方法としての動機づけ面接―思春期を指導・支援する人のために 草稿 思春期学 35, 1 2017

方法としての動機づけ面接―思春期を指導・支援する人のために

著者 原井宏明

所属 なごやメンタルクリニック

動機づけ面接とは

動機づけ面接(どうきづけめんせつ:Motivational Interviewing,以下MI)とは米国のWilliam R. Millerと英国のStephen Rollnickが主になって開発したカウンセリングアプローチである。クライエント中心でありながらカウンセラーが一定の方向性をもって誘導し、変化への動機づけをクライエントの中から引き出し,強めるようにする。最初はアルコール症に対する治療として始まったが,現在は行動変化を必要とするさまざまな領域において効果を示すエビデンスが蓄積されてきている。

MIは他のカウンセリングアプローチと異なり,ランダム化比較試験(RCT,Randomized Controlled Trial)の積み重ねから成り立っている。精神分析のように創始者の思いつきから始まったものではない。心理学理論の応用として始まったものでもない。従って、首尾一貫した動機づけ理論や病理モデルは持っていない。言い換えれば,人格や個人の成長・変化に関する体系的な心理療法ではない。理論・体系がないことは欠点でもあるが,それゆえに他の認知行動療法や薬物療法,栄養指導などとよく馴染む。エビデンスも他の治療法と一緒に使うことをサポートしている。

MIの特徴

MIはゴール志向的かつクライエント中心のカウンセリングであり、クライエント自身の内発的動機づけをカウンセラーが積極的に引き出し,関わることによって行動変化が自発するようにする。クライエントの矛盾した行動に寄り添いつつ、隠れた感情や背景を探り,矛盾の解消と前進を促す。非指示的療法と比べると,フォーカスとゴールが明確である。もし、開始時点でそれらが曖昧ならば、明確化が最初のゴールになる。クライエントが判断に迷い,堂々巡りを延々と繰り返すならば、そうなる理由や感情にフォーカスし、出口の方向を見つけられるようにする。相矛盾する複雑な感情・背景を解きほぐし,まとめて整理し、行動を起こす方向に行くこと促す。カウンセラーはクライエントが自分で判断し,行動を決定することの大切さを強調し、自己決定がしやすいように可能な選択肢を提示することもある。複数の選択肢の間で迷いつつ、敢えて一つだけの選択肢を自ら選ぶとる方向に進み始めれば、一つ目のゴールを通過したことになる。

クライエントは様々である。何かしなければといつも考えているが,今まで一歩も踏み出したことがないクライエントがいれば,何度も何度も新しい行動を試しては全て失敗に終わることを長年、続けているクライエントもいる。そして人生の中でなすべき行動は一つだけではない。1人の人間の中でもそのときの気分や文脈、課題によって変化の準備性が変化し、多様な段階が同時に共存する。カウンセラーはこうしたクライエントのあり方に対して,批判や評価をせず,矛盾もクライエントのありのままとしてそのまま受け入れていくようにする。このような関わり-ロジャーリアンならば無条件の肯定的関心と呼ぶだろう-の中からクライエントが自ら変わっていくように仕向けていく。

実際の進め方

カウンセラーに必要な四つの基本的スキルOARS

MIは基本的なスキルを以下の四つにまとめている。

O           Open Ended Question, 開かれた質問
クライエントが先入観なく自由に自分の行動や感情を話すように促す。問題の認識や気がかり,変化への意思,希望などが出てくるようにする。「今日の朝から今までで」「今のままで30年たったとすれば」のようにして具体的な考えを引き出すような台詞を使うことがある。

A           Affirmation, 是認
変化の方向につながる発言をクライエントがしたら,すかさず是認し,「詳しく聞かせて欲しい」のように興味を見せる。矛盾した発言や,表面的にはネガティブな発言の中から是認できるポイントを発見し,認め,変化の方向への発言を強化する。

R           Reflective Listening, 聞き返し
オウム返しのような単純な聞き返しから,増幅した聞き返しや両面をもった聞き返し,リフレーム,比喩などのさまざまな複雑な聞き返しを使う。単純な聞き返しの場合でも戦略的に使えば,クライエントの隠された複雑な感情が浮き彫りにできる。どの部分を聞き返すが、どのタイミングで言うか、繰り返すか、細かな戦略がある。

S           Summarize, サマライズ
ポイント,ポイントで今までに出てきた話題・背景をまとめ,今どこにいるのか,これからどこに行こうとしているのかをクライエントとカウンセラーの間で共有できるようにする。サマライズ自体はクライエントの発言や考え、状況の正確な鏡である。しかし、言葉遣いや構文,話題の順序を工夫することで、話を聞く側のクライエントの次の反応に影響を与えることができる。たとえば、絶望と希望が共存している時、絶望の次に希望を言うのと希望の次に絶望を言うのでは、同じ内容でも聞く側の反応は違う。

MIのスピリット

スキルだけが上手くてもそれはMIではない。決断させることだけならば不動産や車のトップ・セールスマンのほうが普通のカウンセラーよりも上手だろう。クライエントの福祉と自己決定をいつも最高の関心事とするような態度が必要である。逆に,あまりにも良心的・親身・熱心という態度も問題である。善意も行き過ぎるとクライエントの自己破壊的な行動に対する断罪につながる。

MIでは,カウンセラーは判断中立を保ち,非直面的である。病的な行動・抵抗に対しても指摘をしない。もしクライエントが自己破壊的な行動をしているなら,そうしている理由にピュアな興味を持ち,その行動が起こす結果についてクライエントがどう思っているかを引き出すようにする。問題を指摘するのはカウンセラーではなく,クライエントなのである。このようにしたほうが、数分だけの短いカウンセリングであっても,クライエントは自分の行動についての見方を変え,変化の必要性や可能性について自ら語ることが増える。もちろん変わらないクライエントは変わらない。それもクライエントの選択として尊重することはカウンセラーとしては辛いことかもしれないが、結果的には双方にとっての利にかなう。

このようなカウンセラーの態度をMIのスピリットと呼び,協同と,受容,喚起,慈悲の4項目にまとめられている。

4つのプロセス

MIの進め方は4つのプロセスとしてまとめられている。

関わる  クライエントのカウンセラーの間で絆と作業同盟が確立するプロセスである。

フォーカスする               次のプロセスは,話題を特定のものに絞ることである。クライエントには普通は話したい話題があるだろう。カウンセラーにもあるはずだ。変化についての話し合いが会話が特定の方向に向かって進み続けるようにするプロセスである。

引き出す            クライエント自身から変化への動機づけを引出すことである。これが起きるのは変化の方向が決まり,フォーカスが当たっているときである。なぜ・どうやってそうするかについてのクライエント自身の考えや感情をカウンセラーが活用する。

計画する            動機づけが高まり,それが閾値に達すると、シーソーのバランスが変わるのと同じように,なぜ変わるのかよりも、いつ・どのように変わるかについて考え始め,言葉にするようになる。この時、カウンセラーや専門家の情報や助言をクライエントから求めることがある。それに対して適宜,情報を提供し,その情報をもとにクライエントがどうするかの判断をさらに引き出していくようにする。

MIのエビデンス

最初の大規模なエビデンスは米国NIAAA(国立アルコール乱用・依存症研究所)が行ったProject MATCH(4)によるものである。この中では4セッションだけのブリーフ・セラピーとしてMIの応用版(動機づけ強化療法)が用いられた。その後,さまざまな領域でランダム化比較試験が数百以上行われている。系統的レビューも200ある。生活習慣病など行動変化を必要とするさまざまな領域での有用性が証明されている(5)。

MIにはその学習,習得に関する研究が多いことも特徴的である。以下のことが分かっている。

  • カウンセラーの教育歴や過去のトレーニングがどのようなものであっても,MIを使うことには支障がない。
  • MIはマニュアルに合わせて行うものではなく,クライエントに合わせて行うものである。
  • 並み程度の共感・言語能力があれば,職種や学歴,経験を問わず,誰でも身につけることができる。
  • 実際に行えるようになるためには合計で2,3日~数日間の集団ワークショップ参加と1年程度の個人レッスン(スーパービジョン・コーチング)が必要である。デモンストレーションを録画したビデオ教材も役立つ。
  • 日本語のビデオ(6)(7)や本(8)も出ている。

MINT:MIトレーナーたちの国際的ネットワーク

発展,普及についても,MIには他と心理療法とは異なった経緯を辿っている。MillerとRollnickは,自分たちが創始者ではあるが,その創始者をトップに頂き,その下に弟子たちが連なるピラミッド型の構造にならないように気をつけた。MIのスピリットが意味するものの一つはクライエントとカウンセラーの間の平等主義である。権威主義をMIは嫌う。そのために,初期の段階から,自分たちと同じようにMIのトレーニングができるようなトレーナーを育成することに力を注いだ。

このための集中的な3日間ワークショップがTNT(Training for New Trainers)と呼ばれるものである。1993年に始まり,今までに世界各地で60回以上行われている。2015年5月には日本でも行われた。トレーナーたちの世界組織があり,MINT(Motivational Interviewing Network of Trainers)と呼ばれている。今日のMIの発展・普及はMINTのメンバーが中心になっている。現在の日本には約60人のMINTのメンバーがいる。また日本でも日本動機づけ面接協会が2013年に発足し、毎年研究会を開いている。

創始者でなくても,誰でも習得でき,教えることができ,治療アウトカムを出せる心理療法にしようという二人の考えが,今日のMIを生み出したと言える。

MINTのホームページ:http://www.motivationalinterviewing.org/

日本動機づけ面接協会のホームページ:http://www.motivationalinterview.jp/

文献

  1. Miller WR. Motivational interviewing with problem drinkers. Behav Psychother. US: Cambridge Univ Press; 1983;11(2):147–72.
  2. Miller WR, Rollnick S. Motivational interviewing: Preparing people to change addictive behavior. New York, NY, US: Guilford Press; 1991. xvii, 348 p.
  3. Miller WR, Rollnick S. Motivational Interviewing, Third Edition: Helping People Change (Applications of Motivational Interviewing) Guilford Press; 2012. 482 p.
  4. Project MATCH (Matching Alcoholism Treatment to Client Heterogeneity): rationale and methods for a multisite clinical trial matching patients to alcoholism treatment. Alcohol Clin Exp Res 1993 Dec
  5. Hettema J, Steele J, Miller WR. Motivational interviewing. Annu Rev Clin Psychol 2005
  6. 原井宏明. 動機づけ面接 トレーニングビデオ日本版 導入編. OCDの会; 2004.
  7. 原井宏明. 動機づけ面接 トレーニングビデオ日本版 応用編. OCDの会; 2009.
  8. 原井宏明. 方法としての動機づけ面接. 東京: 岩崎学術出版; 2012.

草稿 強迫症/強迫性障害の診療における認知行動療法の有用性 2017

『精神科臨床 Legato』Vol.3 No.2(2017年4月号)掲載予定

サマリー

認知行動療法の有用性は幅広い。身体疾患に対してもエビデンスがある。応用行動分析まで含めれば犬やネコに対しても有用である。一方、有用性は相対的なものである。自然経過やプラセボでも良くなる疾患・問題がある。うつ病の場合、何もしなくても完全に治る場合はよくある。強迫性障害はうつ病などと比べると、認知行動療法の有用性が相対的に高いが、だからといって完全に治せるという意味ではない。難治性の強迫の中には家族内殺人に至るようなケースもある。2016年に札幌市で起きた事件も取り上げ、この疾患にどう向き合えば良いかを考える。

キーワード

Cognitive behavior therapy, Obsessive Compulsive Disorder, Canine Compulsive Disorder, Exposure and Ritual Prevention, Familicide

I.              こだわること

強迫症/強迫性障害(Obsessive Compulsive Disorder、以下OCD)と聞いて、どのような患者を思い浮かべるだろうか?男性が履いたかもしれないスリッパは履けない患者だろうか?採血のときに看護師が手を消毒したかどうかにこだわる患者だろうか?薬の副作用の説明に納得できず、あれはどうなのか?これはどうか?と100%大丈夫かと確認してくる患者だろうか?自分の診断は本当にOCDかどうか確認してくる患者だろうか?通りがかりの車椅子の人に自分が何か悪いことをしたのではないか、大丈夫か?

DSM-IVまでは、OCDは不安症/不安障害に分類されていた。今はICD-10でもDSM-5でも強迫関連を独立させるようになった。強迫症および関連症群として、醜形恐怖/身体醜形障害、ためこみ症、抜毛症、皮膚むしり症などがまとめられている。ためこみや抜毛の原因は不安ではない。正確に言えば、不潔恐怖や加害恐怖の原因も不安ではない。嫌悪や後悔が原因であり、穢らわしい下衆男に感じるような吐き気に似た嫌悪感、二度と取り返しのつかないことをしてしまったという悔悟感情に対して抗不安薬は無効である。

過去30年間にOCDの研究は著しく進んだ。マウスにおけるmarble-burying行動のような動物モデルも確立している。これは飼育ケージに入れた多数のビー玉を床敷きで埋めて隠そうとする行動である。選択的セロトニン再取り込み阻害薬(Selective Serotonin Reuptake Inhibitors, 以下SSRI)を投与すると、マウスはビー玉にこだわることを止めて、エサを取ったり毛を繕ったりなどの普段の行動に取り組むようになる(Fineberg, Chamberlain, Hollander, Boulougouris, & Robbins, 2011)

人間はマウスよりも高度なこだわり方ができる。たとえば、こだわり方にこだわることができる。自己言及または再帰性(Recursion)と呼ばれる現象である。たとえば、認知行動療法(Cognitive Behavior Therapy, 以下CBT)によって改善し、生活や仕事が人並みにできるようになっても、今のままで維持できるだろうか、OCDが再燃しないか、そうならないために治療者から指示されてやっているCBTで完全なのかどうか、と確認することができる。そんな患者が来て、CBTを行い、重症度評価であるY-BOCS(NAKAJIMA et al., 1995)は8点以下、HAM-Dは7点以下、日常生活の障害もごくわずかになっているとしよう(Ballenger, 2001)。症状評価上は寛解と伝えると、患者は「週に2,3回、強迫観念がでてくる、再発が心配である」と訴える。

「先のことは誰にも分からない、今は普通に生活できているのだから、先々のことはそうなって考えよう、悪いことは起きてから考えなさい」と私が言えば、

「先生がおっしゃるように、悪いことは起きてから考えるようにしているのですが、本当にそう自分が考えているかどうかはどうやって確認したらいいのですか?」と確認してくる。

「勝手にしてください」と言いたくなるが、そうさせたら、受付や調剤薬局でも確認が止まらなくなり、「先生、患者さんが動かないですが、どうしたらいいですか?」と問い合わせがやってくる。

II.             認知行動療法

1.     有用性の問題

CBTは幅が広い概念である。そして、うつや不安などの一般的な精神疾患だけでなく、嗜癖や疼痛、睡眠など、おおよそどの精神疾患に対しても有用性を示すRCTを持つ。さらに糖尿病や高血圧、アレルギー疾患などの身体疾患にも有用である。応用行動分析まで含めれば、言葉によるやり取りができないような自閉症や認知症の患者、さらには犬や猫、鳥に対しても有用である。中にはCBT以外には薬物も含めて有用な治療のオプションがなく、事実上、CBTの一人舞台になっている疾患や問題もある。血液外傷恐怖(岡嶋 & 原井, 2007)のような限局性恐怖症(特定の恐怖症)に対してはCBTしかない。大げさな言い方をすればランダム化比較試験(Randomized Controlled Trial,以下RCT)によって単純なカウンセリングなどの対照治療に対して優越性を示すことができた精神療法のパッケージはすべてCBTだと言うこともできる。だから、有用性があるのはある意味、当たり前である。

しかし、有用性の有無だけを議論すると3つの重要なポイントを見落とすことになる。

  1. 対照治療の有用性
    対照治療になる単純なカウンセリングや自然経過でも改善する疾患や問題がある。この場合、CBTの有用性は相対的に低い。もし治療者がもともとCBT以外の精神療法できちんと結果を出せていたり、あるいはCBTに不慣れであったりしたなら、わざわざCBTを使う意味がない。
  2. 有用性と満足性の違い
    ある治療が有用であることがRCTはもちろん、実際に治療を受けた患者にとっても明らかであったとしても、それで患者が満足するかどうかは全く別の問題である。確かに症状は良くなったが、それだけではとても患者の生活を改善させるまでには行かず、「これぐらいしか良くならないなら、治療を受けるまでも無かった」と患者が思うことは珍しくない。
  3. 治療者毎の差
    アルコール依存症に対するCBTのRCTでは、同じマニュアルを使っていても治療者ごとの違いが大きかったために、対照治療である読書療法との間に差を出せなかったものがある。治療アウトカムをもっとも予測したものはCBTを使ったかどうかではなく、治療者がカウンセリング中に示した共感性だった(Miller, Taylor, & West, 1980)。私はOCDに対するCBTを30年間続けている。最初の頃と今とでは結果に雲泥の差がある。昔は、再帰性のある確認強迫を治すことができなかった。認知修正を試みては自分自身が強迫に巻き込まれていた。

2.               OCDの場合

まず対照治療の有用性についてみてみよう。HofmannらがCBTのRCTの結果を精神疾患毎にまとめて、効果サイズを比較したメタアナリシスがある(Hofmann & Smits, 2008)。

Fig.1 CBTと対照治療(プラセボ)の間で治療反応性を比較した時、CBTによる反応性が高いと判定されるオッズ比を不安症の疾患毎に比較したもの *p<.05 **p<0.001 Acute stress disorder:急性ストレス障害、Obsessive-Compulsive Disorder:強迫症/障害 Posttraumatic Stress Disorder: 心的外傷後ストレス障害 Social Anxiety Disorder: 社交不安症/障害Generalized Anxiety Disorder:全般性不安症/障害 Panic Disorder:パニック症/障害 (Hofmann 2008から引用)

 

これを見ればCBTにとってはOCDが最大のお得意様であることが明白である。他の疾患、特に全般性不安症/障害の場合には、対照治療を有意差をもって上回るほどにはオッズ比が大きくない。最初に述べた、有用性の議論に関して見落としがちな重要なポイントの“1.対照治療の有用性”という点からみれば、OCDに対するCBTは一番の優等生である。

次に満足性についてみてみよう。満足度についてのメタアナリシスはみつからないので、長期経過での寛解率について調べてみる。Sharmaらの研究によれば寛解率はおおよそ55から50%ほどである(Sharma, Thennarasu, & Reddy, 2014)。逆にいえば4割程度の患者は長く治療を続けても寛解までには至らないことになる。

III.           治った患者

OCDの患者や家族が集まったサポートグループとしてOCDの会がある。この会は「とらわれからの自由」という名称で患者の治療感想文集を2005年から出している。2016年12月に出た、第10号からその一部を引用してみよう(クリチョコ, 2016)。

3日間の集中治療が私を変えた  クリチョコ(50代女性・加害恐怖,洗浄強迫)

私が強迫性障害になったきっかけは5年前、部屋で鏡が割れたことでした。きちんと掃除したつもりでしたが、3ヶ月後にテレビ台の下から破片が出てきたのです。すると、その側で洗濯物をたたんでいたことが気になり始め、破片が付いてしまったのではないか、その服を洗った洗濯機は大丈夫か、今着ている服は大丈夫かとどんどん不安が膨らんできました。

それでも何とかやり過ごして日常生活を送っていたのですが、2015年3月頃から症状が急に進み、手がチクッと感じた時、空気中に何かキラキラ見えた時、料理の途中で野菜に付いた水滴さえもガラスの破片に見えてしまい、家族が食べたらと思うと不安になり、自分の体や服に付いていたらと思うと外出もできなくなっていきました。そして、それをリセットするためにシャワーを浴び自分に付いているであろう何かを洗い流すということを繰り返す強迫行為、儀式をするようになってしまいました。

それもだんだん回数が増え、多い時は起きている時間の3分の2は浴室にいました。何度も着替えるので洗濯物の山ができ、タオルもなくなり、着る服もなくなりました。自分でも無意味なことをしていると分かっていてもやめられず、生きていることが辛くなっていました。

ここまでになってやっと家族にSOSを出すことができ、3人の娘達の前で子供のように泣いてしまいました。当然、娘達は心配し家事を手伝ってくれるようになりましたが、それもまた娘達に申し訳なくなってしまい生きていることに疲れていきました。そんな私を見て娘達は、お母さんが生きていてくれるだけでいい、何でも頼って甘えていいからと言ってくれました。嬉しい気持ちと共に娘達にこんなことを言わせてしまって私はなんて親なんだとまた自分を責めました。でも、まだまだ娘達の顔を見ていたい、孫達の成長も見たい、なんとか元気な自分に戻りたい、と思う時もありました。

そんな時、娘がOCDを専門にしているという、なごやメンタルクリニックを見つけてくれて受診することにしました。初診の日は三女が連れて行ってくれました。先生は丁寧に話を聞いてくださり、この病気の説明を分かりやすく話してくださってお薬が出されました。そして、治る病気だからと力強く言ってくださいました。その言葉は私に希望と前向きな気持ちを与えてくれました。

すると次の日から、びっくりするほど症状が落ち着いてシャワーを浴びる回数が極端に減りました。でもまだこの頃は一人では外出できず、家族と外出してもショーケースやドア、商品などのガラスを避ける事で頭がいっぱいでした。

3日間の集団集中治療があると知りましたが、費用は専業主婦にとっては大金です。でも、家族も背中を押してくれたので3日間で良くなると信じて思い切って2015年9月の集団に参加しました。その中味は「こんなこと本当にするの?」と思う内容でしたが、いつしか学生に戻ったような気持ちになって、まるで授業を受けているような感覚になりなんとか乗り越えられました。

中略

最近の私はもう昼間にシャワーを浴びることはなくなりました。まだ、ふとしたことが気になってしまうことはありますが、ほぼ以前のような日常生活を送っています。これも信頼できる先生方のおかげ、3日間一緒に過ごした皆さんと出会えたおかげ、そして夫や娘達が家事や病院の送迎など、私ができないことをサポートしてくれたおかげだと思います。感謝感謝の日々です。これからも強迫観念がむくむくっと起こってくるかもしれませんが、そんな時はあの3日間を思い出してみようと思います。

IV.           治せない患者

精神疾患の悲惨な結末として誰もが考えるのが自殺だろう。しかし、もっと悲惨な結末がある。家族内殺人である。

2016年7月15日読売新聞北海道版から引用する

娘殺害 背景に重い障害 きょう判決 81歳被告 思い悩み

「ごめんな。おとうさん、こうするしかなかったんだ」―-。札幌市中央区の自宅マンション駐車場3月、1人娘(当時43歳)を殺害したとして殺人罪に問われた無職鎌田哲博(81)。札幌地裁の裁判員裁判では強迫性障害のある娘に追いつめられた老夫婦が殺害に至るまでの半生が明らかになった。検察側は懲役7年を求刑。弁護側は執行猶予付きの判決を求めており、判決は15日言い渡される。

極度の潔癖症状

「何度も自問自答した。でも、殺すしかなかった。かわいそうなことをしたが、後悔はしていない」。法廷に立った鎌田被告は時折メガネを外して涙をぬぐい、絞り出すように語った。検察、弁護側の冒頭陳述などによると、娘は幼少時から極度の潔癖症状を持ち、中学生の頃に「強迫性障害」と診断された。実家で3人暮らしを続けたが、症状が悪化。「ウイルスが怖い」と言って2重包装の菓子とジュース以外は口にせず、体重は25㌔弱までやせ細っていた。鎌田被告は「病院で点滴を打って」と頼んだが、「ウイルスをうつされる」と拒否された。娘は時折「カッとしたら何するかわからない」と激高し、暴力をふるうこともあった。外出や就寝時間、トイレに行くタイミング――両親への要求は細部にわたった。鎌田被告は娘が寝起きする居間に入ることは許されず、妻(82)も賞味期限が娘の気に入る数字でないと食べさせてもらえなかった。妻は証人喚問で「私が食べられたのは餅か、日付のない輸入のコーン缶ぐらいだった」と打ち明けた。入院させることも考えたが、娘は「治すつもりはない」と主張し、病院からも「入院は3ケ月が限度」と言われた。鎌田被告は「こんな状態の娘を残しい死ねない。親戚にも頼めない」と思い詰めるようになった。

 

40点満点のY-BOCSで30点を超えるような重症OCDの場合、定義上、強迫観念ないし強迫行為が“1日に8時間以上、あるいはほとんど一貫してみられる”、“1日8時間以上を費やす、あるいは強迫行為を絶え間なく行ない、回数は不明”である。言い換えると他の観念や他の行為、すなわち希死念慮や自殺企図をする余裕がない。さらに都合の悪いことに、重症OCDではインフルエンザやノロウイルスなどによる感染症も起こさず、内科を受診することもない。外出しないからなのかもしれないが、家族が咳や下痢をしていても本人は平気なことが普通であり、これは一種の謎である。本人側はそれで良いが、それに付き合わされる家族はどちらかが死ぬまで終わりのない苦しみに付きまとわれることになる。

この事件を報道で知った時、私はぞっとした。この事件の家族とそっくりの症例を数例、担当しているからだ。どの症例も30~40代の男女で、かなり似通っている。父親は生真面目なサラリーマンで、典型的な核家族である。本人も幼い頃から几帳面だった。十代後半で発症し、自宅に引きこもりがちになり、高校や大学を中退する。母親を強迫に巻き込み、父親を回避するようになる。入浴や洗顔、ひげそりなどの身だしなみ行為に数時間以上かかり、ゴミを溜め込み、身の回りの物の配置などに極度のこだわりがある。20代の頃は、外出できる日もあった。このチャンスに親が近くの精神科を受診させ、たいてい統合失調症か発達障害と診断されて抗精神病薬を処方される。本人は薬を1,2度ためしただけでそれ以上は拒薬する。精神科医は抗精神病薬の水薬を食事に混ぜることを提案し、親も実際にそうするが、錐体外路症状が出ることで本人が気づく。本人は食事についても確認するようになり、親は二度とその精神科医には行かないことを約束せざるを得なくなる。兄弟姉妹がいる場合は仲が悪く、たいていの場合、本人は親に命じて兄弟姉妹を家に入れさせない。親に対して暴言を吐き、暴力を振るうことは頻繁で、たまりかねた家族が警察を呼ぶことがある。警察官の前では、本人も借りてきた猫のようにおとなしい。壁に空いた穴、破壊されたテレビを見れば家で何かが起こっていることはわかるが、警察官の質問に対して微笑みながらきちんと応対し、「テレビのリモコンの置き場所から生じた親子喧嘩です、小さなことでご迷惑をおかけしてすみません」と謝る本人を、無理やり連行することはできない。警察官としては「精神科に連れて行ってください」と言うほか無いが、家族は行き先がないことを知っている。

私が経験した症例は、全て家族からの相談がスタートである。家族に対する教育を行い、巻き込まれることを止めさせれば、札幌の事件のようなことは防ぐことはできるだろう。OCDの会への参加を促すことで同じ立場にある家族とのつながりができれば、親の孤立を防ぐこともできる。さらにコミュニティ強化アプローチと家族トレーニング(Community Reinforcement Approach and Family Training, CRAFT)(岡嶋 & 原井, 2009)を教えることによって、本人自身の受診に結びつくことが半分程度はある。しかし、その中でクリチョコさんが書いたような3日間集団集中治療にはいる例はさらに半分程度に減る。そして、たとえ集団集中治療に入って強迫症状自体は寛解したとしても、社会適応の問題が残る。長年引きこもっていた高校/大学中退の30~40代には世間の風は冷たい。就職/結婚ができるわけでも、家を離れて一人暮らしができるわけでもない。統合失調症や知的障害の患者に用意されているような作業所や中間施設のような社会復帰施設があるわけでもない。良くはなったものの、最終的には近くの精神科病院を紹介し、入院をお願いしなければならないケースもあった。家の外には生きていく場所がないのである。そして、家に中に引きこもるようになったら、また以前と同じような強迫症状が再発してくる。引きこもりはOCDの結果でもあり、OCDの原因でもある。

家族内殺人にまでは行かないようにできるが、それからどうするかはまだまだ課題であり、それは有用な治療だけを用意すればどうにかなるものではない。本当に有用な治療とは患者や家族のライフスパンを考えた継続的な治療である。

 

文献

Ballenger, J. C. (2001). Treatment of Anxiety Disorders to Remission. J Clin Psychiatry, 62(12), 5–9.

Fineberg, N. A., Chamberlain, S. R., Hollander, E., Boulougouris, V., & Robbins, T. W. (2011). Translational approaches to obsessive-compulsive disorder: from animal models to clinical treatment. British Journal of Pharmacology, 164(4), 1044–61.

Hofmann, S. G., & Smits, J. A. J. (2008). Cognitive-behavioral therapy for adult anxiety disorders: a meta-analysis of randomized placebo-controlled trials. The Journal of Clinical Psychiatry, 69(4), 621–32.

Miller, W. R., Taylor, C. A., & West, J. C. (1980). Focused versus broad-spectrum behavior therapy for problem drinkers. Journal of Consulting and Clinical Psychology, 48(5), 590–601.

Nakajima, T., Nakamura, M., Taga, C., Yamagami, S., Kiriike, N., Nagata, T., Yamaguchi, K. (1995). Reliability and validity of the Japanese version of the Yale-Brown Obsessive-Compulsive Scale. Psychiatry and Clinical Neurosciences, 49(2), 121–126.

Sharma, E., Thennarasu, K., & Reddy, Y. C. J. (2014). Long-Term Outcome of Obsessive-Compulsive Disorder in Adults. The Journal of Clinical Psychiatry, 75(9), 1019–1027.

クリチョコ. (2016). 3日間の集中治療が私を変えた. In とらわれからの自由 No.10 (pp. 62–65). OCDの会.

岡嶋美代, & 原井宏明. (2007). 注射恐怖の重症例に対するエクスポージャーとApplied Tension. 行動療法研究, 33(2), 171–183.

岡嶋美代, & 原井宏明. (2009). 【精神療法・心理社会療法ガイドライン】 技法の各種 コミュニティ強化アプローチと家族トレーニング. 精神科治療学, 24(増刊), 44–45.

 

草稿 メンタルクリニックでの診断の技と工夫-臨床の知を精神療法に活かす 行動療法 2017/01

注意 この原稿は草稿です。最終版ではありません。引用などはお控え下さい。

I.              どの技と工夫、知を使うのか?

1.     15のコツ

この本には15の精神療法のコツが並んでいる。それぞれの著者はその領域の専門家である。それぞれが読者である精神科医に対して“ここだけはぜひ伝えたい勘所だ”と訴えている。15個の勘所をバラバラに伝えられた読者のあなたはどうするのだろう?一つ一つ15の勘所を患者に試してみようとするのだろうか?全部に目を通せば、それで15の精神療法を一通り身につけたことになると思うのだろうか?

おそらくどの著者であっても15の勘所を一度に一人の患者に当てはめるのはやめてくれと言うだろう。ある精神療法には特定の適応があり、ある勘所にはそれを使うべきタイミングや状況があると言うだろう。

常識では“適応→特定の精神療法→状況→コツ”のような直線的な関係を考える。ある精神療法にはそれが適している診断・状態名があり、あるコツにはそれを使うべき状況があり、こうした組み合わせを知ることもコツの一つだというだろう。組み合わせがわかるためには知識を得るだけでは足りない、体験的ワークショップを受講し、スーパービジョンを受けながら実際の症例を担当するという経験が必要だと言うだろう。学会員になり、資格認定を受けろと言うかもしれない。無資格者がその精神療法をしていると公言することは禁止と言うかもしれない。

知識だけでは足りないのは私もその通りだと思う。座学だけで精神療法の勘所が分かった、今日からコツを使おうと思うような精神科医は臨床に向いていない。ただし、資格認定には私には異見がある。行動療法の実践に関しては資格無用である。クリニックの受付事務員にもできる行動療法の技法がある。最初の受付の電話対応で、動機づけ面接ができるかどうかは治療成績に影響する。調剤薬局の薬剤師が患者に一言声をかけるかどうかで、患者の薬物アドヒアランスが変わる。つまり、患者側の適応と状況に加えて、第3の要因、介入者にも合わせて使えるコツがある。

一方、適応・状況・介入者と分けて述べるだけでも大変なことになる。適応と状況、介入者を図にすれば平面図では済まない。これだけで立方体になってしまう。

2.     技法の山

行動療法には様々な顔があるが、その一つにうんざりするぐらいある技法の数々を上げることができる。私が行動療法を学び始めた、30年前に出版された行動療法事典(Bellack, Hersen, & 山上, 1987)には100以上のエントリーがある。それから、さらに新しい技法が生まれてきている。既存の技法を組み合わせた治療パッケージや疾患別・問題別にデザインされた治療プログラムもある。もともと動物実験の知見から始まったものだから、言語が通じない相手に対する行動療法もある。言語のない自閉症者はもちろん、記憶が5分と持たない認知症者、犬や猫、鳥に対しても行動療法ならできる。行動全てに適応できるのだから、就労支援や生活習慣病、アレルギー疾患、便秘などにも使える。

私の体験の中から、行動療法の幅の広さを示す例を2つとりあげてみよう。患者が自分で症状をチェックし、記録するセルフモニタリングは行動療法の勘所中の“勘所”と言えるぐらい、基本的な技法である。30年前から今まで私も使い続けている(原井, 1997)。もう一つの勘所は私にとっては2003年頃から使えるようになったMotivational Interviewing(動機づけ面接)(原井, 2012)である。

2008年、1型糖尿病を専門にする小児科医から突然、動機づけ面接を個人指導してほしいという依頼がきた。それまでの1型糖尿病に関する私の知識は、高校の部活の後輩がインシュリン自己注射をしていたことぐらいだった。デモンストレーションをしてみせよう思っても、HbA1cの正常値も知らない私では医者役になれない。指導の前に実際の診療場面を見せてもらうことにした。行ってみたら、そこではSMBG(Self-Monitoring of Blood Glucose)が当たり前になっていた。患者自身で血糖を毎日自己測定し、記録を取ることである。糖尿病専門の小児科診察室で私はセルフモニタリングを再発見したわけである。2015年、さらに縁があって、関節リウマチを専門にしている医療者に動機づけ面接を教えることになった。それまで私が持っていた膠原病に関する知識はステロイドホルモンの使用ぐらいである。抗リウマチ薬(DMARDs、Disease-Modifying Antirheumatic Drugs)や生物学的製剤など初耳だった。関節リウマチにおける動機づけ面接のエビデンス(Georgopoulou, Prothero, Lempp, Galloway, & Sturt, 2015)を私は全く知らなかった。

こうなると、30年間どっぷりと行動療法に浸かっている私にも、その全貌をつかむことはもはや不可能だ。100以上ある技法について、適応・状況・介入者をリストし始めたら、いったいどういうことになるか想像してほしい。さらに言えば、30年間に私自身がやっていたことが大きく変わった。たとえば、アクセプタンス&コミットメント・セラピー(Acceptance & Commitment Therapy、以下ACT)(Hays C. & Smith, 2010)を知る前、2000年より前に私がやっていたことは今のやり方とは別世界である。昔やっていたことは今でも行動療法と呼ばれているが、私が今やっている行動療法と並べると、とても同じものとは思えないぐらいの違和感がある。そして、この違和感を説明するためには方法論的行動主義と徹底的行動主義の違い、機能的文脈主義の説明が必要になる。世界観や強化随伴性にも手を出さなければならない。こんな哲学的衒学趣味に誰が興味を示すだろうか?20代の私も肥前療養所でフッサールの現象学(松尾, 1986)を勧められたがすぐに挫折した。

3.     2種類の理由

私には勘所を伝えるのは無理そうだ。しかし、なぜ私が30年間も行動療法を続けているのか、なぜその間に考え方や技法を変えてきたのか、その理由を伝えるぐらいはしたい。

理由は“始めた理由”と“続ける理由”に分けられる。普通なら、行動療法を“始めた理由”から始めたいところだが、残念ながら、私の場合、偶然が一番の理由である。行動療法に触れた理由は、神戸大から紹介された肥前療養所にたまたま山上敏子先生がおられて、「あんたは英語ができるから」と通訳の仕事を依頼された、それ以外にはない。「行動療法を勉強したくて肥前に行きました」とかと言ったらでっち上げにも程がある。行動療法と相性が良いからとか、エビデンスがあるからとか、学会が育ててくれたからとか、と言えば、すべて後付け理由付け、辻褄合わせのための「ストーリー」である。これは行動療法だけではない。たとえば精神科を選んだ理由は、卒後は生化学教室で基礎研究をするつもりだったのに、そこに気の合わない先輩がいるのにたまたま気付いたせいである。

しかし、何かを30年も続けたなら、そこには“続ける理由”がある。行動療法で言えば、続ける理由とは行動の結果であり、結果が行動療法を続けるという行動を強化したことになる。この30年間、私が試してきた様々な行動療法はその結果によって弱化されたり、強化されたりを続けて、変化を続けた。このように行動療法が私に及ぼした働き、つまり機能こそが私が行動療法を続ける理由である。

行動療法には機能重視という実用主義の伝統がある。頭の中だけで理屈をこねくり回して生み出された高尚な哲学ではなく、ラットの世話に苦労しながら生み出された動物実験の結果がベースにある。犬やヒトはもちろん、ゾウリムシのような単細胞生物(Fernando et al., n.d.)でも、光信号と危険の関係を学習したならば、パブロフ恐怖条件づけが成立しているという。起源も名前も異なる治療技法があるとしよう。その技法群がもたらす結果が全て同じならば、行動療法は、それらはみな“同じ機能を持つ”と言い、一つにまとめてしまう。たとえば、逆説志向はフランクルのロゴセラピーからきた概念であり、インプロージョンは精神分析から来ている。どちらも不安・回避が下がるという機能は同一だから、エクスポージャーにまとめてしまう。

30年間、100は行かないにしても、私も数え切れないぐらいの技法を試してきた。診断もさまざまだし、行った状況も病院やクリニック、患者の自宅など様々である。それぞれ多種多様だが、目指してきた結果は片手の指で数えられるぐらいしかない。言い換えれば私の行動療法の機能は2,3しかない。ではその機能とはなんだろうか?患者に感謝されるから?病気を治せるから?社会に評価されるから?

II.             強化と弱化

1.     思わぬ結果が行動を支配する

人がある行動をする。何か起こる。変わる。消える。窓を開ければ温度が変わる。変わるものは外側のこともあるし、内側のこともある。空気を吸えば気分が変わり、記憶にも残る。行動は直後の結果によって、将来の頻度や強度が変わる。増える場合には強化、減る場合には弱化と呼ぶ。増える場合の結果を好子、減る場合の結果を嫌子と呼ぼう。たいていの子どもにとってはお菓子や親の注目・褒め言葉が好子だし、大人にはお金や地位が好子になるだろう。子どもには苦いコーヒーは嫌子だし、どんな人でも激しい金属音や疼痛は嫌子になるだろう。何が好子か嫌子かは人それぞれである。鎮静薬依存の患者にとってはベンゾジアゼピン系薬物が好子になり、精神刺激剤依存の患者にとってはアンフェタミンが好子になる。大勢の場で拍手喝采と握手を受けるような賞賛や注目は、自己愛性パーソナリティーの人にとっては好子であり、自閉症の人にとっては嫌子である。状況によっても違う。人から注目されることが何よりも好きな人でも、「トイレの個室の中だけは勘弁」と言うだろうし、過食症の人でも食べたくないときはある。

好子や嫌子が単独で提示されることも実験室以外ではありえない。日常生活では人に与えられた行動の選択肢が常に複数あり、一つの行動に随伴する好子や嫌子も複数ある。結果的に何が好子であったか、嫌子であったかは行動を実際に繰り返し観察しなければわからない。大人が子どもの行動を褒めるとき、大人の顔が引きつっていれば嫌子の方が大きくなるときがあるだろう。褒め言葉のタイミングが悪ければ、褒める側の意図とは全く違う行動を強化することにつながる。

生きているもの全てが寝ているか、泥酔しているかでもない限り常に行動している。常に何かに働きかけ、何かの強化と弱化を受けている。たとえばキーボードを叩いてこの文章を入力している私は、画面に現れる文字によって強化されている。もし、叩いている最中に「Wordで問題が発生したために終了する必要があります」と出てきたら、弱化される。今、この文章を読んでいるあなたもそうだ。精神療法を行っている最中の治療者もそうだ。

しかし、私たちは普通、自分が注意を向けている対象にだけ意識が向い、結果が自身に及ぼす影響にまでは目が届かない。「無意識のうちに薬や食べ物に手が出る」「いくら褒めても叱っても相手に伝わらない」と私たちはよく言うが、結局のところ、それは行動の結果やそれから自分が受ける影響を意識していないせいだ。それは昔の私自身にも当てはまる。山上先生から「患者の話をもっと聞け」と叱られたとき、私は「忙しいからそんなに患者の話を聞く暇はありません」と口答えしていたころの私は、“黙って聞く”という努力が自分に与える影響を意識していなかった(原井, 2012) P113。その頃の私は、話が長くなりがちな患者の面接をする時、いかにも嫌そうな“我慢”顔をして話を聞いていたはずだ。言いたいことを我慢し、努力することでそうなってしまうのだが、やっている側はそれに気づかなかった。

そうこうするうちに精神科医として行動療法をするようになって30年がたった。自分がしてきたことを振り返ると、その当時は気づかなかった自分の好子と嫌子が分かってくるようになった。全てを把握するのは無理だが、私の行動を強化する事象、弱化する事象にパターンがあるらしいことはわかってきた。要は好き嫌いのことであり、格好良く言えば価値観のことだ。私の嫌いなことから話を始めよう。

2.     逃避・回避したいこと

定義上、嫌子は避けたいものである。避けるということは、近づいてよく観察したり、考えたりするのも避けるということだから、嫌子の系統的なリストアップは不可能である。他の人の行動と比較したときに、自分が何を避けているかようやくわかるぐらいである。私が他人と比較して気づくものをいくつかピックアップしてみよう。

  • 30年前、肥前療養所で働き始めたころ、初発の統合失調症の男性患者の入院を担当したときのことを覚えている。急性幻覚妄想状態だった。ハロペリドールを投与し、数日後には改善し、疎通ができるようになった。患者も家族も私に感謝し、1ヶ月後は退院、2ヶ月後には復職した。良くなったことは確かに良かったし、病棟スタッフも褒めてくれたのだが、私は違和感をもった。薬の処方箋には私のサインがあるが、薬の種類と量を決めたのは当時の病棟医長だった。何か自分で考え、自分で行動し、それで得た結果についてでなければ嫌だと私は思うようである。
    最近の認知行動療法のトレンドは治療マニュアルである。マニュアル通りにすることの何が面白いのか、私にはわからない。もし、30年前、行動療法を学び始めた時、もし仮に、山上先生が「マニュアル通りにしなければ、それは行動療法ではない」と叱ったとしたならば、私は行動療法を止めていただろう。創意工夫こそが私にとっての行動療法である。
  • 診察中に、相手を褒め倒す患者がいる。治った後で褒めてくれるなら良いが、まだ治ったとはとても思えない時期に医師の好意を買うためかのように褒めてくる。「先生だけが私のことを分かってくれる」「先生がいないと私は生きていけません」「他の先生では駄目」と頼ってくる言葉を聞くと、私はまるで賄賂か何かのように感じる。関心と同情を引きつけるためなのか、問診する側の興味に合わせた症状や過去を語ってくる患者もいる。外では普通に歩いていたのに、診察室では大げさな歩行障害を示す患者もいる。解離症状(転換症状)ということになるのだろう。こうした行動に私は無関心である。紹介状には“解離性同一性障害”と書いてあり、初診時は退行していた患者も、数回目の再来では退行しなくなる。行動療法の言葉で言えば、いくら解離しても、私の注目(好子)を得られないことを経験すると、“解離症状”行動は弱化され(好子消失の弱化)、改善する。
  • 行動療法には世界大会がある。1988年のエジンバラ大会から、肥前の行動療法仲間で一緒に行くようになった。忘れもしない、この学会でEdna Foaのワークショップに参加し、ここで私はエクスポージャーにトイレを使うことを知ったのだった。さらに、この学会では私の行動の仕方がちょっと変わっていた。他の仲間は学会場や観光、食事で顔見知り同士一緒に行動していた。自分だけ外れになるとか、外国で一人ぼっちでいるとかは普通の人にとっては嫌なことになるようだったが、私にとってはそうすることが好きだった。国際学会とワークショップにはこのあとも毎回参加するようになったが、往復の飛行機をのぞいてみなと一緒に行動することは少なかった。日本に帰れば嫌でも毎日顔を合わせる相手と海外でも顔を合わせて何が面白いのか?と私は考えていた。私はポジティブな逸脱でありたい(Gawande, 2013a)。
  • 私は“癒やし”という言葉が嫌いである。良く目にする“心の傷を癒やす”という表現が嫌いである。それが始まったのがいつからなのかもよくわからない。小学生のとき、体育が下手でからかわれることが多かった。特にダンスがだめだった。周りと同じような京都弁が話せず、口下手で内気だった。そんな自分を変えようと中学・高校では演劇部に入った。スポーツができるようになろうと大学では水泳部に入った。精神科医になってからはエアロビクス・ダンスを始めた。エクスポージャーを知るはるか前から苦手に挑戦していたことになる。精神的な苦しさで言えば今までの一番は、当時小学2年生だった息子が死にたいと言い出したときのことだろう。その間も向き合うようにしていた。ピークが過ぎてからも辛さを忘れることがないよう、日々の様子を日記にしていた。そして、その時の体験を匿名で雑誌Be!に投稿した(匿名, 1999)。今の私は、傷・痛み・苦しみからは逃げず、向き合うべきだと思っていて、そうすることによって得たものが多いことを自分の経験からわかっている。

3.     求めていること

定義上、好子は好きなものである。しかし、私にとっては始めた理由が“好きだから”というものがあまりない。医者が好きで医学部に進んだわけではない。精神科が好きで進んだわけでもない。水泳部では幼児のころからスイミングスクールに通っていた同級生にラップされていた。エアロビクスも好きで始めたわけではない。私の踊りのセンスは最悪である。肥前療養所の盆踊りではたいてい笑われ、「エアロが趣味です」と言うともっと笑われた。それでもブリジストン・スポーツクラブからYMCA、ルネサンスと30年、欠かさず続けている。おそらく私は嫌なこと・苦手なことをあえてやって慣れていくのが好きなのだ。そのためにいろいろ工夫するのが好きなのだ。

しかし、もちろん嫌なことばかりでは“続ける理由”としては不足している。30年もエクスポージャーをやっていれば、嫌なことも減ってくる。人前で話すことは今では私にとって好きなことに変わり、内気そうに黙っている方が苦手になってしまった。30年間、私が行動療法を“続ける理由”になった好子について、治療した患者さんたちが残してくれた手紙や体験談などから探してみよう。

30年前、担当した双極性障害の患者が今もセルフモニタリングを続けていた!

初診時21歳の女性である。躁状態の極期には隔離室が必要だった。年に4回以上のエピソードがあり、急速交代型と診断できた。セルフモニタリングを通じて躁状態の前兆に本人が自分で気づくようにし、早期に抗精神病薬を増量できるようにした。その結果、入院を防ぐことができるようになったと考え、論文にしている(原井, 1997)。それから、約30年後、私も2回転職した。2016年の夏、患者に再会するチャンスがあった。患者は、服薬はもちろんセルフモニタリングを今も続け、睡眠時間などの日常生活を安定させることを怠っていなかった。許可を得て患者からの手紙の一部を示す。

私は先生をはじめとしてスタッフの方に良くしていただきました。もし,病気になっていなかったなら,肥前には来ていないし,先生にもお会いしていません。傲慢で何もわからない人間になっていたんじゃないかと思います。

先生が以前に私に「あなたは、幸か不幸か、病気になったわけだから」とおっしゃいました。本当に幸か不幸かと思います。心の持ち方で決まるのではないかと思います。

私が書いた感想文(入院当時に書いてもらったもの)は公開されてかまいません。

私も先生と同じで病気で悩む方に役立てれば良いと思います。

当時20代だった私が、そんな偉そうなことを言ったとは信じられない。たとえ言ったとしても押し付けるばかりで、患者に納得させられるような話術は持たなかったはずだ。しかし、患者は見事に双極性障害をアクセプトしており、病気を忌むべきものとせず、むしろ良い経験になったとしている。ACTが日本に入る前から、この患者はアクセプタンスができていたのだった。30年後に、このことを知ったときの私の驚きを想像してほしい。詳しくは私のブログに書いている。

http://hharai.cocolog-nifty.com/choice/2016/10/y-7b95.html

とらわれからの自由 No.1~10に驚かされる

臨床家としての私に影響を与えたものに依存症の臨床がある。一時は断酒会やAA(Alcoholics Anonymous)、NA(Narcotics Anonymous)に毎週のように通っていた。そこで知ったことは回復者が語る体験談の強さだった。私も真似をして、エクスポージャーを行って強迫症や不安症を乗り越えた患者に対して、治療体験談を書いてもらうようにした。それを次の新しい患者に読んでもらうことで、私が下手な面接をするよりも-そのころは動機づけ面接を知らなかった-はるかに効果的なエクスポージャーに対する動機づけになった。エクスポージャーは“嫌なことをわざと進んでやろう”が基本である。“やりたくない”と患者が嫌がるのが当然である。私のような嫌だからやってみるという人間は変わっている。そうした嫌がる患者も、先輩の患者が迷いに迷った後、エクスポージャーにチャレンジし、強迫を乗り越えた喜びを語る体験談を読むと顔色が変わった。毎年、何人、何十人もの患者を治療するうちに、体験談も多数になった。A4用紙にプリントしたものから、小冊子にしようということになった。それが「とらわれからの自由」である。患者・家族のサポートグループであるOCDの会から、第1号が出版されたのが、2005年12月である。2016年12月に第10号が出版された。

第10号の巻頭言を書くとき、1~9号を読み直した。改めて患者の変化と成長に目を奪われた。加害恐怖に苦しんでいた30代の主婦は私が熊本にいた頃から行動療法を開始し、名古屋でも治療を継続した。この間に二人目の命を授かった。最初は薬無しのERPだけで強迫を乗り越え、子どもも授かったものの、子育てが始まってからまた新しい強迫観念に悩まされることになった。結局、SSRIの維持服用を選ばざるを得なくなった。飲んでいないときには思考のキレ・冴えのようなものがあり、薬によってそれを失うのが嫌だと言っていたが、そのキレ・冴えは強迫観念の源泉でもあった。23年間強迫に苦しんでいた40代女性は、一回目の3日間集団集中治療だけで終わらず、2回受け、その後も個人カウンセリングを数年続けた。この間に親元から自立したり、転居したり、犬を飼ったりしている。体験談も3回書いてくれた。最初は自分を守って欲しいといつも誰かに頼っていた弱い人だったが、最後には自分よりも弱い生き物-子犬-を守ろうとする強い人になった。

とらわれからの自由はOCDの会のサイトから注文できる。

http://ocdnokai.web.fc2.com/kounyu.htm

行動療法研究の査読者として驚かされる

学会誌の査読は面倒がかかるばかりで、自分にとって益になるものがない、と思う人が多いだろう。行動療法研究の副編集委員長・編集委員長を合計12年間やってきた私もおおよそ同意する。しかし、例外はある。行動療法研究第42巻3号はACTの事例研究の特集号である。そのうちの一つの論文(小川, 2016)から一部を引用する。

スーパーパイザーとしての査読者-原井(2016)へのリプライ-

以下に原井(原井, 2016)でも取り上げられた、著者の観察不足に関するアジェンダについて述べてみたい。この症例では著者はマニュアルや教科書などのお手本に囚われてしまい、クライエントを観察しそこから得られた所見の記録が不足していた。人間の注意機能は有限なので、マニュアルを遵守できているかということに注意が向けばそのほかの要素に向ける余裕がなくなることになる。もちろん原井(2016) が指摘するように、ここではクライエントと治療者の聞で起こる行動随伴性をマインドフルに観察できることが重要である。

審査者からのアドバイスとして、たとえばこんな感じで観察内容については記載できるのではないか、とコメントがあった。

「査読者による勝手な想像だが、1回目での様子はこんな患者なのではないだろうか?

記載例 中肉中背でとても健康的に見える女性。腰痛の既往があるが診察室の椅子には背筋を伸ばしてまっすぐに腰掛け、何も支障があるようには見えない。入室時や退室時には目を合わせてきちんと挨拶をし、そわそわしたり、確認したりするなど緊張や不安を思わせるそぶりがない。呼び出してから入室するまでに時間がかかることから、待合室では人の少ない、離れた所に座っていた可能性がある。きちんと化粧し、年齢よりも若々しい。酒落たブラウスを着ており、身なりが整っている。自分から積極的に話し、内容にまとまりがある。やや視線は固定気味で、隣の部屋で物音がしてもそちらに視線が向くことはない。人前では「汗が出たり、喉が渇いたりする」と訴えるが、外見的にはそのようなことはない。表情が微笑のまま固まっているようで、話のテーマが辛さや苦しさに及んでも、喜怒哀楽の表情が表にでることがない。」

もちろんこの記載がクライエントその人を完墜に再現しているわけではないが、かなりの程度審査者が推測したとおりと言える。個人情報の関係もあるので個々の相違点などは申し上げられないが、想像でここまで当てることができるのかということに驚嘆した箇所は複数ある。

 

査読の過程は投稿者の臨床で何が起こっているのかを推測する営みである。自分に何が分かっているかは自分ではわからない。だから、こうやって査読した相手から○をもらえたことは素晴らしい経験だった。投稿論文だけを元にして、一度も見たこともないクライエントの様子を想像だけで言語化することについて、私は今になって自信をもてたわけである。コツや勘所を教えてもらえればできるようなものではない。普段から、患者をよく観察し、その結果を記録にすることを繰り返していなければできるようにはならない。そして、どんな治療法の専門家でも、たとえ行動療法を毛嫌いする人であったとしても、観察と記録の大切さには同意してくれるだろう。

知的興味を満たしてくれる

30年前は、たいていの精神療法家は行動療法を評して「人を実験動物扱いしている」「ラットの実験結果を豊かな思考を持つ人間に当てはめてもうまくいくはずがない」と言っていた。実際に私が行動療法を学びだした頃は、行動主義とはワトソンのいう行動主義のことであり、“心”はブラックボックスであり、ウィトゲンシュタインが言うように「語りえないものについては、沈黙しなければならない」になっていた。知り合いの実験心理学の研究者も言語や思考について触れるのを避けていた。行動・情動は行動療法で、心・言語は認知療法で、のような役割分担が暗黙の了解だった。

今は違う。学習理論の進歩は凄まじい。言語はもはや人間の専売特許ではない(松沢哲郎, 1989)。数字の記憶能力ならばチンパンジーの方が大学生よりも上である(松沢, 2008)。スキナーの弟子であるRichard Herrnsteinが発見したマッチング法則が行動経済学につながり、それをDaniel Kahnemanの本(Kahneman, 2011)で学ぶことができる。刺激等価性の発見が言語を行動から捉えることを行動分析家にとってのホットなテーマにした(武藤, 2014)。薬物の反応ももちろん行動で解釈できる。行動薬理学に関する本を私も書いた(原井宏明, 2012)。行動療法に触れなければ、ここまでわくわくするような知的興奮は得られなかっただろう。

アメリカ人外科医の本に驚かされる

2013年にAtul Gawandeの本を訳出した(Gawande, 2013b)。2016年に2冊目、「死すべき定め」を出した(Gawande, 2016)。依存症の臨床以外に私の臨床に影響を与えたものをもう一つあげろといわれればこの2冊の本を上げる。その一例をあげよう。「死すべき定め」の第8章「勇気」ではGawandeはこう述べる;

老いと病いにあっては,少なくとも2種類の勇気が必要である。一つ目は,死すべき定めという現実に向き合う勇気だ-何を恐れ,何に望みを持つかについての真実を探し求める勇気である。この勇気は難しく,持てないのも当然だ。真実から目を背けたい理由はいくらでもある。しかし,さらにもっと厳しいのは二つ目の勇気だ-得た真実に則って行動する勇気である。何が賢明な道なのかはしばしば曖昧であり,それが人を悩ませる。長い間、私はそれを不確実性のせいだと単純に考えていた。この先の予測が難しければ,何をすべきかを決めるのが難しくなる。しかし、いろいろ経験するうちに,本当のハードルは不確実性さよりももっと根本的なことだと気づいた。恐れか望みか,どちらが自分にとって最も大事なことなのかを決めなければならないのだ。

このあと、GawandeはDaniel Kahnemanから引用し、“脳は苦しみのような経験を二つの方法で評価する―経験を起きている瞬間に理解することとその経験を後から見直すこと―そしてこの二つの方法は根本的に相互矛盾する”と論じ、ピーク・エンドの法則を説明する。

セルフモニタリングと動機づけ面接に続く、行動療法の勘所の3つ目を上げろと言われれば、私は迷わずエクスポージャーを挙げる。山上先生から学んだのは、不安階層表を作り、楽なところからエクスポージャーを開始し、徐々に刺激の強度を上げていくことだった。常識的に見えるし、たいていの行動療法家もそうしている。しかし、私は徐々に不安階層表を無視するようになり、今はまったく使っていない。可能ならば最初のセッションで最強度の刺激を使ってエクスポージャーをするようになった。山上先生なら「患者がどうなるのかを予測できないのに、無理なことをするのは駄目」と怒るところだ。私には「結果が出るからそうしています」以外の答えがなかった。

「死すべき定め」を読んでから、最初に強い刺激を持って来たほうがなぜうまくいくのか、患者がエクスポージャーをなぜ自発的にするようになるのか、その理由をピーク・エンドの法則で説明できることに気づいた。人間は不安の体験の総量を記憶しない。どれだけ不安の総量が多かったとしても、時間も長かったしても、不安のピークと終わりの時のレベルだけを記憶していて、終わりが下がっていれば「良かった、またやれる」になる。逆に、いくら不安の総量が少なく、時間も短かかったとしても、終わりのレベルがちょっとでも上がっていれば「嫌だった、もうやりたくない」になる。やる前は不安の総量に対して慄くが、終わってしまえば「思ったほど大したことなかった」になってしまう。そしてピークとエンドの対比が大きければ大きいほど、期待と結果の違いのズレが大きければ大きいほど、次もやれるという自信になる。

外科医が書いた終末期医療の本から、エクスポージャーのヒントが得られると思う人はいるだろうか?

III.           あなたはどうなりたいのか?

1.     行動療法には理想はない

理念型としても口癖としても“理想の行動療法”、“究極の行動療法家”というものはない。30年前、行動療法を学び始めた頃、そのことを行動療法の欠点だと思っていた。エリクソニアンやフロイディアンなら、それぞれエリクソン・フロイドに帰れ、原点に帰れという話になるだろうが、行動療法には帰るところはない。似たような言葉にスキナリアンがあるが、スキナーはそもそも治療者ではないから、精神療法の文脈で“スキナーに帰れ”と言い出すような人はいない。行動療法そのものが常に変化している。患者の中には特定の病気に悩んでいるというよりも、この先の自分の人生をどうしたらいいのかわからないので悩む、生きる上での指針が欲しいと訴えて受診する人がいる。強迫や不安を改善させたところで、人生の指針が見つかるわけではない。“人はこう生きるべきだ!”は普通は押しつけがましいが、将来の目標を持てないと訴える患者はそれを欲している。こういう時、行動療法はどう使うのだろう?

私の場合の逃避・回避したいこと、求めていることを先ほど書いた。今の私は、30、20年前の私の考えの中で間違っていたものがあることを知っている。もし、昔の自分に会えるとしたら、いろいろ教えてやりたいこともある。30年後には行動療法の専門家として認められ、原稿依頼が来るようになる、訳書の一つはベストセラーの一角を飾るようになり、大学生になった娘が大学の書籍売り場で平積みになっていることを嬉しそうに報告してくれる、と伝えてもやりたい。もっとも、そんなことしたら30、40歳の私は“余計なお世話だ”と嫌がるだろう。息子のことで悩んでいる時なら、“何の縁があって死についての本を翻訳しなければならないのか?そんな暇があるなら、本来の自分の仕事をする”と言うかもしれない。それでもこうやって30年間を振り返ると、私が避けたいこと、求めていること、“価値観”は変わっていないことに気付く。その時その時の判断を後から見れば間違っていたものがたくさんある。しかし、その時にはそれで完全だったのだ。

読者のあなたにとってはどうだろうか?何を避け、何を求めるのだろう?完全はない。だからこそ工夫のしがいがある。

2.     機能的文脈主義

ここまで私が書いてきたことが機能的文脈主義である。実用主義と機能主義、文脈主義をあわせた現代哲学の一つだ。スキナーの徹底行動主義の延長線にあり、操作可能な環境要因と行動を用いて、行動を予測し、制御することを目標に置いている。行動の範囲は拡張され、言語や思考、情動など生物に可能なことすべてを含んでいる。ACTはこの主義を明示的に採用している。

あなたはどんな哲学を持っているだろうか?フッサール、ウィトゲンシュタインと聞いてうんざりしてしまった人でも、世界観ぐらいはもっているだろう。次のイエス・ノー質問を考えることで、あなたの哲学を分類してみよう(Pepper, 1942)(武藤, 2001)。

  1. 世界は要素で構成されていて、究極の要素に還元して観察し、判断することが原理としては可能である イエス・ノー
    これは世界が素粒子から構成されているか?精神状態は個々の神経伝達物質の働き・無意識の働きに還元できるか?精神疾患の完全な分類はあるのか?統合失調症の原因となる究極の精神病理はあるのか?という質問と同等である。究極の大和魂はあるのか?でも良い。
    ちなみに私はノーである。自分自身の行動療法の要素を数個程度にまとめることすらできないのに、世界や精神状態を有限の要素にまとめられるはずがない。現在一応の主流の“要素”はあるが、それもとりあえずそうしておくのが便宜上は好都合だから、文句が出ないからという関係者側の都合によるものだけである。
  2. 世界は意味がつながった単一のストーリーになっている。だから、一見、支離滅裂に見えるものでも隠された何かを探しだして一つのストーリーに紡ぐことが可能である イエス・ノー
    もし、聖書は真実の書だと信じるなら、世界は創世記から始まり、最後の審判で終わる。あなたが敬虔な一神教(ユダヤ、キリスト、イスラム)あるいは一部の仏教(浄土信仰など)の信者ならば、未来の救いを信じているのだから、イエスと答えることになる。逆に、聖書やお経は単なるお話し・儀式としか思わないし、神や浄土の存在は手前勝手にそうだと想像しているだけで嘘か本当かは死ぬまでわからない、親鸞に騙されたという結果になっても恨まない、そもそも死んだらと恨みようがない、と言うならばノーである。
    生物進化に置き換えても良い。「創世記は古事記と同じく神話、進化は事実」と考える人でも、もし、細菌から虫、人まで、生物は複雑かつ高度で、優れた方向に進化してきたと考えるならばイエスである。ネオ・ダーウィニズムの立場、すなわち、進化は一方向性ではなく、大腸菌もゴキブリも人も、それぞれが等しく高度であり、環境に適応しており、(ヒトの一本の腸にいる腸内細菌は約3万種類、1000兆個、約2kg、昆虫は80万種以上で現在知られている生物種の半分以上を占めるが霊長類は220種しかいない)、なぜこうなったかはランダムな変異と系統的な自然選択の産物であり、決まったストーリーはない(私の行動療法の変遷も同じだ)と考えるならば、ノーである。

 

1,2のいずれに対してもノーと答えるのが文脈主義である。一方、イエスと答える哲学の代表選手が論理実証主義(Logical Positivism)である。論理経験主義(Logical Empiricism)、科学経験主義とも呼ばれる。この立場は少数の原理から、全ての複雑な事象を論理的に説明できると考える。逆にすれば、どんな複雑に見える理論であっても、少数の命題に論理的に分解できるという意味である。そして、その理論のなかから、実験や観察によって実証されていない命題を発見できたら、その理論の全ては机上の空論であると判断する。数学的な公理体系に実証主義を加えたものだ。もし、あなたが神経生化学の研究者やメタアナリシスを専門にする臨床疫学研究者だったら、論理実証主義を当然として受け入れているのではないだろうか?

機能主義はいままでに何度か触れてきた。繰り返しになるが、物事を認識するとき、それがもたらす結果、“機能”で認識しようというやり方である。心も特別扱いしない。普通の人はチンパンジーが言葉を綴っても、チンパンジーに知能がある、心があるとは思わないだろう。コンピューターに心があるとは常識では言わない。しかし、グーグル社が開発したアルファ碁について、元・女流本因坊の小川誠子六段が次のように述べている。

「アルファ碁の強さに驚きました。中盤から後半がとくにしっかりしています。コンピューターなのに、感情が入っている気がしたくらいで、李九段とは人間同士の碁のように楽しみました。」

http://ironna.jp/article/3126?p=2

機能主義から言えば、これは当然のことになる。コンピューターには感情が入っている。しかし、あくまで碁で対戦しているときだけのことだ。与えられた文脈で目標があるから、すなわち世界トップの棋士と連戦し、相手の弱みを見つけて勝て、という設定があるから、感情が入っているようにみえる。

機能的文脈主義では、どうすれば勝ったことになるのか、何連戦するのか、そのようなゴールを一人一人が自分の置かれた文脈に基づいて、自分で恣意的に決めなければならない。私の場合は何かを乗り越えるために工夫し、その後で意外な発見をすることだった。山上先生との軋轢が生じてもそうしていた。患者にセルフモニタリングをさせ、治療体験談を書いてもらうという習慣がそのための道具になった。

IV.           読者に問う

読者はどうだろうか?何を求めて仕事をするのだろう?何を避けて仕事をするのだろう?

あなたの哲学は次の質問にどう答えるだろうか?

1.世界は要素で構成されている

2.世界は意味がつながった単一のストーリーになっている

そして、何をゴールにするのだろう?30年後についてはどうなっていればよいと思うのだろうか?自分が専門にしている領域は?自分自身については?最後にそのためには15ある精神療法のどれを選び取るのだろうか?

 

ちなみに私は1,2にはノーと答える。無神論者であり、死後の世界があるとは信じない。同じように精神疾患の完全な分類があるとは思っていないし、精神療法の分類に興味がない。全ての謎を科学的な実証研究で解き明かすのは原理的に不可能だと思っている。しかし、宗教美術は好きで、中高で学んだ聖歌は今でも口ずさむ。どの宗教でも天国や極楽は陳腐なワンパターンなのに、地獄は限りない多様性があって面白い。科学雑誌は昔から好きで今でも面白いし、科学の営みとは謎を減らすことではなく、増やすことだと思っている。

V.            おわりに

この小論を書くために随分勉強した。哲学書を開くのは何年ぶりかだ。ふと、気づいて私の昔の日記を開いてみた。

1977/4/23 原井哲学の終着点

真理はない 一定の仮定に基づく論理的法則体系があるのみ たまたまそれが現実の事象と似ているように認識される。

これを書いたのは40年前だ。人生と勉強は何年やっても面白い。自分の日記(セルフモニタリング)からも驚きが得られる。

文献

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強迫性障害と認知行動療法

認知行動療法は多くの精神障害の研究や治療に寄与した。中でも強迫性障害(Obsessive Compulsive Disorder、 以下OCD)は認知行動療法によって見方や対応が変わったものの代表である。現在、OCDに対する治療法の標準はエクスポージャーと儀式妨害(Exposure and Ritual Prevention以下E&RP)とセロトニン再取り込み阻害剤(Serotonin Reuptake Inhibitor、 以下SRI)である。これらの治療方法は適切に行えば大半の患者を軽快させられることが、無作為割付比較試験やメタアナリシスによって、明らかになった。

OCDに対する認知行動療法の発展

系統的脱感作によって恐怖症を治療できるようになったときから、OCDに対する行動療法によるアプローチも始まった。しかし、不安を軽減する技法のみではOCDを治療することはできなかった。OCDを治療できるといえるようになったのはMayor (Meyer 1966)が1966年にE&RPを始めてからである。1980年代以降、E&RPを構成する各部分の効果を調べる研究が行われ、リラクセーションのような不安を下げる方法は不要であること、エクスポージャーと儀式妨害の組み合わせが必要なことが明らかになった (原井 1999)。

治療効果の検証を目的とした臨床研究の中で扱われるE&RPは次のように定義される。①比較的高い恐怖刺激から始められる段階的現実エクスポージャー、②入院などの制限された環境の中での数時間から1日にわたる厳密な反応妨害、③10~20回程度のセッションを週に2~3回行う、④自宅で行う患者が行う宿題、としたパッケージである。E&RPを中心とした行動療法の臨床試験をまとめると以下のようになる。E&RPを勧められた患者のうち25%がこの治療法を受けることを最初は拒否する。完全にやれてうまくいく患者は全体の67~90%である。やや改善以上の患者が85%、かなり改善以上の患者(重症度が50%以上改善)する患者が55%、改善後に再発する患者が25%である (Jenike 2004)。

OCDに対する認知行動療法の特徴と問題点

患者自身がOCDと治療法を知っている

1999年にフルボキサミンがOCDを適応症として承認された。薬品会社はOCDの啓発活動を始め、OCDの診断と治療が一般にも知られるようになった。OCDの診断は他と比べると、容易である。疾患の特徴を知っていれば素人でも診断がつく。患者は医療情報を自ら探し出し、OCDと診断し、有効な治療法を受ける機会を求めるようになった。精神障害もそれに有効な治療法も多種多様である。しかし、患者が自ら診断し、治療法を指定してくる疾患は多くない。OCDはその中のひとつである。

E&RPを受けられる場所がない

E&RPには治療者にとって易しい治療法ではない。E&RPは米国であってもあまり使われていない。1996年のアメリカ精神医学会の大会に参加した精神科医に、E&RPを施行できるか、施行できるところへ紹介できるか、を問うたところ、Yesと答えたのは10%以下であった (Baer and Greist 1997 )。米国の実際の心理臨床家を調査した研究がある (Freiheit and Vye 2004 )。OCDに対する治療法として最もよく使われている技法は認知修正法であり、E&RPは呼吸訓練やリラクセーションと同じ程度しか使われていなかった。筆者の知る限り、先にのべたような数時間から一日にわたる厳密な反応妨害を伴うE&RPを行っているところは日本に数えるほどしかない。患者がE&RPを行うところを探しても容易には見つからない。

E&RPは患者が自分でしなくてはならない

幸運にも患者がE&RPを行ってくれるところを見つけたとしても、もうひとつ難関がある。E&RPは楽ではない。E&RPとは、強迫観念の恐ろしさから逃れるために患者が習慣的に行ってきた儀式行為を一切やめることである。ヘビースモーカーが禁煙を、アルコール依存症患者が断酒をすることに等しい。認知行動療法を受ける目的で筆者を紹介されたOCDの患者についてみると、 E&RPを受けたのは約半数強である。他は薬物療法とE&RP以外の認知行動療法を受けるにとどまっている。

OCDと患者と認知行動療法

E&RPは誰かにしてもらうものではない。患者が“自ら”するものである。変わる主体は本人である。この気持ちが不十分だと、E&RPを始めても結局中途半端になってしまう。ではどのようにして患者はE&RPを行うのだろうか?

筆者の経験で言えば、E&RPを患者が行おうとするきっかけとして一番よくある理由は、E&RPによって良くなった他の患者のことを知ることである。筆者の施設では、回復した患者と治療を始めたばかりの患者が集まり、先輩患者が体験を語るという集団療法を数年前から行っている。2004年4月からは、この集まりが発展し、患者自身によるサポートグループ、“OCDの会”となった。この会の参加者の言葉を借りて認知行動療法のやり方をまとめてみる。

40歳 会社員 父親 加害恐怖と確認儀式

OCDの兆候が現れだしたのは22才位の頃だった。一人暮らしの部屋をでる度にコンセント、電気のスイッチ、戸締まりの確認を数回繰り返していた。私は異常なほどの神経質な性格になったと思っていた。

25才頃から症状が強くなった。仕事に自信ができ職場にも信頼される様になっていた。職場は交通違反に対して厳しく、自分が模範を示さねばならないと考えていた。その結果、通勤中に違反や事故を起こさなかったかを一旦後戻りして確認するようになった。一度の確認では安心できなくなっていった。仕事自体は順調で、結婚し,子供にもめぐまれた。人生の地盤ができあがりつつあるこの数年間に、 OCDの症状も強くなっていった。

確認すればするほど、知らないうちに人を轢いたのではないか、という恐怖が強くなっていった。人をひき殺し、轢き逃げ犯として逮捕され、家族を不幸におとしめるという観念はとても苦痛だった。助けを求めて神経症関連の本を色々読んだ。読むうちに自分がOCDであることはすぐ見当がついた。しかし、どの本も手洗い、汚染恐怖が主体で、車で人を轢くのではという妄想についての解説を見つけることができなかった。私は病気ではなく本当に事故をおこしているのではとさらに悩みがつのった。とうとう、故意に人を轢くのではないか、歩いているときに通りがかりの人に危害を加えるのではないかというというところまで発展した。人の集まるところを避けるようになり、家から出られなくなり、うつ状態になった。このままでは家族にも迷惑を掛けると思い、近くの精神科を受診した。3、4種類の薬をもらったが改善せず、専門医を紹介してもらった。

OCDの専門治療を受ける

OCDの専門家がいるということにまず驚いた。病院の診察は4~5分が普通だと思っていた私は、ひとりにかける時間的余裕、治療体制に感心した。月1回、一回1時間の診察が始まった。

最初に、SSRIの量を増やされた。うつ状態がかなり改善された。行動療法を行う意欲も出来てきた。行動療法の第一のステップとして表形式の日記をつけることからはじめた。毎日の気分の点数をつけた。うつ状態がよくなっていくのが見てわかった。次に行動療法について詳しく解説してある本 (フォア 2001 )を読み、行動療法(E&RP)を事前に理解した。

主治医からOCDについての一般的特徴、不安の発生から確認までの流れ、仕組みなどを教えてもらい、自分のOCDの特徴など分析したことを紙に書いた。自分のOCDについて頭だけで考えるより、客観的に見ることで理解することができた。この作業を行ううちに、治療のやる気が出てきた。

E&RPを行う

儀式妨害

二番目に、確認行為を止めた。元に戻るというような行動を伴う確認をしないことは思ったより簡単だった。しかし、私の場合は頭で思い返す確認がほとんどである。確認をしないということが難しく、とても無理だと思った。考えてはいけないと思うこと自体が考えている状態なのである。対策として、考えを受け入れてしまう、他のことを考える、などを行った。考えを受け入れることは辛くむずかしかった。でも、うまくいけば時間がたてば不安を忘れることが出来た。他のことを考えることはやりやすいのだが、考えが途切れると、そのときについ、確認が始まることがあった。この方法では完全に不安から逃れられることはできなかった。

エクスポージャー

三番目に、辛いイメージを自分で考え、ひと続きのストーリーにした。それを先生に読んでもらいテープに録音したものを毎日、通勤の車の中で聞いた。文章を作成している時に一番強い苦痛を感じた。それでも聞き続けることで辛いイメージに対し平気になるのがわかった。これは人によってはかなり辛い行動療法らしく、やり遂げたことを主治医に誉められた。

最後に、私は人を傷つけるかもしれないようなとがった物(シャープペンシル、ハサミなど)をポケットに入れて買い物に行く計画をたてた。思っていたほどの苦痛はなかった。これは大きな自信となった。避けていたことに思い切って立ち向かうと、意外に苦痛ではないということがわかった。このあと、とがった物に対する恐怖がかなり改善された。今では普通にペンを持ち歩けるし、ハサミなどは道具として当たり前に受け入れることができ、かなり生活が楽になった。

まとめ

自分のOCDを分析したことで気付いたことがある。OCDの人には誰でも強迫観念が出てくる前にトリガーがあると思う。普通トリガーがあり強迫観念に移行すると思うが、このトリガーに早く気が付くことで、早ければ早いほど楽に強迫観念を受け入れることができるということである。自分のOCDを研究することで、このトリガーを早く察知できる様になった。私はこれで今までよりかなり強迫観念におそわれることが少なくなった。

現在私は専門医について治療をはじめてから約1年になる。まだ完治してはいない。20年近く抱えて来たOCDがそんなに簡単に解決するとは思わない。私の場合,精神的に動揺したとき強迫観念に襲われやすい傾向にあるが、それでも1年前に比べると70%位は改善されたと思う。これは私にとってかなり有難いことである。たった1年で長い間苦しんできたことから解放され、当たり前の生活ができる様になった。このあたりまえのことが、大変うれしく感じる。

40歳 主婦 生ものに対する不潔恐怖と洗浄儀式

自分がおかしいと気がついたのは、二人目の子どもが生まれた頃からだった。料理をする前の手が綺麗かどうか、自分で納得出来るまで洗わなければならなくなったことだった。最初は回数が増えただけだったが、そのうち自分の決めた「手の洗い方」ができた。その決まったやり方(儀式)がきちんと出来ないと次に進む事ができない。かなりの労力と集中力がいった。どんどん時間が過ぎていき焦った。子どもの声やテレビの音に気をとられて、きちんと儀式が出来なかったのではと思うと、完璧にできたと思うまで儀式をやり直さなければならなくなっていた。食事の用意をする時間が遅くなり、手洗いに疲れ、料理が出来なくなった。

肉や魚を料理するときは強く緊張した。触った後の手洗いに必死になった。生肉の血が付いたままの手で、他のものに触れて、それを子どもが知らずに食べてしまい、その後、食中毒になって死んでしまうのではないか、と思うようになっていた。自分が子どもを守らなければいけない、そのためには血やばい菌が完全に落ちるまで手を洗ってからでないと、子どもの口に触れるものは触ってはいけないと考えるようになっていた。

精肉・鮮魚コーナーの近くを通ると、自分が気付かないうちに体のどこかが触れているかもしれないような気がして避けるようになった。買わなければいけないときは、野菜などとは別のカゴにするなど事細かな決まりを作っていた。しかし、自分のことは病気とは思いたくなかった。誰にも相談できずにいた。

治療を始める

35歳頃から、気分が落ち込み、眠れなくなった。うつ?と思って精神科を受診した。うつ病と診断され、投薬とカウンセリングを受けた。すこし元気になってくると、このまま家庭にこもって家事と育児だけの生活を続けていたら、私はおかしくなる、なるべく外に出るようにしよう、と思うようになった。会社の事務の仕事を見つけた。職場では不潔なことも気にならなかった。仕事は大変だったけれど、病気ではない自分でいられる場所があることがとても嬉しかった。

しかし、自宅での手洗いは相変わらずだった。先生に「別に少しぐらい手を洗いすぎても毎日が過ごせているならいいのでは?気の持ちようだよ。」と言われた。でも私にとっては、おかしなことをしていると分かっているのに、手洗いを止められないことが悩みなのである。手洗いを誰かに止めて欲しかった。このままでは、自分のおかしな決まりは良くならない、どこか助けてくれるところはないか,そんな思いで病院を数ヵ所変わった。この間に、薬は抗うつ薬や抗不安薬、睡眠薬、頓服など数種類に増えていった。アルコールの量も増えた。そして最後のところで、OCDの専門医を紹介された。

OCDの専門治療を受ける

OCDの専門医では薬は一種類だけになった。気分と強迫症状についての日記の宿題が出された。最初は日記を書く気がしなかった。症状のことを考えるのが嫌だった。しかし、診察に通ううちに自分が何かしないとダメだと気づいた。

セルフモニタリング

日記に自分が気になった汚れ、手洗いの回数、手洗いしていた時間、確認の回数、アルコールの量、気分の点数を毎日記録し始めた。アルコールに頼っていたこと初めてがわかった。寝酒をやめた。不思議なことにうつ気分がよくなった。そして、強迫儀式にかかる時間の長さに気付いた。儀式にかかる時間を少しでも短くしようと考えるようになり、そうすると前より減ってきた。数字で記録をつけると小さな変化でも良くなってきたことが分かってうれしかった。日記の効果だと思った。

E&RPは恐ろしい

しかし、生肉や生魚を避けることは相変わらずだった。主治医からE&RPを勧められた。でも、これは今まで必死になって避けてきた一番嫌な事にあえてするということである。「冗談じゃない。今まで、きつさの頂点を味わい苦しみに耐えてきた。なのにさらにもっときついことをするなんてありえない。」と思った。E&RPの方法について詳しく書いてある本を読むように言われたが、いろんな症例が自分に当てはまるのが恐ろしい、これぐらいなら大丈夫だと思っている自分を否定される、と感じた。本に書いてあるような強迫症状が自分にも追加してでてくるのではないかという心配もあった。本を開くことも恐ろしかった。

OCDの集団療法

主治医からOCDの集団療法に誘われた。同じ病気で悩む人は自分一人ではないことがわかった。今まで誰にも言えなかった悩みを話せた。患者の一人が話し合い中にE&RPを受けていた。とても残酷なことのように見えた。しかし、その患者は2、3週間後にすっかり元気に明るくなっていた。他の患者が治っていく姿を目の前で見て、自分も治ることができると思えるようになった。避けるのをやめようと思った。

自分がE&RPをする

最初の課題は、自分が一番恐れている最悪のシナリオを作ることだった。そして、それを文章にして、毎日その文章を声に出して読むことが宿題だった。「生肉の汁が自分の携帯についた。それをわが子が触り、その手で自分の口に触れた。次の日、子どもが下痢をした。病院につれていった。食中毒と言われた。入院になった。2日後、痙攣をおこした。それから意識がもどらなくなった。一年後,治療のかいなく息を引き取った。自分のせいで子どもが死んだのだ。」 最初は、恐くて泣きながら何度も途切れながら、一回読むのが精一杯だった。怖くてかえって手洗がひどくなった。読むことが恐ろしくなった。もう一度、勇気を出して、治すんだという気持ちを出して読み返した。今度は、前よりも平気になっていた。繰り返し行うことで、平気で読めるようになった。

しかし,手洗いは止まっていなかった。主治医から入院治療を勧められた。三日間の手洗い禁止と、その間に子どもたちが面会に来ることが課題だった。一番汚したくない子どもたちを不潔な手で触れることが大事だと説明された。嫌だと断った。自分がおかしいということだけでも子どもに迷惑をかけているのに、自分の治療のために子どもを巻き込むことはしたくなかった。「じゃ、このままでいいの?」と聞かれて悩んだ。「今度の土日に全く手を洗わずに生活してくる。それが出来たら入院しなくてもいい?」と答えた。私も意地だった。自宅で本のとおりにやってみた。翌週の診察で、「先生、できたよ。」と報告した。先生に誉められた。これまで主治医のアドバイスに逆らい続けていて、褒められたのはこのときが初めてだった。気恥ずかしかったけれど、とても嬉しかった。

次の週、友達から家族で潮干狩りを誘われた。人前では手洗い儀式ができない。以前なら即座に断るところである。行動療法だと思っていくことにした。アサリをとって、海の水で洗って、その手で子どもにおにぎりを食べさせた。子どもにはなにも起こらなかった。やれたという充実感と安心感があった。その次の週には、

ミンチを買ってギョーザをつくる決心をした。素手で生肉をこねた。気持悪かった。妙な冷たさ、つめに入る感じがあった。洗いたかった。ミンチを見ていると気持が盛り上がってくる。触りたくないな、手が嫌だな、子どもがおなかを壊さないかなと思う。でも、ここで洗ったら駄目、もう、こんな見ているばかりでは、いやになるばかりだから、やってしまえ、と思い、その手で他の料理に触った。子どもたちが喜んで食べた。恐れていたことは起こらなかった。

今は普段からミンチや魚を積極的に触るように心がけている。普通の主婦だったら買い物に出たとき、「あ、今日はミンチが特売、今夜のメニューはハンバーグ」となるだろう。わたしは前日から、今度はハンバーグ、ミンチミンチと念じながら、気合を入れて買い物にでる。魚を買うときも、切り身でなく一匹まるごとをわざと買うようにしている。わずらわしいがそれが自分の治療だと思うことにした。

この治療をうけるほかの人に伝えたいこと

自分のやっていることがとてもおかしいことだとわかっているので、あえて他人の視線があるところで自分が避けていることにチャレンジすると、儀式をやりたい欲求を抑えることができ、それとなく平気なふりが出来てしまう。治すためには、一人でひきこもらずに他人と触れ合うことが大事だと思う。

この病気はつらい病気である。それを周りの人に理解してもらうことも難しい。しかし、この病気を治す治療法はある。私はその治療を受けてとても良くなった。行動療法は辛く大変な治療だった。決心と勇気が必要だった。みんな「治りたい」と思っている。でも思っているだけでは変われない。本当に「治りたい」と思うのなら、自分の意思で自ら動かなければならない。どう動くかは専門の先生がサポートしてくれる。先生と一緒に「自分は治る」という強い気持ちを持って、自分を治していくことが必要だというのが私の経験から一番感じることだ。今までいちばんイヤで避けてきたことに、誰の助けも借りず、自宅で一人でがんばって挑戦して成功したときは、ものすごい達成感でうれしかった。「本当の自分が今まで支配していた別の自分を追い払った」という感じだった。

しかし、一度達成しただけではゴールではない。何か気になって心配することは誰でもある当たり前のことである。OCDはそれが普通の人以上で、普通は気にしないことまでに妙にこだわってしまう。いちど行動療法ができるようになったら、あとは、その状態をどう維持していくかが大事だと思う。私は、何度も自分で自分をコントロールできた状況に置いてその場に慣れるようにするようにしている。自分の今のいい状態を保つには常に意識して生活することが必要だと思う。

さいごに

病気が解明され、治療法が進歩し、そして一般人への啓発活動が進んでも、実際に治療を受ける機会が乏しければ、患者への福音とはならない。逆に、良い治療法があると知った患者が、実際にはその治療を受ける方法がないことを知ったときの失望や怒りの方が大きいだろう。また実際に認知行動療法を受けたとしても、それが不適切に行われ、失敗に終わると、患者は二度と受けない。

認知行動療法は、患者が行動することによって患者が変わるものである。本稿がOCDの患者の自分を変えたいという気持ちを強めることになれば幸いである。また、患者自身からOCDの専門医療機関がもっと必要だという声があがることを願っている。これによって医療を提供する側が変わっていくだろう。

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草稿 メンタルクリニックでの診断の技と工夫-臨床の知を診断に活かす 行動療法 2016/09

注意 この原稿は草稿です。最終版ではありません。引用などはお控え下さい。

I.              ある二分法:診断はパズルかミステリーか?

診断はいわば一種の謎解きである。そして謎はパズルとミステリーの2つに分けられる。前者はどんなに複雑怪奇に見えたとしても正解は一つだけだ。30年前の知人が今も生きているか死んでいるかは答えが一つしかない。診断でいえば,たとえば脳腫瘍が原因になって生じた精神症状であればその腫瘍を見つけ出すことが診断のゴールである。多種の腫瘍が同時に生じる(重複癌)は例外的だから,一つ見つければ良い。所見や病歴などあらゆる情報を集め,検査し,まだ見つかっていない何か一つを発見することに注力することになる。情報は多ければ多いほど良い。診断上手な医者とは必要最小限の情報で正解に到達できる人のことである。診断の凡人でも情報を集めることさえ怠らなければ,いつかは正しい診断に到達する。一番悪いのは情報集めを怠り,見落とす医者だ。

逆に,ミステリーは調べれば調べるほど迷宮に迷い込み,判断に自信を持てなくなるような謎だ。知人の30年間の人生が幸せだったか不幸だったかはどう決めればいいだろう?再会した瞬間に幸せそうかどうかは判断できるだろう。しかし,30年間の話を微に入り細に入り詳しく聞いたとしたらどうなるだろうか?私は精神科医を続けて30年になる。診た患者の数は数千人を超える。その中には本一冊でも足りないような壮絶な人生を経てきた患者がいる。診断基準を当てはめただけでも,うつ病やPTSD,パニック症,社交不安,アルコール・睡眠薬依存がつく。アダルトチルドレンやDV,空きの巣症候群などともつけたくなる。そして情報を集めれば集めるほど,その人に何がもっとも良いことなのか,援助するとはどういうことなのかがわからなくなる。これがミステリーである。診断上手な医者とは情報の解釈に長けて実際の援助につなげられる人だ。凡人は間違った診断であっても適当なところで見切りをつけて前に進める人だ。一番悪いのは情報収集癖である。次々情報や検査を加えては新しい異常を発見する。得られた情報をどう解釈したら良いのかわからず,さらに精査する。この間,患者への援助はないがしろにされる。

さて精神科診断はパズルか,ミステリーかどちらであるべきなのだろうか?パズルかミステリー,このような二分法は議論を始める時には必ず必要だ。分類は医学の出発点である。正常と異常を分けなければ、誰が医者か患者かも分からない。一方,二分法は私たちの自由な発想を邪魔する落とし穴にもなる。私もはまっていた。そして落とし穴が恐ろしいのは出てからでないと入っていたことにすら気づかないところだ。一生入ったままの人もいるだろう。まず、私も入っていたうつ病の二分法の落とし穴を掘り返すことから話をはじめよう。

II.             うつ病は内因性/非内因性(心因性・神経症性)に二分すべきか?

誰でも素朴に考えれば、心の病気を人間関係や環境など患者の外側に原因があるものと、脳や神経のように患者の内側に原因があるものに二分する。落ち込みと意欲低下、体調不良が長く続き,思い当たるような持病や体の異常がなければ普通の人ならうつ病を考えるだろう。駅前にあるメンタルクリニックに自分で電話をかけて初診を予約し,1週間後に1人で歩いてこれる患者ならば脳腫瘍などはほぼ考えなくてもよい。このような場合,伝統的な精神医学は症状に基づいて内因性と非内因性(心因性・神経症性)に二分する。一方,DSM-III以降、少なくともアカデミックな精神医学の診断分類からはこの二分法は日陰に押しやられている。私は行動療法家だが、診断に関しては感情障害長期経過追跡研究(原井宏明, 1999)で一緒に仕事をした(指導を受けた)古川壽亮先生に多大な影響を受けている。彼の診断学の本から引用する(古川 & 神庭, 2003) P279。

内因性/神経症性の区分にまつわる論争は,イギリスでは一元論のLondon学派と二元論のNewcastle学派との論争として, 50年以上にわたって続いていたものである. 1960年代から1970年代にかけて一連の論文でNewcastle学派のRothらは,内因性うつ病と神経症性うつ病とは別個の疾患であることを証明しようとした。区分が妥当であることを証明するためには,両者が混在した状態が比較的まれであること,つまり「黒Jと「白Jに比して「灰色Jが少ないことを示さなくてはならない.そこで,彼らは129例の内因性もしくは神経症性うつ病の患者の症状評価を重回帰分析したところ,その結果はー峰性ではなく二峰性の分布を示したというのである。しかしながら,後続の研究はそのほとんどがこの結果を追試することに失敗した。現在では, したがって,うつ病の症状は連続的なものでいわゆる内因性と神経症性の症状はそれぞれの純粋形よりも混合形のほうが多いことが認められている。

(中略)

さらに,上述の「うつ病の精神生物学に関する共同研究Jで5年間の追跡期間中に2回以上の抑うつ病相のあった201例の症例を検討したところ,同一症例で内因性に関して一貫した症状が反復される傾向はみられなかった。

これだけのデータにかかわらず,多くの精神科医は,種々の症候,重症度と転帰を示すうつ病すべてをひとからげにすることに躊躇するようである。これが, (薬物によく反応するという神話に加えて)いわゆる内因性うつ病の概念が,多くの研究でその妥当性を確認されていないにもかかわらず,生き残っている理由の1つであろう。しかし,神経症性うつ病については,全くその限りではなく,したがって,もはや時代遅れのものと考えなくてはならない。

 

もともとの私は他の精神科医と同じで,笠原-木村のうつ状態分類・キールホルツの分類法などの常識を信じていた。落とし穴に入っていたのだ。古川先生に会ったことが穴から出るきっかけになった。診療上の疑問が生じたらコクラン共同計画やUpToDate®を見るようになった。精神病理学の権威が伝統に基いて主張することをまず疑うようになった。

私の懐疑心に拍車をかけたのは、抗うつ薬のプラセボ対照二重盲検ランダム化比較試験(Randomized Clinical Trial, RCT)の経験である。現在,日本で上市されている抗うつ薬の臨床試験の大半に関わった。対照群に対して優越性を示せず闇に消えた薬も数種は知っている。私がプラセボを与えた患者は20人を超える。最初のころは副作用が出たり,反応が早かったりすれば実薬だと思い込んでいた。目の前の患者に飲ませている薬が本当は何なのかは誰にもわからないとは信じられなかった。症例記録を固定するたびに、この患者はプラセボだ、実薬だという賭を治験チームでやってみた。結果は無残だった。様々な薬で何回やってもどの患者がどの群に割り当てられたか誰にも当てられなかった。まさしくランダムだった。やればやるほど明確になったのは治療者・研究者自身が無意識に抱えている思い込み“認知バイアス”を打ち砕く方法としてRCTほどデザインが簡単で強力なものはないという事実だった。一方、治験の依頼者からは「プラセボ反応しやすい患者と、そうではない患者を事前に見分ける方法を教えて欲しい」と何度も頼まれた。私は「できないものはできない、できると答えている研究者は全員疑似科学者だ」と何度も答えた。内因性うつ病は薬に反応しやすいというのはまさしく神話である。何度否定されても不死鳥のように蘇る。うつ病患者に対するプラセボ対照試験は非倫理的だと主張する医師もいまだにいる。

私が自分の診断と治療に対して謙虚であるとすれば、それは行動療法家だからではない。EBMを学び,予測不能なプラセボ反応をRCTの中で繰り返し経験しているからである。それでも症状で病気を分類しようという試みは素人はもちろん,精神科医・行動療法家の中でもなくならない。たとえば私が専門にする強迫症の場合,広汎性発達障害を併発しているならば行動療法は適応ではない,と堂々と主張する専門家がいる。広汎性発達障害に対して応用行動分析のエビデンス(Reichow, Barton, Boyd, & Hume, 2012)があるのを知らないのか?と言いたくなる。しかし,これもまた“内因性うつ病は薬に反応する”神話と同じで,発達障害の有無による二分法の罠から出られないためだろう。

私にもうつや不安症、強迫症を症状で下位分類したらどうだろうか,治療反応性を予測できるのではないかと思っていた時期があった。現在のような境地に至るまでの私個人の“診断学”の歴史を振り返ってみよう。

III.           1980年代:神戸大学精神科研修医

精神科医自体の中での診断に対する態度は様々だ。EBM派/非EBM派と二分することもできるが、同じ人間でも時代・状況によってすることが違う。そして私の研修医時代にはEBMという概念がなかった。

1985~6年,中井久夫教授が率いる神戸大学精神科での研修中に退院まで担当した患者は計21名だった。当時の退院時要約をみると、主診断が精神分裂病(現在の統合失調症)が6人、非定型精神病が4人、アルコール関連が3人、双極性障害(躁状態)が2人だった。他はうつ病や頭部外傷後遺症、心因性反応、解離性障害などが1人ずつあった。全体の20%が非定型精神病だった。言うまでもないが診断はオーベンの指導による。当時の神戸大では満田の非定型精神病(満田, 1968)が流行していた。精神医学のテストで三大精神病とは何か?と聞かれたら、精神分裂病と躁うつ病、てんかんと答えるのが正解の時代だった。

精神衛生法の時代である。もっともよく使う入院形式は“同意入院”だった。患者本人の同意ではなく,保護義務者の同意だ。精神分裂病でもうつ病でも病名を患者に告知することはありえなかった。患者が見る可能性がある診断書には「神経衰弱」「心身症」と書いた。心理教育という概念はなく必要もなかった。患者には知らせないし、診断書には偽りと分かっている当たり障りない病名を書くからだ。そして何よりも仮に正しい診断をしたからといって何か患者にとってプラスになることができそうにはなかった。抗精神病薬の効果は明らかで急性幻覚妄想状態であればほぼ確実に治せていた。ベゲタミンを出して夜は静かに眠らせることもできた。しかし、それ以外はどうしたらいいかわからなかった。心因性ならば精神療法をすることになっていたが、何にどういう精神療法が有効なのかは教科書になかった。強迫神経症は難治性疾患の代表で、どんな薬でも誰が精神療法をしても治らないことになっていた。研修医に配られた中井先生の本には強迫症は“うす紙をはぐように消えていく。周囲がそれを話題にするとかかえって強まる。無理に止めると不安が起こる。周囲は一つのクセと考えている方がよい。”とあった(青木, 遠藤, & 中井, 1984)。これは治し方ではなく、付き合い方だった。

治らないことが初期設定であり、心理教育の必要もない。だから、“同意入院”させる必要があるかどうかだけが大切で、それ以外は細かな診断にこだわる理由がなかった。一方,当時の神戸大学精神科には神経内科医も同居していた。神戸大では神経内科はまだ独立していなかった。そのせいか、研修医の教育では器質的な背景を見つけ出すことが重んじられた。神戸大学時代の21人のうち、7人に器質的・物質的な背景の診断があるのはそのせいである。神経学的検査と脳波検査、髄液検査は研修医にとってのルーチンだった。X線頭部CTが導入されたばかりである。画像検査に頼る前にまず自分の目と手で見つけなければなかった。

精神科診断と神経内科診断は天と地のように違う。ウェルニッケ脳症やターナー症候群、正常圧水頭症など丁寧に情報を集めることでパズルを解くように答えをだせた。脳に興味がある仲間のうちで診断をパズルにしたい者は神経内科、ミステリーで十分と思う者は精神科を選んだように思う。精神科医を目指す者は白衣ではなく平服を着ていた。助教授の山口直彦先生は外来診察室で患者は座らせたまま、自分はベッドに横になっていた。中井教授は大名行列のような教授回診が嫌いだった。誰が患者か医者なのかさえ外から来た人間にとってはミステリーだったのである。

IV.           行動療法家になり始めた頃:第一世代の行動療法

私が研修医だった時、すでに行動療法は世にあった。神戸大学を含むほとんどの精神医学教室の中になかっただけである。強迫症に有用であることもごく一部の人にはわかっていた(浜副, 1985)。認知行動療法の名前はまだない。後世の人はこのころの行動療法を“第一世代”と呼んでいる。

精神療法の流派はたいてい治療理論だけでなく、それに一致した病理理論を持っている。精神分析ならエディプス・コンプレックス、森田療法なら森田神経質、アドラーなら器官劣等性である。行動療法はこのような病理理論を持たなかった。あえて言えば実験神経症があるが、似て非なるものである。Pavlov I.が犬に対してレスポンデント条件づけを行ったときに条件刺激の弁別を段階的に困難にさせていくと、ある時点で犬が吠えたり、噛みついたりするなどの異常行動を示すようになった。一度そうなると条件刺激を元に戻しても、前のようには弁別学習が進まなかった。この現象をPavlovは実験神経症と呼んだ。

言い換えると他の精神療法では“異常状態”が最初からあることを前提にして、その成り立ちを説明する理論がある。行動療法は犬でも人でもどんなに正常な状態であっても環境条件を操作すれば、異常に変えることができることを示した。この点で行動療法は二項対立を超えている。正常と異常は連続だと見做す。犬と人もそうだ。心と体もそうだ。行動主義の祖であるWatson J.は、健康な1ダースの乳児と、育てる事のできる適切な環境さえととのえば、才能、好み、適正、先祖、民族など遺伝的といわれるものとは関係なしに、医者、芸術家から、どろぼう、乞食まで様々な人間に育て上げることができると唱えた。行動療法は生まれ育ちや気質などの種別にもこだわらない。もちろん診断分類にもこだわらない。行動療法の初期の治療報告は単一事例が中心であり、それを誇りにもしていた。単一事例実験計画(D. Barlow & Hersen, 1997)のような証明方法を開発し、一人一人の患者さんにあわせてテーラーメードの治療を行うことでも科学的知見を得られた。

私は1986年に国立肥前療養所に就職した。ほとんどが開放病棟だった。山上敏子先生と行動療法があった。神戸大学から来た私にとって何よりも驚いたのは強迫症を治せるということだった。クロミプラミンの有効性もここでは衆知のことだった。ここでの行動療法では、患者一人一人で治療期間が違うのが常識だった。全員が同じ回数同じ期間治療を受ければそれで良い、と主張することは行動療法を知らないと言っていることと同じだった。診断毎・分類毎に治療の適応がある、たとえば知的水準が高い人には認知療法、中間の人には認知行動療法、低い人には行動療法というような治療適応があるという主張を目にすると山上先生は目をつり上げた。行動療法の適応がない診断・分類はない、たとえどんな状態であっても行動療法には何かできることがある、というのが山上先生の持論だった。当時の私はそこまで言うか?と思ったが、今の私なら賛成する。Gawande, Aの「死すべき定め」(Gawande, 2016)を翻訳したことも理由だ。5分前のことも忘れるような認知症の人でも、癌の末期で余命数日という人でも、その人がその人らしく生きる余地があり、支援できることがある。

V.            EBMをし始めた頃:第二世代の行動療法~認知行動療法と認知モデル

1990年代に入ると行動療法“業界”に変化が起こる。“認知革命”と呼ぶ人もいる。Beck, ATやMeichenbaum D(Meichenbaum, 1977), Clark Dなどによる認知療法(Cognitive Therapy, CT)が入ってきた。Beckの功績はうつ病の成因に関する病理理論を提唱し、それを認知療法という独自の治療法パッケージに組み合わせたこと、そして群間比較のRCTを行ったことである。第一世代の行動療法家にとっては、いままで非科学的として遠ざけてきた素朴な常識心理学にも使いみちがあるという証拠をBeckが突きつけた形になった。行動療法は「心の病気は考え方次第でどうにでもなる」という常識を徹底的に否定することから始まっている。認知療法は考え方を変えることでできることもあることを示した。

Beckはもともと精神分析家である。しかし、彼の考えは精神分析学会では最初は受け入れられず、アメリカ行動療法学会(Association for Advancement of Behavior Therapy, AABT、現在のAssociation for Behavioral and Cognitive Therapies, ABCT)で発表することになった。認知療法のパッケージの中に行動療法の技法が入っていたので認知行動療法(Cognitive Behavior Therapy, CBT)と呼ばれるようになった。同時にこのころにDSM-III,III-R,IV,IV-TRとDSMが浸透した。DSMは精神分析による神経症概念も取り払い、それはそれまでの行動療法にとっての最大のライバルだった精神分析が米国精神医学の表舞台から退場させられたことを意味した。精神分析的精神病理理論はCBTの認知モデルに置き換えられた。パニック障害なら身体感覚に対する破局的解釈がある。社交不安障害なら安全確保行動と自己注目がある。強迫症なら責任の過大評価がある。

DSMがCBTに与えた恩恵のもう一つはパニック症や社交不安症、強迫症、全般性不安症、PTSDなどを独立させたことである。それまでの臨床試験ではこうした患者は十把一絡げに「神経症」にまとめられていた。それが細分化された診断について臨床試験を行えるようになった。精神療法各流派の中でエビデンス量、すなわちRCTとメタアナリシスの数を比較すればCBTの勝利は明白である。それは、診断を細分化してそれぞれにRCTを行えるようになったことも寄与しているのだろう。

1993年、感情障害長期経過追跡研究を通じて私は古川壽亮先生と出会った。これは私個人にとっては“EBM革命”だった。彼に手取り足取りされて論文も出している(原井, 1999)。EBMイコール治療のエビデンスだと思う人がいるかもしれない。もともとは臨床疫学と呼ばれ、検査や診断についても疫学的なデータに基づいて批判的吟味を行うものである。当時、私たちが熱中していたことは診断である。多施設共同による長期経過追跡研究のためには多様な個人を対象に均一な診断をつける必要がある。多様なのは患者だけでなく、診断者もそうである。こちら側を均質にするためには診断基準・治療マニュアルだけでなく、面接の仕方もマニュアル化する必要がある。その代表選手がSCIDである(First et al., 2003)。感情障害長期経過追跡研究でもCOALAを作った(Furukawa et al., 1995)。私自身でも物質使用障害患者を比較するために日本語と英語の面接を作った(原井宏明, 2001)。製薬企業からの受託研究では、M.I.N.I.(Sheehan et al., 1998)やSIGH-D(中根允文, 2003)、MADRS(上島国利, 2003)、PDSS(原井宏明, 山本育代, & 古川壽亮., 2004)、Y-BOCS(NAKAJIMA et al., 1995)などを使うのが当然になった。

この頃からの10年間の私を振り返ると半構造化面接漬けだった。通常の初診でもM.I.N.I.をしていた。うつであればSIGH-D,躁であればYMRS(稲田 et al., 2005)、パニック症であればPDSS、強迫症であればY-BOCS、社交不安ならLSAS(原井, 2003)、HARS-IG(大坪 et al., 2005)それぞれに合わせて重症度を評価していた。データは大量に集まる。そして、このまま集め続けてSPSSなどの統計パッケージを使えば新しい診断分類を提案できるだろうと思っていた。同時にこのころ、日本の精神医療がミステリーをやめるようになった。1987年,精神衛生法が精神保健法に変わった。1995年,“精神保健及び精神障害者福祉に関する法律”に変わり,精神障害者も障害者手帳を取れるようになった。患者に病名を告知して心理教育をすることが私を含めた精神科医の常識になった。私も白衣を着ることが普通になった。

VI.           動機づけ面接とACTをし始めた頃:第三世代~診断横断的アプローチ

2004年は私にとっての転換点である。動機づけ面接(Motivational Interviewing, MI)、アクセプタンス&コミットメントセラピー(Acceptance &Commitment Therapy, ACT)を使うようになった。知ったきっかけはEBMの習慣からである。系統的レビューを検索していたら、行動療法の仲間らしいのに私が全く知らないアプローチが出てきた。MIは従来のアルコール臨床の常識である“底つき体験”の必要性を否定している。ACTは行動療法からCBTに入ってきた私に取っては居心地の悪かった自動思考・認知再構成を乗り越えさせてくれそうだった。

どちらも診断横断的である。患者でも正常でも全ての人は基本的に同じ問題を抱えており,だから同じアプローチでよいと考える。第二世代の行動療法の進歩で大きな役割を果たしたBarlow, DHもUnified Protocol(不安とうつの統一プロトコル)(D. H. Barlow et al., 2012)を提唱した。これも診断横断的である。ライフスパン全体を考えれば、一人の人に不安とうつは共存することが多く、DSMに従えば併存診断(Comorbidity)が当然のように生じた。第二世代のCBTでは診断毎に別々の認知モデルをたてていた。併存診断を持つ患者に対してはこのやり方は意味不明である。

SCIDなどの半構造化面接は一回の面接で悉皆的に診断を探る。ハワイ州立精神病院で物質使用障害患者の診断面接を行っているときも依存症の患者はうつや精神病、不安症、パーソナリティーなど3つ以上の診断がつくことがごく当たり前だった。しかし、一人の人間に3つ以上の病名をつけて告知し、それぞれについて心理教育をすることは何の役にたつだろうか?たくさん病名をつけることは障害者手帳を取ることには都合が良いかもしれない。障害年金診断書を書くとき診断名が強迫症単独であれば却下されるが、うつ病も併存していることにすれば大丈夫である。でも治すことには?

心理教育も場合によっては有害である。アルコール依存症に対する酒害教育の逆効果はメタアナリシスをみれば歴然としている(Miller, Wilbourne, & Hettema, 2003)。救急場面では念入りな教育よりも短時間のMIの方がはっきりと効果的だ。うつやパニック症はもちろん、アルツハイマー病から高血圧まであらゆる診断に対して共通して効果を発揮する治療法の代表選手を一つ考えてみて欲しい。答えはプラセボだ。そしてプラセボは副作用がもっとも少ない。

実際にMIを使い出すと強迫症に対するエクスポージャーと儀式妨害(Exposure & Ritual Prevention, ERP)が楽に行えるようになった(原井, 2014)。それまでは無理矢理腕力でさせていたのである。父親にアルコール問題があり、自傷を繰り返していた社交不安症の若い女性にACT使ってみたら有効だった。境界性パーソナリティー障害らしさまで無くなってしまった(岡嶋美代 & 原井宏明, 2006)。

私は徐々に診断分類・半構造化面接への興味を失っていった。続けたのはM.I.N.I.ぐらいである。全般性不安症のようにうつ病の鑑別が難しく、私も慣れていない診断の場合には半構造化面接が必須だった。

2008年になごやメンタルクリニックに移るとM.I.N.I.も徐々にしなくなった。一日に最高で新患4人、再来が60人診るような場所では半構造化面接はやっていられない。強迫症のセルフヘルプ本(原井 & 岡嶋, 2012)を出したら、新患の7割が強迫症になった。強迫が初期値であり、患者も大半が行動療法を希望してくる。初診の30分で行うべきことは前医で出されている薬の整理と集団集中治療と個人カウンセリングの計画、簡単なホームワーク・セルフモニタリングの指示である。患者の約半数は前医の苦闘を物語るかのように長年、多剤併用になっていた。過去の病歴が分かっていれば他の疾患を除外することは難しくない。パーソナリティー障害や発達障害などを前医が見落としているかもしれないが、それらを診断するのはしばらくしてからでも遅くなかった。2,3週間ほどしてから、薬が1,2剤に整理され、セルフモニタリング記録もあるとなると初診時と比べると診断の精度が格段に高いのは当然だろう。よく考えてみれば初診時に全ての診断をつける必要はない。MIでは最初の課題は患者との関係性を作ることである。それさえできていれば、最初の日から解決策を提示する必要はない。

今日詳しく話を聞かせてもらいました。どうして自分がこんなに苦しいのか、理由か病名を知りたいのですね。原因がなければ苦しいのは自分のせいだという意味になりますから、そう思われるのはもっともだと思います。

私の考えとしては、そうですね、詳しい病名はしばらく経過を見てから決めた方が良いと思っています。どんな治療が一番良いかもそれからの方が間違いが少ないでしょう。この次に書いていただいたセルフモニタリングの内容もみてそうしたいと思いますが、いかがですか?

VII.         診断はどう役立つのか?

診断がよって立つ基盤は何なのだろう?診断基準・半構造化面接は何の役に立っているだろうか?そもそも何のために診断が必要なのだろうか?普通の精神科医なら、診断の根拠は精神病理学や臨床疫学のような医学であり、診断基準・半構造化面接は信頼性・妥当性を確保するためのツールであり、適正な保険診療のためには診断が当然必要だと答えるだろう。いずれももっともに聞こえる。でも本当にそうだろうか?世界精神医学学会とWHOがまとめたInternational Classification in Psychiatry(邦題 精神科国際診断の展望)の序文にはこう書かれている(Stefanis, 1989)。

精神医学における分類は、精神医学が学問として成立する以前から存在していた。事実、精神医学それ自体が、分類から生じたのであった。

考えてみればそうだ。精神医学が成立するはるか昔、ギリシャ時代からうつ病はある。強迫症も12世紀、中世ヨーロッパでScrupulosity(几帳面さ、入念さ)という名称で呼ばれていた。15世紀には神学者でありパリ大学の総長であったJean Gersonが宗教的な熱心さ・生真面目さが無用な苦悩を生むことを警告し、信心もほどほどにせよと戒めている。これは今でいう縁起恐怖・道徳強迫である。精神医学など全く知らない素人の素朴な観察と診断がもとになって精神医学が生まれているのである。その逆ではない。

診断基準・半構造化面接はどうだろう?どこまで行っても100%完ぺきな信頼性・妥当性はあり得ないことは誰にでもわかっている。では、どの程度なら良いのだろう?30年前、信頼性・妥当性自体を気にしていなかったころと比べれば精神医学は信頼できるものになった。DSMもIIIから5まで細部をみれば確かに進歩している。しかし、どこまでの信頼性・妥当性があれば私たちはOKと言えるのだろう?そのためにどこまで手間暇をかけられるだろうか?一流の医学雑誌に受理されるために必要なレベルと、多忙なクリニックで必要なレベル、そして患者自身のために書かれたセルフヘルプ本に必要なレベルではみんな違う。診断の見落としは確かに問題だ。不眠を訴える患者が来たとき、睡眠時無呼吸を見落としてベンゾジアゼピンを投与したら、かえって悪化させる。DSM-5のうつ病の分類では特定用語という小さな扱いになっている季節型、いわゆる冬期うつ病は高照度光療法という特異な治療に反応する。初期治療で上手く行かなかったとき、慢性化したときには素朴な観察・診断には頼れない。何かのチェックリストが必要だ。DSM-5やM.I.N.I.もそのために役立ってくれるだろう。しかし、どちらも初期治療が上手くいかず、診断を最初から見直さなければならないとき、医師がまってしまっている落とし穴を教えてくれるツールとして作られたものではない。

そして、実は問題はもっと別のところにある。診断は精神医学のため、信頼性・妥当性のため、適正な保険診療のため、であるとしたら、患者はどこにいったのだろうか?診断は患者のためにどう役立つのだろうか?肥前療養所に入った時、最初に目についたのは玄関ロビーに掲げられた“The Most Important Person In This Hospital is the Patient.”だった。患者中心の医療は謳い文句としては誰でも知っている。では具体的に診断はどうすれば患者のためになったと言えるのだろうか?

VIII.        患者と医師のための診断

今の私にとっては「患者のための診断とは何か?」の答えは30年前よりももっと分からなくなっている。どうなるのか良いことなのかは患者に聞くことが必要だとは分かっている。しかし、何が自分のためになるのか、それをよく分からないからこそ患者はクリニックにきて医者のアドバイスを求めているのだ。精神病の患者だけではない。強迫症の患者でもそうだ。病名ではちょっとしたトラブルがあった。

患者    私の病名は強迫症です。薬はセルトラリンが出ています。ネットで調べたら、セルトラリンは強迫症には適応がありませんでした。健康保険組合から違反だと怒られたりしませんか?

原井    セルトラリンもSSRIの一つで強迫に効果があるとわかっています。確かに保険での承認はありませんが、うつ病の病名をつけているから、問題はありません。

患者    私にはうつはまったくありませんが。

原井    確かに長生きしたいといつもおっしゃっているし、意欲的ですからね。これは保険病名と言って一応つけておく病名です。まあ大丈夫です。みんなやっていますから。

患者    でも違反なんですよね。

原井    まあ、でもそこまで調べられたりしませんよ。初診時は確認症状がひどいせいで落ち込んでおられたし、あながち嘘とは言えないし。

患者    私は嘘や間違ったことには耐えられません。もし保険組合から問い合わせがあったらどう答えたらいいんですか?

原井    いや患者さんに問い合わせがあることはまずありません。

患者    絶対ないとどうして言えるんですか?(続く)

私は諦めてフルボキサミンに変更した。強迫行為に巻き込まれたわけである。初診時は警察官を見るだけで怯えるような患者だった。その頃よりはずいぶん改善し、日常生活は普通にできるようになった。しかし、このような拘りのために人間関係にトラブルが生じることがまだあった。風邪で受診した内科医院でも同じようなことをしたらしい。

しばしば患者は普通になりたいという。病気になる以前に戻りたいとも言う。記憶を消したいという人もいる。“普通”を定めた診断基準はどこにも存在しない。病気になり、受診し、治療を受けているという事実と記憶はどれだけ良くなったとしても消えることはない。診断は一つのツールであり、スタート地点である。その先は精神医学や診断基準もないところを患者と一緒に探していかなければいけない。

IX.           最後に

精神療法を観念主義と実際主義に二分するとしたら,実際主義の極にあるのが行動療法である。実際主義とはプラグマティズムのことであり,「経験不可能な事柄の真理を考えることはできない」と主張するイギリス経験論を引き継いで、20世紀初頭のアメリカで花開いた。行動療法は実際主義の伝統の上に立ち、私たちの常識的な観念を疑ってかかる。私たちはいろんな二分法の中で育ち、それを常識とし、疑いもしない。もっとも根強いものは心と体であり、思考と行動、正常と異常だろう。行動療法はそんな常識を覆すところから始まった。自分自身のあり方も覆している。行動一本槍になったり、認知に走ったり、また再び行動に戻ったりする。このような変わる能力をもっていることが行動療法の最大の強みである。私自身も変わった。それは行動療法のおかげであり、EBMのおかげでもある。Sacketが最初に行ったEBMの定義には”External Evidence”外部のエビデンスという言葉が繰り返しでてくる(Sackett, Rosenberg, Gray, Haynes, & Richardson, 1996)。自分自身を育ててくれた文化・流派から外れた所からエビデンスを拾ってこいとSackettは繰り返し主張しているのだ。自分が馴染んだ世界からだけものを見るようにしていれば,ものは必ず必ず歪んで見えており、何か大事なものを見落としていても気づかない。

医学は著しく進歩した。日本人の平均寿命は1985年から2015年の30年間に6年伸びた。女児だけに生じる特殊な自閉症とされていたレット症候群はX染色体上のMECP2遺伝子の突然変異が原因と判明し、DSM-5の病名リストから消えた。8項目の診断基準を一回の遺伝子検査が置き換えたわけである。ずっと長い間、肝硬変経由肝癌行きの片道切符だったC型肝炎は2014年からは治癒する病気になった。直接作用型抗ウイルス剤が使えるようになったからだ。医学は一部の疾患についてはパズルをクリアに解き明し、文句のつけようのない解決も提示できることがある。一方で大半の疾患についてはミステリーのままだ。そして大半の医師にとっては医学の謎のどれがパズルでどれがミステリーか、この二分法自体がミステリーであり、しかも毎日新しい謎が付け加わる。

30年やっても医学は相変わらず面白い。

謝辞

  • この原稿を書くに当たり、都立松沢病院精神科の今井淳司先生に貴重なコメントを頂いた。伝統的な精神病理学に立つ方にも興味を持って頂ける文章だとしたら、それは全て彼のおかげである。
  • 診断をパズルとミステリーに分けたのは、Malcolm Gladwellによる“Open Secrets”からのアイデアである。http://gladwell.com/open-secrets/

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【うつ病のすべて】 精神療法・他 うつ病の治療と医療の近年の発展と最近の論議 治療法の選択を決めるもの 2006

原井宏明. (2006). 【うつ病のすべて】 精神療法・他 うつ病の治療と医療の近年の発展と最近の論議 治療法の選択を決めるもの. 医学のあゆみ <草稿>

キーワード: 実証された治療,行動活性化法,うつ病,認知行動療法,EBM,プラセボ反応

サマリー

うつ病は過去20年間に拡大した。治療方法と患者数,うつ病を認識し治療する医師の数は倍以上に増えた。この20年間の変化は新規抗うつ薬,認知行動療法が“バブル的”な拡大と普及を遂げた時期と特徴づけることができる。DSM-IIIが登場し,うつ病の病因に関するセロトニン仮説と認知モデルが提唱され,プラセボ対照無作為割付比較臨床試験(Randomized Controlled Trial, RCT)によって裏付けを得た治療法が続々と現れた。疫学調査からは,うつ病の大半が見過ごされていること,実地に行われている治療の大半は根拠に従っていない,と批判された。理想的な治療を普及するために治療ガイドラインがまとめられた。選択的セロトニン再取り込み阻害剤(Selective Serotonin Reuptake Inhibitor, SSRI)と認知行動療法(Cognitive Behavior Therapy, CBT)はガイドラインの主役になった。

そして21世紀に入ってからの数年間,この“バブル”は批判的に吟味され始めた。都合の悪い結果を無視できなくなったのである。最近になればなるほど,RCTにおいてプラセボ反応が増大した。また,セロトニン再取り込み阻害も認知の特異的な変容もうつ病から回復するための必要条件ではないことがわかったのである。

この論文は過去20年間の知見について批判的に考察する。そして,実地の医療における臨床判断はどうすれば良いか,うつ病の大多数の患者が受診するようになったプライマリケアや外来精神医療における薬物療法と精神療法はどうあるべきか,を検討した。薬の定期的・計画的な服用と快感を伴う活動が自然に増える方向に援助することが必要だと論じた。

サイドメモ

l  行動療法(Behavior Therapy, BT)と認知行動療法(Cognitive Behavior Therapy, CBT)

一般的な医学や心理学の文献では行動療法と,認知療法(Cognitive Therapy, CT),認知行動療法はほとんど同じものを指す総称となっている。MedlineのMeSH termではBTがCTの上位の概念とされているが,現在の一般用語としてはCBTが全てを総称する用語として用いられることが一般的である。歴史的にはCBTは三世代にわけられる。1)第一世代;1950年代にEysenck HJ,Wolpe Jらによって行動療法の概念が確立した。2)第二世代;Beck, ATやMeichenbaum D, Clark Dなどによる認知療法(Cognitive Therapy, CT)が導入された。「認知行動療法」という名称はMeichenbaumの著作のタイトルとして登場する。このときからBT,CBTの普及が進み,これらを利用する側にとっては双方の区別がつかなくなった。3)第三世代;Hayes, SCやLinehan,MM,Kabat-Zinn JらがMindfulness、Acceptanceなどの新しい概念を取り入れた。第二世代が提唱した認知モデルの否定する動き,第一世代への回帰でもある。

CT,CBTは認知と行動を分けてとらえることが特徴である。例えば,うつ病の場合,出来事に対するクライエントの否定的な考え方がうつ病の原因であるとする。このようなものの見方や考え方を不合理な認知(自動思考,スキーマ)と呼び,それらを再検討し,変えていくことを主眼としている。スリーコラム法などの自動思考を記録し,考えを修正する方法を認知修正法と呼び,CBTでは必ずと言っていいほど用いられる。CBTは一般的には治療パッケージと呼ばれる種々の治療技法をまとめたマニュアルに従って行われる。

BTは認知も行動としてとらえる。会話や考えも言語行動やルール支配行動と呼ばれる行動である。何を行動とするか判断する方法として,“死人テスト”がある。これは,死人でもできることは行動ではないとするものである。逆に,行動とは死人にはできない活動ということになる。例えば寝ている,休んでいるは死人でもできる。また“イライラしない”のような否定形,“癒してもらう”のような受身形で表現されるようなことも行動ではない。死人はイライラしないし,亡骸でも癒されることはできる。

BTを特徴づけるものは,理論や内容そのものではなく問題へのアプローチの仕方にある。診断よりも問題行動を維持する要因に注目する。病気が起こる前からある原因や誘因ではなく,病気が起こったあとに起こる変化や結果に注目し,結果を操作することによって病気を変えようとする。BTは本来的には個人個人の個別の問題に合わせてテーラーメード方式で行われる。治療法の評価も単一事例実験計画(N of 1 試験) 1)によって行われることがよくある。

l  行動活性化(Behavioral Activation)

BTの第一世代のときからあるうつ病に対するアプローチである。Lewinsohn 2)らは,うつ病が持続する理由に着目し,それは快適な感覚をもたらす出来事や振る舞い,考え(快事象)が減少し,不快な事象が増加することであると考えた。具体的には快行動計画法などを使う。患者に快事象の数を数えるようにさせ,快事象につながる患者自身による具体的な行動を増加させるようにするものである。疲労や抑うつを感じることを避けて寝てばかりいる患者に対して目的指向の行動を増やすようにする。

一般的に快事象の中によく含まれるものには散歩やペットの世話,安心できる知り合いとの会話,頭を使わない仕事や作業,本人にとってプラスと思える言葉を考えること,などがある。うつ気分が多少でも良くなるということ自体が快事象の一つであるから,それにつながるような受診やカウンセリングも同様に強められる。何が快事象であるかは患者の状態によって決まる。他人からの一方的な励ましや賞賛はうつ病の患者にとっては快事象ではない。

うつ病に対するBTとしては第二世代の隆盛とともに忘れられていた。Jacobsonら 3)は,うつ病の認知モデルを検証するために,うつ病の患者に対してBeck 4)の認知療法の治療パッケージから認知修正法を除いた治療パッケージをつくった。彼らは認知療法と認知修正抜きの認知療法の間でRCTを行い,治療効果は双方とも同等であることを確かめ,認知療法パッケージの有効成分は“行動活性化”であるとした。これによって行動活性化は再び注目をうけるようになった。

外来でのうつ病の治療は薬物療法であれ精神療法であれ,定期的な受診や服薬遵守を通じて,患者の合目的な行動を活性化させることを伴っている。

l  プラセボドリフト(Placebo drift)

抗うつ薬が本当にうつ病に効くかどうかを検定するための標準的な方法がプラセボ対照二重盲検無作為割り付け比較試験(RCT)である。近年行われたRCTでは,抗うつ薬がプラセボに勝てないことが普通のことになってきた。プラセボ対照試験のメタアナリシスを行うとプラセボ反応と西暦が相関していることがわかった 5)。このようなプラセボ反応が年を追うごとに上がっていく現象をプラセボドリフトと呼ぶ。この現象は,機能性胃腸症に対する消化管機能改善薬の臨床試験でも認められている 6)。

日本の専門家は長らくプラセボ投与に心理的抵抗があり,この現象を実感することがなかった。日本での抗うつ薬の臨床試験で,2003年から低容量の試験薬(偽プラセボ,Pseudo Placebo)を使った試験,2004年から本来のプラセボを使った試験が行われるようになった。著者の知る限り,2003年から4種類の抗うつ薬の試験が行われている。そのうち,偽プラセボやプラセボに優位を示すことができた薬剤はただ一つである。これらの薬剤は欧米ではすでに抗うつ薬として広く使われている。

一つの臨床試験のために数十億という大金を投資している薬品会社にとって,プラセボ反応者は大敵である。プラセボ反応者を無くすために,臨床試験のプロトコールに工夫が行われてきた。最初は試験中の他の抗うつ薬の併用を禁止する程度であった。次第に厳しくなり,抗不安薬の使用を禁止,睡眠薬を禁止するようになった。更に最近は,試験にエントリーする前の1週間の一切の服薬禁止,エントリー後一週間の間,プラセボを投与する,などが行われるようになった。後者のやり方を,“Placebo run-in period”という。プラセボ反応者はこの2週間の間に改善するはず,この2週間で改善しない患者のみを試験にエントリーすれば,プラセボ反応者をなくせるはず,という考えによるものである。結果的には,これは薬品会社の期待とは逆の効果を生んでいる 5)。

l  ドードー鳥の判定 「みんな優勝!,全員が一等賞!」

これは“不思議の国のアリス”の中の物語をとった治療法に関するエビデンスの評価に対する警句である。薬物療法を含むさまざまな治療法は無治療や単純な支持的精神療法よりも効果が高い。一方,こうした効果のある治療同士を比較すると,ほとんどの場合差がつかない。どれにも効果がある。治療に成功し,自己愛が膨らみそうな時,次のように考えると良い。

「私が患者に対して行った治療の成果のいくつかは,時間がたてば自然に起こったことである。あるいは素人にもできることである。また,いくつかは私の経験と努力と鍛錬の賜物であり,他人にはまねができない。さらに,患者の問題のいくつかは私にも他人にも,またいくら努力したとしても変えられないだろう。そして,これら三つの区別は今の私にはわからない。つまり,結果が素晴らしかったとしても私のしたことが凄いのかどうかは今の私にはわからないのだ。この曖昧さを受け入れる心の落ち着きをもち,そして自分のやり方を実証的な経験に応じて誠実に変えていく勇気を持つこと,この二つができれば私はたいしたものだ。」

うつ病に関するエビデンス 批判と論議

l   “うつ病”の“バブル”

うつ病に関するエビデンスの数は既にたくさんある。DSMによって,うつ病をわかりやすく定義することが可能になり,うつ病の診断は医師以外でも可能になった。診断が決まることによって根拠に基づく医療(EBM)が可能になった。精神薬理の世界ではセロトニン仮説に基づいた抗うつ薬がデザインされて新規抗うつ薬が発売された。精神療法の世界では,うつ病に関する認知モデルが提唱されて,それに合わせた認知療法が生まれた。現在はうつ病の病因に関してセロトニン仮説と認知モデルが当然のものと受け止められ,それらに基づく治療法がプラセボ対照の無作為割り付け比較臨床試験(Randomized Controlled Trial, RCT)によってエビデンスという裏付けを得た。RCTによって有効性が示された治療法は数え切れない。無効な治療も同様に明らかになり,エビデンスに基づいた治療が行えるようになった。それらをまとめた治療ガイドラインやアルゴリズムも数多い。これらをまとめると次のようになる。

うつ病は増加しており,受診しないまま一人悩む患者が多い,一般医療機関を受診していても見過ごされる患者が多く,軽いうつ病でも放置してはならない。うつ病は自殺の原因である。是非とも早期診断,早期治療すべきである。社会全体や職場も積極的にうつ病を認識して,うつと疑われる人を受診させるべきである。医療機関ではSSRI,SNRI(選択的セロトニン,ノルアドレナリン再祭取り込み阻害剤)をまず処方すべきである。可能ならば認知行動療法も行うべきである。一方,日本で行われている実際のうつ病の治療の現状は治療ガイドラインからかけ離れている。スリピリドが第一選択薬であり,SSRIはよく処方されているが量が不足し,多剤併用であり,睡眠導入剤・抗不安薬が必要以上に使われている。認知行動療法を行っている精神科医療機関はごくわずかである。

日本うつ病学会という,うつ病だけを取り上げた学会が2004年に発足した。学会のねらいは会則によれば,“二,うつ病臨床の発展・充実に寄与すると共に,一般社会にうつ病に関する情報を提供することを目的とする”。本書のタイトルは“うつ病のすべて“である。うつ病のすべては既にわかり,これらかの仕事は啓発をすることのようである。

さて,うつ病とその治療はもう完全に分かったのだろうか?日本で使える抗うつ薬だけでも10種類以上ある。認知行動療法のアプローチの数もそれ以上である。これだけ沢山の治療法があるのに,まだ治療法が出てくると言うことは,どの治療法も決定打ではなく,五十歩百歩ということである。それでも,このようにエビデンスも患者も治療法も増え続ける状態は”バブル“と呼ぶにふさわしい。

l  批判と論議

この数年間は,この“バブル”を批判的に吟味する研究者が現れてきた 7)。抗うつ薬の開発に携わっていた精神薬理学者が精神薬理学と薬品会社を批判する本も現れた 8)。うつ病の病因に関するセロトニン仮説は過去の物になった。抗うつ薬は不安障害にも等しく効果を示すことが分かると,それまでのようにうつ病と神経症を薬の反応でわけるという考え方ができなくなった。SSRIの効果や自殺のリスクについて都合の悪いデータを薬品会社が隠していたことが明るみにでたことが疑念を引き起こしている。18歳以下の児童思春期のうつ病に対するParoxetine試験において,Paroxetineがプラセボに勝てなかったばかりか,自殺のリスクがParoxetine投与群で高いことが明るみにでたのである。このあと,SSRI,SNRIのエビデンスについて疑念が持たれるようになった。この中には認知行動療法に対する批判もある 9)。うつ病の患者に認知の誤りがあるのは確かであるが,それはうつ病の原因というより症状の一部であると分かった。また認知の誤りを修正することに特別な治療上の意義はない,とわかってきたのである。

2004年にイギリスNHSが出版したNICEガイドラインは,公的なガイドラインとしては初めて経過観察(Watchful waiting)を軽症うつ病に対する最初のアプローチとして推奨している。軽症うつ病に対しては薬物や特別な精神療法は不要で1~2週間毎の受診と経過観察で十分である,としているのである 10)。

エビデンス自体には誤りはないとしても,エビデンスが出てくる過程の検討や結果の再解釈によって,今までの“常識”には都合の悪い知見がつぎつぎでてきたのである。この四半世紀のエビデンスを批判的に吟味し,実地の医療においてどのように薬物療法と精神療法を行えば良いのか,を検討しよう。

l  新規抗うつ薬は効くのか?菊池病院の場合

菊池病院は数年前から新規抗うつ薬の治験を薬品会社から受託して行っている。プラセボ対照二重盲検RCTが最近では一般的になった。新規抗うつ薬がプラセボよりも効くかどうかを菊池病院のデータで見てみることにする。

データは2種の欧米ではすでに上市されている抗うつ薬に関するものである。プラセボにはごく低容量の偽プラセボも含まれている。患者は20~64歳の外来患者である。診断はすべて単極性うつ病であり,試験開始時点でのHAM-D17項目のスコアが18点以上である。投与期間は6~8週である。この間,うつ病に効果があると思われる向精神薬の併用は禁じられている。治験開始後に不眠や不安,体調不良などの訴えがあっても薬の追加や変更はできない。評価はHAM-D17項目で行われた。6~8週後のHAM-Dのスコアが開始時より65%以上低下したものを“著明改善”,50%以上改善したものを“かなり改善”,35%以上改善したものを“やや改善”,それ以下を“不変以下”とした。HAM-Dスコアの減少度の平均(95%信頼空間)は,実薬群は63%(47%~78%),プラセボ群は72%(2%~141%)であった。

比較のために治験以外のデータを示す。2003年度に新患として受診した20~64歳の外来患者の中で主病名がうつ病などである患者35人を対象とした。このうち25人が6ヶ月後も受診していた。22人について6ヶ月後に主治医が評価した全般改善尺度が得られた。

 

表 うつ病の患者の改善割合 治験と一般治療

薬剤割り付け 人数 開始時のHAM-D 著明改善 かなり改善 やや改善 不変以下
実薬 12 21.0 50% 25% 17% 8%
プラセボ 4 21.3 75% 0% 0% 25%
一般治療 22 32% 18% 18% 32%

 

これは今まで一般に信じられていることと相反するデータである。プラセボを投与された4人が最も良い。一般治療は最も悪い。一般治療群は薬剤の選択も追加も増量も自由に患者に合わせて行うことができる。使われている薬剤はすでに規制当局によって承認された抗うつ薬などである。医師と患者が自由に治療すると結果が良くないのである。さらに付け加えれば,一般治療群は6ヶ月後のデータである。

プラセボ群の人数が少ないこと,一般治療群の診断や評価が標準化されていないこと,などの限界がある。しかし,一般治療での実感やプラセボが実薬に勝つことが珍しくないことを考えると,この結果には大きな間違いはないと思われる。

l  CBTは効くのか?

認知行動療法にもプラセボ反応がある。NIMHによる共同研究 11)がうつ病に対する認知療法の有効性を示している。しかし,この後の研究では対照群に対する治療の条件を変えていくと認知療法の優位性が消えていくことが知られている。精神療法同士の効果を比較するための大規模なRCTがいくつか行われている 12)が,これらの結果は総じて相互に差がないことが知られている(“ドードー鳥の判定”)。Holmes 9)は1)認知行動療法の優位性は見かけ倒しのところがある,2)精神療法は成長発達の文脈で考えるべきであり,“障害”の除去だけを目的にしてはならない,3)精神療法の研究は特定の“ブランドネーム”治療法にこだわることをやめて,さまざまな治療に共通する要素や有効成分,特定の治療スキル,そして精神療法以外の方法との統合に力を注ぐべきである,としている。行動療法の研究者もこのことを認識しており,うつ病に対するCBTの解体研究(Dismantling study)が行われている。その結果,現在,うつ病に対するCBTの有効成分と考えられているものが,“行動活性化” (Behavioral Activation)である。

治療の指針

l  なぜプラセボは効くのか?

プラセボ効果がこれだけあると,必ず“なぜ?”という疑問が生じる。これに対する確実な答えは,“なぜ効くのか?”の答えが存在しない治療法をプラセボと呼ぶ,である。効果がある理由を説明できないからプラセボ効果と呼ぶのである。またプラセボが効くのは,特定のタイプの患者だけだろう,プラセボに反応した患者はどんなタイプか知りたい,という疑問もよくある。これは治験の依頼者がもっとも知りたいことである。それが分かればプラセボが効きそうな患者を事前に見付けだし,治験から排除することができるからである。実際,プラセボ反応の予測因子を調べた研究が多数あるがはっきりした予測因子はわかっていない。現在のところプラセボ反応が低いことが分かっているのは,重症例 13)と慢性エピソード 14)である。DSM-IV-TRでのメランコリーサブタイプはプラセボに反応しにくいと従来信じられてきたが,根拠がない。気分変調性障害は従来型診断では神経症性うつ病とされ,薬が効かない,精神療法が必要であるとされてきたが,気分変調性障害はプラセボにも反応しにくい。

しかし,考え直してみれば,プラセボ効果があることは“抗うつ薬”にとっては大変不都合であるが,患者にとっては好都合である 15)。プラセボドリフトがあるということは,うつ病の患者にとっては効果が高くなってきている治療があるということである。精神医学は“なぜ”に答える必要がある。

これまでに考えられているプラセボ反応の説明としては,次のことが考えられている。

1) 励ましの効果

うつ病は絶望することが主要な症状である。それに対して治る・治療できるという希望を与え,薬を飲むように励ますことに効果がある。

2) うつ病には自然寛解がよくある

うつ病の自然経過を観察した研究がある。Kendlerらは 16)はうつ病の女性について調べ,寛解するまでの中央値は6週間で,12週後に75%が寛解したことをしめした。もし,寛解までの中央値が6週間で,12週間後には75%が寛解するようなうつ病の患者グループが治験に入ったとすれば,8週間の治験の間に,プラセボであっても半分以上は寛解するのが当然ということになる。

3) うつ病の患者が受診を決意するのは最悪の時から上向きかけたとき

うつ病は悪化と軽快の間を繰り返す波のある病気である。悪くなり始めたが,まだそれほどでもないというときには受診しない。最悪の状態で意欲もないときも受診しない。受診しようとするのは,最悪を脱して受診する意欲がわいてきたときである。このようなときにして自ら受診した患者は,調子が上向きの波にあるときであり,受診時からみれば自然経過だけでも多少良くなる。株を底値で買えば自然に上がるのと同じである。

4) “一般的健康行動”の効果

Simpsonらは 17)すべての疾患について薬物療法全般とプラセボ反応の関係を21のRCTについてメタアナリシスを行った。その結果は次のようになった。1)プラセボ服薬に対する良いアドヒアランスは低い死亡率と関連していた。2)有用な実薬に対する良いアドヒアランスも低い死亡率と関連していた。3)有害な実薬に対する良いアドヒアランスは高い死亡率と関連していた。まとめれば,プラセボを所定の計画通りにきちんと服薬することが死亡率を下げるのである。彼はこれを“一般的健康行動”と呼んでいる。

l  治験における“精神療法”

精神療法のマニュアルはあるが,治験はどのように行われているかは一般には知られていないと思われる。治験はどのようにして行われているのか,具体的なところを患者の立場から示すことにしよう。以下は,仮想的な患者による一種の感想文である。

—————-

治験は最初の症状評価と説明同意から始まる。同意文書は10ページ以上あり,うつ病と種々の治療法,治験自体,患者の権利,治験薬の期待される作用と副作用,治験中の注意事項などが詳細に書かれている。説明だけでも30分はかかる。その場では同意をとらず1週間程度間をおくこともある。同意説明が終わると検査がある。

治験中の注意事項も2ページぐらいある。最近の治験は以前のものと比べると,プラセボ反応を減らす目的で被験者が守るべき項目が多い。一部の睡眠導入剤を除いて,向精神薬の併用は全面禁止が原則である。鎮痛剤やサプリメント,麻酔剤なども禁止の対象になる。抗不安薬の頓服はできない。睡眠導入剤も量が決められ,眠れないことを理由に薬を繰り返し飲むことはできない。他の精神科と二股をかける,心理士のカウンセリングを受けるも禁止である。飲酒もしないように勧められる。受診は毎週決められたときに行い,予約制である。患者が忙しくても薬の処方だけもらう,ことはできず,かならず問診と重症度評価が行われる。予約を変えることはできるが,前後2,3日までという縛りがある。服薬は確実にチェックされ,飲み残しも薬の空き袋もすべて病院に持ってこなければならない。有害事象(副作用)のチェックも治験の目的なので,治験中に経験したありとあらゆる予期しない症状はすべて報告しなければならない。治験期間中に患者が自分で記録する症状などを書く日誌が手渡され,日誌の内容が毎回の受診でチェックされる。

実際のこうした説明は医師だけでなく患者ひとりひとりについた担当の臨床試験コーディネーター(CRC)が行う。治験期間中に起こった予期しないこと,気になることがあればCRCに連絡するように勧められる。

最初の1週間は薬なしの期間(観察期間)である。この間,以前に服薬していた薬があるときは離脱症状があるが,精神薬は飲めない。飲めば治験は中止となり,新薬を飲むことはできず,せっかくの検査や同意説明が台無しになる。苦痛な症状があればCRCに電話で気楽に相談することができる。CRCは話を詳しく親身になって聞いてくれる。そして症状を乗り越えれば,治験薬を開始できる,治験を開始すれば症状も良くなってくるだろうと説明してくれる。しかし,今がどのようにつらくても薬や注射をもらうことはできない。

治験薬を開始すると薬の副作用がある。多少のことがあっても減らすことはできない。必ず決められた量を毎日飲む必要がある。治験薬をやめるか,続けるかのどちらかしかない。選択は患者の自由と言われるが,ここまで来てやめることはできない。症状はまだ良くならないが,このまま続ける。

2,3週すると多少良くなってきた感じがある。しかし,症状評価ではまだ完全ではないといわれる。治験薬が増やされる。副作用の不安があるが決まったことなので増やされた薬を飲む。

5,6週すると次第に気分が晴れてきた感じがある。症状評価を受けると,自分でも前と違ってきたことに気がつく。異性に対する関心が出てきたし,ショッピングしようという気持ちもでてきた。何よりも自分を責めなくなったことが分かる。

以前,精神科を受診したときは,薬を飲め,だけだった。毎回の受診のときに聞かれることは「薬は前のままでいいですか?」だけだった。副作用があると言えば副作用止めの薬が増え,効き目がないといえば薬が追加された。次第に,先生には相談せず,自分で調整して飲むようになっていた。そのうち多少良くなれば薬をやめていた。何年もこの調子で精神科にいったり,いかなかったりしていたが,完全に良くなったということは一度もなかった。

l  健康行動

うつ病を継続させる“病気行動”はつぎのように表現できる。嫌な気分がなくなることだけを願い,そうした気分が起きそうな場面を避け,一人でいるときにそうした気分になればベンゾジアゼピン系の頓服を飲み,このような自分になるきっかけをつくった親や他人を恨む。そして夜になり,家族が寝静まると,目が冴えてきて,いろいろ自分について考え始める。「こんな風に他人を責めている自分がダメだ,前向きになれない自分がダメだ。このように考えているばかりでいるのがダメなのだ」と自分を責め続ける。責めるのに疲れると次のように考える,「こんなに考えているうちに疲れてだるい,体中が痛い。自分はうつ病なのだ,だから自分にできることは何もない,今は早く薬を飲んでとにかく眠れるようになりたい。」

“健康行動”はこれとは逆である。具体的な行動目標をもち,実際に外にでかけ,人と交わり,事前に計画に沿った行動をし,毎日の記録をとる。気分やその日の体調で活動を変えることをしない。治験はまさに健康行動を増やすように機能している。治験では体の症状を報告すること自体も行動目標である。一方,体の症状を報告しても治療は変わらない。CRCは患者の話を親身になって聞くが,指示やアドバイスはしない。CRCは患者が治験のプロトコール通りに行動すれば誉めるが,その通りにするかどうかは患者の自由意志に基づく選択であることを強調する。

行動活性化は健康行動を増やすことを正面においた行動療法である。健康行動を増やす機能は他の認知行動療法にも共通してみられる。認知修正や問題解決訓練,マインドフルネストレーニングなどは患者が自ら自分で動き,多少の不快な症状があってもそれにこだわらずに必要な健康行動をするように促している。

おわりに

ここに書かれたことはうつ病治療に関する今までの常識とかけ離れたところがある。一方で,SSRIや認知行動療法が導入される前からうつ病の診療に当たってきた50台以上の精神科医にとっては当然のことに見えるだろう。

しかし気をつけていただきたいことは,CBTやSSRIの効果があるというエビデンス自体が否定されたわけではないことである。これらは効果が確かにある。その効果の理由が違ったということであり,そしてその効果の理由は今まで無視されてきた,いわば当たり前の“健康行動”にあるということである。当たり前のことを見直し,それをよりよく使う,ということは,実は難しく,学びがたい。ただ抗うつ薬を処方し,患者に飲ませるということだけであっても本だけでは十分には学べない。行動活性化や治療に対するアドヒアランスを強めるとされる動機づけ面接 18)のトレーニングが広がることを望んでいる。

引用文献

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18)  Miller, W. R., Rollnick, S. Motivational interviewing: Preparing people for change (2nd ed.), Guilford Press, New York, 2002

原井宏明, 岡嶋美代 (2009). 【対人恐怖】 対人恐怖を何で治すのか? EBMの視点. こころの科学, (147), 59–66.

あなたがもっとも知りたいこと

あなたは誰か

あなたは読者である。誰のために,何のために,これを読んでいるのか考えてみよう。おそらく次の4つのパターンのどれかに入るだろう。

  1. 他人のために,その人の苦しみを自分が取ってあげるために
  2. 他人のために,その人の苦しみを取ってくれる他人を見つけるために
  3. 他人のために,その人に提供する知識を増やすために
  4. 自分のために,自分の苦しみを自分で取るために
  5. 自分のために,自分の苦しみを他人に取ってもらうために
  6. 自分のために,自分の知識を増やすために

1は治療を生業にしている人が入る。医師や心理士のようにクライエントをとって,サービスを提供し,対価を受け取ることで生活をしているプロの治療者である。2はプライマリケア医師や保健師,あるいは対人恐怖を訴える我が子を救いたいと願う親が入るだろう。3は大学などで人に教えることを生業にしている教師である。

4と5は自分自身が苦しみ,その苦しみは対人恐怖のせいだ,対人恐怖を取りたいと思っている人達になる。患者本人である。4は自己治療しようと思っている人になるし,5は良い治療者を探し,その人に治療を任せたいと思っている人になる。この中に,治療者だけでなく治療薬を探している人も含めることにしよう。6は純粋に知的好奇心のために読んでいる読書家である。

この雑誌の想定読者には患者本人も含まれる。6に該当する読者は例外だが,他の読者は全て4,5の人に役立つことが自分の目標にしているはずである。ここでは,4,5の人に役立つことを書くようにしよう。なお,この原稿では対人恐怖=社会恐怖=社会/社交不安障害ということにする。病気の種類よりも,治療の種類にこだわりたいからである。この論文の骨子は(13)を元にしている。

自分の苦しみを取るために

あなたが自分のために,自分の苦しみを取るために読んでいるとしたら,自分の苦しみのもとは対人恐怖だと思っているはずだ。思うだけではなく,医師や心理士などから既に“あなたは社会/社交不安障害だ”と告げられているかもしれない。そして,いくつか治療の選択肢を自分で調べたり,告げられたりしているだろう。この特集の中でも認知行動療法や森田療法がとりあげられている。すでにいくつか治療を試しているかも知れない。恐怖を感じる対人場面に出てみる,症状を出さないように努力する,というような独力でできる努力はすでに試みておられるだろう。そしてそのような努力が美を結んでいないから,この章を読んでいるはずだ。そして,対人恐怖を他人に取ってもらえるのか?薬に取ってもらえるのか?この二つの疑問への答えが“イエス”ならば,どこで取ってもらえるか?これらがあなたがもっとも知りたい疑問になるはずである。最後の疑問への答えが“米国”であったならば,最初の疑問への答えの価値がない。あなたが米国で治療を受ける人ならば,そもそもこの雑誌を読んでいない。

EBMとはまず臨床的疑問の定式化である

EBM(Evidence Based Medicine)は日本語では“根拠に基づいた医療”と訳され,“患者の治療において現在入手可能な最強のエビデンスを良心的,明示的かつ賢明に応用すること”,と定義される(9)。EBMにおいて現在得られる最強のエビデンスとは無作為割りつけ臨床試験(Randomized Controlled Study, RCT)とそれを統合した系統的レビューである。ただし,EBMの最も大切な部分はエビデンスそのものではない。最強のエビデンスが手元にあっても,使い方が間違っていれば意味がない。エビデンスを患者の利益のために賢明に応用する方法こそが,EBMの神髄である。EBMは臨床的問題をステップバイステップに解決する手法であると言い換えることができる。最初のステップは臨床的疑問の定式化と呼ばれる。例えば,PECOと呼ぶ方法がある。Patient(どんな患者),Exposure/Intervention(何をすると),Comparison Interventions(何と比べて),Outcome(どんな結果が欲しいか)のそれぞれに具体的な事柄を当てはめて疑問をつくりだすのである。

今回の場合,Pは,あなた自身であり,対人恐怖に悩み,それを自力で克服することに失敗し,他人に取ってもらえるのか?薬に取ってもらえるのか?と思い悩んでいる人になる。Eは具体的な治療法になる。Cは他の治療や自然経過になる。Oは本来,あなたが自分で決めることである。対人恐怖の苦しみを無くすだけであれば人前を避ければよい。あなたにとっては対人恐怖を無くすこと自体は目的ではなく,人前で望むように振る舞えることが欲しい結果だろう。人並みに振る舞い,年齢相応の社会的役割を果たせるようになりたいと願っていることだろう。

以上のようなPECOで治療に関する臨床研究をPubMedやPsychInfoを使って調べると次のようなことがわかる。選択的セロトニン再取り込み阻害剤(Selective Serotonin Reuptake Inhibitor, SSRI)やクロナゼパム,モノアミン酸化酵素阻害剤などの薬物,認知行動療法,集団療法,ソーシャルスキルズトレーニング(Social Skills Training, SST)について数多くの臨床研究がある。日本語では森田療法が良く取り上げられているが,森田療法の効果を立証できるような無作為割りつけ臨床試験(Randomized Controlled Study, RCT)はない。精神分析は英語で日本語でもほとんどない。

さらに年代ごとに調べると次のようなことがわかる。1980年以前から米国以外の世界各地で治療が行われてきた。対人恐怖に対して日本では森田療法が,社会恐怖に対しては英国やカナダなどの米国以外の英語圏諸国の行動療法家がエクスポージャーを中心にした行動療法を行ってきた。社会恐怖の疾患概念は持たなかったAlbert Ellisも,論理情動行動療法(Rational Emotive Behavior Therapy, 以下REBT)と恥さらし訓練(Shame-Attacking Exercises, 以下SA) (3)を用いて1960年代から社会場面で恥をかくことに対する恐怖を治療してきた。1980年代から,社会不安障害(Social Anxiety Disorder, 以下SAD)という病名が出現し,同時にセロトニン再取り込み阻害剤(Selective Sertonin Reuptake Inhibitor,以下SSRI)を代表とする薬物療法と認知再構成を代表とするCBTの研究が米国を中心に急増した(10)。

ここまで分かったとすると,次のようにCを考えたくなる。80年以降に新しく導入されたSSRIや認知行動療法と80年以前の行動療法やREBTを比較する必要があるのである。新しい治療が古い治療よりも効果が優れているというエビデンスはない。さらに,SSRIや認知行動療法が優れているとしても,実際に受けられる治療が優れているかどうかはわからない。研究で使用されたパロキセチンと日本の薬局で処方されたパロキセチンが違う,と信じる根拠はないが,研究で行われた認知行動療法と日本の治療者が行う認知行動療法には違いがある,と信じる根拠はある。あなたが治療を受けたいという人ならば,どこで誰から受けると良いかを知りたいはずである。文献である治療が良いと分かっても,それだけなら絵に描いた餅である。実際にあなたが受診しようとする治療施設の治療成績が,文献のそれを下回っているとしたら,期待はずれというものである。

著者自身の疑問:治療の実績

他人の治療成績を知りたいのと同じぐらい,私は自分の治療成績も知りたい。著者自身の治療成績をみてみることにしよう。

著者の認知行動療法歴

著者は25年間,精神科医/行動療法家として臨床に携わってきた。SSRIが上市される前から対人恐怖の患者を診療していた。この頃の薬物療法は試行錯誤であった。行動療法としては一般の恐怖症の治療に準じて不安階層表をつくり,社会場面に対する段階的エクスポージャーを使っていた。セルフモニタリングや集団療法,社会技術訓練(Social Skills Training, 以下SST)も行った。認知革命(12) 以降は認知を直接の治療ターゲットにおくことが通例になり,著者も3カラム法などの認知再構成を行うようになった。

しかし,著者にとって対人恐怖の治療成績は満足できるものではなかった。認知行動療法で50%以上の改善が得られることはなかった。エクスポージャーは事前に不安階層表を作り,計画的かつ段階的に一時間程度,十分に時間をかけて行うことが普通である。乗り物恐怖や不潔恐怖の場合,恐怖対象が予測不能な動きをすることはない。計画通りのエクスポージャーができるのである。対人恐怖におけるエクスポージャーはそうはいかない(2)。社会場面の本質は何が起こるか予測できないことである。一時間かけるつもりでも,恐怖対象の人物はその前に勝手に立ち去る。慎重に細かく計画を作っても,現実の社会場面で何が起こるかは,その場になるまでわからない。不安が上がるかどうか,下がるかどうかは現場に行ってみるまでは分からない。

SSTによって訓練状況での一定のスキルの獲得はできる。認知再構成や問題解決訓練は患者の気持ちをセッション中,楽にさせることに役立つ。しかし,スキルや認知だけでは社会的場面に出て行く度胸にはつながらず,実際の社会場面での経験を積まない限りは,訓練はいつまでたっても“畳水練”である。どんなことでも,現場で実際にやってみる以上に良い方法はない。

著者の薬物療法歴

著者は製薬会社から受託する臨床試験にも積極的である。著者が治験責任医師となった試験に登録した症例数は過去10年間で約200例になる。対人恐怖についても二薬剤の臨床試験を受託している。2001年からフルボキサミンのプラセボ対照臨床試験を行った(14)。これは,うつ病などを合併していない社会不安障害の患者を対象に10週間,プラセボかフルボキサミン150mg,300mgをランダム割り付けし二重盲検下で投与するものである。アウトカム評価にはLiebowitz Social Anxiety Scale(LSAS) (15)が用いられた。など精神療法の併用はすべて禁止された。この結果は著者にとって驚くべきものであった。重症度が50%以下低下した患者は実薬群7人のうち4人だった。プラセボ群4人のうち1人で50%以上の低下があった。著者がそれまで行ってきた認知行動療法ではそこまでの成績は期待できなかったのである。診断と説明,LSASによる毎週の評価,セルフモニタリングを含む服薬管理,そして薬物による10週間の治療成績が,手間暇をかけた精神療法の成績を上回ることは著者にとってショックだった。

第三世代の行動療法

この後,臨床試験の成績を上回るCBTの方法を検討するようになった。そのアプローチの一つがアクセプタンス&コミットメント・セラピー(Acceptance and Commitment Therapy,以下ACT)である(6)。ACTは機能的文脈主義に基づいた治療方針であり,第三世代の行動療法と呼ばれる。関係フレーム理論や刺激等価性に代表される言語の機能とルール支配行動,経験回避の結果,うつや不安が度を超した苦悩となり,病的になるとするものである。第二世代の認知行動療法と異なり,疾患の原因に関する認知モデルを仮定せず,認知再構成を行わない。2005年からACTに基づいた治療と恥さらし訓練を加えるようになった。

臨床試験の成績と認知行動療法を用いた場合,ACTの場合を比較してみよう。

対象患者

1998~2007年までに対人恐怖を主訴として菊池病院を初診した患者の中で次の条件を満たす患者について治療成績を比較した。1)主診断が対人恐怖(社会/社交不安障害)。2)観察期間が4週間以上あり,初診時と4週以降の時点でLSASによる評価が行われている。精神病性障害や重いうつ病エピソードを合併した症例は除外した。48名(男性27名,年齢平均34歳,女性21名,同32歳)が該当した。

治療方法 6種類

これらの患者について治療内容を調べた。フルボキサミンやパロキセチンをプラセボと比較した臨床試験に参加した患者が20名,通常治療を受けた患者が28名であった。臨床試験と一般診療での調査は菊池病院治験審査委員会と研究倫理委員会の承認を得ている。

臨床試験群(高用量,低用量,プラセボの3群)

高用量(フルボキサミン300mg,パロキセチン40mg)と,低用量(それぞれ150mg,20mg),プラセボをランダム化割り付けによって投与した。6週目まで毎週,以降は2週毎に受診させた。薬は初期用量から受診毎に強制的に増量し,所定の用量に到達したところで維持した。

通常治療群 (認知行動療法+薬物療法)

患者の都合に応じて受診間隔や薬物を変更した。治療は次の順序で行った。最初に対人恐怖に関する心理教育と治療の選択肢の説明を行った。薬物療法と基本的な認知行動療法を行った。フルボキサミンを投与されたのは18名で,最大一日投与量の平均は179mgであった。パロキセチンを投与されたのは4名で,最大一日投与量の平均は30mgであった。認知行動療法は(11)に準じている。セルフモニタリングと3コラム法による認知再構成,不安階層表の作成,エクスポージャーを含む。さらに希望する患者はグループ認知行動療法(以下,CBGT)に導入した。これは数人の患者が毎月1~2回集まり,セッション内でのエクスポージャーとSSTを行うものである。

ACT群

治療は大まかな方針の説明と,認知デフュージョンやたとえ話,ゲーム的なエクササイズを随時行うことによって進む。恥さらし訓練は1セッションをグループで行った。これはもともと,HaysのContents on Cards Exercises (5)として始めたものであり,認知デフュージョンのためのエクササイズである。エリスのShame-Attacking Exercisesと同一の方法であると指摘された2006年からは“恥さらし訓練”と呼んでいる(8)。

認知再構成やSST,従来の段階的エクスポージャーの目的は社会場面に対する適切な対処行動を事前に身につけることである。しかし,社会場面は事前にどのようなやり取りが生じ,どの程度続くのかを予測できない。今まで学んだ一切の対処行動が役立たないような予測不能な社会場面で,予測不能な体験をすることを回避しなくなることが,社会場面に出るために必要なことである。恥さらし訓練は,“予測不能な社会場面で予測不能な恥をかき,未曾有の症状を人前で経験すること”に対するエクスポージャーである。ACTは,症状をコントロールしようとする努力と経験回避によって患者の病理的行動が維持されるとしている。症状のコントロールが無用だということを実際に体験で学ぶことが恥さらし訓練によってできる。恥さらし訓練はエクスポージャーであるが,目的は“不安を下げる”ことではなく,“不安を満喫する”ことである。

ACTは不安を進んで経験することを促す。ACTは実践面では認知行動療法に似ているが,治療の方向づけは森田療法やフランクルのロゴセラピーに近い。実験心理学を臨床に応用したという点では認知行動療法と同じであり,森田やフランクルのような個人の独創から生じたものではない。

恥さらし訓練は具体的には次のように行った。患者が自分が最も人に知られたくない恥だと思っている自分の性質をA5のカードに書き記し,それを他人によく見える胸の前や前額部に貼り付け,人混みの中を歩き回り,見知らぬ人に読んでもらうようにする。カードの文面の例として“ごくつぶし,仕事ができない,バカなすねかじり”などがある。ACT群の患者では,以前から投与されていた薬を除いて新たに薬物は使わないようにした。

結果

治療の結果はLSASで評価した重症度の変化量の平均と,変化量を元にして寛解と反応,不変に分けたときの割合をみるようにした。治療後のLSASは,臨床試験参加群は治療開始後10週後の値を,通常治療群とACT群は最後の受診日の値を採用した。通常治療群とACT群の治療期間は4週~138週,平均30週であった。

治療開始前後のLSASとLSASの減少率(治療後のLSASから治療前の値を引き,それを治療前の値で除した数値の%)を表に示した。LSASの減少率の平均は,臨床試験高用量群は60%,低用量群は20%,プラセボ群は15%,通常治療群は40%,ACT群は76%であった。

table1

治療転帰(寛解と反応,不変)をBallenger(1)の基準に基づいて,寛解:LSASの減少率が70%以上,反応:35%以上,不変:それ以下,とし,その結果を図に示した。寛解した患者の割合では,臨床試験高用量群は43%,低用量群は0%,プラセボ群は17%,通常治療群は15%, ACT群は63%であった。寛解する可能性からみれば,ACT>臨床試験高用量であり,通常治療はプラセボと変わらない。寛解+反応からみれば,通常治療は臨床試験低用量やプラセボに勝る。

graph1

あなたが治療を選ぶために

ベンチマークとしての臨床試験

あなたが治療を選ぶならば,治療成績の良いものを選びたいはずである。良いか悪いかには基準があると良いし,そのような基準をベンチマークという。地形を測量するときに利用する水準点のことである。臨床試験の治療成績は良いベンチマークになる。臨床試験ではプロトコールを厳格に守る必要があり,治療法の自由な選択や追加は許されず,精神療法は最低限であることを義務づけられる。薬のさじ加減はありえない。このようにしてどこの施設でも誰が主治医でも同じ薬なら同じ成績が出るようにしているのである。対人恐怖に対する治療の系統的レビューやメタアナリシス(7)(4)によれば、SSRIのプラセボ対照ランダム化試験(RCT)では,改善以上の患者は実薬群40~50%,プラセボ群はその半分になる。LSASの値は治療終了時に実薬群はプラセボ群の半分程度になる。菊池病院での臨床試験群の成績とほぼ同じであるから,この成績は理想的なベンチマークである。言い換えれば,治療者が自分の経験や判断を活用して薬をさじ加減し,認知行動療法も併用するような治療の成績が,臨床試験の成績=ベンチマークを超えられなかったら,治療者の経験や判断,さじ加減,認知行動療法は無用の長物ということになる。

2005年まで行っていた認知行動療法と薬物の併用は臨床試験低用量,プラセボよりは良かった。一方,臨床試験高用量群には負けている。薬物を併用していることを考えると,筆者の経験や判断,認知行動療法は薬の前には無用の長物ということになる。著者が1991年から積み重ねてきた対人恐怖の治療経験は役立たなかった。2005年から導入したACTによってようやく薬に勝った,ということになる。

実際の患者の治療の選り好み

あなたが治療を選ぶとき,成績が同じならば,楽で面倒のないものを選びたいはずである。副作用も避けたいはずである。しかし,あなたが対人恐怖なら,副作用はそれほど苦にしない。臨床試験でも通常治療でも副作用を理由に薬物療法を嫌がる例はほとんどなかった。増量を予定通りにできなかったのは1名だけであり,これは吐き気のためであった。増量後に患者が薬を止めた例は,すべてLSASが不変であった例である。無効だったから飲むのをやめたのである。副作用を理由に薬を止める率はうつ病や他の不安障害と比べると対人恐怖は低い。

寛解した12名のうち,薬を使わなかったのは臨床試験でプラセボが割り当てられた1名とACTの2名である。残り9名は薬物を服用し,その後も服薬を継続している。寛解後も薬物を続ける患者は全体に,短時間の面接を好み,中には,会話なしで処方箋だけもらうようにしたいと希望する例もあった。

一方,通常治療の中で,グループ療法を受けたのは半数以下であった。さらに,ACTを受けることを選んだのは患者全体からみれば1/3以下であった。グループやACTの治療を受けない理由は患者の拒否であった。辛い面倒なことなしに,薬を飲むだけで治りたいのである。

この研究は治療をランダム割付していない。ACTを受けることを患者が選ぶこと自体が,対人恐怖の改善を意味している可能性がある。薬物を嫌う患者は少ないが,恥さらし訓練は一部の患者しか選ばない。実際の有用性という点では薬物療法の方が優れている。

薬物療法の精神療法的機能

症状のコントロールを止めることが必要だということは,薬物療法にも当てはまる。対人場面での不安をコントロールする薬,不安をなくす薬を患者が求め,治療者が処方することは症状のコントロールにこだわることである。“不安が無くなれば,回避が無くなり,人と普通につきあえるようになる”と考えることは,“不安がある限り回避する”ということである。これでは対人恐怖は治らない。認知行動療法を使った通常治療よりも臨床試験の方が良い結果が得られたのは,後者では対人恐怖に効果があるかどうかが事前に患者にも治療者にもわかっていなかったからだろう。臨床試験では,不安をコントロールする方法が患者に与えられることはない。不安や回避が変わってきたことをLSASによってフィードバックするだけである。このような方法が,患者が変わることを促進するのだろう。

まとめと他に

臨床試験と通常治療のデータを比較し,そしてACTと恥さらし訓練を紹介した。恥さらし訓練は効果が高かったが,受けたのは患者の1/3程度であった。認知行動療法の効果は臨床試験高用量に劣り,有用性に疑問があった。恥さらし訓練はアルバート・エリスが1960年代から行っていたものである。これから考えると,1980年代以降の認知行動療法はそれ以前の治療法よりも効果において勝っているとは思えない。

ACTは臨床行動分析学の一つの応用である。その行動分析学には“行動内在的随伴性”という重要な概念がある。人間が自然に習得し維持している行動の多くのものは当初は外的な強化子によって形成,維持される。そのうちに,その行動をすること自体が強化子になり,外的な強化が不要になるという概念である。社会行動は行動内在的随伴性が必要な行動の代表的なものである。人が人と交流するのは,そうすれば良い結果が得られると期待しているからではない。人と交流すること自体に強化が内在するからである。そうでなければ社会行動は続かない。対人恐怖の患者に対しても,治すために恥をさらせ,逃げるな,というだけでは治療につながらない。たとえやったとしても,治療の最終的な目標であるべき社会生活の改善にもつながらない。ACTを受けた患者は通常治療群の1/3程度であった。恥さらし訓練を行うためには患者に勇気が必要である。どのような認知が起ころうが,どのような不安が起きようが,どのような対処不能な不測の事態や大恥をかく場面に出くわそうが,他人と交流すること自体に大事だと患者自身が思うようにならなければ,勇気は起きない。対人恐怖を治すためには,不安を下げることではなく,人と付き合うこと自体に患者が価値を見出すように援助することが必要になる。

人と交わりながら生きていくこと自体に存在する価値を日本語では“生き甲斐”という。

参考文献

 

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マインドフルにみたアクセプタンス&コミットメント・セラピー~徹底的行動主義

季刊精神療法 42巻4号 特集号「マインドフルネスを考える、実践する」

2016年7月末刊行予定

この小論の狙い

私は行動主義者だ。しかも、方法論的行動主義ではなく徹底的行動主義を取る、スキナリアンである。心や魂の実在を信じない。私は進化論者である。私にとっては哺乳類と昆虫の間に上下の差はないし、チンパンジーの方がヒトよりも記憶力が良くても驚かない(1)。高度な論理的思考や高邁な利他的行動も自然選択によって形成されたとするダーウィニズムの立場をとる。

こんな風に言えば2種類の反応があるだろう。

#1 スキナー・ダーウィンは極端だ。飴と鞭で人をコントロールするなんて受け入れられない、人はサルではない。こんな考えをする人には近づきたくもない。

#2 スキナー・ダーウィンは常識だ。良く知っているから、講釈不要。

それぞれの人にはもっともな理由がある。宗教や哲学かもしれない。徹底的行動主義とダーウィニズムも哲学の一種である。仏典やソクラテスに詳しいのであれば話題作りもになるだろうが、この二つに詳しくても変人に思われるだけで、常識人は近づかないだろう。

この小論の狙いは、この二つの反応をする常識人の方々に、変人である著者がなんとかして、徹底的行動主義に基づいて行動を予測し、制御するための学問である行動分析学について興味をもってもらうチャンスを作ることである。マインドフルネス?アクセプタンス?最後にそれらしいことに触れよう。

徹底的行動主義はあなたが思う行動主義とここが違う

行動主義自体は精神療法ではない。だから読者の大半は行動主義と聞いてもピンとこないだろう。あるいは学生の時の授業を思いだして、次のような図を思い浮かべてくれるかもしれない。頭の中はブラックボックスで、アクセス不能であり、研究の対象として扱うものは刺激と行動だけだという主張である。

図1 挿入

たしかに行動主義の父であるジョン・ワトソンは行動主義心理学の目的は行動の予測と制御であるとした。研究の対象は、刺激と反応だけであり、頭の中は研究の対象にならないとした。愛や知性、意志のようなものは霊魂と同じ迷信だとしたわけである。基盤とする学習理論も選んだ。パブロフ条件づけを中心にして、ソーンダイクの効果の法則は認めなかった。能動的な行動を研究対象にしなかったのである。

行動主義の上にさらに“徹底的”とつければ、常識人ならばどれだけ極端なことを言うのか?と思うだろう。

 

キャプチャ

図1 ワトソンが考えた行動主義

 

実は、バラス・スキナーの徹底的行動主義はワトソンの考えた行動主義とは大きく違う。『婦人と老婆』のだまし絵で知られるエドウィン・ボーリングとの1945年のシンポジウムでの論争では、ボーリングが「科学はプライベートなデータを考慮しない」と主張したのに対し、スキナーはこのように書いている。

このシンポジウムで私が主張したことはどこに行ったのかと考えさせられてしまう。これ以上は振り返りたくない。しかし、私にとっては、私の歯痛も私のタイプライターと同じぐらいの実在である。痛みは確かに公のものではないが、歯痛を表現する言語がどのようにして獲得され、維持されるのかを客観的かつ操作的な科学が対象にしない理由が私にはわからない。皮肉な話だが、ボーリングは自分自身を外からも見える行動だけに限定しようした。私はそのボーリングを内側から見たらどうなるのかに依然として興味がある。((2)  訳 著者)

 

さらに言えば発達障害にも詳しい読者ならば「心の理論」(Theory of Mind)(3)を聞いたことがあるだろう。提案したのはデイビッド・プレマックである。2015年6月に亡くなった彼はチンパンジーの言語習得など行動分析学に多大な貢献をしている。その一つが、彼の功績を称えて「プレマックの原理」と呼ばれる、強化相対性である。そんな徹底的行動主義者が「心の理論」を提唱した。徹底的行動主義は言葉でもアクセスできない幼児やチンパンジーの心=ブラックボックスの中にも行動主義を当てはめる。愛や知性、意志は行動主義の対象である。

徹底的行動主義が徹底すること

ワトソンの行動主義に不満を感じたのはスキナーだけではない。ブラックボックスをブラックボックスのまま刺激と行動から扱おうとする研究者もいた。ここでは、そうした人たちを方法論的行動主義者と呼ぶことにしよう。名前がブラックボックスのままでは都合が悪いし、愛や知性、意志といった日常語で呼んだのでは通俗的に過ぎるので、反応ポテンシャルやスキーマ、自己効力感などと呼び替えることにした。

こうした方法論的行動主義者が創出した概念は直接観察することができない。だから理論的構成概念と呼ばれる。精神療法の文脈では病理モデルや認知モデルと呼ぶことが多いだろう。認知療法の創始者であるアーロン・ベックを初め、何かの精神療法や臨床心理学の学派の創始者とは、新しい理論的構成概念の創案者と言ってもよい。新しい概念が矢継ぎ早に出てくる。翻訳はとても間に合わない。レジリエンスなら聞いたことがあるかもしれない。ルーミング脆弱性(Looming vulnerability)(4)は?脅威に対する認知モデルで不安障害の原因を見つけたとしている。

徹底的行動主義者が他と大きく違うのはここである。徹底的行動主義者は理論的構成概念を徹底的に排除する。理論構成のために使う概念はラットやチンパンジー、重度の自閉症者、不安障害の患者、健康人のどれであっても共通して使える。徹底的行動主義からみれば、痛みや不安はこの5者の誰にでも共通して生じることである。言語報告は他の様々な行動の一つでしかない。全く言語能力がない(従って、認知モデルが存在しない)生体が対象であっても、日常生活中の行動や薬物投与後の様子を観察することで痛みや不安の予測と制御が可能だ。痛みや脅威を意識したから、生体は「ギャ」とか「恐い」とか言うのだろうか?

徹底的行動主義に基づく行動分析学の臨床場面を考えてみよう。痛み・不安という本人にしかわからない経験があり、それに伴って患者が意味のある言葉を発したことは治療者にとっても大切な事実である。しかし、行動分析学では意識を行動の原因にすることを拒む。「痛い」「不安」という意識があるから、周りに訴えている、というのが常識人・方法論的行動主義者の考え方だが、そんな常識を否定する。何を徹底しているのかをリストにしてみよう。

研究方法としての徹底

  • 理論的構成概念を排除し、観察できる行動に還元できる記述概念だけを説明に使う。
  • 新しい概念をできるかぎり使わない。科学としての伝統である思考節約の原理(オッカムの剃刀)を徹底させる
  • ワトソンと同じく、「意識や心を原因にしない」という方針を徹底する。心身一元論に立つ
  • 誰もが常識と思っているようなことを疑ってかかり、操作的に定義できるまでは方法として使わない。科学者自らの科学的行動をも研究対象にできるところまで方法を徹底させる。

研究対象の徹底

  • 原因探しをやめ、行動の予測と制御に目的を絞る。なぜ私は生まれてきたのか?天災があっても生かされている理由は何か?のような目的論には答えないが、目的論にこだわってしまう行動の予測と制御は扱う。
  • 外から観察可能な公的事象だけではなく、本人にしか接近できない私的事象も分析の対象とする。言い換えれば動物の行動であれば何でも対象にする。目に見えないようなプラナリアにもオペラント条件づけができるし(5)、海馬のニューロンにもできる(6)。

 

表1 方法論的行動主義と徹底的行動主義

方法論的行動主義・常識的な心理学 徹底的行動主義
認識論 事象を認識するとき形や意味などの特徴的パターンで把握する。目立つ行動に気を取られる。心と体、刺激と行動を分けて考える。

量や頻度,持続時間を把握することが苦手。

悪い原因が病理になるように、悪を悪と結びつけがち

人の思いこみにとらわれず,実験と実証を重んじる。心を体からわけず、刺激を行動から分けることもしない。生きている動物がすることは全て行動であり、行動が刺激にもなる。

価値判断は相対的。行動自体には良い悪いはない。量や頻度,持続時間、スケジュールの認識にこだわり、そのための道具も開発する。

因果論 モデルをつくり、病理の原因を突き止めようとする。原因発見が解決につながるとする。

原因が結果を産む。

循環論になりがちな、因果論を避ける。遺伝子異常が特定されている疾患であっても、そこから考えるのではなく、あくまで環境と行動の連鎖の中から考える。

結果が原因にもなり得る。

解決論 原因、症状、解決の一セットがモデルとして整合性がとれていることを目指す 環境や状況のような文脈によって解決は異なり、同じ文脈でも解決は一つだけではない。複数の全く異なったやり方が同じ機能をもつのが普通
治療評価 ランダム化比較試験のようなグループ比較実験 単一事例実験計画 少数例の中で繰り返し測定による実験を行う

 

ブラックボックスを行動分析学でも別の名前で呼んでいる。私的出来事である。愛や知性、意志はもちろん、嫉妬や欺瞞、悪意もみんなひっくるめて私的出来事である。愛と嫉妬がどう違うか?を100人の方法論的行動主義者に尋ねたら、100の答えが帰ってきそうだ。徹底的行動主義者は最初からこの2つを分けない。愛か嫉妬かは頭の中だけで区別できるものではない。外の社会とのやり取り(文脈)で決まることである。

あなたが思う好子(強化子)と行動分析学の好子はここが違う

行動分析学では好子は行動とセットである。まず、“行動”の意味が常識よりもはるかに広く拡張されている。歯痛はもちろん、愛や知性、意志も行動である。行動一元論と言って良いだろう。そして、原因探しをやめることは常識的因果論を逆転させることになった。行動が結果を変えるのではなく、結果が行動を変えるというように時間の流れを逆さにした考え方をするようになった。

この結果、誤解が生じているのが、何を好子(強化子)とするかの問題である。行動分析学の初学者は最初から好子になるものが決まっていて、それが行動の後に提示されるから正の強化が生じると“常識的に”考える。行動分析学では逆転させる。

このような逆転の発想、結果が原因になるというのはダーウィンの自然選択と同じである。自然選択によって生き残るものは、決して優秀だからとか丈夫だからとかという理由で生き残ったのではない。何か予めデザインがあって進化するのではない。環境に適応するためには様々な多様な形質が可能だが、その中のどれかが運も含めてたまたま選択されて、子孫を残し、他は淘汰されて消えてしまう。その結果、ある性質が進化していく。行動も同じである。予めどういう行動が良いと決まっているのではなく、同じ機能を果たす多種多様な行動レパートリーの中から一つの行動がたまたま選択されて、強化されていく。何が強化されるのか、何が強化子になるのかは結果を見てみるまではわからない。

 

表2 好子(強化子)とは

常識 行動分析学
何が好子か お金や食物、褒め言葉のような一般的な嗜好物

刺激としての実体があるもの、取り出せるもの

何でも強化子になり得る。SM愛好家なら痛みも好子。美味しいケーキも100個を食べさせられたら嫌子に変わる。何かが好子になるためにはそのための操作(確立操作)が必要。

操作だけで決めているので刺激としての実体がないもの、スケジュールの変動も強化子になる

正の強化はいつ分かるか? 好子を提示するという計画の段階で正の強化になる

好子があれば、正の強化が生じる

刺激を提示する計画段階では何が正の強化は分からない

繰り返し行動を観察し、正の強化が生じていれば、それが好子

 

好子と聞くと“子”なのだから、一個一個数えられるものだと思うかもしれない。行動分析学で見ているものは結果であり、それは環境の変化である。その中には数えようがないものもある。ハーバード大学でスキナーのあとを継ぎ、行動経済学の始まりともいえるマッチング法則を見出したリチャード・ヘアンスタインの研究を紹介しよう(7)。

ラットをスキナーボックスに入れる。床にはランダムなタイミングで短い時間、電気が通電されて、ラットはビリビリ感を感じる。ラットがボックスの中のレバーを押すと、通電と通電の間の平均間隔が若干長くなる。頻度がちょっと減るだけだ。ランダムなのはそのままであるから、レバーを押した瞬間に通電が来ることもある。普通なら罰になるはずだ。しかし、結果では、レバーおしが増えた。このように嫌なものがランダムに提示される場合でも、平均の間隔が伸びたということはラットにもわかり、通電レバーを押す頻度が増える。

電気をヒトへの給料に置き換えてみよう。年間の給与が360万円の人がいるとしよう。年に1回4月にまとめてもらうのと、平均月1回で1回30万円、平均週1回で7万円、平均毎日1万円、とランダムにもらうのとでは、どれがよく働くようになるだろうか?1人1人文脈が違うだろうが、合計金額がまったく同じでも給与が出るスケジュールを変えることで働くことへの強化が変わることは想像がつくだろう。

個体にとっては、スケジュールの変化も強化子になる。強化子は数えられるような“子”とは限らない。だから、何がクライエントの行動を強化しているのかを分析するためには、数えられるような“子”だけに注意を向けていてはだめだ。治療者による是認は一般的な強化子である。どんな台詞を言うべきかだけにとらわれて、言うタイミングと結果としてのクライエントの行動変化には注意を向けていないようであれば、行動分析家としては失敗している。

刺激性制御と随伴性制御

たとえばあなたがこの原稿を読んでいる、今この場で携帯電話から、緊急地震速報が鳴りだしたらどうなるだろうか?今いる場所が揺れ出したら?

最初の反応は吃驚だろう。この驚愕反応は無条件反応(Unconditioned Response, UCR)と呼ばれる。そしてUCRを起こす刺激が無条件刺激(Unconditioned Stimulus, UCS)である。UCRは他にも瞬目反射などいろいろあり、生存のために最初から備わっている生得的な反射でもある。UCRという名前を覚えただけではわからない、トレーニングを受けなければ気づかないものが多い。UCRはそれぐらい日常的に生じているのである。その代表的なものが定位反応(Orienting Response, OR)である。新奇な刺激、変化があると私たちはそこに注意を向ける。見たり、聞いたりする。ただし、ORはすぐに消去される。同じものを2,3度見聞きしたら、もう注意を引かれることはない。定位反応をできるだけ多くの人に起こすようにデザインされたものの代表がテレビのコマーシャルである。選挙の時の候補者もそうだろう。

ここでパブロフの犬を思いだしてくれた人は素晴らしい。パブロフの場合は犬に餌をやる直前に鈴の音を聞かせること(条件刺激、Conditioned Stimulus, CS)で、鈴だけでも唾液が分泌されること(条件反応、Conditioned Response, CR)を発見した。UCSと連合して提示された刺激、すなわちUCSの到来を予測するような刺激は、繰り返し提示されることで、UCSと同様な機能を持つようになる。

 

表3 刺激性制御と随伴性制御

種類 先行刺激によるコントロール 結果刺激によるコントロール
概念・行動 刺激性制御

レスポンデント行動

随伴性制御

オペラント行動

刺激の例 どんな刺激であっても強烈なもの

新規なもの、珍しいもの

食物を食べる、注目を受ける、褒められる、○をつける、気持ち良くなる
行動の例 唾液腺の反応、驚愕反応、声

情動反応、善悪・価値判断

サイン・トラッキング(目標を目で追う)

キーボードを押す、本を買う

読み書き、考える、調べる

移動する、自分を目立たせる、確認する、人に頼む、依頼に応じる

 

生体がするほとんどの行動が刺激性制御と随伴性制御の両方を受けている。随伴性制御だけのピュアなオペラント行動はない。一方、少数だが、ピュアなレスポンデント行動はある。新生児を想像して欲しい。大半の行動は吸啜反射のような原始的な反射で説明できるだろう。一方、オペラント行動はどうだろうか?キーボードを押すという日常的な行動一つをとっても、そこには刺激性制御も一緒に加わっている。キーボードの刻印はもちろん、キーの感触やクリック音など複数の先行刺激、画面上に出現する文字という結果によってコントロールされている。行動を分析するとは目的に応じて柔軟に分析のフォーカスを変えられるということでもある。

スキナーの功績は研究方法の開発でもある。その代表がスキナーボックスだ。ボックスの中にはレバーが一つしか無い。ラットに可能な行動はレバーを下に押すことだけで、環境の変化は先行刺激である光か音、そして結果刺激としての餌が皿に出てきて食べることだけだ。スキナーは刺激と結果を単純化することで行動の原理を見出した。しかし、実際の生活環境では、刑務所の独房でもないかぎり、操作できるレバーが一つしかないとか、環境変化が光か音、餌だけということはありえない。複数の先行刺激・結果が常に生じていて、生体はそうした刺激のコラージュのどれかを選択して反応し、行動している。ラットでもヒトでも、囚人でも自由人でも、手は2つしかない。一時にできる行動は一つである。2つしかない手・一つだけの行動を複数の刺激が競って取り合っているといえる。行動の強化随伴性とは刺激淘汰のことである。

実のところ、スキナーボックスに入れられたラットの場合でも、刺激は一種類だけではなく、行動も一種類だけではない。実際の実験場面を見ると、ラットはレバーの上に乗りかかったり、レバーの隙間に頭をつっこんでみたり(ラットは狭いところに鼻先を突っ込むのが好きだ)、体を擦り付けてみたり、いろんなことをしている。実験者としてはレバーを手で下方向に押して欲しいのだが、ラットにだって自由がある。たまたま体ごと乗りかかり、そのせいで機械が動作して、餌が出てくることがある。この結果が出ると、当然、体ごと乗りかかるというラットにとっては面倒くさい行動が増えることになる。スキナーボックスである。ヒトが手を出してラットに教えてあげるのはルール違反である。わざわざ面倒くさいことをして餌を得ているラットも、試行錯誤を続けているうちにレバーを押すことに気づく。そうなると最終的にレバーを手で押すだけの行動だけが自然選択される。でも、実験者としては気に入らないデータだ。なぜ所定の行動頻度に到達するまでの試行数が長いラットがいるのか、説明が面倒くさくなる。ラットの体重でレバーが壊れたら、実験費用も余計にかかってしまう。

論文にはラットがどんな面倒くさい行動をしていたかは書いていない。私たちが論文で読むときには、こういう面倒くさいディテールが外された結果だけを読んでいる。もし、あなたに余裕があるなら、Skinner Boxを検索し、動画を見てみることをおすすめする。

刺激とはあなたが想像している以上のものである

刺激と聞くと、実験の心得があるなら光や音、電気ショックを思い浮かべてしまうだろう。実は、今、あなたが読んでいるこの文章そのものが刺激である。そして、あなたが触れている刺激はもちろん目の前の黒の線や点だけではない。あなたには五感があるはずだから、聴覚や嗅覚、触覚、味覚もどこかで何かを感じているはずだ。耳には何が?皮膚は何を感じているだろう?口の中には?

もし、あなたが何も感じていないというならば、それは大間違いである。私たちが何も感じないというのは単純に気にしていないということである。もし、仮に完全な無音空間、匂いも風の動きもない空間に置かれると人はどうなるだろうか?アイソレーション・タンクを用いた感覚遮断実験は幻覚をもたらすことが知られている。映画「アルタード・ステーツ/未知への挑戦」が示す通りである。私たちはちょうど気にならない程度、適当な刺激の中に自分を晒すようにしていて、それ故に「何も感じていない」と報告する。

あなたがクライエントと面接室で向き合っている場面を考えてみよう。あなたの行動を支配している刺激には何があるだろうか?

話している言葉の内容だけに注目していたならば、あなたはマインドレスな状態に陥っていると言って良いだろう。面接をしながら、次のようなことを自分に問うてみて欲しい。

  • 反応するときに、声調や話す速度にはどのような変化があるか?
  • 話しているとき、何かをしてくれと訴えたり、要求したりしているのか?状況を述べ、伝えているだけか?
  • 同じような内容や声、話し方を繰り返しているか?反芻があるか?
  • 同じようなテーマを繰り返しているか?
  • 話をしているときの姿勢や表情、視線はどうか?

これらは面接の場面で起こりえる行動の一部である。認識できているだろうか?私たちは刺激であれば目立つものだけに目を奪われ、他の刺激の存在を無視してしまい、好子であればその“子”にこだわり、個数や大きさに注目してしまう。生起する頻度や間隔、随伴性の方を認識することは容易ではない。分かるようになるためにはトレーニングが必要である。これから使えるトレーニングの例を上げてみよう。

治療場面での刺激のコラージュを認識できるようになるためのトレーニング

これは譬えて言えば、コンサートホールで音楽を聴くようなものである。ジャズでもロックバンドでも何でも良い。オペラ音楽の場合なら、コントラバスに聞き入ってみよう。その間は歌詞やメロディーラインは聞き流すだろう。打楽器の音に感じるところはあるだろうか?一定のパターンを繰り返していることに気づいただろうか?

音楽のパターンに気づくようになったら、次に行動・文脈の間でおこる相互作用の文脈の側にも注意を向けてみよう。ホールの音響はどうだろうか?聴衆はどうしているだろうか?咳払いはどうだ?空調は?

何かをよく観察しようとするならば、その場の刺激のコラージュのなかのどれかを選んでそれに注意を向けることになる。訓練を何度も繰り返せば、意識をしなくても同時にいろんな音を聞くことができるようになってくる。これができるようになれば、カウンセリングの中でもそこで現れてくる言葉(歌詞)だけでなく、話の背景や部屋の雰囲気にも注意を向けることができるようになるだろう。

カウンセリングの場面では文脈を2種類に分けて聴くことができる。

  1. クライエントが話すテーマは何についてだろうか?自分自身の内側のことだろうか?それは過去に起こったことの記憶だろうか?未来についての懸念だろうか?それとも対人関係のことだろうか?対人関係であれば一対一で生じる親密あるいは敵対的な関係のことだろうか?それとも一対多で生じる、たとえば同僚や仲間、親戚のことだろうか?相手に何かしてくれと言っているだろうか?相手に何かをしてやろうとしているのだろうか?それとも評価を気にしているだろうか?
  2. こうしたテーマが現れては消え、また出てくるとして、それはどのようなパターンで生じてくるだろうか?テーマが出てきたときにカウンセラーは何をしただろうか?そのテーマが出てくる前に、何かクライエントの様子に変化はあっただろうか?口が重くなったり、間が空いたりしただろうか?クライエントとカウンセラーの間の対人関係も繋がっているだろうか?

カウンセラーが面接のなかで耳を傾けて聴くべきものは歌詞(言葉)だけではない。同じ歌詞が何度も出てくるとしたら、それがどのような場合に出てくるのか、出てくる前後には何があるのか、

刺激制御されているのはクライエントだけではない。治療者自身がそうである。目立たない小さな刺激や普段の慣れた刺激の新しい組み合わせに私たちは制御されている。気づくことは生やさしいことではない。行動分析学のなかではクライエントに当てはまることは等しく治療者にも当てはまる。自分の皮膚の内側のできごとが治療者をつくっている。自分自身の反応が診察室の中では最も役立つセンサーである。

こんな場面で、あなたはどうだっただろうか?しばらくの間、目を閉じ、そんな場面を思い浮かべてみてほしい。その時の状況はどうだっただろうか?外に向かってどんな行動をしただろうか?皮膚の内側ではどう反応しただろうか?頭は?胸は?もし、「そんなこと考えないで」などの適当な指示を出して、早く終わりにして次に行こうと考えたなら、それは嫌悪的な刺激性制御を受け、逃避行動が生じたことを示している。治療者が嫌悪的な制御を受けているならば、クライエントも嫌悪的な制御を受けている可能性が高い。

最後に

ここまで読んでどうだっただろうか?この変人著者はここまで一度も、本文の中でマインドフルネス・トレーニング、アクセプタンス&コミットメント・セラピーという言葉を使わなかった。いったい、著者は何を読者に求めようとしているのだろうか?

スキナーはいまでこそ、行動主義の代表選手のようになっているが、登場した時点では、ワトソンからの従来の行動主義とは異なった主張ゆえに、新行動主義者と呼ばれた。そして、新行動主義者は彼だけではない。他にTolman, E.C., Guthrie, E.Rl, Hull, C.L.がおり、それぞれがワトソンや他とは違うユニークは主張をした。彼らの理論が今、振りかえられることはないが、発見した事実や考案した実験は今も生きている。この上に築き上げられた知見は数え切れない。刺激等価性やルール支配行動、それをまとめた関係フレーム理論はそれらのうちの一つであり、これらがアクセプタンス&コミットメント・セラピーの基盤になっている(8)。誰かが単独で思いつきで作り上げたセラピーではない。

同じようにダーウィンは進化論の代名詞のようになっているが、自然選択説はアルフレッド・ラッセル・ウォレスとの共同発見である。生物種が固定されたものではなく、変化するものであることは他の大勢の研究者が気づいたことなのだ。しかし、スキナーのように随伴性に対する考察、すなわち結果によって行動が選択されることを提案した人、、ダーウィンのように自然選択によって種や分化が生じることを提案した人、そしてその提案がその後の科学を変えたものは二人を置いて他にいない。

行動主義も進化論もリサーチ・プログラムでもある。2つとも一つに固定しているものではない。そしてその方法論はその理論の発展自体にも応用できる。理論があるのではなく、理論を生み出すリサーチ・プログラムがあると言った方が正しいだろう。それは次の4つにまとめることができるだろう。

  1. 無数の試行錯誤を行なうこと
  2. 1人の天才の仕事ではなく、集団で解決策の順列を探索していくこと
  3. 似たような問題には、必ず複数の解決策があること
  4. すでにある古いものを転用して、新しい解決策にすること

ACTは行動主義である。そして、病理的と思われるような行動も含めて生物の形質や行動はほぼすべて適応的であると仮定して理論を構築する立場である。これは進化論の議論で言えば、適応主義である。適応主義は現代生き残った進化論である、総合説・ネオダーウィニズムが依っている立場である(9)。

PS 個人的な告白

改めて自分の書いたものを振り返ると、駅前ビル診療所の精神科医が徹底行動主義の解説を季刊「精神療法」でするというのには違和感を覚える。“徹底行動主義メンタルクリニック”という看板を掲げるのは、どう考えても適応的ではないし、この雑誌の読者に対するサービスになるのか、何かの機能を果たせるのかも心もとない。医中誌などを調べる限り、この雑誌に徹底行動主義、スキナーというキーワードがでてきたことがない。ダーウィンなんて想像もつかない。

なぜ私が徹底行動主義を取り上げることになったのか、この執筆行動の文脈も書いておきたい。オーディエンスのためではなく自分のための覚え書きのようだが。私は行動主義については異常行動研究会(PBD、現在は日本行動科学学会)のウィンターカンファレンスで学んだ。スキーをしながら、シャトルボックスで実験している心理学者から基礎理論を教えてもらったのである。

一度、機会を頂き、学習理論の臨床における応用である強迫性障害に対する行動療法の話をしたら、2010年12月に兵庫医科大学心理学教室の磯先生からこんなお手紙を頂いた。

先日はワークショップでお世話になりました。その折にいただいた強迫神経症についての論文を読み、臨床家は遅れているな、と思いました。我々の理解では、回避行動は1980年頃からは認知理論で説明されて当たり前だと思っています。Solomonたちの1950年代の研究でもその片鱗が見え、さらにSeligmanたちの1973年の論文でははっきりと認知で説明しています。つまり、不安という概念を使わないで説明できるのです(Mowrerは過去の人になってます)

実際に回避の実験をやってますと、動物は最初だけ驚きますが、学習すると非常に適応的に行動します。同封の私の論文を読んでいただけますとそのあたりのことが書いてあります。つまり、動物実験をやっている人たちは認知だと先に受け入れていたにもかかわらず、臨床家はそう言い切ることに何十年も躊躇してきたことになります。やっぱり実験を経験して実際の動物を見てわかっていただかないと臨床家になれませんね。そういう意味でも今回のワークショップを企画していただいたことに感謝します。これからもよろしくお願いします。

論文を同封します。ご一読下さい。磯博行

2015年に磯先生が亡くなって1年がたつ。今も感謝し、論文を大切にしている。学習理論は常に進歩している。臨床にいる精神科医、臨床心理士が知っている心理学の理論は、その心理学者からみれば過去の遺物になっていると磯先生から思い知らされた。隔離されてしまうと心理学の進化から取り残されてしまう。行動主義心理学の進化は、一般人にはなかなかついていけない速さで展開しているが、科学的な心理学に基いて臨床をしたいと思う人にとっては眼が離せない。

参考文献

  1. 松沢哲郎. 直観像記憶と言語のトレードオフ仮説 連載ちびっこチンパンジー第74回. 岩波書店「科学」. 2008;78(2).
  2. Skinner BF. Cumulative Record: Definitive Edition. B.F. Skinner Foundation; 1972. 382 p.
  3. Premack D, Woodruff G. Does the chimpanzee have a theory of mind?
  4. Riskind JH. Looming vulnerability to threat: a cognitive paradigm for anxiety. Behav Res Ther. 1997 Aug;35(8):685–702.
  5. Lee RM. Conditioning of a Free Operant Response in Planaria. Science (80- ). American Association for the Advancement of Science; 1963 Mar 15;139(3559):1048–9.
  6. Ishikawa D, Matsumoto N, Sakaguchi T, Matsuki N, Ikegaya Y. Operant conditioning of synaptic and spiking activity patterns in single hippocampal neurons. J Neurosci. 2014 Apr 2;34(14):5044–53.
  7. Herrnstein RJ, Hineline PN. Negative reinforcement as shock-frequency reduction. J Exp Anal Behav. 1966 Jul;9(4):421–30.
  8. 武藤崇. アクセプタンス&コミットメント・セラピー(ACT) 行動分析学の「伝統と革新」の結実. 精神療法. 2014;40(1):60–3.
  9. 吉川浩満. 理不尽な進化. 東京: 朝日出版社; 2014.

 

社会恐怖(社会不安障害・社交不安症) :叢書 実証にもとづく臨床心理学 不安障害の臨床心理学 2006

坂野 雄二 編, 丹野 義彦 編, 杉浦 義典 編 2006
叢書 実証にもとづく臨床心理学 不安障害の臨床心理学 Pp 55-74
東京大学出版会 ISBN978-4-13-011120-1, 発売日:2006年09月中旬, 判型:A5, 240頁

表題    社会恐怖(社会不安障害) 著者名 原井 宏明

Key Words 社会不安障害,社会恐怖,診断,症状,Comorbidity,鑑別診断,文化

Social anxiety disorder, social phobia, Taijin kyoufu-sho,medical anthropology, culture

はじめに

社会不安障害(Social Anxiety Disorder, SAD)は,不安障害の中では出遅れた疾患である。米国では1990年代までは“無視された疾患”であった(Sheeran & Zimmerman, 2002)。日本では対人恐怖として大正時代から治療が行われた歴史がある。そして,日本特有の文化依存症候群であると考えられていた。フランスでは100年前に現在の社会不安障害と同様な病態を記載し,段階的なエクスポージャーと似た方法で治療した研究者がいる(Fairbrother, 2002)。一方,内気,上がり症などの対人場面の不安を意味する言葉はどの言語にもあり,そのために悩む人はどの国にも昔からいた。今日,SADはどの国や文化にもあるありきたりの疾患である。研究の本数は著しく増加し,1991年以降の論文数は1990年までの論文数の合計を超えている。さて,1991年からの研究はSADについて,1990年までの研究にはなかった何を付け加えたのだろうか?

この小論ではこれらの問題の整理を試みる。そして同じ時期の日本語の文献を比較する。最後に,SADの研究者がどのような方向に進むべきかについて提案を行う。内容の紹介ではなく,論文数の統計を示すようにした。症状や診断,治療の具体的な内容の記載については触れない。

SADに対する日本と諸外国の研究の動向

l  レビューの方法

医学文献二次情報を利用することにした。2005年6月の時点で,医学中央雑誌,PubMed,PsychINFOを用いて,それぞれ,“対人恐怖”,“社会恐怖”または“社会不安障害”,“social phobia”または”social anxiety disorder”,をキーワードにもつ論文を検索した。医学中央雑誌については1981年から検索し,728件がヒットした。PubMedとPsychINFOについては1964年から検索し,さらに二つのデータベースを統合し,重複を除外した。合計7525件がヒットとした。これらの書誌データベースから研究の動向をさぐった。

検索する際に用いるキーワードについては最近の展望論文やSADに関する教科書的文献からよく出現する用語を手作業で選び出し用いた。原則として全文検索を行った。研究手法や論文の種類についてはそれらに応じたフィールドを用いて検索した。英語については1990年までと1991年以降とに分けて検索した。

l  論文の本数の動向

図 1に英語,日本語の論文の本数の動向を示す。英語では1980,92年に落ち込みがある以外は順調に増加している。日本語も同様である。

l  国別,年代別

PubMedとPsychINFOから,筆頭著者の住所によって国別の分類を行った。ただし,米国や英国在住者については国名がないことが多かった。このため手作業で選び出した。医学中央雑誌はすべて日本語である。表 1に1986年から5年ごとにまとめた国別の論文数を示す。

この表から次のことが分かる。1)アメリカの論文が最も多い。1996年は半分以上がアメリカからである。増加率も高い。20年間に10倍以上に増加している。2)オーストラリア,カナダ,イタリア,オランダは1990年以前から論文を出している。イタリアを除き,これらの国々も20年間に論文の数を増やした。3)それまでほとんど論文を出していなかったドイツ,スウェーデン,スペイン,フランス,ブラジルなどが1991年から論文を著しく増やしている。4)英国,日本,イタリアは,この20年間あまり変わっていない。他の国々と比べると控えめである。

これらをまとめると,英国連邦の国々と日本,オランダ,イタリアが伝統的にSADに興味をもっていたといえる。表には載せていないがインドも1989年から計6本出している。1991年からアメリカ人が本格的に乗り出し,合わせて他の国々も出し始めている。

このように1990年前後はSAD研究にとって節目の時期である。それまでの研究と1990年代以降の研究の違いは次の言葉で要約できる。SADという用語と米国人研究者,認知モデルによる精神病理学,認知療法,SSRI(Selective Serotonin Reuptake Inhibitor 選択的セロトニン再取り込み阻害剤),神経生物学である。こうした変化は約10年遅れて日本にも波及している。

研究の方法にも革新がある。DSM-IIIのような操作的診断基準の出現とそれによる一般地域人口を対象にした疫学的研究,また治療に関しては認知行動療法による治療パッケージ,信頼できるプラセボ治療群を設定した無作為化比較試験(Randomized Controlled Trial, RCT)の増加と,それによって実証された治療(Empirically Supported Treatments, EST)の普及活動と治療の実効性に関する研究である。一方,同じような革新は日本では起こっていない。

テーマ別に研究の動向を調べるに当たり,英語の研究に関しては1990年と91年以降に分けて集計するようにした。日本語では同様な特定の節目とする年代はない。日本語論文のキーワード別の検索については1999年以降の325件の文献に対して行うことにした。

l  テーマ別

研究のテーマ別に論文を調べた。結果は表 2から表 6に示す。表 5 理論的研究の動向,病因や認知モデルなど,を除き,キーワードは日本語での出現順に並べている。日本語の理論的研究はほとんどなかった。

診断

診断に関する研究について表 2に示す。思春期,青年期,Comorbidity(合併精神障害)は日本語,英語どちらでも関心が高い。日本語では“引きこもり”や人格障害,精神病理に関心が高いのに対して,英語では広場恐怖や全般性不安障害に関心が高い。

英語では広場恐怖とschool phobiaの研究が減ってきた。一方,全般性不安障害と高齢者,そしてDSM診断基準上はSADと診断されない広汎性発達障害や外見の異常のある患者における社会不安に関する研究が増加した。英国連邦系の研究者にとって広場恐怖とSADとの鑑別は重要な問題であった。しかし,SADに関する研究が蓄積するにつれて発症年齢や有病率,家族歴,不安誘発テスト(provocative tests)への反応の点で違いが明らかになり,現在はComorbidityが問題になっている(Mannuzza et al., 1990)。1990年から注目を浴びるようになった全般性不安障害の場合は最初からSADとの合併が問題になっている(Mennin et al., 2000)。

SADのサブタイプ(亜型)の問題は,DSM-III-Rにおいて,全般型(Generalized subype)が取り入れられときから問題になっている。特に全般型は回避性人格障害との違いが乏しいこと,非全般型との違いは重症であることだけではないか,という批判にさらされてきた(Widiger, 1992)。回避性人格障害とSADについては,“comorbidity by committee”(委員会が作った合併症)という批判もある(Moutier & Stein, 1999)。SADと診断された患者を対象にさまざまな質問紙を施行し,因子分析を行うといくつかの因子が抽出される。その結果からSADにおけるサブタイプを提案するというタイプの研究が約90件ある。しかしこれらのサブタイプの中で治療反応性のような外的妥当性をもつまでに至ったものはない。また,解析の多くは重症度のような連続的次元モデルからも解釈できる(Stein & Deutsch, 2003)。DSM診断はカテゴリカルモデルに準拠している。しかし,SADに関しては他の社会不安を症状とする精神障害と連続性を持たせた社会不安スペクトラム(Social Anxiety Spectrum)のひとつとして考える方が良い,とする主張が2002年から見られるようになった(Schneier et al., 2002)。この中には場面緘黙や自閉性障害,アスペルガー障害,回避性人格障害,非定型うつ病,身体醜形性障害などが想定されている。

他人からみてすぐにわかる外見的問題がある場合,例えば,吃音やパーキンソン氏病に伴う振戦,本態性振戦,外見上の奇形,熱傷の瘢痕がある場合に社会不安があっても,これはSADと診断しないことが,DSMの決まりになっている。これらの患者における社会不安もSADに連続したものと考えたほうが良いとする主張がみられるようになった(Lauterbach et al., 2004)。表 2において“アスペルガー,パ-キンソン,斜頸,発達障害”がヒットした文献が該当する。斜頚(spasmodic torticollis)やパーキンソン氏病については単に外見上の問題から二次的にSADをきたすのではなく,生物学的共通性の可能性があることを指摘している論文がある(Gundel et al., 2001)。

不安障害の中でSADとの合併率が高いものは全般性不安障害(GAD)である。不安障害別の合併率について不安障害治療センターを受診した患者を対象にした報告がある(Brown et al., 2001)。ここではGADがSADとの合併診断の中で最も多い。うつ病性障害との合併はしばしば問題にされる。しかし,SADはOCDやGADと比べるとうつ病を合併する頻度が少ない。

SADの研究の歴史の中で新しく出現するようになった用語はSocial Anxiety DisorderとTaijin Kyofu sho,古典的対人恐怖である。SADは日本語,英語の双方にとって新しい。英語で初めて出現するのは,1996年のClarvitらによる,“The offensive subtype of Taijin-kyofu-sho in New York City: the phenomenology and treatment of a social anxiety disorder”である。英語圏の研究者にとっては,SADという言葉とTaijin kyoufu shoという言葉は同時に出現する用語である。一方,日本語では,2000年の貝谷らによる,“社会不安障害の生物学:線条体ドパミン仮説”である。日本の研究者にとっては,SADというは生物学的研究と同時に出現した用語である。ただし,Taijin kyofu shoが英語の論文で始めて紹介されたのは1979年のTanaka-Matsumi (Tanaka-Matsumi, 1979)による。この後10年間,Taijin kyofu shoは英語では現れない。

一方,日本語では2000年までは対人恐怖は対人恐怖以外にはなかった。しかし,DSM-III-Rの導入によって社会恐怖や社会不安障害という用語が入り,日本人にとっても対人恐怖との異同が問題になった。結果的には従来診断にて対人恐怖と診断される多くの患者がSADと診断されることに日本人の対人恐怖研究者も同意している(Yamashita, 2002)。一方,自分の視線や自己臭などが他人に不快感を与えると考える患者について,SADと診断することについて研究者によっては抵抗がある。このタイプの患者については対人恐怖をさらに分けて“古典的対人恐怖”と呼ぶ文献が2001年から見られる(松永,2001)。英語では,“Offensive subtype”と呼ばれている。自己臭恐怖は英語では心気症のひとつとして記述されているが,(Bishop, 1980)系統的な研究はない。

研究方法

研究方法について検索した結果を表 3に示す。ここでは英語と日本語の差は明確である。日本語の研究は325件の中から検索したが,そのうち約3分の1が症例報告であった。英語では約7分の1である。対照群をもつ研究は日本語では3本しかない。生物学や遺伝,疫学的研究は日本語では事実上ない。質問紙に関する研究は日本語が27件ある。これらは他の研究の基礎となるものである。評価尺度の使用頻度について表 4に示す。LSASは1991年以降に日本語と英語の双方でよく用いられるようになった。治療法の効果研究では事実上のスタンダードである。英語ではSPAIが最も良く使われている。この評価法は日本語にまだ翻訳されていない。

理論的研究

日本語では文化に関するものを除いて,オリジナルな理論的研究はほとんどなかった。このため,ここでは英語のみを集計し,表 5にまとめた。生物学的研究と認知モデルに関連する研究が著しく増加していることがわかる。

SADの認知過程についての研究は1985年ごろからある(Emmelkamp et al., 1985)。まとまったものになったのは1993年ごろである。このころ,複数の研究者(Stopa & Clark, 1993)によってSADの認知の特徴についてまとめられている。1995年,ClarkとWellsが認知モデルをまとめた(Clark & Wells, 1995)。これらは1)自己や相手に対する注意の向け方,2)解釈,3)記憶と再生,4)安全行動,の領域に分けることができる。self-focused attention(自己の行動,特に情動反応に過度な注意を払う), safety behaviors(情動反応を下げる目的の行動), selective retrieval strategies(記憶再生の偏り)などがある。他には,Self-presentation theoryが提案されている。これによれば,1)対人場面で自己を高く評価されたいという動機付け,2)それを達成する可能性に対する疑念,がSADの認知の特徴とされる(Leary & Kowalski, 1995)。SADの認知に関する研究はこのあと増加しているが,その後10年間には大きな変化はない(Heinrichs & Hofman, 2001)。

条件づけに関する研究は1990年以降は,以前と比べると減少している。5年ごとに見ると1971~5年が74件で最も多く,1991~5年が24件と最も少ない。従来,SADにおける不安反応の成因として社会場面での失敗による条件付け,他人の失敗を観察することによる代理条件付け・観察学習を通じて獲得されると想定されてきた。しかし,軽症の限局型の患者のほうが重症の全般型よりも社会場面の失敗経験が多い(Stemberger et al., 1995)ことから考えると,学習のヒストリーのみではSADの病因を説明できない。このため条件付けのパラダイムを利用した研究は行き詰った。しかし,1996年からは生物学的研究が条件付けのパラダイムを利用して行われるようになった。PETスキャンによって脳代謝を測定しながら,恐怖条件付けや馴化を行うもの(Veltman et al., 2004),また双生児研究と恐怖条件付けを組み合わせたものが現れるようになった(Skre et al., 2000)。生物学的研究の進歩によって恐怖学習の準備性を説明できるようになったと言える。

治療法

1990年代の治療研究はSSRIに代表される薬物療法とSADに対する認知モデル研究を臨床に応用した認知行動療法によって特徴付けられる。治療法について検索した結果を表 6に示す。これからは薬物療法と認知療法に関する論文が1991年以降に増加したことが分かる。行動療法やエクスポージャーは英語ではもともと多いだが,数は減少している。SADに対する行動療法,エクスポージャーは確立したものになり,新しい知見を出せなくなったためだと思われる。精神分析はもともと少ない上にさらに減少している。

日本語の特徴は森田療法が多いこと,認知療法が行動療法やエクスポージャーよりも多いことである。英語ではエクスポージャーや行動療法が1991年以降でも薬物療法の次に多いが,日本ではわずかしかない。日本語の論文は認知的技法を取り上げることが多く,エクスポージャーを軽視する傾向があることが分かる。

医療政策的研究

1990年代から増えてきている研究テーマのひとつが,医療政策的研究である。“managed care, health insurance, social policy, health care policy, economic, economy”のキーワードでヒットする研究が1990年以前に14本,91年以降に47本あった。SADは有病率が高いこと,日本では対人恐怖や上がり症に対する治療として民間ですでに行われていることから,有効な治療療法の普及,医療経済的研究が日本でも重要なテーマである。しかし,この問題をとりあげた研究は日本語ではごくわずかである。

まとめと将来の方向性

SAD研究の現在の問題点は,1990年以前から蓄積されていたSADの知見とこの10年間にもたらされた知見の間の違いが見た目ほどはっきりしないことである。1970年代から社会恐怖に対して脱感作やフラッディングなどの行動療法を行ってきた英国連邦系の研究者(Tyrer & Steinberg, 1975)には今日の集団認知行動療法の治療パッケージの治療効果が昔と比べてより優れているとは思えない。実際,エクスポージャーに認知技法を加えること,集団で行うことの治療効果上の優越性は不明である(Rodebaugh et al., 2004)。1970年台から仕事をしてきた精神薬理学研究者は,古くからあるモノアミン酸化酵素阻害剤(Monoamine Oxidase Inhibitors,MAOIs) の効果は新薬のSSRIを越えるものであることを知っている(Liebowitz et al., 1986)。

SADに関する研究は今は一時の盛り上がりから落ち着きをみせている。今後も変化はあると思われるが,1990年代から起こったほどの変化はないだろう。これからの研究は,今までに提案された概念,仮説,実験的治療,臨床試験にて効果があるとされた治療の実効性を確かめる時期になる。臨床場面ではSADの事例性と問題になる。以下,将来の問題となる個別のトピックを取り上げる。

l  研究対象の問題:社会不安スペクトラム,診断閾値,事例性

SADの診断にはあいまいさがある。他の不安障害やうつ病からの独立性はこの10年間の研究で確立したものになった。一方,人格障害の一部や発達障害,非定型うつ病などからの独立性は曖昧であり,社会不安スペクトラムとして考えたほうが良い。また,SADの臨床例として診断するためには患者本人の意向が大きく関与している。DSM-IVでは,クライテリオンCにて「その人は,恐怖が過剰であること,または不合理であることを認識している」と記載されている。社会場面での不安や緊張のために日常生活が限定的であっても,本人がそのことについて不合理を感じないならば,社会不安障害ではない。逆に軽症で普通の生活をしていても本人が不合理と感じ,治療を受けたいと感じるならば社会不安障害である。あるいはSADを主訴としない場合でも,SADがあることがアルコール依存症のような他の合併精神障害と関連しているならば,事例性をもつことになる。

患者が受診行動を起こす背景を調べると,SADの症状自体は青年期からあるが,当時は治療する必要は感じていなかったこと,進学や昇進,子どもの成長に伴う学校行事など,ライフステージにおける社会的役割を果たす必要がでてきたために治療を受けに来たことがわかる。対人場面における不安や恐

SADに対する研究は,SADの症状のために困っていると訴え,それを治したいと希望し,専門家を受診する人々を対象にしている。逆に言えば,SADの症状があり,対人場面を回避している生活をしていても,自分は困っていない,治す必要を感じない,と考えている人々はSADではない。言いかえれば,治療動機がSADの概念の重要な部分になっている。一方,既存の評価基準,重症度評価は不安症状と回避,それらに対する認知をターゲットにしている。

私たちのグループは近年,SADに対するSRIsの効果を知るためのプラセボ対照RCTに参加する患者を新聞広告などの方法でSADの患者を募集した。他の施設の患者も集めてSIAS,SPSの評価の因子分析を行った(Sakurai et al., 2005)。これらの研究を行って感じる問題点は,SADと診断される患者になるかどうかが,治験広告を見たかどうかに左右されることである。広告をみてSADを主訴として受診する臨床群と社会不安があっても治療動機をもたない非臨床群との間に,社会不安そのものに関する違いがあるとは思えない。SADの臨床群を研究するに当たっては,受療動機を評価する必要がある。また,SAD臨床群と非臨床群との間で,社会的地位などの人口統計的データをマッチさせ,症状や治療反応性を比較する研究が必要だと思われる。

l  理論的研究

認知に関する研究は,Clarkらが作ったモデルから10年間に大きな進歩がない。一方,強迫性障害についてはThought Action Fusion(TAF)やCognitive Fusionと呼ばれる思考過程がこの10年間の新しいトピックである(Rassin et al., 2001)。SADについてもTAFと同様な現象が見出される可能性がある。

恐怖の条件付けに関する研究については,この数年間,生物学や疫学と結びつけた研究が増加している。認知や条件付けに関しては複数のパラダイムを組み合わせた研究が今後をリードすることになるだろうと思われる。

l  薬物療法

薬物療法ではプラセボ対照RCTにてSSRIsがプラセボに優ることは確実である。SADにも生物学的基盤があり,薬物が治療効果をもつことは研究者の関心を引いた。しかし,実際の臨床における薬物療法の有用性の検討にはまだ時間がかかる(Stein et al., 2004)。

日本は新薬の導入が欧米よりも10年以上遅滞している。Sertralineのような海外では売り上げ高ではトップにはいる薬剤が日本では承認されていない。日本でも,ようやく,SADに対するFluvoxamineとParoxetineのプラセボ対照RCTが行われたこと,Fluvoxamineについては2005年7月現在,医薬品医療機器総合機構にSADに対する効能を申請中である。2006年からはSADに関する薬物療法の文献が増加すると思われる。

薬物療法については,SSRIなどの抗うつ薬や抗不安薬とはまったく異なる視点からの薬物がある。N-メチル-d-アスパラギン酸受容体の部分的アゴニストであるD-cycloserine はエクスポージャー中におこる恐怖反応の馴化を促進することが知られている。抗不安薬とは逆の結果をもたらすことになる。高所恐怖に対するエクスポージャーの効果を増強することをプラセボ対照試験で確かめられている(Ressler et al., 2004) 。SADにも応用の可能性がある(Birk, 2004)。

l  第三世代の行動療法,治療の統合

1990年代後半から第三世代の行動療法あるいは行動療法の第三の波と呼ばれる治療概念や方法が現れるようになった(O’Donohue, 1998)。Acceptance and Commitment Therapy(ACT) (Hayes et al., 1999)やDialectical Behavior Therapy(DBT) (Linehan, 1993),Mindfulness (Segal et al., 2002)と呼ばれるものがそれらの代表である。これらの行動療法に共通する特徴は,従来の行動療法があまり扱わなかった言語行動や価値観を中心に扱っていることである。ACTの場合は森田療法との表面的な類似性が高い。例えば“あるがまま”が,そのまま治療法の名称である“Acceptance”である。患者の不合理な認知に対して助言や説得を避けて逆説的方法を用いることや,不安障害やうつ病性障害を,正常な心の働きが過剰であることとして捉えることも良く似ている。一方,ACTとはルール支配行動に関する徹底的行動主義による研究から発展した応用行動分析である。第二世代の認知行動療法がよく用いる構成概念の利用を避けること,行動の機能やコンテキストを重視するところは,第一世代の行動療法への回帰でもある。ACTとHeimbergらの集団認知行動療法のSADに対する効果を比較した臨床試験がひとつある(Block, 2003)。

これらの方法の利点は個別の治療プロトコールを作る必要がないことである。Barlowらのグループが不安障害やうつ病性障害の全般について同じ治療プロトコールで治療する試みを始めている(Barlow et al., 2004)。1990年代以降の研究の特徴のひとつは,疾患をカテゴリー化し,その一つ一つについて疫学や精神病理を調べ,特有の認知や行動,病因,治療法を検討することであった。こうした研究法による知見の積み重ねは重要である。一方,伝統的な第一世代の行動療法は患者をカテゴリーにわける考えはなく,個別の患者に合わせたテーラーメイドの治療を行っていた。このような第一世代に戻る動きがあるといえる。

l  英語でも不在の研究テーマ“社会心理学,家族療法”

SADに関連があるように思われるにもかかわらず,あまり行われていない研究テーマがいくつかあった。それらの代表が,社会心理学,発達心理学,家族心理学,家族療法である。これらを取り上げた論文は英語でも数件以下しかない。Greenwood (Gergen, 2005)によれば認知や生物学,進化モデルに対する関心の高まりによって社会心理学から“社会”が消えてしまったという。SADの研究の増加と並行してこのような変化が起こっているのは皮肉である。SADが社会場面での認知や行動,情動の疾患であること,児童思春期から起こる性格特性と重なっていることを考えると,社会心理学や発達心理学の視点からSADを研究することは新しい可能性を産むと思われる。また,対人場面を回避し,限られた知り合いや家族としか交流のない患者に対する治療には家族療法からのアプローチの可能性があると思われる。青年期のSAD患者に対する家族療法を試みた研究がひとつある(Siqueland et al., 2005)。

最後に:日本の問題

日本語の文献は325本中183本が解説や特集のような展望論文であった。海外の研究の紹介にとどまり,オリジナルな研究が少ない。わが国の臨床心理学の歴史が外国の心理療法を輸入する受信型であることを示している。さらに問題であることは,これらの展望論文が海外の研究の動向を正確に反映していないことである。1990年以前からあった英国やカナダ,オーストラリア人が行った研究が反映されていない。日本語の論文は研究結果の普及のために欠かせない。日本語の展望論文が海外の研究動向を正確に反映する必要がある。

日本語では患者を対象にしたオリジナルな臨床研究はほとんどすべて症例報告であった。すなわち,研究計画書をつくり,研究倫理委員会の承認を得て,患者に同意説明を行い,系統的に経過を観察する症例観察研究やコホートスタディ,系統的に治療介入を行う介入試験や統制研究は行われていない。筆者のグループがSADに対するSSRIの治験を行ったときの自施設でのデータをまとめたものがある程度である(原井, 2003)。

SADの有病率に関するデータはほとんどのものが米国の疫学的研究であるECA研究(Anonymous, 1982) NCS研究(Kessler et al., 1994)を基にしている。このような疫学的研究はSADの病因に関する理論的研究や医療政策的研究の基礎になっている。日本に系統的な疫学的研究のプロジェクトがないことは他の研究の発展を妨げている。今後,日本の研究者が協力し疫学的な研究プロジェクトを立ち上げることが望ましい。SADは国境や文化を越えて存在しても,医療保険や医療制度は日本独自のものである。実際の患者に対してどのような医療を提供することが必要であるのか,医療従事者の教育・研修はどう行えば良いのか,などに関する医療政策的研究は他の国を参考にすることはできない。

SADは稀な奇病と思われていた時代は,1症例の治療経過をつぶさに観察し,詳細な記述を行うことが研究であった。しかし,いったん,SADがどこにでもあるありきたりのものと分かってしまえば,一例を観察するだけでは,新しいものは何も生まれない。日本の研究者にとっては研究手段の改革が必要である。表 1からみるようにSADに関心を持っている国は増加している。このままではブラジルにも追い越されてしまうかもしれない。

図 1 SAD関連論文の本数

fig1

表 1 SADの国別論文数

発行年 1986-1990 1991-1995 1996-2000 2001-2005 合計
USA 30 197 331 352 910
Canada 12 73 45 88 218
Netherlands 9 80 54 57 200
Australia 15 56 44 43 158
Germany 1 10 33 64 108
Sweden 2 23 28 33 86
Italy 11 22 17 21 71
UK, England 5 23 9 34 71
Spain 0 7 8 47 62
France 2 10 19 29 60
Japan 2 12 13 25 52
Brazil 1 2 5 23 31
Norway 4 9 3 13 29
South Africa 1 1 6 20 28
New Zealand 1 1 13 13 28
Finland 1 9 5 10 25
Israel 1 5 2 14 22
Denmark 3 9 1 4 17
Switzerland 0 4 2 9 15
Ireland 1 3 1 9 14
Turkey 0 1 0 13 14
Mexico 0 8 0 5 13
Austria 1 1 4 6 12
Korea 0 0 0 10 10

調査期間中に10本以上現れている国のみ示した。

その他の国では,Greece,Hong Kong,Iran,Russia,Saudi Arabia,Czech,Belgium,Singapore,China,Portugal,Taiwanがある。

表 2 診断に関する研究の動向

キーワード key word 英語~1990年 英語1991年~ 日本語
対人恐怖 Taijin 3 24 214
社会不安障害 social anxiety disorder 0 341 70
思春期,青年期 adolescent, child 1119 1107 75
合併,共存,comorbid Comorbid 25 780 34
引きこもり social withdrawal 2 15 31
人格障害 personality disorder 197 249 29
精神病理,症候論 psychophathology, symptomatology, 44 81 24
統合失調,分裂病 schizo, paranoi, psychosis 201 140 20
サブタイプ,分類 Subtype 23 195 19
登校(不登校,登校拒否) school phobia 115 28 19
自己臭恐怖 olfactory reference 1 4 13
高齢者,初老,老年 elderly, geriatric 17 32 9
全般性不安障害 generalized anxiety disorder 54 352 9
広場恐怖,空間恐怖 Agoraphobia 756 402 4
古典的対人恐怖,妄想型,攻撃型 offensive type 0 5 4
アスペルガー,パ-キンソン,斜頸,発達障害 spasmodic torticollis, aspeger, parkinson, developmental disorder 7 28 6

この他,自己臭,bodily odorsは英語は1,日本語は13,視線恐怖,opthalomophobia, scophobiaは0,8,緘黙,場面緘黙,mutismは46,0であった。

表 3 研究方法に関する研究の動向

キーワード key word 英語~1990年 英語1991年~ 日本語
症例報告,一例,一事例,一症例 case report, single case 632 364 95
対照群 controlled trial, controlled study 204 330 3
家族研究,家族歴,双生児 family study, family studies, family history, twin study 25 84 1
疫学 Epidemiology 122 560 7
質問紙,評価尺度,測定尺度 inventory, measure, questionnaire 467 1332 27

この他,遺伝,gene,genetic,hereditaryは英語は162,日本語は1,

表 4 評価尺度の動向

  英語~1990年 英語1991年~ 日本語
LSAS (Liebowitz Social Anxiety Scale) (Liebowitz, 1993) 0 115 6
SPS (Social Phobia Scale) (Mattick & Clarke, 1998) 6 121 2
SIAS(Social Interaction and anxiety scale) (Mattick & Clarke, 1998) 3 25 2
FNE(Fear of Negative Evaluation) (Watson & Friend, 1969) 25 71 2
SAD(Social Avoidance and Anxiety Scale) (Watson & Friend, 1969) 4 29 2
Brief Social Phobia Scale,BSPS (Davidson et al., 1991) 0 34 2
FQ (fear questionnaire) 14 41 0
SPAI(Social Phobia and Anxiety Scale) (Turner et al., 1989) 8 147 0

 

 

表 5 理論的研究の動向,病因や認知モデルなど

    英語~1990年 英語1991年~
生理学,脳波,電位 physiology, physiologic,EEG,potential, 297 482
セロトニン sertonin, 5-HT 22 317
生物学,レセプター,トランスミッター,神経伝達物質 biology,transmitter, receptor 45 144
文化 culture,cultural 48 112
条件付け conditioning 195 105
イメージング,MRI,SPECT,PET,画像 imaging, MRI, SPECT, CT, PET 12 92
ドーパミン dopamine 10 56
認知モデル cognitive model 1 49
扁桃体 amygdala 2 43
行動抑制 behavior inhibition, behavioural inhibition 3 33
認知バイアス,認知の歪み,認知的評価 cognitive bias, cognitive distortion, cognitive appraisal 5 27
自己効力感 self efficacy,self-efficacy 12 17

文化については日本語で18件あった。

表 6 治療法の動向

キーワード Key word 英語~1990年 英語1991年~ 日本語
薬物療法,薬物,薬理学 pharmaco 233 509 89
森田療法 morita therapy 2 3 48
fluvoxamine, フルボキサミン,paroxetine,パロキセチン fluvoxamine, paroxetine, fluoxetine, venlafaxine, citalopram, 2 214 39
認知療法,認知変容,認知再構成,認知修正 cognitive therapy, cognitive modification, cognitive restucturing 31 345 33
行動療法,認知行動療法 behavior therapy, behaviour therapy 1010 300 19
精神分析,内省指向,力動的,対象関係論 psychoanalysis,psychodynamic,insight oriented 83 48 13
集団行動療法,集団認知行動療法 behavior/behavioural therapy, and group 105 88 6
SST,社会技術,生活技能 social skill 16 89 5
リラクセーション,筋弛緩,自律訓練 Relaxation 228 53 6
エクスポージャー,エキスポージャー,暴露,曝露,脱感作 exoposure, flooding, implosion, desensitization 623 412 3

 

 

 

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原井宏明, 橋本加代. 軽症うつ病に対する精神科薬物療法. 精神科治療学(0912-1862)精神科治療学. 2013;28(7):847–52.(草稿)

軽症例に対する精神科薬物療法のあり方 -軽症うつ病に対する精神科薬物療法

筆頭著者名(和文): 原井 宏明

所属1(和文):医療法人和楽会なごやメンタルクリニック

所属2 (和文):国立病院機構菊池病院臨床研究部院外共同研究員

共著者名(和文):橋本 加代

所属 長嶺南クリニック

I.                 「軽症うつ病に対する精神科薬物療法はどうしたら良いのか」

1.                30年前を振り返る

うつ病に薬物療法を行うべきかどうかは古い話題である。筆頭著者の原井が中井久夫教授が率いる神戸大学清明寮で研修医を始めたときから議論されている。DSM-III(1)が生まれた頃,約30年前のことだから,今と背景は違う。当時のメインの抗うつ薬は三環系だった。新規抗うつ薬は当時もあったがそれはマプロチリンなどの四環系だった。今の新規抗うつ薬は選択的セロトニン再取り込み阻害薬(Selective Serotonin Reuptake Inhibitors,以下SSRI),セロトニン・ノルアドレナリン再取り込み阻害薬(Serotonin & Norepinephrine Reuptake Inhibitors,以下SNRI),ノルアドレナリン作動性・特異的セロトニン作動性抗うつ薬 (:Noradrenergic and Specific Serotonergic Antidepressant,以下NaSSA)である。当時の新型うつ病は仮面うつ病だった。Smiling Depressionとも呼ばれ,笑っている人でもうつ病を疑えというものだった(1)。非定型もあったがうつ病ではなく,非定型精神病だった。

診断方法も違う。神戸大学での研修医時代,DSMならぬDSEが診断であった(D=うつ,S=統合失調症,E=てんかん)。カルテの病名もこの三つのどれかだった。この三つは三大精神病であり,精神病こそが大学病院精神科が扱うべき疾患だった。精神病そのものは治せないかもしれないが,入院や鎮静,デイケアなどによって保護やリハビリをする必要があった。まれにn=神経症とつけることもあったが,nの患者は本来は来るべきではない患者だった。まとめればDSEn(ディー・エス・エヌ)診断と呼べるだろう。軽症うつ病はnになる。不安障害という概念はなく,軽症はまとめてnだった。そしてnを特異的かつ確実に治すような治療法は当時はなかった。治せない上に入院や保護,リハビリが不要な患者を大学病院で診続ける意義はない。「病気ではないから気にするな」と伝えることが精神療法だった。

精神療法と比べると抗精神病薬の効果ははっきりしている。問題を起こす患者がいれば看護師長が注射しろと研修医の私に命じていた。診断がSではないからと私は抗議したが,抗精神病薬の注射の効果は幻覚や妄想だけではなく,病棟内での人間関係のトラブルや強迫行為,嗜癖にも及ぶと思われているようだった。オーベンからは脳波だけはきちんと評価できるようになれと指導された。脳波以外は診断も含めて精神科医の仕事のほとんどは曖昧で医学と呼ぶに値しないというのが理由だった。精神医学は独自の哲学に基づく実用性無視の学問,「医学」と呼べないマイナー科という位置づけの方が主流だった。当時は,エビデンスに基づく医療(Evidence Based Medicine, 以下EBM)(2)という概念はなかった。

「認知行動療法」もなかった。精神療法イコール精神分析だった。笠原嘉の小精神療法はあった。その原則は病人全体に通じるような,1)休息させる,2)病気の間は非難しない・励まさない・決めさせない,3)希望的観測を伝える,だった。これだけなら精神科で精神療法を研修する必要はない。風邪を引いて寝ている患者を診る内科医も同じことをするだろう。行動療法がなかったわけではない。しかし,九州などごく一部で行われているだけで,普通の精神療法家から見れば行動療法とは人を動物扱いし,飴と鞭で支配する下品な代物だった。1980年代は認知行動療法という言葉が生まれた時期である。頭に”認知”をつけることで行動療法をより人間的なものとして受け入れてもらいやすくする狙いがあるようだった。

今は,どれだけ30年前から変わったのだろうか?

2.                今

はっきりと変わったものはである。うつ病患者の数は,1984年,入院・外来合わせて11万人だった(3),今は100万人を超えている。精神科・心療内科の外来クリニックの数が増えた。日本精神神経学会も大きくなった。現在の会員数15,155人,2013年5月の第109回学術総会の参加者は6,400人を超えた。1980年代は会員数5,000人台,学術総会参加者は1,000人あれば多い方だった。1997年,93回大会のときでも1,700名である。

治療法も増えた。薬だけではない。認知行動療法が加わった。精神分析と違い,抗うつ薬とプラセボと比較したランダム化比較試験(4)の結果と一緒に紹介され,”抗うつ薬と同等のエビデンス”という肩書きもある。エビデンスのためにDSMがいる。エビデンスのほとんどが欧米からの輸入品であり,輸入品を日本で使うためにはDSEnでは都合が悪い。

数の増加と,選択的セロトニン再取り込み阻害薬(Selective Serotonin Reuptake Inhibitors, SSRI)とDSM,EBM,認知行動療法の普及はほぼ同時に起こっており,それぞれが関連していると考えるのが自然である。新規抗うつ薬の増加と,診断基準とエビデンス,認知行動療法の普及によって,うつ病の患者は1980年代よりも治るようになったのだろうか?あるいは治療のメニューの増加に合わせて,どの患者はどの治療がマッチしているとわかるようになったのだろうか?もし,そうならばうつ病の患者はここまで増えないはずである。新型うつ病や難治性うつ病という概念がでてくる必要もない。学会が大規模化し,治療メニューが増え,診断がより正確になり,判断に役立つエビデンスが増える,このような良い進歩が起これば起こるほど,かえって新型や難治性の敵が増えているように見える。まるでベトナムやアフガニスタンで泥沼の戦争に追い込まれた二大超大国のようだ。泥沼から抜け出す努力はもちろんある。日本うつ病学会が出した治療ガイドラインはその1例だろう(5)それで上手く行っているのだろうか?

精神神経学会の学術総会に参加する人が増えた,しかも真面目に勉強する人が増えた。知識に対する欲求が増え,知識総体も増えた,なのにうつ病治療のアウトカムの改善はない,むしろ知識に振り回され,混乱が増しているように見える,それでも原井が参加したうつ病に対する精神療法のシンポジウムで最後に質問した人のようにアリピプラゾールによる増強療法の最新の知見はどうなのか,どの抗うつ薬を組み合わせれば最強なのか?と聞いてくる人がいる。新しいルール探しに精神科医はこだわることを止められない。50代以上の精神科医なら,昔の三環系抗うつ薬の方が新規抗うつ薬よりも効果が高いと知っているが,そのような古いルールには誰も見向きもしない。私たち,精神科医たちは最新の知見,最新のエビデンスというルールに支配されてしまい,実際のアウトカムという目の前にある現実から目を背けているように見える。

3.                過去から今を見る

1980年代のうつ病の論文を今,引き出して読むと,当時からいかに私たちが進歩していないかがわかる。当時の方が良かったことがある。先々には解決するだろうという明るい雰囲気があった。融道男先生の「うつ病の病因-最近のトピックス」(2)を読むと,つぎつぎ明らかになる神経生化学研究の知見や新規抗うつ薬によって,いずれは本誌で取り上げたような問題が解決するだろうという明るい見通しがうかがえる。

今,そう思う人がいるだろうか?軽症例のうつ病の治療は新薬によって解決するだろうか?アクセプタンス・コミットメントセラピーやマインドフルネスのような第三世代の認知行動療法(6)によって解決するだろうか?臨床と治験,認知行動療法の普及に直接関わってきた原井の立場からはNoと答えるしかない。もし,はっきり,Yesと答え,それをサポートできるエビデンス,コホート研究による疫学的研究を出せる人がいたら私は引き下がろう。

エビデンスはなくても,1980年当時のように曖昧に,あるいは先々には解決するだろうと答える人がいるかもしれない。その人の言うとおりに,本当に実効性のある進歩が得られたとしよう。そのような進歩が日本全国に普及し,うつ病で受診する患者数が減少するという時代が来たとしよう。しかし,それでは困る人たちが出てくる。雨後の筍のように増えた駅前ビル診療所はどうやって経営をするのだろう?精神科病院は統合失調症患者の減少を認知症患者の増加で補うことができた。うつ病患者の減少を駅前ビル診はどうやって補うのだろう?今,児童思春期を専門にしている診療所はどこも2,3ヶ月以上の予約待ちがある。うつ病患者の減少を児童思春期の患者の増加で補うのだろうか?

本誌,「精神科治療学」を中井久夫先生たちが創刊し,当時の研修医仲間の皆が購読したのも,雑誌の主要なテーマが治療論であり,他の雑誌のように病因論や診断論ではなかったからだろう。中井久夫先生が1980年当時,注目されていたのは統合失調症の病因ではなく,寛解過程に注目したからだ。同じように軽症例のうつ病の治療はどうあるべきか?という問いに答えが与えられないならば,問いそのものを変えなければならない。30年近くたって解決つかない問いがあるのは,答えられない人のせいではなく,問いのせいである。

II.                今,学びつつある精神科医はどうしているのか?

1.                30代の精神科医の疑問

原井は50代の精神科医である。精神科医の仕事が曖昧なまま,この先にも進歩がないことで原井自身は困らない。私が仕事を失うことはおそらくない。しかし,患者自身はもちろん,これから精神科医としてのキャリアを積もうとしている若い人たちは困るだろう。100万人のうつ病の患者さんたちが精神科医を見離したら,彼らは仕事を失ってしまう。うつ病の患者数が10万人で精神科医のまたごく一部だけが診ていた時代は終わっている。精神科以外の医師も,また心理士などもうつ病の自分たちのターゲットと見なしている。

30代の精神科医はどう思っているのだろうか?その1人である橋本に疑問点を考えてもらった。

うつ病学会のうつ病治療ガイドラインが出た。読んで疑問が増えた。結局,薬物療法が必要なのか不要なのかはっきりしない。軽症例では積極的には使わない方向で行こうという方針はあるが,消極的になりすぎるのもよくないし、暫定的判断で使ってよいとも書いてある。結局それで、いままでの処方パターンを変える人がいるのか。結論はそもそも無理なのかもしれないが,そうならば今回のこのガイドラインは何のためなのか?と感じてしまう。

2.                個人的オピニオンに基づいて答えるならば

これは治療ガイドラインは役に立つのかという問題と、その内容についての問題に分けて考えることができる。まず,ガイドラインについて考えてみよう。ガイドラインを出せば,医者の処方がその通りになるか,というと、そのようなエビデンスはない。ガイドラインを出したからと言ってその国の医療内容が良くなったとか、それこそDSMがでたからといって、精神科医の診断に妥当性や信頼性が出たというエビデンスは原井の知る限りない。ガイドラインをネットで公開すれば,人の行動が変わる,とくに多剤併用のような問題処方をしている人が変わると期待する人は,教科書を渡せば学生は勉強するはずだと思っている教師と似ている。

内容を見てみる。“1 把握すべき情報”は見残しがないよう全てを網羅しようとしている。発達障害には特に詳しい。しかし,このガイドラインは治療方法の選択のガイドラインなのだから,詳しく調べることが治療方法の選択につながるべきだが,そんなことは書いていない。詳しく調べて結果がでても治療法は同じならば調べる意味がないし,必要が生じたときに後から調べても良いはずだ。一方,抜けているものがある。解離性障害(転換性障害)について触れていない。虚偽性障害もない。二次的を含む疾病利得のことを考えなくて良いと思っている臨床家として楽天的すぎる。初診時から自立支援や障害者手帳,診断書を要求してくる患者は珍しくない。そして,決定的に欠けているものが,過去の病歴・反応性である。ライフチャートとよぶ過去の病相を年表のようにしたものが必要だ。これがなければ大うつ病性障害反復性か単一か,双極性障害か,急速交代型かわからないし,この区別は治療方法の選択につながる。

例えば季節性感情障害には高照度光療法を検討するとある。その通りだと思う。特異的な治療法だ(3)。害も少ない。残念なことに,どうやって季節性感情障害をアセスメントするのか書いていない。ライフチャートを2,3年分つくればわかることなのだ。

過去の病歴も医療使用歴まで全てまっさら,病前性格も社会適応も悪くない,発症がこの1ヶ月ぐらい前からという患者,初治療の単一エピソードの患者で,いわばメンタルヘルス・バージンの患者ならば,このガイドラインが役立ちそうだ。しかし,このようなメンタルヘルス・バージンの患者を診たときに,ガイドラインが必要だと思う精神科医はどのくらいいるのだろうか?詳しく調べるまでもなく笠原の小精神療法で十分だ,無理して抗うつ薬を使わなくても,睡眠薬を飲んで寝ればそのうち良くなるだろう,と考えるのが普通の医者だろう。

3.                エビデンスに基づいて答えるならば

では軽症うつ病に対する薬物療法について,原井以外の他の医師ならどう答えるだろうか?一時,精神科医の間で,NICE Guideline(7)が,初診のうつ病患者に対して,すぐに抗うつ薬を出すのではなく,最初は経過観察することを勧めていることが話題になった。この件について,EBMに詳しい同僚と意見をやりとりしたことがある。その一部を以下に示す。

原井:軽症うつ病に対する薬物療法について,NICE Guideline(7)では,

Antidepressants are not recommended for the initial treatment of mild depression, because the risk-benefit ratio is poor.

としているので,これに従うことにしています。

某医師:NICE Guidelineでは,Guided Self-Help以外の根拠はすべてC,つまりexpert opinionsになっています。それでもこれに従うのですか?一方,major depressionのmildなものなら薬物療法の効果がランダム化比較試験(RCT)で示されています(8)。これによると、minor depressionについてはwatchful waitingで良いと思います。軽症うつ病がminor depressionを指すのなら、NICEの言うとおりだと思いますが、「うつ病」と書くのだから、mild major depressionのことを言っているのですよね?

1980年代から進歩したもので有意義なものを1つ取り上げろと言われれば,原井が最初に考えるのがEBMである。エビデンスがあるから,私は行動療法や動機づけ面接をするようになった。RCTに基づいて治療法を選ぶことに賛成である。一方,彼からのメールには戸惑った。一つにはNICE Guidelineを作成したチームが彼以上にEBMについて詳しい人たちだと思うからである。二つ目には実際に治験で40例以上のうつ病の患者にプラセボを投与し,その結果を知っているからである。メタアナリシスでは抗うつ薬はプラセボより効果が優るのだろう。40例では少なすぎて差がつかないのだろう。しかし,プラセボは40例だけでもはっきりと抗うつ薬よりも副作用が少ない。三つ目にはRCTは効果がプラセボと同等であるという帰無仮説を否定しただけであって,抗うつ薬を投与すべきだとガイドラインに明記し,うつ病の治療に当たる医師全員がそれに服従することで,実際のうつ病に悩む患者が減る,ということまで証明したわけではない。NICEのチームは,現在,入手可能な最強のエビデンスをもってしても,軽症うつ病患者の全員に抗うつ薬を服用させろと医師全体に命じるようにガイドラインには書くには至らない,と判断したのである。世の中で数多く行われたRCT全体を見渡してみよう。帰無仮説が否定できなかった,すなわちプラセボなどの比較対象との間に差を証明できなかった治療法のほうがはるかに多いのである。認知療法の用語でいえば,EBMは否定的認知のスキーマに骨の髄まで染まっている。1回のRCTで肯定的な結果が出ても信じない。追試を繰り返して,肯定的な結果が続き,そして比較対象との差が十分に大きくなければ,その治療法に根拠があるとみなさない。

4.                クリニック経営に基づいて答えるならば

原井と橋本は年代は違うが,共通点がある。2人とも医療法人が経営するクリニックの勤務医である。今日のクリニックと1980年代の大学病院とは目標が違う。1980年代の医療機関,とくに公的なものには経済観念がなかった。国公立精神病院は平気で赤字を垂れ流していた。今のクリニックの経営者には集患・増患という観念がある。経営者は患者が気軽に受診できるよう,クリニックの場所や入り口の雰囲気に気を使う。ホームページの整備は当然である。来てくれた患者さんに対しては,不安や嫌な気持ちが来たその日から楽になり,眠れるようになり,患者が次もまた薬を求めてクリニックに来てくれるように処方を工夫する。初診の患者を増やし,再来の患者はできるだけ長く続けてくるようにさせることが集患・増患なのである。。薬を貰うために長年,通い続けてくれる患者は担当医が退職などで変わっても続けて来てくれる,クリニックの経営を支えてくれる。「いわば固定資産だ,大事にしなさい」と教えてくれたクリニック経営者がいた。精神科に限らず何科のクリニックであっても,あるいは全ての客商売において集客(患)は必須であり,常連客(患者)こそが収益を磐石にしてくれる。景気変動や病名の流行り廃りとは無関係になるからである。

こう考えれば,初診で来たうつ病の患者に対して経過観察をするなどありえない。うつ病と抗うつ薬を知らない大人の日本人はまずいない。自らうつ病ではないかと思ってクリニックに来た患者に「確かにうつ病ですかが,軽いから」と言って薬を出さないのは,患者を驚かせるだけだろう。せめて今晩だけでも楽に眠りたい,という患者は他のクリニックに移ってしまいそうだ。最初から抗うつ薬,スルピリドなどの抗精神病薬の少量,抗不安薬2種(長時間型の定期服用と短時間型の頓服)の4種をセット処方にして出してしまう手を勧めてくれたのが先ほどの経営者である。これが“固定資産”を増やすのに役立つと経験でわかっているのだろう。

III.              薬だけではない

本論のテーマは薬物療法だった。認知行動療法は大丈夫なのだろうか?実は認知行動療法も同じ問題を抱えている。抗うつ薬と同等の効果がある,だから効果のエビデンスがあるというのが常套句である。しかし,抗うつ薬自身がプラセボとそれほど差が無い,副作用やコストなどの点も考えに入れれば,軽症うつ病の場合には抗うつ薬の効果は必ず処方すべきと言えるほどではない。20歳以下に関しては効果を示すエビデンスがないと添付文書に明記されるまでになった。プラセボとそれほど差が無いとされる治療法と同等ということは,認知療法もプラセボとそれほど差が無いということだ。認知療法には薬のような副作用はないから,効果の点で優越性がなくても,臨床的な有用性があると主張する人がいるだろう。しかし,よく考えてほしい。プラセボは治療マニュアルを作成したり,治療者をトレーニングしたりする必要がない。1回30分かけて,毎週受診,10回続けるという患者の手間暇もかからない。そして,全国どこでも使える。認知療法ができる精神科医が不足しているのは確かにそうだろう。では,プラセボ治療ができる精神科医は不足しているのだろうか?国立菊池病院で原井は多くのプラセボ対照ランダム化比較試験を治験責任医師として手がけたが,プラセボを出す医者を探すのには困らなかった。そして,キーオープンの後,それぞれの医師の治療成績を振り返ると,男性医師が女性を担当した場合,女性医師が男性を担当した場合にそれぞれプラセボ反応が高かったが,それ以外には医師個々人での差は無かった。プラセボ治療は医師間のバラツキが小さいのである。

プラセボは診断基準やエビデンス,認知モデルに基づかない。何故効くのか?と効いても答えがないからプラセボと呼ぶ。私たちは逆に考える必要がある。診断がより正確になり,判断を頼るべきエビデンスが増え,認知モデルや治療法が増えること自体に問題があるのだろう。しかし,良い進歩を問題視し,他の方法は?と問う人はまだいないようだ。

DSEn診断をしていた精神科医たちは,言い方を変えれば,こんな風に診断していたともいえる。DとS,Eはそれぞれ抗うつ薬と抗精神病薬,抗てんかん薬が必要な患者である。神経症のnは,抗不安薬だけで良く,それも一時的使用に限り,ずっと続けて精神科に来るべき患者ではない。そもそも大学病院の医師で患者の数を増やしたいと願う者はいない。DSEn診断はどの薬を誰が飲むべきかだけを決めるための診断だと言える。患者は少ない方が早く仕事が終わるし,診断は少ない方が迷いも少ない。そしてそんな精神科医ばかりだったせいで,地域におけるうつ病の患者数が少なく,難治性も少なくて済んでいたのかもしれない。

1980年代,日本の精神医療は入院治療に偏り,欧米と比べて地域精神医療が貧弱過ぎると非難された。クリニックの開設は入院中心から外来・地域精神医療中心への転機になるはずだった。デイケアなども備えて,慢性精神障害者に対するノーマライゼイションを目指しているはずだった。結果的には,今起こっていることは,“メンヘラー”という新しい慢性患者を作っているだけのように見える。治療し,成功するとは結果として減患することである。減患という言葉はまだ日本語にない。

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