【うつ病のすべて】 精神療法・他 うつ病の治療と医療の近年の発展と最近の論議 治療法の選択を決めるもの 2006

原井宏明. (2006). 【うつ病のすべて】 精神療法・他 うつ病の治療と医療の近年の発展と最近の論議 治療法の選択を決めるもの. 医学のあゆみ <草稿>

キーワード: 実証された治療,行動活性化法,うつ病,認知行動療法,EBM,プラセボ反応

サマリー

うつ病は過去20年間に拡大した。治療方法と患者数,うつ病を認識し治療する医師の数は倍以上に増えた。この20年間の変化は新規抗うつ薬,認知行動療法が“バブル的”な拡大と普及を遂げた時期と特徴づけることができる。DSM-IIIが登場し,うつ病の病因に関するセロトニン仮説と認知モデルが提唱され,プラセボ対照無作為割付比較臨床試験(Randomized Controlled Trial, RCT)によって裏付けを得た治療法が続々と現れた。疫学調査からは,うつ病の大半が見過ごされていること,実地に行われている治療の大半は根拠に従っていない,と批判された。理想的な治療を普及するために治療ガイドラインがまとめられた。選択的セロトニン再取り込み阻害剤(Selective Serotonin Reuptake Inhibitor, SSRI)と認知行動療法(Cognitive Behavior Therapy, CBT)はガイドラインの主役になった。

そして21世紀に入ってからの数年間,この“バブル”は批判的に吟味され始めた。都合の悪い結果を無視できなくなったのである。最近になればなるほど,RCTにおいてプラセボ反応が増大した。また,セロトニン再取り込み阻害も認知の特異的な変容もうつ病から回復するための必要条件ではないことがわかったのである。

この論文は過去20年間の知見について批判的に考察する。そして,実地の医療における臨床判断はどうすれば良いか,うつ病の大多数の患者が受診するようになったプライマリケアや外来精神医療における薬物療法と精神療法はどうあるべきか,を検討した。薬の定期的・計画的な服用と快感を伴う活動が自然に増える方向に援助することが必要だと論じた。

サイドメモ

l  行動療法(Behavior Therapy, BT)と認知行動療法(Cognitive Behavior Therapy, CBT)

一般的な医学や心理学の文献では行動療法と,認知療法(Cognitive Therapy, CT),認知行動療法はほとんど同じものを指す総称となっている。MedlineのMeSH termではBTがCTの上位の概念とされているが,現在の一般用語としてはCBTが全てを総称する用語として用いられることが一般的である。歴史的にはCBTは三世代にわけられる。1)第一世代;1950年代にEysenck HJ,Wolpe Jらによって行動療法の概念が確立した。2)第二世代;Beck, ATやMeichenbaum D, Clark Dなどによる認知療法(Cognitive Therapy, CT)が導入された。「認知行動療法」という名称はMeichenbaumの著作のタイトルとして登場する。このときからBT,CBTの普及が進み,これらを利用する側にとっては双方の区別がつかなくなった。3)第三世代;Hayes, SCやLinehan,MM,Kabat-Zinn JらがMindfulness、Acceptanceなどの新しい概念を取り入れた。第二世代が提唱した認知モデルの否定する動き,第一世代への回帰でもある。

CT,CBTは認知と行動を分けてとらえることが特徴である。例えば,うつ病の場合,出来事に対するクライエントの否定的な考え方がうつ病の原因であるとする。このようなものの見方や考え方を不合理な認知(自動思考,スキーマ)と呼び,それらを再検討し,変えていくことを主眼としている。スリーコラム法などの自動思考を記録し,考えを修正する方法を認知修正法と呼び,CBTでは必ずと言っていいほど用いられる。CBTは一般的には治療パッケージと呼ばれる種々の治療技法をまとめたマニュアルに従って行われる。

BTは認知も行動としてとらえる。会話や考えも言語行動やルール支配行動と呼ばれる行動である。何を行動とするか判断する方法として,“死人テスト”がある。これは,死人でもできることは行動ではないとするものである。逆に,行動とは死人にはできない活動ということになる。例えば寝ている,休んでいるは死人でもできる。また“イライラしない”のような否定形,“癒してもらう”のような受身形で表現されるようなことも行動ではない。死人はイライラしないし,亡骸でも癒されることはできる。

BTを特徴づけるものは,理論や内容そのものではなく問題へのアプローチの仕方にある。診断よりも問題行動を維持する要因に注目する。病気が起こる前からある原因や誘因ではなく,病気が起こったあとに起こる変化や結果に注目し,結果を操作することによって病気を変えようとする。BTは本来的には個人個人の個別の問題に合わせてテーラーメード方式で行われる。治療法の評価も単一事例実験計画(N of 1 試験) 1)によって行われることがよくある。

l  行動活性化(Behavioral Activation)

BTの第一世代のときからあるうつ病に対するアプローチである。Lewinsohn 2)らは,うつ病が持続する理由に着目し,それは快適な感覚をもたらす出来事や振る舞い,考え(快事象)が減少し,不快な事象が増加することであると考えた。具体的には快行動計画法などを使う。患者に快事象の数を数えるようにさせ,快事象につながる患者自身による具体的な行動を増加させるようにするものである。疲労や抑うつを感じることを避けて寝てばかりいる患者に対して目的指向の行動を増やすようにする。

一般的に快事象の中によく含まれるものには散歩やペットの世話,安心できる知り合いとの会話,頭を使わない仕事や作業,本人にとってプラスと思える言葉を考えること,などがある。うつ気分が多少でも良くなるということ自体が快事象の一つであるから,それにつながるような受診やカウンセリングも同様に強められる。何が快事象であるかは患者の状態によって決まる。他人からの一方的な励ましや賞賛はうつ病の患者にとっては快事象ではない。

うつ病に対するBTとしては第二世代の隆盛とともに忘れられていた。Jacobsonら 3)は,うつ病の認知モデルを検証するために,うつ病の患者に対してBeck 4)の認知療法の治療パッケージから認知修正法を除いた治療パッケージをつくった。彼らは認知療法と認知修正抜きの認知療法の間でRCTを行い,治療効果は双方とも同等であることを確かめ,認知療法パッケージの有効成分は“行動活性化”であるとした。これによって行動活性化は再び注目をうけるようになった。

外来でのうつ病の治療は薬物療法であれ精神療法であれ,定期的な受診や服薬遵守を通じて,患者の合目的な行動を活性化させることを伴っている。

l  プラセボドリフト(Placebo drift)

抗うつ薬が本当にうつ病に効くかどうかを検定するための標準的な方法がプラセボ対照二重盲検無作為割り付け比較試験(RCT)である。近年行われたRCTでは,抗うつ薬がプラセボに勝てないことが普通のことになってきた。プラセボ対照試験のメタアナリシスを行うとプラセボ反応と西暦が相関していることがわかった 5)。このようなプラセボ反応が年を追うごとに上がっていく現象をプラセボドリフトと呼ぶ。この現象は,機能性胃腸症に対する消化管機能改善薬の臨床試験でも認められている 6)。

日本の専門家は長らくプラセボ投与に心理的抵抗があり,この現象を実感することがなかった。日本での抗うつ薬の臨床試験で,2003年から低容量の試験薬(偽プラセボ,Pseudo Placebo)を使った試験,2004年から本来のプラセボを使った試験が行われるようになった。著者の知る限り,2003年から4種類の抗うつ薬の試験が行われている。そのうち,偽プラセボやプラセボに優位を示すことができた薬剤はただ一つである。これらの薬剤は欧米ではすでに抗うつ薬として広く使われている。

一つの臨床試験のために数十億という大金を投資している薬品会社にとって,プラセボ反応者は大敵である。プラセボ反応者を無くすために,臨床試験のプロトコールに工夫が行われてきた。最初は試験中の他の抗うつ薬の併用を禁止する程度であった。次第に厳しくなり,抗不安薬の使用を禁止,睡眠薬を禁止するようになった。更に最近は,試験にエントリーする前の1週間の一切の服薬禁止,エントリー後一週間の間,プラセボを投与する,などが行われるようになった。後者のやり方を,“Placebo run-in period”という。プラセボ反応者はこの2週間の間に改善するはず,この2週間で改善しない患者のみを試験にエントリーすれば,プラセボ反応者をなくせるはず,という考えによるものである。結果的には,これは薬品会社の期待とは逆の効果を生んでいる 5)。

l  ドードー鳥の判定 「みんな優勝!,全員が一等賞!」

これは“不思議の国のアリス”の中の物語をとった治療法に関するエビデンスの評価に対する警句である。薬物療法を含むさまざまな治療法は無治療や単純な支持的精神療法よりも効果が高い。一方,こうした効果のある治療同士を比較すると,ほとんどの場合差がつかない。どれにも効果がある。治療に成功し,自己愛が膨らみそうな時,次のように考えると良い。

「私が患者に対して行った治療の成果のいくつかは,時間がたてば自然に起こったことである。あるいは素人にもできることである。また,いくつかは私の経験と努力と鍛錬の賜物であり,他人にはまねができない。さらに,患者の問題のいくつかは私にも他人にも,またいくら努力したとしても変えられないだろう。そして,これら三つの区別は今の私にはわからない。つまり,結果が素晴らしかったとしても私のしたことが凄いのかどうかは今の私にはわからないのだ。この曖昧さを受け入れる心の落ち着きをもち,そして自分のやり方を実証的な経験に応じて誠実に変えていく勇気を持つこと,この二つができれば私はたいしたものだ。」

うつ病に関するエビデンス 批判と論議

l   “うつ病”の“バブル”

うつ病に関するエビデンスの数は既にたくさんある。DSMによって,うつ病をわかりやすく定義することが可能になり,うつ病の診断は医師以外でも可能になった。診断が決まることによって根拠に基づく医療(EBM)が可能になった。精神薬理の世界ではセロトニン仮説に基づいた抗うつ薬がデザインされて新規抗うつ薬が発売された。精神療法の世界では,うつ病に関する認知モデルが提唱されて,それに合わせた認知療法が生まれた。現在はうつ病の病因に関してセロトニン仮説と認知モデルが当然のものと受け止められ,それらに基づく治療法がプラセボ対照の無作為割り付け比較臨床試験(Randomized Controlled Trial, RCT)によってエビデンスという裏付けを得た。RCTによって有効性が示された治療法は数え切れない。無効な治療も同様に明らかになり,エビデンスに基づいた治療が行えるようになった。それらをまとめた治療ガイドラインやアルゴリズムも数多い。これらをまとめると次のようになる。

うつ病は増加しており,受診しないまま一人悩む患者が多い,一般医療機関を受診していても見過ごされる患者が多く,軽いうつ病でも放置してはならない。うつ病は自殺の原因である。是非とも早期診断,早期治療すべきである。社会全体や職場も積極的にうつ病を認識して,うつと疑われる人を受診させるべきである。医療機関ではSSRI,SNRI(選択的セロトニン,ノルアドレナリン再祭取り込み阻害剤)をまず処方すべきである。可能ならば認知行動療法も行うべきである。一方,日本で行われている実際のうつ病の治療の現状は治療ガイドラインからかけ離れている。スリピリドが第一選択薬であり,SSRIはよく処方されているが量が不足し,多剤併用であり,睡眠導入剤・抗不安薬が必要以上に使われている。認知行動療法を行っている精神科医療機関はごくわずかである。

日本うつ病学会という,うつ病だけを取り上げた学会が2004年に発足した。学会のねらいは会則によれば,“二,うつ病臨床の発展・充実に寄与すると共に,一般社会にうつ病に関する情報を提供することを目的とする”。本書のタイトルは“うつ病のすべて“である。うつ病のすべては既にわかり,これらかの仕事は啓発をすることのようである。

さて,うつ病とその治療はもう完全に分かったのだろうか?日本で使える抗うつ薬だけでも10種類以上ある。認知行動療法のアプローチの数もそれ以上である。これだけ沢山の治療法があるのに,まだ治療法が出てくると言うことは,どの治療法も決定打ではなく,五十歩百歩ということである。それでも,このようにエビデンスも患者も治療法も増え続ける状態は”バブル“と呼ぶにふさわしい。

l  批判と論議

この数年間は,この“バブル”を批判的に吟味する研究者が現れてきた 7)。抗うつ薬の開発に携わっていた精神薬理学者が精神薬理学と薬品会社を批判する本も現れた 8)。うつ病の病因に関するセロトニン仮説は過去の物になった。抗うつ薬は不安障害にも等しく効果を示すことが分かると,それまでのようにうつ病と神経症を薬の反応でわけるという考え方ができなくなった。SSRIの効果や自殺のリスクについて都合の悪いデータを薬品会社が隠していたことが明るみにでたことが疑念を引き起こしている。18歳以下の児童思春期のうつ病に対するParoxetine試験において,Paroxetineがプラセボに勝てなかったばかりか,自殺のリスクがParoxetine投与群で高いことが明るみにでたのである。このあと,SSRI,SNRIのエビデンスについて疑念が持たれるようになった。この中には認知行動療法に対する批判もある 9)。うつ病の患者に認知の誤りがあるのは確かであるが,それはうつ病の原因というより症状の一部であると分かった。また認知の誤りを修正することに特別な治療上の意義はない,とわかってきたのである。

2004年にイギリスNHSが出版したNICEガイドラインは,公的なガイドラインとしては初めて経過観察(Watchful waiting)を軽症うつ病に対する最初のアプローチとして推奨している。軽症うつ病に対しては薬物や特別な精神療法は不要で1~2週間毎の受診と経過観察で十分である,としているのである 10)。

エビデンス自体には誤りはないとしても,エビデンスが出てくる過程の検討や結果の再解釈によって,今までの“常識”には都合の悪い知見がつぎつぎでてきたのである。この四半世紀のエビデンスを批判的に吟味し,実地の医療においてどのように薬物療法と精神療法を行えば良いのか,を検討しよう。

l  新規抗うつ薬は効くのか?菊池病院の場合

菊池病院は数年前から新規抗うつ薬の治験を薬品会社から受託して行っている。プラセボ対照二重盲検RCTが最近では一般的になった。新規抗うつ薬がプラセボよりも効くかどうかを菊池病院のデータで見てみることにする。

データは2種の欧米ではすでに上市されている抗うつ薬に関するものである。プラセボにはごく低容量の偽プラセボも含まれている。患者は20~64歳の外来患者である。診断はすべて単極性うつ病であり,試験開始時点でのHAM-D17項目のスコアが18点以上である。投与期間は6~8週である。この間,うつ病に効果があると思われる向精神薬の併用は禁じられている。治験開始後に不眠や不安,体調不良などの訴えがあっても薬の追加や変更はできない。評価はHAM-D17項目で行われた。6~8週後のHAM-Dのスコアが開始時より65%以上低下したものを“著明改善”,50%以上改善したものを“かなり改善”,35%以上改善したものを“やや改善”,それ以下を“不変以下”とした。HAM-Dスコアの減少度の平均(95%信頼空間)は,実薬群は63%(47%~78%),プラセボ群は72%(2%~141%)であった。

比較のために治験以外のデータを示す。2003年度に新患として受診した20~64歳の外来患者の中で主病名がうつ病などである患者35人を対象とした。このうち25人が6ヶ月後も受診していた。22人について6ヶ月後に主治医が評価した全般改善尺度が得られた。

 

表 うつ病の患者の改善割合 治験と一般治療

薬剤割り付け 人数 開始時のHAM-D 著明改善 かなり改善 やや改善 不変以下
実薬 12 21.0 50% 25% 17% 8%
プラセボ 4 21.3 75% 0% 0% 25%
一般治療 22 32% 18% 18% 32%

 

これは今まで一般に信じられていることと相反するデータである。プラセボを投与された4人が最も良い。一般治療は最も悪い。一般治療群は薬剤の選択も追加も増量も自由に患者に合わせて行うことができる。使われている薬剤はすでに規制当局によって承認された抗うつ薬などである。医師と患者が自由に治療すると結果が良くないのである。さらに付け加えれば,一般治療群は6ヶ月後のデータである。

プラセボ群の人数が少ないこと,一般治療群の診断や評価が標準化されていないこと,などの限界がある。しかし,一般治療での実感やプラセボが実薬に勝つことが珍しくないことを考えると,この結果には大きな間違いはないと思われる。

l  CBTは効くのか?

認知行動療法にもプラセボ反応がある。NIMHによる共同研究 11)がうつ病に対する認知療法の有効性を示している。しかし,この後の研究では対照群に対する治療の条件を変えていくと認知療法の優位性が消えていくことが知られている。精神療法同士の効果を比較するための大規模なRCTがいくつか行われている 12)が,これらの結果は総じて相互に差がないことが知られている(“ドードー鳥の判定”)。Holmes 9)は1)認知行動療法の優位性は見かけ倒しのところがある,2)精神療法は成長発達の文脈で考えるべきであり,“障害”の除去だけを目的にしてはならない,3)精神療法の研究は特定の“ブランドネーム”治療法にこだわることをやめて,さまざまな治療に共通する要素や有効成分,特定の治療スキル,そして精神療法以外の方法との統合に力を注ぐべきである,としている。行動療法の研究者もこのことを認識しており,うつ病に対するCBTの解体研究(Dismantling study)が行われている。その結果,現在,うつ病に対するCBTの有効成分と考えられているものが,“行動活性化” (Behavioral Activation)である。

治療の指針

l  なぜプラセボは効くのか?

プラセボ効果がこれだけあると,必ず“なぜ?”という疑問が生じる。これに対する確実な答えは,“なぜ効くのか?”の答えが存在しない治療法をプラセボと呼ぶ,である。効果がある理由を説明できないからプラセボ効果と呼ぶのである。またプラセボが効くのは,特定のタイプの患者だけだろう,プラセボに反応した患者はどんなタイプか知りたい,という疑問もよくある。これは治験の依頼者がもっとも知りたいことである。それが分かればプラセボが効きそうな患者を事前に見付けだし,治験から排除することができるからである。実際,プラセボ反応の予測因子を調べた研究が多数あるがはっきりした予測因子はわかっていない。現在のところプラセボ反応が低いことが分かっているのは,重症例 13)と慢性エピソード 14)である。DSM-IV-TRでのメランコリーサブタイプはプラセボに反応しにくいと従来信じられてきたが,根拠がない。気分変調性障害は従来型診断では神経症性うつ病とされ,薬が効かない,精神療法が必要であるとされてきたが,気分変調性障害はプラセボにも反応しにくい。

しかし,考え直してみれば,プラセボ効果があることは“抗うつ薬”にとっては大変不都合であるが,患者にとっては好都合である 15)。プラセボドリフトがあるということは,うつ病の患者にとっては効果が高くなってきている治療があるということである。精神医学は“なぜ”に答える必要がある。

これまでに考えられているプラセボ反応の説明としては,次のことが考えられている。

1) 励ましの効果

うつ病は絶望することが主要な症状である。それに対して治る・治療できるという希望を与え,薬を飲むように励ますことに効果がある。

2) うつ病には自然寛解がよくある

うつ病の自然経過を観察した研究がある。Kendlerらは 16)はうつ病の女性について調べ,寛解するまでの中央値は6週間で,12週後に75%が寛解したことをしめした。もし,寛解までの中央値が6週間で,12週間後には75%が寛解するようなうつ病の患者グループが治験に入ったとすれば,8週間の治験の間に,プラセボであっても半分以上は寛解するのが当然ということになる。

3) うつ病の患者が受診を決意するのは最悪の時から上向きかけたとき

うつ病は悪化と軽快の間を繰り返す波のある病気である。悪くなり始めたが,まだそれほどでもないというときには受診しない。最悪の状態で意欲もないときも受診しない。受診しようとするのは,最悪を脱して受診する意欲がわいてきたときである。このようなときにして自ら受診した患者は,調子が上向きの波にあるときであり,受診時からみれば自然経過だけでも多少良くなる。株を底値で買えば自然に上がるのと同じである。

4) “一般的健康行動”の効果

Simpsonらは 17)すべての疾患について薬物療法全般とプラセボ反応の関係を21のRCTについてメタアナリシスを行った。その結果は次のようになった。1)プラセボ服薬に対する良いアドヒアランスは低い死亡率と関連していた。2)有用な実薬に対する良いアドヒアランスも低い死亡率と関連していた。3)有害な実薬に対する良いアドヒアランスは高い死亡率と関連していた。まとめれば,プラセボを所定の計画通りにきちんと服薬することが死亡率を下げるのである。彼はこれを“一般的健康行動”と呼んでいる。

l  治験における“精神療法”

精神療法のマニュアルはあるが,治験はどのように行われているかは一般には知られていないと思われる。治験はどのようにして行われているのか,具体的なところを患者の立場から示すことにしよう。以下は,仮想的な患者による一種の感想文である。

—————-

治験は最初の症状評価と説明同意から始まる。同意文書は10ページ以上あり,うつ病と種々の治療法,治験自体,患者の権利,治験薬の期待される作用と副作用,治験中の注意事項などが詳細に書かれている。説明だけでも30分はかかる。その場では同意をとらず1週間程度間をおくこともある。同意説明が終わると検査がある。

治験中の注意事項も2ページぐらいある。最近の治験は以前のものと比べると,プラセボ反応を減らす目的で被験者が守るべき項目が多い。一部の睡眠導入剤を除いて,向精神薬の併用は全面禁止が原則である。鎮痛剤やサプリメント,麻酔剤なども禁止の対象になる。抗不安薬の頓服はできない。睡眠導入剤も量が決められ,眠れないことを理由に薬を繰り返し飲むことはできない。他の精神科と二股をかける,心理士のカウンセリングを受けるも禁止である。飲酒もしないように勧められる。受診は毎週決められたときに行い,予約制である。患者が忙しくても薬の処方だけもらう,ことはできず,かならず問診と重症度評価が行われる。予約を変えることはできるが,前後2,3日までという縛りがある。服薬は確実にチェックされ,飲み残しも薬の空き袋もすべて病院に持ってこなければならない。有害事象(副作用)のチェックも治験の目的なので,治験中に経験したありとあらゆる予期しない症状はすべて報告しなければならない。治験期間中に患者が自分で記録する症状などを書く日誌が手渡され,日誌の内容が毎回の受診でチェックされる。

実際のこうした説明は医師だけでなく患者ひとりひとりについた担当の臨床試験コーディネーター(CRC)が行う。治験期間中に起こった予期しないこと,気になることがあればCRCに連絡するように勧められる。

最初の1週間は薬なしの期間(観察期間)である。この間,以前に服薬していた薬があるときは離脱症状があるが,精神薬は飲めない。飲めば治験は中止となり,新薬を飲むことはできず,せっかくの検査や同意説明が台無しになる。苦痛な症状があればCRCに電話で気楽に相談することができる。CRCは話を詳しく親身になって聞いてくれる。そして症状を乗り越えれば,治験薬を開始できる,治験を開始すれば症状も良くなってくるだろうと説明してくれる。しかし,今がどのようにつらくても薬や注射をもらうことはできない。

治験薬を開始すると薬の副作用がある。多少のことがあっても減らすことはできない。必ず決められた量を毎日飲む必要がある。治験薬をやめるか,続けるかのどちらかしかない。選択は患者の自由と言われるが,ここまで来てやめることはできない。症状はまだ良くならないが,このまま続ける。

2,3週すると多少良くなってきた感じがある。しかし,症状評価ではまだ完全ではないといわれる。治験薬が増やされる。副作用の不安があるが決まったことなので増やされた薬を飲む。

5,6週すると次第に気分が晴れてきた感じがある。症状評価を受けると,自分でも前と違ってきたことに気がつく。異性に対する関心が出てきたし,ショッピングしようという気持ちもでてきた。何よりも自分を責めなくなったことが分かる。

以前,精神科を受診したときは,薬を飲め,だけだった。毎回の受診のときに聞かれることは「薬は前のままでいいですか?」だけだった。副作用があると言えば副作用止めの薬が増え,効き目がないといえば薬が追加された。次第に,先生には相談せず,自分で調整して飲むようになっていた。そのうち多少良くなれば薬をやめていた。何年もこの調子で精神科にいったり,いかなかったりしていたが,完全に良くなったということは一度もなかった。

l  健康行動

うつ病を継続させる“病気行動”はつぎのように表現できる。嫌な気分がなくなることだけを願い,そうした気分が起きそうな場面を避け,一人でいるときにそうした気分になればベンゾジアゼピン系の頓服を飲み,このような自分になるきっかけをつくった親や他人を恨む。そして夜になり,家族が寝静まると,目が冴えてきて,いろいろ自分について考え始める。「こんな風に他人を責めている自分がダメだ,前向きになれない自分がダメだ。このように考えているばかりでいるのがダメなのだ」と自分を責め続ける。責めるのに疲れると次のように考える,「こんなに考えているうちに疲れてだるい,体中が痛い。自分はうつ病なのだ,だから自分にできることは何もない,今は早く薬を飲んでとにかく眠れるようになりたい。」

“健康行動”はこれとは逆である。具体的な行動目標をもち,実際に外にでかけ,人と交わり,事前に計画に沿った行動をし,毎日の記録をとる。気分やその日の体調で活動を変えることをしない。治験はまさに健康行動を増やすように機能している。治験では体の症状を報告すること自体も行動目標である。一方,体の症状を報告しても治療は変わらない。CRCは患者の話を親身になって聞くが,指示やアドバイスはしない。CRCは患者が治験のプロトコール通りに行動すれば誉めるが,その通りにするかどうかは患者の自由意志に基づく選択であることを強調する。

行動活性化は健康行動を増やすことを正面においた行動療法である。健康行動を増やす機能は他の認知行動療法にも共通してみられる。認知修正や問題解決訓練,マインドフルネストレーニングなどは患者が自ら自分で動き,多少の不快な症状があってもそれにこだわらずに必要な健康行動をするように促している。

おわりに

ここに書かれたことはうつ病治療に関する今までの常識とかけ離れたところがある。一方で,SSRIや認知行動療法が導入される前からうつ病の診療に当たってきた50台以上の精神科医にとっては当然のことに見えるだろう。

しかし気をつけていただきたいことは,CBTやSSRIの効果があるというエビデンス自体が否定されたわけではないことである。これらは効果が確かにある。その効果の理由が違ったということであり,そしてその効果の理由は今まで無視されてきた,いわば当たり前の“健康行動”にあるということである。当たり前のことを見直し,それをよりよく使う,ということは,実は難しく,学びがたい。ただ抗うつ薬を処方し,患者に飲ませるということだけであっても本だけでは十分には学べない。行動活性化や治療に対するアドヒアランスを強めるとされる動機づけ面接 18)のトレーニングが広がることを望んでいる。

引用文献

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3)    Jacobson, N. S., et al.: J Consult Clin Psychol. 64:295-304 1996

4)    Beck, A. T., et al.: Arch Gen Psychiatry. 42:142-8 1985

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16)  Kendler, K. S., et al.: Psychol Med. 27:107-17 1997

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