者が増えたことに伴い,名古屋でも月例会を開催するようになった。首都圏からの患者も多いことから,東京でも開催するようになった。さらに,静岡など他の地域でも,なごやメンタルクリニックで行動療法を受けた患者を中心にして,月例会が開かれるようになった。こうした会に参加し,回復した患者から話を聞いた患者や家族が行動療法に関心を持つようになっている。メディアも関心をもち,OCDの会のメンバーがテレビに出るようになった。2013年に刊行された強迫性障害のセルフヘルプ本「図解やさしくわかる強迫性障害」 (原井 & 岡嶋, 2012)でもOCDの会の紹介にページを割いている。患者たちの中には,治療が終わってから数年後の近況を会を通じて教えてくれる人たちがいる。手洗いに何時間も費やし,親を巻き込んでいた9歳の少女は,バイト探しに苦労する大学生になった。

クリニック経営者ならば,この患者数の増加だけでも良いニュースに見えるだろう。患者の立場からすれば,こんなに増えても治せるのか?治っていない患者が増えているのでは?と思うだろう。強迫性障害を専門にしている他の治療者から見れば,こんなに患者をかかえたら時間が足りない,よほどいい加減なことをしているのでは?と思うだろう。私から見れば,治していかなければ,患者数を増やすことはできない。治療に入ってきた患者を,2,3ヶ月という早い段階で治って来なくても良いようにするか,薬などの維持療法だけで済むようにしなければ,あっという間に再来の患者だけでクリニックの診療枠が一杯になってしまい,新患が取れなくなる。実際の治療成績を見てみよう。

図 集団集中治療を受けた患者の治療成績

キャプチャ

横軸は年を示す。左の縦軸はY-BOCSによる重症度が治療前と治療後で何%下がったかを示す。Y-BOCSの治療前の平均値は全体で27.4,治療後の平均値は12.0である。右の縦軸は患者数と初診から集中治療の後のフォローアップの診察(ここで治療後のY-BOCS評価を行う)までの週数を示す。縦棒は治療を受けた患者の年間の合計,黒の折れ線はY-BOCSの改善度,緑の折れ線は治療に要する週数を示す。入院治療をしていた頃は数ヶ月以上かかっていたのが,外来治療にしてからは3,4ヶ月になり,なごやメンタルクリニックに移ってからは数週間以下になっている。

集中治療を受ける患者は増加し,2013年は93人だった。治療期間は短くなり,集団でまとめて治療することになっているが,そうなっても改善度は50%台を維持している。患者1人1人にかける手間は簡単になりながら,治療成績は維持できていることがわかる。2013年の数字からみれば,10年前,20年前の私の治療はどれだけ無駄なことに時間と手間を使っていたのか,と驚くほかはない。昔の患者に申し訳なく思う。

IV.              強迫性障害に関わった30年をまとめて:リーンな治療へ

The Toyota Way トヨタウェイという本がある(Liker, 2003)。車を持っている人ならば,日本人でなくてもトヨタの名を知らないものはなく,そして“カンバン”などトヨタ生産方式の概念を聞いたことがある人は多いだろう。トヨタ生産方式の中に,リーンという概念がある。希薄化する,すなわち無駄を省くことが品質向上につながるという考えである。同じ製品を生産するならば,手間をかけずに生産できるほうが品質向上につながる。1つの生産工程に要する時間や関わる人などが減れば減るほど最終的な製品の瑕疵が減ると考えるのである。それぞれの生産工程での節約は小さなものである。ドアハンドル1つの生産にかかる時間が半分になってもたいしたことはないかもしれない。しかし,それが積もり積もっていけば,多数の部品や工程からできあがる一台の車の信頼性は上り,コストは下がる。

医療者の中に時間をかければかけるほど,濃厚であればあるほど良い治療になると考えている人がいる。重症であればあるほど外来に時間をかけ,頻度も多く,入院は長期になり,薬も多剤大量になる。強迫性障害は一般には治りにくい精神疾患とされているから,そうした濃厚な治療の対象になりやすい。患者や家族も新薬や新しい精神療法が古いものより“効果が高い”と自然に期待することが多い。そのような期待に合わせれば濃厚さはさらに度合いを増していくことになる。治療を濃厚にすればするほど,新薬・新精神療法であればあるほど,良い結果が出るというエビデンスは私の知る限りない。ERP自体は30年以上の歴史がある古い治療である。一方,濃厚にすれば手間暇と時間がかかり,副作用も生じることは理屈からも経験からも確かだと思う。新薬・新精神療法は古いものと比べれば効果も副作用も未知なところが多く,治療者が未熟であることは言うまでもない。

菊池病院では新患1人に1時間半,再来1人に30分かけていた。なごやメンタルクリニックではそれぞれ30分,5分である。そうでなければ,月に50人の新患をさばくことはできない。集団集中治療も菊池では多くて4,5人だった。2008年に異動した当初から強迫は多かったが,その割合は徐々に増え,2014年では新患の6割が強迫性障害,毎月10人強の患者が3日間集団集中治療を受けている。今,こうして振り返ると,できるだけ一つ一つの治療のプロセスにかける手間や時間,来院回数,治療期間をリーンにしていることが分かる。

犠牲になったものはもちろんある。2008~9年は,強迫性障害の患者は今ほど多くなく,新患の予約待ちが1,2週間ぐらいだった。強迫性障害以外の患者で,行動療法を希望してくる患者を受け入れることができた。娘を自殺で失った母親で“複雑な悲哀”に苦しむ患者に対してプロロングド・エクスポージャーを行ったり,複雑な家族背景を抱え,境界性人格障害と診断され,多剤大量処方されていた主婦を自立した就労にまで持っていくこともした。また,本人が来院せず,家族相談だけの患者や,収集癖の患者の治療のための家庭訪問もした。いくらリーンな治療ができるようになったといっても,それは強迫性障害の患者で集団集中治療の中で治療できる場合だけである。その他の診断の患者や問題への対応をしなくなったことは残念である。

V.             制限があるということ

リーンな治療,効率化するようになった理由は,増える患者に対応するためだったり,患者数を増やせという経営者側の要求があったりするからだ。ただ単純に治すだけを目的にしていたならば,ここまで効率化する必要がない。制限があれば,その制限の中で,手持ちの能力だけで何とかしなければならない。そのための工夫をするようになり,そして結果を出すように続けてきた結果がこうなっている。そして,なぜ制限があるのかと考えると,私が経営者である院長ではなく,雇われ院長であるからだという理由に突き当たる。

雇われ院長が普通の“院長”とどう違うかについてある例をあげよう。採血が必要な患者が来たとする。私は患者に採血を告げる。患者は立ち上がり,外に出ようとする。私は患者を押しとどめ,再び椅子に座らせ,採血台を出して,私が駆血帯を巻く。患者は訝しげな顔をする。私は雇われ院長であり,ボスである理事長がOKしない限り,自分の手足になるような看護師は欲しくても雇えないのだ,と説明する。私が自分でやるしかない。国立病院での21年間,私は自分で採血することが無かった。最初は私自身が不安だったのだが,やればできるものである,この4,5年で私の採血技術もずいぶん上手になった。採血中に診察で聞きそびれたことや身体的なこと(リストカットの話題などは採血中に手を触りながらするほうがやりやすい)を聞くこともできるようになった。不潔恐怖のため手に触られることを嫌がる患者も,なぜか採血のためには手が触れることを許してくれたりする。通常の経営者院長のように,自分が楽をできるように人を雇い入れることはできない,そんな制限が工夫や技術を生み出していることになる。

もし,私が経営者院長であったならば,「自分が強迫性障害を治せる」ということだけに満足し,ここまで数を増やし,効率化させることはなかっただろう。再来の患者1人に30分かけ,無駄なこともしていた時代が懐かしい。

参考リンク

OCDの会 (熊本) http://ocdnokai.web.fc2.com/

名古屋OCDの会 http://758ocdf.web.fc2.com/

東京OCDの会 http://109ocdf.web.fc2.com/index.html

文献

Hofmann, S. G., & Smits, J. A. J. (2008). Cognitive-behavioral therapy for adult anxiety disorders: a meta-analysis of randomized placebo-controlled trials. The Journal of Clinical Psychiatry, 69(4), 621–32.

Koran, L. M., & Disorder, A. P. A. W. G. on O.-C. (2007). Practice guideline for the treatment of patients with obsessive-compulsive disorder. American Psychiatric Publ.

Liker, J. (2003). The Toyota Way: 14 Management Principles from the World’s Greatest Manufacturer (ザ・トヨタウェイ(上・下) 稲垣 公夫 (翻訳) 日経BP社 2004). New York: McGraw-Hill.

原井宏明, & 岡嶋美代. (2012). 図解やさしくわかる強迫性障害 (p. 160). 東京: ナツメ社.