2014, 強迫性障害の認知行動療法-個人療法,集団集中治療,サポートグループ. メンタルクリニックが切り拓く新しい臨床(原田誠一 編) 東京: 中山書店 2014. p. 99–108

I.              国立病院の部長からクリニック院長へ

私は20008年1月、熊本の国立菊池病院を辞めて,なごやメンタルクリニックの院長になった。サラリーマンであり,経営者ではない。人事は全て和楽会理事長が決定し,私はまったくタッチできないが,心理士の雇用については私の希望を入れていただき,今は2人が一緒に働いている。その内1人は,10年前までは強迫性障害と行動療法についてもまったくの素人だったが,今は日本認知・行動療法学会でも良く知られた強迫性障害のエキスパートになっている。ここで述べる強迫性障害の治療成績に関しては彼らのおかげである。

国立病院では臨床研究部長をした。民間の雇われ院長との違いはいろいろある。臨床研究部長には臨床研究部に関する人事・予算の決定権限があった。臨床試験コーディネーターに私の知り合いを入れることができた。しかし,それが人選ミスになることがあった。受託研究費の増加は年度内に使い切れないという問題を生んだ。権限を持つことは自由でお気楽という意味ではなく,むしろその逆である。私が国立にそのまま居残れば,いずれはどこかの国立精神科病院の院長になっただろう。国立病院のトップと言えば聞こえは良い。しかし,病院職員がトップの意のままに動くようなことはなく,事務や看護など医局以外の人事は本部が決めてしまい,院長はタッチできない。その点では国立の院長は民間の雇われ院長と変わらない。そして,何百人という人を抱えた大きな組織の責任を取らされるトップであるのと,数人だけの組織で形式的なトップであるのとでは,ストレスの程度は大きく違う。雇われ院長であるから臨床に集中できるという面がある。

国立と民間のさらに大きな違い,あるいは最寄り駅は数キロ離れた無人駅という病院と新幹線の改札まで300mの診療所の違いは,“数”である。これだけアクセスが違えば一日に来院する患者数も違う。菊池病院では一日の再来患者数は多くて十数人だった。再来は1人に30分かけていた。なごやメンタルクリニックでは,再来は一日に50~70人,新患は月に50人程度である。2008年に異動した当初から強迫性障害と診断される患者数は多かったが,その割合は徐々に増え,2014年では新患の6割が強迫性障害,毎月10人強の患者が3日間集団集中治療を受けている。

集団集中治療自体は菊池病院で始めたものである。飛行機で来院する患者が現れ,週に1回,10回来院させることは非現実的になったためにに始めたのが最初の動機である。近くに宿泊してもらい,毎日外来に来させる方が合理的だし,結果的に治療成績も上がった。一方,医療経済の観点からすれば不合理な治療だった。数日間連続で来院させると,通院精神療法も取れなくなる。場所を名古屋駅前のクリニックに移すことで,経済的に合理的で,そして多くの患者さんに提供できるようになった。メディアに取り上げられることも増えた。2014年9月の時点で,新患の予約待ちは1~2ヶ月である。心理士の個人カウンセリングの予約も1ヶ月半の待ちがある。専門領域と治療に特色があるクリニックとして,十分以上に集患できているということになる。

患者が集まる根本的な理由は強迫性障害と行動療法という最強のコンビを提供できることにある。強迫性障害に対する行動療法プログラムが駅前ビル診にとってお勧めである点を説明することにしよう。

II.             強迫性障害+行動療法がもつアドバンテージ

行動療法はさまざまな疾患・問題に対する効果がランダム化比較試験で証明されている。いわゆる神経症,軽症うつ病や不安障害に対して教科書的にはファーストラインの治療法になっている。パニック障害に対する認知行動療法はどこでも一応はやっていることになるだろう。パニック障害の患者に対して,最初に精神分析や描画療法のような表現療法を勧めようという精神科医はまずいない。一方,他の治療法と比較したときの行動療法の優越性がどんな疾患でも同じかと言えばそうではない。うつ病やパニック障害の場合,プラセボ反応が高いことが知られている。行動療法について特別な経験を持たない精神科医からみれば,うつやパニック障害の場合なら,対処療法的な薬物療法と支持的精神療法で治ってしまう患者を普通に経験しているはずだ。Hofmannらのメタアナリシス(Hofmann & Smits, 2008)によれば,行動療法が他の治療法に対してもつアドバンテージは,強迫性障害に対して使う場合により目立つ。

パニック障害の患者は抗不安薬だけで満足してしまうことが多い。多くの患者は安全な場所,例えば自宅にとどまっている限りは不安を感じない。怖いところに外出することを避けることは可能だし,どうしても必要なときだけ抗不安薬の頓服に頼れば良い。社交不安障害の患者も同様である。不安な状況を避けてさえいれば苦痛はない。社交不安障害の患者は自分の病名を周囲にカミングアウトすることを一般に嫌がる。社会的場面にエクスポージャーすることはカミングアウトすることを伴うから,そのようなことをせずにすむ薬物療法にまず頼ろうとする。

強迫性障害の患者はプラセボ反応が低い。恐怖を感じずにいられる安全な場所はあるかもしれないが,そこでも強迫行為を止めることは難しく,自宅に引きこもっていると強迫行為がエスカレートする。そして,抗不安薬では強迫観念や強迫行為を止められない。SSRI (Selective Serotonin Reuptake Inhibitors,選択的セロトニン再取り込み阻害薬)を使えば強迫観念は和らぐが,症状の軽減は半分程度(Koran & Disorder, 2007)である。自然には治らない,家に籠もっていたら悪化する,その場しのぎの抗不安薬は症状を変えない,SSRIでは不全寛解がやっととなると,行動療法の対抗馬のパフォーマンスが悪いことになる。

一方,行動療法の十分な経験がない精神科医の場合,治そうとすればするほど逆に強迫が悪化してしまうことがあることを経験しているはずだ。エクスポージャーは不安障害に対するファーストラインの治療として知られているが,強迫の患者にエクスポージャーを強制的に行って失敗すると,その後の治療はより難しくなる。強迫観念に対して通常の認知修正技法を試みると,さらに別の認知を修正しなければならない。おそらく,これらの理由のせいで,一般の精神科医は強迫性障害を扱いたがらない。肥前療養所時代に山上敏子先生から行動療法を一緒に学んだ仲間は何十人といる。その多くは今は,私と同じような診療所の院長になっている。強迫性障害と行動療法を私と同じように知っているはずの仲間の中でも強迫性障害の紹介を積極的に受けているところは2,3箇所しかいない。受けているところでも,強迫性障害の患者の診察は,他の診断の患者よりも時間がかかるからという理由で,数を制限しているようだ。

このように考えれば,強迫性障害と行動療法を専門にするクリニックは他との差別化がしやすいことになるだろう。もっとも,最初から,私がそう考えて強迫性障害を手がけたわけではない。私自身,強迫性障害の治療を始めたころは,入院治療が基本であり,駅前ビル診療所で大勢の患者を診ることなるとは思いもよらなかった。

私にとって強迫性障害とは,1987年に最初の患者を肥前療養所で担当したときから,治療できる病気であった。「強迫性障害は行動療法で治せる」は,それから30年近くたっても変わらない。変わったのは,より多くの患者をより短期間で治せるようにする,すなわち治療効率が上がったことである。効率が上がった結果,手洗い・確認のような典型的な強迫性障害だけでなく,整理整頓や収集癖,身体醜形障害,チック障害のような強迫関連障害の患者も治せるようになってきた。そして,小児や妊娠中の患者,本人は受診せず家族相談だけの患者など,通常の治療アプローチには制限があるような患者も扱えるようになった。このような特殊な患者を扱ううちに,通常の患者の場合には,最初から薬物を使わずに治したり,中止したりができる例が増えてきた。現在では,前医で薬物療法を受けていた患者は薬を整理し継続するが,飲んでいない患者の場合は,最初に行動療法を試み,反応が悪ければ次にSSRIを使うようにしている。SSRIはセカンドラインの治療法になっている。第2世代の抗精神病薬 (SGA, Second Generation Antipsychotics)を使うのは本当に最後で,全体の5%以下である。このようなことが可能になった背景には,アクセプタンス&コミットメント・セラピー (Acceptance & Commitment Therapy, ACT) と動機づけ面接 (Motivational Interviewing, MI),地域強化アプローチと家族トレーニング (Community Reinforcement Approach and Family Training, CRAFT),習慣逆転法 (Habit Reversal Training, HRT) を使えるようになったことがあるが,これだけではない。OCDの会という患者・家族を中心にしたサポートグループを2004年に設立し,各地に広げてきたことも大きい。一つ一つ細かな工夫を積み重ねてきたことが,年間300人弱の強迫性障害の患者を引き受けられるようになったことにつながっている。

クリニックでの仕事は最前線の仕事である。「何ができる」よりも「何をしたか」の方が大切である。国立病院臨床研究部の部長ならば,能書きを書くだけで仕事になるが,クリニックは実際に何人の患者が来たか,どんな治療を受けたか,どんな結果を残したかが仕事である。「どんな強迫性障害でも治療できる」と謳いつつ,実際に治した患者数は数年間で二桁という医者と,「強迫性障害のごく特定の患者しか治療できない」とへりくだりながら,実際に治した患者数が三桁という医者を比べた時,どちらが治療者として優れているかは,後者だろう。

実際の治療パフォーマンスを見てみよう。

III.           原井自身の強迫性障害の治療パフォーマンス

1986年に佐賀県の国立肥前療養所に就職し,強迫性障害の患者を山上敏子先生の指導の元で診るようになった。このころ,行動療法で治療することイコール入院だった。行動療法の原則は,エクスポージャーと儀式妨害 (Exposure and Ritual Prevention, ERP)である。洗浄強迫や確認行為を1日以上,完全に妨害しなければならない。そのためには入院させ,看護師も協力して,24時間体制で監視することが必要だと考えていた。このころに私が診ていた強迫性障害の患者の大半は山上先生に紹介されてきた患者である。10年もすると,治療方針で山上先生と意見が一致しないことも次第に増えてきた。私は肥前でアルコールの臨床も経験した。その中で集団療法や患者の体験談の効果,「底つき」や「イネーブラー」のような概念を知るようになった。山上先生はアルコール依存症の治療で私が身につけたやり方には問題があると思っているようだった。1998年,熊本県にある国立菊池病院に移ることにした。

菊池病院で強迫性障害を自由に治療できるようになったとき,最初に考えたことは,行動療法に集団療法を加えることだった。肥前療養所ではアルコール病棟を担当しており,院内の集団ミーティングとAAなどのサポート(自助)グループへの参加が治療だった。強迫性障害に対してもサポートグループが役立つだろうと私は考えたのだった。患者はぼちぼちと集まってきた。最初は,菊池病院の中から,その後,周辺のメンタルクリニックなどから,そして,2000年に私のホームページに設置した強迫性障害の治療マニュアルを見て,飛行機に乗って東京などからも患者がやってくるようになった。2000年ごろは,検索エンジンで「強迫性障害」を検索すると,私のページが検索結果のトップ10に入っていたのである。院内で行っていた集団療法が発展し,行動療法によって回復した患者の中にはサポートグループの設立に協力してくれる人もでてきた。2004年3月,患者とその家族のためのサポートグループである,OCDの会の設立総会が行われた。

菊池病院時代から私が担当した患者数や治療内容,サポートグループについての変遷を表にまとめた。

表 強迫性障害の患者数

場所 時期 新患数(人) 集中治療患者数 個人カウンセリング数 集団集中プログラム サポートグループなどの動き
菊池病院 2000~

2004年

20(1年あたり

平均)

入院・外来 不定期に集団 2004年3月OCDの会発足

10月 第1回市民フォーラム開催

2005 24 入院・外来 定期的に集団 12月 「とらわれからの自由No1」を刊行

2月テレビ報道 OCDの会のメンバー出演

2006 37 13 入院を中止,外来のみ、不定期に集団集中プログラム(4日間)
2007 42 20 外来のみ,毎月定期的に集団集中プログラム(4日間 3,4人)
なごや

メンタル

2008 101 16 341(90分57) 毎月の集団集中プログラム(3日間)

集中参加前に教育プログラムと個人カウンセリング必須

OCDの会 名古屋例会開始

 

2009 131 69 322(90分12) 集団集中1回の参加人数3~8人 1月 東京OCDの会設立
2010 161 69 120
2011 159 62 118
2012 262 66 100 集団集中1回の参加人数を6~12人に拡大 2月 静岡OCDの会,例会開始

5月 図解やさしくわかる強迫性障害 刊行

10月 NHKの“あさイチ”に東京OCDの会のメンバーが出演

2013 287 93 144 12月 長野OCDの会設立
2014(8月まで) 216 81 103 8月 北海道OCDの会設立

新患は病院やクリニックにとっての新患だけでなく,同じ施設内での私への担当変更も含んでいる。2006年から始まっている集団集中プログラムとは,数人の患者で集団をつくり,朝から夕方までERPを行うものである。2,3人の治療者が朝から夜まで付き添い,食事や入浴,買い物,自転車の運転などを駅コンコースや商店街などで行うようにする。実際の生活の場を使いながら,公衆トイレやコンセント,鍵,忘れ物などに対してエクスポージャーを行うことができる。期間中は強迫行為が禁じられる。トイレの後の手洗いはできない。お握りは素手で食べなければいけない。短期集中で行うことによって治療が早く進み,集団で行うことによって同時に種々の強迫症状に対して介入しながら,仲間意識を利用してERPへの動機づけができる。終了後もネット上の掲示板を通じて行動療法を継続するモチベーションが保たれるようにしている。

個人カウンセリングとは30分または90分の時間をとって行動療法などを行うことである。セカンドオピニオンや家族相談も含まれている。30分の場合は,簡単なセッション内エクスポージャーやHRT,コミュニケーション・トレーニング,ACTについての心理教育を行う。90分の場合は,強迫性障害の患者で行動療法を希望する場合の初診やセッション内エクスポージャーを行う。2008~9年は週の1日をカウンセリングのみの日に割り当てており,その日は90分カウンセリングの患者5人で終わりという日があった。しかし,全体の患者数が増えるにつれてカウンセリングのみの日を設けることが難しくなった。90分カウンセリングに対する需要はあっても,時間枠を開けておくことができなくなったのである。一緒に働いている心理士も強迫性障害に対する行動療法に習熟してきたので,初診時の詳しいオリエンテーションやセッション内エクスポージャーを私は行わず,心理士の個人カウンセリングの中で行うようにした。強迫性障害の患者で行動療法を希望する場合でも他の診断や薬物療法のみの患者と同じく,初診を30分で行うようにした。こうした結果,2010年からは90分カウンセリングはゼロになっている。

2013年からは心理士のカウンセリングの予約枠の余裕がなくなった。予約待ちが日によっては1ヶ月近くになってきた。このため,私が行う30分カウンセリングの枠を増やして対応するようにした。2014年からは,心理士のカウンセリングを2,3回受けてか3日間集団集中治療を受けてもらうようにしていたのを1回だけにした。場合によっては初診だけで個人カウンセリングなしで集団集中治療に参加させることもある。集団集中治療の参加者が増えるのに対応して,曜日を金土日から土日月に変更した。人数が増えすぎて,土曜日の他の医師の診療に差し支えるようになったからだ。

表の一番右の欄は,OCDの会についてである。最初は毎月の月例会だけだったが,次第に大きくなった。2004年10月,外部講師を招待し,一般向けの公開市民フォーラムを開催した。その後も,年に一回の市民フォーラムと行動療法研修会の開催している。2005年12月,「とらわれからの自由」と呼ぶ文集の第1号を刊行した。実際に行動療法を受けた患者やその家族の実体験を文集にし,これから治療を受ける患者・家族にとっての参考になるようにしている。毎年刊行し,2014年はNo.9を出した。

菊池病院の中で始まったOCDの会の月例会は,私が名古屋に移ってからも,熊本市内の公共施設で引き続き開催されている。2008年からは,名古屋で治療した患者が増えたことに伴い,名古屋でも月例会を開催するようになった。首都圏からの患者も多いことから,東京でも開催するようになった。さらに,静岡など他の地域でも,なごやメンタルクリニックで行動療法を受けた患者を中心にして,月例会が開かれるようになった。こうした会に参加し,回復した患者から話を聞いた患者や家族が行動療法に関心を持つようになっている。メディアも関心をもち,OCDの会のメンバーがテレビに出るようになった。2013年に刊行された強迫性障害のセルフヘルプ本「図解やさしくわかる強迫性障害」 (原井 & 岡嶋, 2012)でもOCDの会の紹介にページを割いている。患者たちの中には,治療が終わってから数年後の近況を会を通じて教えてくれる人たちがいる。手洗いに何時間も費やし,親を巻き込んでいた9歳の少女は,バイト探しに苦労する大学生になった。

クリニック経営者ならば,この患者数の増加だけでも良いニュースに見えるだろう。患者の立場からすれば,こんなに増えても治せるのか?治っていない患者が増えているのでは?と思うだろう。強迫性障害を専門にしている他の治療者から見れば,こんなに患者をかかえたら時間が足りない,よほどいい加減なことをしているのでは?と思うだろう。私から見れば,治していかなければ,患者数を増やすことはできない。治療に入ってきた患者を,2,3ヶ月という早い段階で治って来なくても良いようにするか,薬などの維持療法だけで済むようにしなければ,あっという間に再来の患者だけでクリニックの診療枠が一杯になってしまい,新患が取れなくなる。実際の治療成績を見てみよう。

図 集団集中治療を受けた患者の治療成績

キャプチャ

横軸は年を示す。左の縦軸はY-BOCSによる重症度が治療前と治療後で何%下がったかを示す。Y-BOCSの治療前の平均値は全体で27.4,治療後の平均値は12.0である。右の縦軸は患者数と初診から集中治療の後のフォローアップの診察(ここで治療後のY-BOCS評価を行う)までの週数を示す。縦棒は治療を受けた患者の年間の合計,黒の折れ線はY-BOCSの改善度,緑の折れ線は治療に要する週数を示す。入院治療をしていた頃は数ヶ月以上かかっていたのが,外来治療にしてからは3,4ヶ月になり,なごやメンタルクリニックに移ってからは数週間以下になっている。

集中治療を受ける患者は増加し,2013年は93人だった。治療期間は短くなり,集団でまとめて治療することになっているが,そうなっても改善度は50%台を維持している。患者1人1人にかける手間は簡単になりながら,治療成績は維持できていることがわかる。2013年の数字からみれば,10年前,20年前の私の治療はどれだけ無駄なことに時間と手間を使っていたのか,と驚くほかはない。昔の患者に申し訳なく思う。

IV.              強迫性障害に関わった30年をまとめて:リーンな治療へ

The Toyota Way トヨタウェイという本がある(Liker, 2003)。車を持っている人ならば,日本人でなくてもトヨタの名を知らないものはなく,そして“カンバン”などトヨタ生産方式の概念を聞いたことがある人は多いだろう。トヨタ生産方式の中に,リーンという概念がある。希薄化する,すなわち無駄を省くことが品質向上につながるという考えである。同じ製品を生産するならば,手間をかけずに生産できるほうが品質向上につながる。1つの生産工程に要する時間や関わる人などが減れば減るほど最終的な製品の瑕疵が減ると考えるのである。それぞれの生産工程での節約は小さなものである。ドアハンドル1つの生産にかかる時間が半分になってもたいしたことはないかもしれない。しかし,それが積もり積もっていけば,多数の部品や工程からできあがる一台の車の信頼性は上り,コストは下がる。

医療者の中に時間をかければかけるほど,濃厚であればあるほど良い治療になると考えている人がいる。重症であればあるほど外来に時間をかけ,頻度も多く,入院は長期になり,薬も多剤大量になる。強迫性障害は一般には治りにくい精神疾患とされているから,そうした濃厚な治療の対象になりやすい。患者や家族も新薬や新しい精神療法が古いものより“効果が高い”と自然に期待することが多い。そのような期待に合わせれば濃厚さはさらに度合いを増していくことになる。治療を濃厚にすればするほど,新薬・新精神療法であればあるほど,良い結果が出るというエビデンスは私の知る限りない。ERP自体は30年以上の歴史がある古い治療である。一方,濃厚にすれば手間暇と時間がかかり,副作用も生じることは理屈からも経験からも確かだと思う。新薬・新精神療法は古いものと比べれば効果も副作用も未知なところが多く,治療者が未熟であることは言うまでもない。

菊池病院では新患1人に1時間半,再来1人に30分かけていた。なごやメンタルクリニックではそれぞれ30分,5分である。そうでなければ,月に50人の新患をさばくことはできない。集団集中治療も菊池では多くて4,5人だった。2008年に異動した当初から強迫は多かったが,その割合は徐々に増え,2014年では新患の6割が強迫性障害,毎月10人強の患者が3日間集団集中治療を受けている。今,こうして振り返ると,できるだけ一つ一つの治療のプロセスにかける手間や時間,来院回数,治療期間をリーンにしていることが分かる。

犠牲になったものはもちろんある。2008~9年は,強迫性障害の患者は今ほど多くなく,新患の予約待ちが1,2週間ぐらいだった。強迫性障害以外の患者で,行動療法を希望してくる患者を受け入れることができた。娘を自殺で失った母親で“複雑な悲哀”に苦しむ患者に対してプロロングド・エクスポージャーを行ったり,複雑な家族背景を抱え,境界性人格障害と診断され,多剤大量処方されていた主婦を自立した就労にまで持っていくこともした。また,本人が来院せず,家族相談だけの患者や,収集癖の患者の治療のための家庭訪問もした。いくらリーンな治療ができるようになったといっても,それは強迫性障害の患者で集団集中治療の中で治療できる場合だけである。その他の診断の患者や問題への対応をしなくなったことは残念である。

V.             制限があるということ

リーンな治療,効率化するようになった理由は,増える患者に対応するためだったり,患者数を増やせという経営者側の要求があったりするからだ。ただ単純に治すだけを目的にしていたならば,ここまで効率化する必要がない。制限があれば,その制限の中で,手持ちの能力だけで何とかしなければならない。そのための工夫をするようになり,そして結果を出すように続けてきた結果がこうなっている。そして,なぜ制限があるのかと考えると,私が経営者である院長ではなく,雇われ院長であるからだという理由に突き当たる。

雇われ院長が普通の“院長”とどう違うかについてある例をあげよう。採血が必要な患者が来たとする。私は患者に採血を告げる。患者は立ち上がり,外に出ようとする。私は患者を押しとどめ,再び椅子に座らせ,採血台を出して,私が駆血帯を巻く。患者は訝しげな顔をする。私は雇われ院長であり,ボスである理事長がOKしない限り,自分の手足になるような看護師は欲しくても雇えないのだ,と説明する。私が自分でやるしかない。国立病院での21年間,私は自分で採血することが無かった。最初は私自身が不安だったのだが,やればできるものである,この4,5年で私の採血技術もずいぶん上手になった。採血中に診察で聞きそびれたことや身体的なこと(リストカットの話題などは採血中に手を触りながらするほうがやりやすい)を聞くこともできるようになった。不潔恐怖のため手に触られることを嫌がる患者も,なぜか採血のためには手が触れることを許してくれたりする。通常の経営者院長のように,自分が楽をできるように人を雇い入れることはできない,そんな制限が工夫や技術を生み出していることになる。

もし,私が経営者院長であったならば,「自分が強迫性障害を治せる」ということだけに満足し,ここまで数を増やし,効率化させることはなかっただろう。再来の患者1人に30分かけ,無駄なこともしていた時代が懐かしい。

参考リンク

OCDの会 (熊本) http://ocdnokai.web.fc2.com/

名古屋OCDの会 http://758ocdf.web.fc2.com/

東京OCDの会 http://109ocdf.web.fc2.com/index.html

文献

Hofmann, S. G., & Smits, J. A. J. (2008). Cognitive-behavioral therapy for adult anxiety disorders: a meta-analysis of randomized placebo-controlled trials. The Journal of Clinical Psychiatry, 69(4), 621–32.

Koran, L. M., & Disorder, A. P. A. W. G. on O.-C. (2007). Practice guideline for the treatment of patients with obsessive-compulsive disorder. American Psychiatric Publ.

Liker, J. (2003). The Toyota Way: 14 Management Principles from the World’s Greatest Manufacturer (ザ・トヨタウェイ(上・下) 稲垣 公夫 (翻訳) 日経BP社 2004). New York: McGraw-Hill.

原井宏明, & 岡嶋美代. (2012). 図解やさしくわかる強迫性障害 (p. 160). 東京: ナツメ社.

2014, 強迫性障害の認知行動療法-個人療法,集団集中治療,サポートグループ. メンタルクリニックが切り拓く新しい臨床(原田誠一 編) 東京: 中山書店 2014. p. 99–108” への1件のコメント

  1. 長野市在住で息子は21。中三から発症し。高一の三月から投薬を始めたが効果が無く、高二の7月から高校に行けなくなりました。
    爾来6年近い闘病生活で東大のカウンセリングもこの1年4ヶ月で50回近く受けました。
    しかし思ったような改善は見られません。
    以前から考えていたのですが、今年は名古屋に通いたいと考えています。

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