方法としての動機づけ面接―思春期を指導・支援する人のために

第35回 日本思春期学会総会・学術集会 特別講演

場所 浅草ビューホテル
日時 8月 27日 (土), 13:40 ~ 14:30

動機づけ面接(Motivational Interviewing, 以下MI)とは患者自身の内発的動機づけを治療者が積極的に引き出し,関わることによって行動が変わるようにする独特のコミュニケーションである。ゴール志向的でありながら,クライエント中心の態度を一貫して保つ。患者の問題行動・発言に寄り添いながら,裏側に隠された感情や背景を探り,患者が自ら矛盾に気づき,解消に向かい,自分の力で行動変化を起こしていくように促す。

短期介入法の一つであり,認知行動療法などの他の心理療法や薬物療法などと一緒に使われることが多い。米国国立アルコール研究所による大規模ランダム化比較試験の中で,介入法の一つとして採用されたことがきっかけで広く知られるようになった。現在では,依存症や精神科の枠を越え,生活習慣病における行動変容や公衆衛生領域,終末期医療における決断支援にも有用性のエビデンスが示されるようになった。日本では2005年の国際認知行動療法学会でのワークショップ,2007年の松島・後藤による訳書によって徐々に知られるようになった。和文文献数が2000年代は29件だったものが,2010年からは178件になるなど急速に普及してきている。

演者は精神科医・行動療法家である。肥前療養所に就職してから,強迫性障害とアルコール依存症を主な対象として行動療法をするようになった。クライエント中心アプローチという概念は聞いたこともなく,私にとっての行動療法とは患者に嫌なことを無理矢理させることだった。不潔恐怖の患者に汚れを触らせ,依存症の患者に断酒を強いた。7歳の長男にはうつ病の問題があり,それが理由で小児・思春期の患者を扱う気になれなかった。無理強いは無理と実生活を通じてわかっていたからだ。そんな私が2004年にMIのトレーナー研修を日本人としては始めて受け,自分自身が大きく変わった。7歳だった不潔恐怖の女児を治せるようになり,その子に大学進学のお祝いを贈ることもできた。今では患者の2割は未成年である。MIのトレーナー経験を通じて糖尿病や関節リウマチの臨床にまで関わるようになった。

どのような精神療法でも言えることだが,MIにも技術的な側面と態度としての側面がある。

なぜMIがここまで広がるのか,行動療法らしい工学的な側面を紹介しながら,その奥にある態度についてもお話ししたい。

マインドフルにみたアクセプタンス&コミットメント・セラピー~徹底的行動主義

季刊精神療法 42巻4号 特集号「マインドフルネスを考える、実践する」

2016年7月末刊行予定

この小論の狙い

私は行動主義者だ。しかも、方法論的行動主義ではなく徹底的行動主義を取る、スキナリアンである。心や魂の実在を信じない。私は進化論者である。私にとっては哺乳類と昆虫の間に上下の差はないし、チンパンジーの方がヒトよりも記憶力が良くても驚かない(1)。高度な論理的思考や高邁な利他的行動も自然選択によって形成されたとするダーウィニズムの立場をとる。

こんな風に言えば2種類の反応があるだろう。

#1 スキナー・ダーウィンは極端だ。飴と鞭で人をコントロールするなんて受け入れられない、人はサルではない。こんな考えをする人には近づきたくもない。

#2 スキナー・ダーウィンは常識だ。良く知っているから、講釈不要。

それぞれの人にはもっともな理由がある。宗教や哲学かもしれない。徹底的行動主義とダーウィニズムも哲学の一種である。仏典やソクラテスに詳しいのであれば話題作りもになるだろうが、この二つに詳しくても変人に思われるだけで、常識人は近づかないだろう。

この小論の狙いは、この二つの反応をする常識人の方々に、変人である著者がなんとかして、徹底的行動主義に基づいて行動を予測し、制御するための学問である行動分析学について興味をもってもらうチャンスを作ることである。マインドフルネス?アクセプタンス?最後にそれらしいことに触れよう。

徹底的行動主義はあなたが思う行動主義とここが違う

行動主義自体は精神療法ではない。だから読者の大半は行動主義と聞いてもピンとこないだろう。あるいは学生の時の授業を思いだして、次のような図を思い浮かべてくれるかもしれない。頭の中はブラックボックスで、アクセス不能であり、研究の対象として扱うものは刺激と行動だけだという主張である。

図1 挿入

たしかに行動主義の父であるジョン・ワトソンは行動主義心理学の目的は行動の予測と制御であるとした。研究の対象は、刺激と反応だけであり、頭の中は研究の対象にならないとした。愛や知性、意志のようなものは霊魂と同じ迷信だとしたわけである。基盤とする学習理論も選んだ。パブロフ条件づけを中心にして、ソーンダイクの効果の法則は認めなかった。能動的な行動を研究対象にしなかったのである。

行動主義の上にさらに“徹底的”とつければ、常識人ならばどれだけ極端なことを言うのか?と思うだろう。

 

キャプチャ

図1 ワトソンが考えた行動主義

 

実は、バラス・スキナーの徹底的行動主義はワトソンの考えた行動主義とは大きく違う。『婦人と老婆』のだまし絵で知られるエドウィン・ボーリングとの1945年のシンポジウムでの論争では、ボーリングが「科学はプライベートなデータを考慮しない」と主張したのに対し、スキナーはこのように書いている。

このシンポジウムで私が主張したことはどこに行ったのかと考えさせられてしまう。これ以上は振り返りたくない。しかし、私にとっては、私の歯痛も私のタイプライターと同じぐらいの実在である。痛みは確かに公のものではないが、歯痛を表現する言語がどのようにして獲得され、維持されるのかを客観的かつ操作的な科学が対象にしない理由が私にはわからない。皮肉な話だが、ボーリングは自分自身を外からも見える行動だけに限定しようした。私はそのボーリングを内側から見たらどうなるのかに依然として興味がある。((2)  訳 著者)

 

さらに言えば発達障害にも詳しい読者ならば「心の理論」(Theory of Mind)(3)を聞いたことがあるだろう。提案したのはデイビッド・プレマックである。2015年6月に亡くなった彼はチンパンジーの言語習得など行動分析学に多大な貢献をしている。その一つが、彼の功績を称えて「プレマックの原理」と呼ばれる、強化相対性である。そんな徹底的行動主義者が「心の理論」を提唱した。徹底的行動主義は言葉でもアクセスできない幼児やチンパンジーの心=ブラックボックスの中にも行動主義を当てはめる。愛や知性、意志は行動主義の対象である。

徹底的行動主義が徹底すること

ワトソンの行動主義に不満を感じたのはスキナーだけではない。ブラックボックスをブラックボックスのまま刺激と行動から扱おうとする研究者もいた。ここでは、そうした人たちを方法論的行動主義者と呼ぶことにしよう。名前がブラックボックスのままでは都合が悪いし、愛や知性、意志といった日常語で呼んだのでは通俗的に過ぎるので、反応ポテンシャルやスキーマ、自己効力感などと呼び替えることにした。

こうした方法論的行動主義者が創出した概念は直接観察することができない。だから理論的構成概念と呼ばれる。精神療法の文脈では病理モデルや認知モデルと呼ぶことが多いだろう。認知療法の創始者であるアーロン・ベックを初め、何かの精神療法や臨床心理学の学派の創始者とは、新しい理論的構成概念の創案者と言ってもよい。新しい概念が矢継ぎ早に出てくる。翻訳はとても間に合わない。レジリエンスなら聞いたことがあるかもしれない。ルーミング脆弱性(Looming vulnerability)(4)は?脅威に対する認知モデルで不安障害の原因を見つけたとしている。

徹底的行動主義者が他と大きく違うのはここである。徹底的行動主義者は理論的構成概念を徹底的に排除する。理論構成のために使う概念はラットやチンパンジー、重度の自閉症者、不安障害の患者、健康人のどれであっても共通して使える。徹底的行動主義からみれば、痛みや不安はこの5者の誰にでも共通して生じることである。言語報告は他の様々な行動の一つでしかない。全く言語能力がない(従って、認知モデルが存在しない)生体が対象であっても、日常生活中の行動や薬物投与後の様子を観察することで痛みや不安の予測と制御が可能だ。痛みや脅威を意識したから、生体は「ギャ」とか「恐い」とか言うのだろうか?

徹底的行動主義に基づく行動分析学の臨床場面を考えてみよう。痛み・不安という本人にしかわからない経験があり、それに伴って患者が意味のある言葉を発したことは治療者にとっても大切な事実である。しかし、行動分析学では意識を行動の原因にすることを拒む。「痛い」「不安」という意識があるから、周りに訴えている、というのが常識人・方法論的行動主義者の考え方だが、そんな常識を否定する。何を徹底しているのかをリストにしてみよう。

研究方法としての徹底

  • 理論的構成概念を排除し、観察できる行動に還元できる記述概念だけを説明に使う。
  • 新しい概念をできるかぎり使わない。科学としての伝統である思考節約の原理(オッカムの剃刀)を徹底させる
  • ワトソンと同じく、「意識や心を原因にしない」という方針を徹底する。心身一元論に立つ
  • 誰もが常識と思っているようなことを疑ってかかり、操作的に定義できるまでは方法として使わない。科学者自らの科学的行動をも研究対象にできるところまで方法を徹底させる。

研究対象の徹底

  • 原因探しをやめ、行動の予測と制御に目的を絞る。なぜ私は生まれてきたのか?天災があっても生かされている理由は何か?のような目的論には答えないが、目的論にこだわってしまう行動の予測と制御は扱う。
  • 外から観察可能な公的事象だけではなく、本人にしか接近できない私的事象も分析の対象とする。言い換えれば動物の行動であれば何でも対象にする。目に見えないようなプラナリアにもオペラント条件づけができるし(5)、海馬のニューロンにもできる(6)。

 

表1 方法論的行動主義と徹底的行動主義

方法論的行動主義・常識的な心理学 徹底的行動主義
認識論 事象を認識するとき形や意味などの特徴的パターンで把握する。目立つ行動に気を取られる。心と体、刺激と行動を分けて考える。

量や頻度,持続時間を把握することが苦手。

悪い原因が病理になるように、悪を悪と結びつけがち

人の思いこみにとらわれず,実験と実証を重んじる。心を体からわけず、刺激を行動から分けることもしない。生きている動物がすることは全て行動であり、行動が刺激にもなる。

価値判断は相対的。行動自体には良い悪いはない。量や頻度,持続時間、スケジュールの認識にこだわり、そのための道具も開発する。

因果論 モデルをつくり、病理の原因を突き止めようとする。原因発見が解決につながるとする。

原因が結果を産む。

循環論になりがちな、因果論を避ける。遺伝子異常が特定されている疾患であっても、そこから考えるのではなく、あくまで環境と行動の連鎖の中から考える。

結果が原因にもなり得る。

解決論 原因、症状、解決の一セットがモデルとして整合性がとれていることを目指す 環境や状況のような文脈によって解決は異なり、同じ文脈でも解決は一つだけではない。複数の全く異なったやり方が同じ機能をもつのが普通
治療評価 ランダム化比較試験のようなグループ比較実験 単一事例実験計画 少数例の中で繰り返し測定による実験を行う

 

ブラックボックスを行動分析学でも別の名前で呼んでいる。私的出来事である。愛や知性、意志はもちろん、嫉妬や欺瞞、悪意もみんなひっくるめて私的出来事である。愛と嫉妬がどう違うか?を100人の方法論的行動主義者に尋ねたら、100の答えが帰ってきそうだ。徹底的行動主義者は最初からこの2つを分けない。愛か嫉妬かは頭の中だけで区別できるものではない。外の社会とのやり取り(文脈)で決まることである。

あなたが思う好子(強化子)と行動分析学の好子はここが違う

行動分析学では好子は行動とセットである。まず、“行動”の意味が常識よりもはるかに広く拡張されている。歯痛はもちろん、愛や知性、意志も行動である。行動一元論と言って良いだろう。そして、原因探しをやめることは常識的因果論を逆転させることになった。行動が結果を変えるのではなく、結果が行動を変えるというように時間の流れを逆さにした考え方をするようになった。

この結果、誤解が生じているのが、何を好子(強化子)とするかの問題である。行動分析学の初学者は最初から好子になるものが決まっていて、それが行動の後に提示されるから正の強化が生じると“常識的に”考える。行動分析学では逆転させる。

このような逆転の発想、結果が原因になるというのはダーウィンの自然選択と同じである。自然選択によって生き残るものは、決して優秀だからとか丈夫だからとかという理由で生き残ったのではない。何か予めデザインがあって進化するのではない。環境に適応するためには様々な多様な形質が可能だが、その中のどれかが運も含めてたまたま選択されて、子孫を残し、他は淘汰されて消えてしまう。その結果、ある性質が進化していく。行動も同じである。予めどういう行動が良いと決まっているのではなく、同じ機能を果たす多種多様な行動レパートリーの中から一つの行動がたまたま選択されて、強化されていく。何が強化されるのか、何が強化子になるのかは結果を見てみるまではわからない。

 

表2 好子(強化子)とは

常識 行動分析学
何が好子か お金や食物、褒め言葉のような一般的な嗜好物

刺激としての実体があるもの、取り出せるもの

何でも強化子になり得る。SM愛好家なら痛みも好子。美味しいケーキも100個を食べさせられたら嫌子に変わる。何かが好子になるためにはそのための操作(確立操作)が必要。

操作だけで決めているので刺激としての実体がないもの、スケジュールの変動も強化子になる

正の強化はいつ分かるか? 好子を提示するという計画の段階で正の強化になる

好子があれば、正の強化が生じる

刺激を提示する計画段階では何が正の強化は分からない

繰り返し行動を観察し、正の強化が生じていれば、それが好子

 

好子と聞くと“子”なのだから、一個一個数えられるものだと思うかもしれない。行動分析学で見ているものは結果であり、それは環境の変化である。その中には数えようがないものもある。ハーバード大学でスキナーのあとを継ぎ、行動経済学の始まりともいえるマッチング法則を見出したリチャード・ヘアンスタインの研究を紹介しよう(7)。

ラットをスキナーボックスに入れる。床にはランダムなタイミングで短い時間、電気が通電されて、ラットはビリビリ感を感じる。ラットがボックスの中のレバーを押すと、通電と通電の間の平均間隔が若干長くなる。頻度がちょっと減るだけだ。ランダムなのはそのままであるから、レバーを押した瞬間に通電が来ることもある。普通なら罰になるはずだ。しかし、結果では、レバーおしが増えた。このように嫌なものがランダムに提示される場合でも、平均の間隔が伸びたということはラットにもわかり、通電レバーを押す頻度が増える。

電気をヒトへの給料に置き換えてみよう。年間の給与が360万円の人がいるとしよう。年に1回4月にまとめてもらうのと、平均月1回で1回30万円、平均週1回で7万円、平均毎日1万円、とランダムにもらうのとでは、どれがよく働くようになるだろうか?1人1人文脈が違うだろうが、合計金額がまったく同じでも給与が出るスケジュールを変えることで働くことへの強化が変わることは想像がつくだろう。

個体にとっては、スケジュールの変化も強化子になる。強化子は数えられるような“子”とは限らない。だから、何がクライエントの行動を強化しているのかを分析するためには、数えられるような“子”だけに注意を向けていてはだめだ。治療者による是認は一般的な強化子である。どんな台詞を言うべきかだけにとらわれて、言うタイミングと結果としてのクライエントの行動変化には注意を向けていないようであれば、行動分析家としては失敗している。

刺激性制御と随伴性制御

たとえばあなたがこの原稿を読んでいる、今この場で携帯電話から、緊急地震速報が鳴りだしたらどうなるだろうか?今いる場所が揺れ出したら?

最初の反応は吃驚だろう。この驚愕反応は無条件反応(Unconditioned Response, UCR)と呼ばれる。そしてUCRを起こす刺激が無条件刺激(Unconditioned Stimulus, UCS)である。UCRは他にも瞬目反射などいろいろあり、生存のために最初から備わっている生得的な反射でもある。UCRという名前を覚えただけではわからない、トレーニングを受けなければ気づかないものが多い。UCRはそれぐらい日常的に生じているのである。その代表的なものが定位反応(Orienting Response, OR)である。新奇な刺激、変化があると私たちはそこに注意を向ける。見たり、聞いたりする。ただし、ORはすぐに消去される。同じものを2,3度見聞きしたら、もう注意を引かれることはない。定位反応をできるだけ多くの人に起こすようにデザインされたものの代表がテレビのコマーシャルである。選挙の時の候補者もそうだろう。

ここでパブロフの犬を思いだしてくれた人は素晴らしい。パブロフの場合は犬に餌をやる直前に鈴の音を聞かせること(条件刺激、Conditioned Stimulus, CS)で、鈴だけでも唾液が分泌されること(条件反応、Conditioned Response, CR)を発見した。UCSと連合して提示された刺激、すなわちUCSの到来を予測するような刺激は、繰り返し提示されることで、UCSと同様な機能を持つようになる。

 

表3 刺激性制御と随伴性制御

種類 先行刺激によるコントロール 結果刺激によるコントロール
概念・行動 刺激性制御

レスポンデント行動

随伴性制御

オペラント行動

刺激の例 どんな刺激であっても強烈なもの

新規なもの、珍しいもの

食物を食べる、注目を受ける、褒められる、○をつける、気持ち良くなる
行動の例 唾液腺の反応、驚愕反応、声

情動反応、善悪・価値判断

サイン・トラッキング(目標を目で追う)

キーボードを押す、本を買う

読み書き、考える、調べる

移動する、自分を目立たせる、確認する、人に頼む、依頼に応じる

 

生体がするほとんどの行動が刺激性制御と随伴性制御の両方を受けている。随伴性制御だけのピュアなオペラント行動はない。一方、少数だが、ピュアなレスポンデント行動はある。新生児を想像して欲しい。大半の行動は吸啜反射のような原始的な反射で説明できるだろう。一方、オペラント行動はどうだろうか?キーボードを押すという日常的な行動一つをとっても、そこには刺激性制御も一緒に加わっている。キーボードの刻印はもちろん、キーの感触やクリック音など複数の先行刺激、画面上に出現する文字という結果によってコントロールされている。行動を分析するとは目的に応じて柔軟に分析のフォーカスを変えられるということでもある。

スキナーの功績は研究方法の開発でもある。その代表がスキナーボックスだ。ボックスの中にはレバーが一つしか無い。ラットに可能な行動はレバーを下に押すことだけで、環境の変化は先行刺激である光か音、そして結果刺激としての餌が皿に出てきて食べることだけだ。スキナーは刺激と結果を単純化することで行動の原理を見出した。しかし、実際の生活環境では、刑務所の独房でもないかぎり、操作できるレバーが一つしかないとか、環境変化が光か音、餌だけということはありえない。複数の先行刺激・結果が常に生じていて、生体はそうした刺激のコラージュのどれかを選択して反応し、行動している。ラットでもヒトでも、囚人でも自由人でも、手は2つしかない。一時にできる行動は一つである。2つしかない手・一つだけの行動を複数の刺激が競って取り合っているといえる。行動の強化随伴性とは刺激淘汰のことである。

実のところ、スキナーボックスに入れられたラットの場合でも、刺激は一種類だけではなく、行動も一種類だけではない。実際の実験場面を見ると、ラットはレバーの上に乗りかかったり、レバーの隙間に頭をつっこんでみたり(ラットは狭いところに鼻先を突っ込むのが好きだ)、体を擦り付けてみたり、いろんなことをしている。実験者としてはレバーを手で下方向に押して欲しいのだが、ラットにだって自由がある。たまたま体ごと乗りかかり、そのせいで機械が動作して、餌が出てくることがある。この結果が出ると、当然、体ごと乗りかかるというラットにとっては面倒くさい行動が増えることになる。スキナーボックスである。ヒトが手を出してラットに教えてあげるのはルール違反である。わざわざ面倒くさいことをして餌を得ているラットも、試行錯誤を続けているうちにレバーを押すことに気づく。そうなると最終的にレバーを手で押すだけの行動だけが自然選択される。でも、実験者としては気に入らないデータだ。なぜ所定の行動頻度に到達するまでの試行数が長いラットがいるのか、説明が面倒くさくなる。ラットの体重でレバーが壊れたら、実験費用も余計にかかってしまう。

論文にはラットがどんな面倒くさい行動をしていたかは書いていない。私たちが論文で読むときには、こういう面倒くさいディテールが外された結果だけを読んでいる。もし、あなたに余裕があるなら、Skinner Boxを検索し、動画を見てみることをおすすめする。

刺激とはあなたが想像している以上のものである

刺激と聞くと、実験の心得があるなら光や音、電気ショックを思い浮かべてしまうだろう。実は、今、あなたが読んでいるこの文章そのものが刺激である。そして、あなたが触れている刺激はもちろん目の前の黒の線や点だけではない。あなたには五感があるはずだから、聴覚や嗅覚、触覚、味覚もどこかで何かを感じているはずだ。耳には何が?皮膚は何を感じているだろう?口の中には?

もし、あなたが何も感じていないというならば、それは大間違いである。私たちが何も感じないというのは単純に気にしていないということである。もし、仮に完全な無音空間、匂いも風の動きもない空間に置かれると人はどうなるだろうか?アイソレーション・タンクを用いた感覚遮断実験は幻覚をもたらすことが知られている。映画「アルタード・ステーツ/未知への挑戦」が示す通りである。私たちはちょうど気にならない程度、適当な刺激の中に自分を晒すようにしていて、それ故に「何も感じていない」と報告する。

あなたがクライエントと面接室で向き合っている場面を考えてみよう。あなたの行動を支配している刺激には何があるだろうか?

話している言葉の内容だけに注目していたならば、あなたはマインドレスな状態に陥っていると言って良いだろう。面接をしながら、次のようなことを自分に問うてみて欲しい。

  • 反応するときに、声調や話す速度にはどのような変化があるか?
  • 話しているとき、何かをしてくれと訴えたり、要求したりしているのか?状況を述べ、伝えているだけか?
  • 同じような内容や声、話し方を繰り返しているか?反芻があるか?
  • 同じようなテーマを繰り返しているか?
  • 話をしているときの姿勢や表情、視線はどうか?

これらは面接の場面で起こりえる行動の一部である。認識できているだろうか?私たちは刺激であれば目立つものだけに目を奪われ、他の刺激の存在を無視してしまい、好子であればその“子”にこだわり、個数や大きさに注目してしまう。生起する頻度や間隔、随伴性の方を認識することは容易ではない。分かるようになるためにはトレーニングが必要である。これから使えるトレーニングの例を上げてみよう。

治療場面での刺激のコラージュを認識できるようになるためのトレーニング

これは譬えて言えば、コンサートホールで音楽を聴くようなものである。ジャズでもロックバンドでも何でも良い。オペラ音楽の場合なら、コントラバスに聞き入ってみよう。その間は歌詞やメロディーラインは聞き流すだろう。打楽器の音に感じるところはあるだろうか?一定のパターンを繰り返していることに気づいただろうか?

音楽のパターンに気づくようになったら、次に行動・文脈の間でおこる相互作用の文脈の側にも注意を向けてみよう。ホールの音響はどうだろうか?聴衆はどうしているだろうか?咳払いはどうだ?空調は?

何かをよく観察しようとするならば、その場の刺激のコラージュのなかのどれかを選んでそれに注意を向けることになる。訓練を何度も繰り返せば、意識をしなくても同時にいろんな音を聞くことができるようになってくる。これができるようになれば、カウンセリングの中でもそこで現れてくる言葉(歌詞)だけでなく、話の背景や部屋の雰囲気にも注意を向けることができるようになるだろう。

カウンセリングの場面では文脈を2種類に分けて聴くことができる。

  1. クライエントが話すテーマは何についてだろうか?自分自身の内側のことだろうか?それは過去に起こったことの記憶だろうか?未来についての懸念だろうか?それとも対人関係のことだろうか?対人関係であれば一対一で生じる親密あるいは敵対的な関係のことだろうか?それとも一対多で生じる、たとえば同僚や仲間、親戚のことだろうか?相手に何かしてくれと言っているだろうか?相手に何かをしてやろうとしているのだろうか?それとも評価を気にしているだろうか?
  2. こうしたテーマが現れては消え、また出てくるとして、それはどのようなパターンで生じてくるだろうか?テーマが出てきたときにカウンセラーは何をしただろうか?そのテーマが出てくる前に、何かクライエントの様子に変化はあっただろうか?口が重くなったり、間が空いたりしただろうか?クライエントとカウンセラーの間の対人関係も繋がっているだろうか?

カウンセラーが面接のなかで耳を傾けて聴くべきものは歌詞(言葉)だけではない。同じ歌詞が何度も出てくるとしたら、それがどのような場合に出てくるのか、出てくる前後には何があるのか、

刺激制御されているのはクライエントだけではない。治療者自身がそうである。目立たない小さな刺激や普段の慣れた刺激の新しい組み合わせに私たちは制御されている。気づくことは生やさしいことではない。行動分析学のなかではクライエントに当てはまることは等しく治療者にも当てはまる。自分の皮膚の内側のできごとが治療者をつくっている。自分自身の反応が診察室の中では最も役立つセンサーである。

こんな場面で、あなたはどうだっただろうか?しばらくの間、目を閉じ、そんな場面を思い浮かべてみてほしい。その時の状況はどうだっただろうか?外に向かってどんな行動をしただろうか?皮膚の内側ではどう反応しただろうか?頭は?胸は?もし、「そんなこと考えないで」などの適当な指示を出して、早く終わりにして次に行こうと考えたなら、それは嫌悪的な刺激性制御を受け、逃避行動が生じたことを示している。治療者が嫌悪的な制御を受けているならば、クライエントも嫌悪的な制御を受けている可能性が高い。

最後に

ここまで読んでどうだっただろうか?この変人著者はここまで一度も、本文の中でマインドフルネス・トレーニング、アクセプタンス&コミットメント・セラピーという言葉を使わなかった。いったい、著者は何を読者に求めようとしているのだろうか?

スキナーはいまでこそ、行動主義の代表選手のようになっているが、登場した時点では、ワトソンからの従来の行動主義とは異なった主張ゆえに、新行動主義者と呼ばれた。そして、新行動主義者は彼だけではない。他にTolman, E.C., Guthrie, E.Rl, Hull, C.L.がおり、それぞれがワトソンや他とは違うユニークは主張をした。彼らの理論が今、振りかえられることはないが、発見した事実や考案した実験は今も生きている。この上に築き上げられた知見は数え切れない。刺激等価性やルール支配行動、それをまとめた関係フレーム理論はそれらのうちの一つであり、これらがアクセプタンス&コミットメント・セラピーの基盤になっている(8)。誰かが単独で思いつきで作り上げたセラピーではない。

同じようにダーウィンは進化論の代名詞のようになっているが、自然選択説はアルフレッド・ラッセル・ウォレスとの共同発見である。生物種が固定されたものではなく、変化するものであることは他の大勢の研究者が気づいたことなのだ。しかし、スキナーのように随伴性に対する考察、すなわち結果によって行動が選択されることを提案した人、、ダーウィンのように自然選択によって種や分化が生じることを提案した人、そしてその提案がその後の科学を変えたものは二人を置いて他にいない。

行動主義も進化論もリサーチ・プログラムでもある。2つとも一つに固定しているものではない。そしてその方法論はその理論の発展自体にも応用できる。理論があるのではなく、理論を生み出すリサーチ・プログラムがあると言った方が正しいだろう。それは次の4つにまとめることができるだろう。

  1. 無数の試行錯誤を行なうこと
  2. 1人の天才の仕事ではなく、集団で解決策の順列を探索していくこと
  3. 似たような問題には、必ず複数の解決策があること
  4. すでにある古いものを転用して、新しい解決策にすること

ACTは行動主義である。そして、病理的と思われるような行動も含めて生物の形質や行動はほぼすべて適応的であると仮定して理論を構築する立場である。これは進化論の議論で言えば、適応主義である。適応主義は現代生き残った進化論である、総合説・ネオダーウィニズムが依っている立場である(9)。

PS 個人的な告白

改めて自分の書いたものを振り返ると、駅前ビル診療所の精神科医が徹底行動主義の解説を季刊「精神療法」でするというのには違和感を覚える。“徹底行動主義メンタルクリニック”という看板を掲げるのは、どう考えても適応的ではないし、この雑誌の読者に対するサービスになるのか、何かの機能を果たせるのかも心もとない。医中誌などを調べる限り、この雑誌に徹底行動主義、スキナーというキーワードがでてきたことがない。ダーウィンなんて想像もつかない。

なぜ私が徹底行動主義を取り上げることになったのか、この執筆行動の文脈も書いておきたい。オーディエンスのためではなく自分のための覚え書きのようだが。私は行動主義については異常行動研究会(PBD、現在は日本行動科学学会)のウィンターカンファレンスで学んだ。スキーをしながら、シャトルボックスで実験している心理学者から基礎理論を教えてもらったのである。

一度、機会を頂き、学習理論の臨床における応用である強迫性障害に対する行動療法の話をしたら、2010年12月に兵庫医科大学心理学教室の磯先生からこんなお手紙を頂いた。

先日はワークショップでお世話になりました。その折にいただいた強迫神経症についての論文を読み、臨床家は遅れているな、と思いました。我々の理解では、回避行動は1980年頃からは認知理論で説明されて当たり前だと思っています。Solomonたちの1950年代の研究でもその片鱗が見え、さらにSeligmanたちの1973年の論文でははっきりと認知で説明しています。つまり、不安という概念を使わないで説明できるのです(Mowrerは過去の人になってます)

実際に回避の実験をやってますと、動物は最初だけ驚きますが、学習すると非常に適応的に行動します。同封の私の論文を読んでいただけますとそのあたりのことが書いてあります。つまり、動物実験をやっている人たちは認知だと先に受け入れていたにもかかわらず、臨床家はそう言い切ることに何十年も躊躇してきたことになります。やっぱり実験を経験して実際の動物を見てわかっていただかないと臨床家になれませんね。そういう意味でも今回のワークショップを企画していただいたことに感謝します。これからもよろしくお願いします。

論文を同封します。ご一読下さい。磯博行

2015年に磯先生が亡くなって1年がたつ。今も感謝し、論文を大切にしている。学習理論は常に進歩している。臨床にいる精神科医、臨床心理士が知っている心理学の理論は、その心理学者からみれば過去の遺物になっていると磯先生から思い知らされた。隔離されてしまうと心理学の進化から取り残されてしまう。行動主義心理学の進化は、一般人にはなかなかついていけない速さで展開しているが、科学的な心理学に基いて臨床をしたいと思う人にとっては眼が離せない。

参考文献

  1. 松沢哲郎. 直観像記憶と言語のトレードオフ仮説 連載ちびっこチンパンジー第74回. 岩波書店「科学」. 2008;78(2).
  2. Skinner BF. Cumulative Record: Definitive Edition. B.F. Skinner Foundation; 1972. 382 p.
  3. Premack D, Woodruff G. Does the chimpanzee have a theory of mind?
  4. Riskind JH. Looming vulnerability to threat: a cognitive paradigm for anxiety. Behav Res Ther. 1997 Aug;35(8):685–702.
  5. Lee RM. Conditioning of a Free Operant Response in Planaria. Science (80- ). American Association for the Advancement of Science; 1963 Mar 15;139(3559):1048–9.
  6. Ishikawa D, Matsumoto N, Sakaguchi T, Matsuki N, Ikegaya Y. Operant conditioning of synaptic and spiking activity patterns in single hippocampal neurons. J Neurosci. 2014 Apr 2;34(14):5044–53.
  7. Herrnstein RJ, Hineline PN. Negative reinforcement as shock-frequency reduction. J Exp Anal Behav. 1966 Jul;9(4):421–30.
  8. 武藤崇. アクセプタンス&コミットメント・セラピー(ACT) 行動分析学の「伝統と革新」の結実. 精神療法. 2014;40(1):60–3.
  9. 吉川浩満. 理不尽な進化. 東京: 朝日出版社; 2014.